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政権は自信「逃げ切った」 桜を見る会、幕引き図る ”権力あると逃げ切れる? ないと逃げ切れない?”

2019-12-03 12:18:58 | 社会
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191203-00010006-nishinpc-pol 西日本新聞12/3(火)

 安倍晋三首相が「桜を見る会」の一連の問題について2日の参院本会議で答弁したことを受け、菅義偉官房長官は直後の記者会見で「さまざまな質問に丁寧に答えた」と述べ、首相は説明責任を果たしたとの認識を強調した。政権は、野党が求める衆参の予算委員会の集中審議に応じず幕引きを図る構えで、自民党幹部は「うまく逃げ切った」。だが、首相自身にまつわる数々の疑惑が晴れたとは言い難く、政権は新たな疑惑の発覚も警戒する。

 「国民の皆さまから批判があることは十分、承知している」「これまでの運用を反省し、全般的に見直していく」…。この日、首相は踏み込みを極力避け、のらりくらりとした答弁に徹した。質疑を見守った自民幹部は「これでもう、首相が国会で追及される場面も時間もないだろう」、公明党幹部も「野党は弱い。首相が逃げ勝った」と言い放った。

 これまで記者団の取材に「求められれば出席を果たすのがルール」と話し、表向きは国会で説明責任を尽くす姿勢を繰り返してきた首相。実際には与党が、一問一答形式で緊迫した攻防が展開される予算委の開催を強硬に拒否。参院本会議での首相の「説明」は、用意したペーパーを一方的に読み上げるにとどまった。

 支持率が低迷する主要野党にも、予算委を開かせる力はない。年明けの通常国会でも引き続き桜を見る会の問題を追及する姿勢を見せるものの、「『いつまで続けるつもりなんだ』という世論の批判が返ってくるかもしれない」(立憲民主党の関係者)との声もあり、迫力を欠く。

 政府、与党の関心は、廃棄したと説明してきた招待者名簿を巡る新事実などが出ないかに向きだしている。参加者の数が多く、関係省庁も複数にわたる問題だけに、政府関係者は「首相の説明と矛盾する文書や証言が出れば、政権が危機にさらされる」と話す。 (東京支社取材班)

感想
安倍首相の答弁が”丁寧”なのでしょうか?
もし丁寧なら、”丁寧な口調で”の言い方だけのように思います。
菅官房長官が”強調”したのは、それをしないと誰もそう思わないからでしょう。

公明党、平和の党と看板を掲げています。
結党以来のスローガン『大衆とともに』の精神(公明党のHPより)
「小さな声を聴く力」の活動を行っているとのこと。
公明党自身が”桜を見る会”のおかしな点を追求されないことは、是認していることになるのですが・・・。
創価学会を実質立ち上げ大きくされた、第二代会長 戸田城聖氏が国をよくするためには政治にも乗り出さなければならないと決意されました。
「人間革命」戸田城聖著をすべて読みました。
人々の幸せを追求するための活動をされてきたことが書かれています。
今の公明党の行動を見られたらどう思われるかなとつい思ってしまいました。

官僚や国家権力をすべて自分の支配下におけると何でもできてしまうのでしょうか?
・森友学園に国の財産8億円ディスカウント
・お友だちの加計学園に獣医学部認可と多額の助成金
・詩織さんの準強姦を犯し逮捕寸前を安倍首相のお友だちだからということで逮捕中止
・桜を見る会で税金を自分の後援会支援(税金を使った後援会に利益供与は罪にならない)と反社会勢力の人にPR支援(やくざと写真撮った芸能人が社会的に批判を)

全て逃れています。
一方、権力のない一般庶民は罪に! 最近では
・脱税の徳井さん
・合成覚せい剤の沢尻エリカさん
徳井さんも沢尻さんも安倍首相とお友だちでなかったのが致命傷でした。
お友だちなら、徳井さんは安倍首相から国税に手をまわしてもらってこそっと修正で済んでいたかもしれません。
沢尻さんは検察庁に手をまわし、操作中止の指示が行っていたかもしれません。

やったことはよくないことですが、それはその人の問題です。
税金などは国全体の問題です。
日本はおかしな国になってしまったような?
「学問のすすめ」福沢諭吉著
「愚民が愚政を生み出す」と書かれていますが、その言葉の重みを感じています。

https://www.sokanet.jp/info/president/toda/
第二代会長 戸田城聖先生

略歴・再建に立ち 創価の基盤を築く 創価学会公式サイトより
1900年(明治33年)2月11日、石川県生まれ。北海道での教員生活を経て上京し、初代会長牧口常三郎先生に師事した。1928年(昭和3年)、日蓮大聖人の仏法に帰依。1930年(同5年)、牧口先生とともに「創価教育学会」を創立し、理事長として教育改革、宗教改革に尽力。1943年(同18年)、宗教・思想の統制を図る軍部権力に検挙・逮捕され、2年余の獄中生活を強いられた。出獄後、「創価学会」と改称し、再建を開始。1951年(同26年)、第二代会長に就任して組織を整え、7年足らずで75万世帯に拡大した。この間、創価学会の平和運動の基礎となる「地球民族主義」の構想や「原水爆禁止宣言」を発表。1958年(同33年)4月2日、逝去した。主著に『推理式指導算術』、小説『人間革命』など。





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