語源を知ると、普段何となくそうかなぁ…と思っていたことの本質が見えてきてドキッとすることがあります。
今日取り上げるのもその一つ。
「羨(うらや)む」という言葉の語源をひもとくと、「うら」とは「心」で、「やむ」は、「病む」。
つまり「羨む」とは、「心」が「病む」ことをいうのだそうです。
身なりを整えるなどの「表」に対して、内側の心が「裏」ということですが、確かに!と思いますよね。
はからずも私は年に数回機会を頂く小学校での講話の際に、「自分を大切にするとは、『昨日の自分より今日の自分、今日の自分より明日の自分』と、自分の頑張りを自分で認めること」と話してきていました。
「他人と比べて自分より相手が上にいるように見えて自分はダメだと思ったり、相手の悪口を言うなどして陥れたりしても自分がいる位置は何も変わらない…。それって自分を大事にしていないよね」って…。
(もちろん誰か自分より上にいる人にあこがれて自分を頑張らせる力にするなど、前に進む力に変える場合は別ですが…)
何十年と話してきたことですが、それは「心を病ませたくない」という思いからだったのだ!と、その大切さを再確認できました。
ちなみに、「妬む」の「ね」は、「心根」の「ね」のことで、それが「痛む」ことをいうそうです。
「羨む」に「妬む」…。
あぁ!ダメダメ!!この年末、しっかり心をクリーニングして整えて、明るく新年を迎える準備をしなくっちゃ!!
さぁ、新しい一週間が始まりました!!
今週も笑顔でいきましょう^^
今日取り上げるのもその一つ。
「羨(うらや)む」という言葉の語源をひもとくと、「うら」とは「心」で、「やむ」は、「病む」。
つまり「羨む」とは、「心」が「病む」ことをいうのだそうです。
身なりを整えるなどの「表」に対して、内側の心が「裏」ということですが、確かに!と思いますよね。
はからずも私は年に数回機会を頂く小学校での講話の際に、「自分を大切にするとは、『昨日の自分より今日の自分、今日の自分より明日の自分』と、自分の頑張りを自分で認めること」と話してきていました。
「他人と比べて自分より相手が上にいるように見えて自分はダメだと思ったり、相手の悪口を言うなどして陥れたりしても自分がいる位置は何も変わらない…。それって自分を大事にしていないよね」って…。
(もちろん誰か自分より上にいる人にあこがれて自分を頑張らせる力にするなど、前に進む力に変える場合は別ですが…)
何十年と話してきたことですが、それは「心を病ませたくない」という思いからだったのだ!と、その大切さを再確認できました。
ちなみに、「妬む」の「ね」は、「心根」の「ね」のことで、それが「痛む」ことをいうそうです。
「羨む」に「妬む」…。
あぁ!ダメダメ!!この年末、しっかり心をクリーニングして整えて、明るく新年を迎える準備をしなくっちゃ!!
さぁ、新しい一週間が始まりました!!
今週も笑顔でいきましょう^^
感想;
妬むもそこに含まれるのでしょう。
比較することで生まれてくるのでしょう。
今あると感謝する気持ちが持てるかどうか。
つい、ないものを羨みます。
そしてあるものに感謝を忘れてしまいます。
あるものを失って初めて今まであったものの大きさを知ります。
こういうブログを読むことで、改めて意識させられます。
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