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『やろうか悩めば、迷いも誘惑も多くなる。
やろうと決めれば、勇気も知恵も湧いてくる』
【3月4日】、『OPEN』を迎えました。
「え?一人でやってるん?」
事前に連絡しておいた大阪在住の田舎の同級生
『ヨシヒロ』が早速来てくれました。
真新しい椅子で最初のお客さんです。
カルテ№1番。
緊張で手が震えます。振るえが止まりません。
「最初のお客さんが同級生でよかった・・・」
どうしても動きの「ぎこちなさ」が拭えませんでした。
「花」が届きました。
田舎の同級生『坂本』(医師)からでした。
その豪華な花は殺風景なヘアテックを明るくしてくれました。
「え?一人でやってるの?」
続いて和歌山の会社員『水落君』が来てくれました。
「水落君」は関美職員を辞め、不動産会社で働いていました。
手の震えが少し治まってきました。
午後からは『TV撮影』(テレビ大阪)が入りました。
お客さんは学校職員のみなさんで、「サクラ」でした。
「インタビュー」のようなものは無く、仕事風景を淡々と撮っていました。
専門学校・併設店舗の紹介という内容の番組でした。
夕方、事務の岡さんがお茶を差し入れてくれました。
岡「店長、お疲れさん!」
「そんな辛気臭い顔してはったらお客さんも来ィへんで」
「そうや、写真撮りましょ!オープン記念写真!」
こちらの気持ちを知ってか、明るく盛り上げてくれました。
チラシ効果も無く、初日は二人のお客さんだけで終了しました。
裏口ドアから「コラージュ」を覗きました。
やはり「コラージュ」も少ないお客さんで終了していました。
片岡「まあ最初やからこんなもんじゃないですか?」
とはいえ、サンタさんは僕と同じく無口で、不安な気持ちのままのスタートとなりました。
【二日目】
知り合い以外の本当の新規客が入りました。
ビジネスマンです。
「さあこれからが勝負、自分の腕次第!」
新しいお店に期待して来てくれたお客さんを裏切らないよう
全力を尽くしました。
シェービング後のフェイシャルエステを取り入れ、
マッサージオイルにこだわり、
リラクゼーションをお店の特色として、少し高級感を持たせました。
全盲のおばさんが付き添いの人に連れられ毛剃りにやってきました。
よく喋ります。
「兄ちゃん上手やからお客さんいっぱいになるで~」
お世辞でも嬉しくなりました。
カルテを作成しました。
1ヶ月後、2ヶ月後に向けて、事細かに書き上げ、それを睨んでいました。
夕方、またまた事務の岡さんが和菓子を持ってきました。
岡「今日の饅頭は絶品やで~」
二日目も少ないお客さんで終わりました。
【3月中旬】
少し店内の動きに慣れて、思うように体も動いてきたある日、
少し変わった着物姿の標準語のお客さんがお見えになりました。
どうやら隣の府立体育館で大相撲がやっているらしく、『呼出し』と呼ばれる方でした。
「え?一人でやっているの?」
「若いのに大変だねぇ」
『カツユキさん』という呼出しさんは結構地位が高いらしく、
カツユキさん命令で次々と呼出しさん達が来店しました。
「え?兄さん一人でやってるの?」
カツユキさんが連れてきたひと際大きい人その人は、
引退したばかりの元横綱大乃国、『芝田山親方』でした。
親方はフェイシャルマッサージを大変気に入ってくれました。
親方紹介で、新聞記者、NHKアナウンサー、行司、
など色んな人が来店してくれました。
人が入り出し、お店に活気が出てくるとさらに入りやすいのか、
チラシを持った予備校生達が入るようになりました。
徐々にお客さんが入るお店になってきました。
一ヶ月経ちました。
「2割引」ということもありましたが、売上はまだまだ「さっぱり」でした。
しかし「手ごたえ」は感じつつありました。
社長に報告、
社長「3ヶ月は数字のことは気にしなくていいから」
ありがたいお言葉です。
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芝田山親方と・・
事務岡さんと・・
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結納の日取りも決め、彼女と一緒に新居に住むことになりました。
東淀川区上新庄、2LDK、家賃10万3千円、駐車場2万5千円、
8階建ての最上階。
引越し部隊が登場しました。
(武ちゃん、水落君)
「おお!エレベーターや!エレベーターや!」
いつも階段を往復させられていた2人が大袈裟に喜びました。
8階の通路から下に見える「2万5千円」の駐車場を眺めながら
同じくらいの家賃だった羽衣「梶丸文化」を思い出していました。
姉が乗りつぶした車をもらい、(下取り0円やったらしい)
日々の生活が変わりはじめました。
2月、
難波「BAR BER HAIRTECH」(バーバーヘアテック)
初出勤。
関西美容理容難波専門学校の1階テナントにお店があるので、
専門学校の職員の皆さんと同じ職員室内でタイムカードを打ちます。
初めてのタイムカードを打つと同時に長島先生が職員一同に紹介してくれました。
「みなさん!ご紹介します!ヘアテックの店長さんの上田さんです!」
拍手喝采で迎え入れられました。
以前助教師として働いた場所でもあり、知った顔がたくさんありました。
上田「上田です、よろしくお願いします。」
古株事務の岡さん(オバちゃん)が早速お茶と和菓子を持ってきました。
岡「さあ、食べて食べて、ここに座り」
世間話を簡単に切り上げ、真新しいお店に足を踏み入れました。
空気が澄んでいます。
早速掃除に取り掛かりました。
お店はOPEN日だけが決まっていました。3月4日です。
2月は準備期間ということでした。
長島先生「社長に挨拶行くで~」
6階社長室に出向きました。
社長は『女社長』でした。
入れ歯カラコロ名物お婆ちゃん校長先生の娘さん(50代)でした。
社長「上田さんよろしくね」
「上田さんのやりたいようにやってくれたらいいから」
上田「カット椅子が5台もあるんでスタッフが欲しいんですが・・」
社長「チョーさん(長島先生)!人探してあげて!」
「テナントはすぐ営業できるようにしてあるから」
と言われていたが、色んなものが不足しており、
すぐ近くの日本橋道具屋筋に買い出しに出掛けました。
しかし、必要経費と思われる伝票1つ1つに学校側は難色を示します。
昔職員として働いた経験から「シブ賃」なのを思い出しました。
OPEN準備にせっせと精を出していると、長島先生が顔を覗かせます。
長島「社長が理容は制服でやってほしいって言ってるけど、ええか?」
上田「特に問題ないです。」
長島「制服屋さん、ええトコ紹介しょうか?」
上田「お願いします。」
長島「ビックリすんでぇ」
上田「何がですか?」
長島「それはお楽しみや」
後日、学校職員もお世話になっている「制服屋さん」が来ました。
若いイケイケのお姉さんでした。
超ミニスカートのOL制服で素足にハイヒールという悩殺スタイルでした。
「(これはイカン・・・)」
ズボンの寸法を測るときには、お構いなしの開脚でしゃがみます。
悩殺制服屋「スソはコレぐらいでよろしいですか?」
下を見ると、案の定姉さん下着丸見えです。
「(おお)・・・それでいいです」(もうスソなんかどうでもエエ)
長島先生に報告、
上田「最高でした、毎月制服替えてエエですか!?(笑)」
長島「そやろ。」
上田「しかし、くそ~、制服ベストきついな・・・」
(ドキドキしてまともに見てなかった)
理容室テナントのすぐ横には美容室テナントもありました。
美容室の名前は『コラージュ』
「ヘアテック」に比べ2倍の広さ、明るい店内は、
「間違いなく社長はコラージュで勝負してるな・・」
とすぐに感じとれました。
お隣「コラージュ」に人の気配を感じ、覗いて見ました。
二人の男女が慌しく動いていました。
お互いに自己紹介をしました。
『片岡』君、チーフ(男)
ロン毛にヒゲの男性。2歳年下。
皮のパンツを履きこなす遊び人風。
『サンタ』さん、スタッフ(女)
いかにも仕事が出来そうなお姉さん風。4歳年下。
舌ッ足らずな喋りがギャップ。
この2人は「先発部隊」らしく、
3月4日OPEN後にさらに店長含む4人くらい入ってくるのだそうです。
理容ヘアテックは未だ自分一人のみ・・、
長島先生に募集状況を聞いてみました。
長島「美容と違って理容はなかなか人が動かへんから難しいわ」
これは最悪一人でスタート切るしかないな・・、
そう感じながら、
「昔の自分のようにフラフラと学校に立ち寄る者がいたら声掛けておいてください」
と伝えておきました。
考え直しです。
自分の中にあった色んなアイデア・野望などは封印して、
最悪『一人だけのスタート』に準備することにしました。
仕事は手作業なんで一人だけで働いても売上はたいして上がらない、
場所は難波・・、社長は何処まで辛抱してくれるのか?
不安だらけで過ごしていました。
「コラージュ」の片岡さん・サンタさんに話を聞いていると、
コラージュとヘアテックに経費の差がかなりありました。
コラージュにはあってヘアテックには無い、そういうものが沢山あり、
改めて学校(会社)側が、
「コラージュ」に力を入れていることが分かりました。
期待されていないとはいえ、
揃えてもらわなければならない最低限のものが「二つ」ありました。
「直通電話」「音楽有線」
「電話」は学校経由の「内線電話」で済まされようとしていました。
(もちろんコラージュは直通電話)
何回も社長(忙しくてなかなか捕まらん)に掛け合ったが、
「そのうちやるから」という返事だけでした。
「音楽有線」は
コラージュから線を引っ張ってくることで凌ぐことになりました。
学校の使っていないスピーカーを使用されたため、
雑音が酷く、全く使い物にならない・・。
業を煮やし、自宅のラジカセを持ち込みました。
FMを流してみると意外といい感じに聴こえました。
コンクリの壁に囲まれて天井も高いので、ラジカセといえども音が響きます。
「これでええか・・」
「FM802」という当時一番元気のいいFMを流しました。
OPEN日が近づいてきました。
片岡さん・サンタさんと会社側に対する不満を語り合う日々が続きました。
会社側が勝手に「OPENチラシ」を大量に持ってきました。
「3ヶ月間2割引!!」
そう書かれています。
「3ヶ月??アホか!」
時すでに遅く、ありがたいことに学校職員がもう配っていました・・。
仕方なく駅まで歩いて一緒にチラシを配りました。
誰も簡単には受け取ってくれません。
場所を替え、大阪球場前で配ってみました。
近くに予備校が4校もあり、学生がたくさん受け取ってくれました。
「チラシ効果は1%」昔から云われることです。
それでも、毎日200枚のチラシを配り続けました。
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理容ラッシーで2年半を迎えました。
もの凄い量のCUTをこなしすっかり自信もつけました。
これ以上この店にいると「格安店感覚」に染まってしまう・・
そろそろ「次」を考えないと・・。
実際、初めて来た頃の「おぞましい臭い」にも慣れていたり、
「安けりゃ客は勝手に来る」と錯覚も起こしはじめ、
自分で正気を保つのにも限界がきていました。
「ターニン」での若者の顧客の感覚、
ラッシーでは禁じられた「時間と手間を掛けた丁寧なCUT」、
イメージでは常に残しつつも、忘れるのでは?という不安に襲われます。
「ラッシー」で随分と上がった給料は食べるには十分過ぎるくらいで、
居心地はいいのかもしれない・・。
でも、自分の店を持つまでは給料よりも修行・経験。
「高給技術者」となった僕は「大衆理容」以外で働くとこはあるだろうか?・・
「関美に行って相談してみるか・・」
久しぶりに学校に顔を出しました。
実習室は相変わらず理容部の職員の溜まり場です。
古尾先生が僕の顔を見たとたんに大きな声を出しました、
古尾「長島先生!上田がいました!」
「上田がいいんじゃないですか!?」
長島「おお!そういや~、上田がおったな」
どうやら学校が1階にテナントとして本格的に理美容店を構えるらしく、
「任せられる人」を探しているということでした。
「美容院」の方は既に決まっていて準備に入っているようで、
「理容店」を僕に・・という話です。
関美職員出身の僕は会社の事情にも精通しており、
まさに関美側からすると、うってつけの人材のようです。
上田「とりあえずお店を見せてください」
実習室の通路は以前と違い、裏側へと延びていました。
クランク状の細い角を曲がるとつきあたります。
右・左にドアがあり、理容店は右側のドアを開けます。
お店の裏手から入った僕は、お店の雰囲気に呑まれました。
天井が高く、照明はオシャレに吊り下げられていました。
理容イスが5台も並んでして、受付カウンターがどっしりと構えられています。
誰にも手をつけられていない綺麗なお店でした。
遅れて入ってきた長島先生が言いました、
長島「上田、ここの会社のやり方は知ってのとおりや」
「条件はいい事ないかもしれないけど・・」
「将来お店出すんやったらTOPに立って経理の勉強もしといたほうがいいと思うんやけど」
「それにこっちはお前やったら誰も文句ないし・・・」
「どうや?・・・」
『やってみるか?』
下腹に「グッ」と力が入りました。
期待の大きさに不安もありましたが、
何よりこの難波のド真ん中で腕試しがしたくてたまりませんでした。
上田『やらせてください!』
ついに【最後の修行】の決心をしました。
お店を辞めることを中川マスターに伝えました。
中川マスター「今までケツ割って辞めて行ったモンは多かったけど、」
「そんな前向きなものは止められへん」
「・・頑張ってこいや!」
『武ちゃん』が1年研修でイギリスの美容院で働く事になりました。
『福嶋』は松山の厳しい散髪屋で頑張っているようです。
『健ちゃん』は難波花月の舞台にレギュラー出演する事になりました。
僕は新しい店の大きな鏡の横で静かに道具を並べました。
『初任給で買った鋏』、『富長の鋏』、『水落君の櫛とカミソリ』・・・
ガラス張りの玄関の向こうには、大阪の出発点になったあの『ホテル南海』が見えました。
道具の横に塩を盛り終えると柏手を打ち、目を閉じそっと手を合わせました。
平成7年、27歳の春。
難波『バーバーヘアテック』店長スタートです。
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