http://digital.asahi.com/articles/ASH9N7CY3H9NUHBI03S.html2015年9月25日
マララ・ユスフザイさんがインタビューで朝日新聞とやりとりした際、マララさんの答え全文は以下の通り。
――あなたがノーベル賞を受けた後も、例えばボコ・ハラム(ナイジェリアの過激派)は女子生徒たちを誘拐し、人質にとったままです。今回の映画を通じ、女子教育をターゲットにする勢力に向かって何と言いたいですか。
今回の映画は私たち家族の物語、私たちがテロリズムによって影響を受け、それでも教育を受ける権利や平和のために立ち上がったさまを描いています。でも同時に確かなのは、これは私たち一家族だけの話ではなく、世界中の何百万人もの人たちの物語、教育を奪われた何百万人もの女の子の物語だということです。だからこの映画を通じて、人々の意識が向上し、今でも多くの子供、世界中で6600万人以上の女子が学校に通えずにいるのだということを思い起こしてほしいと願っています。この問題について人々の理解を助け、その解決策を見いだす助けになればと願っています。
――あなたを撃った者たちはイスラム教の正しい信徒だと自称していますね。今年1月には、シリアで過激派組織「イスラム国」(IS)に2人の日本人が殺されました。イスラム教の真の意味についてどう考えますか。
イスラムは平和の宗教です。イスラムという語自体が平和を意味するのです。問題はすべて、イスラムについての人々の異なる解釈、そしてそれがおのおのの目的と一緒にされてしまうことの方にあります。残念なことに、立ち上がって、これは正しくないと表明する宗教学者はあまりいませんし、これは真のイスラムではないと声を上げる人もあまりいない。私はできる限り努力して、イスラムが扱っているのは平和だということを言おうとしてきました。
イスラムは真実と兄弟愛であり、その教えの中では明確に、あなたがもし一人の人間を殺せば、それは人類全体を殺害することであり、逆にもし一人の命を救えばそれは人類全体を救済することだと説かれています。教育を受けることはあらゆる個人の権利であるばかりではなく、義務であり責任なのです。学び、知識を得て、教育を受けるべきなのです。残念ながら、自分たちが真のイスラム教徒だと自称している人たちがいますが、彼らはイスラム教についての真実の、正しい知識を持っていないのです。
正しいタイミングで声を上げることが大切です。もし声を上げなければ、事態はそのまま続きます。スワート渓谷(パキスタン北部、マララさんの故郷)でも、もし私が黙ってしまっていれば、父が黙ってしまっていれば、同じ状況が続いていたと思います。
――今年は被爆70年で、一方であなたの国パキスタンも隣国インドも核兵器を持っています。核というもの、あるいは兵器全般についてどう考えますか。
残念なことに、兵器は常に破壊をもたらします。人々を殺害し、破壊する。世界は兵器にお金を費やしすぎています。もし世界の指導者たちが、軍に費やす総額のわずか8日分だけでも支出をやめようと言いさえすれば、その8日分の額だけで、世界中のあらゆる子供が12年間にわたり教育を受けるための1年分を確保できるのです。だから世界の政治指導者たちが軍と兵器、戦争への支出を止めれば事態は実際に大きく変わるはずなのですが、彼らにとっての優先事項として決めてしまっているのです。
でも、私たちは戦いをやめず、彼らに対して、教育や保健衛生こそが人々にとって重要なのだと思い出させる必要があります。銃を製造することで人を助けることはできないのです。子供に銃を渡して、助けていることになりますか。私はこのお金を銃には使わず、代わりに学校や医療に使うと言うことこそ、その人を、その子供を助けることになるのです。
――オバマ米大統領に対して無人機の問題を提起したそうですが、それが理由ですか。
私が無人機攻撃の問題に触れたのは、無人機がテロリストを殺害できるのは確かですが、テロリズムを、テロリズムの思想自体を殺すことはできないからです。テロリズムに対してそれを止めたければ、あらゆる児童が質の高い教育を受けられるよう保証する必要があります。こうした人たちの多くは教育を受けておらず、職がなく失業中で、希望もないのです。そして彼らは銃を取るのです。子供たちに銃を取らせたくないのであれば、本を与えなければなりません。
変革はこれが歴史上初めてというわけではありません。努力が必要です。何度も何度もいう必要があります。いつかは彼らも耳を傾けざるを得なくなります。無視し続けることはできません。私を支持してくれる人が多ければ多いほど、私の声は人々の声になり、どんな指導者でも人々の声を無視できはしません。
――ノーベル賞を受賞したことで何か変わりましたか。
私はそれでも同じ私です。背の高さも同じで、体が変わったわけでもない。
でもこの賞がもたらしてくれたチャンスは、教育に対する注目、例えばノーベル平和賞を共同受賞したカイラシュ・サティヤルティさんや、マララ基金、そのほか多くの団体が教育のためにしていることについての注目、世界の注目を彼らの発言に集め、ナイジェリアやケニアの女の子たちに集めることができました。ノーベル賞をとった時、私は授賞式に5人の友達、ナイジェリアやパキスタン、シリアからの友達を招きました。あの日、この賞は私に対してのものではなく、あの年の賞はこれは児童に対してのものだという風に、とにかく感じたのです。
うまくいけば、今後また本を書くかもしれません。別の映画ができるかもしれません。でも、今回の映画を通じて望んでいるのは、意識の向上です。これは一つの家族、ひとりの少女だけの話ではなく、何百万人もの子供たちが苦しんでいて、そこに今注目する必要があるということです。あらゆる子供に12年の教育が保証されるべきです。紛争の下で苦しんでいる子供たちもいます。そうした子供たちはもはや無視されるべきではないのです。彼らは未来そのものであって、もし無視するのならそれは未来を無視することです。だからこの映画がそうした意識を向上するよう願っていますし、学校の生徒たちもこの映画を見られるよう願っています。「マララと共に立つ生徒たち」というキャンペーンをやっていて、途上国でも先進国でも学校の生徒がこの映画を見られるようにしたいと思っています。
――パキスタンに戻る可能性があると聞きましたが、来年、直近の計画は何ですか。大学に進学しますか。
まだ2年(英国の高校が)残っています。Aレベル(英国での大学進学前の高校卒業資格課程)を済ませてから、それから大学に行きます。でも、もうまもなくパキスタンを訪問できるのではないかと期待しています。学校教育が終わった後は、パキスタンに戻ることはとてもはっきりしています。
――パキスタン国内では、マララさんに対して、彼女は父親に命じられたことを発言しているだけだといった冷たい見方をする人もいます。
そうした人はとても少数なのだと思いますが、批判されるのは時にはいいことで、そこから学べます。正しい人たちもいます。でも、私のキャンペーンは教育に向けてのものです。誰か個人を標的にしているわけではありません。無知、そしてテロリズムというイデオロギーが標的であって、人々を批判しようとしているわけではありません。女子は教育を受けるに値しないという考えを相手にしているのです。私のキャンペーンは教育への戦い、あらゆる女の子が学校に行く権利をめざし、あらゆる児童が12年間の教育、しかも質の高い教育を受けられるようにめざす戦いなのです。
疑念は常にあると思います。ただ、私たちの国パキスタンでは、いつも、情勢が良い方向には向かっておらず、テロや爆弾事件が毎日のように起きています。ほとんど毎日、爆弾で人がなくなったと耳にします。人々は政治家への信頼を失い、希望を失っています。そうした信頼の欠如、希望の不在が、人々がよいことが起きると期待できずにいる一つの理由だと思います。
脚光を浴びがちなのは少数派で、そちらがニュースになります。一方で多数派は沈黙を守っているので、そうした黙っている人たちの数が多くても、こちらの人たちが考えていることは、声を上げる少数派と比べると力に欠けます。
――映画によってそうした見方が変わると期待していますか。
今回の映画が人々の意識を向上させ、私たち家族の物語を、この一つの家族がどうやって教育のために立ち上がったか人々がより深く理解してくれればと思います。私たちの話をより近く感じてくれるようになれば。
でも、私自身はあまり考えていません。なぜなら、もし私が、自分に敵対している人たちのことばかり常に考え、どうしたらその態度を変えられるかとばかり考えていたら、どうやっても前には進めません。だから自分の課題に集中することが大事なんだと思います。教育に焦点をあて、信条に従って正しいことをやっていると考えることが大切です。あなたが仮に預言者か何かだったとしても、それに対して批判する人は常にいます。
――(記者会見で)あなたのメッセージが響くのは、あなたが特別な存在であるとか特権を得ているからではなく、まさに普通であり、同じような子供たちを代表しているからと思いますが、その半面、自分があまりに注目されすぎていて、単に自分自身でありたいと思うような時はありませんか。どうやって自分を保っていますか。
とてもいい質問ですね。今現在、私には二つの違う生活があるみたいです。一人の女の子は、家では弟とけんかもして、普通の女の子のように暮らしています。学校に行き、宿題をしなければならないし、試験も受けなければならない、そういったことです。私は最近はGCSE(英国で義務教育を終了した生徒が受験する統一テスト)を受けたばかりです。そういう女の子が一方にいます。その一方でもう1人の女の子がいて、外の世界に向けて声をあげ、教育の権利を提唱している。
二つの別の人生があるみたいに見えますね。でも、現実には私という1人の人間がそのすべてをしているんです。そして、私は毎日、できるかぎり努力してその二つをつなげ、それが私の人生なのだと考えるようにしています。学校へ行くふつうの生徒で、テストも受けなければならない一方で、この活動を通じて声をあげて女子の声を伝えようとしているとしても、私は私です。ある意味で私は二つをつなげていますが、でもどちらも私の人生の一部であり、どちらの意味でもそれが私なのです。
――あなたがふつうであることに感銘を受けます。ふだんの生活で余暇はどんな風に過ごしていますか。趣味は。
友達と一緒に過ごして、買い物に行ったり、ビデオを見たり音楽を聴いたりしています。それから弟たちとのけんかですね。
――音楽はどんなものを。
特にこれというのはなくて最新のものをきいています。あとは私たちが遊ぶのは、特定のゲームにはまっているんですけど、私たちの家族はほとんどモノポリー中毒です。モノポリーをするときほんの少しズルをすることがありますが、大してしていませんよ。弟たちは私がズルをするって思っているけれど、私からすれば、ほんのちょっぴりだけ、そんなにしていないんです。
感想;
独裁者は国民に知らせないようにしているようです。
戦前、新聞紙法などで、報道に規制をかけ、政府に都合のよい情報だけを流しました。
戦争に負けているのにいつも大勝利の情報だけでした。
真実を報道する人、会社を逮捕あるいは圧力をかけました。
また、知らないことは判断もできません。そうするために教育の機会を与えないでいます。
なぜなら、教育を受けると、独裁政治に問題があることを知られるからです。
日本も昔は”女性は教育など受けない方がよい”などとの考えを持つ人が多く、中には女性の中にもいました。それは教育を受けて来なかったからです。
今の日本はどうでしょうか?
NHKはすっかり、政府の都合のよい番組作りをしています。
衆議院の強行採決はTVで流しませんでした。
また、民放のTV局もすっかり弱腰になり、問題点を言えなくなっています。
ラジオやネットではまだ問題点を発言する場があるようです。
福島原発の汚染水を流し続けている現状、Out of Controlの状態も報道されないので、一番の問題に対する取り組みも充分ではありません。
新国立競技の問題は皆に情報が開示されたことで、あまりにもひどいとの国民の声があって初めて見直しがされました。開示されなかったらあのままだったと思います。
安部首相は”秘密保護法”を通しました。NHK会長を籾井会長にしました。民放TV局には”公平な報道を”との美辞麗句の下、圧力をかけました。NHKが公平な放送をしなくなりましたがそれには何の指摘もされていません。
”集団自衛権”のことは衆議院選挙の主テーマの一つになっていません。
消費税率のUpを先送りするかどうかの判断を国民に委ねたいとのことでした。
集団自衛権のことを国民に委ねたいとの方が、もっと重要ではないでしょうか?
国民が一人ひとりがもっと考えないといけないのではないかと思います。
”いのちのビザ”第二次大戦中、ユダヤ人にビザ(査証)を大量に発給しナチス・ドイツの迫害から救った外交官・故杉原千畝氏の故郷岐阜県が記憶遺産の候補になっています。
外務省の反対を無視してご自分の判断で約6千人のユダヤ人に発行し、いのちを救いました。
しかし、杉原氏は外務省の指示に違反したかどで外務省を追われました。
最近、政府が杉原氏の妻に(本人は既に逝去)謝罪と名誉回復をしました。
その前に、米国ユダヤ人社会が杉原千畝さんを探し、その時点では亡くなっていて、杉原氏の妻を米国に招き、感謝状を授与しました。そういったことがあり、日本でも話題になり見直されました。政府が謝罪したのは国民が実態を知ったからでした。
いのちのビザで生き延びた米国人の家族が紹介されていました。
「彼のビザがなかったら、子ども、孫、多くの家族はいなかった」と語っていました。
ユダヤ人社会が日本人に対して良い感情を抱いているのは杉原氏の貢献が大きいです。
麻生副総理の「だから静かにやろうや、というんで憲法もある日気がついたらドイツのさっき話しましたけれども、ワイマール憲法といういつの間にか変わってて、ナチス憲法に変わってたんですよ。 誰も気が付かないで変わったんだ。あの手口学んだらどうかね」。
これに対して、ユダヤ人社会は問題視せずに対処してくれました。日本人に対して問題にしたくなかったのだと思います。ヨーロッパでの発言なら政治生命は終わっていたと言われています。
一人ひとりが正しい判断ができるように、教育を受け、考えることが平和な社会を築く礎になるのだと思います。
マララ・ユスフザイさんがインタビューで朝日新聞とやりとりした際、マララさんの答え全文は以下の通り。
――あなたがノーベル賞を受けた後も、例えばボコ・ハラム(ナイジェリアの過激派)は女子生徒たちを誘拐し、人質にとったままです。今回の映画を通じ、女子教育をターゲットにする勢力に向かって何と言いたいですか。
今回の映画は私たち家族の物語、私たちがテロリズムによって影響を受け、それでも教育を受ける権利や平和のために立ち上がったさまを描いています。でも同時に確かなのは、これは私たち一家族だけの話ではなく、世界中の何百万人もの人たちの物語、教育を奪われた何百万人もの女の子の物語だということです。だからこの映画を通じて、人々の意識が向上し、今でも多くの子供、世界中で6600万人以上の女子が学校に通えずにいるのだということを思い起こしてほしいと願っています。この問題について人々の理解を助け、その解決策を見いだす助けになればと願っています。
――あなたを撃った者たちはイスラム教の正しい信徒だと自称していますね。今年1月には、シリアで過激派組織「イスラム国」(IS)に2人の日本人が殺されました。イスラム教の真の意味についてどう考えますか。
イスラムは平和の宗教です。イスラムという語自体が平和を意味するのです。問題はすべて、イスラムについての人々の異なる解釈、そしてそれがおのおのの目的と一緒にされてしまうことの方にあります。残念なことに、立ち上がって、これは正しくないと表明する宗教学者はあまりいませんし、これは真のイスラムではないと声を上げる人もあまりいない。私はできる限り努力して、イスラムが扱っているのは平和だということを言おうとしてきました。
イスラムは真実と兄弟愛であり、その教えの中では明確に、あなたがもし一人の人間を殺せば、それは人類全体を殺害することであり、逆にもし一人の命を救えばそれは人類全体を救済することだと説かれています。教育を受けることはあらゆる個人の権利であるばかりではなく、義務であり責任なのです。学び、知識を得て、教育を受けるべきなのです。残念ながら、自分たちが真のイスラム教徒だと自称している人たちがいますが、彼らはイスラム教についての真実の、正しい知識を持っていないのです。
正しいタイミングで声を上げることが大切です。もし声を上げなければ、事態はそのまま続きます。スワート渓谷(パキスタン北部、マララさんの故郷)でも、もし私が黙ってしまっていれば、父が黙ってしまっていれば、同じ状況が続いていたと思います。
――今年は被爆70年で、一方であなたの国パキスタンも隣国インドも核兵器を持っています。核というもの、あるいは兵器全般についてどう考えますか。
残念なことに、兵器は常に破壊をもたらします。人々を殺害し、破壊する。世界は兵器にお金を費やしすぎています。もし世界の指導者たちが、軍に費やす総額のわずか8日分だけでも支出をやめようと言いさえすれば、その8日分の額だけで、世界中のあらゆる子供が12年間にわたり教育を受けるための1年分を確保できるのです。だから世界の政治指導者たちが軍と兵器、戦争への支出を止めれば事態は実際に大きく変わるはずなのですが、彼らにとっての優先事項として決めてしまっているのです。
でも、私たちは戦いをやめず、彼らに対して、教育や保健衛生こそが人々にとって重要なのだと思い出させる必要があります。銃を製造することで人を助けることはできないのです。子供に銃を渡して、助けていることになりますか。私はこのお金を銃には使わず、代わりに学校や医療に使うと言うことこそ、その人を、その子供を助けることになるのです。
――オバマ米大統領に対して無人機の問題を提起したそうですが、それが理由ですか。
私が無人機攻撃の問題に触れたのは、無人機がテロリストを殺害できるのは確かですが、テロリズムを、テロリズムの思想自体を殺すことはできないからです。テロリズムに対してそれを止めたければ、あらゆる児童が質の高い教育を受けられるよう保証する必要があります。こうした人たちの多くは教育を受けておらず、職がなく失業中で、希望もないのです。そして彼らは銃を取るのです。子供たちに銃を取らせたくないのであれば、本を与えなければなりません。
変革はこれが歴史上初めてというわけではありません。努力が必要です。何度も何度もいう必要があります。いつかは彼らも耳を傾けざるを得なくなります。無視し続けることはできません。私を支持してくれる人が多ければ多いほど、私の声は人々の声になり、どんな指導者でも人々の声を無視できはしません。
――ノーベル賞を受賞したことで何か変わりましたか。
私はそれでも同じ私です。背の高さも同じで、体が変わったわけでもない。
でもこの賞がもたらしてくれたチャンスは、教育に対する注目、例えばノーベル平和賞を共同受賞したカイラシュ・サティヤルティさんや、マララ基金、そのほか多くの団体が教育のためにしていることについての注目、世界の注目を彼らの発言に集め、ナイジェリアやケニアの女の子たちに集めることができました。ノーベル賞をとった時、私は授賞式に5人の友達、ナイジェリアやパキスタン、シリアからの友達を招きました。あの日、この賞は私に対してのものではなく、あの年の賞はこれは児童に対してのものだという風に、とにかく感じたのです。
うまくいけば、今後また本を書くかもしれません。別の映画ができるかもしれません。でも、今回の映画を通じて望んでいるのは、意識の向上です。これは一つの家族、ひとりの少女だけの話ではなく、何百万人もの子供たちが苦しんでいて、そこに今注目する必要があるということです。あらゆる子供に12年の教育が保証されるべきです。紛争の下で苦しんでいる子供たちもいます。そうした子供たちはもはや無視されるべきではないのです。彼らは未来そのものであって、もし無視するのならそれは未来を無視することです。だからこの映画がそうした意識を向上するよう願っていますし、学校の生徒たちもこの映画を見られるよう願っています。「マララと共に立つ生徒たち」というキャンペーンをやっていて、途上国でも先進国でも学校の生徒がこの映画を見られるようにしたいと思っています。
――パキスタンに戻る可能性があると聞きましたが、来年、直近の計画は何ですか。大学に進学しますか。
まだ2年(英国の高校が)残っています。Aレベル(英国での大学進学前の高校卒業資格課程)を済ませてから、それから大学に行きます。でも、もうまもなくパキスタンを訪問できるのではないかと期待しています。学校教育が終わった後は、パキスタンに戻ることはとてもはっきりしています。
――パキスタン国内では、マララさんに対して、彼女は父親に命じられたことを発言しているだけだといった冷たい見方をする人もいます。
そうした人はとても少数なのだと思いますが、批判されるのは時にはいいことで、そこから学べます。正しい人たちもいます。でも、私のキャンペーンは教育に向けてのものです。誰か個人を標的にしているわけではありません。無知、そしてテロリズムというイデオロギーが標的であって、人々を批判しようとしているわけではありません。女子は教育を受けるに値しないという考えを相手にしているのです。私のキャンペーンは教育への戦い、あらゆる女の子が学校に行く権利をめざし、あらゆる児童が12年間の教育、しかも質の高い教育を受けられるようにめざす戦いなのです。
疑念は常にあると思います。ただ、私たちの国パキスタンでは、いつも、情勢が良い方向には向かっておらず、テロや爆弾事件が毎日のように起きています。ほとんど毎日、爆弾で人がなくなったと耳にします。人々は政治家への信頼を失い、希望を失っています。そうした信頼の欠如、希望の不在が、人々がよいことが起きると期待できずにいる一つの理由だと思います。
脚光を浴びがちなのは少数派で、そちらがニュースになります。一方で多数派は沈黙を守っているので、そうした黙っている人たちの数が多くても、こちらの人たちが考えていることは、声を上げる少数派と比べると力に欠けます。
――映画によってそうした見方が変わると期待していますか。
今回の映画が人々の意識を向上させ、私たち家族の物語を、この一つの家族がどうやって教育のために立ち上がったか人々がより深く理解してくれればと思います。私たちの話をより近く感じてくれるようになれば。
でも、私自身はあまり考えていません。なぜなら、もし私が、自分に敵対している人たちのことばかり常に考え、どうしたらその態度を変えられるかとばかり考えていたら、どうやっても前には進めません。だから自分の課題に集中することが大事なんだと思います。教育に焦点をあて、信条に従って正しいことをやっていると考えることが大切です。あなたが仮に預言者か何かだったとしても、それに対して批判する人は常にいます。
――(記者会見で)あなたのメッセージが響くのは、あなたが特別な存在であるとか特権を得ているからではなく、まさに普通であり、同じような子供たちを代表しているからと思いますが、その半面、自分があまりに注目されすぎていて、単に自分自身でありたいと思うような時はありませんか。どうやって自分を保っていますか。
とてもいい質問ですね。今現在、私には二つの違う生活があるみたいです。一人の女の子は、家では弟とけんかもして、普通の女の子のように暮らしています。学校に行き、宿題をしなければならないし、試験も受けなければならない、そういったことです。私は最近はGCSE(英国で義務教育を終了した生徒が受験する統一テスト)を受けたばかりです。そういう女の子が一方にいます。その一方でもう1人の女の子がいて、外の世界に向けて声をあげ、教育の権利を提唱している。
二つの別の人生があるみたいに見えますね。でも、現実には私という1人の人間がそのすべてをしているんです。そして、私は毎日、できるかぎり努力してその二つをつなげ、それが私の人生なのだと考えるようにしています。学校へ行くふつうの生徒で、テストも受けなければならない一方で、この活動を通じて声をあげて女子の声を伝えようとしているとしても、私は私です。ある意味で私は二つをつなげていますが、でもどちらも私の人生の一部であり、どちらの意味でもそれが私なのです。
――あなたがふつうであることに感銘を受けます。ふだんの生活で余暇はどんな風に過ごしていますか。趣味は。
友達と一緒に過ごして、買い物に行ったり、ビデオを見たり音楽を聴いたりしています。それから弟たちとのけんかですね。
――音楽はどんなものを。
特にこれというのはなくて最新のものをきいています。あとは私たちが遊ぶのは、特定のゲームにはまっているんですけど、私たちの家族はほとんどモノポリー中毒です。モノポリーをするときほんの少しズルをすることがありますが、大してしていませんよ。弟たちは私がズルをするって思っているけれど、私からすれば、ほんのちょっぴりだけ、そんなにしていないんです。
感想;
独裁者は国民に知らせないようにしているようです。
戦前、新聞紙法などで、報道に規制をかけ、政府に都合のよい情報だけを流しました。
戦争に負けているのにいつも大勝利の情報だけでした。
真実を報道する人、会社を逮捕あるいは圧力をかけました。
また、知らないことは判断もできません。そうするために教育の機会を与えないでいます。
なぜなら、教育を受けると、独裁政治に問題があることを知られるからです。
日本も昔は”女性は教育など受けない方がよい”などとの考えを持つ人が多く、中には女性の中にもいました。それは教育を受けて来なかったからです。
今の日本はどうでしょうか?
NHKはすっかり、政府の都合のよい番組作りをしています。
衆議院の強行採決はTVで流しませんでした。
また、民放のTV局もすっかり弱腰になり、問題点を言えなくなっています。
ラジオやネットではまだ問題点を発言する場があるようです。
福島原発の汚染水を流し続けている現状、Out of Controlの状態も報道されないので、一番の問題に対する取り組みも充分ではありません。
新国立競技の問題は皆に情報が開示されたことで、あまりにもひどいとの国民の声があって初めて見直しがされました。開示されなかったらあのままだったと思います。
安部首相は”秘密保護法”を通しました。NHK会長を籾井会長にしました。民放TV局には”公平な報道を”との美辞麗句の下、圧力をかけました。NHKが公平な放送をしなくなりましたがそれには何の指摘もされていません。
”集団自衛権”のことは衆議院選挙の主テーマの一つになっていません。
消費税率のUpを先送りするかどうかの判断を国民に委ねたいとのことでした。
集団自衛権のことを国民に委ねたいとの方が、もっと重要ではないでしょうか?
国民が一人ひとりがもっと考えないといけないのではないかと思います。
”いのちのビザ”第二次大戦中、ユダヤ人にビザ(査証)を大量に発給しナチス・ドイツの迫害から救った外交官・故杉原千畝氏の故郷岐阜県が記憶遺産の候補になっています。
外務省の反対を無視してご自分の判断で約6千人のユダヤ人に発行し、いのちを救いました。
しかし、杉原氏は外務省の指示に違反したかどで外務省を追われました。
最近、政府が杉原氏の妻に(本人は既に逝去)謝罪と名誉回復をしました。
その前に、米国ユダヤ人社会が杉原千畝さんを探し、その時点では亡くなっていて、杉原氏の妻を米国に招き、感謝状を授与しました。そういったことがあり、日本でも話題になり見直されました。政府が謝罪したのは国民が実態を知ったからでした。
いのちのビザで生き延びた米国人の家族が紹介されていました。
「彼のビザがなかったら、子ども、孫、多くの家族はいなかった」と語っていました。
ユダヤ人社会が日本人に対して良い感情を抱いているのは杉原氏の貢献が大きいです。
麻生副総理の「だから静かにやろうや、というんで憲法もある日気がついたらドイツのさっき話しましたけれども、ワイマール憲法といういつの間にか変わってて、ナチス憲法に変わってたんですよ。 誰も気が付かないで変わったんだ。あの手口学んだらどうかね」。
これに対して、ユダヤ人社会は問題視せずに対処してくれました。日本人に対して問題にしたくなかったのだと思います。ヨーロッパでの発言なら政治生命は終わっていたと言われています。
一人ひとりが正しい判断ができるように、教育を受け、考えることが平和な社会を築く礎になるのだと思います。
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