幸せに生きる(笑顔のレシピ) & ロゴセラピー 

幸せに生きるには幸せな考え方をすること 笑顔のレシピは自分が創ることだと思います。笑顔が周りを幸せにし自分も幸せに!

阿川佐和子さん「サワコの朝 石坂浩二さん」 "工夫しながら”

2017-09-23 08:18:48 | 生き方/考え方
加賀まりこさん、浅丘ルリ子さんと3人で対談したら大変。話が尽きると殴り合いかも(笑)。
美術品に造詣が深い。「ヨハネの首を持つサロメ」を購入した。展示会には無料で貸し出している。1,500万円だった。500万円だして、フジテレビに1,000万円借金して購入した。
昼ドラの王子様(やすらぎの郷)と今呼ばれている。

背中が76歳に見えない。
ヘルニアが消えた。吸収するようである。
俳優の石坂浩二。27歳の時に「天と地」で上杉謙信の主役に。
金田一耕助「犬神家の一族」の役。
博識ぶり「世界まるごとHowマッチ」

「やすらぎの郷」。一緒に施設に入っている人が、加賀まりこさん、浅丘ルリ子さん。やりにくかったのでは?
そんなことはない。浅丘ルリ子さんは演技が上手い。彼女から「へいちゃん、上手くなったのよ」と言われていた(サワコ)。ありがとうございます。
野際陽子さんと最後のやりとり。長いセリフをされて、こうやりましょうよと。その背景は二人しかわからない。
放送が始まって慶応の同窓会をやった。そうしたら、皆が良いね「木漏れ日の里」は。えっ?

1曲目、「ロミオとジュリエット」。中学生時代に音楽好きの扉を開いた道。
中学から慶応。幼稚舎から来た仲間が生意気だった。追いつくのに大変だった。

演劇に興味を持ったのは高校生の時。友だちが劇団を作っていた。民放が始まった頃で、友だちのお姉さんが民放に勤めていた。その縁で民放のドラマのエキストラをやっていた。近くで芝居を特等席みたいなところで見ていた。

「おかあさん」に出演。当時23歳。生放送でやっていた。ロケやっていたのは、スタジオで着替えるため。ジャンバーを着替えるのに着ていた。カメラが回ったので、ジャンバーを投げ捨てた。生放送中、ある人が台詞を忘れたら、カメラは他の人を映して、忘れた人は台本を見て思い出した。

初めてのものに多く出ている。
ウルトラマンシリーズにナレーションをした。
カラー放送になって衣装も本格化した。
テレビ白黒時代は女優のお化粧も違っていた。

石坂さんは金田一耕助の7代目。
原作を読んだ。和服だった。自分で着ないといけなかった。
金田一の「フケ」は石坂さん渾身のアイデア。
資生堂の美容部員に尋ねたら、きれいにするのにフケとか。でもアイデアを出してくれて雲母をフケ代わりにしたが、光っているので使えなかった。それでパン粉に砥の粉と混ぜて、乾燥して使った。私が考えて小道具の人に伝授した。何もないから想像力が養われた。

米軍に家を撤収された。米軍のスーパーに連れて行って貰ったら、「こんな明るいところがあるのか」と驚いた。その前は鬼畜米兵と言われて、マッカーサーやチャーチルなどの姿に石を当てたりしていたのが、米軍も同じ人なんだと思った。

倉本さんは台本通り?多くの人は台本通りを守る。語尾を“よ”、“わ”で役者が使い分ける。
声の出し方は「長調」と「短調」がある。これを使い分ける。

2曲目はショパン「ピアノ・ソナタ第3番」
台詞が覚えられない時、これを聴くとやる気がでてくる。
頭が混乱している時に、いいじゃないかと言ってくれる。
今一番興味があるのは数学。πは2億桁までいっても法則が出てこない。

感想
「演技が上手くなった」。
きっと、ずーっと努力をされて来られたからでしょう。
その時その時、精一杯されてこられたのだと思いました。
それがきっと今の石坂浩二さんを創って来たのでしょう。

できるかできないかよりも、取り組んで行くことなのでしょう。


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