【現代思想とジャーナリスト精神】

価値判断の基軸は自らが判断し思考し実践することの主体であるか否かであると考えております。

【平和のためコンサート、歴史的焦点】【Ⅱ】 2013年 第14回平和のためのコンサートと人類生存哲学の思想

2017-05-02 23:23:11 | 政治・文化・社会評論
【平和のためコンサート、歴史的焦点】【Ⅱ】 2013年 第14回平和のためのコンサートと人類生存哲学の思想

                                    櫻井 智志


1.平和のためのコンサートと時代

芝田進午・貞子ご夫妻は1980年に東京と広島でノーモア・ヒロシマ・コンサートを開始した。東京では1989年まで10年間、広島ではそれよりも長く持続された。
芝田氏は、広島大学に勤めるようになり、「反核文化」について考察し顕彰する。小説、詩、映画、音楽など多彩な分野に及ぶ。ノーモア・ヒロシマ・コンサートは、これらの反核文化研究と併行した実践の帰結のひとつである。

 哲学者・社会学者である芝田進午氏は、帝国主義的国際秩序を「旧国際秩序」、核時代の国際秩序を「ジェノサイド的秩序」と呼んだ(『核時代Ⅰ思想と展望』)。これに対して民衆が作り上げるべき「新しい国際秩序」とは、あらゆる形態のジェノサイド(民族皆殺し)を廃絶してゆく秩序をさす。芝田氏は、そこで民族自決権のなかにある戦争発動権の制限を提起した。注目すべきは、日本国憲法の《一方的不戦宣言》《一方的軍備撤廃宣言》は、核時代における国家主権の在り方を示す先駆的なものであると位置づけている。

 芝田氏はさらに被害者側の苦悩を社会科学の対象として考察した。被爆者の「罪意識」についてアメリカの精神医学者R・J・リフトンの『死の中の生命―ヒロシマの生存者』(1967年朝日新聞社刊 原題Death in Life)と、被爆者問題で重要な研究を続けている石田忠氏の『原爆体験の思想化』『原爆被害者援護法』(ともに1987年未来社刊)の著作を紹介している。限界状況における行動の理論的解明に今まで未着手であることを課題視している。多彩で他寮域に及ぶ「芝田学」において、核時代における文化と思想の研究は、人間が人間らしくその尊厳を尊重されるための足がかりとなる広範で多彩な取り組みであった。芝田氏がご逝去されたのは、2001年3月14日のことであった。もしも先生が2011年3月11日の東日本大震災とそれに伴う福島第一原発事故をご生存中に体験なされていたら、現在反原発運動を推進している良心的な原子力物理学者や反原発運動家たちとともに立ち上がって共闘なされたことだろう。「核時代」と「反核文化」、「人類生存哲学の思想」は、さらに精緻をきわめ、実践のスケールを今以上に拡大する貴重な指針を、私たちに提起なされることはほぼ間違いあるまい。

 ノーモア・ヒロシマ・コンサートは、芝田進午氏逝去後は、夫人の芝田貞子氏を主催者として「平和のためのコンサート」として継承された。さらに、芝田進午氏が、「人生最大の闘争」として位置づけた予研(改称して現在は国立感染症研究所)との闘争が開始される。1986年から開始された予研=感染研との闘争は、芝田氏の哲学者・社会科学者としてのすべてのアカデミックな研究から芝田氏を遠ざけた。けれど氏は、闘争途中の2001年に胆管がんによってご逝去なされるまで、この大問題に取り組み続けて、この闘争の間で出版された書籍、雑誌、刊行物、パンフレット、チラシなど厖大な資料とともに取り組まれた。とくにバイオハザード予防市民センターとストップ・ザ・バイオハザード国立感染症研究所の安全性を考える会は、毎年このコンサートの後援団体としてコンサートを支えて具体的な運営への支援も惜しまず献身的に応援なされている。

今年2013年で14回目に及ぶことは特筆されるべきである。著作『実践的唯物論への道 人類生存の哲学を求めて』(2001年青木書店刊)の中で、芝田氏はご夫人が声楽家でなければ、ノーモア・ヒロシマ・コンサートは10年以上も運営できなかったと述べている。



2.高橋哲哉氏の講演
 今回は、第一部で高橋哲哉東大大学院総合文化研究所教授が、『犠牲のシステムから平和の秩序へ―原発と基地問題を考える』のテーマで講演をひきうけてくださった。原発事故をめぐる国民から世界上の民衆の平和的生存が、戦後これほど深刻な課題となったことはなかろう。また、沖縄県を最大の被害者としてアメリカ軍による基地問題の無理難題がひきおこす深刻な被害は、日本の平和と日本国民の安全と幸福を危うくしてきた。


講演

「犠牲のシステムから平和の秩序へ〜原発と基地問題を考える」
高橋哲哉「平和のためのコンサート第一部講演」(記録文責・櫻井智志)

 高橋哲哉氏は、「犠牲のシステム」について研究してきた。ずっと米軍の基地問題を研究し、沖縄の米軍基地を中心に取り組んできた。けれど福島第一原発四基のうちの三基が爆発した時に、現状で、日本における原発を「犠牲のシステム」を研究するようになった。 原発の事故自体が収束していないし、東京にもホットスポットがあり事故と無縁でない。原発事故以前は基地問題に「犠牲のシステム」を使っていた。福島第一原発の事故は、「犠牲のシステム」の典型である。

 平和憲法にもかかわらず、沖縄に平和という状況はあったのか。4月28日に政府は「主権回復」の式典を行ったが、沖縄は大反発した。1972年まで米軍の軍政下にあった。しかしそれ以降も、日本全国の0.6%の面積の沖縄県に、米軍基地の広さは、沖縄県がなんと75%もの米軍基地の面積を占めている。沖縄は、日米安保体制によって犠牲のシステムを被っている。福島原発事故も「犠牲のシステム」をこうむっている。誰かの犠牲の上に誰かが利益をもうけているシステム。
 ドイツは、日本でも原発事故が起こるのだから、と言って脱原発へ転換することを認めた。福島にはGビレッジという区域があった。原発事故前からである。
そこは、原子力発電所での作業を行う労働者が居住するため往復している。そこで、ガンや白血病患者もいたが、原発事故でその地域の存在が表に出てきた。原発にはウランを必要とする。ウラン鉱山の採掘を行うウラン鉱夫は被曝してきた。
日本でも岡山県にウラン峠があったが、被曝の問題でそこをとりやめ、カナダやオーストラリアから輸入するようになった。
 
 原発から出る放射性廃棄物には、使用済み核燃料がでる。いま大飯原発以外国内の原発はとまっているが、再処理でプルトニウムを取り出しウランと混ぜる。
使用済み核燃料への対応や最終処理場の問題がある。核には、①原発②核事故③被曝労働④放射性廃棄物による危険、の四つの問題がある。「犠牲のシステム」とは、ある人々の犠牲の上に成り立っている。ある人々とは、①核被曝の人々、福島原発事故の影響を受けた人々②健康の犠牲③土地、家、財産における犠牲を受けた人々④いのちの犠牲⑤人としての尊厳、生きる希望などを犠牲を受けた人々である。「犠牲のシステム」は、正常化できない。それは、平和的生存権を奪い、生命・自由・幸福追求の権利の犠牲を受けている。このことは、沖縄での憲法否定、憲法の犠牲により人として正常化が困難をきわめるのと似ている。

 4月17日から被災地の新規定値が決まり、立ち入り禁止区域のひとつに高橋哲哉氏が小学校生活を過ごした故郷富岡町が含められた。被災地の再編が行われた。帰還困難区域は、1年間に50ミリミリシーベルト以上。居住制限区域は20〜50ミリシーベルト。避難指示解除準備区域が20ミリシーベルト以下である。福島原発事故前の国民が1年間に被曝が許容されるのは、1ミリシーベルト。
この数値はICRPでも認められている数値(1ミリシーベルト)である。

 ところが福島原発事故後に日本政府が、子どもを許容値としたのは、20ミリシーベルトまでは住めますという国の基準を発表した。原発作業員の限度は1年間に50ミリシーベルト、5年間に100ミリシーベルト。福島県民は、原発作業員なみの放射能にさらされている。チェルノブイリ原発事故後7年間は1ミリシーベルトだった。ソ連が解体しウクライナやロシア、ベラルーシでのチェルノブイリ法は、避難の権利を提唱した。放射能にさらされたなら、国民は避難する権利をもつので、権利を行使することができ、公的サポートを受けられるということが、決められている。年間5ミリシーベルトの数値なら、強制避難となる。
福島では20ミリシーベルトまではそこに居住できる。なんという違いだろうか。
福島県郡山市の小中学生と保護者が、市に対して「集団疎開」を求めていた抗告審で仙台高裁は、仮処分申請は却下したものの、低線量被ばくの危険に日々さらされ将来的には健康被害が生じる恐れがあるとはっきり認めた。この裁判の一審は、年間100ミリシーベルトをも子どもたちに許容されるというものだっただけに高裁の危険判断ははるかにましといえる。国や県など行政の判断がきわめて重要である。福島県の健康調査では、17万人に12人の甲状腺がんの発生がわかった。通常は100万人に2人。民主党政権時に、細野豪志大臣は、年間20ミリシーベルトを5ミリシーベルトに下げるべきだと主張した。政府はそれを却
下した。

 沖縄県では長い米軍基地の歴史がある。宜野湾市にある米軍基地を鳩山首相は、国外に移す、最低でも県外に移すことを県民に約束した。しかし、妨害する勢力のために、孤立無援となり辞職した。沖縄県民は、米軍基地を沖縄におしつけ続けたヤマトンチュー(本土)日本人に怒りをもたざるを得ない。 オスプレイ機は、墜落事故が多くアメリカでも問題になっている。そのオスプレイ機を沖縄に12機配備した。安倍首相は、辺野古にすみやかにすすめるとオバマ大統領に約束した。沖縄県民の心を完全に無視した。
 日米安保条約を平和友好条約に転換するべきである。米軍基地を撤退して本土のヤマトンチューへの批判に応えることが必要である。
 憲法違反の状況が福島にも沖縄にも見られ、憲法の外へおかれている。グローバル化の波は、規制を撤廃し、新自由主義や市場原理をすすめている。貧困下で若い世代が、正規雇用につけないでいる。日本の為政者は、人権保障の基準に従って、それらの問題を改正すべきである。憲法の原則を解体して九条を撤廃させようとしている。4月28日の「主権回復」式典もこれらの流れの中にあり、安¥倍政権は九条改憲国防軍設置を最大のねらいとしている。世論調査では、「9条を変えるべきではない」が多い。しかし質問があいまいだと「憲法を変えるべきだ」が多い。今の政府は、96条改憲をめざし、改憲を発議するための衆参両議院の3分の2以上の国会議員の賛成を過半数の賛成に変えようとしている。よく日本は憲法改定の発議のハードルが高すぎるという改憲派の声があるが、諸外国でもハードルは3分の2以上が多く、一般法の過半数の賛成という国はない。憲法は国家権力者をしばるためのものであり、この立憲主義を大切にしている。日本国憲法の権利を侵害し、憲法改悪の動きをぜひとめたい。

3,第14回コンサートの全体像
以下に第14回平和のためのコンサートのホームページやパンフレットで伝えられている詳細を簡潔に記す。
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第14回平和のためのコンサート
http://www.biohazards.jp/index-c.htm
2013年6月15日(土)午後2時 開演(1:30開場)
会場:牛込箪笥区民ホール
都営地下鉄大江戸線 牛込神楽坂駅A1出口 徒歩0分
東京メトロ東西線 神楽坂駅2番出口 徒歩10分
料金:2,200円(全席自由) 
   第一部〜講演〜
高橋哲哉
「犠牲のシステムから平和の秩序へ―原発と基地問題を考える」
   第二部〜コンサート〜 
重唱 アンサンブルローゼ         ピアノ=野本哲雄
   村の娘(ラツァロ作曲)
   モルダウの流れ(スメタナ作曲)、
   懐かしのヴァージニア(ブランド作曲)
   オーラ・リー(プールトン作曲) その他
        ソプラノ    : 岩淵裕子  高崎邦子  高橋順子
        メゾ・ソプラノ : 水谷敦子  山田恵子
        アルト     : 芝田貞子  嶋田美佐子
アルプス音楽団 楽しいアルプスの世界にようこそ
      狩人のポルカ、クフシュタインの歌   双頭の鷲の旗の下に
      アルプホルン3重奏  雪のワルツ(クーグロッケン演奏)その他
      竹田年志:トロンボーン 栗田真帆:メゾ・ソプラノ
      藤井裕子:トランペット 浦松優子:アコーディオン  
      本間雅智:チューバ
みなさまとご一緒に 「青い空は」  小森香子詞 大西進曲 
司会:長岡幸子 
【主 催】平和のためのコンサート実行委員会
【後 援】アンサンブル・ローゼ  ノーモア・ヒロシマコンサート
     ストップ・ザ・バイオハザード 国立感染研究所の安全性を考える会
     バイオハザード予防市民センター
【平和のためのコンサート実行委員会連絡先】
〒162-0052 東京都新宿区戸山1−18−6 芝田貞子 
TEL&FAX:03−3209−9666 E-mail : snc66543@nifty.com
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(続く)

【平和のためのコンサート、歴史的焦点】第18回 平和のためのコンサート(2)

2017-05-02 22:56:22 | 政治・文化・社会評論
【平和のためのコンサート、歴史的焦点】
第18回 平和のためのコンサート~芝田進午 十七回忌によせて~(2)
            
                  櫻井 智志
(承前)
----------構成----------------------
  (序) 
  (1)第18回平和のためのコンサートの概要
◎ (2)平和のためのコンサートの通史
  (3)芝田進午氏がもしも現在生きていらっしゃったら
  (まとめ)
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この項目は、かなり厖大なスペイスを割くことがあきらかとなった。
第一回から第十七回までの全ての小生の書き留めはない。それでもほぼ第八回から十七回についてなんらかの記述がある。
したがって、この項目の名称を【平和のためのコンサート、歴史的焦点】とし、執筆毎にローマ数字のⅠ、Ⅱ・・を付すことにさせていただいた。

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【平和のためコンサート、歴史的焦点】【Ⅰ】 第8~12回
「平和のためのコンサート」と芝田進午夫妻(2008〜2011)
2011/6/19

 2011年の6月11日に、12回目の「平和のためのコンサート」が行われた。早いもので、このコンサートが開始されてからもう十二年の歳月が流れた。手元に、インターネットに投稿した中で集められた範囲内だが、第八回から今回までのコンサートについての随想がある。2008年、第八回のコンサートからの書き溜めた文章を提示する。そのことを通して、このコンサートの意義を探りたい。さらに、主宰者の故芝田進午氏と、芝田氏亡き後に運営を受け継いだ声楽家でもあるご夫人の芝田貞子さんとの、持続するご努力とをたどってみたい。

一  今も生きる芝田進午氏の平和希求の思想

 「週刊金曜日」誌の市民運動案内板に五行の短い案内があった。
会場は、東京都・牛込箪笥区民ホール。「平和のためのコンサート 芝田進午七回忌によせて」。このコンサートは毎年行われて今年が第八回となる。関係者の間では、チケットの普及の様子を危ぶ時期もあったようであるが、会場はぎっしりと埋まっていた。昨年よりもはるかに多かった。コンサートは、東京で一九九五年まで十年間続いたノーモア・ヒロシマ・コンサートを継承する第一部と多彩な音楽家が演奏した第二部から編成されていた。
 わけてもチェルノブイリ原発事故で一九八六年に被曝したウクライナ生まれのパンドゥーラ奏者のナターシャ・グジーさんが第二部に特別出演された。このことは、アメリカの原発もロシア・旧ソ連の原発も共に、「人類絶滅装置体系」としての核兵器の巨大な問題の存在を思想史的に位置づけた芝田進午氏が、「人類生存のための哲学」の構築を晩年に訴え続けた趣旨にとてもふさわしい出演であった。音楽的にも素晴しかった。
 ヒロシマに落とされた原爆が、世界的規模の核時代の始まりであり、そのような時代において人間はいかに生きいかに立ち向かうか。そのことを洞察して、ノーモア・ヒロシマ・コンサートを始めたのが、平和哲学者芝田進午さんとご夫人で声楽家の芝田貞子さんだった。
 私にとり、今回話された二人の講演にとても得るものが多かった。音楽家の木下そんきさんは、ノーモア・ヒロシマ・コンサートを主宰した芝田さんが、論理の帰結に誠実であった生きる姿勢を讃えた。戦前に、大学の講壇哲学に所属して、社会的実践に踏み出すか否かを迷っていた古在由重氏は、親友の吉野源三郎氏と真剣に討論した結果、自らが正しいと論理的に判断した結果には、いかなる困難があっても、その労苦に耐えて一歩踏み出すべきだ、という助言を取り入れた。戦前の激動を生き抜いた両氏とまったく同じ生きる姿勢を、芝田進午氏は戦後に生きて活躍された実践的知識人として貫かれた。
 弁護士の島田修一さんは、「憲法第九条を守る意味」について述べられた。 戦後に制定された日本国憲法は、三つの国家像として平和国家、福祉国家、人権国家の論理を内包している。それに対して改憲勢力の中枢の自民党憲法改定案の示す国家像は、戦争国家、福祉切り捨て国家、人権抑圧・制御国家である。
 この対比は、十五年戦争に至る時代と戦後の憲法制定前後の時代との対比に照応している。当時、人間の尊厳をかけて多くの若者たちが立ち上がっていた。
 現代の日本は、心がぼろぼろにされ、個々人がバラバラにされているけれども、全国に広がる九条の会などのように、人間の尊厳をかけた若者や人々達がいることも私たちの実態であることを強調された。コンサートを鑑賞して私は島田さんが引用した言葉、「戦争は人の心の中につくられるものであるから人の心の中に平和の砦を築かなければならない」が深く心に響いていた。ユネスコの宣言にも採用されたこの言葉は、あの平和哲学者カントの言葉でもある。
 芝田進午氏は、晩年に実践的唯物論哲学の原則は堅持しつつも、人類存続のための平和の哲学構想を抱いていた。先生のご逝去からわずか数年にして、これだけ急速な短期間に日本が軍拡国家となりはてようとは。死者に魂があるかどうかは無神論者の私には自信がないけれども、死者の平和への深い祈りを、決して無にしてはならない。さもなくば、日本国家ならびに日本民族は永久の地獄へと沈んでゆくことであろう。死者の遺志を現在に生かすには、どのような方途が残されているか。
 まだまだ私たちは死者の声に耳を傾けなければなるまい。そうしていつか、本当に死者の霊を弔うことができるとしたら、それは日本が世界に誇るべき戦力放棄の平和国家となった独立の日においてはない。

二 2008年、今年も「平和のためのコンサート」がやってくる

 ノーモア・ヒロシマ・コンサートを主催し、核時代における人類生存の哲学を探究した芝田進午さん。芝田さんが胆管ガンで志なかばでご逝去されてからも、この平和のためのコンサートは、夫人の芝田貞子さんを中心とするコンサート実行委員会によってずっと絶えることなく続いてきた。
 今年も六月十四日(土)午後二時開演で、東京都新宿区の牛込箪笥区民ホールにおいて開催される。第一部と第二部に分かれ、一部はコンサート、二部は作家の梁石日(ヤン・ソギル)さんの講演。
 第一部では、声楽家でもある芝田貞子さんもメンバーのアンサンブル・ローゼによる童謡やサウンドオブミュージックの重唱。信田恭子さんのヴァイオリン独奏。島筒英夫さんによるピアノと語りの二重奏。島筒さんご自身の作曲で、「ちいちゃんのかげおくり」「かさじぞう」。最後は会場全員によるシングアウトで「翼をください」。
 第二部では、週刊金曜日でも小説を連載中の梁石日さんが、「在日コリアンの現在」を講演なさる。梁さんは、1936年に大阪府で生まれた。『血と骨』で第11回山本周五郎賞を受賞、百万部突破のベストセラーとなった。他に『夜を賭けて』『Z』『断層海流』『族譜の果て』『子宮の中の子守歌』『闇の子供たち』など。近著に『カオス』がある。
 一時半会場、二時開演。会場の牛込箪笥(たんす)区民ホールは、都営地下鉄大江戸線で牛込神楽坂駅A1出口徒歩0分。東京メトロ東西線なら神楽坂駅2番出口徒歩10分。全席自由で2200円。主催は、「平和のためのコンサート実行委員会」。後援は、アンサンブルローゼ、ノーモアヒロシマコンサート、ストップザバイオハザード国立感染研究所の安全性を考える会、新井秀雄さんを支える会、バイオハザード予防市民センターの諸団体が広く支えている。

三 芝田進午氏の遺志を継ぐコンサート(2009年)

 6月20日に平和のためのコンサートが開催される。会場は新宿区の牛込箪笥区民ホールである。詳細はさざ波通信伝言欄に投稿して掲載していただいたので、重複は避けたい。
 アメリカのオバマ大統領が核兵器廃絶の声明を出した。それよりもはやく数十年前に、法政大学、広島大学などを歴任した社会学、哲学教授の芝田進午さんは、「ノーモア・ヒロシマ・コンサート」を東京と広島で別個に十年間以上も開催してきた。このコンサートに取り組んだ芝田さんご夫妻は、国立予防衛生研究所(現在は国立感染症研究所と改名)が新宿区戸山に強行移転して、住民の住宅や大学などが密集する住宅街で実験を強行し続けてからは、ずっと実験差し止め裁判闘争に地元住民の原告代表として闘い続けた。
 道半ばにして、第一審の判決がおりる頃に、わずか二か月前に、胆管がんによって芝田さんは、周囲の悲嘆の中で御逝去された。まだ七十才を超えたばかりの悲報であった。
 芝田さんの志を次ぐひとびとは、「平和のためのコンサート」を開催し続けた。今年はちょうど祈念すべき第10回となった。
 核兵器廃絶も、人類にとって緊急の課題である。同時に生物兵器実験など生化学の分野における実験によって、今まで自然界になかった生物が安全性を無視して世界各国で繰り広げられたなら、自然の生物連鎖や自然界の調和はとんでもない事態に至る。芝田さんが生物化学災害としてバイオハザードの危機的事態を懸念して、最後は最高裁にまで及ぶの国家権力を問う裁判闘争に、今までのすべての研究課題を棚上げして取り組み続けた事実
 このことは、東京地裁判決前に芝田さんがなくなり、その後の最高裁において敗訴し、その数年後の現代、思わぬ被害となって現実のものとなった。
 メキシコから始まった豚ウイルスによるインフルエンザの世界的流行は、自然界からおきたインフルエンザではなく、さまざまな憶測を呼んでいる。ひとつだけ確実なことは、核兵器によるジェノサイドにとどまらず、バイオハザードによる重大な被害が現実のものとして国境を越えて、世界中の民衆にとって重要な克服課題となったことである。
 「平和」がいまこそ改めて問われている。今回の記念的コンサートでは、原爆資料館を統括する広島平和文化センター理事長のスティーブン・リーパーさんが、日本語で記念講演をしてくださる。
 私は、芝田進午さんが御逝去されてからも、この平和のためのコンサートを聴きづけてきた。それは、このコンサートが、聴く者に大きな感動をもたらしてくれるからである。さらに、芝田さんが訴え続けた「人類生存のための哲学と文化」について改めて自らの問いとして考えさせられる、祈りに似た沈黙の言葉にふれるからでもある。

 四 よみがえる芝田進午さんの反核平和文化の闘い (2010年)

 哲学者であり、社会学者でもありつつ、思想家としても大きな足跡を残された芝田進午さん。氏が逝去されたことはその独自の創造的な学問が閉ざされることで、大きな痛手であり、なおかつ損失でもあった。
 しかし、芝田進午氏がご逝去された後も、氏の社会的実践は明確に跡を継承するかたがたがいる。
 ひとつは、住宅密集地の新宿区戸山に移転を強行した国立感染症研究所の実験差し止め裁判を、芝田さん亡き後も最高裁まで上告し闘い続けた裁判の会の皆さんたちである。
 そしてもうひとつ。「平和のためのコンサート」である。今年も芝田進午氏夫人である芝田貞子さんが芝田先生の遺志を継承して、今年も第11回平和のためのコンサートを、6月12日(土)に新宿区牛込箪笥区民ホールで開催される。詳細は「平和のためのコンサート」ホームページにくわしい。
 私はほぼ毎回このコンサートを広く世間の皆さんに知らせたいと思い、記してきた。
 だが、それはコンサートの告知作業を目的としているわけではない。実践的唯物論哲学を構築され、さらに人類生存のための哲学をめざす途上でご逝去された芝田哲学を、亡くなった後も、その実践面で継承し続けるかたがたがいる、という事実。  私自らは、バイオハードを予防し阻止するための社会運動に加わってはいない。平和のためのコンサートにも、いわば傍観者のひとりである。
 だが、学生時代に著作に感動して、別の用事でご自宅を訪問して、じかにお会いしてから、芝田進午さんのおひとがらに、氏の著作『人間性と人格の理論』が目指した理論と同様に、解放された人格をひしひしと感じた。 芝田氏自らが「唯物論を体現したとしたら戸坂潤という人格となる」と紹介されたように、「人間性と人格の疎外から解放された人格」を体現した人間像として、芝田さんご自身が該当されよう。同様の趣旨のことを、氏を直接知る多くの良心的知識人や実践家がおっしゃるのを聞いた。
 今回も「平和のためのコンサート」がやってくる。それは、芝田さんの平和的文化運動を継承し続けている存在が健在であることの証である。私は、できるかぎりこれからも、このコンサートの意義を伝えようと考えている。
 毎回コンサートの前の第一部は講演がなされてきた。今年は、お二人の朗読とともに詩人橋爪文さんの講演『広島からの出発』である。

五 福島原発事故の情勢下での2011年「平和のためのコンサート」開催

 哲学者にして社会運動家でもあった芝田進午さんは、1980年代という今からさかのぼること30年前後に、著作『核時代Ⅰ思想と展望』『核時代Ⅱ文化と芸術』(青木書店)で重要な問題を提起されている。「核という火の暴力」によって殺され冒?された人々としての被爆者、「核によってつくられた日の暴力」によって殺され冒?された人々としての被曝者を区別した。さらに「死の灰」を体内に吸収され、遺伝的影響は予測できない、全世界の潜在的被曝者は全人類と及ぶとして、「ヒバクシャ」ローマ字の「HIBAKUSHA」としての人間存在を提起していた。そうして、学問と芸術、思想と社会運動の全面にわたって総合的な具体的展望を示された。
 それから30年。2011年3月11日に、日本では、被爆者の悲劇から被曝者の発生と「ヒバクシャ」の顕在化と事態は容赦ならない事態が発生した。今日驚くことは、もし東日本大震災なみの地震が、現在国立感染研究所が立地している新宿区戸山の土地に影響を与える地震規模だった場合に、福島原発事故に匹敵するほどの実験用微生物細菌類は、実験施設の枠組みから飛び出し漏れ出して、周囲の住宅街や施設、学園等をはじめ恐るべきバイオハザード(微生物被害)によるバイオサイド(生化学細菌等による人類自然への壊滅的破壊被害)をひきおこしたであろう。
 芝田進午さんは、住宅密集地における危険な微生物細菌の実験施設の強行移転阻止の裁判闘争の原告団代表として闘いの先頭であり中心になり闘い続けた。 その先駆的予見は実に見事な展望と闘争であった。
 道なかばにして、芝田さんは胆管がんによって惜しまれる中をご逝去された。
 しかし、ノーモア・ヒバクシャとノーモア・ヒロシマ・コンサートは、芝田さんの死後も、音楽家・声楽家である夫人の芝田貞子さんを中心に、「平和のためのコンサート」として欠かすことなく毎年開催され続けてきた。
 毎回芝田貞子さんが属するアンサンブル・ローゼは芝田貞子さんを支援し、後援団体の一翼を担い続けるとともに、毎回素敵な声楽を披露し続けてこられた。
 ノーモア・ヒロシマ・コンサート、ストップ・ザ・バイオハザード国立感染研究所の安全性を考える会、バイオハザード予防市民センターは、核と環境破壊、危険な生化学実験と闘い続けた芝田さんの遺志を尊重し応援し続けてこられた。
 毎年続くとマンネリ気味になるのが、継続する催し物であるけれど、このコンサートは全く異なる。日本国内で自国民による原発事故を発生させるとともに、日本国民の多くがヒバクシャとして危機にさらされている中での平和のためのコンサートである。さらに芝田進午さんが道半ばにして斃れたけれど、そのご遺志を継承するたいせつな集いともなっている。
 今年も六月十一日(土)午後二時開演で、東京都新宿区の牛込箪笥区民ホールにおいて開催される。
◆  ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆
 6月11日の第12回「平和のためのコンサート」は、客席が足らず、椅子を用意して立ち見客に提供するほどの満員の盛況だった。私は毎年見てきたが、このような立ち見席のお客のために途中で椅子を用意したことはなかったと記憶している。
 若い年代の聴衆もかなりいて、大学生や若手勤労者にも支持層が広がっているように想えた。年代は各層にわたり、会場には、芝田進午先生の最後の闘争「感染研実験差し止め裁判闘争」を闘われた学者や知識人、支援のかたがたや「芝田ゼミ」(法政大、広島大、社会科学研究セミナー)で学ばれた多くの方々のお姿も拝見した。
 例年は、一部と二部とあって、講演が入っていたが、今年は講演はなかった。神田甲洋さんの講談は、講談の域を超えて、鋭く「広島、長崎、そしてピース」というタイトルのもとに聞き応えのある平和についての内容のある講談をなされた。もともとの講談師でなく、早稲田大学の政経学部から弁護士となり、社会人として仕事のかたわら、講談にトライして、神田山洋さんの弟子になった。
 さらに、コンサート主宰者の芝田貞子さんが属するアンサンブル・ローゼの活躍が目立った。またほかの音楽家の演奏のレベルが高かった。中国音楽の演奏家も味わいある演奏陣だった。メゾソプラノ歌手江川きぬさんの指揮するグループの合唱も心地よかった。
 充実した音楽鑑賞を聴いてから、ご長男の芝田潤さんに芝田貞子さんへの伝言をお願いして会場をあとにした。

 むすびにかえて

 東日本大震災を経て、日本政府菅直人民主党連立政権がいかに危機的事態に無力であるかを露呈した。芝田ご夫妻の取り組みは、大地震と国立感染症研究所との大規模な危険性を改めて照らし出した。さらに、福島原発は、福島県内どころか東京都周辺からの汚泥からの高い放射能物質の数値の結果や東京都から以南の遠く静岡県の農作物に及ぶまで、まさに日本全国的規模の「ヒバクシャ」としての日本国民・居住民族・外国人への被害を浮き彫りにした。核兵器廃絶をよびかけ、生物細菌実験施設の住宅街における高度の危険性をよびかけた芝田進午氏の先見の明と、芝田氏を支え続けて今も継承している貞子夫人の意義深い継承の実践は、今日誠に輝かしい意義ある光を放ってやまない。 (続く2017/05/02)

第18回 平和のためのコンサート ~芝田進午 十七回忌によせて~(1)

2017-05-02 19:25:38 | 政治・文化・社会評論
第18回 平和のためのコンサート 〜芝田進午 十七回忌によせて〜(1)
            
                  櫻井 智志
(承前)
----------構成----------------------
 (序)
◎(1)第18回平和のためのコンサートの概要
 (2)平和のためのコンサートの通史
 (3)芝田進午氏がもしも現在生きていらっしゃったら
 (まとめ)


(1)第18回平和のためのコンサートの概要
 (この(1)は、「平和のためのコンサート」パンフレットに沿ってお伝えします。)





“平和のためのコンサート”開催によせて

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 第18回目となる“平和のためのコンサート”を今年も開催することとなりました。

 世界中で不寛容の嵐が吹いています。アメリカでは分断を煽るトランプ大統領が誕生し、ヨーロッパでも排外主義を掲げる政党が勢力を伸ばしています。日本では、戦争法を作り、共謀罪の制定を目指し、憲法改悪を狙う安倍内閣が長期政権を築いています。日々、暗いニュースに接していると、落ち込むばかりですが、私たちに出来ること、やらなければならないことも多くあるので、落ち込んでばかりではいられません。

 今年の平和のためのコンサートは「芝田進午十七回忌によせて」とさせていただきました。厳しい局面でも、常に笑顔を絶やさず、真っ直ぐ前を見つめておられた芝田進午先生が生きておられたら、平和を諦めてはいけないと、優しく励ましてくださったことでしょう。

 第一部では、元広島平和文化センター理事長のスティーブン・リーパーさんに講演をお願いしました。「核−禁止と平和への道−」と題してお話いただきます。

 ぜひ、周りの方々、とりわけ若い人たちにも声をかけていただき、平和のためのコンサートに足を運んでいただきますよう、お願い申し上げます。
              2017年(核時代72年)
              平和のためのコンサート実行委員会
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2017年6月10日(土) 午後1:30開演(午後1:00開場)
料金 ¥2,200(全席自由)

会場:牛込箪笥(うしごめ たんす)区民ホール
都営地下鉄大江戸線 牛込神楽坂A1出口 徒歩0分
東京メトロ東西線 神楽坂駅2番出口 徒歩0分

主催  平和のためのコンサート実行委員会
後援  アンサンブル・ローゼ  ノーモア・ヒロシマ・コンサート
    ストップ・ザ・バイオハザード国立感染症研究所の安全性を考える会
    バイオハザード予防市民センター
お問い合わせ TEL/FAX 03-3209-9666 芝田
 
①第18回平和のためのコンサート〜芝田進午 十七回忌によせて〜

第一部 講演 スティーブン・リーパー(Steven Leeper)
       「核禁止と平和への道」
スティーブン・リーパーさん(Steven Leeper)のこと:
 1947年米国生まれ。
 翻訳家、平和運動家を経て2002年平和市長会議米国代表。  
 2003年(公財)広島平和文化センター専門委員、2007年米国人として初 めて同センター理事長に就任(〜2013年)。
 全米における原爆展開催、核兵器廃絶を目指す「2020ビジョンキャンペーン」など広島から世界に向けて核兵器廃絶を訴えてきた。
 現在広島県に「平和文化村」を開設。「豊かさを問う交流の場」として持続可能な平和を実践するモデルを国際社会に示そうと活動中。
 広島女学院大学、長崎大学客員教授。
       
第二部 コンサート
【重唱】   アンサンブル・ローゼ(ピアノ:末廣和史)
        〜イギリス地方のメロディ〜
       ♪スコットランドの釣鐘草  スコットランド民謡
       ♪埴生の宿         H.ビショップ作曲
       ♪ロンドン橋        イギリス童謡
       ♪春の日の花と輝く     アイルランド民謡
       ソプラノ:池田孝子 斎藤みどり 高橋順子 渡辺裕子
       メゾ・ソプラノ  :芝田貞子 高邦子
       アルト      :嶋田美佐子
【マリンバ独奏】水野与旨久(ピアノ:水野喜子)
       ♪チャルダス
       ♪ただ憧れを知るものぞ
       「ラテン名曲」より
       ♪マリア・エレナ  ♪エル・クンパンチェロ
【テノール独唱】狭間 壮(ピアノ:はざま ゆか)
       ♪無縁坂   ♪リリー・マルレーン
       ♪一本の鉛筆 ♪死んだ男の残したものは  他
【会場の皆様とご一緒に〜シング・アウト】
       ♪「青い空は」小森香子 作詞/大西 進 作曲
司会     長岡 幸子

-----------《続く》-----------------------------------------
写真:牛込箪笥区民ホールコンサート会場アクセス略図