日本を救う鍵は移民の受け入れにある。
ところが、悲しいかな日本には移民法がない。
なんと、外国人労働者という扱いである。
日本への入国VISAの取得条件が緩和されつつあるが、それも牛歩の歩みである。
ボクは、ハノイの店の現地スタッフを日本に呼び寄せようと試みた。
日本大使館に赴き必要書類を提出した。
そこまでは良かったが、本人の面接で失敗。
結局VISAはおりなかった。
観光VISAでさえこうだ。
何がいけなかったのかは今のところ不明。
現在フィリピンにも問い合わせ中だが、もっと条件は厳しいようだ。
現地に住む日本人に打診したところ以下のような返事が返ってきた。
N氏:
ご存知と思いますがフィリピン人が日本に入国するのは非常に難しいです。
就労ビザとなるとなおさら・・・。
私個人の意見としては、
たとえ何か手段があったとしても、
数人のためにかけるには割の合わない手間とお金がかかるので現実的ではないと思います。
C氏:
私も英語の教師を考えましたが、断念。
日本は基本移民法がなく(難民支援法)鎖国状態ですから、
踊れる人なら芸能ビザ、
大学出ていて3年以上専門知識を生かしたキャリアがあれば技術(高度人材)ビザ、
または100%疑われるけど結婚ビザでしょうか。.
N氏:
看護士等については、
セブのほうでジャピーノ(フィリピン人と日本人のハーフの通称)を集めて研修して
日本に送り込んでいる大手日本企業の子会社があります。
1年間掛けて数百人をきっちり教育して、
それでもビザが取れるのは一部ということで、
なかなか大変そうな印象を受けます。
TPPの交渉といい、日本はなぜこうも閉鎖的なのか。
これでは完全に世界から取り残される。
折しも、「水銀に関する水俣条約」の外交会議がいま熊本で開かれていて
多くの外国人が来熊している。
そしてボランティアスタッフとして多くの日本人が協力している。
ただし、英語がお粗末でいまいちフォローしきれていないところが残念だ。
こうした姿を見ると
日本はまだまだ発展途上国かと思ってしまう。
世界を相手に堂々と渡り合う器量が必要だ。
そのためには門戸を開き、多くの移民を受け入れる必要があるのではないだろうか。
まさに「不自由の国、ニッポン」といったところだ。
【補足}
先程、シンガポール日本者があるコラボ先の”BRCORP”が主催する
来年の国際会議がネパールのカトマンズで開かれる旨の通知が届いた。
3rd World Conference on Applied Sciences, Engineering and Technology
(WCSET 2014)
Kathmandu, NEPAL
27-29 September 2014
昨年は、ハノイで行われた「エスペラント世界大会」に出席したが
60カ国から約1、000人の人々が集まった。
こうした世界会議を日本は招致するべく努力しているが
まだまだインフラの整備が遅れている。
英語のできるボランティアも不足気味だ。
こうしてみると、ボクのできる役割はまだまだ尽きないように思う。
とりあえず、NPO法人「インターナショナル・プロジェクト協会」を立ち上げて
”BRCORP" との本格提携にこぎつけなければならない。
ちなみにボクは、”BRCORP”のウェブサイト(http://basharesearch.com/index.htm)上では次のように紹介されている。

Mr. Asay Kaji
Chief Business Development Officer.
kaji@basharesearch.com
Mr. Asay Kaji born on 18th December did his Bachelor's in Spanish & South America Economics from Osaka Foreign Language University (Osaka University, Japan) in 1973 .
He is the founder and owner of Dreamin Country in Aso, and Free Talk Institute and Lovetrip Travel Service at Japan with business also spread across Hanoi, Vietnam
He is also President of NPO International Project Association, Japan and Managing Director of Global Business Centre, Japan.
ところが、悲しいかな日本には移民法がない。
なんと、外国人労働者という扱いである。
日本への入国VISAの取得条件が緩和されつつあるが、それも牛歩の歩みである。
ボクは、ハノイの店の現地スタッフを日本に呼び寄せようと試みた。
日本大使館に赴き必要書類を提出した。
そこまでは良かったが、本人の面接で失敗。
結局VISAはおりなかった。
観光VISAでさえこうだ。
何がいけなかったのかは今のところ不明。
現在フィリピンにも問い合わせ中だが、もっと条件は厳しいようだ。
現地に住む日本人に打診したところ以下のような返事が返ってきた。
N氏:
ご存知と思いますがフィリピン人が日本に入国するのは非常に難しいです。
就労ビザとなるとなおさら・・・。
私個人の意見としては、
たとえ何か手段があったとしても、
数人のためにかけるには割の合わない手間とお金がかかるので現実的ではないと思います。
C氏:
私も英語の教師を考えましたが、断念。
日本は基本移民法がなく(難民支援法)鎖国状態ですから、
踊れる人なら芸能ビザ、
大学出ていて3年以上専門知識を生かしたキャリアがあれば技術(高度人材)ビザ、
または100%疑われるけど結婚ビザでしょうか。.
N氏:
看護士等については、
セブのほうでジャピーノ(フィリピン人と日本人のハーフの通称)を集めて研修して
日本に送り込んでいる大手日本企業の子会社があります。
1年間掛けて数百人をきっちり教育して、
それでもビザが取れるのは一部ということで、
なかなか大変そうな印象を受けます。
TPPの交渉といい、日本はなぜこうも閉鎖的なのか。
これでは完全に世界から取り残される。
折しも、「水銀に関する水俣条約」の外交会議がいま熊本で開かれていて
多くの外国人が来熊している。
そしてボランティアスタッフとして多くの日本人が協力している。
ただし、英語がお粗末でいまいちフォローしきれていないところが残念だ。
こうした姿を見ると
日本はまだまだ発展途上国かと思ってしまう。
世界を相手に堂々と渡り合う器量が必要だ。
そのためには門戸を開き、多くの移民を受け入れる必要があるのではないだろうか。
まさに「不自由の国、ニッポン」といったところだ。
【補足}
先程、シンガポール日本者があるコラボ先の”BRCORP”が主催する
来年の国際会議がネパールのカトマンズで開かれる旨の通知が届いた。
3rd World Conference on Applied Sciences, Engineering and Technology
(WCSET 2014)
Kathmandu, NEPAL
27-29 September 2014
昨年は、ハノイで行われた「エスペラント世界大会」に出席したが
60カ国から約1、000人の人々が集まった。
こうした世界会議を日本は招致するべく努力しているが
まだまだインフラの整備が遅れている。
英語のできるボランティアも不足気味だ。
こうしてみると、ボクのできる役割はまだまだ尽きないように思う。
とりあえず、NPO法人「インターナショナル・プロジェクト協会」を立ち上げて
”BRCORP" との本格提携にこぎつけなければならない。
ちなみにボクは、”BRCORP”のウェブサイト(http://basharesearch.com/index.htm)上では次のように紹介されている。

Mr. Asay Kaji
Chief Business Development Officer.
kaji@basharesearch.com
Mr. Asay Kaji born on 18th December did his Bachelor's in Spanish & South America Economics from Osaka Foreign Language University (Osaka University, Japan) in 1973 .
He is the founder and owner of Dreamin Country in Aso, and Free Talk Institute and Lovetrip Travel Service at Japan with business also spread across Hanoi, Vietnam
He is also President of NPO International Project Association, Japan and Managing Director of Global Business Centre, Japan.
この1、2ヶ月激しい変化の渦の中にいる。
というか、今年に入り、めまぐるしい変化が自分の人生の中に訪れている。
もちろん、良いも悪いも嬉々こもごもだ。
少し整理してみよう。
まず、4月、2つの新事業が同時にオープンした。
ひとつは、阿蘇に英会話合宿の”English Village"がオープンしたこと。
だが、早々に頓挫した。
この後始末は残念ながら法廷へと場所を移す。
もうひとつは、ハノイに店をオープンしたこと。
こちらは今のところ曲がりなりにも頑張っている。
全く離れたところ(別の国)で新企画が始まったわけだが、
完全に明暗を分けた格好だ。
そして、7月、まだ新事業の熱気が覚めやなないうちに
階下のテナントの利用の話が大家さんから浮上した。
格別の条件と、その立地の良さから引き受けることに。
これもまた無謀な挑戦だ。
幸い、その後知り合った青年と、
かねがね起業したいと語っていた方とによって
8月、9月と立て続けに協業体制がスタートした。
自らも、ゲストハウスを立ち上げた。
そして間髪を入れず、外資系の会社からコラボの企画が持ち込まれる。
さらに、先月末、立ち上げから行動を共にしていた有能なスタッフが辞職した。
今年に入ってNPO法人の立ち上げを急遽引き受けることにしたのも何かの因縁だろう。
この一連の慌ただしい動き、変化は一体何事だろう。
一年内に、今までこれほど激しい変化を見せた年はこれまでなかった。
離婚や裁判や大移住といった
個人的な大事件はそれなりの間隔(略6年~12年おき)で起きてはいたものだが。
というわけで、
すべての難題を一挙同時処理していかなければならない立場に立たされている。
おかげで寝る暇もない。
いつ倒れても不思議ではない状態にある。
だからといって辞められない。
不思議にも、これが使命感となって心の中は熱く燃え盛っている。
決して嫌な状況とは感じない。
むしろ好ましいとさえ思う。
これだけの試練、難題を天から授けられた感謝の気持ちでいっぱいだ。
解決できる問題だから我が身に起きる、と考える。
乗り越えられる試練だから、我が身に降りかかる、と思う。
むしろ、自分がこんなにも問題解決能力を試されていることに
有難いとさえ思う。
それはボクにとって悪い話、不幸な話であろうと思われること以上に
素晴らしい話が転がり込んでくるのだ。
そして、ボクの悪口を言いながら離れていく面々以上に
素晴らしい人たちに恵まれていることに感謝の念が絶えない。
自ら損の種を撒きつつ、
まるで、その脇から正体不明の新芽が続々と吹き出してきているかのようだ。
当然のことながら、問題は山積している。
これからも新しい問題が吹き出すだろう。
誹謗中傷という風評被害にも耐えなければならない。
決して小局を無視するわけではないが
大局を見据えて、自分の信じる道をただひたすらに進むだけだ。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
本当は今日は別の内容で書き始めたが
書いているうちにこのような内容になってしまった。
実は、また新たな企画を考えついたのだ。
そのことについて書こうと思ったのだが。
それについては、数日内に発表できるだろう。
ただこれだけは言える。
たとえ不幸に見えることが起こっても
それは全て良い方向へと導かれるものである、ということ。
起きた事象を悪いこと、不幸なことと捉えてしまい、
悲観したり、ふさぎこんでしまうのが最もいけないことだ。
もうダメだ、自分はダメだと思ったらそれでおしまいである。
まだいける、まだやれると思えば、
事態は必ず好転する。
そして不幸と思える出来事も、
結局はそのために用意された不可欠な出来事に過ぎなかったことに気づかされるのだ。
だからはっきり言おう。
自分自身が悪いと思うから悪くなるのであって、
悪いことは絶対起きない。
全てはその人のために起きている単なる現象に過ぎない。
要は、すべての事象を良いように解釈することだ。
過ぎたことをいつまでも悔やんでも何ら解決はしない。
認めて、受け入れて、許して(相手も自分も)、
そしてひたすら信じた道を前へ進むのだ。
諦めるな!、辞めるな! 続けろ!
Don't quit!
Don't stop!
Keep going ahead!
というか、今年に入り、めまぐるしい変化が自分の人生の中に訪れている。
もちろん、良いも悪いも嬉々こもごもだ。
少し整理してみよう。
まず、4月、2つの新事業が同時にオープンした。
ひとつは、阿蘇に英会話合宿の”English Village"がオープンしたこと。
だが、早々に頓挫した。
この後始末は残念ながら法廷へと場所を移す。
もうひとつは、ハノイに店をオープンしたこと。
こちらは今のところ曲がりなりにも頑張っている。
全く離れたところ(別の国)で新企画が始まったわけだが、
完全に明暗を分けた格好だ。
そして、7月、まだ新事業の熱気が覚めやなないうちに
階下のテナントの利用の話が大家さんから浮上した。
格別の条件と、その立地の良さから引き受けることに。
これもまた無謀な挑戦だ。
幸い、その後知り合った青年と、
かねがね起業したいと語っていた方とによって
8月、9月と立て続けに協業体制がスタートした。
自らも、ゲストハウスを立ち上げた。
そして間髪を入れず、外資系の会社からコラボの企画が持ち込まれる。
さらに、先月末、立ち上げから行動を共にしていた有能なスタッフが辞職した。
今年に入ってNPO法人の立ち上げを急遽引き受けることにしたのも何かの因縁だろう。
この一連の慌ただしい動き、変化は一体何事だろう。
一年内に、今までこれほど激しい変化を見せた年はこれまでなかった。
離婚や裁判や大移住といった
個人的な大事件はそれなりの間隔(略6年~12年おき)で起きてはいたものだが。
というわけで、
すべての難題を一挙同時処理していかなければならない立場に立たされている。
おかげで寝る暇もない。
いつ倒れても不思議ではない状態にある。
だからといって辞められない。
不思議にも、これが使命感となって心の中は熱く燃え盛っている。
決して嫌な状況とは感じない。
むしろ好ましいとさえ思う。
これだけの試練、難題を天から授けられた感謝の気持ちでいっぱいだ。
解決できる問題だから我が身に起きる、と考える。
乗り越えられる試練だから、我が身に降りかかる、と思う。
むしろ、自分がこんなにも問題解決能力を試されていることに
有難いとさえ思う。
それはボクにとって悪い話、不幸な話であろうと思われること以上に
素晴らしい話が転がり込んでくるのだ。
そして、ボクの悪口を言いながら離れていく面々以上に
素晴らしい人たちに恵まれていることに感謝の念が絶えない。
自ら損の種を撒きつつ、
まるで、その脇から正体不明の新芽が続々と吹き出してきているかのようだ。
当然のことながら、問題は山積している。
これからも新しい問題が吹き出すだろう。
誹謗中傷という風評被害にも耐えなければならない。
決して小局を無視するわけではないが
大局を見据えて、自分の信じる道をただひたすらに進むだけだ。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
本当は今日は別の内容で書き始めたが
書いているうちにこのような内容になってしまった。
実は、また新たな企画を考えついたのだ。
そのことについて書こうと思ったのだが。
それについては、数日内に発表できるだろう。
ただこれだけは言える。
たとえ不幸に見えることが起こっても
それは全て良い方向へと導かれるものである、ということ。
起きた事象を悪いこと、不幸なことと捉えてしまい、
悲観したり、ふさぎこんでしまうのが最もいけないことだ。
もうダメだ、自分はダメだと思ったらそれでおしまいである。
まだいける、まだやれると思えば、
事態は必ず好転する。
そして不幸と思える出来事も、
結局はそのために用意された不可欠な出来事に過ぎなかったことに気づかされるのだ。
だからはっきり言おう。
自分自身が悪いと思うから悪くなるのであって、
悪いことは絶対起きない。
全てはその人のために起きている単なる現象に過ぎない。
要は、すべての事象を良いように解釈することだ。
過ぎたことをいつまでも悔やんでも何ら解決はしない。
認めて、受け入れて、許して(相手も自分も)、
そしてひたすら信じた道を前へ進むのだ。
諦めるな!、辞めるな! 続けろ!
Don't quit!
Don't stop!
Keep going ahead!
自分を取り巻く世界の大きさはどれだけ?
それは行道範囲でほぼ決まる。
毎日行き来する家と職場。
仕事が終わって帰宅までに立ち寄る場所。
行きつけの居酒屋であったり、
習い事のサークルであったりするかも。
直帰型は家族との団欒を楽しむか、
ひとりの時間を大切に趣味に打ち込む。
オフの日の過ごし方も様々だ。
遠出を常とする人もあれば、
近場でお茶を濁す人もあろう。
また、行動範囲が狭くても、
読書や映像によって自分の空想の世界を広く持っている人もいよう。
頭の中の行動範囲も捨てたものではない。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
この一年を振り返り、自分の行動した地点を線で結んでみよう。
地域の地図だけで収まる人。
九州、日本地図の隅っこまで線が伸びる人。
世界地図を引っ張り出して数本の線を長く引くく人。
長くとどまる地点が2箇所3箇所と増える場合もあろう。
今年のボクは、
熊本市内を中心に、阿蘇(西原村)との週一移動を繰り返す。
そして福岡から台北を経由してハノイへと数本の線が重なる。
ハノイから、べトナム国内移動の線が2本、
マレイシアのクアラルンプールまでが一本。
フィリピンのマニラまでが2本。
そして今年の〆は、ソウルから今年4度目のハノイとなり、
そこから新たな線がシンガポールまで伸びる予定だ。
一年を通じてハノイの滞在日数は一ヶ月を優に超える。
今や第二の故郷的な居場所になってしまった。
たしかに水が合うというか、空気が和むといちうか。
それは必ずしも綺麗を意味しない。
むしろ反対に、濁ったところが妙に落ち着くといった感覚に似る。
透けて見える自分の姿より、
どこか薄汚れて消えてしまいそうな自分が好きだ。
その移動と滞在地点でどれだけの人と出会い、
どれだけの人と別れたか。
今年は今まで大きな別れが二つあった。
そのどちらも大きな痛手となってボクの心に突き刺さる。
出会いの数はそれより多いが、
新たな人間関係を構築するにあ長い時間を有する、
別れが一瞬であるのと対照的だ。
その中で、腐れ縁と言える関係も続いている。
友の数は少なくとも、その長さは長いほうがいい。
浅く広くがご時世の世の中。
いかに永遠の友を得るかがその人の人と成りを決めるといって過言ではないだろう。
時に友遠方より来たる。
十数年ぶりの再会もあった。
また楽しからずや。
人生は一生涯に移動した距離と、
出会った人数によって意義や深みが決まることが多い。
一生を井の中で暮らす蛙でいるの、
大海の遊魚のように一期一会を繰り返すのか。
どちらが良いとか悪いとかいうわけではない。
狭くとも深い、浅くて広いといった区別も当てはまらない。
広く深く長くが理想なのかもしれないが。
【補足】
衣替えとともに、
人替えも起きる。
時にポーカーの総替えという手を使うのも
人生の選択の一つの手であろう。
いつまでも握り占めているカードに見切りをつけ、
柵(しがらみ)を断つ。
強い決断が要求される。
それには、
手持ちのカードの数に変わりがないことがミソなのだが。
それは行道範囲でほぼ決まる。
毎日行き来する家と職場。
仕事が終わって帰宅までに立ち寄る場所。
行きつけの居酒屋であったり、
習い事のサークルであったりするかも。
直帰型は家族との団欒を楽しむか、
ひとりの時間を大切に趣味に打ち込む。
オフの日の過ごし方も様々だ。
遠出を常とする人もあれば、
近場でお茶を濁す人もあろう。
また、行動範囲が狭くても、
読書や映像によって自分の空想の世界を広く持っている人もいよう。
頭の中の行動範囲も捨てたものではない。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
この一年を振り返り、自分の行動した地点を線で結んでみよう。
地域の地図だけで収まる人。
九州、日本地図の隅っこまで線が伸びる人。
世界地図を引っ張り出して数本の線を長く引くく人。
長くとどまる地点が2箇所3箇所と増える場合もあろう。
今年のボクは、
熊本市内を中心に、阿蘇(西原村)との週一移動を繰り返す。
そして福岡から台北を経由してハノイへと数本の線が重なる。
ハノイから、べトナム国内移動の線が2本、
マレイシアのクアラルンプールまでが一本。
フィリピンのマニラまでが2本。
そして今年の〆は、ソウルから今年4度目のハノイとなり、
そこから新たな線がシンガポールまで伸びる予定だ。
一年を通じてハノイの滞在日数は一ヶ月を優に超える。
今や第二の故郷的な居場所になってしまった。
たしかに水が合うというか、空気が和むといちうか。
それは必ずしも綺麗を意味しない。
むしろ反対に、濁ったところが妙に落ち着くといった感覚に似る。
透けて見える自分の姿より、
どこか薄汚れて消えてしまいそうな自分が好きだ。
その移動と滞在地点でどれだけの人と出会い、
どれだけの人と別れたか。
今年は今まで大きな別れが二つあった。
そのどちらも大きな痛手となってボクの心に突き刺さる。
出会いの数はそれより多いが、
新たな人間関係を構築するにあ長い時間を有する、
別れが一瞬であるのと対照的だ。
その中で、腐れ縁と言える関係も続いている。
友の数は少なくとも、その長さは長いほうがいい。
浅く広くがご時世の世の中。
いかに永遠の友を得るかがその人の人と成りを決めるといって過言ではないだろう。
時に友遠方より来たる。
十数年ぶりの再会もあった。
また楽しからずや。
人生は一生涯に移動した距離と、
出会った人数によって意義や深みが決まることが多い。
一生を井の中で暮らす蛙でいるの、
大海の遊魚のように一期一会を繰り返すのか。
どちらが良いとか悪いとかいうわけではない。
狭くとも深い、浅くて広いといった区別も当てはまらない。
広く深く長くが理想なのかもしれないが。
【補足】
衣替えとともに、
人替えも起きる。
時にポーカーの総替えという手を使うのも
人生の選択の一つの手であろう。
いつまでも握り占めているカードに見切りをつけ、
柵(しがらみ)を断つ。
強い決断が要求される。
それには、
手持ちのカードの数に変わりがないことがミソなのだが。
何がしたいって
旅したくて堪らない。
旅して食ってけりゃ、何にもいらない。
ただ、肝心なのはこの「食っていけりゃ」なのだ。
飲むも含んでるけど。
人間どこへ行こうが、食わなきゃ生きていけない。
さて、どこで何をして食うか。
現代は幸いインターネットがある。
ボクが家族で世界一周していた頃とは隔世の感がある。
I feel I am living in a completely different age.
今でもボクは時折海外に出かけるが、
インターネット環境さえあれば日本にいるときとさほど変わらない。
いま悪巧みを考えている。
いま日本で仕事を複数抱えているが
ボクが現場にいなくても運営していける環境になれば
ボクはどこにいてもいいわけだ。
むしろいないほうがいいだろう。
幸か不幸か、先月で有能なスタッフが辞めた。
彼女に変わる逸材はいない。
ここで代わりを探すより、
むしろスタッフがいなくても事業がまわるシステムを作ればいいわけだ。
そうすれば、PCとタブレットとスマホさえ携えていれば、
ボクはどこにいてもいいことになる。
インターネット環境のあるところにさえいればいいのだ。
NPO総会もskypeを使ってテレビ会議ができる。
既に3回実証済みだ。
あとは、世界の居場所から発信することで収入が得られる仕組みを構築すればいいだけのこと。
そのための一つの方法として、電子出版を試みる。
そして、ボクの旅、生き様レポートを買ってくれるスポンサーを見つける。
大金はいらない。
もし余れば、行った先々で寄付をすればいいのだ。
ボクのハッピーエンディングは決めてある。
何度も言っているが
旅先でノタレ死ぬ。
子供たちにはちょっと迷惑をかけるかもしれないが、
これがオヤジの生き様、
いや、死に様なのだ。
勘弁してくれ。
というわけで、
「も一度世界一周」の夢は、もうそこまで来ている。
ですので、
どなたかかボクに投資しませんか?
決して損はさせません。
タビストかじえいせいの「世界マン遊記」
旅を語り、世界を語り、人生を語る。
いかがかな?
【蛇足】
「マン」がカタカナになっているところが、ミソ。
分かるでしょ!?
ついでにもうひとつ、
SEXで男がイク時のことを
”Happy ending”ということを知ってましたか?
実に的を得たいいフレーズですね。
旅したくて堪らない。
旅して食ってけりゃ、何にもいらない。
ただ、肝心なのはこの「食っていけりゃ」なのだ。
飲むも含んでるけど。
人間どこへ行こうが、食わなきゃ生きていけない。
さて、どこで何をして食うか。
現代は幸いインターネットがある。
ボクが家族で世界一周していた頃とは隔世の感がある。
I feel I am living in a completely different age.
今でもボクは時折海外に出かけるが、
インターネット環境さえあれば日本にいるときとさほど変わらない。
いま悪巧みを考えている。
いま日本で仕事を複数抱えているが
ボクが現場にいなくても運営していける環境になれば
ボクはどこにいてもいいわけだ。
むしろいないほうがいいだろう。
幸か不幸か、先月で有能なスタッフが辞めた。
彼女に変わる逸材はいない。
ここで代わりを探すより、
むしろスタッフがいなくても事業がまわるシステムを作ればいいわけだ。
そうすれば、PCとタブレットとスマホさえ携えていれば、
ボクはどこにいてもいいことになる。
インターネット環境のあるところにさえいればいいのだ。
NPO総会もskypeを使ってテレビ会議ができる。
既に3回実証済みだ。
あとは、世界の居場所から発信することで収入が得られる仕組みを構築すればいいだけのこと。
そのための一つの方法として、電子出版を試みる。
そして、ボクの旅、生き様レポートを買ってくれるスポンサーを見つける。
大金はいらない。
もし余れば、行った先々で寄付をすればいいのだ。
ボクのハッピーエンディングは決めてある。
何度も言っているが
旅先でノタレ死ぬ。
子供たちにはちょっと迷惑をかけるかもしれないが、
これがオヤジの生き様、
いや、死に様なのだ。
勘弁してくれ。
というわけで、
「も一度世界一周」の夢は、もうそこまで来ている。
ですので、
どなたかかボクに投資しませんか?
決して損はさせません。
タビストかじえいせいの「世界マン遊記」
旅を語り、世界を語り、人生を語る。
いかがかな?
【蛇足】
「マン」がカタカナになっているところが、ミソ。
分かるでしょ!?
ついでにもうひとつ、
SEXで男がイク時のことを
”Happy ending”ということを知ってましたか?
実に的を得たいいフレーズですね。
借金苦で喘いでいる。
別に今に始まったことではない。
借金苦から逃れたい。
誰しも思うことだろう。
無借金生活は理想の生活だ。
そう信じて疑わなかった。
一度無借金状態になった時期があった。
50歳を目前にしていた。
キャッシュ払いで街に家も手に入れ、
リゾート地に店舗(ホテル)も手にし、
車も3台、全て欲しいままにした。
その代わり預金もなくなった。
あとはホテルをチマチマやって日銭を稼げば
優雅な生活ができるところまできていた。
セミリタイアー。
なんとなく格好いい響きに憧れた。
だが、それも3年ともたなかった。
刺激のない日々。
変化のない日々。
退屈な日々が続いた。
そんな折、ひとつやり忘れていたことに気づいた。
自分の究極の理想の家を建てることだった。
自ら設計した。
あらゆる機能を織り込んだ。
スタイルもひとつにこだわらず、三様式を取り入れた。
外観はヨーロッパ風、
骨組みはログハウス、
そして寝室はアーリ-アメリカン調といった具合にだ。
ジャグジーや打たせ付きの露天風呂、
円形の暖炉、
ロフト、地下室、広いテラス、
オール電化と贅沢の粋を極めた。
そのために、新たな借金をした。
1、500万円。
返済は順調だった。
10年で完済する予定だった。
以前、5、000万円の借金を10年かからずに完済したことがある。
借金慣れしていた。
へっちゃらだった。
これで老後はまた悠々自適。
舐めてかかっていた。
ところが、半部ほど返したところで雲行きが怪しくなってしまった。
例のリーマンショックだ。
そして、3・11が追い討ちをかける。
それでも、政府のモラトリアム(支払い猶予)政策のおかげで
なんとか食いつないだ。
だが、客足は一向に伸びず、時間だけが過ぎていく。
時間を持て余すと、ろくなことは考えないものだ。
退屈を嫌う。
その間、起業家精神が頭をもたげ、
新たな事業へと進出して現在に至っている。
政権が変わり、モラトリアム期間は終了した。
好むと好まざるざるにかかわらず、事業は拡大する一方だ。
それに連れて、歳もとる。
だが、不思議にも気力は衰えるどころか充実度を増している。
激務が続き、睡眠時間は短くなる。
だが、気力のみならず、体力、精力とも向上を見せる。
借金苦はその度合いを増す。
だが待てよ。
もし、無借金になったら、どうなるか。
多分、セミの抜け殻のようになり、
無気力が心を支配するのではないだろうか。
借金あってこその頑張り、充実。
苦しい、苦しい、嫌だ嫌だと言いながら結構楽しんでいるではないか。
これでいいのだ。
借金苦のおかげで、ボクの気力と身体は持っている。
気の抜けない毎日が充実感を与えてくれる。
打たれ強い。
ストレスをストレスと感じない。
悲観しない。
立ち直りが早い。
ただ、やっぱり思う。
借金さえ無かったら、どんなに楽だろうか、と。
そう思うのも、借金あればこそ。
翻って、こうも思う。
返せなくなったら差し押さえられるだけ。
モノはもういらない。
返ってスッキリするのでは。
だから、どっちに転んでも構わない。
だが、返せるうちは頑張って返そう。
そうしているうちが元気の元だから。
リタイアはもう真っ平だ。
別に今に始まったことではない。
借金苦から逃れたい。
誰しも思うことだろう。
無借金生活は理想の生活だ。
そう信じて疑わなかった。
一度無借金状態になった時期があった。
50歳を目前にしていた。
キャッシュ払いで街に家も手に入れ、
リゾート地に店舗(ホテル)も手にし、
車も3台、全て欲しいままにした。
その代わり預金もなくなった。
あとはホテルをチマチマやって日銭を稼げば
優雅な生活ができるところまできていた。
セミリタイアー。
なんとなく格好いい響きに憧れた。
だが、それも3年ともたなかった。
刺激のない日々。
変化のない日々。
退屈な日々が続いた。
そんな折、ひとつやり忘れていたことに気づいた。
自分の究極の理想の家を建てることだった。
自ら設計した。
あらゆる機能を織り込んだ。
スタイルもひとつにこだわらず、三様式を取り入れた。
外観はヨーロッパ風、
骨組みはログハウス、
そして寝室はアーリ-アメリカン調といった具合にだ。
ジャグジーや打たせ付きの露天風呂、
円形の暖炉、
ロフト、地下室、広いテラス、
オール電化と贅沢の粋を極めた。
そのために、新たな借金をした。
1、500万円。
返済は順調だった。
10年で完済する予定だった。
以前、5、000万円の借金を10年かからずに完済したことがある。
借金慣れしていた。
へっちゃらだった。
これで老後はまた悠々自適。
舐めてかかっていた。
ところが、半部ほど返したところで雲行きが怪しくなってしまった。
例のリーマンショックだ。
そして、3・11が追い討ちをかける。
それでも、政府のモラトリアム(支払い猶予)政策のおかげで
なんとか食いつないだ。
だが、客足は一向に伸びず、時間だけが過ぎていく。
時間を持て余すと、ろくなことは考えないものだ。
退屈を嫌う。
その間、起業家精神が頭をもたげ、
新たな事業へと進出して現在に至っている。
政権が変わり、モラトリアム期間は終了した。
好むと好まざるざるにかかわらず、事業は拡大する一方だ。
それに連れて、歳もとる。
だが、不思議にも気力は衰えるどころか充実度を増している。
激務が続き、睡眠時間は短くなる。
だが、気力のみならず、体力、精力とも向上を見せる。
借金苦はその度合いを増す。
だが待てよ。
もし、無借金になったら、どうなるか。
多分、セミの抜け殻のようになり、
無気力が心を支配するのではないだろうか。
借金あってこその頑張り、充実。
苦しい、苦しい、嫌だ嫌だと言いながら結構楽しんでいるではないか。
これでいいのだ。
借金苦のおかげで、ボクの気力と身体は持っている。
気の抜けない毎日が充実感を与えてくれる。
打たれ強い。
ストレスをストレスと感じない。
悲観しない。
立ち直りが早い。
ただ、やっぱり思う。
借金さえ無かったら、どんなに楽だろうか、と。
そう思うのも、借金あればこそ。
翻って、こうも思う。
返せなくなったら差し押さえられるだけ。
モノはもういらない。
返ってスッキリするのでは。
だから、どっちに転んでも構わない。
だが、返せるうちは頑張って返そう。
そうしているうちが元気の元だから。
リタイアはもう真っ平だ。
振り返ってなんかいられない。
涙を拭いて、ただただ夢に向かって進むだけだ。
失敗したって、つまずいたって、批判されたって構わない。
言いたいやつには言わせておけ。
信じた道をただひたすらに進む。
障害物は押しのける、壁は叩き壊す、
邪魔するものは振り切ってでも夢に向かって進む。
この身は滅んでも、心は折れない。
志は残り、引き継がれるだろう。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
昨夜は『NPO法人インターナショナル・プロジェクト協会』の
第7回目の総会を行い、多士済々が集結した。
深夜まで議論は沸騰し、熱気に包まれた。

議論は2時間半に及び、
最終組は深夜近くになっていた。
議題は以下のようなもの。
1.クールジャパン
来年1月ベトナム進出。くまモンとともに?
おもてなし(レポートあり)、納豆案件、着物その他。
2.BRCORPとの業務連携についての報告
ベトナム、シンガポールへ行こう!
3.MEETRIPの活動報告(助成金への働き)
4.海外からの人材招聘(ベトナム、フィリピン)
5.国際結婚報告
6.スポーツ振興とイマージョンキャンプ構想
7.人材育成のためのビジネス講座
8.インターナショナルスクール開設に向けての行動指針
9.福祉、美容事業へ向けての取り組み方
活動が具体的になるにつれ、それに携わる面々の姿がはっきりしてきた。
その道のエキスパートが集結しだした。
来られない方とはskypeで話をした。

「おもてなし」について福岡から報告をするO氏。
そしてお互いが不得手な部分を補い合う。
そうすることで相乗効果も生まれる。
より内容が具体的に、より期限がはっきりすればするほど
行動指針が見えてくる。
今、何をすればいいのか。
全てはメンバーひとりひとりの夢の実現にある。
ひいてはそれが世界平和へつながっていく。
昨夜はインド人とベトナム人の方が参加してくれた。
ベトナム人の女性は、結婚して3日前に来日したばかりだ。
右も左もわからない、不安の中ご主人とともに参加していただいた。
これからみんなで助け合っていきたい。
圧巻は、シンガポールに本社を持つコンサルタント会社の副社長が来て
みんなに事業内容を説明してくれたことだった。


ウェブサイトを示してBRCORPの会社概要を説明するB氏
その会社のウェブサイトには早々とボクが重役の中に並んでいた。
CEO,COOに次ぐCDO(開発事業担当)No.3のポジションだ。

これから日本市場の開発とベトナム支社を開設する役割を与えられた。
営業と企画開発。
ボクの十八番とする分野だ。
ずっと秘めている商社マンの血が騒ぎだした。
こうして世界進出、世界を股にかけて活躍する下地が着々と進行している。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
NPO法人『インターナショナル・プロジェクト協会(IPA)』では
世界に羽ばたく夢を持つ多くの仲間を募っている。
少しでも興味を持ったものは、まずは一度話をしよう。
NPO法人IPAはあなたの夢の実現のお手伝いをします。
熱く夢を語り、必ず実現する。
さあ、夢に向かって、一歩前へ!
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
【お知らせ、募集】
① ボランティアで秘書(お手伝い)をしてくださる方を募集しています。
② コ・ワーキングスペースの利用者を募集しています。
フリートークを事務所にして一緒に働きませんか。
③ 今月下旬からベトナム(ハノイ)に同行する方はらっしゃいませんか。
シンガポールまで足を伸ばします。
以上興味のある方はご一報下さい。
涙を拭いて、ただただ夢に向かって進むだけだ。
失敗したって、つまずいたって、批判されたって構わない。
言いたいやつには言わせておけ。
信じた道をただひたすらに進む。
障害物は押しのける、壁は叩き壊す、
邪魔するものは振り切ってでも夢に向かって進む。
この身は滅んでも、心は折れない。
志は残り、引き継がれるだろう。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
昨夜は『NPO法人インターナショナル・プロジェクト協会』の
第7回目の総会を行い、多士済々が集結した。
深夜まで議論は沸騰し、熱気に包まれた。

議論は2時間半に及び、
最終組は深夜近くになっていた。
議題は以下のようなもの。
1.クールジャパン
来年1月ベトナム進出。くまモンとともに?
おもてなし(レポートあり)、納豆案件、着物その他。
2.BRCORPとの業務連携についての報告
ベトナム、シンガポールへ行こう!
3.MEETRIPの活動報告(助成金への働き)
4.海外からの人材招聘(ベトナム、フィリピン)
5.国際結婚報告
6.スポーツ振興とイマージョンキャンプ構想
7.人材育成のためのビジネス講座
8.インターナショナルスクール開設に向けての行動指針
9.福祉、美容事業へ向けての取り組み方
活動が具体的になるにつれ、それに携わる面々の姿がはっきりしてきた。
その道のエキスパートが集結しだした。
来られない方とはskypeで話をした。

「おもてなし」について福岡から報告をするO氏。
そしてお互いが不得手な部分を補い合う。
そうすることで相乗効果も生まれる。
より内容が具体的に、より期限がはっきりすればするほど
行動指針が見えてくる。
今、何をすればいいのか。
全てはメンバーひとりひとりの夢の実現にある。
ひいてはそれが世界平和へつながっていく。
昨夜はインド人とベトナム人の方が参加してくれた。
ベトナム人の女性は、結婚して3日前に来日したばかりだ。
右も左もわからない、不安の中ご主人とともに参加していただいた。
これからみんなで助け合っていきたい。
圧巻は、シンガポールに本社を持つコンサルタント会社の副社長が来て
みんなに事業内容を説明してくれたことだった。


ウェブサイトを示してBRCORPの会社概要を説明するB氏
その会社のウェブサイトには早々とボクが重役の中に並んでいた。
CEO,COOに次ぐCDO(開発事業担当)No.3のポジションだ。

これから日本市場の開発とベトナム支社を開設する役割を与えられた。
営業と企画開発。
ボクの十八番とする分野だ。
ずっと秘めている商社マンの血が騒ぎだした。
こうして世界進出、世界を股にかけて活躍する下地が着々と進行している。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
NPO法人『インターナショナル・プロジェクト協会(IPA)』では
世界に羽ばたく夢を持つ多くの仲間を募っている。
少しでも興味を持ったものは、まずは一度話をしよう。
NPO法人IPAはあなたの夢の実現のお手伝いをします。
熱く夢を語り、必ず実現する。
さあ、夢に向かって、一歩前へ!
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
【お知らせ、募集】
① ボランティアで秘書(お手伝い)をしてくださる方を募集しています。
② コ・ワーキングスペースの利用者を募集しています。
フリートークを事務所にして一緒に働きませんか。
③ 今月下旬からベトナム(ハノイ)に同行する方はらっしゃいませんか。
シンガポールまで足を伸ばします。
以上興味のある方はご一報下さい。
奥さんに逃げられたらどうしますか?
長年付き合っていた女に振られるのもある意味一緒。
どうしますか?
泣きますか?
追いかけますか?
ボクの貴重な(?)体験をお話しましょう。
ボクは二度女房に逃げられ、三度目も同じような気持ちを味わいました。
それはそれは悲しいものです。
虚しいものです。
寂しいものです。
やるせないものです。
自暴自棄になり、何をするにもやる気が起きません。
仕事も手につきません。
茫然自失(be stunned 《at, by》)といった気持ちです。
だけど、
だけど、
一旦その気持ちが吹っ切れて気を取り直した時、
未来に希望が輝き出すのです。
それまで要する時間は数ヶ月から数時間。
回を重ねるに従って、慣れて短くなります。
立ち直りが早いのはいいことです。
いつまでも、過去をズルズルと引きずっていては先に進めません。
でもよくそういう人がいます。
いつまでもくよくよしている。
過ぎ去った思い出に耽けってばかり。
挙句、ウツになる人もいます。
自滅する人もいます。
逃した魚は大きいかもしれない。
だが次はもっと大きいものが釣れるかもしれない。
あるいは、釣りじゃなくて猟に切り替えることだってできる。
魚にこだわっていては、近くにいるシカに気がつかないだろう。
結論を言おう。
ボクは女房に逃げられるたびに、別の大きな幸せを手にしてきた。
精一杯涙を流して悲しみを乗り切ったとき
もっと素晴らしい世界が広がっていた。
ボクは自由というかけがえもないものを手に入れることができた。
自由と孤独は対(つい)をなす。
多くの人間は群れたがる。
家族だ、仲間だ、組織だという柵(しがらみ)の中で幸せを見つける。
一時間でも多く、祭りの中に身をおくことで我を忘れて楽しみを共有しようとする。
祭りのあとの静けさという空虚な時間をなるべく作らないように
いろんな仕掛けを作っては気を紛らわす。
そうして一生を終えるのもいいだろう。
終えればの話だが。
死ぬのも一人なら
寝るのも一人。
たとえ同居人が横にいようとも、同床異夢は避けられない。
人は孤独を恐れる。
だが、一旦孤独の快感を味わったとき
その虜になることも事実だ。
ボクは東京で暮らしていた時、
都会の孤独を知った。
人ごみの中の孤独を味わった。
一方、大自然の中の暮らしも十二分に味わってきた。
田舎暮らし、35年のキャリアを持つくらいだから。
ここ数日、森の中に身を起き自問自答を繰り返してみた。
どう生きるべきか。
どうするべきか。
今、みたび自由を手にした喜びに包まれた。
自分の理想のライフスタイルにどんどん近づいていく姿が見えた。
世界を旅する自分の姿がはっきりと見えた。
人生がそうであるように
旅の世界は一期一会(a once-in-a-lifetime chance [a special occasion])そのものである。
旅は究極の出会いと別れの繰り返しである。
喜びと悲しみを糾(あざな)える縄のように何度も何度も繰り返してきた。
その都度、涙に明け暮れ、笑いに包まれた。
ひとところに住む人間(種族)と、
移動を繰り返す種族とでは、
人間関係の考え方が全く異なる。
どちらがいいとか悪いとかの問題ではない。
理解しがたい側面を持ち合わせているだけのことだ。
ボクは静物ではない、動物だ。
転がる石に苔はつかない(A rolling stone gathers no moss. )。
コケを柵(しがらみ)と置き換えてもいいのかもしれない。
自由とは柵を切り捨てるところに存在する。
ボクは転がる石(A rolling stone )より
風に流され空高く上がるシャボン玉(soap bubble)でありたい。
日の光で虹色に輝くシャボン玉。
最後は、弾けて消えるのだ。
♪ Bubbles, oh bubbles,
You floated up in the air,
Reaching the roof so high,
Reaching the roof so high,
Only to pop and die. ♪
【余談】
「結婚は人生の墓場」
という名言は誰しも知っていながら
結婚に憧れる。
「結婚式は自由との告別式」といったのは美輪明宏。
誰が言ったか知らないけれど、
「人は判断力の欠如により結婚し、
忍耐力の欠如により離婚し、
記憶力の欠如により再婚する」
まるで自分ことだ。
「結婚とは、
熱病とは逆に、発熱で始まり悪寒で終わる」(リヒテンベルグ)
なのに、結婚したがる。
結婚しない(できない)人が増えているのは、良いこと?
長年付き合っていた女に振られるのもある意味一緒。
どうしますか?
泣きますか?
追いかけますか?
ボクの貴重な(?)体験をお話しましょう。
ボクは二度女房に逃げられ、三度目も同じような気持ちを味わいました。
それはそれは悲しいものです。
虚しいものです。
寂しいものです。
やるせないものです。
自暴自棄になり、何をするにもやる気が起きません。
仕事も手につきません。
茫然自失(be stunned 《at, by》)といった気持ちです。
だけど、
だけど、
一旦その気持ちが吹っ切れて気を取り直した時、
未来に希望が輝き出すのです。
それまで要する時間は数ヶ月から数時間。
回を重ねるに従って、慣れて短くなります。
立ち直りが早いのはいいことです。
いつまでも、過去をズルズルと引きずっていては先に進めません。
でもよくそういう人がいます。
いつまでもくよくよしている。
過ぎ去った思い出に耽けってばかり。
挙句、ウツになる人もいます。
自滅する人もいます。
逃した魚は大きいかもしれない。
だが次はもっと大きいものが釣れるかもしれない。
あるいは、釣りじゃなくて猟に切り替えることだってできる。
魚にこだわっていては、近くにいるシカに気がつかないだろう。
結論を言おう。
ボクは女房に逃げられるたびに、別の大きな幸せを手にしてきた。
精一杯涙を流して悲しみを乗り切ったとき
もっと素晴らしい世界が広がっていた。
ボクは自由というかけがえもないものを手に入れることができた。
自由と孤独は対(つい)をなす。
多くの人間は群れたがる。
家族だ、仲間だ、組織だという柵(しがらみ)の中で幸せを見つける。
一時間でも多く、祭りの中に身をおくことで我を忘れて楽しみを共有しようとする。
祭りのあとの静けさという空虚な時間をなるべく作らないように
いろんな仕掛けを作っては気を紛らわす。
そうして一生を終えるのもいいだろう。
終えればの話だが。
死ぬのも一人なら
寝るのも一人。
たとえ同居人が横にいようとも、同床異夢は避けられない。
人は孤独を恐れる。
だが、一旦孤独の快感を味わったとき
その虜になることも事実だ。
ボクは東京で暮らしていた時、
都会の孤独を知った。
人ごみの中の孤独を味わった。
一方、大自然の中の暮らしも十二分に味わってきた。
田舎暮らし、35年のキャリアを持つくらいだから。
ここ数日、森の中に身を起き自問自答を繰り返してみた。
どう生きるべきか。
どうするべきか。
今、みたび自由を手にした喜びに包まれた。
自分の理想のライフスタイルにどんどん近づいていく姿が見えた。
世界を旅する自分の姿がはっきりと見えた。
人生がそうであるように
旅の世界は一期一会(a once-in-a-lifetime chance [a special occasion])そのものである。
旅は究極の出会いと別れの繰り返しである。
喜びと悲しみを糾(あざな)える縄のように何度も何度も繰り返してきた。
その都度、涙に明け暮れ、笑いに包まれた。
ひとところに住む人間(種族)と、
移動を繰り返す種族とでは、
人間関係の考え方が全く異なる。
どちらがいいとか悪いとかの問題ではない。
理解しがたい側面を持ち合わせているだけのことだ。
ボクは静物ではない、動物だ。
転がる石に苔はつかない(A rolling stone gathers no moss. )。
コケを柵(しがらみ)と置き換えてもいいのかもしれない。
自由とは柵を切り捨てるところに存在する。
ボクは転がる石(A rolling stone )より
風に流され空高く上がるシャボン玉(soap bubble)でありたい。
日の光で虹色に輝くシャボン玉。
最後は、弾けて消えるのだ。
♪ Bubbles, oh bubbles,
You floated up in the air,
Reaching the roof so high,
Reaching the roof so high,
Only to pop and die. ♪
【余談】
「結婚は人生の墓場」
という名言は誰しも知っていながら
結婚に憧れる。
「結婚式は自由との告別式」といったのは美輪明宏。
誰が言ったか知らないけれど、
「人は判断力の欠如により結婚し、
忍耐力の欠如により離婚し、
記憶力の欠如により再婚する」
まるで自分ことだ。
「結婚とは、
熱病とは逆に、発熱で始まり悪寒で終わる」(リヒテンベルグ)
なのに、結婚したがる。
結婚しない(できない)人が増えているのは、良いこと?