神武の創造──戊辰戦争も終わり、ついに明治の世がやって来た。
「俺もこうしちゃいられない」
半蔵は希望で燃えていた。
しかし、馬籠宿の人たちは醒めていた。
新政府の財政状況は厳しく、発行する紙幣は信用がなかった。
外国との貿易と相次ぐ国内での戦争で物価も上がっていた。
徳川慶喜が恭順を示したのに討伐令が出たことで、
庶民は「俺は葵の紋を見ると涙が出る」と徳川に心を寄せた。
半蔵は「新政府の信用はそんなに薄いのか」とがく然とする。
半蔵も新政府に裏切られた。
新政府は、木曽五木(ごぼく)と呼ばれる「ひのき」「さわら」「あすひ」「高野まき」「ねずこ」といった高級木材のある山を官有林にした。
徳川の世では、許可された山であれば、落ちた枝などを炭や薪にすることは許されていたが、民はそれが出来なくなった。
半蔵は馬籠の「戸長」として抗議し、結果「戸長」を免職されてしまう。
東京でも裏切られた。
半蔵は教部省の役人として東京で働くことになった。
そこで見た東京の風景は西洋文明が入り込んだものだった。
神道、仏教を管理する教部省の役人はあろうことか、国学の大家の本居宣長をからかい、貶めていた。
たまりかねた半蔵は驚くべき行動に出る。
「訴人だ! 訴人だ!」
神田橋で帝の行幸があると聞いた半蔵は、自分の思いを書いた扇子を持って帝の馬車の前に飛び出した。
扇子には西洋文明の侵入を憂うこんな歌が書かれていた。
『蟹の穴防ぎ止めずば高堤(たかづつみ) やがて悔ゆべき時なからめや』
半蔵の行動は、憂国の行動として贖罪金を支払うことで許されたが、
周囲の反応は冷たかった。
妻は泣き崩れ、馬籠の住人は「気が触れた」と噂し合った。
半蔵の精神がおかしくなったのは、この頃からだった。
半蔵は息子に家督を譲り、神社の宮司として信州に赴任したが、
狂信的に神道の教義を説いたので、村人たちは半蔵をあざ笑った。
半蔵は教育で日本を美しい国にしようと思ったのだが、またしても裏切られた。
馬籠に戻ってきた半蔵はますますおかしくなる。
「庭に変な奴がいる。俺を狙っている。誰か俺を呼ぶような声がする」
半蔵は幻覚を見るようになった。
「さあ、攻めるなら攻めて来い」
と幻影と戦うようになった。
そして、秋祭りの時、村の万福寺に火をつけてしまう。
半蔵にとって、国の根本は神道であり、仏教は枝葉であり、寺は本来なら御一新で取り壊されるべき物だったのである。
息子の宗太は急いで座敷牢を作り、頭のおかしくなった父親を閉じ込めた。
半蔵の狂気は続き、意識はますます混濁していった。
「や、また敵が襲って来るそうな。楠木正成の屎(くそ)合戦だ」
半蔵は楠木正成にならって、見舞いに来る客に自分の大便を投げつけた。
幻影はますます半蔵を苦しめていった。
……………………………………………………………
いやはや、壮絶な小説である。
半蔵のモデルは島崎藤村の父親だったので、
藤村は自分も頭がおかしくなるのではないか、と恐怖したらしい。
結局、半蔵は五十六歳で亡くなる。
半蔵の国学の弟子たちは墓を掘りながら、こんなことを語る。
「お師匠さまのような清い人はめったにいない」
そう、半蔵は純粋すぎたのだ。
自分の理想にこだわりすぎたのだ。
純粋で、こだわりすぎたから裏切られた時の反動も大きかった。
現実は理想を駆逐していく。
普通の人は裏切られて、少しずつ現実と折り合いをつけていくのだが、
半蔵にはそれができなかった。
僕はこの作品を大河ドラマ『蒼天を衝け』が放送されている時に読んだ。
水戸天狗党の事件など、いろいろリンクすることがあって面白かったが、
こんなことも思った。
渋沢栄一は明治維新で飛躍した人物だが、半蔵は裏切られて挫折した。
明治維新の裏には、こんな物語もあったのである。
「俺もこうしちゃいられない」
半蔵は希望で燃えていた。
しかし、馬籠宿の人たちは醒めていた。
新政府の財政状況は厳しく、発行する紙幣は信用がなかった。
外国との貿易と相次ぐ国内での戦争で物価も上がっていた。
徳川慶喜が恭順を示したのに討伐令が出たことで、
庶民は「俺は葵の紋を見ると涙が出る」と徳川に心を寄せた。
半蔵は「新政府の信用はそんなに薄いのか」とがく然とする。
半蔵も新政府に裏切られた。
新政府は、木曽五木(ごぼく)と呼ばれる「ひのき」「さわら」「あすひ」「高野まき」「ねずこ」といった高級木材のある山を官有林にした。
徳川の世では、許可された山であれば、落ちた枝などを炭や薪にすることは許されていたが、民はそれが出来なくなった。
半蔵は馬籠の「戸長」として抗議し、結果「戸長」を免職されてしまう。
東京でも裏切られた。
半蔵は教部省の役人として東京で働くことになった。
そこで見た東京の風景は西洋文明が入り込んだものだった。
神道、仏教を管理する教部省の役人はあろうことか、国学の大家の本居宣長をからかい、貶めていた。
たまりかねた半蔵は驚くべき行動に出る。
「訴人だ! 訴人だ!」
神田橋で帝の行幸があると聞いた半蔵は、自分の思いを書いた扇子を持って帝の馬車の前に飛び出した。
扇子には西洋文明の侵入を憂うこんな歌が書かれていた。
『蟹の穴防ぎ止めずば高堤(たかづつみ) やがて悔ゆべき時なからめや』
半蔵の行動は、憂国の行動として贖罪金を支払うことで許されたが、
周囲の反応は冷たかった。
妻は泣き崩れ、馬籠の住人は「気が触れた」と噂し合った。
半蔵の精神がおかしくなったのは、この頃からだった。
半蔵は息子に家督を譲り、神社の宮司として信州に赴任したが、
狂信的に神道の教義を説いたので、村人たちは半蔵をあざ笑った。
半蔵は教育で日本を美しい国にしようと思ったのだが、またしても裏切られた。
馬籠に戻ってきた半蔵はますますおかしくなる。
「庭に変な奴がいる。俺を狙っている。誰か俺を呼ぶような声がする」
半蔵は幻覚を見るようになった。
「さあ、攻めるなら攻めて来い」
と幻影と戦うようになった。
そして、秋祭りの時、村の万福寺に火をつけてしまう。
半蔵にとって、国の根本は神道であり、仏教は枝葉であり、寺は本来なら御一新で取り壊されるべき物だったのである。
息子の宗太は急いで座敷牢を作り、頭のおかしくなった父親を閉じ込めた。
半蔵の狂気は続き、意識はますます混濁していった。
「や、また敵が襲って来るそうな。楠木正成の屎(くそ)合戦だ」
半蔵は楠木正成にならって、見舞いに来る客に自分の大便を投げつけた。
幻影はますます半蔵を苦しめていった。
……………………………………………………………
いやはや、壮絶な小説である。
半蔵のモデルは島崎藤村の父親だったので、
藤村は自分も頭がおかしくなるのではないか、と恐怖したらしい。
結局、半蔵は五十六歳で亡くなる。
半蔵の国学の弟子たちは墓を掘りながら、こんなことを語る。
「お師匠さまのような清い人はめったにいない」
そう、半蔵は純粋すぎたのだ。
自分の理想にこだわりすぎたのだ。
純粋で、こだわりすぎたから裏切られた時の反動も大きかった。
現実は理想を駆逐していく。
普通の人は裏切られて、少しずつ現実と折り合いをつけていくのだが、
半蔵にはそれができなかった。
僕はこの作品を大河ドラマ『蒼天を衝け』が放送されている時に読んだ。
水戸天狗党の事件など、いろいろリンクすることがあって面白かったが、
こんなことも思った。
渋沢栄一は明治維新で飛躍した人物だが、半蔵は裏切られて挫折した。
明治維新の裏には、こんな物語もあったのである。