エルソル飛脚ブログ ~Run 4 Fun~

四万十川周辺をチョロチョロしている飛脚の記録です。

エルソル大阪物語■20■「さらば関美」

2018年01月17日 | エルソル大阪物語

■20■


難波高島屋からスクランブル交差点を渡り、千日前アーケードに入る。

最初の角を右に曲がると「なんば花月」があるが、左に曲がる。
左手には映画館、右手には「大劇」という複合レジャービルを横目に歩く。

「プランタン」というデパートを越えると車通り。
高速道路の高架下の長~い横断歩道を渡ると再びアーケードに入る。

そこらへんは「千日前」と呼ばれる非常に大阪色の強い街です。

全く売れそうにない服屋には乱雑に服が並べられ、
趣味の悪い原色のジャケットが壁いっぱいに掛けられ、
暇をもてあました店員が店の前を横切る人達に視線を送っています。

全く出そうにないパチンコ屋は、音だけが賑やかに響きわたり、
たいして美味しそうにない「喫茶アメリカン」はゴージャスな店構えが目立ちます。

その喫茶の向かいの路地を入り、古い散髪屋の前で立ち止まります。

古い散髪屋の狭い店内はお客さんがいっぱいで、お婆さん一人が慌しく動き回っていました。

散髪屋のドアを開けると「キィ~」と音がしました。

上田「すみません・・、あの、タマイさんっておられますか?」

(手にしたメモの地図ではここのはずだが・・)

お婆「あんた誰やねん!?」

上田「あ、関美のウエタと申しますが・・あの・・おばさん・・いや・・」

お婆「あ~、娘に用事かいな、ちょっと待ち」

少し待つと奥から玉居オバサンが出てきました。

玉居「ああ、上田君、早速来てくれたん?」
  「ちょっと子供にご飯食べさしてるから・・」
  「そこのアメリカンでお茶してて~、後でいくから・・」

玉居さんの実家は散髪屋でした。
玉居さんの母は、「散髪屋さん役」で吉本新喜劇の舞台に立ったこともある有名人でした。

玉居母は毛剃りがとても上手いらしく、毛剃りのためだけに多くのお客さんがやってくるのだそうです。

「喫茶アメリカン」の店内はとてもゴージャスで、鏡張りで、
昔のダンスホールを連想させるようなシャンデリアがあったりしました。

クッションの効いたソファーに腰を下ろし、店名のままアメリカンを注文しました。

運ばれてきたアメリカンコーヒーは意外に美味しく、いや、すごく美味しいコーヒーでした。

「・・・(この喫茶店はアタリや)」

入り口に駆け込んできた玉居さんがレジのオバサンに呼びとめられて、
何やらヒソヒソと話し掛けられていました。

玉居「いや~、そんなんちゃうよ~、かなわんな~」

他のお客さんにも話し掛けられている玉居さんは、ここら界隈では人気者のようです。

玉居「ゴメンな~、やっと手ェが空いたワ」

上田「玉居さん、ここのコーヒー、メチャウマですね~」

玉居「そうやろ、私毎日くるんやで」

玉居さんに運ばれてきたのは甘そうなチョコレートパフェでした。

パフェにはスプーンが2本突き刺さっていました。

玉居「これイタズラやで、ワザトにやってあんねん」
  「ゴメンな上田君」

上田「いやいや、そんなんどうでもいいですワ」
  「なんやったらそのスプーンで一緒に食べましょか?」

玉居「アカンアカン、そんなんしたらこの辺ではすぐに噂になるワ~」
  「今でもいろんなところで視線感じてるのに・・」

辺りを見回すと壁の鏡越しにたくさんの視線を感じました。

「未亡人玉居さんに若いツバメ」
何かを期待されているような興味津々な空気が重たく張り詰めていました。

上田「後で婆さんの毛剃り見学させてもらえそうですか?」

玉居「大丈夫やと思うで~、母さんのことやから働かされるかもな~」

上田「えーっ、無理無理」

玉居「ハハハハ」
  「そうそう、今度のお別れ会は人数何人位になった?」

上田「ほぼ全員出席になりそうですワ」

玉居「さすが上田君やなぁ~」
  「アタシが声掛けると嫌がる子がおるもんなぁ~」

上田「いやいや、そんなこともないでしょうけど・・」

玉居「ほな、後は先生方やな、アタシが声掛けとくワ」

上田「いや~しかし、あの連中が集まるとは信じられませんね」

玉居「そんなモンやって、誰だって別れは寂しいモンよ・・」
  「場所は味園でいいよね」

上田「え?高いんちゃいます?」

玉居「アタシ知り合いやから任しとき」
  「だてに歳とってへんで~、ハハハハ」

笑うとやはりピンクの歯茎が目立ちました。

パフェを食べ終わった玉居さんは先にお店に戻りました。

僕は玉居さんの配慮で運ばれてきた2杯目のコーヒーをゆっくりと味わいました。

お店を出る時にレジのオバサンに聞かれました、
「兄ちゃん、ケー子ちゃんとはどんな関係なん?フフフ」
「ケー子ちゃんいい子やから、頼むでぇ~、フフフ」

上田「・・・」(喫茶アメリカン、店員替えたらもっと流行るワ)


『お別れ会』は「玉居おばさん」号令のもと
「味園」というコテコテのレジャービルの一室で行われました。

玉居おばさん「乾杯の音頭は上田君やな~」

    上田「よっしゃ!」
      「みんなお疲れさん!これからも頑張ろう~!乾杯~!!」

『えひめ福嶋』『イッチョカミ藤』『ケツ堀之口』『和歌山水落君』
『暴走族チクリン』『恐竜辻神』『ボコボコ平尾』『丸坊主ケンシロウ』
『東』『幼顔仲田』『徳島宮下』『チャーリー岩下』『焼肉前道』
『玉居おばさん』『堀江ネエさん』『ぷっつん富長』『オカッパ中崎』
『南ちゃん』『ボンバー山田』・・・
『長島先生』『古尾先生』『藤本先生』
あんなにバラバラだった30人がほぼ全員参加しました。

  上田「長島先生、古尾先生、お世話になりました」
    「ところで先生、高津理美容専門学校ってありますか?」

長島先生「あるよ、日本橋に・・」
    「エリート校やなぁ~、関西で一番ちゃうか!?」

  上田「えー!!しまった!!あ、いや・・」
    「田舎の高校にパンフありましたワ!!」

長島先生「上田は誰の紹介で関美に来てんや?」

  上田「いや~、パンプの『関西』って名前に期待して・・」

古尾先生「そんなもんやろな~」
    「でも上田良かったやん、東京でも頑張らなアカンで」

長島先生「しかしこのクラス・・」
    「賑やかやっただけに、何か寂しいもんやなあ~」

僕は高校卒業時の様な寂しさはそこにはなくて、

間違いなく『希望』に満ちあふれていました。

■20■

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エルソル大阪物語■19■「芸術祭」

2018年01月17日 | エルソル大阪物語

■19■


「芸術祭」といって
中ノ島フェスティバルホールで「カットコンテスト」がありました。
関美が誇る一大イベントです。

当日は施術タイムが15分という事なので、「モデルの頭」は前日に仕込みます。
本気で入賞を狙っていた僕は、
高校時代の友人で京都の大学生「アキラ」をモデルに雇いました。

高校時代のアキラは、
壊れてしまった携帯音楽プレーヤーを手渡すと、
翌日色も違う新品になって返してくれるという「マジシャン」でした。
マジシャンアキラの髪質の良さには当時から一目置いていました。

アキラを迎えに羽衣駅に行きました。
僕に気付き片手を挙げたアキラは、料金不足なのか自動改札に「バタン」と堰止められました。
「おぅ、うっとうしい!」
アキラは「バリバリ」と音を立てて平然と突っ切りました。

上田「相変わらずやな~」

部屋に連れて行き、創作ヘアーにとりかかりました。

「えひめ福嶋」から電話があり、
「モデルが見つからん・・、誰かおらんか?」と困っていたので、
同じく高校時代の友人で調理師専門学校生の「イケダ」に連絡をとりました。

上田「舞台に立っているだけで構わんからモデルやってあげて・・」

夜遅くまでかけて「パイナップル頭」を完成させました。
うたた寝するアキラを起こしながら(ヘアーが潰れる)、ついに本番の朝を迎えました。

「芸術祭」は「やしきたかじん」のライブや「ハイヒール」の漫才もあり、
とても派手なコンテストでした。

舞台裏で待機していたときから
アキラの「パイナップルヘアー」はとても目立っていました。

無事15分の施術時間も終了し、審査タイムに入りました。
審査員の皆さんもアキラの前で立ち止まりました。
「もう上田に決まりやな」
そんな声が周りからチラホラ聞こえてきました。

ところが・・入賞したのは「福嶋」でした。

「福嶋」のモデルといえば・・ただクシを通しただけの「イケダの頭!」

福嶋「オレのクシの通し方がエがった(良かった)ケンのぉ~」
  「スゲーのぉ~オレ」

上田「アホか!イケダが昨日慌てて行った散髪屋の勝利や!」
  「くそ~」


一年を通して学校の授業内容はとてもシンプルで、
・「刈込準備」(タオル・カットクロスを巻き、髪の毛のクセをとる)
・「日本刀研磨」(カミソリを砥石で研ぐ)
・「シャンプー」(相モデルでシャンプー)
・「鋏操作」(クシにあてた鋏をひたすら開閉)
などと反復作業が多く、唯一努力とセンスで差がつきそうなのは「ロッド巻き」ぐらいでした。

「ロッド巻き」は「ウィッグ」という人工毛の頭で練習します。
フロント・トップ・サイド・クラウン・バックなど九つのパートにブロック分けをして、
タイムを計りながらロッドを巻き、美しさも競います。
いわゆる「パーマ」の練習です。

「パーマ」は関美が唯一他の専門学校に誇れる科目で、
「関美卒の新人はパーマが巻ける」は関西では有名でした。

「堀江ネエさん」「イッチョカミ藤」はすごく上手でした。
僕はいつも3番手でした。

「恐竜辻神」のウィッグは黒人でした。(マジック塗り)

「学科」は、
「公衆衛生」「伝染病学」「消毒法」「物理化学」など、名前だけ聞くととても難しそうですが、
中卒もいるので教科書どおりの事をやっていれば楽勝でした。

冬になれば学校の単位も一番に終わり、「ただ通うだけ」の快適学園生活。

それどころか学校帰りにバイトもせず難波で毎日遊んでしまう堕落の日々。

・・・卒業時になると優秀な成績に自惚れ慢心。

「大阪」という街を見下してしまった僕は「東京進出」(就職)を長島先生に相談しました。

  上田「先生、東京に行きたいんですけど・・」

長島先生「アホか?東京なんか無いワ!」
    「それやったら最初から東京の専門学校行かんかいっ!」
    「お前には玉造(西成区)のお店を紹介する予定やで」
    
しかし数週間後、偶然にも東京池袋から募集が関美に舞い込みました。

長島先生「信じられへん、学校としては全く面識の無いお店やけど・・どうする?」

  上田「行きます!」

興奮して答えました。

しかし僕以上に興奮していたのは古尾先生でした。
関美理容部からは「初めての東京就職」らしいのです。

古尾先生「何と東京就職、学校としても誇らしいワ~」
    「それが上田やったら自信持って送り出せるしな~」
    

学校は卒業式を迎えました。

「香るシャンプー光る髪~♪」
この変な校歌も最後の合唱です。

校長「カロコロ(入れ歯)・・みなさん、ご卒業おめでとう」
  「最後にちょっと年寄りの話を聞いてやって下さい・・カラコロ」
  「~~~」

横に座っていた「玉居おばさん」がヒソヒソと話しかけてきました。
玉居「上田君、このままみんなとお別れって寂しいからな・・」
  「女の子達と『お別れ会』しようって言ってるんよ」
  「男の子の出欠をお願いしていいかしら?」

上田「いいですよ、でも集まるかな~?この連中・・」

玉居「ウチは千日前やから今度寄ってくれる?地図書くから・・」
  「話詰めましょ」

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