世界一周タビスト、かじえいせいの『旅が人生の大切なことを教えてくれた』 

世界一周、2度の離婚、事業の失敗、大地震を乗り越え、コロナ禍でもしぶとく生き抜く『老春時代』の処世術

クッキング・レッスン

2013年04月15日 | 
マリアのクッキングレッスンがフリートークで行われた。



今回で2回目だ。


前回はporridge(フィリピン風おかゆ)で、ginger(ショウガ)が効いてて

身体がポカポカと温まったものだ。



今回は、春にちなんで、

春巻きとはるさめのスープ。

英語で春巻きは、文字通りSpring rollだが

はるさめは、gelatin noodles、または vermicelli という。

Spring rain は、春雨ですね。



ライスペーパーで巻くベトナム風と違って

薄く伸ばした卵で巻く。







ハイ出来上がり。




招きくまモンも一緒に、いただきま~す!




ボリュウム満点で、美味ィ~~~~~~~!!


英語の勉強(特にお料理関係)にもなって、みんなと親しくなって

一度に3度美味しいよー。


次回もまた楽しみだネ。







4月14日(日)のつぶやき

2013年04月15日 | 音楽

DORO Party

2013年04月14日 | 国際
インターナショナル・パーティが行われた。


       ここはニッポン?  ハイ、熊本ですバイ。



イベントを企画する若者たちが仕掛けたパーティは、

月に一度行われている。


熊本を国際都市にしようという趣旨の元

外国人との交流の場として100人以上の老若男女が集った。








ここでもフリートークファミリーは実力を発揮する。


       スケベオヤジ(オッと失礼)もこの通り、即座に両手に華


       トランプのマジックに花が咲く


       ワーオ、美女軍団。 端の男は誰だ!



英語を巧みに操り、積極的に見知らぬ人たちとも打ち解ける。


   ウーン、かっわいいィ!


ヤッパリ英語ができると絶対お得なのだ。

外国に行かなくても、世界中の人とお友達になれる。



パーティの最中、お誕生日のお祝いも。





英会話と同時にこうした社交術も磨ける。

話題性と社交性は国際交流の必須条件だ。




口下手で、引っ込み思案が長年日本人を殻に閉じ込めてきた。


臆することなく人前に出て、

初対面の人とでもすぐに打ち解ける術は一朝一夕には身につかない。



こちらも毎月行われるフリートークのMake more Friends Party で鍛え上げられていく。


シャイな人も、口数の少ない人も、人の輪に入るのが苦手な人も

少しずつ脱皮するように自分の殻から抜け出していく。



昨今は、日本人もいろんなパーティを催すようになった。

セミナーや講演会よりもより有意義だ。


食べて飲んで、○○できるのだから。


しかも、いろんな国の人が集う。

そして、国際交流の輪が広がっていく。



ただ気がかりな点なある。


欧米系の外国人は多いが、

東南アジアをはじめとするその他の国の人はあまり見かけない。


やはり、パーティといえば、欧米文化なのか。


100人規模のパーティともなれば

全ての人と知り合うことは難しい。



目が合えば、初対面でも、にこっと笑って、ハイと声を交わす。

これが、欧米型の特徴だ。


日本人同士も伏し目がちになりやすい。


フリーハグも効果的だ。

誰彼かまわずハグしまわるのはいきすぎかもしれないが、

少しでも親しくなれば、握手やハグといったスキンシップはより親密さを増すのに都合がいい。


これからも月を追うごとにこうした風潮が広まることだろう。


さて、今週の終末、20日の土曜日は

フリートークの2周年記念のパーティが催される。


初めての人でも、どなたでも参加できますよ。


多くの方々が集い、世界中の人々と交流を深めてもらいたいと願っている。

山より大きな獅子はいない

2013年04月13日 | 苦境
身震いで目が覚めた。

嫌な夢だった。

(関西の地震の揺れかも?)



今経済的破綻の瀬戸際に立たされている。

経済的に困窮し、もうダメだと思ったことはこれで何度目だろう。


裏切られて、騙されて、それでもボクは人を信じて生きてきた。

懲りない性分だ。



夢と希望がボクを支えている。


支えてくれる人がいる。

応援してくれる人がいる。


だからボクは生きていられる。

そう頑なに信じて生かされてきた。




どんなに失望しても絶望してはいけない。


失ったものはいつしか必ず取り返せる。

あるいは、そのほかのもので代替できる。


だが、絶やしたものはもう戻ってこない。


散った花はまた咲くが、

一旦枯れた木はもう戻ることはない。


失うことは一時的でも、

絶やせば永遠につながる。



お金は頑張ればいつでもまた作れる。

友人も知人もまた出来るだろう。


だが、愛する人はなかなか代わりが見つからない。



出会いは別れの始まりだという。

そうではない。

むしろ、別れが出会いの始まりなのだ。



失ったものをいつまでも嘆いても埒(らち)はあかない。

今あるものを大切にすべきだ。

例えそれがわずかなものであろうとも。



財産を失う。

パートナーを失う。

健康を損なう。


人は数々のものを失いながら

それでもどこかに何かの希望を見出そうともがきながら生きている。


肌が新陳代謝を繰り返すように

人の環境も常に新陳代謝が起きている。


脱皮を繰り返すたびに、大きく成長していくものだ。



生きている以上、悩みや苦しみは払いのけても払いのけても

打ち寄せる波のように次から次へとやってくる。



ならば、その波に身を任せ、心地よく揺られてみるのもいい方策かもしれない。


岸から思い切って漕ぎ出して、

波をかき分けて沖に出てみれば穏やかな海が待っている。



振るし切る雨の中でも

一旦空に向かって飛び立てば、

分厚い雲に激しく揺られながらもその先には青空が広がっている。


誰しも土砂降りの中に身を置けば心細くなり打ちひしがれるだろう。

凍えるかもしれない。


だが落ちてくる雨の先を見れば

雲の上には必ず青空があることを意識してほしい。


どんなに長く降っても、上がらない雨はない。

雨は潤いをもたらす。

時に洪水を引き起こすこともあるが。


むしろ怖いのは日照り続きだ。

乾いた心は砂漠のように殺伐としてそこからは何も生まれない。


ぎらぎら光る太陽は、じりじりと肌を焼き、咽喉を干からびさせる。


だから人々はオアシスを求めて旅をする。



今がどんなに苦しくても、

どんなに切なくても希望の光だけは失ってはいけない。


乗り越えられない壁はない。

時が経てば壁の方から崩れこともある。


山より大きな獅子はいないのだ。



【One point English Lesson】



新陳代謝ってどういう?


〔生理学で〕metabolism


新陳代謝するは、

undergo metabolic change


metabolic は形容詞で、

「物質交代の, (新陳)代謝の」、あるいは、

「 変態する」という意味である。




日本語で言ういわゆる、メタボは


メタボリック‐シンドローム【metabolic syndromeメタボリック症候群】の略で、

内臓の周囲に脂肪がたまり、

それに加えて高血糖・高血圧・高脂血・高コレステロールの症状のいくつかを複数併せもつ状態のことをいう。

放置すると、糖尿病・動脈硬化・心筋梗塞などを起こすとされる。



metabolic syndrome:

a combination of medical conditions,

including high blood pressure and high levels of cholesterol in the body,

that increase someone's risk of getting heart disease or having a heart attack


ナルホド、知らなかった。

引き受ける力

2013年04月12日 | 人生
引き寄せる力より

引き受ける力がより大切である。


いいチャンスが巡ってきても、

それを拒絶すれば元も子もない。



頼まれごとは基本的に断らない。

これが基本スタンスである。


お金に関しても、できるだけのことはする。


自分に身に起こったことをすべて受け入れる。


それは許容力に繋がり、器の大きさともいえよう。



人から騙された、罵られた、恨みを買った、

これらすべてに言い訳をすることなく

素直に受け入れることができるか。



ボクは幸い、大怪我や大病で入院生活を余儀なくされたことがない。

ただ、これからそういうことがいつ起きるとも限らない。



事業が上手くいかなくなり、

いつ経済的破綻に追い込まれるやもしれない。


今までかろうじてその危機を乗り越えてきた。

だからこれからもうまく切り抜けられるなどという保証はどこにもない。

むしろ、これもいつどういう形で自分の身に降りかかるとも知れない。


そうした人生に危機は、ボク個人に限ったことではない。

人は、あらゆる不幸の可能性を背負っているのだ。


どんな稀有な出来事も、他人に起きることは自分に起きる可能性を含む。


犯罪に巻き込まれるかもしれない、

自分自身が犯罪を犯してしまうかもしれない。


カッとなって人を殺(あや)めるかもしれない。

それは最悪なことであり、取り返しのつかないことである。


オシドリ夫婦でも、長年の介護疲れで愛する配偶者を殺める例もある。


そこまでのことをしなくても、

信用を失い社会から抹殺されることはよくあることだ。




だが、どんな境遇になろうとも

運命だと思ってそれを素直に受け入れなければならない。


どんなに悔やんでも、過去は戻ってこないし、その事実を消し去ることもできない。


なんとかしようともがき苦しみ、取り繕うことさえ無意味だ。

出来ない言い訳を並べたてるのは愚かだ。



過去の事実を消し去ることは出来なくても、

解釈はいくらでも上書きできる。



やるべきことは、

あらゆる事象を素直に受け入れ

あとはただ、今を100%生きぬき、

今光輝くこと、命を今生き生きと発揮させることなのだ。


今の輝くが未来への輝きへと導く。



もともと人間というものは自由なのだ。

だが、こうありたいと欲を出したり、

こうしなければならないと自分を制限するために

それが足かせとなり、挙句不自由さを必然的に手に入れてしまう。



理想を描くことも、

こうしなければならないとミッションを打ち立てることすら足かせとなる。

そこには少なからず無理が内包されるからかもしれない。




現状を素直に受け入れ、

自然体でいることこそ自由そのものなのだ。


したいことはすればいい。

やらなければならないことなど、実は一つもないのだ。



全てを受け入れ、真に解き放たれた時、

人は自由を手に入れ、今が輝き始める。




ある人がメルマガに書いている。


運やご縁に恵まれる秘訣は3つ


 1.受け入れがたいことを受け入れること

 2.今与えられた仕事に最善を尽くすこと

 3.今一緒にいる人たちを大切にすること



なかなか人生が展開していかない人たちは

1つ目の現状を受け入れていないことが多い、と。


受け入れがたきことを許し

勇気を持って受け入れることが道をひらく大きな一歩である。


受け入れられないモノも与えられたモノだから

受取拒否をしていれば

そのあとにめぐってくる運とご縁も拒否しているようなもの。


受け入れずして、次は無し、と手厳しい。



ごみの分別は必要かもしれないが

人生の出来事をを分別(ぶんべつ)してかかることは


まさに分別(ふんべつ)の無い行為だといえよう。


優れた人はいる。

感じの良い、イイ人もいる。


だが、求められるのは

善悪、良否の敷居を超えた、

全人的な魅力、迫力、実力を備えた人間なのだ。


つまり、清濁併せのむ器量が求められる。


これからの時代、特にグローバル時代を生き抜くにおいては、

愛嬌より器量(ability; high caliber )度胸(brave)、

人気より任侠(chivalrous)といったものが必要となる。


任侠は何もヤクザに限ったことではない。

いやむしろ、正義感にあふれたヤクザほど格好いいものはない。


ある意味、ヤクザにならなきゃこれからの世の中行き抜けない。


さらにいううなら

要領(容量)より器量、

器用より器量なのだ。。



何事も「受け入れる力」を養うためには、

心身魂を鍛え、

人としての器を磨いて、大きくしなければならない。




【今日のワンポイント・英会話】


He gained credit [prestige] by doing it.

彼はそれをすることによって大いに器量を上げた



His brave act 「won him credit [raised him in the estimation of the people].

勇敢な行いによって器量を上げた



caliber (American English)の意: 器量

the level of quality or ability that someone or something has achieved




chivalrousの意: 任侠

to behaves in a polite, kind, generous, and honourable way,

especially towards women

別れる力

2013年04月11日 | 人生
伊集院静氏の「別れる力」を読んだ。

例によって立ち読みだが。


人は誰しも一生のうちに、幾多の別れを経験する。


友との別れ、

恋人との別れ、

家族との別れ、

親との別れ、などなど。


死はその最たるものだ。


別れはヒトだけにとどまらない。


会社や組織との別れ、

地位や肩書きとの別れ、

住み慣れた所との別れ、

ペットとの別れ、

大切にしていた物との別れ、といったものもある。



だが、別れは、即旅立ちにつながる。

新たな出立を意味する。

新しい出会いが待っている。



別れをいつまでも引きずることなかれ。

去っていった人を恨むことなかれ。


悲哀と惜別は人を優しくし、強くもしてくれる。



ひとしきり涙を流したなら、

上を向いて歩きだそう。


後ろはもう振り返らない。

前を向いて進もう。



―――――――――――――――――――――――――

冒頭の本の話に戻ろう。


別れを「大人の流儀」と捉える彼固有の人生観が漂っていて面白い。


サヨナラだけが人生よ。

遊ぶだけ遊んだら後はグッバイ。



などと、別れを斜(はす)に構えて睥睨しているかのようだ。



数え切れないほどの別れを経験すると、

哀切(pathetic)すら通り越して、どうやら後ははははと笑うしかない。




【ふろく(appendix)】

[Vietsub] Goodbye Baby - Miss A




2013年04月10日 | 人生
何故愛しているの?

そう聞かれてはたと考えてみる。


分からない。

愛に理由がいるのだろうか。


いちいち理由をつけて愛を語らなければならないのだろうか。

愛しているから、

ただそれだけ。


それだけでは満足しない?


好きだから。

好きと愛するの違いは?

Like と Love の違いと同じ?


like はモノに対して、

love はヒトに対して使う?


love をヒトに対して使うとき、よく誤解を招くことがある。

特に、異性の特定の人を指す時、

それはその人への特別な意味合いを成す場合が多い。



だが、I love people. と言ったらどうだろう。

あまねく人を愛するとき、比較すべきものが無くなる。


本来愛とはそういうものではないだろうか。


異性を愛するのは、

人を愛するための段階に過ぎない。


そうしてときめきや痛みといった愛の意味を知り、

それを繰り返すことで、愛そのものを昇華させていく。


内なる異性への愛を統合し、大いなる愛に気付く。


それはとりもなおさず、自我をも、自我を取り巻くすべてを愛することを意味する。

現実を受けいれることを意味する。


相手に見返りを求めず、

相手が自分のことをどう思うが思わないが、

関係なく自分の愛を貫くことができる。



愛することで、

無条件に今ある現実を受け入れ

今、このままが最もいいことが解るようになる。


聞くこと、見ること、感じることの全てが、良きことのみであったことに気付く。


そうなれば、どんな問題もなくなってくる。

リラックスし、起きてくることを起きて来るままに楽しむことができるようになる。


人や現実を操作しようという気持が起きなくなる。


そして、博愛というものにいきつく。



あるがまま。

それが愛である。

乗馬

2013年04月09日 | ライフスタイル
ボクのライフスタイルの中で切り離せないものがいくつかある。


それは、旅であり、英語であり、テニスであり、映画であり、音楽であり、ビジネスなどだが、

その中でも、乗馬はボクのライフスタイルの原点ともいえるものだ。


小学校の時に、ある映画をきっかけに、大草原で馬に乗った生活が夢になった。

そのまま取りつかれるようにボクの人生を歩んできた。



結果、30歳で脱サラし、田舎暮らしを始めてその夢を実現した。




10年ほど5頭の馬と生活を共にした。

だが、400日間に及ぶ世界一周の旅をきっかけに馬を手放さざるを得なかった。


その代り、旅先で馬に乗るようになった。


アメリカ、モンゴル、カナダ、ニュー人ランドをはじめとする世界の大草原を乗り尽くした。

今も継続中である。



こうして海外での乗馬に活路路見出すことで、

料金がべらぼうに高い日本ではめっきり馬に乗らなくなった。



―――――――――――――――――――――――――――――

ある日、英語の堪能な若者がフリートークにやってきた。

彼は牛の肥育を生業としている。






ある時、馬が飼いたいという。

牛の関しては彼はプロだが、乗馬に関しては全くの素人だった。


彼は中間種と呼ばれるアパルーサ系の馬を手に入れた。


ボクは彼にウェスタンサドルを貸し、早速見に行った。


2歳の騸馬(せんば)で、すでに乗馬用としては調教されていた。

ちなみに騸馬とは去勢された牡馬(オス馬)のことである。


大人しく乗りやすいいい馬だった。

ただ、ブリティッシュ・スタイルで調教されていたらしく

ハミ(bit)が合わず手綱さばきを調教し直さなければならないようだ。



それでも、鞍をつけて外乗もしてみたし、

裸馬にして試乗もしてみた。




彼が丸馬場を作ればさらに調教がしやすくなり、

いろんな人を乗せることができるようになるだろう。


――――――――――――――――――――――――――

彼の夢は、観光牧場づくりだという。


それはまさにボクが久住高原で実現していたことだ。


それを聞いて、ボクの夢を彼に話した。

それは、アメリカでイマ―ジョン(immersion)キャンプのできる観光牧場を作ることだ。


immersionとは、

その環境にどっぷりつかって、主に語学を習得する方法である。

the fact of being completely involved in something you are doing

であり、

(technical)the language teaching method

in which people are put in situations where they have to use the new language



それはボクの積年の夢の一つである。


数年前、ボクはその場所を探してカリフォルニア中を旅したことがある。

だが、いまだ実現していない。


実現した暁には、

世界中からそこに人々を送り、

カーボーイやインディアン(ネイティブアメリカン)と生活を共にし

彼らのライフスタイルを体験しながら英語を習得することができる。


それはボクのインターナショナル・スクール構想の一環でもある。



彼は目をキラキラ輝かしながらボクの話を聞き、

それを実現しましょうと言ってくれた。


そして、その第一歩がまさに始まったのだ。


まず彼の夢である、彼の牧場を観光牧場に育て上げ、

それから近い将来彼とアメリカへ向かうことになるだろう。



ボクの旅は尽きることはない。

そしてそのたびに、英語力は向上する。


その意味で、旅と英語と乗馬はワンセットなのだ。

挫折の乗り越え方

2013年04月08日 | 苦境
行き詰った時にボクがやる効果的な方法がある。


人生何事もうまくいかないときの方が多い。


むしろ、うまくいっていると思う時、

その反動が必ず押し寄せてくる。


それは、一種の副作用であると考える。

あるいは、好転反応であると解釈する。


好転反応とは、

もともとは東洋医学(按摩や鍼)で使われる用語で、

治療の過程で一時的に起こる激しい身体反応のこと。


つまり、あん摩で揉み返しが来るようなものである。

鍼灸では瞑眩(めんけん、もしくは、めんげん)と呼ばれる。


漢方の常識では、「瞑眩なくして効果なし」とも言われるほどだ。


読んで字のごとし「好ましい方へ転ずる」身体の反応という意味であり、

自然療法には必ず現れる反応といってよい。

特に慢性疾患を持っている場合に起こりやすい反応でもある。




症状が良い方へ転ずる時、一時的に悪化または不定愁訴が出ることを言う。

これを人生に当てはめるのだ。


つまり、好転反応の症状が出るのを境に、体質は急速に好転(改善)していくことになるのだが

人生でもいいことが起きると、必ずと言っていいほど反作用で悪いこと、問題が生じる。


何事も、全く問題が無くてスムーズにいくほうが怖い。



だが、現実は、何事もなく無事航海を終えることを願うものであり、

恙無(つつがな)いことを望むものである。



それだけに、トラブルを想定しないと、そこで挫折してしまうのが常となりやすい。



だが、いくら想定していても、

好転反応だと分かっていても、トラブルは嫌なものである。


ついジタバタしてしまう。

ヒステリックになり、投げ出してしまう危険性がある。


ここは冷静に対処する必要がある。


実は、その冷静さをどう保つかが問題だ。



そのために、ボクは瞑想に入る。

頭と、心と、体をいったん落ち着かせるのだ。


問題解決は、冷静に対処しなければできない。

テンパっていては、ますますこじらせてしまう。



瞑想は、座禅という型を取り、

調身、調息、調心と言われるボディワークを行うのである。


調身とは身を調える(ととのえる)こと、

調息とは呼吸を調えること、

調心とは心(精神)を調えることを意味する。



実は、浄土真宗には『断食・断眠・断水』をして身体的な極限状況の中で、

自分の人生と言動、人間関係を反省して、良い部分と悪い部分を認識していく

『身調べ(みしらべ)』という修行法があるのだが、


ボクはこの形はとらない。

飲まず、喰わず、眠らずなどとは意志の弱いボクには到底できないだろうし、

かえってストレスを増し、健康を損なうのではないかと考えるからだ。


さらに、この『身調べ』を精神医学的な心理療法に応用したものに、

内観法(内観療法)というものがある。


『してもらったこと・して返したこと・迷惑を掛けたこと』の三点を重点的に内省して、

『感謝・報恩の気持ち』を養うことで

生きる意欲を取り戻していく方法である。


これは効く。


徹底的に行うと、泣かずにはいられない。

号泣するほどだ。


これをやるには、

かなりの時間と空間、環境を必要とする。



だから、日常うろたえる(up-set, mad)状態になりそうなとき、

パニックに陥らないように手っ取り早く瞑想をするのだ。


長ければ長いほど良いが、

このせわしない時代、数分でも効果覿面(てきめん)である。


瞑想は決して難しいことではない。

誰にでもできる。


瞑想を癖にすれば怖いもの知らずになれる。


一旦落ち込んでも回復力が早くなる。

勇気と自信を取り戻せる。



順風満帆な人生なんてつまらない。

むしろ、逆風満帆が面白い。


それには強靭な精神力と体力を要する。

それを鍛えるために、瞑想は欠かせない。



【おさらい】

調身……静謐な時間と心境における座禅によって、身体感覚を調える修行。


調息……ヨーガなどに由来する独特のリラックスした呼吸法によって、呼吸を調える修行。

初めは自分の呼吸をゆっくりと行ってその回数を数える『数息(すうそく)』を行い、

段階的に『出息長・入息短(吐く息を長くして、吸い込む息を短くする)』の呼吸リズムに近づけていく。



調心……身体や呼吸に注意力(集中力)を一点集中させることによって、

精神(心理状態)を調える修行法。

リラックスして心身を安らげる精神統一の方法であり、

催眠療法や自律訓練法などでも調心の原理が用いられている。