幸せに生きる(笑顔のレシピ) & ロゴセラピー 

幸せに生きるには幸せな考え方をすること 笑顔のレシピは自分が創ることだと思います。笑顔が周りを幸せにし自分も幸せに!

阿川佐和子さん「サワコの朝 五木ひろしさん」 "努力を続ける”

2017-09-16 08:10:22 | 生き方/考え方
歌手。69歳。五木ひろしになってから47年。キーは変っていない。
風邪も引かない。病気もしない。両親に感謝です。

歌謡界の重鎮。
五木寛之さんの五木から。ペンネームがひろしから。
1948年、福井県生まれ。5年間ヒットに恵まれなかった。
「よこはま・たそがれ」でヒット。4つ目の芸名。
レコード大賞2回受賞。悔しさを力に変えてきた、五木さんの情熱にサワコさんが迫る。

デビュー53年。マイクは左手。右手はこぶしが五木さんのスタイル。事務所がキックボクシングだった。空手をやっていた時期もあり、スパークリングをやっている姿が、自然とスタイルになった。そのスタイルの完成版は「夜空」だった。

「よこはま・たそがれ」を初めて聞いて、これは僕が歌わなくても売れるなと思った。よこはま、たそがれ、ホテルと単語が続いている。
いきいきとした伴奏に乗って、歌にうねりがあった。演奏を聴きながら歌う時代だった。機械的でなかった。

1曲目。当時ラジオから流れてくる流行歌。美空ひばりの「リンゴ追分」。
たまたまおふくろが入院していて見舞いに行った。見舞い品に輪ゴムが巻いてあり、輪ゴムを弾きながらそれを歌った。看護師さんたちが僕の歌を楽しみにしていた。
ラジオで聞く。それがすごいことだった。楽譜もなく、ラジオを聞いて、歌詞を筆記した。2番目は1番目の歌詞で歌った。歌詞を書き留めて歌を覚えた。それが3,000曲が歌えるようになった。こんなに上手い子がいるのだから都会に行かないと見つけてくれないと思って、中学校を卒業したら、京都に行った。コロンビアの大会で賞を貰い、17歳でデビューした。

八代亜紀さんと熾烈な賞レース。八代亜紀さんのバックで演奏していたことがあった。八代亜紀さんは僕に喜んで欲しかった。それが悔しかった。ベスト10が始まって、それに出ることを目標にした。「長良川演歌」でよく出た。
リクエスト手紙で造った階段をはだしで登った。
母のために建てた福井の豪邸から衛星中継で出たことも。
アイドル全盛時代は、歌がどうかなと思う人も。上手いか下手かではなく、良い歌かどうか。ジャンルが違う歌手が一緒だから面白かった。皆が一つになった歌番組。
お父さんが出ていって、母が子ども4人を育てた。だからそんなことにならないようにしたいと思った。苦労する母を見たから今がある。それがなければこんなに苦労しなかった。子どもから「お父さん頑張ってくれてありがとう」と言われるとウルウルしてしまう。妻には女優業を諦めて嫁に来てくれたので、そのためにも頑張りたいと思った。船村先生の歌を聞いて欲しい。女囚が刑務所を出て逢いたいと思う歌を紹介した。
「ここから出たら母に逢いたい。同じ部屋で眠ってみたい。そしてそして泣くだけ泣いて、ごめんねと思いっきりすがってみたい」
あらゆる自分と重なるものがある(サワコ)。
流行歌を作られた人が亡くなって逝かれる。その歌を引き継いでいきたい。

2曲目は井上陽水さんの氷の世界の中に「人生が二度あれば」がある。
「人生が二度あれば、この人生が二度あれば」
今度もう一回あれば、自分の人生の幸せを考えて欲しい。子が親に対する思い。

感想
やはり努力を続ける。
どれだけそのことに時間をかけ続けるか。
それが必要なのでしょう。

苦手、知らない、出来ないは、それに時間をかけていないからのように思います。
音痴で、歌っていて自分が外れていることも分かりませんでした。
せめて、人並みに歌えるようになりたいと思っていました。
あるとき、「ボイストレーニングから歌の基本から学びます」とのカラオケ教室がありました。
きっと、音痴の人もいるだろうと思って参加しました。
ところが上手い人がもう一度ボイストレーニングをしようと思う人がほとんどでした。
もう一人、私のような人もいました。一人でないのは心強かったです。
どっちみち、私のことを知らないからと思って続けました。
1曲を3回で仕上げるのですが、2回目からは皆の前で歌います。
カラオケボックスで練習しました。一人なので12回/1時間歌えます。
歌が外れているかどうかわかりません。
当時採点機が入り出した頃で、今みたいにどう外れているかはわからず、点数だけでした。
それでも、何度もテープを聞いて、歌って点数を上げるようにしました。
カラオケ教室250時間、カラオケ一人250時間を過ぎた頃から、ようやく歌っていて、自分が外れていることがわかるようになりました。
何とか、人前でも歌う勇気だけは持つことが出来るようになりました。
時間をかけるとある程度までは行くのだと体感しました。