エルソル飛脚ブログ ~Run 4 Fun~

四万十川周辺をチョロチョロしている飛脚の記録です。

エルソル大阪物語■23■「負け犬」

2018年01月18日 | エルソル大阪物語

■23■


初任給が出ました。
8万円でした。

ビッグカメラという家電屋でテレビとビデオを買いました。
(頭金2万のローン)

早速マスターに叱られました。

伊東マスター「どうして鋏を買わないの?」
      「どうして自分の仕事道具を買わないの?」
      「講習費とかもいるんだよ」
      「もっとお金は大事にしなきゃ・・」
      「テレビなんか要らないよ」

学生気分が抜けず、少ない給料で仕事道具を買うのは嫌でした。

少ない給料という自覚もありませんでした。
外食すると最低でも700円という物価高。
朝飯は抜き、お店の昼の仕出し弁当が主食で、夜はコンビ二おにぎりという毎日でした。

ビジネス街のド真ん中にあるお店は、
ゴールデンウィーク中はお客さんが来ないという事で3日間休みがもらえました。

田舎の友達の家を泊まり歩く事にしました。
大学生の皆はバイトもしていてワンルームマンションなどきれいな所に住んでいました。

東大生の「ヒロト」のところに向かいました。
目黒は相変わらず坂の多い町でした。

「日の丸自動車教習所」の近くにあるゴージャスなマンションは、
管理人さんに挨拶してからじゃないとエレベーターに乗れません。

久しぶりに会うヒロトはいつものようにあっさりと出迎えてくれました。

上田「元気にしよったか~?今晩泊めて~」

普段酒を飲まないヒロトが部屋中探し回って、シャンパンを出してくれました。

ヒロト「どう?仕事は・・」

少しだけ間をあけて、僕は答えました、

上田「まあまあかな・・、ん~~、どうやろ」
(いくら幼馴染でもこれだけ環境が違うと何言っても伝わらんかな・・)

本当は不安だらけで、
自分でも「どうなのか」分からず、「どうしていいのか」も分からず悩んでいました。

僕は黙々とシャンパンを飲んでいました。

沈黙が少し気になったのか、
ヒロトがカセットテープを流し始めました。
スウィング・アウト・シスターズの「ブレイクアウト」という曲でした。
軽快な洋楽ポップスは歌詞が分からずとも、心に響きました。

突然電話が鳴りました。
ヒロト「もしもし・・、ああ、お断りします!!」
   「いりません!!!」

電話を切って、頭を掻きながらイライラした様子で言いました。
ヒロト「この前から急に変な電話がかかってくるようになった・・」
   「地球儀買えとか、幸せの壷買えとか・・うっとうしい!」 
   「この電話番号は数人にしか教えてないのに・・」
   「おかしいなぁ・・」 

 上田「・・・・」(スマン、映画のアンケートのせいやろ)

毎朝すぐ下の道を武田鉄也がジョギングするというので
早起きしてみましたが、見る事は出来ませんでした。

翌日、
1時間かけて横浜の友達の所に行きました。
友達は一浪の大学1年生です。
「はくらく」という駅で降り、
六角橋商店街という少し寂しい商店街を抜けてしばらく歩きました。

高校の同級生「ショウジロー」が出迎えてくれました。
背丈180を越す大きな体は相変わらずでした。

ショウジローのアパートはとてもきれいで、日当たりもよく、気持ちのいい部屋でした。

窓の外には学校のグラウンドが面していて、
砂が舞うので窓を開けるのを嫌がりましたが、僕の頼みでしぶしぶ開けてくれました。

「サアァ~~ッ」と心地よい風が通り抜け、薄手のカーテンが大きく揺れました。

朝にもかかわらず冷蔵庫から缶ビールを出してくれました。

5月ともなると日差しもきつくて、すぐにトランクス一丁になりました。

酒の勢いも手伝って、
これまでのいきさつとこれからの不安を口にしました。

上田「ショウジロー、俺このままでええがやろうか?」
  「7:3分けのサラリーマンばっかりでかまんがやろうか?」
  「このままやって将来中村で店出してやっていけるがやろうか?」

すると彼は言いました。

ショウジロー「辞めれ。」
   「お前・・その店今すぐ辞めたほうがええ」
   「辞めて渋谷・原宿・六本木のオシャレな店でも探せ」
   「お前・・自分の店ぞ!」
   「ただの散髪屋になるがか?洗練されれや!センス磨けや!」
   「それが立派ながやないがか?」

今まで「頑張れ」「負けるな」という言葉は耳が痛いほど聞いてきたが、
「何かを途中でやめること」を応援されたのは初めてでした。
でも、実は心のどこかでひそかにその言葉を待っていました。

教師を目指しているショウジローの言葉に心が動かされ、決めました。

上田「・・・よし、辞める!」
  「でももう正直東京ではようせん、何かちょっと背伸びしすぎた」
  「初心に帰って大阪に戻る」
  「大阪でやる!・・」

後日アパートでマスターと長時間の激論になりました。
(収拾つかないまま話は終わる)

関美理容科はじまって以来の東京進出だった為、
期待してくれた先生方に「お店を辞める事を報告しなくては・・」
と公衆電話から学校に電話しました。

長島先生「おう、どないしたんや上田」

  上田「せっかく紹介して頂いたのにスミマセン」
    「実は・・・」(自分の思いを正直に話す)
    「大阪帰ろうと思ってるんですけど」
    「働くお店はまだあるでしょうか?」

長島先生「それやったらな、お前、藤本先生知ってるやろ?」
    「心臓悪ぅしてな、教師辞めてん」
    「お前、関美で助教師やってみるか?インターンも取れるで」
    (インターンという実地修練を経て国家試験が受けられます)
    「1年でええから、関美で助教師やりながらお店探したらええわ」
    「ええ勉強になるでぇ~、お前やったら古尾先生も喜びハルわ」

専門学校に戻り助教師をやるという前向きな理由にマスターも納得。
あいさつ回りもほどほどに荷造りをしました。

「堺引越しセンター」が東京からの「帰りの便」があり格安でした。
大阪泉南の親戚の美容師オバサンところに荷物を送るようにして、
東京を後にしました。

大阪に向かう新幹線の中で、
遠ざかる「東京」を背中に感じながら自分自身に「負け犬」というレッテルを貼り付けました。

■23■
Breakout - Swing Out Sister

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エルソル大阪物語■22■「地に足がつかない・・」

2018年01月18日 | エルソル大阪物語

■22■


東京二日目、
「カットサロン伊東」初日を迎えました。

幾分冷静にはなれましたが、早くも危機感が感じられました。

落ち着いて見た店内は「東京の洗練された」というものではなく、
全国の何処にでもあるような床屋という感じで、期待するのは「洗練された技術」だけでした。

ところがやって来るお客さんはビジネスマンばかりで、
7:3分け、オールバック・・・
不安な気持ちで与えられた仕事(掃除・洗濯)をしていました。

伊東マスター「じゃぁ上田君、毛剃り入ってください!」

「その時」は2日目の午後に突然やってきました。
マスターがCUTした後に「毛剃り」をするのです。

お客さんは40代のサラリーマンでした。
シェービングカップに泡立てている手が震え、極度の緊張に包まれました。

その緊張感はお客さんにもしっかり伝わっているらしく、
やたらとツバを飲み込んでいました。

専門学校とは違うサロンの雰囲気、照明、立ち位置、感覚、
全く違う環境の中で「心」は行き場を失い、「体」も思うように動きません・・

震える手でカミソリを持ち、お客さんの額から剃り始めました。
剃り始めると少しだけ緊張も溶け、次第に集中出来る様になりました。

でもやはり下手クソでかなり時間がかかりました。
しびれを切らしたお客さんが「もういいよ・・」と言いました。

上田「すみません・・」
少し落胆しながら謝りました。

「あ、鼻毛を切ってくれるかなぁ~」
お客さんが再度チャンスをくれました。
「(鼻毛くらいなら・・)」と頑張りましたが、何と、鼻の一部を挟んでしまいました。

「ウッッ、」

少し多めの血が流れ始めました。
上田「ス、スミマセン!」

慌てた僕は瞬時に措置を考えました。
「切り傷」=「メントールクリーム」

専門学校でよく使った手段で、
勢いよく「メントールクリーム」をすり込みました。

「フンッ、ハァァァ、フンッ、ブシュー、ハァァァー」
お客さんは苦しみ、涙を流し始めました・・

あろうことか、鼻の穴には大量のメントールクリームが入っていました。

夜になり、
マスターの家で僕の歓迎会が開かれました。
マスターの家は練馬区の「桜台」という町にありました。

長テーブルにはたくさんの揚げ物が並んでいました。

伊東マスター「さあ、どんどん食べて~」
      「上田君はお酒飲めるの?・・飲みなよ」

「鼻メントール事件」は既に武勇伝となっており、家族のみんなに笑われました。

東京に来て、まともな食事にありつけたのは初めてで、
たくさん食べてたくさん飲ませて頂きました。

次の日は午前中の暇を見つけて「毛剃りレッスン」になりました。

どうやら専門学校卒は、
「毛剃りが出来て当たり前」という定説があるらしく、
マスターはシェービングも満足に出来ない僕に落胆した様子でした。

それとは別に、
「試しに・・」と巻かされたパーマは絶賛され、
先輩の「安部君」より上手く「即戦力」と言われました。

一週間が経ち、初めての休日になりました。
お店の洗濯機を借りて下着などの洗濯をしました。
「豊島区役所」「郵便局」など用事に追われました。

区役所の前で、おじさんに声を掛けられました。
おじさん「映画のアンケートですが、時間ありますか?」
  上田「・・・いいですよ」

簡単なアンケートに答えました。
おじさん「後日抽選で何か当たるかもしれないから」
    「住所・電話番号と名前を書いてくれる?」

何か嫌な予感がしました。
いたずら心で友達の住所を書いてみました。
「目黒区・・」

「サンシャイン60」にも行きました。
下から見上げると、のけぞるくらい高い建物でした。
地下にはオシャレなテナントがたくさん入っていました。
かなり歩いて疲れたので、ある「喫茶店」に入りました。
何と、
コーヒーを運んできたのは高校の同級生女子「マリナ」でした。
お互いにかなりビックリしましたが、店内は忙しくてたいして喋る時間がありませんでした。
バイトとはいえ、同じ田舎出身の彼女が頑張っている姿に少し勇気づけられました。

次の日、
兵庫県から年上の新人さんがお店に入ってきました。
関西出身のわりには上手な標準語でした。
どうやらいろんなお店を転々としているらしく、初日から堂々としていました。

伊東マスター「同じ関西だから話が合うんじゃない?」

しかし、「お腹が痛い」と翌日から全く来なくなりました。

僕は「仮病」も使えない皆勤性格が幸いして、
ひと月もすると東京生活にも慣れてきました。

アパートは住所でいうと「上池袋」にあり、
繁華街の池袋とは違って密集した住宅街の中でした。

銭湯は270円でした。
そうそう簡単に入れる値段でもありません。
銭湯には刺青の人がたくさんいました。

部屋の壁に紐を渡し、タオルを干しました。
タバコの煙はやはり部屋の隅に集まりました。

大阪の関美の連中から手紙が来たりしました。
音の無い寂しい部屋で手紙を読むと、書かれている情景がよく分かりました。

年下先輩の「安部君」とも仲良くなり、
彼のアパートにも遊びに行くようになりました。
ウチから10分位歩き、たくさんの線路をまたぐ歩道橋を渡ります。
歩道橋は金網のトンネルで、
遠方に見えるサンシャイン60の夜景は何だかもの悲しい感じがしました。

「安部君」のアパートは家賃がウチより高いのに同情するくらいボロボロでした。
部屋の壁も薄く、隣の人の話し声もしっかりと聞こえます。
しかしそんなことを少しも気にせず、
深夜にオーディオでロックをガンガンかける彼の爽快な性格は好感が持てました。

テレビを持っていなかった僕は、
土曜日の深夜「MTV」を観させてもらいに「安部君」の部屋に上がり込みました。
深夜でもやはりボリュームはかなり大きく、
テレビからは「トレーシーチャップマン」の「ファスト カー」が
とても悲しげに流れていました。

1歳年下で千葉出身の彼が何気なく言いました。
「僕はね、立派になってね、散髪屋で両親を食べさせてあげるんだ」
「・・親には感謝しなきゃね」

・・・ドキッとしました。
「洗練された」とか、「センス」とか、
うわべの事ばかりの自分が少し情けなくなりました。

■22■
Tracy Chapman - Fast car

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エルソル大阪物語■21■「上京」

2018年01月18日 | エルソル大阪物語

■21■


昭和62年春、

就職すると給料が入るので荷物の殆どを田舎に送り返し、
衣類と布団だけを指定された池袋のアパートに送りました。

「親代わり」にお世話になった「大村婆さん」「西田オバサン」にお礼を言うと
階段降りてわざわざ見送りに出て来てくれました。

大村婆「若いツバメが去っていくわぁ~」

西田オバ「ガハハハ」

大村・西田「ほな兄ちゃん!元気でなあー!」

大きな声と共に手を振られました。
(自分の親でもされたことがないので恥ずかしかった。)

国鉄は「JR」という名称に変わりました。

新大阪から東に向かう新幹線は初めてでした。

窓から見える景色は殺風景なのだが、新鮮な気持ちに変わりはありません。

終点東京に近くなると、新幹線は突然「巨大なビル群」に囲まれました。

圧倒的な都会・・・、窓にへばりつく自分は緊張感に包まれました。

「これから日本の頂点で戦うんだ・・」

気持ちの高ぶりを抑えてくれたのは池袋駅に着いてからの「大雪」でした。

春のボタン雪は水分をたっぷり含んでいて、
いっちょうらのDCブランド黒スーツがびしょ濡れになりました。

「これからお店に挨拶しに行くのに・・」

雪を地図から払いのけながら歩いていくと、目印の「サンシャイン60」が見えてきました。

すぐ近くの高架下に『カットサロン伊東』がありました。

『カットサロン伊東』
北海道出身で小柄な『口ひげのマスター』が出迎えてくれました。

マスター「雪の中、大変だったね~」
    「まあ、そこに座りなよ」

  上田「あ、いいです、立ったままで・・」

びしょ濡れのスーツのままで客待ちソファーに座るわけにはいけません。

「このタオル使って」
大柄でメガネの奥さんが綺麗な白いタオルを渡してくれました。

「マスター」「奥さん」、
そして、年下だがこの店では先輩になる『安部君』、
春休みで暇を持て余しているマスターの高2娘など、皆優しそうな感じで安心しました。

その日は店の説明だけで、アパートの地図を渡されました。

おそらく不動産屋でコピーされた白黒の地図には、
これから住むことになるアパートが黒く塗りつぶされていました。

アパートはお店から徒歩10分、
車通りから路地を曲がり、少し歩いた所にありました。
・・が、どうやら一軒家のようです?

表札に「谷岡ススム」と書いてあります。
上田「すみませーん!大阪から来た上田ともうしますが・・」

いかにも主婦らしいオバサンが出てきて
「はいはい、ああ上田さんね」
「荷物きてるから、部屋2階ね、ああこれ鍵ね」と矢継ぎ早にいいます。

上田「・・・(ん?もしかしてアパートではなく下宿なのか?)」
  「では失礼しまーす・・」と上がろうとすると、

オバサン「あ、こっちじゃなくて」
    「横に廻ると別に階段があるから・・よろしくね」

そう言うと、くるりと背を向けて奥に引っ込みました。

関西のような馴れ馴れしさは全く無く、少し物足りない感じがしました。

とりあえず外に出てみたものの、どこを見ても「階段」がありません。

「物置」が目に止まりました。
勇気を出して引き戸を開けてみました。
ビックリ、忍者屋敷の様な細い階段が付いていました。
(どうやら自宅の2階を人に貸すため改装したらしい)

「これから毎日物置から通勤するんか・・」
「まあ仕方ないか・・池袋で2万円のアパートやからなあ~」

部屋は4畳一間でした。
押入れもありません・・、
窓が一つあるので開けてみました。
木枠の窓はすべりが悪く、途中でガタガタと音を立てます。
隣の家の壁しか見えないのですぐ閉めました。

日当たりゼロ、風呂無し、トイレ共同、
部屋の隅には驚くほど小さな流し場がありました。
水道の蛇口をひねると勢いの無い水が「トー」と流れます。

既に届いていた荷物を広げ、布団に横たわりました。

とりあえずタバコに火をつけました。
タバコの煙は部屋の隅に集まりました。
「銭湯を探さんといかんな・・、それと洗面用具か・・」

東京には「コンビニ」がたくさんありました。
セブンイレブンのおにぎりが僕の主食になりそうです。

「さすがに大都会には安い定食屋なんか無いか・・」
「しかし住みにくそうな街やな・・」
「やっていけるかな・・」

音楽プレーヤーのイヤホンを耳にあて、不安な気持ちで寝ました。

しかし、
本当の不安は次の日の初出勤になる「お店」の方でした。

■21■
JR東海ファイトエクスプレス

懐かCM JR東海「ファイト!エクスプレス」(2)

懐かCM JR東海「ファイト!エクスプレス」(2) [その他] もらいもの89~90年ごろに放送したやつ 曲は尾崎豊「I LOVE YOU」

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