世界一周タビスト、かじえいせいの『旅が人生の大切なことを教えてくれた』 

世界一周、2度の離婚、事業の失敗、大地震を乗り越え、コロナ禍でもしぶとく生き抜く『老春時代』の処世術

時が解決する

2013年04月07日 | 人間関係
1,2,3月があっという間に過ぎ、

4月も早半ばにさしかかろうとしている。


今年に入り、ボクの人生は急激に動きを増したように感じる。

歳とともに時間の過ぎるスピードが増すといった

一般的感覚とはまた違った意味で慌ただしい四半期(a quarter of a year)だ。


足早に死に向かって進む時間の流れを意識して日々を送る。

毎日が緊張感に満たされている。


それは、初めて訪れる外国にいる感覚にどこか似ている。


右も左もわからず戸惑いながらも

期待と不安に胸をときめかせいそいそと街中を散策した気分にさせられる。


旅慣れしたこの身でもいつもそうなのだから、

人生を幾星霜も重ねたところで、ビギナーとしての初々しさを忘れない。



それは毎日が新しい出会いであり、

時に悲しい別れを味わうからだろう。


失望と自己嫌悪のどん底に叩きのめされても、

諦めという言葉を払いのけてきた。


Never give up!

Try and keep up!

自分を叱咤し、ややもすれば失いかける自信と勇気を手探りで引きづり出そうとする。



ボクの好きな言葉に

『日々是好日』という禅語がある。

にちにちこれこうにちと読む。


毎日いい日が続いてけっこうなことだ、という浅い意味ではない。



ある日幸運が訪ずれても、

その後に来る不運に脅えるという拘りや囚われをさっぱりと捨て切って

一日を只ありのままに生きる楚々とした境地のことをいう。



何か大切なものを失った日であろうとも、

ただひたすらに生きれば、全てが好日となる。



この場合の好日の好は【好き】の意味ではない。

【積極的に生きる決意】を意味する。


過ぎ去ったことに拘ったり、

まだ来ぬ明日を密かに期待したりはせず、

今この一瞬を精一杯に生きる。


これこそが禅的生き方だ。



また、『縁』という一文字にボクは重きを置く。

縁は出会いばかりではない。

別れもまた縁のなす業である。


どんな別れも多かれ少なかれ悲しみや痛みを伴う。

それを乗り越え、別れを経験するたびに人は成長するものだと思う。


もののあわれを知り、それだけにこの瞬間がかけがえのないものだと分かる。


厳しさに耐える強さと、

儚きもの対する優しさを別れは同時に教えてくれる。



別れの三月、新たな旅立ちと出会いの四月。

そしてそれが同時に織りなすのもまたこの時期であろう。


『悲喜交々(ひきこもごも)』


悲しみと喜びを、代わる代わる味わうこと。

また、悲しみと喜びが入り交じっていることを指すが、


ボクにとっては後者の意味合いが強い。


そしてまた一つ。

どんな苦しみも悲しみも、時が必ず解決する、と。


それが3日で終ろうと、一年かかろうとも。


そして、死がすべてを終結させる。


人は例外なく死に向かって歩いている。

それまでは苦行の身。


時が解決し、死がすべてを洗い流す。


だから何も心配することはない。

なにがこの身に起きても、動じる必要もない。


淡々とこの瞬間瞬間を正直(Honest & Straight)に生き抜いていればいいのだ。


別れと出会いを繰り返しながら。

サヨナラマニラ

2013年04月06日 | 

    マニラの国際空港からマニラのダウンタウン(Makati)を一望する


ボクは一体何をしに行ったのだろうか。


命を救うために、希望を与え良かれと思ってやったことが

まさか逆効果になろうなんて。



ボクは彼女を抱かなかった。

彼女は泣いていた。


愛を与えたかったが、それ以上どうすることもできなかったのも事実だ。


彼女の命が、余命2か月と聞いて、居ても立ってもいられなかった。

自分の命と引き換えてもいいと真剣に念じた。


約束を果たすことでなんとか希望の光を見出させたかった。


その効果があったと思うのはボクの思い上がりなのだろうか。

そもそもボクにはそんな力なんてなかったのだ。



今はただ、謝るしかない。

ボクの行為(好意)が彼女の生きる望みを絶つかもしれない。


だから、ボクにどうしろというのか。

ボクがやれることは、やった。

もうこれ以上踏み込むことなどボクにはできない。


むしろ、本当に命をあげることができたならよかったと思う。

こうして生きていても、ボクの役目は終わったのだ。


もう彼女にしてあげることは何もない。



ボクは卑怯者なのか。

ならば、どうしろというのか。


彼女の愛にこれ以上応えることは、欺瞞以外の何物でもない。


今までの愛に偽りはない。

だが、これ以上続けることは出来ない。


その愛が嘘だというのなら、そうかもしれない。


甘んじて批判を受けよう。

良かれと思ってやったことが、結果人を傷つけてしまった。


この天罰は下るだろう。

その裁きも甘んじて受ける覚悟だ。



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愛は嫉妬を産みやすく、それは足早に憎しみへと変貌する。


それでも愛を与え続ける価値があるというのか。


ある。

ほとばしる愛を、そのままに放置することはボクには出来ない。


惜しみなく愛を与え、結果、憎しみを買っても甘んじて受けよう。

それが愛の本質なのならば。




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昨夜フィリピンから帰国するや、

その足で、あすオープンする友人の店のパーティに出席した。




その場所は、フリートークから歩いて2分というすぐ近くに位置する。


そこには、関東から疎開してきた人々が集まっていた。

そして彼らはまた、熊本という新天地で生き方を模索している。


そこには新しい希望と発想が芽吹いていた。



別れがあって、新しい出会いが待っていた。


人生とは、

性懲りもなく別れと出会いを繰り返しながら展開していくものなのだ。


また一つ、人を傷つけ、自分も傷つき、その先に別の希望の灯が見えてくる。

失望と希望はあざなえる縄のように背中合わせになって交錯する。


なんとも皮肉で因果なものだ。


だが、決して絶望してはならない。



今ボクは多くのものを失ってここにいる。


だがそれは、ボクの人生のマイルストーンを一つ置いたに過ぎない。

また別の重い石(想い意思)を抱えながら、一から出直しだ。


希望と愛を失わないかぎり、チャンスは必ずまた巡ってくる。



つい数日前、芽吹く木の枝を見て希望と勇気をもらったばかりだというのに、

今は風雨に晒され無残に散る花びらに心が痛む。


「花の命は短くて、苦しきことのみ多かりき」

林芙美子の短詩を思い出す。


死が一切の罪悪を消滅させるなら、そうしたい心境だ。


生きながらえて、一年、また一年と同じことを繰り返しながら生涯を終える。



それが人生さ。(That's life. 仏:C'est la vie. )


死ぬまでこのスパイラルからは抜け出せそうもない。

ならば、開き直ってドップリとその渦の中に身を投じてみるのもまた乙なものかもしれない。


生き地獄(Living hell, hell on earth)とはよく言ったものだ。


Que sera sera(西語)


いくら言葉で気取ってみたところで、ボクに休むことは許されない。


どんなに傷ついても、生きている限り走り続けなければならない。

果てしなく何処までも。


戻る橋を自ら叩き割ってここまで来たのだから。


それが生きている証と思えばこそ。





【独り言】

まだボクを必要としてくれる人がこの世ににいるのだろうか?

いるとするなら、それは誰なのか。

この世界の何処にいるのか。


その世界は、未だボクを必要としているか?

必要ならば、一体何を成せばいいのか。

マニラの休日

2013年04月05日 | 
今回の短いフィリピンの旅だが

昨日は一日オフに当ててみた。

心身ともに消耗しきっている。



午後から、アジア最大級のショッピングモール

モール・オブ・エイシア(Mall of Asia)へ。




ここの夜景は天下一品だと聞き、夕方まで

People watching と 二本のMovie watching で時間を潰した。


   Jolibeeのチョコレートパフェはお気に入りの飲み物だ


ここではIMAX が800円で見られる。



この日は、"Jack the Giant Slayer" をやっていた。


大画面とリクライニングのゆったりとしたシートで見る大迫力の3Dは圧巻だ。

ちなみに普通のスクリーンは半額の400円ほどで見られる。


上映開始前に、観客全員が起立し国歌が流れるのは前回通り。

愛国心が湧き上る瞬間でもある。




映画を見終わって外に出ると、ちょうど夕日が沈んでいた。



恋人たちが肩を寄せ合い思い思いに見入っている。



景色を茜色に染めながら、ユックリと夕陽は島影に沈んだ。


ここだけにいると、ここがマニラであることを忘れてしまいそうだ。


世界中の夕陽を見てきたが、そのたびに地球が自転している速度を感じる。

ムンバイから見たインド洋に沈む夕陽と

カリブ海に沈むキーウェストの夕陽は今でも目に焼き付いている。




これから、午前中の便に乗りまた台北経由で帰国の途に就く。

帰れば厳しい現実が待っている。



一昨日、一件のニュースがベトナムから飛び込んできた。

ハノイのカフェ買収が不発に終わったとの知らせだ。


寸前のところで、相手が値段を釣り上げてきたというのだ。

足元を見やがって。

日本人が絡んでいると分かると、このざまだ。

あくまでも現地、ベトナム人を立て、秘密裏に進めていたのだが。


もちろん応じるわけにはいかない。


契約書も効力がないやくざなビジネス世界。

口約束なんか、屁とも思っていない。


さて、また振り出しか~!

それもまた良し。

これも想定内。


新なカフェ探しから始めよう。

またベトナムに行かなきゃ、ネ。

どこまで身体と金が持つかは知らないけれど。

とにかく、ぶっ倒れるまで楽しまなきゃ。



一つの旅が終わる前から

旅心が沸々と湧き上るのは何故だろう。


我が人生、何処までも旅の途中なのだ。

印刷会社へ

2013年04月04日 | 出版
出版するのに方法を模索している。

なぜなら今や出版業界は様変わりしてしまっているからだ。


電子出版を横目でにらみながら

従来の紙による媒体も平行して検討している。



プリント業者からの紹介で出版業者の下を訪ねた。


     まず業界状況をチェック


その後40度近くはあろうかという炎天下の陰で迎えを待つ。



来たのはトライシクロ。






        蒸し風呂のようなトライシクロの中


今、選挙戦の真っただ中








事務所(?)はテント小屋


    打ち合わせをする筆者




暑さで血圧も上がり気味?





一路マニラへ。






マニラの夜は、怪しさが漂っていた。






    なんとAKB48のお姉ちゃんたち


    赤ん坊を抱いた物乞いのはだしの幼子


これがフィリピンの現実だ。






現実を知ろう

2013年04月03日 | 国際
先週訪問したベトナム同様、

フィリピンでは領土問題を抱えて中国と一触即発の状態にある。




日本も同じなのだが、

平和ボケした日本国民に緊迫感は皆無といってよい。


街中には海軍の車が行き来している。



事実上の戦時下にあるといってもいいだろう。




中国と北朝鮮の脅威が迫る中

いつ日本がこうした事態におかれても不思議ではないのだ。

そしてマニラへ

2013年04月02日 | 
台北からの乗り継いだフライトは

珍しく30分遅れでマニラのニノイ・アキノ国際空港に着いた。




そそくさとイミグレーションと税関を通り抜け

待ち合わせの場所へ。






彼女は後ろ向きで立っていた。

手を振るボクを振り返ったのは、別人だった。



いない。

小一時間が過ぎた。

来ないのか。


諦めてホテルでタクシーへ向かおう。

そう思ったとき、

向こうの方からそれらしき人物が力なく歩いて近づいてきた。


彼女だった。

彼女は泣きながらボクに飛びついてきた。


Are you OK?

と聞くボクに首を小さく横に振った。


辛かっただろうね。


その横には、彼女の娘が恥ずかしそうに立っている。


Hi, P. how have you been?

ニッコリ笑った。


同僚の男性がパーキングで待っているという。

ボクらはまるで親子のように車まで歩いた。

苦行は続く

2013年04月01日 | 人生
何の因果かはわからないけれど

自分の人生のせわしなさにほとほとあきれ返っている。


神様はボクにどれだけの試練をお与えになろうというのか。

例えどんな試練であろうとも甘んじて受けるしかないのだが。



本来旅とは、期待と不安の中ワクワクドキドキと高揚感を伴うものである。


だが今回の旅は違う。

今までの旅では経験したことがないほど沈んでいる。


昨年から旅の目的が明らかに変化している。

単なる物見遊山はとっくに卒業した。


初めて訪れるところより、2度3度とリピート率が高くなるにつれ

緊張感は薄れる。


旅の目的の一つに、リラックスはあるが

今回はとてもその気にはなれない。



旅に出会いは付き物だ。

それがいかなる出会いであろうとも。


今では、旅先で出会うというより、

出会ってから、その人を訪ねて旅に出る場合が増えている。


つまり、インターネット、特にSNS、さらに絞ればfacebookでの出会いが先行する。


そんなきっかけで出会った人を訪ねる旅が続く。

しかもその人は死の淵にある。



4月1日は、その人の誕生日だ。

死の恐怖に耐えながら、誕生日に来てほしいとその人は言った。


死の宣告はとうに過ぎている時期だ。

生きてほしいという一念からボクは約束した。


「4月1日に行くよ」、と。


そして、その日が来た。

今ボクはそこへ向かう旅の途上にある。


その人が待っているのいないのかはわかわない。

それでもボクは約束を果たすために、機上の人となって向かっている。




希望を繋いで生きていてほしい。

ただそれだけを願いながら。




今、経由地の台北にいる。

これからその地に向かう。


その人は待っているのだろうか、それとも……。