幸せに生きる(笑顔のレシピ) & ロゴセラピー 

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「嫉妬と自己愛 『負の感情』を制した者だけが生き残れる」佐藤勝著 ”いろいろ考える機会に”

2017-09-03 09:03:33 | 本の紹介
・キリスト教で説く愛は、
 「隣人を自分のように愛しなさい(マタイ福音書22章29節)」
 自分を愛することは、他者を愛することの前提なのである。自分を愛することができない人が、他者を愛することなどできないというのが、キリストの愛に対する考え方である。しかし、自己愛を制御することはとても難しい。それは、自己愛が嫉妬と隣り合わせの感情だからだ。

・東郷和彦外務省欧州局長より
「さっき小寺(次郎)君に『君は平時ならロシア課長が務まるが、今は大変大事な時だ。君が努力したことはわかっているが、能力が及ばないんだ。だから代わってもらう。書類は既に人事課に出してある』と伝えましたと告げられた。
「小寺君が頭を抱えて、『佐藤が仕掛けたのですか?』と言うので、『いや、彼は関係ないよ。ただ、これからはいろいろ手伝ってもらうつもりが』と、つい話してしまいました。何かハレーションが起こるかもしれませんから、気を付けてください」
案の定、小寺氏は就任間もない小泉内閣・田中真紀子外務大臣にところに飛んでいき、「外務省がいかに鈴木宗男や佐藤優に食い物にされているか」を直訴したのでした。
その行動は奏功し、丸め込まれた田中外相によって、小寺氏はロシア課長に「復活」を果たします。一方、「鈴木宗男悪人説」を刷り込まれた田中氏は、宗男議員との対立を深めていきました。そしてよく2002年には「鈴木宗男事件」が勃発し、結果的に鈴木さんも私の逮捕、基礎されることとなりました。東郷さんも、当時務めていた駐オランダ大使を罷免され、退官をを余儀なくされてしまいます。
こんなことになった原因は多々ありますが、一人の男の「嫉妬心」と、それを増幅させてしまった「上司の一言」が一つの発火点になったのは、確かだと思います。
当時東郷さんは、小寺氏をこのように評価していました。
「官僚には四通りある。
①能力があり、意欲もある。
②能力があるが、意欲がない。
③能力がないが、意欲がある。
④能力がなく、意欲もない だ。
どれが最低かといえば、③の能力がないのに、意欲があるやつである。小寺は普段は④だが、時々③になるので困るんだ」
嫉妬に狂い、問題行動を起こすのは、まさにこの③のタイプの人間です。
それにしても、直属の上司にここまで思われていた小寺さんが、その後国連大使をやり、欧州局長を務めるのですから、外務省というのも相当「怖い」ところです。

・嫉妬に気付かないのは危険である。
 私は今でも、「あの時、東郷さんが小寺氏に対してあんな”切り方“をしたりせずに、もっと穏便にやっていればなあ」と思うことがあります。

・木谷有希子「腑抜けども、悲しみの愛を見せろ」
 世の中には、自己愛が肥大していて、他人の気持ちになって考えることが極度にできない人がいる。また、こういう人には嫉妬心も希薄だ。なぜなら、自分は特別な人間なので、周囲が自分の美しさや才能に嫉妬しているのであって、自分は嫉妬のような低劣な感情は持っていないと思い込んでいるからだ。

・自己愛が肥大化した人は社会との軋轢を起す。その場合、自分が社会を呑み込むか、社会に自分が呑み込まれるかという究極の選択を迫られることになる。後者の場合、社会
との関係を遮断してしまうという選択になるので、家族やパートナー以外の他者には、影響を及ぼさない。自分が社会を呑み込んでしまうことを試みる人は、他者とさまざまな軋轢を起す。その一つがストーカーだ。

・山内昌之「嫉妬の世界史」を推奨する。
 嫉妬を「他人が順調であり幸運であることをにくむ感情」と定義している。

・愛には三つの意味がある
1)エロース
 自分に欠けているものに対する渇望、熱望を指す。男女間の性愛にはエロースが伴う。 
2)アガペー
 神の愛や慈しみを指す。この言葉は、むしろ慈悲と訳した方が良かったかもしれない。
3)フィリア
 親友間の友情。自己充足している人は他者を必要としないので、フィリアは無縁である。柚木麻子著「ナイルパーチの女子会」にはフィリアをコントロールできない人間の悲喜劇を見事に描いた傑作である。

・人間にとって健全な自己愛が失うべからざるものであるのは、間違いないでしょう。それが歪んだ形で幅を利かせていないか。その典型の一つが引きこもりですね。彼らは他者との関係が決定的に欠けているので、自己愛がどんどんいびつな方向に向かっていくのです。(斉藤環)

・自己愛の強い人間は自殺はしない。できないんです。「死にたい」と口にする人間はけっこういる。その「自殺予告率」の高さの割りに、実際に死ぬ人は少ない。(斉藤環)

・会社や学校に通うことができる人でも、自己愛を歪ませている。キーワードは「非リア」です。友だちが少ない、女がいない、彼氏がいない。
彼女がいるか、カフェで食べる友だちがたくさんいるのか、という程度のリアル。それがいれば「リア充」
一方、非エリアの人たちは、引きこもり同様、他者との設定が脆弱ですから、メンタリティも似通ってくる。自信はないけれどプライドは高いので、「ぼっちキャラ」だと思われたくないために、大学のトイレの個室で昼食を取ったりする。(斉藤環)

・現代日本の若者たちの心を支配しているのは、とにかく他者から認められたい、という「承認欲求」なんです。(斉藤環)

・精神分析の世界では「嫉妬」をストレートに語るというより、「羨望」の感情を取り上げることが多い。どちらも対象は自分より上なんだけれども、羨望の相手のほうが低いというか、近いわけです。どちらも自己愛由来のもの。その羨望の感情が引き起こす「事件」の典型が、ネットの炎上なんです。自分よりいい暮らしをしていて、常々「おもしろくない」と感じていた人間が、目の前で「ミス」を犯してくれた。だからここを徹底的に叩いて引きずりおろそうと。(斉藤環)

・他人を罵倒してばかりいる人間は、だいたい自己愛が脆いか歪んでいると考えられる。(斉藤環) 

・自己愛は潰したり抑制したりする対象ではなく、肯定的に捉えた上でよりよくマネイジメントしていく必要があるのだという点が、あらためて整理できました。

・イエス・キリスト「口に入るものは人を汚さず、口から出ていくものが人を汚す」。つまり、「悪は言葉から生まれるのだ」と。

・人からやっかみを受けないために実践していた行動の一つ(竹村健一)
 「お願いことがある時には、必ず自分から相手の所に出向くこと」
 逆に自分よりも力が上の人間から「会いたい」と言われた場合は、「絶対に相手の許に行かない」。そこで丸め込まれてしまう危険性がなきにしもあらず。
もう一つ心がけていたことは、「人の悪口を言わないこと」です。

・嫉妬は薄れ、「自己愛」人間が増殖した。

・SNSの危険性 二つ
1)バーチャルな空間をリアルと勘違いすることによって誘発される、困った事態。アイドルのサイトを見に行ったのがきっかけで、勝手に相手に思いが伝わったと思い込み、ストーカー行為を繰り返した後に刃傷沙汰を起すなど。

2)それまでのPCメールとSNSの「文化の違い」が自己愛に悪影響を及ぼすこと。同じ文字のやり取りでありながら、従来のメールとLINEとでは、通信のルールが明らかに異なります。メールは、返信するのを気長に待ってもらうことが出来ました。しかし、LINEではそうはいきません。「スマホは、肌身離さず持っているだろう。私の送ったメールを読んだことも分かっている。さあ、返信してください」という世界。LINEはまるごとストーカー的なツールと言えるでしょう。この時、送った側の自己愛も聞きにさらされます。自分のメッセージを受け取ったにもかかわれず、なかなか返信が来なければ、プライドは大きく傷つくでしょう。バーチャル空間で生きているような若者だったらならです。

・(著者の)学生時代は叱られる時は先生の部屋に一人で呼ばれた。逆に褒める時には、先生はみんなの前で褒める。それが鉄則だと信じていた。ある時同じ職場の教授に「みんなの前で褒めるのはNGですよ」と耳打ちされた。みんなの前で褒める。すると「褒められなかった」人間たちが、「要領のいい奴だ」といった悪口をSNSで始めたりする。嫉妬というより、「あいつだけ持ち上げられるのはつまらない」といった感情なのでしょう。いずれにしても、結果的に褒めたはずの学生がいたたまれなくなってしまうというわけです。

・上司にたてつくのはご法度である。上司を無視するのはいけません。まして反抗したりするのは、サラリーマンにとっては自殺行為と言えます。複数の上司を無視したことが、職場を追われ、牢屋に入れられる一因になった私が言うのだから、これは確かです。会社などの組織において、下が上に勝てる確率は、限りなくゼロに近いからに他なりません。

・物事に動じない心は、いろいろな知識、教養を身につけることで養われる。知識や教養、理性によって感情をマネイジメントすることは可能なのです。

・健全な自己愛とは「自分が自分を大切にするように、他人も自分を大切に思っている。それを許容できる」こと。

感想
今まで嫉妬や自己愛について考えていませんでした。
嫉妬されないような、言葉と行動。
そして自分の行動がどのような自己愛で動いていたか、相手がどうなのかを知る上でとても参考になる本でした。