2014年3月29日、埼玉県川口市のアパートの一室で背中を刺された70代の老夫婦の遺体が発見された。1か月後、警察は窃盗容疑で孫の少年(当時17歳)を逮捕(彼に強盗殺人容疑などで再逮捕)した。殺害の動機については「金目当てだった」との供述が報じられた。
少年が小学5年から義務教育を受けていなかったにもかかわらず、行政機関も周囲の大人も少年を救い出すことがないまま事件に追い込まれていったことだった。さらに少年は住民票を残したまま転居を繰り返し、行政が居場所を把握できない「居所不明児童」だったのだ。
少年は小学5年から中学2年まで、母親(幸子;仮名)と義父(祐介:仮名)に連れられ学校にも通わせてもらえないまま、ラブホテルを転々としたり野宿をしたりして生活していた。さらに、少年は両親から度重なる虐待を受け、「生活費がないのはお前のせいだ」と責め立てられて親戚への金の無心を繰り返しさせられていたという。事件当日も、母親から必ず金を得てくるようにきつく命じられ、祖父母宅に一人で向かわされ、借金を断られて事件を起こした。
過酷な境遇で育った少年は、本来は事件前に福祉行政が保護すべき「被害者」だった。
・「ばちゃんたちを殺しでもすれば(金が)手に入るよね」
と、母親が言うので、少年は「そうだね」と笑い、適当に相槌を打った。
幅2メートルほどの螺旋階段に差し掛かると、母親がまた口を開いた。
「さっきの話、本当にできるの?」
ついさっきの冗談話など忘れかけていた少年は「何が?」と問い返す。「ばあちゃんの話」、と母親が答えた。
・父と母と3人で川口市内のアパートに住んでいたが、4歳になる頃、両親は借金が膨れあがってアパートの家賃を滞納、親子3人は夜逃げのように、関東近郊の地方都市で働いていた父方の祖母(春江;仮名)のアパートに転がり込んだ。優希はその街で小学校入学までの2年あまりを過ごした。
・幸子は春江や祐介が家賃として渡した金を親に支払わずに浪費し、家賃を滞納した。
・優希が小学生になってから事件を起こして逮捕されるまで、幸子は優希に「お前は父親(祐介)の前に付き合っていた男に似ている」と繰り返し、「車の中でヤッた時にたまたまできたんだよ」と言ったという。自分は望まれて生まれたわけではないのではないか。その疑念は優希の自尊心を根底から揺るがし、以後優希はずっと、誰に似ているのかわからない自分の顔が大嫌いになった。
・幸子は事件までに、3回の結婚と4回の出産をしている。最初の夫とは1991年頃に東京都内のディスコで知り合い、2人の子どもをもうけたが、離婚後は夫が子どもを引き取り、その後子どもたちと会っていないようだ。
1995年頃に知人の紹介で知り合った2番目の夫・祐介との間にも間もなく子どもができ、優希が生まれた。優希が小学生の時に2人は離婚し、幸子はその後、水商売の人が利用するインターネットの掲示板サイトで知り合ったホストの亮(仮名)と再婚した。亮との間に女児(結衣;仮名)が生まれ、亮が事件直前に失踪するまで幸子と亮、優希、結衣の4人で寝食を共にしていた。
・結婚するときまって幸子は働かなくなり、夫の稼いだ金を浪費した。手持ちの金がなくなると、夫や自分の親族に繰り返し金を借り歩いた、そのため、親族からは「厄介者」として疎まれるようになっていった。
・優希にとって平穏な生活は長くは続かなかった。優希が小学2年生の後半になると、幸子はホストクラブに通うようになった。
幸子は次第に毎日のようにホストクラブに通い詰めるようになり、働かなくなった。食事も作らず、優希が学校から帰るとコンビニのカルビ弁当がテーブルの上にポツンと置いてあった。朝起きると、まだ酒臭い幸子が冷たくなったハンバーガーを優希に差し出したという。
・この頃から幸子は、優希に対し「言うことをきかないなら施設に行ってもらう」と言うことが増えた。そして、言うことをきかせるために「5.4.3・・・」とカウントを始めるのだった。優希は次第に幸子がカウントを始めるだけで条件反射のように恐怖を感じるようになり、自分から「何をすればいいの?」と尋ねるようになっていた。
・家庭環境に問題はあったが、優希はクラスにもなじんでおり、田中先生にとっては登校してこない理由が分からなかった。電話で「眠い」「疲れた」と話す優希に、「迎えに行くから一緒に学校に行こう」と言って自宅まで迎えに行ったことも何度もあった。「学校に来さえすれば友人もいて、給食も食べられる。家庭に問題があったとしても、とにかく学校に来てくれれば何とかなると思っていたから、来させたかった」と振り返る。
・離婚に当たり、祐介と幸子はいくつかの取り決めをした。それは、祐介が毎月4万円の養育費を払う、祐介が月に何回かは優希と会う、互いの両親に迷惑をかけない、という内容だった。
・アパートを出た幸子と優希は、幸子が働いていた店の客の中年男性と3人で、さいたま市浦和区内のアパートで暮らすようになった。
・名古屋に行ってから、優希は昼から亮が働くホストクラブの片隅で過ごし、深夜は3人でホテルに宿泊した。そして、宿泊のための金が尽きると、閉店後のホストクラブで寝泊まりするようになった。
・優希の手記によると、亮と幸子は優希が隣で寝ていることなど構わず、性行為をした。
・幸子が考えたのは、優希に小遣いを振り込んでくれていたおばさんに嘘をついて金を振り込んでもらうことだった。・・・
一審のさいたま地方公判で証人として出廷したおばさんの証言によると、この時期を中心とした約4年の間に小遣い以外に振り込んだ総額は400~500万円に達し、送金回数は300回以上に上がった。断っても断ってもメールが来たため、優希に金を渡すために借金までしていた。
・幸子が妹を出産した直後、埼玉県内の児童相談所は、事前に受診がない飛び込みで女児を産み、その後知人宅から金を持って行方をくらませた一家がいることを把握していた。その際に優希が学校に通っていないことや、一家4人の名前と生年月日なども把握していたようだ。
・生後間もない結衣の面倒は、もっぱら優希がみた。結衣を抱っこひもで抱き、もっとも苦労したのはミルクを作ったり沐浴のためのお湯を手に入れたりすることだった。お金がなくミルクを買えないため、腐りかけの牛乳を飲ませざるを得ず、どうしようもなくなると牛乳配達で玄関先に置かれた牛乳を優希が盗んで妹に与えたこともあった。
・裁判での優希の証言などによると、ある日、明け方になり優希はいつものように駅に向かうためにベンチから起きあがったが、あまりの眠さに立ったままうとうとしてしまった。そうすると、いきなり亮が優希の顔面を殴り、口から血と共に白い歯がポロポロこぼれ落ちた。血が止まらず口からあふれたが、亮は「あーあ、こっちが手をけがしちゃったよ」「靴が汚れるから、そのをどうにかしてくれない?」と言ったという。
・前歯がごそっと折れたが、病院に連れて行ってもらうこともできず、痛みからろくに食べ物も食べられない状態で自然治癒を待った。
・一家が横浜市中区役所に保護されてたのは、暑さの厳しい2010年8月中旬だった。・・・
保健師も含めて4人が出向くことは珍しい。乳児を連れての野宿生活であることから緊急性が高いと判断し、一時保護を念頭に置いた人員は配置だったと思われる。
・区の保護課と児相が一家と面談してから間もなく、区は無戸籍だった結衣の戸籍を作った。幸子と亮、優希も横浜市に住民登録され、優希も簡易宿泊所近くの効率中学に行けることになた。しかし学校に通っていなかった期間が長かったため、まずは近くのフリースクールに通うことになり、9月から通学することになった。
・亮の失踪後、優希は、優希は同じ塗装会社で働き、そのまま会社の亮に住み続けられることになった。亮の前借額は給料数か月分に達し、会社の先輩からも金を借りていたため、優希としては最初から少し気まずさがあった。
・幸子から祖父母を殺害して金を奪うよう指示されていたものの、優希は最初、何とかして殺さずに、金を借りようと試みた。就職のために「引っ越し代が必要だ」と借金の話を切り出すと、達夫は、「また金の話か」と怒り出し、優希の頬を平手で殴るなどした。そして、「あの女(幸子)にも言っておけ」と言った。
・幸子に殺害を指示されたという優希の供述について、「言っていない」と否定した。一方で、事件前に「お前のせいでこんなに貧しくなっている」などと優希を追い詰める発言したことは認めた。
・「妹のために仕事をするというのが唯一の心の支えだった。ただ会いたい。妹は実父である義父からも捨てられ、事件によって母親と自分も離れてしまった。家族は温かいものと思わせてあげたかったのに」と証言し、事件を機に自分たちの手から離すことはできたが結衣を一人ぼっちにしたしまったことへのかっとうで後悔をにじませた。
・「児童相談所は一時保護の権限をもち、母親から少年を引き離すことが可能だった。児相が一家を保護した時には少年の前歯は4本なく、ほとんど学校に行っていなかったことも調べればすぐ分かること。なのに見過ごした」と行政の対応を非難し、「未然に事件を防げなかったのは社会の責任である」と主張した(前園弁護士が裁判で)。
・『被告人を懲役15年に処する』
・大人に対しては、疑う心しかありません。自分(優希)に対して得なことを差し出してくる時はその後相手にはもっと大きな得があり、そのための小さな損をしているとしか考えられない。だから(支援者も)いつかは離れていくと思う。でも、手紙のやり取りを続けてくれるなら、拒否する理由はない。
・「本件控訴を棄却する」との主文を読み上げ、優希を懲役15年としたさいたま地裁判決を支持した。
一方で、最大の争点となっていた「殺害指示」について、「母親からの殺害指示はなかった」としたさいたま地裁判決を覆し、「殺害指示はあった」と認定した。しかし、量刑については見直さなかった。
・(社会に臨むことは何ですか? 今後どういきたいですか?)
みんながみんな「こんな社会になってくれ」と望むだけで、誰もそうしようと行動しなければ意味がありません。自然現象でそんな社会が手に入れば苦労はしないと思います。だからできる範囲で自身の理想の社会と似た行動をしていただければ、と思います。
平等な社会を望むなら普段から平等に物事や人を扱ってください。
差別のない社会を望むなら普段から差別をせず人を見つめてください。
貧困のない社会を望むなら普段からそのような人を見つけたら助けてあげてください。
そうすれば社会全体が理想に近づくのには時間がかかっても、自身の周囲だけは理想の社会になると思います。
それは“社会”に限らずのことで、嘘が嫌いならまず自分が嘘を吐かないようにして生きればいいと思います。優しい人を望むなら自分が優しくすればいいと思います。
当然、自分が嘘を吐かないからといって周りの人が嘘を吐かなくなる、自分が優しい人になったからといって周りの人が優しくなる、そんな都合よくはありません。
何故ならそれが当然だからです。
それを承知で行動することが大事なんだと思います。
だから承知で行動することが大事なんだと思います。
だから、とりあえず今は、他人を傷付けず裏切らないように自分は生きていこうと思っています。そして、子供たちのことも考えていきます。何故なら、「世の中で捨てたもんじゃないな」と”子供達“に思わせたいからです。
それに”自分自身“に対して、も。
・服役中の優希は今、犯した罪に向かい合いながら、自分のような貧困や居所不明の子どもたち、そして育った環境で身近にいたような性産業で働く人たちが笑い合える場所をどうやったら作れるのかと考えているという。
感想;
日本では虐待などあっても、親の同意がないと子どもを親から引き離すことに児相は躊躇しがちです。
頑張っておられると思いますが、救えない子供の事件も多く悲劇を生んでいます。
「告発 児童相談所が子供を殺す」 山脇由貴子著 ”児童福祉司は誇りを持って活動されているか?”
児相、心愛さん虐待リスク上昇知っていた 会議録も存在 "議事録作成した人、サインした人がいるので、存在していることはわかっているはず!”
米国は子どもは社会の財産との考えがあり、そんな場合は直ぐに子どもを虐待する親から引き離し子どもの安全を優先するようです。
貧困の連鎖や虐待の連鎖が背景にあるのではと思いました。
田中先生やおばさん、塗装会社の社長、横浜市のように親身に接したり、行動する行政もありましたが、そこから逃げてしまうとまた行政の支援が受けられなくなったり、また行政が動かなかったりして結局悲劇を招いてしまったようです。
少年の言葉、きちんとした学校教育を受けることがなかったのですが、発する言葉は重みを感じました。
なぜそんな少年が祖父母を、母の指示であったも殺してしまったのか。
母親にマインドコントロールをされていたようにも思いました。
母親は殺害の指示はしていないと否定されました。
仮に指示がなかったとしても、子どもがそう感じたなら、子どものために「指示した」と言って少しでも子どもの量刑を軽くしてやろうと思うのが親だと思うのですが、それが感じられません。
子どもより、自分のことが優先だったのでしょう。
そういう親の下に生まれた子どもが一番の犠牲者です。
社会がそんな子どもたちを守る社会になることなのですが。
少年の言葉によれば、先ずは私が身近で行動することなのでしょう。