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後発医薬品供給問題・薬事規制の現状と展望(2022年12月末現在) ”いろいろな意見が出る社会であって欲しい”

2022-12-29 13:12:48 | 社会
https://phmd-reg.blogspot.com/2022/12/202212.html 12月 28, 2022

1.後発医薬品の供給問題

 相変わらず、後発医薬品(ジェネリック医薬品)の供給不安が収まる気配がない。12月22日のRISFAXでは、日本薬剤師会の調査として「1年前と比較して約89%の薬局で、供給不足による負担感が悪化した」との資料が、中医協に提出されたと報じられた。薬局での追加業務負担は、一日平均約1時間半に及ぶという。

 翌日の日刊薬業でも、新潟大医歯学総合病院の薬剤部長の話として、限定出荷が続いている現状では、担当者1人が付きっきりでオーダー停止に伴う対応を続けていると報じた(厚労省website上部>政策について>審議会・研究会等>中央社会保険医療協議会>同 総会>2022.12.23>資料>資料3-3 でもよく状況が分かる)。

 最近、テレビや新聞といった一般媒体でも、後発品供給不安の問題がよく報じられるようになったが(23年度の薬価方針が決着して下火になった?)、12月11日(日)のテレビ朝日のサンデーLIVEでは、企業不祥事・薬価問題などの今までの報道より踏み込み、「製造手順書」という言葉が紹介され、薬局の方が正常化までに2~3年はかかるのではないかと話していた。あれ? 1年くらい前にも、正常化までに2年と言われていたのではなかったか? このペースが続くとすると、法改正で年次報告や米欧に制度としてある一変と軽微の間の”moderate”の区分を作るなどしないと、永遠に問題は収束・解決しないのではないか。

 私がいろいろと書いたり、(周囲を含め)話しているとおり、薬機規制の根本から変えないと、この問題は収束・解決しないのではないか? 

 毎年改正(中間年改正)の2度目となる23年度薬価では、不採算品目約1,000品目の薬価について配慮措置がなされるようである。薬価の対応はもちろん即効性はあり、事業にとって重要ではあるが、また、配慮の幅にもよるが、今の米欧主導のグローバルの規制に沿うような日本の医薬品品質規制にしないと、根本的な対応にはなりにくい。何故なら、様々な面で不安定さを増す世界情勢の中で、日本企業の原薬(最終原薬以外も含めると約7割が外国依存といわれる)調達の環境は厳しさを増し続け、国内などでの製剤製造等も、現在の品質規制の下では、「リスクベース」とは全く両立しない、多分米欧ではどうでもいいようなことに、かなりの労力を民間もレギュレーターも取られているからである。しかし、レギュレーターは食いっぱぐれることはない。深刻なのは民間の、しかも主に中小の製造販売業・製造業である。

 この供給不安とその主原因である薬機規制は、医薬品製販業や製造業そして医療機関や薬局といった医療現場に重い負担となっており、役所では主に医政局医薬産業振興・医療情報企画課にかなりの負荷がかかっている。企業における不祥事が続発したからといって、また続発しているからこそ、関係者は「忖度(本当に嫌な言葉である)」を止め、関係企業は自らの足元を正すとともに、規制のまずい、不十分な点があれば、遠慮なく、それを指摘・提案すべきである。ところが、業界でこのような意識を持っている方々も、一様に「できない」と言う。そこで、元レギュレーターの私が、いろいろと情報発信をしている。

 ここまで後発医薬品の供給に乱れが続いているからには、一部企業のPracticeとともに、基礎的・本質的な面で「まずいシステム」になっていることに疑いはない。薬機法規制以外の分野については医政局の検討会の内外で、喧々諤々の議論が繰り広げられるなどしているが、年末の中医協答申の付帯意見でも、今後、医政局検討会の議論も踏まえながら、十分かつ早期の検討が要望されている(3.で再び触れる)。

 やはり、薬機規制は全く、厚労行政の中では触れられていないのだ。この今後の医薬品行政に与える影響は俄かには測りがたいが、良くないことであることは確かだろう。行政の透明性がないからである。

2.後発医薬品規制の展望

 さて、前置きが長くなってしまったが、「後発医薬品規制の展望」は暗いと言わざるを得ない。先日、大学主催のセミナーでレギュレーター中堅幹部に、去る4月に吉田 易範本省医薬局医薬審査管理課長が発言した、承認書の製造方法欄の記載合理化の検討につき、研究班の進捗を伺ったが、 やはり難しい問題との認識のようで、製造実態(製造方法)の記載の簡略化の検討は時間がかかるとのことであった。2005年の承認書絶対主義(今も基本は変わらない)時代に、何とか「規格及び試験方法」とは異なり動的な製造方法欄について「目標値/ 設定値」という米欧にはないと思われる概念を取り入れることで、承認書違反の状態を回避しようとした。このように『精緻』に作られた2005年2月10日通知や同年3月23日の研究班名による解説に手を入れ、記載を簡略化することが容易ではないことは、業界の期待とは裏腹に、理解できるであろう。なお、承認書絶対主義の一例として、最近若干(使いにくい)例外もできたようだが、米欧と異なり、承認書の「規格及び試験方法」欄や「製造方法欄」の一変後は、一変前の承認書は一変後の承認書と同等であるにも関わらず、承認書が変わり、その承認書に合っていないという理由だけで、一変前の承認書に基づいて製造された製品は市場にあってはならないという、およそ時代や科学とかけ離れた規制が生きている国なのである。

 その中で、一つ私が参考になるのではないかと思うのは、2022年11月2日のPMDA品質管理部主催の第1回GMPラウンドテーブル(これ自身は意欲的な良い取り組みで、PMDAプロパーの今後に期待を持たせるものと思う)で、ジェネリック医薬品等審査部の職員が講演された「審査の観点から見た承認申請書」という中での、「従来のアプローチだけでは保守的な薬事対応となり、ライフサイクル全体から見ると負担が増大する可能性大」とか「少なくともリスク評価した上での管理戦略の検討が必要な時期には来ているのでは」との記載である。ただ、全体はやはり、米欧と比べるとtoo conservative(慎重過ぎる)と思われるので、ジェネリック医薬品等審査部のリソースにはあまり余裕がないようであるが、是非、米欧の実際の変更管理のpractice, 考え方を習い、研究し、それに合わせて欲しい。

 回収の考え方の検討に3年も費やし、何を検討するかよく分からないし、地方庁のGMP査察体制についても、PMDA 品質管理部にGMP教育支援課ができたのは(また国際組織であるPIC/Sの執行部に参加しているのも)一歩前進としても、やはり47都道府県に査察権者が分かれ、しかも技術系職員やそれに助言などする地方庁の研究機関も弱体化が進んでおり、大幅な能力・機能強化はなかなか難しそうである。日本として、欧(や米)の水準に追いつくのは現状ではなかなか容易なことではない。

3.まとめ

 本問題に関して『本省医薬局の顔』がなかなか見えない中、PMDAジェネリック医薬品等審査部のリソースの振り向け方や地方庁のGMP査察の集約化についても、大きな動きは見えない。

 1.に記したように、後発医薬品の供給不安の問題はかなり大きな問題となっている。中医協での診療報酬の2023年12月までの時限措置との中身もその考え方もよく分からないが、付帯意見で厚労大臣に対して、『安定供給問題への対応を調査・検証し、課題が見えたら速やかに報告し、対応を検討すること。安定供給問題を根本的に解決するため、医政局の「医薬品の迅速・安定供給実現に向けた総合対策に関する有識者検討会」の議論も踏まえつつ、十分かつ早期の検討も要望』とされている。

 付帯意見は勿論、官僚の作文ではあるが、調剤報酬改定資料の中で「保険薬局が地域の医療機関・薬局と連携」を謳っているものの、この診療・調剤報酬改定は、総じて現在医療機関・薬局で苦労して行われていることに、「お疲れ様です」という趣旨で点数をつけたように見える。医薬局マター(薬機法マター)以外では、薬価の不採算品目への配慮に続き、個々の後発品製造販売業者の品目・規格ごとの供給情報の更なる円滑な収集・公表以外には、ハードルは高そうだが、医薬品の有効性・安全性評価に基づく薬価収載品目の大胆な整理(2003年の初期老人性白内障治療薬ピレノキシンに関する騒動を思い出すが)程度しか思いつかない(仮に、薬価制度の抜本的な改革が万一、2024年度以降に実施されたとしても、米欧基準の世界的な薬事変更管理practiceや考え方から遠い、また、承認書に過度に拘る薬機規制を続けていては、やはり日本の後発品製販・製造業者は、ずーっと苦しむことになるであろう)。

 中医協付帯意見の中身を忘れずに、2023年の医政局の検討とそれ以上に、医薬局・PMDAの動きを追っていきたい。

感想
製造販売業の品質トラブルと課題 製造販売承認書との齟齬&GMP問題
熊本県   化血研      審査管理課が査察  処分&改善命令 回収無し
和歌山県 山本化学工業  県/PMDA 製販査察   処分&改善命令 回収無し
愛知県  松浦薬業     県 製販査察       処分&改善命令 
福井県  小林化工     県 製販査察       処分&改善命令
富山県  日医工      県/PMDA? 製販査察 処分
富山県  北日本製薬   県 査察          処分&改善命令  
富山県  廣貫堂      県 製販査察       処分&改善命令  
富山県  富士製薬工業   県 査察           改善命令
富山県  中新薬業     県 査察          処分&改善命令

京都府  岡見化学工業  県 査察          処分&改善命令
徳島県  長生堂製薬   県/PMDA? 製販査察 処分&改善命令
愛媛県  松田製薬     県 査察           処分&改善命令 
滋賀県  日新製薬     県 製販査察      処分&改善命令 
兵庫県(大阪&鳥取) 共和薬品工業 県 査察   処分&改善命令
石川県  辰巳化学    県 製販査察        改善命令 処分&回収なし
⇒問題を発見できなかった。 富山藩二代藩主・前田正甫(まさとし)公が泣いている   
・会社が不正を指示or黙認(利益優先)
・作業者がSOP違反&記録偽造(悪いことをしているとの認識をしていない/先輩の指示に従う)
・知識&経験値の力不足(組織長含め現場力が著しく低下/自分で考えることができない)

多くのジェネリックメーカーの承認書齟齬とGMP不正での製品回収と処分が続いています。
またジェネリックの回収も多く、欠品&品薄も続いています。

これは医薬品製造所の問題(過去から今まで)とレギュレーションを厳しくしたために起きた行政の問題の両方があります。
ところが、行政の問題は棚に上げて、医薬品製造所だけが悪いと言っているように感じます。
行政には言えないからです。
言うと言った製造所や製薬会社は仕返しを気にしているのです。
多くの許認可あります。
一番大きいのは、新薬の承認です。
承認される医薬品と承認されない医薬品。
本来の申請データでない場合に明暗があります。
統計データで有意差があったが承認されなかった「アビガン」
一報承認された「ゾコーバ」
緊急承認された初の国産新型コロナ治療薬 「ゾコーバ」の今後について 11月 29, 2022

いろいろな意見を出しているのは、日本の医薬品をより良くしたいとの思いであり、それは薬機法の目的にも合致していると思うのですが・・・。

絶望<トホホ> ”春望 杜甫をもじってみました”

2022-12-29 10:58:10 | 社会
絶望<トホホ>
國貧しくなり 兵器在り
日本春にして ホームレス多し
時に感じて 日本の現状に涙を濺ぎ
選挙結果を恨んで さらなる増税に明日を憂う
貧しい日々 脱出の希望見えず
10万円支給 騙されないぞ
空腹抱え 寒さをひしひしと感じ
子どもの学費 続かず高卒で働く

春望 杜甫

防衛費にお金をつぎ込むことよりも、若者支援、貧困者支援、シングルマザー支援、教育費無償化など、日本の未来に税金を使って欲しいです。
あまりも税金の無駄遣いが多すぎないでしょうか?
アベノマスク、安倍元首相の国葬、米国でもう使えない古い武器の購入など。

若い世代と女性の自殺が多いです。
コロナは貧困層を直撃しています。
日本の未来のためにそこを支えるために税金を使って欲しいです。

絵本 『光にむかって サーロー節子 ノーベル平和賞のスピーチ』 ”ウクライナへの核攻撃を示唆するプーチンの脅威の今こそかみしめたい言葉”

2022-12-29 09:00:20 | 本の紹介
サーロー節子さん ノーベル平和賞授賞式でのスピーチが絵本に
NHKニュース https://www3.nhk.or.jp/news/html/20220603/k10013656761000.html 2022年6月3日 20時45分




ナダ在住の広島の被爆者、サーロー節子さんが2017年のノーベル平和賞の授賞式で、自身の体験から核兵器廃絶を訴えたスピーチをもとに描かれた絵本が出版されました。サーローさんは「核兵器の歴史や被爆地で起きた出来事を学ぶことができる作品で、家庭や学校で活用してほしい」と話しています。

絵本は「光にむかって」というタイトルで、ICAN=核兵器廃絶国際キャンペーンがノーベル平和賞を受賞した際の授賞式で、サーローさんが行ったスピーチをもとに作られ、3日出版されました。

絵本では、13歳だったサーローさんが広島で被爆した直後、がれきの下敷きになった時に「あきらめるな。光が見えるだろう?そこまではっていくんだ」と声をかけられ逃げることができた体験や、姉や4歳のおい、多くの友人を亡くした悲しみと憤りが描かれています。
絵本では最後に、サーローさんが光に向かって進んで助かったように、核兵器禁止条約という「光」に向かって、核兵器の恐怖から抜け出すために進み続けるよう呼びかけています。
サーローさんは「核兵器の歴史や広島・長崎で何が起きたかを学ぶことができる作品で、家庭や学校で読んで話し合うなどして活用してもらいたいです。核兵器をめぐる情勢は暗くなっているように見えますが、だからこそ『光』はより輝き、その『光』が核兵器禁止条約です。光に向かって諦めることなく、一歩一歩確実に前進しましょう」と話しています。


ノーベル平和賞受賞スピーチ|| サーロー節子
STEAM English Academy NEWSよりhttps://www.global-vision.education/news/140/


サーロ節子氏は、被爆者としてはじめてノーベル賞授賞式で世界に向けてスピーチを行いました。
原発から奇跡的に生き延び、自分の目で見て、体感したこと、1発の核兵器で多くの方が亡くなったことを話し、世界のあらゆる大統領、首脳に永久に核を無くしないさいと警告しました。

【全文】
両陛下。ノルウェー・ノーベル賞委員会の高名なメンバーの皆さま。ここにいる、そして世界中にいる運動家の仲間たち。淑女、紳士の皆さま。

ICANの運動を形づくる傑出した全ての人々に成り代わってベアトリスと共にこの賞を受け取ることは大変な栄誉です。私たちは核兵器の時代を終わらせることができる、終わらせるのだという、かくも大きな希望を皆さま一人一人が私に与えてくれます。

被爆者は、奇跡のような偶然によって広島と長崎の原爆を生き延びました。私は被爆者の一人としてお話しします。70年以上にわたって私たちは核兵器の廃絶に取り組んできました。

私たちは、この恐ろしい兵器の開発と実験から危害を被った世界中の人々と連帯してきました。ムルロア、エケル、セミパラチンスク、マラリンガ、ビキニといった長く忘れられた地の人々。土地と海を放射線にさらされ、人体実験に使われ、文化を永遠に破壊された人々と連帯してきました。

私たちは犠牲者であることに甘んじることはありませんでした。灼熱の終末を即座に迎えることや、世界がゆっくりと汚染されていくことに対し、手をこまねいていることは拒否しました。いわゆる大国が、無謀にも私たちを核のたそがれから核の闇夜の間際へと送り込むことを、恐怖の中で座視することは拒否しました。

私たちは立ち上がりました。生き延びた体験を分かち合いました。
人類と核兵器は共存できないのだと声にしました。
きょう、この会場で皆さまには、広島と長崎で死を遂げた全ての人々の存在を感じてほしいと思います。

雲霞のような二十数万の魂を身の回りに感じていただきたいのです。一人一人に名前があったのです。誰かから愛されていたのです。彼らの死は、無駄ではなかったと確認しましょう。

1.原爆の恐怖

米国が最初の原爆を私が住んでいた都市、広島に投下した時、私はまだ13歳でした。私は今もあの朝を鮮明に覚えています。8時15分、窓からの青みを帯びた白い閃光に目がくらみました。体が宙に浮かぶ感覚を覚えています。静かな闇の中で意識を取り戻すと、倒壊した建物の中で身動きできないことに気付きました。級友たちの弱々しい叫び声が聞こえてきました。「お母さん、助けて。神さま、助けて」

そして突然、私の左肩に手が触れるのを感じました。「諦めるな。頑張れ。助けてやる。あの隙間から光が差すのが見えるか。あそこまでできるだけ速くはっていくんだ」。誰かがこう言うのが聞こえました。はい出ると、倒壊した建物には火が付いていました。あの建物にいた級友のほとんどは生きたまま焼かれ、死にました。そこら中が途方もなく完全に破壊されているのを目にしました。

幽霊のような人影が行列をつくり、足を引きずりながら通り過ぎていきました。人々は異様なまでに傷を負っていました。血を流し、やけどを負い、黒く焦げて、腫れ上がっていました。体の一部を失っていました。肉と皮膚が骨からぶら下がっていました。飛び出た眼球を手に受け止めている人もいました。おなかが裂けて開き、腸が外に垂れ下がっている人もいました。人間の肉体が焼けた時の嫌な悪臭が立ち込めていました。

このようにして、私の愛する都市は1発の爆弾によって消滅したのです。住民のほとんどは非戦闘員でした。彼らは燃やされ、焼き尽くされ、炭になりました。その中には私の家族と351人の級友が含まれています。

その後の数週間、数カ月間、数年間にわたって、放射線の後遺症により予測もつかないような不可解な形で何千もの人々が亡くなりました。今日に至ってもなお、放射線は人々の命を奪っています。

広島を思い出すとき、最初に目に浮かぶのは4歳だった私のおい、英治の姿です。小さな体は溶けて、肉の塊に変わり、見分けがつかないほどでした。死によって苦しみから解放されるまで弱々しい声で水が欲しいと言い続けました。

2.最高の喜びと核保有国への警告

今この瞬間も、世界中で罪のない子どもたちが核兵器の脅威にさらされています。おいは私にとって、こうした世界の子どもたちを代表する存在となりました。核兵器はいつどんなときも、私たちが愛する全ての人々、いとおしく思う全てを危険にさらしています。私たちはこの愚行をこれ以上許してはなりません。

苦しみと生き延びるためのいちずな闘いを通じて、そして廃虚から復興するための苦闘を通じて私たち被爆者は確信に至りました。破局をもたらすこうした兵器について、私たちは世界に警告しなければならないのです。繰り返し私たちは証言してきました。

しかし、広島と長崎を残虐行為、戦争犯罪と見なすことをなお拒絶する人たちもいたのです。「正義の戦争」を終わらせた「良い爆弾」だったとするプロパガンダを受け入れたわけです。こうした作り話が破滅的な核軍拡競争をもたらしました。今日に至るまで核軍拡競争は続いています。

今も九つの国が都市を灰にし、地球上の生命を破壊し、私たちの美しい世界を未来の世代が住めないようにすると脅しています。核兵器の開発は、国家が偉大さの高みに上ることを意味しません。むしろ、この上なく暗い邪悪の深みに転落することを意味するのです。こうした兵器は必要悪ではありません。絶対悪なのです。

今年7月7日、世界の大多数の国々が核兵器禁止条約の採択に賛成した時、私は喜びでいっぱいになりました。私はかつて人類の最悪な側面を目撃しましたが、その日は最良の側面を目撃したのです。私たち被爆者は72年の間、禁止されることを待ち続けてきました。これを核兵器の終わりの始まりにしようではありませんか。

責任ある指導者であれば、必ずやこの条約に署名するに違いありません。署名を拒否すれば歴史の厳しい審判を受けることになるでしょう。彼らのふるまいは大量虐殺につながるのだという現実を抽象的な理論が覆い隠すことはもはやありません。「抑止力」とは、軍縮を抑止するものなのだということはもはや明らかです。私たちはもはや恐怖のキノコ雲の下で暮らすことはありません。

核武装した国々の当局者と、いわゆる「核の傘」の下にいる共犯者たちに言います。私たちの証言を聞きなさい。私たちの警告を心に刻みなさい。そして、自らの行為の重みを知りなさい。あなたたちはそれぞれ、人類を危険にさらす暴力の体系を構成する不可欠な要素となっているのです。私たちは悪の陳腐さを警戒しましょう。

世界のあらゆる国の、全ての大統領と首相に懇願します。この条約に参加してください。核による滅亡の脅威を永久になくしてくださいと語ります。

私は13 歳の時、くすぶるがれきの中に閉じ込められても、頑張り続けました。光に向かって進み続けました。そして生き残りました。いま私たちにとって、核禁止条約が光です。この会場にいる皆さんに、世界中で聞いている皆さんに、広島の倒壊した建物の中で耳にした呼び掛けの言葉を繰り返します。

「諦めるな。頑張れ。光が見えるか。それに向かってはっていくんだ」

今夜、燃え立つたいまつを持ってオスロの通りを行進し、核の恐怖という暗い夜から抜け出しましょう。どんな障害に直面しようとも、私たちは進み続け、頑張り、他の人たちとこの光を分かち合い続けます。この光は、かけがえのない世界を存続させるために私たちが傾ける情熱であり、誓いなのです。


ウイキペディアより
サーロー 節子(サーロー せつこ、英語: Setsuko Thurlow、1932年1月3日 - )は、広島県広島市南区出身でカナダのトロント市在住の被爆者、反核運動家。セツコ・サーローの日本語表記もある。

中村節子として、広島市南区で生まれた。父はドイツ人の共同経営者とともにアメリカ合衆国(米国)カリフォルニア州で「西部フルーツ会社」を起業し果実業を営んでいた。

広島女学院(現広島女学院中学校・高等学校)に進学、後に学徒勤労動員され、大日本帝国陸軍第2総軍司令部で暗号解読作業の訓練を受けた。正規の暗号解読助手になって最初の日である1945年8月6日、広島市への原子爆弾投下により爆心地から1.8㎞離れた同司令部で被爆、建物の下敷きになったが九死に一生を得た。このとき8人の親族や多くの同窓生を失った。

感想
サーロー節子さんは、まさに人生からの問いかけに、応えて生きて来られたようです。
「絶対核は使ってはいけない」との思いを訴え続けて来られたのです。
被爆したことで多くの大切な人を亡くし、ご自分も被爆の影響で苦しまれたと思います。
それを体験した者としての声は切実な重みをもって受け取る側に入ってきます。

今ウクライナで悲惨な戦争が続いています。
多くの人が犠牲になっています。
かつ、核の限定使用がプーチンから何度も示唆されています。
同じ間違いを繰り返さないためにも、サーロー節子さんのノーベル平和賞のスピーチを、何度もかみしめることが今必要なのかもしれません。

来年、父が逮捕された年齢になります」39歳になった“アーチャリーと呼ばれた少女”が語る宗教二世への思い ”子どもの思い”

2022-12-29 02:48:08 | 旧統一教会
https://news.yahoo.co.jp/articles/6e496e1d3923cfc50d409da942230587a41d74a7 12/28(水) 6:12 文春オンライン
 宗教二世に注目が集まっている。多くの人は松本麗華さんの名は知らなくても「アーチャリー」は覚えているだろう。地下鉄サリン事件や松本サリン事件の首謀者として2018年に刑死したオウム真理教の教祖・麻原彰晃こと松本智津夫の三女だ。富士山麓の教団施設に強制捜査が入っていた日、マスコミに向かってアッカンベーをしてみせた少女は39歳になっていた。

 約束の5分前に現れるとエントランスに入る前にコートを脱ぎ、部屋ではバッグを足元に置いた。社会人として完璧過ぎるほど完璧だ。現在は心理カウンセラーとして働いているという松本さんは、宗教二世の問題をどう見ているのか。『 週刊文春WOMAN2023創刊4周年記念号 』より、一部編集のうえ紹介する。
◆◆◆ 
宗教二世をどう定義するのか
松本麗華さん

 5歳から16歳まで閉鎖された教団のなかで育ち、世間の常識も分からないまま大人になってしまいましたから、礼儀作法やマナーについては、今も手探りの状態です。とはいえ、もう教団を離れてからの人生のほうが長くなりました。

 私には姉が2人、妹が1人、弟が2人いますが、今は次姉(以下、姉)と上の弟、元信者で既に教団を離れている男性と4人で郊外の町でルームシェアをして暮らしています。

 姉とは最近、宗教二世の問題についてよく話し合っています。そもそも宗教二世をどう定義するのかということですが、特定の宗教を信仰する親のもとで、その影響を強く受けて育った子どものことをいうのだろうと思いつつ、しかし、たとえ親と一緒に行動していたとしても、それは親の意思でそうしているだけであって、子ども自身は信仰の告白をしているわけではないんです。私も教団にいた頃から「自分で選んでここにいるわけではない」と思っていました。

宗教二世が声高に叫ばれ始めたきっかけ
 当時は信仰心があったのかと聞かれることがありますが、足元のアリを踏みつぶしてはいけないよと父に言われたことを守った。果たしてそれは信仰なのか。親からご飯を残しちゃいけないよ、人には優しくしようね、嘘をついてはいけないよと言われていたのは、普通の家庭となんら変わるものではないと思うのです。

 それは教団が地下鉄サリン事件をはじめとする数々の事件を起こしていたことを知らなかったからそんなことが言えるのだと言われれば、その通りかもしれません。

宗教二世が声高に叫ばれ始めたのは、安倍元首相襲撃事件がきっかけでした。政治的にはもっぱら統一教会をいかに解散させるかということに焦点が当たっていますが、これまでに宗教法人法を適用して解散させられたオウム真理教と明覚寺の2件は、いずれも刑事事件を起こして幹部が刑事罰を受けた団体でした。

 しかし、統一教会は幹部が刑事罰を受けたわけではない。「政教分離」の観点から、政治家が特定の宗教にかかわったことこそが本質的な問題であり、政治家の側の問題がより大きいと思っています。

 容疑者の家庭に関しては、宗教以前に母親が子育てできないというネグレクトの問題があるのではないか。姉とはそんな話もしています。自分の子どもを神様からの預かりものと思って、自分の価値観を押し付けてはいけないと律しながら育てる方もいらっしゃる。

 そうやって子どもの意思を尊重するのか、自分と同一視して思いどおりにならないときに虐待してしまうのか。そこに大きな違いがあると思うんですよね。

 宗教に限ったことではなく同様に、親がギャンブル依存症とかアルコール依存症だと、貧困やネグレクトなどの問題がおき、子どもがつらい目にあう。そういう境遇の子どものために行政が手を差し伸べなければいけないというのは、普遍的な課題としてあると思います。 

義務教育を受けることができず
1995年、父が殺人容疑、母がリンチ殺人事件に関与した容疑で立て続けに逮捕されたとき、きょうだいで最年長の長姉が16歳、末弟は1歳、麗華さんは12歳だった。教団で共同生活をしていた出家信者の子ども97人については既に児童相談所などに保護されていたがきょうだいは教団に取り残された。一時、麗華さんは教団の長老会議の座長に、弟2人は2歳と3歳で教祖に祀り上げられた。

 私はずっと学校に行きたいと思っていた。勉強は嫌いだけれど、同年代の子どもたちと遊びたかったんです。でも地元での住民運動を受けて、役所が教団の人たちの住民票を受理することを拒んでいたこともあり、教団内で学校はもう行かなくてもいいのではないかという雰囲気になってしまいました。

 そんな中、両親が逮捕された1995年には、住民票のあった静岡県富士宮市の学校に
行こうと思ったのですが、教育委員会から来ないでくれと頭を下げられ、小学校には通えずに終わりました。だから、9歳になっても平仮名さえまともに読み書きできなかったんです。


 私の名は「りか」と読みますが、「り」という平仮名は、時々2本の線を繫げて書かれることがある。そうするともう読めなくなってしまった。漢字の「麗華」はもちろん書けませんでした。

 中学校も入学を拒否されたので、私は義務教育を受けることができませんでした。

つねに自分の素性がバレることを恐れていた
2015年、麗華さんは自らの31年の半生を綴った『止まった時計─麻原彰晃の三女・アーチャリーの手記』(講談社)を本名で上梓した。表紙カバーは麗華さん自身のポートレートで、まっすぐ正面を見つめている。オウム誕生前夜の一家のつましい暮らしに始まり、教団の内幕、母やきょうだいとの確執、父の優しい姿と壊れていった姿、父なき後の教団の迷走などを半年かけて書き上げたものだ。

 この本に名前も顔も出したのは、「私はこうして生きています」と顔を上げたかったからです。麻原の娘だと分かった途端に入学を拒否され、就職もままならず、後ろ指を指される。当時の私はつねに自分の素性がバレることを恐れていました。でも、そんな人生はもう終わりにしよう、自分から名乗ってみようと思いました。

 それまでのできごとを正直に書いたことで、人との心の距離はぐっと近くなりました。大学時代の同級生たちからは、「これまでどう接したらいいか分からなかった」と打ち明けられました。そうか、だからなんとなく遠巻きに見られていたんですね。

「謝る」というのは自分を守るための行為なのでは
 新たに出会った人たちとの距離も近く感じます。本に何でも書いてあるので、私に対してこんなこと聞いていいかなという迷いがないのかもしれません。私のほうでも、この人は私が麻原の娘と知っているんだろうか、知らないんだろうかと探る必要がなくなりました。

 本の中に、事件の被害者に対する言葉がないという批判をいただきました。私は、被害者の方の思いや苦しみは私が軽々しく語れるようなものではないと思うのです。私が被害者に向かって謝るというのは、何か自分を守るための行為なのではないかという思いを払拭できないのです。大学時代は友だちと議論になりました。

「お父さんを捨てたら麗華は自由になるんだよ。麗華の人生のためにはお父さんを捨てるのは必要だよ」と言われたんです。その彼女はいわゆる一卵性母子。すごいお母さん子だったから、「あなたはお母さんが逮捕されたら縁を切るの?」と言えば私の思いをわかってもらえると思いました。ところが、「私は自分の人生のためだったらお母さんと縁を切る」と迷わずに言うので、二の句が継げませんでした。

●松本さんが心理学を学ぶきっかけとなった家庭裁判所でのできごと、両親への思い、ネット上にカウンセリングの相談室を開設した理由など、インタビューの全文は『 週刊文春WOMAN2023創刊4周年記念号 』でご覧いただけます。

感想
宗教二世としての辛さ/苦しみがあるようです。
その人生を恨んで生きるか、そのような状況下でも前を向いて生きるかなのでしょう。

親を棄てること自分の人生をより良く出来る人。
犯罪者の親であっても親を棄てることができない人。
まさにどう生きるかなのでしょう。

義務教育の小中は拒否されたようです。
義務教育なので、裁判を起こせば入れたと思いますが、そこまでしなかったのでしょう。
大学には入られたようですが、高校に入れたのか、大検を受けられたのかはわかりませんが、自分の人生を切り開いて来られたように思います。
本を読んでみたいと思いました。

彼女がこれからの生き方が通常の人以上に問われているように思いました。

岸田首相、杉田政務官を実質罷免でSNS上に怒号の嵐「部下はクビでも息子は厳しく怒ったからセーフ」 ”岸田首相の「聞く力」の発揮!”

2022-12-28 10:54:54 | 社会
https://article.yahoo.co.jp/detail/07d4741b12ecfc4c5b3b0346009d9004c818cb48「言い掛かりと偏向報道に屈した」12/28(水) 10:00 New's

性犯罪をめぐる発言や性的マイノリティーの人たちをめぐる差別的な表現で批判を受けていた杉田水脈総務政務官は27日、辞表を提出した。松本剛明総務相が明らかにした。

8月の就任後、過去の差別的な言動が問題視され波紋を広げていた。杉田政務官は野党の謝罪要求を拒否し続けたが今月、松本剛明総務相の指示に応じて一転、参院予算委員会で撤回、謝罪していた。岸田文雄首相による実質的な罷免とみられ、後任に総務官僚出身の長谷川淳二衆院議員を起用する方針を固めたという。

これを受けてSNS上ではすぐさま関連ワードがTwitterのトレンド入りするなど関心の高さをうかがわせているが、その一方で猛批判を浴びているのが岸田首相だ。この日は、政治資金の不正な環流によって秋葉賢也復興相も更迭されており、この2か月あまりで閣僚4人が交代する異例の事態に。岸田政権の“辞任ドミノ”に拍車がかかってきている。

さらに岸田首相を悩ませるのが、首相秘書官に任命した長男・翔太郎氏の“官邸機密漏えい疑惑”。閣僚の辞任タイミングや法案準備、首相答弁など官邸のトップシークレットとなる案件のいくつかが翔太郎氏から女性記者に漏れていたとする事案で、岸田首相は『情報管理を厳格にすべし』と翔太郎秘書官を厳重注意したという一部報道もあった。

こうした状況にSNS上からは「部下はクビでも息子は厳しく怒ったからセーフ」「大臣は片っ端から首首首。そして息子には『頑張れよ』」「誰が言ったか岸田は人事にしか興味がないって本当にその通りだな」「杉田さんをクビにして完全に保守を敵に回したな」「岸田政権と自民党は、左翼の言い掛かりとマスコミの偏向報道に譲歩し屈した事になるが、その重大さを理解しているのか」「ダダ漏れ秘書官クビにせんのか!」「部下を守らない情けない」など手厳しい意見が飛び交っていた。

感想
息子が可愛いのは当然です。
問題は、能力のない息子を秘書官にしている岸田首相です。
秘書官にされ、力がないのに必死で頑張っている息子はけなげです。
親の期待に沿わないといけないと必死です。

考えてみたら、首相自身が能力欠如なので、能力欠如の人が行っていること自体がおかしいのです。