世界一周タビスト、かじえいせいの『旅が人生の大切なことを教えてくれた』 

世界一周、2度の離婚、事業の失敗、大地震を乗り越え、コロナ禍でもしぶとく生き抜く『老春時代』の処世術

10月23日(水)のつぶやき

2013年10月24日 | 音楽
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旅の流儀

2013年10月23日 | 
秋の行楽日和も手伝って、旅行に出かける人が増えている。

宿泊業を営むものとしては、本来稼ぎ時である。


ボクは、生業(なりわい)を「タビスト」として全うするために宿泊業を35年間営んできた。


だが、ここ4~5年

旅行者を受け入れるより自らが旅人となることが多くなってきた。


それも単なる観光や物見遊山では飽き足らなくなっている。


旅の目的はさまざまだ。


日本全国を回り、世界一周も果たしたが、

行きたいところは尽きない。


しかもこのところビジネス重視の旅が増えてきた。



旅は総合学習の場と捉え、

子供が小さい時は学校を休ませてでも連れ出した。


自らも見知らぬ土地を訪ね、感動を味わいいろんな勉強もさせてもらっている。



それが

旅が人生の大切なことを教えてくれた

というこのブログのタイトルになっている。


逆にえば、「ボクは人生の大切なことをすべて旅から学んだ」といえる。


それほど、旅はボクの人生の大半を占めている。



ボクは常日頃、「好きなことを職業にせよ」、と言っている。


この主張には賛否両論があるが、

ボクはこれまで、常に自分の好きを念頭に仕事をしてきた。


好きこそものの上手なれ(What one likes, one will do well )。

好きは得意に勝る。

好きが人を育てる。

好きであればこそ。


または、

「好いた水仙好かれた柳」 という苦もある。



好きでやることは道楽だ、とも言われるが、


ボクの場合、それは命を懸けた道楽なのだ。


道楽も、命をかければそれはプロの技となる。




多くの課題と期待を抱えて明日からまた旅に出る。


ボクにとって旅は息抜きだけではない。

身体と頭脳を総動員させた戦いなのだ。


戦場に赴く兵士のように覚悟を決めた出兵なのだ。

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10月22日(火)のつぶやき

2013年10月23日 | 音楽
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蠢く妖怪たち

2013年10月22日 | 人間関係
一般に人間は、安定を望み変化を嫌う。

そして、痛みを避け、快楽を求める。


これは当然といえば当然だろう。

変化は痛みを伴うし、快楽は安定の先にあるからだ。


ところがどうだ。

ボクは常に逆行しているのではないか。


つまり、好むと好まざるにかかわらず変化の中に身を投じ、

痛みばかりを味わっている。


ときに痛みは快感をもたらす。

だからといって、Sexのときに変態プレイは好まない。

至ってノーマルである。


オット、ここはそういう話ではない。




今年に入り、大激変が次から次へと訪れている。

その度に人間関係の妙に巻き込まれては、身を削っていく。


そこには妖怪どもが蠢(うごめ)いているからだ。


おもに、悪口雑言が飛び交い、

よからぬ噂がひとり歩きする。


またそれを確かめもせず、鵜呑みにする輩も多い。



それに対し、ボクはほとんど言い訳をしない。

反論もしない。


なぜなら、そんなくだらないことに構っている暇がないからだ。

そういう低俗な連中と遊んでいる時間はない。



そうすると、相手は無視されたとますます怒りを増幅させ

あることないこと煽り立てる。



しかし、言うではないか。


人の噂も75日。

つまり、2ヶ月半の辛抱なのだ。


年内には跡形もなく消えるだろう。

来年はすべてが花開くことになる。





ボクの美学とする

「来る者は拒まず、去るものは追わず」に自分自身一種の冷酷さを感じる。


去ろうとしている人をもっと引き止めたら? とアドバイスする人もいる。

ありがたいことだ。

時におせっかいおばさん(おじさん)もいるが。


誰しも人間関係の新陳代謝は常に起きている。

別れただのひっついただのもその一つだろう。




人生は川の流れに例えられる。

淀めば腐るとも言われるが、

淀みも、大雨が降れば一気に解消される。


大雨は一時の河の濁りを引き起こすが、

やがて清流へと生まれ変わる。


そして、すべからく大海へと注ぐのだ。



フローとストックという言葉があるが、

ボクの場合、金銭感覚も人間関係もフロー型なのだろう。


それもそのはず、初めの述べたように

変化を好み痛みに耐えられる体質だから。




良し悪しはつけられない。

人の生きる道に、正解不正解はない。


ただし、全ては因果応報の法則に則り、その人間に跳ね返る。


だから誹謗中傷する人間にその資格はない。



後ろ足で砂をかけて去っていく人間でもボクは非難しない。

寄り添ってくれる人のことを考えるだけで精一杯だ。


済んだことをいつまでも引っ張るより、

新しい世界に向かって希望を繋ぐことが重要なのだ。




愚者は、今起きている現象のみを見て判断する。

賢者は、その現象の先にあるものを見て行動する。


愚者に付き合っている暇はない。
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10月21日(月)のつぶやき

2013年10月22日 | 音楽

”ワイル”ビジネスとは? 人生を100倍楽しむ方法 goo.gl/1kVgPH


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新体制

2013年10月21日 | 仕事
フリートークの新しいマネージャーがアメリカ人(男性)に決まった。


彼は以前レストラン&バーも経営していたことがあり、料理もする。


現在トレーニング中であり、11月から正式に就任する。

ただし、24日からのボクの外遊中も、彼がいてフリートークはいつもの営業を続ける。



ところで、もう始まっているが

英会話のみならず、他の言語の講座もドンドン取り入れていく。

現在、英語の他にベトナム語、中国語講座を開いており、

スペイン語も始める予定だ。


今からの時代、英語はもとより

第三外国語を少しでも喋れなければならない。


時代は、バイリンガルからトリプリンガル、

マルチリンガルが求められるよになってきている。




さらに、フリートークは

インターナショナル・カフェから「グローバル・ビジネスセンター」へと変貌を遂げたわけだが、


NPO法人『インターナショナル・プロジェクト協会』として

様々な実践プロジェクトへの取り組みが増えてくる。


S氏が取り組んでいるMEETRIP(プライベートガイド)も、

依頼が来ており、町おこしとしても活躍を期待されている。


彼が始めた「英語 de ガイド」 の講座も好評だ。


さらに、ゲストハウス”LOVE TRIP"を絡めた

街中留学 "English Boot Camp"も始まった。




小さな力でも、協業という形を取れば大きな力を発揮する。


これからは、フリーランサーや起業組が増えることは避けられない。


餅は餅屋で自分の得意分野、好きなことを活かして

分業体制(アウトソーシングやクラウドソーシング)を組めば

その先にはいろんな可能性が見えてくる。




もうひとつ大きな要素は、

シンガポールのリサーチ会社とコラボすることになり、

新たな産学協同体制が整いつつあることだ。


単なる製造業や流通業、サービス業の時代は終焉を迎える。


グローバル化は当然のこととして、

アカデミックな分野を取り入れていかなければ

情報や技術の急速な変化についていけなくなるのは否定できない。


そこに新たな産業と大学との関係性が見えてくるのだ。



ボクの今までの活動が認められ、

こうした世界企業と組めるよになったのも、

ひとえに一緒に活動してくれる仲間のおかげだと深く感謝している。



これからますます取り組む分野も広がり、

活動する世界も広がっていくことは間違いない。



そのために、世界に常に目を向け、

勉学を怠らないようにしなければならない。




ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

【ビジネスのヒントはどこにでも転がっている】



身近なところでも常にビジネスのヒントがある。


数日前、友人たちと飲んでいる最中、

メニューを見て思った。


英語のメニューがあったらいいのになァ、と。

外国人のお客さんはどこも増えているはずだ。



ボク自身も、外国でそこの国の言語しかないメニューに何度泣かされたことか。

特にボクは、地元の場末の店に好んでいく。

だから、せめて英語で併記されていればどんなに分かりやすいか。



その発想から、

「1、000円で英語のメニュー作り請負います」 を始めることにした。


既に注文を頂いている。


どうせ飲みに行くなら片っ端から営業してこよう。


もちろん、中国語、韓国語があればもっといいので、

それも請け負うことに。


熊本の店は、どこに行っても英語のメニューが有り

外国からのお客様も安心していけるような町づくりができる。



ボクのビジネスアイデアに

オリジナル、ニッチは欠かせないが


それに、「ついでにできるもの」を付け加えることにした。


これをワイル(While)と呼ぶことにする。

つまり、何何している間、という意味だ。


「ながらビジネス」と言ってもいい。


だから、

「二兎と言わず三兎を追え」、

「二足と言わず、三足のわらじを履け」
、となる。


そしてビジネスを恋を、人生を大いに楽しもう!!



【影の声】


「ビジネスは夜作られる」もボクのモットーだが

毎晩2~3、000円使って、1、000円受注しても

毎日赤字ばかりになる。



だがそういう発想こそタブーなのだ。


飲み代が、1、000円安くなる、と考えなければならない。

これこそポジティブ・シンキングの原点である。

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10月20日(日)のつぶやき

2013年10月21日 | 音楽

ハロー・グッバイ 出逢いと恋、そして別れ goo.gl/3ZgSDg


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新しい形が見えてきた

2013年10月20日 | 仕事
今月に入り、新体制で臨んできた。


まだまだ模索の段階とはいえ、

少しずつ取り組むべく仕事の輪郭が見え、整いつつある。


当然のことながら、

新たな看板を立てれば、それに関する新たな人々が集まってくる。


英会話の重要性と東南アジア志向の傾向はますます強まるばかりだ。

これははっきりしている。


英会話という世界共通のコミュニティ・ツールを使う舞台がおもに東南アジアだということだ。

主戦場といってもいい。


もちろん全世界を視野に入れている。



昨日の世界会議でやるべきことがまた一歩前進した。

アカデミックな世界への挑戦は、ボクにとってうってつけだ。


なぜなら、頭脳を働かせた仕事と企画、営業といった行動が同時に進行するからだ。

いわば世界のエリートをクライアントとして持つことになる。


コ・ワーカーも、ドクタークラスが軒を並べている。


ボクのベトナム熱も国内のベトナム人との協業へと発展を見せている。

海外と国内に強力なネットワークを持つことは不可欠だ。


そして、各分野の専門家(プロフェっショナル)が集結する。


ひとりの人間がすべてのことをやることは不可能である。

情報技術が日進月歩で変化する。


活動範囲もボーダレスとなっている今、

各分野の専門家とそれを統括するリーダーが必要だ。


ボクにない技術力をカバーしてもらいつつ、

アイデアと企画力、営業という行動力で勝負を挑む。



やはりこれから必要性を増す映像分野も

その専門家にめぐり合えたことは偶然とは思えない。


すべての縁と出来事は必然性を伴う。

問題はそれに気づくか見過ごすかだ。


大局を見据え、小局を見過ごさず気配りを怠ってはいけない。

リスクを犯す大胆さと、注意深い繊細さを兼ね備えなければならない。


相反する思考こそがコインの表裏として一体化しなければならないのだ。

どちらか片方では使い物にならないことは明白である。


そして、ここぞと思う勝機を掴む。



も一度世界一周とビジネス、

出会いと恋、そして別れ。


これはボクの永遠の課題なのだ。


人生は、「ハロー・グッバイ」の繰り返し。

それは、

「喜びよこんにちは、悲しみよさようなら」を意味する。


古いコートを脱ぎ捨てて、真新しいコートに袖を通そう。

そこには希望あふれる新しい人生が待っている。
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10月19日(土)のつぶやき

2013年10月20日 | 音楽
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幸せな人と不幸な人との決定的な違いとは

2013年10月19日 | 人生
成功する人、失敗する人

運の良い人、悪い人

損する人、得する人


つまり、成功と失敗の分かれ目、

運の良し悪しの分かれ目、

損得の別れ目はどこにあるのか。



運がいい人が成功して得をする。

運の悪い人は、いつも失敗ばかりしていて損をしている。


ということは、究極は「運」なのか。



では、良い運の人と、悪い運の人はどう違うのか。

運は才能ではない。


頭の良い人、何か才能がある人がいつも成功して得をするわけではない。


頭が良いばかりに、

あるいはいたずらに才能があるばかりに損をする人もいるわけで。



運が良かった、悪かったというのは結果論でしかない。


その結果を引き寄せる能力こそ、運の良し悪しを決めるのではないだろうか。


では、いい結果を引き寄せる能力とは、何か?

これがわかれば、負け知らずの人生を歩むことができる。


運のいい人生を歩む方法がわかれば、百人力だ。



では、その方法とは。


いたって簡単である。


答えは、


「自分は運がいい」 と思えばいいのだ。


どんなに失敗しても、

どんな災難が降りかかろうとも、


それでも「自分は絶対運がいい」、と思い込めばいいだけのことだ。


そうは言っても、それがなかなか難しい。

順調に行っているときは、

自分はなんて運がいいんだろう、誰しもと思える。


だが、ひとたび奈落の底に陥ると、とても運がいいとは思えない。



仕事を失い、女房(彼女)に逃げられ、病気したとき

運がいいと思えるだろうか。



実は、そこが運の分かれ目なのだ。


どんな苦境に陥っても、

運がいい人は、どんな状況の中でも、運がいいと思えるのだ。


誰が見ても運が悪いとしか思えないようなときに、

オレは運がいいのだ! と言える人間。


それこそ、物事がうまくいって得する人間なのだ。


だからこそ、なかなかいない。

大半の人は、

運が悪い時には悪いと思ってしまう。


失業して、女房には逃げられ、おまけに病気を患っている状況で

オレはなんて運がいいんだ! と思えるか!?




思うのです。

「それでもオレは運がいい!」 と思うのです。



そうすれば、

新しいより良い仕事が見つかり、

若くて美しい女房が現れ、

挙句病気も治り一層健康になり若返る。





どんなに落ちぶれても、胸を張って歩こう。

自信とプライドだけは失ってはいけない。




そもそも、人間に生まれてきただけでも運がいいからなんだ。

ひょっとしたら、ゴキブリだったかもしれない。


人は全て運がいいようにできてるんだ。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

運をよくする具体的な方法としては、


まず、人と比べないこと。

人と比べるから、落ち込む。

落ち込むから、ドンドン悪くなる。


自分は、自分。

オレはオレ。


それでいいジャン!



どんなにビジネスで成功している人でも、

家庭がうまくいっていない人や健康に問題を抱えている人も多い。


あるいは、実際は資金繰りに苦労している場合もある。


仕事も、人間関係も、健康も、

全く問題ない人なんてこの世にいないよ。



だけど、それを乗り切る人は、

うまくいかない中で、自分のことより人のことを考えている。


自分の幸せより、人の幸せを願っている。




もう一つは、

常に「ポジティブなイメージ」を持ち続けること。


心配ごとや不安などのネガティブなイメージが

ネガティブな現実を生み出している、ということを忘れてはいけない。




【追加】


声に出して言ってみよう!


オレ(私)はついてる。

私は運がいい!


オレ(私)はできる。

私はやれる!


やってみせる!

必ずやってやる!


私は幸せだ。




呪文のように唱えてみよう。


そして、


みんなに、全てに感謝しよう。


ありがとう!



【追記の追記】


決してどこかの宗教団体ではありまシェン。

念のため。
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10月18日(金)のつぶやき

2013年10月19日 | 音楽

自由の代償 思い通りの人生を手に入れるには  goo.gl/fTZamn


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思い通りのことは、思いがけないところからやってくる

2013年10月18日 | 
なかなか思い通りにはいかない。


だけど、思った通りにはなる。

それが人生だ。(C'est la vie)



風邪気味だったので、昨夜は珍しく早く寝てしまった。

汗グッショリで目が覚めたのは午前2時だった。

疲れも今までになく溜まっている。




ピンチの時、やけくそにならないで

冷静に次の手を考える。


何度も書いたように、フリートークのゆくへを模索していた。


そこに救世主(?)が現れた。


これもギフトであろう。


だが、同じ轍は踏みたくない。

あくまでも新しいやり方でまた一から経営を立て直していくことになる。


まだ本契約にはいたっていないが、

アメリカ人男性がマネージャーになるだろう。


今までとは違ったフリートークになることは間違いない。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

人に利を与えて、自由を得る。

別の誰かを幸せにするために、ボクはあくまでもフリーでいなければならない。


日常の煩雑さに追われて自分を見失いたくない。

ただ、自由であるために、忙(せわ)しないのかもしれない。


身勝手な言い訳と取られても仕方がない。



欲しいもの(人もモノも)を得ることで豊かになる道より、

柵(しがらみ)を捨てることで自由を勝ち取る道を選ぶ。


飼い犬より、野良犬に憧れる。

自由の代償はとてつもなく大きいのだ。





朝晩もめっきり冷え込むようになった。


そんな折、ボクの広島の友人が「山頭火」について書いている。

言わずと知れた「種田山頭火」だ。




友人は言う。


「山頭火」は生きることが下手などちらかと言えば破滅型の酒好きな放浪の俳人です、と。



「ほろほろ酔うてこのはふる

まっすぐな道でさびしい

悔いる心の曼珠沙華燃ゆ

うしろすがたのしぐれていくか

捨てきれない荷物の重さまへうしろ」 



山頭火は、自らが酒に酔っていく過程を次のように表現している。


「まず、ほろほろ、それからふらふら、

そしてぐでぐで、ごろごろ、ぼろぼろ、どろどろ」というように。
 

そしてその「ほろほろ」状態で秋の林の中を歩いていくと、

落ち葉もほろほろと軽い音を立てて笠の上にふりかかってくる。


風の中に揺れながら落ちてくる葉と、

のたりのたりと歩いている自分が段々同一化されていく。


そして風景の中に、山頭火も落ち葉も溶け込んでゆくのだ。



彼は、行乞の中で貰い貯めた「浄財」をあらかた飲んでしまう。

だがこのような句に昇華させてしまうことで読者は彼を許してしまう。




山頭火は熊本にもゆかりが深い。


熊本市下通町一丁目にて古書店「雅楽多書房」を開業したが、

経営は軌道に乗らず、間もなく額縁店「雅楽多」として再出発。


熊本での生活では常に空虚感や欠落感が付き纏い、

山頭火をより一層酒に向かわせることになる。


酒に酔い、路面電車を止めたことでも有名。


その後、熊本市内の報恩禅寺(千体佛)住職・望月義庵に預けられ寺男となり、

1925年に市内の曹洞宗報恩寺で出家得度して耕畝(こうほ)と改名する。


だがその後寺を出て雲水姿で西日本を中心に旅し句作を行い、

多くの名句を残した。


自由律俳句のもっとも著名な俳人の一人である。


彼は西日本を中心に旅をし、、また東北へも足を伸ばした。





ボクは、酒はホロホロ程度だが、

「世界を放浪するフリーランス・ブロガー」と呼ばれる日も近いだろう。



あるいは、

多くの事業を営みながら、「世界を旅するスーパーノマド」の道をたどるかも。


いずれにせよ、今、そのお膳立てが着々と進行している。




人生は、心に浮かび、頭に描き、行動に移せば


そして諦めなければ必然的に思った通りにいくものなのだ。


それもまた、「ジ・ン・セ・イ」
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10月17日(木)のつぶやき

2013年10月18日 | 音楽

最高の人生を送りたかったら、たった一つのことをやればいい goo.gl/KxiAu2

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縁の意味するところ

2013年10月17日 | 人生
知り合った人、

つながった人とは必ず意味がある。


その意味とは、

その人が自分の役に立つか、害になるかということではなく、

あるいは、どんな利益を持たすか、不利益をもたらすかではなく、


自分がその人にしてあげる何かがあることに気づくことなのだ。



人と出会った時、まず思うこと。


「この人の良いところはどこだろう」

「この人のために自分は何ができるだろう」


この二つだ。


つまり、

相手の「良いとこ探し」、

自分の「出来ること探し」
 だ。


大事なことは、

見返りを求めないこと。


純粋に、その人のことを想うこと。



全ての人の役に立つことはできないかもしれない。


でも、目の前の人のためになることは何かしらできるはずだ。


それがどんなに些細なことでも、

その人にとっては最高の贈り物になるかもしれないのだ。




よく、物をあげる人がいる。

プレゼントだ。


それはそれでいいことなのだが、

本当は物ではなく心が欲しいのだ。


優しい心。

温かい心。

思いやり、

おもてなし、


それが想い出となって残るから。




心から心配してくれた人。

話を一生懸命聞いてくれた人。

ただそばに寄り添っていてくれた人。



そんな人が相手にとっては一番嬉しいのだ。



最近、再認識したことが二つある。


一つは、上記に述べたように、

縁あって知り合った相手の利益になること、有利になることを考え与えようとすれば


人間関係はよりよく形成される、ということ。




もう一つは、

何かをやろうと思ったとき、

思い切って宣言することで思いもよらなかった人々がそこに集まり出す、ということだ。


これは、「看板効果」といわれる。



そして、集まってきた人達のことを、また考えてあげる。

来てくれた人たちのことを、自分より最優先して考えること。




実例を出そう。


Sくんが新たな事業を始めた。

すると彼のもとに、その事業に詳しい方たちが来てくれるようになったのだ。


そして、助言をし、手助けをしてくれる。


昨夜、彼は初めてのセミナーを行った。



彼にとっては何もかにもが初めての経験だ。



もちろん、全てがうまくいくわけではない。


人間関係にしても、良かれと思ってやったことで、

逆恨みを買うものもあれば、妬みや誤解を生むこともある。


だからといって、その圧力やストレスに押しつぶされていては

自分がやろうとしていることを見失ってしまう。




大事なことは、

やろうと思ったことを始めること、

始めたら途中で辞めない、諦めないことだ。



そのためには、自分で決めたことをとことん貫くという強い覚悟が必要だ。


自分に自信を持つこと、

つまり自分を信じること、


周りが何を言おうとも、揺るがないこと。

そのため、不断で普段の努力が欠かせない。


そして、謙虚になること。


謙虚とは、人の意見や助言を聞く耳を持つ、いいことは取り入れる。


これは、周りに振り回されるのとは意味が違う。

軸足をぶらさず、頭は柔らかく保つことを意味する。


頑固で柔軟。

一見矛盾することが生きる上では必要となる。

要はバランスの問題だ。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


バランスといえば、

自分のことと相手のことをどういう比率で考えるかということも同様だ。


自分が可愛いことは誰しも共通する。

だが、愛する人には自分を投げ打ってでも守ろうとすることも本能。



そうでない相手、つまり、誰にでも自分を投げうつことができるか。

特に困っている人に対して。


貧困はその最たるものだろう。

そうでなくても、相手の利益を最優先に考えることは難しい。



ボクは、

独り身になった今、

そして、物質欲がほとんどなくなった今、


人の利益を最優先に考えることができるようになった。


ボクは、最小限のおこぼれでいい。


みんなと楽しく、少しだけ食べて、飲んで

雨露をしのげる寝床があって、

旅して暮らせればそれだけで本望である。



人のために、ボクの体験で培った知恵や知識が役立って、

相手が幸せになってくれればそれでいいのだ。


報酬をいただけるなら、ほんのちょっとでいい。

殆どは、相手の人が手にすればいい。



そう思って縁あって係わる全ての人に接することができるようになった。

そうすることで、自ずとボクは幸せになった。




手に入れようとするな。

与えることに一生懸命になるだけでいい。


そうすれば自ずと必要なものは手に入ってしまう。


そうして、それをまた人に与えればいい。

空いた手には、また何かがギフトとして与えられる。



最高の人生とはこの繰り返しである。



「奪うことなかれ、与えよ。

さらば救われん。」
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10月16日(水)のつぶやき

2013年10月17日 | 音楽
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