■26■
「とてもいい人」の長島先生は、
クラスを僕に任せっきりで教室に入ってこなくなりました。
それでも授業の進行にも慣れてきて、夏を迎えました。
生徒は夏休みに入り、職員はまったりと雑務をこなしていました。
学校には「実習室」といってカット料金600円で生徒の実習を兼ねたお店がありました。
僕はそこでインターンの資格を取るのです。
僕は実習室の600円散髪に精を出していました。
「夏休み中は生徒の実験台にならない」ということで、結構お客さんが来ました。
といっても難波にはワケ有りの路上生活者が多く、
散髪よりも洗髪を喜んでいる感じで、僕の下手クソなCUTでも十分に通用しました。
続けて頑張っていると指名客も付きます。
僕の散髪人生初の指名客は、首に赤いスカーフを巻いた浮浪者のオジサンでした。
実習室に長島先生が飛び込んできました。
長島先生「上田、今日の夕方職員全員参加の講習があるらしいで」
上田「何の講習ですか?」
長島先生「笑顔講習って言ってたな~」
上田「何ですかソレ」
2階大教室に全職員が集合しました。
教室に入る時に「えがお新聞」というものを配られました。
少しして、【日本えがお協会】の「会長」という、
如何にも胡散臭いオッサンが会心の笑顔で登場しました。
オッサン「こんにちは!」
「今日は講習が終わる頃には素敵な笑顔になって頂きます!」
「あっ、もう既にいい笑顔の方がいますね~」
竹中先生「ホホホホホ!」
オッサン「あっ、素晴らしい笑顔!お名前は?・・竹中?」
「ハイ、彼女のように普段から素晴らしい笑顔が作れれば」
「言うことなし!」
「笑顔は自分が幸せな時に出ます」
「そして相手をいい気持ちにさせ、幸せを与えます」
「笑顔最高ー!」
上田「・・・」(胡散臭いワ、オッサン)
オッサン「さて、笑顔を作るのが苦手な方はいますか?」
(片手を大きく上げて挙手を求める)
手を挙げる素直な古尾先生。
オッサン「ああ、随分と苦手そうですな~」
教室に笑いの渦。
オッサン「では、どうしても笑顔が作れない人のために・・」
「とっておきの秘策を伝授します!」
「ウォホンッ!!」(大袈裟に)
「朝、顔を洗いますね~」
「洗った顔をタオルで拭きとり・・」
「ハイ、アナタ、その後どうされます!?」
長島先生「鏡を見ます」
オッサン「そうですよね~、・・鏡を見ます」
「おそらくみなさんが毎日されている作業です」
「その鏡を見た瞬間に笑顔を作ってください!」
「まずは1日1回!」
「洗顔後に鏡に映った自分を見て笑顔を作ってください!」
「ただそれだけです!」
「ちょっとみなさん、今、会心の笑顔を作ってみて下さい!」
職員一同「い~~」
上田「い~~」(恥ずかしすぎる・・)
オッサン「素晴らしい!」
「その笑顔を洗顔後の鏡の自分に送ってあげてください」
「1週間後、そろそろ実践開始です」
「洗面所だけでなく、鏡を見たらニコッと笑顔を作ってください」
「みなさんは美容学校ということで鏡はたくさんあります」
「ナルシストと思われても構いません」
「鏡の自分を見たら笑顔です」
「ハイッ!どんな笑顔でしたか!?」
職員一同「い~~」
上田「い~~」(くそ~・・)
オッサン「鏡の自分を見たら笑顔」
「その次はガラス・・」
「車のガラス、電車のガラス、ショーウィンドウのガラス」
「自分を映すあらゆる物に笑顔を・・」
「水溜りでもいいですよ~」
「スプーンでもいいですよ~」
「自分が映った瞬間に笑顔です!」
「ハイッ!どんな笑顔?」
職員一同「い~~」
上田「い~~」(・・・)
オッサン「ここまで来たらもう大丈夫」
「みなさんはそれぞれモノを映し出す道具を持っています・・」
「瞳です!」
「相手の眼を見て喋ってください」
「あなたの顔はきっと素晴らしい笑顔になっていることでしょう」
職員一同「パチパチパチ」(い~の顔のまま)
上田「・・・・・・」(い~の顔のまま)
オッサン「では最後にみなさん一人一人、」
「私と握手をしてお別れしましょう!」
「必ず眼を見てくださいね~~」
職員の皆がぎこちない笑顔を作りながら退場しました。
近くで見たオッサンの眼は白内障のように濁っていて、
僕の笑顔は悲しく濁りました。
■26■
■25■
「マドンナがくるらしいで!」
スポーツ新聞の記事を見て、長島先生が興奮気味に言いました。
古尾先生「何処に来るんですか?」
長島先生「大阪球場ライブらしいワ、しかしこの写真エロいな~」
上田「学校の屋上から球場の中覗けませんかね?」
6月終わり、
マドンナが大阪球場にきました。
夕方になるとリハーサルの大音量が学校にも聞こえはじめました。
職員室の若い先生達も、何だかソワソワとしています。
武田先生「上田先生、後で屋上行ってみぃへん?」
「もしかしたら球場の中見えるかもしれへんし」
上田「行きましょう!行きましょう!」
竹中先生「え?何処行くって?私も行こかな、」
「っていうか連れてって~、ホホホホホ」
武田先生「あ~、またミニスカート履いてるワ、眼の毒やっちゅうに」
竹中先生「ちょっと~、人のこといやらしい目で見るのやめてくれる~」
武田先生「アカン・・無視無視、じゃあ上田先生後でな・・」
仕事を終え、武田先生と一緒に屋上に向かいました。
武田先生「アカンな~、ここじゃぁまだ見えへん・・」
「アレ登ってみるか」
屋上にある大きな倉庫に長い脚立を架けて上りました。
上田「おおー!ちょっと見える!!」
球場内に設置されたステージの右半分がかろうじて見えました。
武田先生「おお!ホンマや、これだけ見えたら上等やな」
「しかし・・ここ怖いな・・アカン、下見たらアカンワ」
倉庫は屋上の端にあり、倉庫から足を滑らすと「死」は免れません。
足元も「ペッコン、ペッコン」としており、ジャンプ禁止です。
竹中先生「どう?見える?」
ニオイを嗅ぎつけて屋上に来た竹中先生が見上げて聞きました。
武田先生「アカンな~、全く見えへん」(ウソ)
竹中先生「何かウソくさいな~」
脚立を揺らしはじめました。
上田「アカン、アカン!危ないって、止めろ!」
果敢にも小太りの竹中先生がミニスカートをまくり上げ脚立を上りはじめました。
武田先生「アカン!揺れる!死ぬ!!」
「もう降りるから止めろ!!」
実習室に戻り、暗くなるのを待ちました。
竹中先生は諦めて先に帰りました。
上田「喉渇いたんで、何か買うてきますワ」
外に出るとリハーサルの大音量がコダマしていました。
スピーカーが150個という噂もまんざら嘘でもなさそうでした。
コンビニはオイルショックのようにごった返し、球場前にはダフ屋がたくさん出没しました。
南海ホークスでは考えられないお祭り騒ぎです。
上田「いや~、外は大変なことになってますワ~」
武田先生「そろそろ上に行くか?」
屋上に出ると辺りは真っ暗で、球場内だけが暗闇に浮かび上がっています。
よく見ると、周辺のビルのそれぞれの屋上に人がたくさんいました。
ビル屋上の同志達が、奇声を発して手を振り合っています。
自分達も同じように大声を出しました。
「フォーーーーーッ!!」
(山猿が吠えるのはこんな感じか・・)
上田「やっぱコレでしょう~」
袋の中から缶ビールを取り出し武田先生に渡しました。
武田先生「やるな~上田君、でもこの場所では勇気いるな~」
上田「座って飲みましょうや」
突然大音量と共にライブが始まりました。
思わず立ち上がりました。
舞台右側をマドンナが走りました。
「ウォーーー」
思わずジャンプしてしまい、倉庫は大きく揺れました。
上田「今見ました?マドンナ、下着やったんちゃいます?」
武田先生「何かエロかったな」
ビル屋上の同志達はそれぞれ見える角度が違うらしく、
モグラ叩きのモグラのように順番に盛り上がっていました。
球場から放たれる七色のライトが夜空を激しく照らし、
低音のビートが街に響き渡ります。
雰囲気は最高で、「球場ライブ」は周辺のビルをも巻き込むお祭り騒ぎでした。
バラードになるとステージ中央から動かないらしく、
球場内だけがマドンナの動き一つ一つに反応しているようでした。
武田先生「何やってんかな?、もしかしたら脱いでたりして・・」
上田「そりゃ、無いでしょう~、たぶん・・」
全く見る事が出来ずに退屈しました。
上田「いや~しかし、タダ見は最高っすね~」
武田先生「中はもっとええんやろうな~、ダフ券もう無いやろうな~」
上田「竹中先生は武田先生の彼女ですか?」
武田先生「何を恐ろしい事言うねん、有り得ひんワ」
「いや~世の中マドンナみたいなオンナもおんのにな~」
「あんなんも・・・」
上田「失礼ちゃいます?」
武田先生「言わしてるんやろ?」
上田「ハイ」
何はともあれ、大阪に来て初めてのコンサートを堪能しました。
同じ時季にマイケルジャクソンも大阪球場でライブをやりましたが、
雨に見舞われたので屋上観戦は諦めました。
■25■
■24■
大阪に戻りました。
大阪堺市「諏訪ノ森」に住むことになりました。
「諏訪の森」は「羽衣」の二駅隣りの閑静な住宅街でした。
アパートは駅から徒歩15分の木造文化住宅です。
保証金は親戚に前借しました。
「梶丸文化2階中」「谷岡ススム様方2階」と変な住所名が続きましたが、
「南より二戸目」という相変わらず部屋番号の無い住所でした。
木造ですが、キッチン・4畳半・4畳・風呂トイレ・小さな庭付きで
家賃2万7千5百円でした。
家賃が相場より安すぎるのを不安に感じましたが、
案の定、頻繁に金縛りに遭いました。
隣は老夫婦が住んでいましたが、全く人の気配が感じられません。
たまに小窓が開けっ放しになっていて覗いてみましたが、
「般若のお面」や「ひょっとこのお面」が壁にずらりと並んでいて、
とても不気味な感じでした。
僕の部屋は日当たりが悪く、暗くて湿気ていましたが、
戸を開けると小さな庭があり、何だか落ち着けました。
そうして助教師の初日を迎えました。
職員は純白の白衣が制服になります。
ロッカーで白衣に着替えましたが、二十歳の自分に白衣姿は似合っていませんでした。
職員室で職員全員の前で紹介されました。
上田「よろしくお願いします」
約20名の美容科の職員に対し3名の理容科職員で、職員室は女性主導でした。
学校としても、校長をはじめ皆「美容学校」の意識が強く、
『理美容学校』ではなく『美理容学校』な訳がよく分かりました。
(関西美容理容難波専門学校)
僕ら少数の男性理容科職員は、女系職員室はとても居心地が悪く、
隣の理容実習室に居場所を求めました。
美容科の先生の中には二人の男性がいました。
一人は50代のオカマで、もう一人は背の高い若い先生でした。
学生時代「ロン毛の背の高いオカマっぽい先生」と思っていた人は、
「武田先生」という名前でした。
『武田先生』は2歳年上でオカマなんかではありませんでした。
小学校6年で身長180センチだった為、
バレーボールと大相撲のスカウトが親に挨拶にきたそうです。
しかしその後6年間でたったの2cmしか伸びず、ただの「超早太り」だったのだそうです。
僕の入社を心から喜んでくれたのはその武田先生でした。
女性主導の職員室で随分苦労したらしく、早速、理容実習室にサボリにきました。
武田「上田君よう来てくれたワ」
「女ばっかりで大変やってん」
「南海電車やろ?俺、家、泉佐野よってに、一緒に帰ろうや」
「ホンマ嬉しいワ」
「これから教室いくんやろ?ナメられたらアカンで~」
「頑張ってナ!」
一学期途中から新しい先生が来たという事で、50人の理容科の生徒の視線は僕に集中しました。
上田「藤本先生の代わりに来ました上田と申します」
「よろしくお願いします!」
「何かプライベート以外で質問はありますか?」
初めて立った教壇は居心地悪く、
視線を何処に落としていいのか分かりませんでした。
元気のいい生徒「先生、歳いくつですか?」
初めて「先生」と言われた事に少し動揺しながら答えました、
上田「秘密です・・」
一人だけの女生徒「彼女いるんですか?」
上田「それも秘密です・・」
質問・応答にお互いの緊張感がほぐれ、僕も少し落ち着きを取り戻しました。
授業は主に長島先生が進めました。
自分にとって授業内容の一つ一つが、この間まで生徒としてやってきたことで、
何もかもが簡単な事でした。
「理容科」の生徒は約50人で、その3分の2は高卒でした。
自分達の頃より地方出身者も多く、
北は茨城から南は鹿児島奄美大島まで様々なところから集まっていました。
去年までのお子様学級のイメージは無く、とても大人びたクラスでした。
上田「どうして関東から大阪に?」
茨城日立の生徒「やっぱり商いの勉強は大阪のほうが・・」
「美容科」ともなると以前のヤンキーイメージは影を潜め、
フィリピン人女性6人が暴れまわるという新たな問題に直面していました。
緊張の初日を終え、武田先生と一緒に帰りました。
武田「いや~助かるワ~」
「竹中先生って知ってる?」
「あのコも泉南方面でナ、今まで一緒に帰らされとってん」
「地獄やったワ、助かるワ~」
「あ~、くそッ・・、見つかってもうた」
南海電車の同じ車両に『竹中先生』が乗り込んできました。
僕と同じ「インターン助教師」の美容科の「竹中先生」は、
小太りで丸顔に細い目の女性でした。
竹中「何でいつも逃げんねん!?武田先生!」
「上田先生、初めまして~」
「アタシの体、土偶みたいやろ、・・って否定して~!」
「アタシ名前、由美っていうねん、」
「松任谷由美と一緒の由美やねん、」
「ユミって呼んで~!・・ってホホホホホ」
一人で喋って、一人で勝手に盛り上がります。
以後、武田先生と帰る度に竹中先生につかまりました。
初めての休日なのに、
「順番」ということで学校の電話番をしに休日出勤をしました。
もう一人の当番は美容科で一番美しい『宮路先生』でした。
どうでもいい「竹中先生」に慣れてしまった為、
受付の狭い空間に宮路先生といることはとても緊張しました。
早速、僕の目の前の黒電話が「リリリリン」と鳴りました、
上田「ハイ、関西美容理容難波専門学校です!」
「アンタ誰や・・、ウエダ?、ああ新人さんか、」
電話の向こうで「カラコロ」と入れ歯の音がしました。
校長先生でした。(おばあちゃん)
用件の内容が全く分からないので、美しい宮路先生に替わってもらいました。
美しい宮路先生「いきなり校長先生やったから緊張した?」
上田「ハイ、」
美しい宮路先生「ウエダ先生、彼女とか居るの?」
上田「いません!」(即答)
上田「宮路先生は彼氏とかいるんですか!?」
美しい宮地先生「居るよ」(即答)
午前が終わり、昼食を交替でとりました。
僕は近所の餃子の王将のチャーハンをお持ち帰りして、理容実習室に向かいました。
すると、実習室に人の気配がしました。
何やら音楽も聞こえてきます。
窓からそっと覗いてみました。
7:3分けの古尾先生が立っていました。
しかしよく見ると尋常ではありません。
実習室の鏡に大きな「日の丸」の旗を貼り付け、カセットからは「君が代」が流れ、
胸に手を当てた古尾先生は直立不動で瞑想していたのです。
急いで受付に帰りました。
上田「今、恐ろしいもん見ましたワ!」
美しい宮路先生「古尾先生やろ?たまにあんなことしてハルで」
上田「知らんかった・・ビックリした~」
美しい宮路先生「ココの先生は変わった人多いよ~(笑)」
美しい宮路先生に他の先生方の情報を教えてもらいました。
理容科主任の長島先生は「とてもいい人」ということで安心しました。
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