あけみさん(仮名)は小さい頃から真面目で頑張り屋さんでした。成績は優秀で、中学校ではバスケットボール部に所属し、地区大会で優勝したこともありました。高校1年生の時、体重がちょっと増えたことをきっかけにダイエットを始めるようになりました。最初はご飯を少なくする程度でしたが、徐々に食事を摂取しないようになり、体重はどんどん減少してしまいました。体力が落ちて、登校するのもしんどくなってしまい、ご両親と共に病院を受診されました。
初回の診察時、あけみさんの体重は平均的に必要とされる値を大きく下回っていました。まずは外来での治療が開始されましたが、体重はさらに低下。このままでは体が危険な状態になってしまう可能性があり、摂食障害ということで入院治療が始まりました。
入院後、それまでほとんど食べていなかったにもかかわらず、食事を毎回完食するようになりました。「早く退院したいから頑張って食べて治します」と話していましたが、無理をしているようにも感じられました。私との面接では、控えめで、気持ちをなかなか話してくれませんでした。ですので、最初は雑談をしたり、一緒に絵を描いたりして、あけみさんとの関係作りからスタートすることにしました。その一環で、箱庭を作成してもらったところ、真ん中にテーブルがあって、その上にケーキがぽつんと置かれている場面を作ってくれました。でも、それを食べる人はどこにもいません。どこか寂しげなその箱庭は、あけみさんの心の中をわかりやすく表現しているように感じられました。
頑張っても、頑張っても不安になってしまう
その後、1週間、2週間と経過しましたが、体重はなかなか増えません。実は、これはよくあることで、食べる量を増やしたからといってすぐに体重が回復するわけではないのです。それに、いきなり摂取カロリーを増やすことは体にとっても負担です。私は、焦らず、少しずつ体重を増やしていく必要があることをあけみさんに説明しましたが、なかなか納得してくれません。「そんなに頑張りすぎなくていいんだよ」とさらに伝えると、あけみさんは「そんなこと言わないで! 私は今まで物事を全部頑張って乗り越えてきた。だからこの病気も頑張って治すんだ!」と涙ながらに訴えました。あけみさんが感情をあらわにしたのはこの時が初めてでした。
ところが、その後も体重は少しずつ減少し、このままでは改善の見込みがないと判断されたため、あけみさん、ご両親とも相談し、鼻から栄養チューブを入れることにしたのです。この方法は身体的な状況が待ったなしの時に使用されるものです。確実に栄養投与ができ、食べる、食べない、という思いから解放されるというメリットがありますが、鼻から管を入れるのは苦痛が伴いますし、病気そのものが良くなるわけではありません。でも、事態が切迫してきた時はそんなことも言っていられません。あけみさんも最初は乗り気ではありませんでしたが、最後には早く退院できるなら何でもいい、と同意されました。その後、体重は徐々に増加していきました。
その後の私との面接では、気持ちを徐々に話してくれるようになりました。「私はこれといった特技もなくて、自分に自信がない。だから勉強も部活も頑張ることで乗り越えてきました。でも、頑張っても、頑張っても不安になってしまう」と言いました。ダイエットを始めた時も頑張って取り組みましたが、体は正直なもので、頑張れば頑張るほど体重が低下していきました。そうやって体重が減っていくことが生きる目標になっていたと言います。私は、あけみさんがそうならざるを得なかった気持ちに寄り添いながら、ご両親と看護師、臨床心理士、栄養士たちと協力して、チームで治療にあたりました。
通信制高校で様々な事情で入学してきた生徒たちと出会うように
あけみさんは、約3か月の入院治療を経て退院となり、早々に高校への登校を再開しました。勉強にも取り組むようになりましたが、頑張っても、頑張っても本人が望むような成績は得られませんでした。私やご両親は「そんなに無理しなくてもいいんだよ」と伝えましたが、「頑張らないと不安になってしまう」と言います。
夜遅くまで勉強しているせいか、朝起きることができず、学校を欠席するようにもなりました。食事も不規則になり、体重は再び減少していきました。なんとか2年生に進級したものの、出席日数が足りなくなり、通信制高校に移ることになりました。当初は、学校を退学することへの悔しさを泣きながら訴えていましたが、ご両親の支えもあって少しずつ気持ちを整理し、最後は吹っ切れた様子で「まあ、なんとかなります!」と話していたのが印象的でした。
転校してからは、様々な事情で入学してきた生徒たちと出会うようになりました。勉強は自分のペースで焦らず、無理せず取り組めるようになりました。そして、ずっとやってみたかったというアルバイトも始めるようになりました。いろいろな人に出会い、そのやりとりを楽しそうに報告してくれるようにもなりました。体重は一進一退でしたが、少しずつ回復し、健康的な生活を送ることができるレベルを維持できるようになっていきました。
転校して1年ほどたってから、それまでのことを振り返って「無理して生きていたな、と思った。頑張らないと皆から受け入れてもらえないんじゃないか、って不安でした」と明かしてくれました。そして、「自分は自分でいいのかも」と思うようになったといいます。この頃から面接では、将来何をして生きていくのかということがテーマになりました。
摂食障害の原因はよくわかっていませんが、あけみさんの場合は頑張りすぎるということも病気の成り立ちと大きく関係しているように感じられました。様々な人との出会いを通して、頑張らなくてもいい、ありのままの自分というものを徐々に受け入れていけるようになったことも、病気の改善に大きな役割を果たしたように思われました。
また、摂食障害は、食べる、食べないということが注目されがちですが、人にとって「食べる」とは「生きる」ことそのものであり、その意味では「どう生きていくのか」ということと深く関係してくる病気だと言えます。そんな視点も持ちながら治療や支援をしていけると良いのではないか、と思います。
(宮﨑健祐 精神科医)
宮﨑 健祐(みやざき・けんすけ)
1978年、岐阜県生まれ。大分大学医学部卒業。精神科医。弘前愛成会病院精神科医局長・外来医長。児童思春期の心の診療に長年携わる。2017年、日本児童青年精神医学会実践奨励賞。2024年、NPPR Topic Award 2023(日本神経精神薬理学会)。著書(いずれも分担執筆)に「現代児童青年精神医学(山崎晃資編著、永井書店)」「不安障害の子どもたち(近藤直司編著、合同出版)」「発達障害支援の実際(内山登紀夫編、医学書院)」など。
発達障害、不登校、ひきこもり、リストカット、摂食障害……。子どもの心の問題っていろいろあるけれども、一体どんなふうにケアしてあげればよいのでしょうか? 子どもの心の診療に携わる精神科医の宮﨑健祐さんが、子どもの心が元気を取り戻す方法を考えます。ここは予約なしでも大丈夫な、いつでもおいで「こどものこころ外来」。
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感想;
「ありのままの/今のままの自分を認める/受け入れる」
これができるかどうかなのでしょうね。
親からの期待、期待は有難いことですが、それが負担になると辛いです。
できる場合はよいですが、出来ない場合も多いです。
「頑張っている自分」を親は認めてくれ、「頑張っていない自分」を親は認めない。
そういう場合も、本人はきついかもしれません。
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