エルソル飛脚ブログ ~Run 4 Fun~

四万十川周辺をチョロチョロしている飛脚の記録です。

エルソル大阪物語■29■「いろんな間違い」

2018年01月20日 | エルソル大阪物語

■29■

歴代のなかでも優秀だった理容科の生徒達。
卒業間近には全員の就職先が決まりました。

本来は僕もこの生徒達と共に再び羽ばたこうと思っていましたが、
インターン日数の関係で5月まで学校に居なければなりませんでした。

・・まさかこれが悪夢の始まりとは・・・

卒業生が例年より多かった為、「いい募集」は4月に出払ってしまいました。

堺東の『カットハウス〇座』に面接に行きました。
小さいけれどきれいなお店でした。
でも、何か心の中で釈然としないものがありました。
「今度の就職は納得できるものでないと、全部無駄にしてしまう」
・・・3日間考えた上で丁寧にお断りしました。

瀬戸大橋が開通しました。
宇高連絡船のうどんはもう食べられなくなりました。

5月になり、
ある月曜日に同期の「和歌山の水落君」が訪れました。
柳沢シンゴ似に変わりありませんでした。
就職先の和歌山のお店でかなりしんどい思いをしているらしく、
「辞めたい」という相談でした。

みんな就職してちょうど1年が過ぎた頃が一番辛いらしくて、
次々に同期の連中が愚痴をこぼしに来たり、新しいお店を紹介してもらいに来たりしました。

そんな中、
女の子の「ぷっつん富長」は皆と違った理由でお店を辞めていました。
「手荒れ」がひどかったのです。
「手荒れがひどく美容師を辞める」とはよく聞くフレーズですが、
富長の手の皮はボロボロにはがれて、パンパンに膨れ上がり
ドクターストップがかかるほどのかわいそうな手でした。

富長はカバンから大事そうに『鋏』を取り出し、
「私もう理容師せえへんから上田君これ使って・・」と言いました。
勿論そんな大事な物は貰うわけにいかず、
一度は断りましたが、富長の『無念な思い』と一緒に受け取ることにしました。 

富長「ええ鋏やで~、大事に使ってよ」

まだ修行に入ってない僕にはその鋏は重たくて立派なものでした。

5月の終わり、
僕は長澤先生・古野先生に、僕の助教師の後釜に「和歌山の水落君」を推薦しました。
水落君も快く了解し、めでたく「水落先生」が誕生しました。

間もなくして僕は関美職員を退職しました。
それからすぐに諏訪ノ森のアパートの契約が切れました。

次のお店が決まるまでは
泉南の親戚、美容師オバサンの所にお世話になることになりました。
引越しは「水落君」と「武田先生」に手伝ってもらいました。

泉南の親戚は、
美容師オバサン、オッチャン、おばあさんの3人暮らしでした。
オバサンは美容師で商店街にお店を出していました。
オッチャンは大阪府警の警察官でした。
夫婦は子供に恵まれなかった為、随分可愛がってくれました。
しかし毎日の様なオッチャンの説教はたまりませんでした。
口癖は「なっとらん!」でした。

オバサンの美容院がある「男里駅」周辺をフラフラしていると、軽自動車から声がしました。
「上田先生ちゃう!?」

竹中先生でした。
(・・そうか、この人も泉南やったか)

ヒマだったんで助手席に乗り込みました。
竹中先生は相変わらずミニスカートを履いていました。

上田「うわーっ、キッツイな~、目の毒や~」

竹中「いきなり失礼やな!ホホホホ!」
  「どっか行くケ?」

上田「あんましお金持ってないからな~」

竹中「ウチ来るケ?」
  「今日はお祭りやからな、ぎょうさん御馳走あんで~」
  「由美も楽しいしナ、ホホホホ!」

上田「ユミいうなよ、遠慮しとくワ、車降ろして!」

監禁状態で15分も車に乗せられ家に連れて行かれました。

竹中「父ちゃん、紹介するワ、上田先生や」

竹中父はスターウォーズに出てくる小さな戦士のようでした。
しかもパンチパーマと太い腕には迫力がありました。

竹中父「由美の彼氏か!?」

 上田「いえッ、違います!!」(即答)

竹中父「そうやろうな~、あの子あの顔にあの体やろ?」
   「彼氏なんかそうそう出来ひんワ」

 上田「・・・」

竹中父「でもな、やさしいんよ、由美は・・」

 上田「僕もそう思います」

竹中父「まあ飲め!」

何とコップに「日本酒」が注がれました。
 上田「ええーッ!?」

竹中父「今日は祭りやからええやろ、これも食べ!」

大皿で出てきたのは何と「フグの刺身」でした。
 上田「ええーッ?」

竹中父「ちょっと待て、時計はずせ!」
   「酒飲むときに時計見るんは失礼や!」
   「預かるぞ!」

腕時計を人質にとられました。

「お父ちゃん、困ってハルやんか~、もう」
台所から綺麗な女性が入ってきました。

竹中「紹介するワ、妹やねん」

上田「ええーッ!?」(全然ちゃうやん!!)

お祭りだけあって、たくさんの大人が出入りしました。
竹中父は土建屋の社長さんでした。

竹中父「ウィーッ、おい上田!ちょっと来い!!」

大勢の前で紹介されました。
竹中父「由美の彼氏の上田君やー!」

 上田「・・・」(コラ!)

竹中が台所で手招きしています。

竹中「ゴメンな上田君、送るワ、車乗り!」

竹中が女神に見えました。

竹中「早う職見つけなアカンで~、由美も応援するワ」

上田「ユミいうな、んん~、何とかせんとな~」

翌日から就職活動に励みました。

吹田千里丘の『サロン・〇キ』に面接に行きました。
・・長島先生に適当に理由をつけて断ってもらいました。

長島先生に
「本来面接というのはお店側がやるもの」
「このまま行かしてどんどん断ってたら学校に募集が来なくなる」と叱られ、
『紹介所』というのを紹介されました。

『難波理美容師紹介所』は難波高島屋裏の家電屋の並びにありました。

「紹介所」というのは、
紹介所から紹介されるさまざまなお店に最高3日以内働いて、
店側と働く側が双方納得した上で契約されるという
『理想の店探し』をしている僕には願ってもないシステムでした。
しかも働いたお店からは日当が出ました。

石田というメガネの初老がこちらのある程度の要望を聞いた上で、
「これ行っといでェ」と地図が書かれた紙を渡してきます。
茨木『理容〇の』、高槻『理容〇ち』、
千林『理容〇ら』、吹田『カットスタジオ〇』、
忠岡『理容〇ダ』、
と毎日のように廻りました。

石田のオッサンに
「あんたイイカゲンにしなはれや」とよく言われました。

『梅田紹介所』にも行きました。
西岡というオッサンはエラそうでとても感じが悪かったです。

長島先生から電話があり、
「堺東の理容〇み行くか?」と言われました。

『理容〇み』は
これまでのところとは違い、喫茶店での面接でした。
名刺には「代表」などと書かれていて、高級そうなスーツを着た人と面談しました。
『紹介所面接』に慣れてしまっていた僕はアッサリと断りの畝を申し出ました。
・・・大失敗でした。
『代表大激怒!』
すぐに学校に電話があり、
「オタクの方から面接に来といて断るとはどういうことだ!」
「こっちは忙しい時間を割いて会ってるのに!ひやかしか?!」
「・・・今後オタクとのお付き合いは一切しません!」

学校に大変な迷惑をかけ、親戚の家ではタダ飯食い・・

なんだかとても落ち込んできました・・

■29■

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

エルソル大阪物語■28■「出雲の神」

2018年01月20日 | エルソル大阪物語

■28■


「職員研修旅行」、
簡単にいうと慰安旅行です。
1泊2日の山陰旅行でした。

大型バスには年増のバスガイドがつきました。

ガイド「温泉マークの3つの湯気は3回入れという印しですよ~」
   「3回入ってくださいね~」
   「これから向かう出雲大社は縁結びの神様です」
   「おみくじを引いたあと、恋人がいない人は【マツ】の木に・・」
   「既に恋人がいる人は【スギ】の木に、結んでみてください」
   「え~、お兄さんはどちらの木に結ばれますか?」

車酔い防止のため最前列に座っていた古尾先生に質問がとびました。

古尾先生「・・・・、あの~本当に答えたほうがいいのでしょうか?」

車内に笑い。

 ガイド「出来れば・・」

古尾先生「・・・・マツ、かな・・」

 ガイド「マツの木ですか?」

古尾先生「さようでございます」

 ガイド「あの~、どうして一人だけスーツなんでしょうか?」

古尾先生「・・・・あの、特に私だけいじらずに、」
    「他のみなさんにも質問されたほうが・・」

 ガイド「スミマセン、とても気になるんで・・」

ガイドと古尾先生の微妙なやりとりは、マイクを通すとさらに面白味が増しました。

中国自動車道は殺風景で、車内のビデオ映画ばかり観ていました。
バスは2回のトイレ休憩を挟み、出雲大社に到着しました。

長島先生「上田見てみ、古尾先生まだつかまってハルで」

古尾先生はガイドと一緒に松の木にいました。

その横には、小太りの竹中先生がこちらに手を振っていました。

  上田「武田先生も【竹】の木に結んでおいで~や!」

武田先生「冗談キツいワ!」 

宿は皆生温泉でした。
オカマ先生・武田先生・理容部3人の男衆は皆同部屋でした。

カニづくしの豪華料理の後は温泉です。
しかしオカマ先生と古野先生だけが部屋に残りました。

大浴場の温泉は癒されます、

長島先生「中田(オカマ)先生、背中に刺青入ってるらしいで」

  上田「えーーッ!?ああ、それで部屋風呂なんや・・」
    「もしかして古尾先生も?・・なわけないか」

長島先生「あの人はようワカランからな~」
    「お酒も一滴も飲まへんしな」
    「でも北新地行って1万円のウーロン茶飲んでハルらしいで」

  上田「ハァー?」
    (もうあんまり関わらんとこう・・)

長島先生「そんな事よりお前、そろそろ国家試験ちゃう?」


国家試験は「学科試験」と、インターン期間(1年)を修了してからの「実地試験」があります。

「学科試験」は寝屋川の摂南大学で行われました。
京阪電車の寝屋川市駅から徒歩30分というとても遠い会場でした。

大学に到着すると関美同期の連中が出迎えてくれました。

チクリン「上田先生の登場やで~」

上田「おお!久しぶり!先生いうなよ」

ケンシロウ「東君(てんかん歴)お店1日でクビになったらしいで」

上田「そうやろうな~」

やはり関美の連中は目立ちます。
そして相変わらずうるさい。
でも久しぶりの再会を嬉しく感じました。

辻神「おうおう上田先生!カンニングよろしくな!」

上田「席が近かったら見せたるワ」

福嶋「えらい自信たっぷりやのう」

上田「申し訳無いけど、結構自信あるワ」

実際「傾向と対策」はバッチリでした。
毎日現役生徒と一緒に学科の授業を受けていたので、他の連中よりも余裕がありました。

試験科目は「公衆衛生」「伝染病学」「消毒法」「理容理論」
「物理化学」「生理解剖学」「衛生法規」「皮膚科学」などがあり、
ひっかけ問題も少なく、無難に終わりました。

みんな営業中のお店を抜けて来ているらしく、
終わってから集まるような事はありませんでした。

後日、
合格発表は大阪府職員会館で貼り出されました。
番号を探すときはドキドキしましたが、きちんと合格しました。

福嶋「ねえ(無い)・・、ねえ(無い)・・、オレの番号がねえワ」

上田「ラーメン食うか?」

他にも中卒組数名の番号も無いようでした。

学校に帰り、合格の報告をしました。

  上田「長島先生、合格祝いで何か食わしてください」

長島先生「あのな、関美職員の国家試験合格率は100パーセントやぞ」

  上田「ゲッ、知らんかった、先に聞かんで良かったですワ」

長島先生「それよりお前、古尾先生が最近恋してハルらしいで」

  上田「えーーッ、相手は?」

長島先生「A組の松木先生らしいワ」
    「お前と同じ二十歳やで、歳の差ありすぎやろ?」
    「この前なんかデッカイ熊のぬいぐるみをプレゼントしてたで~」
    「それでな、思ったんやけどな・・相手の松木先生」
    「名前・・気にならんか?」

  上田「あ!【マツ】の木かぁ~!」

長島先生「出雲の神もプレッシャーやで~」

その後、
見事に玉砕した古尾先生は慢性胃炎を患いました。

■28■

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

エルソル大阪物語■27■「必殺のバイク」

2018年01月20日 | エルソル大阪物語

■27■


夏休みを挟んだ秋になると学校を辞める生徒が出はじめました。

職員室理容部でも毎日討論になりました。

古尾先生の方針は
・誰一人学校を辞めさせない、落ちこぼれをつくらない
・「出来ない子」「やらない子」に力を注ぐ

長島先生の方針は
・辞めたい者は辞めてもらう
・「出来ない子」「やらない子」に構い過ぎない

実際に学校を辞める生徒というのは中卒組や高校中退組に多く、
そういう弱者の受け皿として理美容業界などがあるというのは現実で、
「辞めたいから」といって簡単に「辞めさすべき」なのか、
とてもに難しい問題でした。

でも学校を辞めてしまうような子は、実際サロンに就職しても続かないようで、
「早めに辞めて次の道を模索する」というのがいいのかもしれません。

美容科の主任達は、
「自分の手から次世代のニューフェイスを・・」という思いが強いらしく、
「辞めたい子」は追わずに、「出来る子」に力を注いでいました。
「出来る子」に対する甘やかし方はまるで「ご贔屓」で、
理容部から見るといい気はしませんでした。

「出来る子」「出来ない子」
「やらない子」「やればできる子」
「辞めたい子」「とりあえず来ている子」
それぞれのクラスにいろんなタイプの生徒がいます。
二十歳の僕には到底正解など見つけられませんでした。

結果はどうであれ、僕はひとつの方針を打ち出しました。
『それぞれ個々が自分の限界への挑戦』です。

以前、生徒として感じた感覚、「学校は楽勝」。
しかし、いざ働きだすと「何もできない自分」に対しての後悔や歯がゆさに悩まされます。

学校で出来ることの何かで「他の人に負けない自信のあるもの」を、
一つでも多く持っていて欲しいのです。

しかし生徒達にはいい迷惑でした。
何せ『限界への挑戦』ですから・・、熱血教師に変身した僕は妥協を知りません。

授業科目のひとつ「鋏操作」なんかは『落とし腰』
(立ったまま膝を曲げ腰だけを落とした姿勢で
腕を伸ばし左手に持った櫛に合わして鋏を開閉する)で続けました。

弱音を吐いたりふざけたりしていると容赦なくケツを蹴り上げます。
勿論僕も生徒達と一緒になってやるので誰も文句が言えません。

「学校辞める」と電話のあった生徒なんか、
酒持って乗り込み、一晩中説得して出てこさせたりしました。
歳が近い分、気持ちがダイレクトに伝わります。

「今年の理容科はちょっと違いますね~」
美容科から聞こえはじめた評判は、僕にとってはうれしい褒め言葉でした。

ある月曜日、
「鋏操作」の「落とし腰」を集中してやっていました。
「カシャカシャ」と大量の鋏の音だけが教室に響いていました。
「ブォン、ブォン、バリバリバリ・・・」
鋏の音に混じってバイクの音が聞こえました。

「ブォン、ブォン、バリバリバリ・・・」
だんだん近くなって来たようです。

「ブォン、バリバリバリ、ババッババッバババババババ!」
爆音は関美の前で止まりました。

気になって3階窓から見下ろしました。
フルフェイスのヘルメットをはずした男が上を見上げて手を上げました。
「えひめ福嶋」でした。

生徒「あのうるさいバイク、先生の知り合いですか?」
上田「いや~知らんな・・え?手ェ上げた?、気のせいちゃう?」

関西では散髪屋の定休日は月曜日が多く、
毎週月曜日の夕方は、訪ねて来る卒業生の相手をしました。

僕が学校で働いているのを何処からか聞いたらしく同期の連中がたくさん訪ねて来ました。
実習室は喫茶店に早替りしました。

福嶋「上田が先生とはのう、聞いた時はたまげたのう」
  「お前、まだ修行しとらんのやろ?」
  「おれはもう顔剃りバリバリやぞ!」
  「堀之口が一番頑張っとるかな~、あいつパーマ巻いてるらしいな」

上田「マジ?何かすごい焦るな~」

福嶋だけではなく、同期の奴らが訪れるたびに
「今、お店で顔剃りやってる」とか「カット練習してる」とか言うので、
少しずつ取り残されていくようで、焦り始めていたのは事実でした。

福嶋「上田、もう仕事終わるやろ?」
  「オレの必殺のバイクで梅田にラーメン食いにいくか?」
  「超必殺やぞ~、ヘルメットあるから後ろ乗れや」

福嶋の【必殺のバイク】はヤマハのFZ400というバイクでした。
マフラーをかなりいじっているらしく、
エンジンを掛けると「ブォン、バリバリバリ!」と爆音がします。

上田「ホンマにこれに乗るんか?」
  「恥ずかし過ぎるワ!」

福嶋「ホンマは女しか後ろに乗せんのやけどな」

上田「オンナおらんくせに・・」

福嶋「ほっとけや!」

恐る恐る後ろにまたがりました。
バイクの後ろは初めてです。

近くの高架下のマクドナルド前の信号にかかりました。
スクランブル交差点には多くの通行人がいました。

信号が青に替わりました。
「ブォン!!ブォン!!バリバリバリ!!」
凄まじい爆音に、近くにいたオバサンが倒れこみました。

上田「オバハン一人倒れたぞー!!」

福嶋「ハハハ!!恐れ入ったか!!この前は女子高生倒したワ!」

爆音はハンパなものではなく、通りのみんなが耳をふさいだり、
かなりの注目を浴びました。

福嶋「どうや?最高やろ!?」

爆音必殺バイクはすぐに梅田に到着しました。

すぐ近くの「曽根崎警察」前の信号に引っ掛りました。

曽根崎警察署から二人の警官がこっちに走ってきました。

警官一人がすぐに必殺バイクのキーを抜き取りました。

警官A「兄ちゃん、ちょっと署まで来てもらおうか?」

警察署の裏で、機械による音の測定をしました。

警官A「どうや?」

警官B「116ホーンです!曽根崎警察新記録が出ました!」

その後しっかりお叱りを受け、
「アクセル上げずに(静かに)走ります」という誓約書まで書かされて解放されました。

二十歳までに4回の免停歴がある「福嶋」にまたも勲章がつきました。

福嶋「ツイてねえのう・・」

上田「ラーメンおごるワ」

■27■

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする