綺麗事に聞こえるかもしれないが、再起のきっかけさえあれば、人は変わる。
間違った方向へ人生が流れそうになったとき、自らの手にある“踏み止まれるもの”を自覚する者は幸福である。自分の人生をどう設計していくか。すなわち、私たちはどう生きたいか。一度道を外れて尚、現在は仕事で社会貢献する者たちの軌跡を追いかける。腫れ物だった彼らが這い上がるまでのドラマに、迫った。
間違った方向へ人生が流れそうになったとき、自らの手にある“踏み止まれるもの”を自覚する者は幸福である。自分の人生をどう設計していくか。すなわち、私たちはどう生きたいか。一度道を外れて尚、現在は仕事で社会貢献する者たちの軌跡を追いかける。腫れ物だった彼らが這い上がるまでのドラマに、迫った。
河原風子氏
増加の一途をたどる「対人関係に悩む子ども」
“みらい外来”――そう名付けられた小児外来が2022年6月に福岡県で誕生した。担当するのは、小児科医・河原風子氏。通常、小児科の診察は感冒症状などで訪れる患者が多いが、同外来には、不登校などの問題を抱えた子どもたちが診察にやってくる。
「SNSなどの発達でコミュニケーションの方法が多様化したこともあり、あるいは子どもも日常生活でストレスを抱えやすい状況があることなどによって、対人関係に悩む子どもは多くなってきていると思います。
器質的な異常が何もない子どもは、『お腹が痛い』『朝どうしても起きられない』と訴えても、『心因性』『起立性調節障害』と診断され、ひどい場合には学校などで怠け者扱いされてしまうことさえあります。当外来では、そうした”改善しにくい主訴”の裏側に焦点を当てて、根本的な治療を行いたいと思っています」
「親の過干渉」が子どもの自己肯定感を潰す
とりわけ河原氏が着眼しているのは、根底に「親との問題」を抱える子どもの存在だ。
「新しくできたこの外来にお子さんを連れて現れる親御さんは、本当にとても温かくて子ども想いの人が多いと感じます。ただ、実際には、親御さん本人さえ気付いていない過干渉によって、子どもの自己肯定感が潰されてしまっているケースもあるんです。
たとえば、『あなたはこれが向いている』と言って、子どもの自己決定の機会をことごとく奪うなどの行為は、良かれと思ってやっていても、結局は自分で決断できない子どもにしてしまう可能性があります。そうなると、子どもは親の評価軸でしか動けないので、親がどう思うかでしか判断がつかなくなるんです」
問題を根本から解決するには…
河原氏は、一見やってしまいがちなこんな親の行動にも警鐘を鳴らす。
「不登校になった子が、1日ふらっと学校に行ったとします。そのときに、親が過剰に喜んだり褒めたりすると、子どもにとっては逆効果かもしれません。というのは、先ほど話したように『親の評価軸』で生きている子の場合、その喜び方を見て『学校に行っているから親が喜んでいる、行かない自分は無価値なんだ』と思い込む可能性があるからです。
親が子どもに伝えるべきなのは、『どんなあなたでも大切だし、価値がある』ということであって、条件付きの愛情であってはならないのです。そうしないと、不登校が改善されたとしても、根本の原因は治らないままです。
ですから、私の外来では、子どもが登校したことを喜びたい気持ちは理解できるのですが、なるべくフラットに接してくださいとお伝えしています」
高校時代に恐喝で逮捕された…
高校時代の河原氏
親子の問題がその子の人生に大きな影響を及ぼすのではないか――。河原氏がそう考える理由は、自身の過去と深い関わりがある。
「私が医師になったのは30歳を過ぎてからのことです。それまでの生活はいわゆる不良少女でした。未成年飲酒、自転車窃盗は当たり前で、高校時代には恐喝罪で逮捕歴もあります。少年事件であっても罪の重い事件は逆送といって裁判を受けることになるのですが、私もご多分に漏れずその手続に乗りました」
河原氏が起こした恐喝事件は、説得しても水商売を辞めない高校時代の同級生に対して、「①全裸で山に捨てられる、②自ら命を絶つ、③毎月河原氏の口座にお金を振り込む」のいずれかの選択を迫るという、かなり悪質なものだ。そもそも友人のアルバイトを“管理”すること自体異様だが、河原氏は、過去の自分のこうした行為について思い当たる節があるという。
「私が医師になったのは30歳を過ぎてからのことです。それまでの生活はいわゆる不良少女でした。未成年飲酒、自転車窃盗は当たり前で、高校時代には恐喝罪で逮捕歴もあります。少年事件であっても罪の重い事件は逆送といって裁判を受けることになるのですが、私もご多分に漏れずその手続に乗りました」
河原氏が起こした恐喝事件は、説得しても水商売を辞めない高校時代の同級生に対して、「①全裸で山に捨てられる、②自ら命を絶つ、③毎月河原氏の口座にお金を振り込む」のいずれかの選択を迫るという、かなり悪質なものだ。そもそも友人のアルバイトを“管理”すること自体異様だが、河原氏は、過去の自分のこうした行為について思い当たる節があるという。
「管理をしたがる母」からの影響
「私は母子家庭で育ちましたが、母との関係性がよくありませんでした。母は何かにつけて私を管理したがる人で、『あんたは未成年で親の監督下なんだから自由にはできない』というのが口癖でした。私の交友関係にも当然に口を出しますし、好ましくないと母が判断した友人に『あなたと付き合って娘は不良になったから、今後は付き合わないで』と迫るのを聞いたこともあります。
高校時代の被害者には心から申し訳ないと思っていますし、すべてを母のせいにするつもりは微塵もありませんが、あの頃の私は紛れもなく母の影響を受けていたと思います」
「28歳で医学部に合格」した背景には恩師の存在が
家庭に閉塞感を感じ、逃れたいと思えば思うほど非行に走る生活。荒廃した学生時代において、光明が見えてきたのは恩師との出会いだった。
「私は喘息持ちで、小児科によく罹っていました。そこには女性の小児科医がいて、どんなに忙しくても必ず駆けつけてくれました。家庭に安心できる場所のなかった私にとっては、先生の存在が救いでもあり、頼みの綱だったと今になって思います。また、先生は私の非行事実を真正面から叱ってくれる厳しい顔も持っていました。
義務教育さえまともに受けず、19歳で子どもを宿した私ですが、『先生のようなお医者さんになりたい』という思いだけは持ち続けていました。それから、子育てと受験勉強、アルバイトに全力で向き合い、28歳で医学部に合格しました」
「不良だった」からこそ理解できる
親と子どもの問題を第三者的に診ていきたい
人生を折れ線グラフで表すとすれば、まさに乱高下。その気流をくぐり抜けた河原氏は、精神的な安定こそ人生にとって重要だと話す。
「幼い頃は、どうしても家庭がその子の土台にならざるを得ないと思います。しかし、昔の私やその他多くの非行少年のように、安定的な家庭に生まれた人ばかりではありません。私の場合は、家庭で得られなかった安心感を、恩師だったり異性だったりという外部に求めました。そういう土台ができて初めて、何かに挑戦してみようという意欲が沸き起こるのだと思います。
かつて不良として周囲に迷惑を掛けた私と不登校に悩んで外来にやってくる子どもたちは、一見真逆に見えるかもしれません。しかし、同根である場合が多いと実感します。どちらも親との関連性に問題を抱えているからです。一昔前に“毒親”という言葉が流行し、機能不全家族の問題が可視化されましたが、私は“優しい毒親”も存在すると考えています。
親の側もなりたくて毒親になっている人はいないし、不登校の子どももその状況に焦っていることがほとんどです。そうした親と子どもの問題を第三者的に診て、アプローチできる医師になること。それが今の私の目標です」
「幼い頃は、どうしても家庭がその子の土台にならざるを得ないと思います。しかし、昔の私やその他多くの非行少年のように、安定的な家庭に生まれた人ばかりではありません。私の場合は、家庭で得られなかった安心感を、恩師だったり異性だったりという外部に求めました。そういう土台ができて初めて、何かに挑戦してみようという意欲が沸き起こるのだと思います。
かつて不良として周囲に迷惑を掛けた私と不登校に悩んで外来にやってくる子どもたちは、一見真逆に見えるかもしれません。しかし、同根である場合が多いと実感します。どちらも親との関連性に問題を抱えているからです。一昔前に“毒親”という言葉が流行し、機能不全家族の問題が可視化されましたが、私は“優しい毒親”も存在すると考えています。
親の側もなりたくて毒親になっている人はいないし、不登校の子どももその状況に焦っていることがほとんどです。そうした親と子どもの問題を第三者的に診て、アプローチできる医師になること。それが今の私の目標です」
自分と似た思いをする子供たちに手を差し伸べたい
医師として日々業務に邁進し、依頼があれば講演や勉強会にも出向く。多忙を厭わない原動力は、「昔の自分との対話」だという。
「私の現在の活動によって、少しでも救われる人がいたとしたら、あの頃の自分がちょっとでも喜んでくれるんじゃないか……そんなふうに思って行動しています。極論は自分のためにやっているような部分があるんです。あの当時、私は本当に毎日が辛くて逃げ出したくて、どうしようもありませんでした。似た思いをしている子どもたちに手を差し伸べてあげられているとしたら、少しは報われる。そんな気がしますね」
満たされない思いを抱え、「助けて」さえ言えず彷徨った河原氏の学生時代は、誤った方法でしか自分を表現できなかった。翻って、登校という“当たり前”ができない落伍者の烙印を押され、大人から「助けて」を無視され続ける子どもたちは自宅で立ち往生している。
表出の仕方は違えど根っこで繋がる2つの「助けて」。同じ周波数を持つ者の耳にしか届かない声なき悲鳴を、今日も河原氏は拾い上げる。
<取材・文/黒島暁生>
【黒島暁生】
ライター、エッセイスト。可視化されにくいマイノリティに寄り添い、活字化することをライフワークとする。『潮』『サンデー毎日』『週刊金曜日』などでも執筆中。Twitter:@kuroshimaaki
感想;
刺青弁護士大平光代さんが頭に浮かびました。
組長の妻になっていた光代さんのことを心配していろいろ世話してくれた大平伯父さんのおかげで立ち直りました。
虐めで割腹自殺を試み、それから非行と・・・。
そういった少年少女の支援をされています。
人はいつからでもやり直すことができるのだと思います。
それだけの強い思いがあるかどうか。
遠見先生のことも頭に浮かびました。
同じ間違いをして欲しくなくて高校生に自分の体験を話しそして、医者を目指しました。
失敗体験、なくしたい過去の体験をずーっと悔やんで生きる人もいれば、それをばねに、自分の人生を見つめ直し、使命を感じて行動する人もいます。
その違いはできる能力云々ではなく、やりたいかどうかなのでしょう。
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