エルソル飛脚ブログ ~Run 4 Fun~

四万十川周辺をチョロチョロしている飛脚の記録です。

エルソル大阪物語■3■「大阪のオバチャン」

2018年01月10日 | エルソル大阪物語

■3■


「梶丸文化2階中」

外付けの赤いサビだらけの鉄の階段を上ると、
建て付けが悪いのか反動で手摺りが大きく揺れました。

その揺れに反応したのか、
2階手前の部屋の玄関扉が少し開いてオバサンが覗いていました。

「こんにちは」

とりあえず軽く挨拶だけして通り過ぎ、自分の部屋の鍵を開けました。

右に台所、左に風呂トイレ、正面の襖を開けると4畳半が一間。
家賃は2万7千円でした。
とりあえず荷物を置き、両隣の住民に挨拶に向かいました。

「こんにちはー」、
階段上がってすぐの部屋から「待っていました」と言わんばかりに、
大柄な婆さんが出てきました。

『大村さん』
大柄でギョロ目の眼光が鋭い。
やけに下腹の出が目立つ・オバサンというよりもお婆さん・一人暮し。

大村婆「隣に住む兄ちゃんか?」
   「ええ兄ちゃんが来てくれたワ~」
   「ちょっと待ってな、そっちの奥さんも呼んでくるサカイ・・」
   「お~い奥さ~ん!」

『西田さん』
丸顔・小太りで、笑うと目が無くなるヒトの良さそうなオバサン。

 大村婆「ウチらどんな人が入るんか心配しとったんやでぇ~」

西田オバ「いや~ええ兄ちゃんが来てくれたワァ~、よかったワ~」

 大村婆「兄ちゃんタバコ吸うんかいナ」
    「気ィつけてナ~」
    「ワタシら年寄りは燃えやすいサカイ、ハハハハ」

西田オバ「アタシも脂たっぷりやからナ~、ガハハハハ」

  上田「よろしくお願いします!」

生まれて初めての一人暮しは戸惑いの連続でした。
飯の炊き方、アイロン、電車の乗り方、銀行振込・・
何もかもが勉強でした。

両隣の「大村婆さん」や「西田オバサン」が
僕の「親代わり」を買って出てくれました。

「大村婆さん」は何か宗教の信者らしく、朝夕大声でお経を唱えます。
1日数回ウチの玄関横の【小窓】を勝手に開け閉めして
「どないや兄ちゃん、何か困ったことあるか?」と聞いてきます。
いかにも「大阪のオバチャン」らしく、馴れ馴れしく世話好きのお婆ちゃんです。

新聞の勧誘が来ました。
たくさんの粗品を勝手に差し出し、契約にこぎつけようと必死です。

 上田「あの・・今のところ新聞とる予定はないので・・」

新聞屋「その映画券と洗剤とティッシュ、それで1ヶ月だけでも頼むワ」

 上田「・・いや~、その、今のところ新聞とる予定はないので・・」

しばらくやりとりした後、やっと帰ってくれました。

すぐに玄関横の【小窓】が開きました。

大村婆「兄ちゃん!あんな言い方しとったらナメられるワ!」
   「イランもんはイラン!!って言わなアカンで~」

洗濯物を3階屋上に干しました。
部屋に戻ると【小窓】が開きました。

大村婆「兄ちゃん、あの狭いところにようあんだけ干せたナァ~」
   「天才やナァ~」
   「でもあの靴下の干し方アカンで~、乾かへんワ~」

生活用品を買いに商店街に出ました。
帰ってくると【小窓】が開きました。

大村婆「兄ちゃん田舎からの荷物預かってんでぇ~」
   「ええもんやでぇ~きっと、楽しみやナァ~、ナァ~」

期待に応え、荷物の中から「お礼の品」を差し上げました。

大村婆「いやっ、兄ちゃんかなわんナァ~、そんなんええのにナァ」
   「いやっ、おいしそうやナァ~」
   「ちょっと待ってナ、飴チャンあげるサカイ・・これ持って行き!」

たくさんの黒飴をティッシュに乗せて渡されました。

その後、田舎からの荷物には、
「大村さん用」「西田さん用」のお菓子が入りました。

チャーハンを作ってみました。
油が多すぎてギトギトしました。
そのフライパンをすぐに水に浸けてしまいました。
「パンッ!!」と大きな音と共に油が飛び散りました。
【小窓】が開きました。

大村婆「どないしたん?うわあ、・・やったナァ~」
   「ハハハハハハ」
   「そやけど火ィだけは気を付けてナァ~、年寄り燃えやすいサカイ」

「西田オバサン」は、
一人暮しではなくて「西田一家」でした。
ご主人(無職っぽい)・小5の娘との三人暮しです。
玄関の前にはたくさんの植木鉢があり、いろんな花を咲かせていました。
(しかし、4畳半に3人って狭いやろうな・・)

西田オバ「兄ちゃん彼女とか居~へんの?」
    「オバチャンら耳遠いから気にせんで構へんで~、ガハハハ」

2層式洗濯機の排水ホースが抜けてしまい、
床を水浸しにしてしまいました。
真下の部屋の大柄な『頑固じじい』が凄い剣幕で怒鳴り込んで来ました。

頑固じじい「コラお前!何さらしとるんじゃ!!」
     「下に漏れてきとるやんけ!どないしてくれるんじゃ!!」

すぐに両隣からオバタリアン達が登場。
 大村婆「兄ちゃんもワザトと違うねん!誰でも失敗はあるわナ!」
    「そんな怒鳴らんでもええんちゃう!?」
西田オバ「そうや、そんな言い方したらアカンわ!」
    「大人げないんちゃう!?」

頑固じじいはブツブツ言いながら退散しました。

すぐに雑巾を持って下の部屋に拭きに行きました。
思ったほど漏れている訳ではなく、すぐに謝罪して終わりました。
物凄い形相で睨み続けられました。
部屋からは酒の臭いがプンプンしました。

こうして初めての一人暮しも、
二人のオバサンに見守られながら
徐々に生活のリズムを作っていくことが出来ました。

「いよいよ入学式か~、緊張するな・・」
壁に掛けた紺の制服ブレザーを見ながら思いました。

■3■

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エルソル大阪物語■2■「受験」

2018年01月10日 | エルソル大阪物語

■2■


翌日受験当日、
少し早めにホテルを出ました。

『関西美容理容難波専門学校』は7階建の大きなビルでした。

試験内容は「学科試験」と「面接」のみです。

「学科試験」のある5階教室まで階段で上りました。
壁3面がガラス張りという明るい教室で試験は行われました。

始まるまではとても緊張しました。
試験科目の「一般常識」は大阪に来る汽車の中で勉強しただけで、
まるで見当のつかないものでした。
大阪の親戚美容師おばさんの、
「大丈夫、大丈夫、名前さえ書いとけば絶対受かるから」
という言葉にすがるしかありませんでした。

受付を済ませ「来た者順」で席に着いたのですが、
目の前に座っている学ラン姿の『小さな丸坊主君』は、
どう見ても中学生・・
「ん??、中学生も一緒に受験?」
「そういや~専攻に高等課程(中卒)・専門課程(高卒)ってあったな」
「でもまさか同じテスト用紙じゃないだろう・・」

列の前からタスキリレーで試験用紙が配られ、
最後尾に座っていた僕は「丸坊主君」に用紙を渡されました。
「え?試験用紙、中卒と同じ?」

とりあえず用紙に目を通すと、
「1+1+(-1)=」とか「リトマス試験紙」とか、「一般常識」というよりも・・・
「ひょっとして試験会場間違えたか?」
と思いキョロキョロしていると、やはり他の人達もソワソワしていて、
それを察知した男性教官が、
「ひとつ申し上げておきますが、」
「高等課程、専門課程、同じ試験用紙です!」
「繰り返します・・」
と見るからに神経質そうな顔で言いました。

「学科試験」は楽勝でした。

「面接」は別の教室で行われました。
扉の前は狭い階段の踊り場になっていて、並べられた椅子に座り順番を待ちました。
ベージュ色に塗られた頑丈そうな鉄の扉は威圧感たっぷりでした。

「次の方どうぞ」
高校で習った面接マニュアルに従い、真剣に望みました。
「ノックは2回」
「どうぞ、と言われるまでドアを開けてはならない」
「ドアを開けて浅いおじぎ」
「ドアを閉めて浅いおじぎ」
「どうぞお掛けください、の声で椅子を軽く引き、」
「左手より入り浅く腰を掛け、背筋を伸ばす」

しかし、2人の面接官の思いもよらぬ言葉がその緊張感を台無しにしました。

「上田君は遠方から来られているので先に申し上げますが・・・」

「合格です!」

「あとで制服のサイズを測って帰ってください」

度肝を抜かれている僕を尻目に履歴書に目を通し、続けて

「高知からですか・・ウチには寮が無いんですがどうされます?」
『少し大柄なジャンボ鶴田似』が聞いてきました。

「中村高校といえば、あのセンバツ準優勝山沖投手の?」
学科試験会場にいた『7:3分けの神経質顔』がそこで初めて聞いてきました。

中村高校ブランド「山沖投手」が出てきた事に気を許し、
面接というより雑談といった感じで和やかに進みました。

制服(ブレザー)のサイズ合わせをして、受験が無事終了しました。

早速1階にあるピンクの公衆電話でオフクロに電話しました。

「今終わった、合格って言われたけどホンマやろか?」


学校に寮が無いのでアパート暮しになりました。
初めて親元から離れて、念願の1人暮しです。

アパートは親戚の警官のオッチャンが探してくれました。
(親戚の美容師おばさんと夫婦)

難波大阪球場のすぐ横から南に向かう「南海電車」、
「南海電車」は車体全体がモスグリーンで、青虫のようでした。
急行で行くと、難波~新今宮~堺~羽衣~となり、終点は和歌山です。

急行で3つ目の駅が新しく住むことになる「羽衣」です。

難波を出発した南海電車は「通天閣」を近くに眺めながら、
わずか5分で「新今宮駅」に到着します。

「新今宮駅」から見える風景は、浮浪者などが路上で寝ていたりして、
華やかな難波の裏側を見るような感じでした。
南海電車はしばらく高架上を走るので、
電車の中からはその様子を見下ろすことになります。
「わずか5分でこうも違うものか・・」

電車は少しの間危険な匂いのする西成区を通過します。
「住吉大社」のある住吉区、「南港」のある住之江区、
日本一汚い河川「大和川」を越えると「堺駅」に到着します。

堺駅から見える景色は海が近いことを感じさせてくれます。
「臨海工業地帯」の工場群が遠くに要塞の様にそびえ立ち、
幾つもある大きな煙突からは煙がもうもうと空に上っています。

堺を過ぎると電車は高架を下り、住宅街を走ります。

「羽衣」(高石市)はそんな住宅街にありました。
短大もあり、駅前も結構賑やかで、
「ロッテリア」「西友スーパー」などに人が集まっていました。
駅前はロータリーになっていて、
タクシーが停まっていたりラーメン屋台があったりします。

羽衣商店街という昔ながらの通りを歩くこと5分、
ビュンビュンと車の走る国道26号線を渡ります。

4車線の車道は田舎の中村には無く、横断歩道さえも長く感じます。
信号が青になると「カッコー、カッコー」とうるさい音がします。

大通りを渡るとそのまま脇道を直進します。
もう目の前には大きな「浜寺公園」が見えています。

その途中、建物と建物の間の細い路地を曲がります。
細い路地は自転車が1台止まってあると行き来が不便になるくらいです。
その狭い路地の突き当たりがこれから住むことになるアパートです。

「梶丸文化2階中」

住所の文字通り、
2階建ての文化住宅(全6世帯)の2階の真ん中が僕の部屋です。

2階に向かう赤い階段を上りました。

■2■
南海電車

通天閣

堺臨海工業地帯

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エルソル大阪物語■1■「旅立ち」

2018年01月10日 | エルソル大阪物語

■まえがき■

私事ではありますが、この冬に無事に50歳を迎えることができました。
正月には10年ぶりに高校の同窓会が開かれ、私も幹事の一員として楽しい宴に酔いしれました。

前回10年前の同窓会では会員制SNSが誕生し、
その中で私は、同じ時代を生きてきた同級生達にむけてある物語を書きました。

私の若かりし頃の苦悩を面白おかしく綴ったその物語は、
今読み返すと割と時代背景をとらえており、アツい時代を懐かしくさえ感じます。
そして今、その世代の子供達が同じ年頃を迎えており、
子世代への何らかのエールになれば・・と当ブログで再UPを決意した次第です。

登場人物などはほぼ仮名になりますが、おおかたノンフィクションです。
10年前に書いた、そして更に20年・30年も前の物語ですがお楽しみください。

■序章■


【経営の神様、松下幸之助の言葉】
人は燃えることが重要だ。
燃えるためには薪(まき)が必要である。
薪は悩みである。
悩みが人を成長させるのだ。

みなさんは「青かった若い頃」を覚えているでしょうか?

自分の20代は「苦悩」の連続でした。
「青い自分」は「苦悩」にうまく対処しきれず、もがき苦しみました。
しかし多くの『出会い』に助けられ、乗り越えていきました。

同世代のみなさんも「同じ時代」を「同じ感覚」で過ごしているので、
共有できる部分も多いのでは?と思います。
長いので退屈しのぎに読んでもらえるとうれしいです。

では、長~い長~い物語をスタートします。
時代はタイムスリップして中村高校時代です・・

■1■


昭和61年春
卒業式を目前に控えた高校3年生。

僕は同級生岡野セイジの家に自転車で向かっていました。

岡野家のある細い路地は少し坂になっていて、
気分の乗らない足で漕ぐ自転車のハンドルは左右に揺れました。

岡野家は玄関が2つあり、その一つは2階のセイジ部屋に直接出入りが出来ました。
おかげで親に挨拶せずとも上がり込め、
思春期の高校生にとってはうれしい環境でした。

2階にあるセイジ部屋は赤紫の絨毯が部屋をいくらか暗くさせた感じでした。
高校のトイレから盗んだ剥き出しの鏡が立てかけられ、
黒いステレオの真空管アンプがやけに目立ちます。

レンガに乗せられた大きなスピーカーの上にはレコードが置かれ、
ジャケットに目を移すと「マドンナ」が艶めかしくこちらを見ていました。

親公認(?)のガラスの灰皿が部屋の隅に無造作に置かれていたりして、
当然同級生達の「溜まり場」になっていました。

その溜まり場も、
大学など進路が決定した者達からだんだんと訪れる者が減ってきていました。

岡野「オウ!来たか・・・で、どうやった!?」

上田「ダメやった」
  「あ~あ、あと1校しかないでぇ・・ヤバ~」
  「・・あれ?今日、ハマトモは?」

岡野「東京受かったらしいで」

上田「え~な~、これで決まってないのはとうとう俺らだけか~」
  「それにしてもみんな静かに居なくなるな~」
  「・・で、セイジはどうするが?」

岡野「たぶん、もう大阪のコンピューター学校やろうね」

上田「そうか、・・ヨシッ!俺も残り1校落ちても大阪行くぞー!」

南向きの割には少し暗いセイジの部屋で、「ふぅーっ」とタバコの煙を吐き出しました。
煙は行き場を失い、しばらく辺りを漂いました。

「高知県立中村高校」は大学・専門学校などへの進学率が高く、
地元では「進学校」と呼ばれていました。
県西部の田舎に大学・専門学校などの施設は無く、卒業生の多くは田舎町を後にして全国に散らばります。

案の定、関西地方の大学を全てスベった僕は「専門学校」を考えました。
(親は浪人を許してくれませんでした)

3月1日の卒業式を終えてから受験できる専門学校は少なくて、
「調理師」「理美容師」の2次募集くらいしか見当たりませんでした。

母が美容師で、
小さな頃から見てきた安心感から「理美容師」を目指すことにしました。
老いてからも出来るであろう「理容師」の方を目指します。
既に遊び半分で同級生達のCUTを経験しており(20人程度)、
「得意分野」という意識もありました。

高校を卒業して数日後、
まだ進路が決まっていない僕は、私服で高校の進路資料室へ出向きました。
理美容学校のパンフを探します、
「やっぱ最低四国は出たいなぁ~」
「えーっと、専門学っっ・・あったあった」
「おおさか・・、りびようし・・」
「は?1コしか無いやん!」
「高津理美容専門学校?・・何じゃコリャ?ダメダメ、ショボそう」
「先生!!他のは無いんですか!?・・調べておいて下さい!」

都会に対する憧れ、期待、希望、
【都会に出ないと何も始まらない・・】
そういう衝動に駆られ、少しでも都会の匂いのするパンフを探しました。

その後、
数あるパンフの中から「関西」というネームバリューに期待し、
『関西美容理容難波専門学校』を受験することになり、大阪難波に出向くことになりました。

朝8時中村駅、
中村発の特急列車に乗り込みました。
受験シーズンは有志の同級生達が毎日「お見送り」をしてくれたそうですが、
駅にはもう誰もいませんでした。

汽車の中では受験科目でもある「一般常識」という本で勉強していました。
海岸線はトンネルが多く、
日差しが入り込んだり暗くなったりを繰り返します。
混雑した車両は停車駅の度にさらに混雑を増し、
高知駅に着く頃には通路もギュウギュウ詰めになりました。

高知駅で一度大量にハケる乗客、
しかし同じ位の数の乗客が乗り込み、再度ギュウギュウ詰めに・・
「こりゃ~もうトイレも行けんな・・」

終点高松に着くと「宇高連絡船」に乗り換えます。
長い間通路に立たされた乗客は、
ここぞとばかりにダッシュして船の座席確保を目指します。

「宇高連絡船」は高松と岡山宇野をつなぐ比較的短い航路です。
甲板で食べられる讃岐うどんの味はとても人気で、列を作りました。

うどんを食べて少しすると宇野に到着します。
国鉄宇野―岡山線に乗り換えです。

連絡船から列車まで再びダッシュして座席確保を目指します。
宇野―岡山間は乗客の出入りも少なく、
疲れた体には意味の無い停車に苛立ちさえ感じます。

岡山に到着すると新幹線に乗り換えます。
幾つもの階段を早足で駆け上がり、ついに新幹線に乗り込みます。

博多発の新幹線は、岡山到着時には既に満員です。
しかしそれでも押し込まれるようになだれ込みます。

「新大阪」に到着です。
「・・もう急がんでもええ」
後は地下鉄御堂筋線で「難波」に向かいます。

難波の地下に着くと地上の百貨店「高島屋」を目指します。
大きな建物を目印にしないと田舎者はすぐ迷子になります。

高島屋から徒歩1分、宿の「ホテル南海」に到着です。

「ホテル南海」は大学受験で二度利用していて、慣れていました。

チェックインを済ませて部屋に荷物を置き、とりあえず外に出ました。

『関西美容理容難波専門学校』(通称・関美)は、
「ホテル南海」の目の前にありました。

ホテルの前に立つと、
通りの向かい右手に「大阪府立体育館」、
左手には「大阪球場」・「高島屋」などがそびえ立ち、
まさに大阪難波繁華街のド真ん中という印象でした。

僕は高いビル群に圧倒され、しばらく上を見上げたままでした。

■1■

国鉄土讃線

宇高連絡船

連絡船内讃岐うどん

高島屋

ホテル南海

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