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お店探しを再開しました。
新聞の募集欄で見つけたお店、諏訪ノ森の『理容ト〇』に面接に行きました。
「諏訪の森にこんなお店あったっけ?・・・」
お店のポスターとマスターは同じ「パンチパーマ」でした。
話だけ聞いて帰りました。
「えひめ福嶋」が僕の話をしたらしく、
福嶋の店のマスターが知り合いのお店を紹介してくれました。
なんでもその店は1日体験をさせてもらえるそうです。
『理容〇ダ』は美章園にありました。
「美章園か・・危険な焼肉思い出すな・・」
親父さんが年配のお客さんをやって、息子さんが若いお客さんをやるという2世代のお店でした。
僕を指導するのは息子さんの方でした。
大卒だそうです。
その日の午前中、ずっとDMの絵の勉強をさせられました。
お昼は奥さんが実に嫌そうに肉じゃがを作ってくれました。
・・・夜、福嶋の店に断りの電話を入れました。
羽衣商店街の大衆食堂「お多福」に久しぶりに立ち寄りました。
「あ~、兄ちゃん久しぶりやなぁ~」
「え~っと・・ソバ定やったかな?」
相変わらずオタフク顔で聞いてきました。
隅の方で、隣に住んでいる『頑固じじい』が酔い潰れていました。
オタフク「兄ちゃん同じアパートやろ?」
「悪いけど一緒に連れて帰ってくれへん?」
「もう毎日やねん・・」
仕方なく肩を担いで歩くのだが、
かなりアルコールが入っているらしく足がなかなか前に出ないので、
少しずつしか進むことが出来ませんでした。
4車線の横断歩道では
少しも歩かないうちに赤信号になってしまうありさまで、
車からはクラクションを鳴らされます。
車のライトがスポットライトのように照らされ、
僕の肩に寄りかかっているじいさんは以前の『頑固じじい』の面影は全く無く、
『アル中の年寄り』そのもので、弱々しく悲しいものでした。
容赦なく浴びせ続けるクラクションは
『僕ら二人のダメ人間』を浮き彫りにしてしまった格好で、
なんだか無性に腹が立ち
「ぅるっさいわー!!」と天に向かって叫びました。
じいさんが「すまんな兄ちゃん」「すまんな兄ちゃん」と繰り返しました。
「じいさん」は「ぼけ」も少しあるらしく、よくガス警報機を鳴らしました。
「キンコン、ガスがモレテイマセンカ?」
「キンコン、ガスがモレテイマセンカ?・・」
隣から聞こえてくるので慌ててじいさんの所に飛び込むと、
やはりガスコンロから「シューー」と音を立てています。
直ぐにガスを止めて急いで近くの窓を開けました。
上田「おっちゃん、気を付けなあかんで!警報機鳴ってるやん!」
「どないしたん?何かつくっとったん?」
「チャルメラ?鍋に水も入ってないやん!おっちゃん大丈夫?」
「警報機聞こえる?これ音大きくしとくで!」
「おっちゃん気い付けてよ!」
ほとんど一方的に喋りましたが、
じいさんは指を差したりして「あー」とか言うくらいで
「すまんな兄ちゃん・・」としか言いませんでした。
それから少しの間、
2階の「西田オバサン」が毎日様子を伺うようになりましたが、
すぐに市のヘルパーが出入りするようになりました。
ある日、アパートに帰ると2台の大きな車が停まっていて、
手前の車に「じいさん」が乗り込んでいました。
じいさん「ああ兄ちゃん、ワシ老人ホーム入るねん」
「すまんな兄ちゃん・・」
じいさんは家族らしきオバサンを呼び寄せました。
じいさん「この兄ちゃんに世話になったからな」
「ウチのテレビあげたってな」
上田「そんな、おっちゃん、いらんよ、テレビあるし・・」
じいさん「アンタんトコよりええテレビやでぇ」
上田「・・・」(いつ見たんや?)
じいさん「おーい、テレビあげたってな~!」
「西田おばさん」と「大村婆さん」と僕の3人で見送りました。
「西田おばさん」は複雑な家庭事情を知っているらしく、泣いていました。
じいさんの家族らしき人(無愛想)と荷物出しの手伝いをしました。
最初に運び出した「テレビ」はあっさりと車の中に入りました。
上田「・・・」
意外と多い荷物を運び、少し疲れてきたところで
誰かが「うわあっ、」と驚きました。
押入れの奥から立派な「日本刀」が出てきたのでした。
大村婆さん「おっちゃん、名のあるヤクザやったからなあ・・」
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「水落君、今度遊びに行っていい?」
武ちゃんと同じ2歳年上の和歌山水落君の家を訪ねます。
朝、南海高野線に乗り、和歌山方面に向かいました。
電車は殺風景な河内長野を通過すると和歌山県に突入します。
「学文路(かむろ)駅」に到着しました。
学文路駅は和歌山橋本市の外れにありました。
学文路駅の「5枚綴りの入場券」は受験シーズンに人気でした。
5(ご)、入場券(入)、学文路(学)、で「ご入学」なのだそうです。
駅は高台にあり、長い階段を下ります。
下り終える頃に水落君が迎えに来てくれました。
水落「遠かったやろ」
上田「いつもここから難波に通ってるんやね~、大変や」
橋本市の街は川向こうにあるらしく、川沿いの田舎道を歩きました。
水落「この川、紀ノ川やで、そこそこ有名ちゃう?」
上田「知ってる知ってる、何かウチの田舎と似てるな~」
車のすれ違いが困難な細い道路をクネクネと上ります。
坂道には住宅が密集していて、その中に水落君の家がありました。
水落君は母親とお婆ちゃんとの3人暮しでした。
上田「おじゃましま~す」
水落母「上田君一人暮しやろ~?後でご馳走してあげるサカイ」
「楽しみにしとき~」
離れにある水落君の部屋に行きました。
部屋に入ってすぐに目に付いたのは大きな船の模型でした。
上田「これ何の船?」
水落「日本丸、知らへんの?」
「海洋学校で航海の訓練に使う船よ、昔今治でコレに乗っててんよ」
上田「へ~~」
「ところで関美の先生はどう?慣れた?」
水落「今年の生徒は悪いワ!僕らの頃みたい(笑)」
上田「ハハハ~、そりゃヒドイね」
水落「しかし上田君根性あるな~」
「まだ店探ししてるんやろ?」
「僕なんかとっくにケツ割ってんのに・・」
「僕が初めて就職した店は奈良五條の大型店でな~」
「シェービングで手が震えるヤツなんかイラン!とか言われてな」
「『いつでも辞めてくれてええで』やて・・冷たいもんや」
「同じ新人より歳くってるからな・・冗談に聞こえへんかったワ」
「他にもいろいろいじめられてな~」
「上田君がええタイミングで関美職員の話をくれたんよ」
上田「そうやったんや」
「でも、いずれは散髪屋に戻るんやろ?」
水落「いや、もう散髪屋は目指さへんと思うワ」
「自分はやっぱり客商売より会社員向きかな・・」
部屋のドアが開きました。
水落母「お昼食べましょか~」
母屋に招待されると、大皿にお寿司が並んでいました。
久しぶりの豪華な食事は、米のひと粒ひと粒が美味しく感じました。
水落「魚は高知のほうがエエのと違う?」
上田「無職の今は何食ってもおいしいですワ・・、いやホンマに」
水落「上田君ビール好きやろ?昼間やけどエエやろ・・」
キンキンに冷えたビールがコップに注がれました。
水落「いいお店が見つかるといいね~」
上田「さすがに悩むワ~」
「自分が正しいのか、間違っているのか・・」
「自分でもようワカランなってきたし・・」
「今すぐにでも働きたいんやけどね」
水落「もっとゆっくり考えてもエエんちゃう?」
「上田君まだ二十歳やろ?」
上田「ハハハ、武ちゃんにも同じ事言われましたワ・・」
久しぶりに食べた高級料理がイケなかったのか、
冷えたビールがイケなかったのか、
お腹が痛くなりトイレに向かいました。
トイレに行く途中にお婆ちゃんとすれ違いました。
婆ちゃん「カッちゃん(水落君)か?、何か変わったな~」
上田「あ、いや僕は・・・」
お婆ちゃんは僕と水落君を間違えたまま少しの間喋りました。。
夕方になりました。
水落「何やったら、泊まっていってもいいんやで」
上田「いや、もう帰りますワ、ご馳走さまでした~」
水落「学校で募集来たらすぐに連絡するから・・」
上田「よろしく。」
「やっぱり、こんな時は人に会うのがエエな~」
夕暮れの坂道を下り、紀ノ川に出ました。
川原のある川の風景は癒されます。
「やっぱり、頑張るしかないな」
学文路駅では、
「5枚綴りの入場券」を買おうとポケットに手を突っ込みました。
わずか500円の券にお金が足りませんでした。
すんなりと「ご入学」とはいかないようです。
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先生らしくなった水落君と
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お金がいるので、
あんなに抵抗していたユニセックスサロン(理美容サロンで美容色が強い)
に行くことにしました。
「長島先生、岸和田行きます。」
店内はオシャレで、高級でした。
その当時理容では珍しくバックシャンプーでした。
そのためセット面とは別にシャンプーブースがありました。
シャワーは赤外線反応で
センサーに手をかざす度にお湯が出たり止まったりします。
完全予約制でお客さんすべてがカルテで事細かく管理されます。
何と、お客さんの半分は女性客です。
週に1回はミーティングをしてDMのデザインまで討論します。
給料にテンビキ制度があり、位に応じて一定の額をオーナーに献上します。
その全部を積み立てたり投資したりして増やして、
将来独立する者の頭金として還元するというものです。
スタッフは、
『座間店長』(沖縄出身20代後半、色黒で天才肌、もの凄いカリスマ性発揮)
『滝さん』『峰本さん』
その他見習二人で、僕は6人目でした。
僕以外の人は服のセンスなんかも抜群でした。
驚いた事に、ほとんどの人が関美出身だったのですぐに馴染む事が出来ました。
朝10時OPENなので
早く行って雑誌見ながらパンなんか食ってのんびりしていました。
朝の掃除は皆徹底的にやりました。
スタッフルームに飲みかけの缶ジュースなど適当に置いているとすぐに叱られました。
OPENするともう休憩はありませんでした。
(のちに1日30人のシャンプー自己新記録をつくりました)
技術面、センス面、まさに「洗練された」というのがぴったり来るお店でした。
レッスンは毎日各自足りないところを店が終わった9時から2時間位やっていました。
この他に月1回の3店合同レッスン、昇格試験などがありました。
僕は技術が未熟なので最初の1ヶ月は毎日シャンプーレッスンでした。
オーナー命令で『峰本さん』が自分のレッスンを犠牲にして、
付きっきりで教えてくれました。
お陰でシャンプーはお店でデビュー出来る事になりました。
ネックシェーブはお店の方針でやりませんでした。
顔剃りも逆剃り禁止なのですぐにOKが出ました。
マッサージも2,3日で合格でした。
2ヶ月を越える頃にはブローのレッスンをしていました。
しかし・・この頃には体が限界に来ていました。
毎日午後9時からの岸和田レッスンは飯を食わずに終電までやっていたので、
その時間から開いているメシ屋なんかありません。
羽衣にはコンビニなども無く、駅前の屋台のラーメンを食べる毎日が続きました。
屋台には同じアパートの「ヤクザのオッサン」がよくいました。
「おう兄ちゃん!いつも遅いな・・、」
「おやじィー!この兄ちゃんにカンしたって!」
とお酒をおごって貰うこともありました。
「ヤクザのオッサン」は変な薬をヤっているらしく
夜中に「殺したる」といいながら僕の部屋のドアを蹴り続ける事がたまにありました。
毎日の屋台ラーメン生活が続くと栄養が偏ります。
栄養不足、休養不足、睡眠不足、
健康的でない生活を続けると、考え方もマイナス思考になりました。
「将来地元でお店を持つとき、田舎町は若者は少ないのに、このまま若者の店にいていいのか?」
「アイロンパーマはやらない?」「バックシャンプー?」
「ネックシェーブはいらない?」「深剃り技術は要らない?」
結局は、つらいレッスンからの現実逃避。
非のうちどころのないお店なのに、正直ついていけませんでした。
3ヶ月を迎えた頃、
「ついていけませんでした」
と正直な気持ちをオーナーに伝えて辞めてしまいました。
さすがに落ち込みました。
「すぐにケツを割る・・・根性なし」
親戚の警官のオッチャンには
「大阪府警入れ!根性叩き直したる!」とまで言われました。
「根性なし」「プライド高い」「自己中」「頑固」「意固地」「へんこつ」「甘ったれ」
そんな僕を唯一応援してくれたのは、関美職員時代一緒だった『武田先生』でした。
「武田先生」も僕が学校職員を退職して間もなく辞めたらしく、
千里中央の美容院に住み込みで修行していました。
救いを求めるように3日間ほど泊まらせてもらいました。
「千里中央」は大阪北部で、地下鉄御堂筋線の北の終点でした。
住み込みの武田先生の住まいは2LDKの立派なマンションでした。
マンションはカブトムシが飛んでくる閑静な住宅街にありました。
182センチの「武ちゃん」は7センチのカブトムシを触れませんでした。
武ちゃんの部屋には電子レンジがあって、いつでも暖かいものが食べられます。
僕は武ちゃんのレンジ食品を食い漁りました。
武ちゃんは連日夜中の3時まで僕の独り言を寝ながら聞いてくれました。
半分寝ながら吐き出した武ちゃんのひと言に救われました。
「上田君まだ二十歳そこそこやん・・」
「何をそんなに焦ってんねん・・」
「もっと落ち着いてゆっくりしぃ・・・」
自分より2歳年上だったので説得力がありました。
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