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平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

半七捕物帳 岡本綺堂

2006年08月31日 | 短編小説
 江戸版シャーロック・ホームズとして書かれた「半七捕物帳」。
 明治の代、作者であるわたしが老人の半七に事件の話を聞くという形で進行する。
「その茶話のあいだに、わたしはカレの昔語りを色々聴いた。一冊の手帳は殆ど彼の探偵物語でうずめられてしまった。その中から私が最も興味を感じたものをだんだんに拾い出して行こうと思う、時代の前後を問わずに」
 まさにホームズとワトソンという関係だ。
 面白い仕掛けだ。

 さて、「半七捕物帳」の第1話「お文の魂」。
 お道という小幡家に嫁いだ女が、全身ずぶ濡れの「おふみ」という幽霊を見ることから始まる。幽霊を見たというのは彼女の幼い娘・お春も同じだ。
 お道は幽霊が毎晩枕元に現れるため、実家に帰りたいと言い出す。

 物語はその幽霊おふみの正体を探り出すことで展開される。
 まず調べるのはお道の夫。
 使用人に幽霊を見たかと聞いてまわり、幽霊がずぶ濡れだったということで庭の池を浚ってみる。
 しかし「詮議はすべて不得要領に終わり」「詮議の蔓」は切れてしまう。

 次に調べるのは作者であるわたしの知り合いのKおじさん。
 Kおじさんはとある旗本の次男。
 当時、武家の次男・三男というのは次の様な存在であった。
「江戸の侍の次男三男などと云うものは、概して無役の閑人であった。長男は無論その家を継ぐべく生まれたのであるが、次男三男に生まれたものは、自分に特殊の才能があって新規御召し出しの特典を受けるか、あるいは他家の養子にゆくか、この二つの場合を除いては、殆ど世に出る見込みがないのであった」
「こういう余儀ない事情は彼らを駆って放縦懶惰の高等遊民たらしめるより他はなかった。かれらの多くのは道楽者であった。退屈凌ぎに何か事あれかしと待ち構えている徒であった」
 放縦懶惰の高等遊民、何か事あれかしと待ち構えている徒、現在の作家では書けない表現だ。
 そして、そのKおじさんも幽霊のことを調べていくが、結局は何も見つからない。
「おじさんもそろそろ飽きて来た。面白ずくで飛んだことを引き受けたという後悔の念も萌(きざ)してきた」

 そしていよいよ半七の登場だ。
 この三番目に出て来る所がミソ。半七がキャラクターとして立つ。
 半七はこんな形で登場する。
「笑いながら店先へ腰を掛けたのは四十二三の痩せぎすの男で、縞の着物に縞の羽織を着て、誰の目にも生地の堅気と見える町人風であった。色のあさ黒い、鼻の高い、芸人か何ぞのように表情に富んだ目を持っているのが、彼の細長い顔の著しい特徴であった。かれは神田の半七という岡っ引きで、その妹は神田の明神下で常磐津の師匠をしていた」
 そして今まで解けなかった幽霊の正体を、「濡れた姿であること」「お道の嫁いだ小幡家の菩提寺」を聴いただけで推測してしまう。
 まさにホームズだ。
 彼はまず貸本屋に行き、菩提寺の和尚を訪ねる。
 そして事件の全貌を明らかにする。
 事件の全貌を推測し、実地で確認するというのがホームズの手法だが、それがこの半七にも採り入れられている。ホームズも半七もその点スーパーマンだ。彼らには常人の見えないものを見る洞察力・想像力を持っている。

 以前、横溝正史「人形佐七捕物帳」の所で書いたが、人形佐七は作者の「耽美趣味」「海外推理小説趣味」と江戸が組み合わされて書かれた。
 この半七も同様。
 「ホームズ」+「江戸」だ。
 正確に言うと横溝正史が「半七」の岡本綺堂のこの創作手法を真似て「佐七」を作り出したのだが、違う異質なものを掛け合わせて、まったく別のもの(この場合は「捕物帳」というジャンル)を作り出してしまうところが面白い。

★追記
 それにしても作家の筆力というのは素晴らしい。
 例えば、お道の幽霊話のことで小幡家に相談に行くお道の兄・松村彦太郎の葛藤をこう描いている。
「小幡の屋敷へゆく途中でも松村は色々に考えた。妹はいわゆる女子供のたぐいで固(もと)より論にも及ばぬが、自分は男一匹、しかも大小をたばさむ身の上である。武士と武士の掛け合いに、真顔になって幽霊の講釈でもあるまい。松村彦太郎、好い年をして馬鹿な奴だと、相手に腹を見られるのも残念である。なんとか巧(うま)い掛け合いの法はあるまいかと工夫を凝らしたが、問題があまり単純であるだけに、横からも縦からも話の持って行きようがなかった」
 実によく描き込まれている。
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結婚できない男 第9回

2006年08月30日 | 恋愛ドラマ
 ある出来事がどんどんふくらんでいって、とんでもない事態に陥る。
 これは喜劇の王道。

 今回はその王道どおりの展開。
 中川(尾美としのり)の浮気メールのごまかし→信介(阿部寛)と浮気メールの相手・長沢由紀(三津谷葉子)のツーショット目撃→信介の恋人発覚!

 若い女の子との噂を立てられて信介も満更ではない様だ。
 恋人か?と聞かれても否定しない。
 ハートマーク付のメールを送られて有頂天。
 デートに誘われてさらに有頂天になるが、実は元カレへの鞘当てに使われただけ。結局、由紀は元の彼氏と結婚することになった。

 信介の一時のときめきはこうして幕を下ろしたわけだが、この事件は夏美(夏川結衣)やみちる(国仲涼子)、そして摩耶(高島礼子)に影響を及ぼした様だ。
 変人の信介に恋人がいて自分にいないのはおかしいと思ってみちるは合コンのセッティングを英治(塚本高史)に頼む。
 信介への対抗意識からか、夏美はお見合いをしようと思う。
 そして摩耶はヘッドハンティングに悩む。

 失ってみてわかることがある。
 夏美、摩耶の場合は信介だった。
 今回は勘違いと嘘で終わったが、ふたりは自分にとって信介がどんな存在であるかを認識した。
 憎まれ口を言い合い、会えば神経を逆撫でされる存在。
 でもそれが楽しい。
 変人で世渡り下手であるがゆえに放っておけない存在。
 母性本能をくすぐられる。
 ふたりは信介を失って寂しい存在であると確認した。
 また恋愛に臆病になってハードルが高くなっていることも。
 一方、信介もそう。
 夏美のお見合いが成功したと聞いて動揺する。
 しかし、そこは大人の対応。
 お祝いにウェッジウッドのティーカップを買いに行く。
 そしてお見合いの成功が嘘だと聞いて安心、「恥ずかしがることはないですよ。自分だってもういい歳なんだから、断られたってしょうがいでしょう」といつもの憎まれ口を叩く。
 だが、信介も夏美が失って寂しい存在だと気づいた。

 ある出来事がふくらんでいって、とんでもない事態に陥るのが喜劇の王道。
 ある出来事に人物それぞれがリアクションしていくのがドラマの王道。
 そこに心の交差やぶつかり合いがあればいいドラマになる。

 ついに動き出した「結婚できない男」。
 信介と夏美の関係が発展するには決定的な要素・要因が必要。
 その要素が見えてきた。
 今回はその序章だったが、それは摩耶の様だ。
 信介、夏美、摩耶との三角関係。
 それが物語を動かしそうだ。
 これにケンちゃんも加わって、四角関係?
 さて物語の結末は? 

★追記
 「男は女性がどんなに年下でもOKなんです」が持論の信介。
 いつも若い女の子といっしょにいる金田(高知東生)への対抗意識かもしれないが、今回は若い由紀に心動かされた。
 だがつき合ってみると、それもなかなか大変な様だ。
 インターネットでデートの予習(カラオケでマイクのお尻を上にして歌ってはいけない)。
 慎重な洋服選び、口臭チェック。
 ゲームセンターでのデートではヘトヘト。
 水族館では「水槽に淡水魚(実は金魚)を買っているんですよ」とちょっと見得。
 信介には夏美とのまったりデート(はとバスデート)、見得を張らずにウンチクを語れるデート(お好み焼きデート)が似合っている様だ。

★追記
 みちるはドラマを動かす狂言まわしとしてうまく機能している。
 信介に恋人ができたこと、結婚祝いを買いに信介が出かけたことを夏美に伝えた。
 ・信介が夏美の勤める中川病院に行くこと。
 ・偶然。
 ・みちる、英治、ケンちゃんらの狂言まわし。
 これらがこのドラマを動かしている。
 そうでなければ、信介と夏美は自分から動こうとしないだろうから。

★追記
 信介への怒りいっぱいの夏美がマンガ喫茶で読んでいるのは「ゴルゴ13」。
 恋人ができた信介への当てつけで読む映画(DVD)の紹介文。
 このドラマは小道具の使い方もうまい。
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あいのり 8/28

2006年08月29日 | バラエティ・報道
 総理の告白。
 だが、ひさよんとのことで見られる様に相手のちゃきは強い。
 また田上くんにこだわった様に自分の理想に忠実、悪く言えば幅がない。
 到底総理の無器用さが入り込む余地はない。
 総理は恋に盲目で本当のちゃきが見えていない。
 一方通行。
 ちゃきの過去をしつこく聞いて、前夜の告白も失敗。
 過去、アレックなど総理の様な「純粋」キャラはいた。
 彼らの無器用さは見ていて共感、笑みがこぼれるものだったが、総理の場合に限って、「痛い」のはなぜだろう。

 日本に帰る総理に涙する他のメンバーの気持ちも伝わって来ない。
 映像で描かれていないせいもあるだろうが、総理と他のメンバーの間にどんな出来事や感情のやりとりがあったかが読み取れないからだ。
 例えば以前だったら「スーザンはすごい」とか「へたれ三兄弟」といったメンバー相互の関わりを読み取れた。
 今のメンバーの人間関係はひどく薄く、冷たい感じがする。
 やはり田上くんの事件が大きかったのか?

 そしてひさよんのリタイア。
 予想はされたが、なぜこのタイミングなのか?
 ひさよんは、雰囲気を悪くした責任を感じてメンバーが純粋に恋愛できるラブワゴンにしたかったと言う。
 その気持ちはわかる。
 ひさよんはケーキを作ったりしてがんばった。
 では、なぜ総理が告白した後のタイミングなのか?
 先程のひさよんの言葉を借りれば、ラブワゴンが恋愛できる状態に戻ったから。現に総理は告白した。
 あるいはひさよんは誰かの告白を目に焼きつけておきたかったのではないか?
 自分が出来なかった告白。
 それをあいのりの思い出として見ておきたかった。
 そんなふうに想像してみると、あいのりの旅にドラマが見えてくる。

 総理の告白があまり共感を得られなかった様に「あいのり」は恋愛だけでない別のドラマを描こうとしているのかもしれない。
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功名が辻 聚楽第行幸

2006年08月28日 | 大河ドラマ・時代劇
 「功名が辻」原作と映像の間。

 司馬遼太郎の作品は分析的で次の様な描写が多い。
 例えば、今回の聚楽第のこと。
 司馬遼太郎は秀吉と家康を比較してこう描いている。
「秀吉は、ひどく建築好きであった。この点家康とちがっている。家康は、信長、秀吉とちがって、実利一点ばりの男で、芸術への嗜好心がない。田舎の実篤な働き者の旦那に似ている。
 家康の美徳は多い。が、いずれも倹約、用心深さ、実直といった自分一個の自衛的な美徳ばかりで、世間に対してどうこうというひろがりのある美徳ではない。この男の面白さはここにあるだろうし、かれが後世にいたるまで人気を持たなかった理由は、そういうところにある」(第2巻 秀吉)

 司馬遼太郎の作品は人物論の小説である。
 必然、感情の起伏という点では乏しくなる。
 しかし、ドラマは感情を描かねばならない。
 だから拾を可愛いがる千代(仲間由紀恵)にいろいろな顔をさせたり、拾を育てることを許した一豊(上川隆也)に甘える姿を見せたりした。
 また、三成(中村橋之助)や加藤清正、小西行長への一豊の嫉妬心やふてくされて聚楽第の儀式に参加しない一豊、仮病がばれたら酷いお咎めにあうと千代に脅されて慌てて聚楽第に行く一豊などを描いた。
 これらは原作にはない人物描写である。
 しかし、これらを描いた方が一豊・千代が人間くさく見える。

 また主人公のヒーロー性についても映像ではふくらまさなければならない。
 原作では一豊のことを秀吉、寧々にこう言わせている。
「吏才は石田三成にはるかにおよばず、武勇は加藤清正の指ほどにもない凡庸な男」
 一豊に対する秀吉夫婦のつき合いの深さもドラマほどではない。
 寧々は秀吉に言う。
「山内一豊対馬守一豊は、わが家にとってふるき者でありますけれども、さまでの出頭(出世)もいたしませぬな」
「あれは、たしか長浜城主であったな」
 ぐらいのものである。

 これらは脚本の大石静さんのアレンジ。
 一方、大石さんも原作がこだわって描いたところをバッサリ省略している。
 例えば、千代の持っていた芸術的センス。
 今回のドラマでも登場した千代が縫った唐織の小袖。
 司馬遼太郎はこれを千代の芸術的才能として評価している。
「柄、生地の見立て、縫いのたしかさなどは尋常ではない。千代にはそういう点で、万人に一人と言っていいような天分がそなわっているのかもしれなかった」
 また、原作では千代は京の町に立ち、自分の作った唐織の小袖を似合う娘たちにしばしば与えたという描写があるが、ドラマではよねが死んだ時のみ。

 原作のどこをふくらませて、どこを省略するかは脚本家のセンス。
 時にはこういうドラマの見方をするのも面白い。

★追記
 司馬遼太郎の小説は政治論・歴史論でもある。
 司馬遼太郎は人物の目を借りて、時代や政治を表現している。 
 例えば、聚楽第、秀吉の建築好きについての分析を千代の目を借りてこう表現している。
「千代はこう思っていた。
 建築は天下のものなのである。秀吉はこの大工事によって京の土地をうるおし、竣工すれば、ここ数百年貧乏暮らしをしてきた公卿たちや、戦野から手取りにしてきた天下の英雄豪傑に華麗な礼服を着せて荒ぎもをやわらげさせ、聚楽第をもってそれらの社交場にしようと思っているのに違いなかったかった。
 遊びではあったが、秀吉はちゃんとその中に政治を含めている」

★追記 あらすじ(公式HPより)
 千代(仲間由紀恵)は、屋敷の門前に捨てられていた男の赤子を見つけ、拾(ひろい)と名づけて育てることにした。一豊(上川隆也)もそれを認めるが、表情は冴えない。帝の聚楽第行幸の世話役に任じられたのだ。千代は千代で、寧々(浅野ゆう子)から得意の裁縫で打掛を作るよう命じられる。その打掛を豊臣家の宝として飾りたいという言葉に驚き、固辞する千代だが、寧々は、『これは上意じゃ』と譲らない。一豊は慣れない蹴鞠の練習をしたり、同じ世話役の三成(中村橋之助)に儀典について一から教わり、千代は選りすぐった唐織を材料に打掛を縫い上げる。
 そして行幸の当日、秀吉(柄本明)によって案内された後陽成天皇(柄本時生)は、千代の打掛の前で足を止め賞賛、行幸は大成功のうちに幕を閉じた。
 そして懐妊していた茶々(永作博美)が無事に男児を出産。秀次(成宮寛貴)付きの宿老である一豊は秀次に随い祝いに訪れるが、茶々が産んだ赤子を豊臣家の跡取りに決めたと言わんばかりの秀吉の言葉に危惧を覚えた。これまで、跡目は秀次様とされてきたはずだが……。
 
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人形佐七捕物帳 横溝正史

2006年08月27日 | 短編小説
 横溝正史作「人形佐七捕物帳・羽子板娘」はこんな書き出しで始まる。

「七草をすぎると、江戸の正月もだいぶ改まってくる。辻々をまわって歩く越後獅子、三河万歳もしだいに影をけして、ついこのあいだ、赤い顔をしてふらふらと、廻礼にあるいていたお店(たな)の番頭さんが、きのうにかわるめくら縞のふだん着に、紺の前掛けを堅気らしゅう取りすました顔もおかしく、注連飾り、門松に正月のなごりはまだ漂うているものの、世間はすっかり落ち着いてくる」

 句点のない、実に長い文章である。
 文体は作家の気質に根ざしているという。
 作家の文体を愉しむのも小説を読む楽しみである。

 さて、主人公の岡っ引き・佐七。
 人形の様な色男。
 色男という設定がいかにも横溝正史らしい。
 また、戦後に描かれる金田一耕助シリーズに見られる要素の片鱗がいたる所にある。
 ひとつは耽美趣味。
 今回の事件は、羽子板に描かれた江戸の小町たちが次々と殺されるという事件。
 犯行現場に押絵の首の所を切られた羽子板が残されている。
 そこに作家の耽美・猟奇趣味を感じる。
 またロジックな海外推理小説趣味。
 評論家の縄田一男氏の分析によると、この作品はクリスティの「ABC殺人事件」を換骨奪胎しているという。
 以下、ネタバレになるが、
 羽子板に描かれた娘たちを次々と殺していく犯人の理由とは、次の様なものだ。
 本当に行いたい殺人事件のカムフラージュ。
 目的の人間だけを殺めてしまえば、その動機から足がつく。
 しかし、羽子板に描かれた娘の連続殺人事件とすれば、追及の鉾先は別の所に向く。
 縄田氏は、この作品は「海外ミステリー+江戸情緒」で書かれた作品だと言う。
 既存の海外ミステリーのロジックを江戸情緒で描いたら、まったく別の作品になる。
 なるほど、ひとつの創作手法だ。
 縄田氏はさらに言う。
 この作品の書かれたのは太平洋戦争中。
 海外ミステリーは読めないし、海外ミステリーの様な作品は書けない。
 横溝正史の海外ミステリーへの飢えがこの作品を書かせたというのだ。
 なるほど、面白い執筆動機だ。
 
 作家には根っこがある。
 横溝正史で言えば、「耽美趣味」「海外ミステリー」。
 これらの根っこが、どんな作品であれ現れる。
 文体、それに作家の根っこ。
 小説を読む楽しみはこんな所にもある。

★追記
 物語の流れはこう。
 殺害された娘の逢瀬→鏡のトリックの解明→犯人は二階にいた謎の武士→武士は鬼瓦の紋のついた羽織を着ていた→鬼瓦の紋の羽織を着ていたのは山の井数馬という道場主→鬼瓦の紋のついた羽織は質屋に入れられていた→真犯人。

★追記
 横溝正史の長い文体はこんな会話文にも現れる。
 状況はこう。
 娘(お蝶)の逢瀬の相手・紋三郎が仲間と歩いているのを見かけるお市。
 紋三郎はお蝶と会っているものと思っていたから、お市は不審に思う。

 おやと眉をひそめたお市が
「ちょっと、ちょっと、紋さん」
 と、低声(こごえ)で呼び込むと、
「おまえ、お蝶さんといっしょじゃないのかえ」
「お蝶さん?」
 紋三郎が、さっと顔色かえるのを
「いいのよ、あたしゃあにもかも知っているンだから。しかし、変だねえ。さっきたしかに鏡の合図があって、お蝶さんは出かけたよ」
「鏡の合図。そ、そんなはずはありませんよ。おいらァいままで、兼公とお湯へいってたんだもの」
 お市はようやく、ことの容易でないのに胸をとどろかせた。

 お蝶は犯人に呼び出されていたのだ。

 それにしても落語のような語り口調だ。
 勢いがあって、無駄がない。

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ドラキュラ

2006年08月26日 | 洋画
 ドラキュラー映画をふたつ。

 「ドラキュラ」(1992年 アメリカ)
   監督 フランシス・フォード・コッポラ
   出演 ゲイリー・オールドマン ウィノナ・ライダー キアヌ・リーヴス アンソニー・ホプキンズ 
 「吸血鬼ドラキュラ」(1957年 イギリス)
   監督 テレンス・フィッシャー
   出演 クリストファー・リー ピーター・カッシング マイケル・ガフ

 同じブラム・ストーカーの原作をもとにしていながら、ドラキュラの孤独な怒りを描くか、ドラキュラを恐怖の対象と見るかで大きく違ってくる。

 コッポラの「ドラキュラ」は前者。
 オールドマンがドラキュラを演じ、その苦悩怒りを表現する。
 ドラキュラは戦争で愛する女性を喪い、彼女を奪った人間に復讐するために悪魔と契約を結んだのだ。これはドラキュラのモデルになった人物をもとにしている。
 さて、悪魔と契約を結んだドラキュラ伯爵。
 しかし、いくら人間を殺めても救われることはない。
 復讐は人の心に安らぎを与えないのだ。
 結果、彼は満たされない空虚を抱えたまま、永遠の命を生きていく。
 そんなドラキュラが喪った女性ミナとうりふたつの女性を見てロンドンへ向かう。
 このロンドンに上陸するシーン、この映像は実に見事だ。
 嵐が巻き起こり、動物園の動物たちが騒ぎ出す。ある女は夢遊病者の様に歩き出し、ドラキュラにその首筋を差し出す。この上陸シーンは、音楽との相乗効果もあって本当に怖い。
 そしてミナにめぐり会い、彼女を求めていく。
 だが、吸血鬼になった今、どうやって愛していいかわからない。
 この苦悩。
 そのラストは圧巻だ。
 ドラキュラを愛する様になったミナが、ヘルシング教授に追いつめられ瀕死の状態となったドラキュラを殺すのだ。
 ミナはドラキュラに永遠に生きる苦しみでなく死の安らぎを与えるため、ドラキュラの胸に杭を打ち首を切り落とす。
 それはミナのドラキュラへの愛情から行った行為だった。
 ドラキュラは愛する人の愛に包まれて、やっとその呪われた生から解放されたのだ。

 そしてテレンス・フィッシャーの「吸血鬼ドラキュラ」。
 クリストファー・リーの当たり役となって続編も9作品作られた。
 このドラキュラーはあくまで人を吸血鬼にする怪物、ヘルシングに退治される怪物として描かれている。
 そこには何の悲哀も苦悩もない。
 退治されるモンスターを描くホラー映画だ。
 悪に支配された人間を救うために戦うという点では、科学者と神父の違いはあるが、「エクソシスト」にも似ている。
 ドラキュラに血を吸われた人間が、十字架に恐怖し触れると十字架の痣がつくというモチーフも「エクソシスト」で見た様な。
 この作品はヘルシングの機転の利いた戦い方が面白い。
 ドラキュラのいない空の棺桶を見つけると、そこに十字架を入れておく。それでドラキュラは棺桶の中に戻ることができない。仕方なく自分の城に戻る。
 ドラキュラを追うヘルシングは城へ行き戦う。
 圧倒的な力の差があるが、太陽が昇ってしまえば力関係は逆転する。
 そのタイムサスペンス。
 鉄の棒をふたつ重ね合わせて十字架を作って戦うというのも面白い。
 57年にヒットしたのも分かる。

 それにしてもドラキュラとは実に見事に造り込まれたキャラクターだ。
 十字架・ニンニク・陽の光に弱い。
 昼間は棺桶の中で眠る。
 木の杭を打たれると死んでしまう。
 城の穢れた土はエネルギー源。
 城以外の他の場所に移動する時は、城の穢れた土を入れた棺桶の中。
 永遠の命。
 血を吸われ支配された人間・下僕たち。
 こんな怪物は滅多にいない。
 おまけに永遠に生きることの苦悩という精神性を持っている。

 これから映像製作者はどんなドラキュラを見せてくれるのだろう。
 これから映像製作者はどんな怪物を見せてくれるのだろう。
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下北サンデーズ 7話 「僕ら薔薇薔薇…という感じ」

2006年08月25日 | その他ドラマ
 売れ始めた下北サンデーズ。
 注目され振り回されている。
 仕事が入り、あくたがわ(佐々木蔵之介)の台本が上がらないこともあり、サンデーズの芝居に力が入らない。
 せっかくスズナリの舞台に上がれるというのに。
 今までの下積み、注目されなかった人間が急に脚光を浴びたのだから、舞い上がるのも無理はない。
 亜希子(山口紗弥加)はスタンドインや代わりの台本を用意するなど、現実的な処理をしていく。

 そんな中で変わらないのがぴっちりブルマーコンテストで準優勝したゆいか(上戸彩)だ。
 注目を浴びても変わらぬスタンス。
 自分を追いかける芸能プロダクションやファンにきっちり自分のスタンスを話す。
 彼女は強い。
 下積みを知らず、売れることに価値をおいていないから尚更だ。
 彼女にとってサンデーズのメンバーと芝居をすることが一番の価値だからだ。
 主人公は他のキャラクターとは違ったリアクションをする。

 こんなゆいかと同じスタンスをとった人物がいた。
 八神(石垣佑磨)だ。
 彼はサンデーズがバラバラになってしまったことに失望している。
 彼がサンデーズに求めたものは家庭だった。
 サンデーズの稽古場に来れば、父と母がいて兄弟がいる。
 サンデーズは家族愛を教えてくれた。

 誰もが価値観が違う。
 純粋に芝居をしたくてサンデーズにいる者。
 家族を求めてサンデーズにいる者。
 足がかりにして売れてやろうと思っている者。
 こんないろいろな人間が集まって右往左往しているのが、人間の集団だ。
 そして人は状況で変わる。
 サンボ(竹山隆範)は「小さな所に閉じこもってるから駄目なんだよ」と言う。

 この作品、こうした現実をドライに捉えて描いていく。
 サンデーズに家族を求めた八神の思いに関しても、ジョー(金児憲史)はこう批判する。
 それは金の苦労を知らないボンボンの言葉。
 自分たちは売れたいし金もほしい。今は売れるいい機会。
 30になって役者しかできなければ、ロクな就職口もない。

 この作品は、安易な解決をしようとしない。
 普通のドラマなら「八神がサンデーズの誕生日ケーキを持って来て、みんなが初心を思い出す」という形で終わるはず。
 それをなしにして、ジョーの言葉をぶつけ、最後は八神に飛び降り自殺をさせた。

 現在のドラマは視聴者の目も肥えてきて安易な解決を許さない。
 安易な解決をすれば、視聴者はたちまち自分の現実とは違う嘘だと思って、チャンネルを変えてしまう。
 それ故に物語は複雑になっていく。
 作家はその複雑にこんがらがった糸をどう解いていくかに苦労するわけだが、それはなかなか大変な様だ。
 この下北サンデーズもそう。
 ここ数回のサンデーズの解決の仕方はすべて安易。
 キャンディ(大島美幸)は首つり自殺騒ぎ。
 前回はおじいちゃん(北村総一郎)の前で土下座。
 そして今回も自殺。
 すべて泥臭い。
 ギャグや第1話のゆいかの心情などはドライなのに、解決は結構ウェット。
 この両者を共存させるのはなかなか難しい。
 共存させようとするスタッフの意図、志はわかるのだが、あまり成功していない。

 また、最近ゆいかがあまり魅力的でない。
 ゆいかは人間としても役者としても安定している。
 決して「未熟」ではない。
 むしろ他のサンデーズのメンバーの方が未熟だ。
 この物語、ゆいかはまだまだ未熟で、彼女が人間としても役者としても成長していく物語にした方がよかったのではないか?
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コールドゲーム 荻原浩

2006年08月24日 | 小説
 新潮文庫の100冊を読む。
 第1回は「コールドゲーム」(荻原浩・著)。

 新潮文庫の100冊ではこう紹介されている。
「誰の身にも起きかねないイジメの復讐戦。あまりにも痛い現実がここにある!」
「高3の夏、復讐は突然はじまった。中2のクラスメートが、一人また一人と襲われていく……。犯行予告からトロ吉が浮かび上がる。4年前、クラス中のイジメの標的だったトロ吉こと廣吉。だが、転校したトロ吉の行方は誰も知らなかった。光也たち有志は「北中防衛隊」をつくり、トロ吉を捜しはじめるのだが……。やるせない真実、驚愕の結末。高3の終わらない夏休みを描く青春サスペンス」
 短い文章を積み重ねて作品を紹介していく新潮文庫の100冊の文章、実に小気味いい。

 さて、この作品「コールドゲーム」。
 「持続する狂気」ほど怖ろしいものはないと感じさせる。
 中学の時にイジメを受けた廣吉。
 彼は転校して4年間ずっとクラスメートへの恨みを持続させてきた。
 それも単なる持続ではない。
 学校もやめ、復讐に生活のすべてをかけて来た。
 まず身体を鍛える。
 キックボクシングのジムに通う。
 バイクの免許を取る。
 腕からボウガンが出る仕掛け武器を造る。
 クラスメートの家族構成から日々の行動までを綿密に調べあげる。
 そのデータをもとに復讐計画を作成。
 同時に何をすれば一番苦しむかを考える。
 実に怖ろしい。
 普通、4年の歳月は人を変える。人には忘れるという能力がある。
 作者は4年前にイジメをした少年の言葉を借りて、こう書いている。
「誰だって変わるよな、四年あればさ。四年前の恨みだなんて言われても、あの頃何であんなことをしてたのかなんて自分でもわかんないよ。悪いことしたと思う。だから廣吉があやまれって言うなら、あやまるけどさ、なんだか他人のやったことで頭下げさせられる気分がしてくるよ」

 しかし、廣吉は忘れなかった。
 「怒り・恨みの持続」は結果、廣吉を壊してしまった。
 彼は取っかかりとして、自分たち母子を捨てた自分の父親に復讐を実行する。
 可愛がって猫の目を送りつけ、父親に蓄えた暴力をふるう。   
 そしてクラスメートへの復讐の実行。
 順番は「あいうえお」の名簿順。

 物語後半。
 事件は、あっと驚く展開を見せるのだが、ネタバレになるのでここは少しふれるだけ。
 実は廣吉には共犯がいる。
 そして、廣吉の恨み・怒りは他者に連鎖する。
 この恨み・怒りの連鎖というのが怖ろしい。
 人の負の気持ちは自分だけでなく、他の人間にも伝わり他の人間も壊してしまう。
 また、さらに怖ろしいのは、中2の廣吉にくわえられたイジメの数々だ。
 このイジメの壮絶・悲惨なこと。
 イジメを行ったクラスメートの中には現在フツーに高校生をやっている人間もいる。つまり廣吉だけが例外でなく、人間の心にはいつでも悪魔が棲みつくのだ。
 そんなテーマを作者は、例えばこんな描写で描いている。
 廣吉を迎え撃つために金属バットを持って待ちかまえる主人公・光也の描写だ。
「自分は傷つかないシューティングゲームの興奮。罠に落ちる獣を待つ狩人の快感。全身の筋肉が実力を試したがっている。自分が廣吉を捕らえて殴りつけるシーンが頭に浮かんだ瞬間、光也は握っていた金属バットから手を離した。光也は思った。俺も亮太や清水たちと同じだと。理由ときっかけがあれば、たぶん平気で人を殴れる」
 そして、この「理由ときっかけがあれば平気で人を殴れる」というモチーフは、復讐事件を面白おかしく伝えたマスコミも同様だと作者は描く。
 マスコミはイジメを行った中学生たちを悪魔と報じ、廣吉を被害者として扱った。次に廣吉の狂気が情報開示されると、廣吉バッシングを始めた。
 この毀誉褒貶の怖ろしさ。

 この作品は廣吉の狂気を描くだけでなく、その連鎖やクラスメートたちの狂気、マスコミの狂気を描いたことで、1級の作品になった。
 「いじめを受けた少年のクラスメートへの復讐」というモチーフを一歩も二歩も拡げ突っ込んだことで、作品はさらに深味を増した。
 
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結婚できない男 第8回

2006年08月23日 | 恋愛ドラマ
 冒頭はタイタニックを作る信介(阿部寛)。
 嬉々とした表情、ディティルへのこだわり。
 独りの生活もいいと思えてくる。

 こんな生活の信介に闖入者。
 ケンちゃん。
 みちる(国仲涼子)が虫垂炎で4日入院することになり、英治(塚本高史)の所に預けられる。だが、恋人の沙織(さくら)に「私と犬とっちを選ぶの」と言われて信介の所に。夏美(夏川結衣)のマンションは犬がNGの様だ。
 こうやってめぐりめぐって信介の所にやって来る展開は、この作品の脚本家・尾崎将也さんの得意なところ。柴又のバスツアーで偶然夏美に出会う下りもこんな感じだった。

 さて、ケンちゃんとの共同生活。
 次第に心を通わせていく下りが面白い。
 信介は「模型の方が餌も食べないし気楽でいい」と言うが、模型やケンちゃんには大きく違うものがある。
 ケンちゃんには意思があるということだ。
 それは信介が大事にしているもの(ステレオや金魚など)も同様だ。
 ケンちゃんには意思がある。
 散歩で黒い犬を怖れる。
 信介の部屋に入りたがらない。だが、きゅうりを投げるとそれを追いかける。
 餌をなかなか食べない。(ちなみに餌を入れた皿は夏美のお父さんの結婚式の引き出物)
 ゴミ箱をひっくり返して悪戯をする。
 器用に首輪を外す。
 ワーグナーよりもモーツァルトが好き。

 信介は模型とも大音響の音楽とも意思を交流させコミュニケーションしているが、ケンちゃんほどの交流・コミュニケーションはない。
 模型・音楽は信介の一方的なコミュニケーションでリアクションはない。
 あったとしても信介の想定の範囲内だ。音楽は同じスコアで演奏される。マニアな信介は次にどの様なメロディが奏でられるか当然知っているだろう。
 しかし、ケンちゃんは違っている。
 どんなリアクションをしてくるかわからない。
 時には信介を怒らせたり悩ませたりすることもするだろうが、ワクワクすることもある。
 だから「こいつを研究したくなりました」と夏美に言って、引き続きケンちゃんの面倒をみようとする。

 信介の家に、信介の生活に犬が入り込んだ。
 それまで入っていたのは、無機質なステレオや模型。
 次に物言わぬ金魚。
 そして今回は犬。
 入り込んで来るもののレベルがどんどん上がっている。
 次はいよいよ人間か?
 しかし人間はケンちゃん以上に複雑で厄介だ。
 信介はほんのわずかな時間でケンちゃんの思考・行動パターンを理解したが、人間はそうはいかない。
 文句も言えば、様々な感情もぶつけてくる。
 そんな厄介なものを信介が受け入れられるか?
 夏美は信介の治療のためほんの少しの時間、信介の部屋に入ったことがあるが。

 この様にこの作品は小道具の使い方がうまい。
 ステレオや模型が、金魚すくいの金魚が、隣のケンちゃんが、こんな使われ方をするとは思わなかった。
 これらはすべて結婚しない男・信介の心を映し出している。
 信介の人とのコミュニケーションを求める心を映している。


★あらすじ(公式HPより)
 拡大鏡を覗き込み、信介(阿部寛)が真剣な表情で模型を作っている。細心の注意を払いながらペイントし、完成したものを満足げに見ると、ある部品がなくなっていることに気がつく。辺りを探すが見当たらず、相変わらずとひとり言をつぶやく日々。
 ある日のこと、腹痛で中川病院に行ったみちる(国仲涼子)は夏美(夏川結衣)に急性虫垂炎と診断され、手術入院することになってしまう。みちるの愛犬・ケンを預かることになった英治(塚本高史)だが、恋人の沙織(さくら)に「私と犬とどっちを選ぶの」と言われ、険悪ムードに。困り果てた英治に、ケンの世話を頼まれた信介は「ありえない」と断るが、英治に付き添ってきた夏美に「二度と私のところに診察、受けに来ないで下さいね」と言われて動揺する。結局、信介は「犬にお愛想はしません、エサやって、散歩させるだけです」と、渋々承諾。信介は、ケンを自分の部屋に入れたものの、ケンが室内を動き回らないように紐でくくりつけるのだった。
 一方、手術直前にケンが心配で英治に電話しようとしたみちるは、ケンが信介に預けられていることを知らされ、不安いっぱいの表情を浮かべながら手術室に消えて行くのだった。
 仕事中にも関わらず、信介と英治はパソコンの遠隔操作で信介の部屋にいるケンの様子をチェック。すると、ケンが紐を外し信介の部屋をウロウロし始めた。部屋はゴミが散乱し、クライアントとの打ち合わせどころではなくなる信介。一方、不安そうなみちるを見た夏美は、「やっぱり私が預かります」と信介に電話をする。しかし仕事に身が入らない信介を見かねた摩耶(高島礼子)が、すでにケンを引き受けることになっていた。「仕事に集中して欲しかったのよ」という摩耶だが、実は子供のころからの犬恐怖症で、結局、預かることはできず。
 信介はケンをさらに厳重に紐でくくりつけると、「今度、イタズラしたら保健所行きだ」と念を押し、大切な模型を高い場所に移動させるのだった。
 夜、信介がマンションに戻ると、玄関でケンが出迎えていた。「何かやったな」と部屋を見回すが、中はキレイなまま。出迎えてくれていたことがきっかけとなり、散歩中に通る大型犬のやり過ごし方やボール投げなどで、次第にケンとのふれあいが楽しくなり始める信介。夏美が預かると言っても「こいつを研究したくなりました」と信介は申し出を断る。だが、その矢先、部屋に飾っていた大切な模型が床に落ちて壊れてしまう。「これは触るなって言ったろ!」と側にいたケンを叱りつけた信介は、「愛想が尽きました」と言って夏美にケンを預けるのだった。
 しかし数日後、部屋にいた信介は、模型を置いていた場所が、ふとした拍子で簡単に物が落ちることに気がつく。信介はケンと散歩中の夏美に電話し、散歩のアドバイスをしていると、その間にケンがいなくなってしまう。それを聞いてタクシーに飛び乗る信介。
 夏美が散歩していた辺りを必死に探していると、男の声で「ケン!ケン!」と叫んでいるのが聞こえてきた。その声はまさしく信介だった。信介は以前、ボール遊びをした川にたどり着くと、何かが流れて来るのを見つけ、迷わず川の中のそれに向かって行くが、それはゴミ。夏美もそんな信介の必死な様子を見守っていた。すると、夏美と少し離れたところにちょこんと座るケンがいた。驚きながらも「ケンです!」と喜ぶ夏美に、信介は「見りゃわかる」と言うと、水浸しになりながら帰ってしまった。夏美はケンに「あなたと桑野さん、目が似てる」と微笑む。
 後日、退院したみちるがマンションに戻ってきた。信介に「ご面倒をおかけしてすみませんでした」と言うと、「さあ、我が家だよ」とドアを開けるが、ケンは信介の部屋の方を見つめている。みちるの部屋に入っていくケンを見届けて、ドアを閉めた信介は「忘れよう」と独り言をつぶやくのだった。
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アーサー王伝説

2006年08月22日 | 小説
 イギリスの伝説の人物アーサー王。
 彼のまわりには円卓の騎士と呼ばれる勇敢な騎士たちが取り巻き、国を平定しローマとも戦う。
しかしアーサー王を待ち受けていたのは、裏切りと悲劇だった。

 まず、アーサー王の物語は伝説であり特定の作者が書いた物語ではない。
 アーサー王が実在した人物かどうかも本国イギリスで論議になっている。
 ただ、アーサーの物語は作家にインスピレーションを与え、マロリーを始め様々な作家がその物語を書いてきた。シャーロック・ホームズのキャラクターに魅了され、他の作家がホームズ本を書いたのと同じような発想、現在で言えばアニメやコミックの同人誌を書くのと同じ発想かもしれない。。

 さて、こうして書かれたアーサーの物語にはいくつかの名場面がある。
 ひとつは有名なラーンスロットとの戦い。
 物語のクライマックスにあたる部分だ。
 ラーンスロットは円卓の騎士のひとりだが、アーサーの妻であるグウィネヴィアを好きになり不倫をしてしまう。怒ったアーサーは妻を処刑しようとするが、ラーンスロットが助けラーンスロットは反乱を起こす。アーサーは反乱鎮圧に向かうが、その機会に乗して甥のモルドレッドが謀反を起こし背後を攻められる。ソールズベリーの平野で行われるモルドレッドとの戦いの中でアーサーは傷つき、アヴィリオンに行くと言って西の海へ旅立っていく。(蛇足だがこの西の海をアメリカと解釈してアメリカのマヤ文明とアーサーが戦う物語を書いた作家がいる)

「トリスタンとイゾルテの物語」もそう。
 この物語はラストが哀しくきれいだ。
愛し合いながらも引き裂かれたトリスタンとイゾルテ。トリスタンはもうひとりのイゾルテという名の女性と結婚させられる。白い手のイゾルテと呼ばれる女性だ。円卓の騎士であるトリスタンは戦いの中で傷つき、死の床で別れたイゾルテを求める。トリスタンはイゾルテに手紙を書き、もし自分のもとに来られるようなら白い帆の船で、もし来られないようなら黒い帆の船で使者を贈ってほしいと言う。イゾルテは白い帆の船でトリスタンのもとにやって来るが、白い手のイゾルテは死んでいくトリスタンに「黒い帆の船が来た」と告げる。
 この物語はオペラでも有名だ。

他にもアーサー王の物語はイメージの宝庫だ。
 親指トム、巨人ガルガンチュア、山師トマス、アマゾン族。
 アイテムでは聖剣エクスカリバーや13の宝物。13の宝物の中のひとつ姿を消すマントは「ハリー・ポッター」にもいかされている。
 アーサーの物語には、想像力で遊ぶ材料が山のようにある。
 アーサーの物語にインスパイアされて自分の物語を創ってみるのも楽しい遊びではないかと思う。
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