平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

「冬のソナタ」再見

2009年07月31日 | テレビドラマ(海外)
 LalaTVで「冬のソナタ」を再見した。

 最終話のタイトルは「冬の終わり」。
 不覚にもウルウルする。
 これはなぜかと考えると、ラストシーンが穏やかだからなんですね。
 それまでのユジンとチュンサンって<冬の嵐>のまっただ中にいる。
 記憶や生い立ち、サンヒョクやチェリン、様々な難問が運命の恋人たちに襲いかかる。
 それがラストでは……。
 すべてが解決、解放されて心の中は穏やか。まさに「冬の終わり」。
 再会の感動もありますが、この穏やかさがラストシーンを名シーンにしているのでろう。

 その他「冬のソナタ」では小道具の使い方が上手いですね。
 たとえば<ポラリス>。
 夜空で絶対に動かない星・北極星。
 これは「自分は動かずにずっとユジンのそばにいる」というチュンサンの象徴なのですが、これが至る所に登場する。
 まずユジンが勤める会社の名前。
 これで二十年後もユジンがチュンサンのことを思っていることがわかる。
 チュンサンでもあるミニョンがポラリスのネックレスをプレゼントしたこともそう。
 これはミニョンの「自分は動かずにずっとユジンのそばにいる」「ユジンを守り続ける」という意思表示。
 このネックレスは小道具としてその後様々な使われ方をする。
 サンヒョクと共に歩んでいく決意をした時、ユジンはこのネックレスを外す。
 ミニョンの生い立ちが分かり、別れねばならない時、ネックレスが壊れる。
 そして別れの時、チュンサンは泣きながらそのネックレスを海に投げる。
 ポラリスがその時々の主人公たちの気持ちを表現している。
 実に見事な小道具だ。

 その他にもこんな小道具がある。
 道具ではないが、<靴をはかせる>という行為。
 これは高校時代、遅刻して塀を乗り越えた時、チュンサンがユジンにしたことだが、これがその後のドラマで大活躍する。
 たとえばユジンがミニョンと出会ってスキー場の視察に行くシーン。
 ここでユジンはミニョンに靴をはかせられ、チュンサンとミニョンを重ね合わせる。
 ウエディングドレスを着たユジンにミニョンが靴をはかせるシーンもそう。
 ミニョンはチュンサンなのにどうしてふたりは別れなくてはならないの?と視聴者は思う。
 またアメリカに旅立つ時、ミニョンが空港で女の子に靴をはかせたことで、ユジンは彼に出会うことが出来た。
 この様に<靴をはかせること>が小道具として3回も使われている。
 <    〃   >が小道具になってしまう所もすごい。

 「冬のソナタ」を小道具という視点で見直してみるのも楽しいかもしれない。


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官僚たちの夏 第4話

2009年07月30日 | 職業ドラマ
★すべての人を満足させる百点の政策なんてないんですね。
 人の利害は立場によって違うわけですから。
 今回の自由貿易、保護貿易の対立もそう。
 中小繊維企業の立場に立つ(保護貿易)か、体力のある繊維大企業や他の産業の立場に立つか(自由貿易)で違ってくる。
 大いに議論すればいい。
 繊維局長・玉木(船越英一郎)のように<憎まれ役>になる人間も必要。

 ただ、これに個人の利害が絡んでくると、話は違ってくる。
 今回の自由貿易議論の背景には、池内通産大臣(北大路欣也)の須藤大蔵大臣(長塚京三)追い落としの目的があった。
 繊維業界を不況にすることで須藤の資金源を断とうとしていたのだ。
 通産省の柏原次官(春田純一)もそう。
 池内に借りがあり、池内サイドで会議を仕切ってしまう。

★このように物事にはすべて<裏>がある。
 もちろん池内の中には須藤大臣の追い落としだけでなく、外圧や他の国内産業を守るという目的もあったのだろうが、物事には欲望うずまく裏があることを知らなければならない。

 そしてこういう場合、大抵ピュアな方が負ける。
 切り崩しにあった他の通産省局長のように<欲>や<保身>に転ぶ人間の方が多いからだ。
 これは人間が欲や保身の生き物であるから仕方がない。

 中小繊維企業オカヤが大企業にのみ込まれたのもそのせい。
 オカヤの社長は従業員思いのいい社長さん。
 でも巨大な力の前には太刀打ちできない。
 池内大臣の胸先三寸で、工場の工員のささやかな幸せは奪われる。
 池内は自分とは関係ない遠い存在ではなく、自分の生活に関わる重要な存在なのだ。
 だから庶民は選挙の一票という唯一の対抗手段を行使しなければならない。

★このような権力の構図。
 では選挙の一票以外にそんな巨大な力に立ち向かう手段はないのか?
 今回ラストで出て来た風越(佐藤浩市)の<国内産業を保護するための法律>。
 <法律>は権力の横暴と戦うための手段だ。
 池内のような大臣といえども<法律>には従わなくてはならない。
 「くだらねえ、どいつもこいつもくだらねえ」
 と風越は怒ったが、くだらない政界・役所の世界で唯一対抗できる手段が法律。

 牧(杉本哲太)もフランスから帰ってきたし(←こういうシーン、かっこいい)、風越たちの逆襲が始まりそうだ。

※追記
 しかし人間というのは同じことを繰り返していますね。
 今回の自由貿易、保護貿易の対立は、幕末の開国をめぐる対立を思わせる。
 今回描かれた会議参加者の<切り崩し>って、二週間前、自民党が反麻生派を静かにさせるためにやっていたこと。
 その意味でわれわれが歴史やこの作品のような物語から学ぶことは多い。


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26時間テレビで里田まいに注目!

2009年07月29日 | 監督・俳優・歌手・芸人
 再び26時間テレビの話。
 おバカタレントさんにも新しい波が来たようである。
 元モー娘。の辻ちゃん、山田優さんの弟。
 彼らを見ていると、羞恥心やpaboがまともに見えてくる。
 つるのさんや上地さんなんかはアーティストって感じだし。
 おバカワールドにも新鮮な新人が必要なのだ。
 そして羞恥心やpaboも<おバカさん>でない新しい自分の顔を見せなくてはならない段階に来ている。

★さて最近、僕は里田まいさんに注目している。
 驚いたのは、26時間テレビでのvs嵐のコーナー。
 ロッククライミングをして点数を競うゲームで、里田さんが「私がやります」と手をあげた。
 何でも<木登り>が得意らしい。
 そしてゲーム開始!
 里田さんはするすると壁を登り始めた。みんなが驚く見事な身のこなし。

 僕はこういう女性好きなんですよね。
 <木登り>が出来る女性なんか滅多にいないじゃないですか。
 自然児というか田舎の子供というか、実に新鮮。
 考えてみれば、里田さんはカントリー娘。
 花畑牧場の田中義剛さんの所でも修行してた。
 牧場仕事が出来て馬にも乗れる。
 里田さんには、木や草、土のイメージがある。
 都会で暮らしていると、そういうイメージを持っている女性ってほとんど会わない。
 また里田さんの言動を見ていると、謙虚さの中にひとつ芯の通ったものを感じる。
 時々発するボケ発言がかわいい。
 木や草、土のイメージのイメージを前面に出すと彼女の魅力はもっとアップするような気がする。

★あと残りのpaboについてコメントすると、スザンヌさんは柔軟で懐が深いですね。
 ロンハーの格付けに出ても自然体。これはすごい才能。
 青木さやかさんなんかは、自分を作っている感じが見え見えですから。それが芸でもあるのですが。
 あとスザンヌさんには<熊本の仲のいい家族>、<家族思い>というイメージがある。
 これもいい感じを出している。
 そう言えば、スザンヌさんは<熊本県のPR大使>をしているんでしたっけ。

 里田さんが<北海道>でスザンヌさんは<熊本>。
 タレントの世界にも<地方の時代>が来ているのかもしれない。

★このように里田さん、スザンヌさんのイメージ戦略は成功している。
 一方、木下優樹菜さん。
 ちょっと新しいイメージを出し損ねている感じがしている。
 「MR.BRAIN」でも掃除婦のチョイ役で出て存在感を出していたが、今までの木下さん以上のイメージはない。
 恋愛のことで頭がいっぱいなのか?
 26時間テレビで里田さんは「スザンヌさん、misonoさん、南明奈さんでディズニーシーに行った」と話していたが、木下さんは行かなかったよう。
 こういう何気ないひと言でも木下さんは彼女らの中で浮いているのではないかと邪推してしまう。
 でも木下さんにも十分延びしろはある。
 皮膚感覚のストレートな政治発言がそうだし、ヘキサゴンでは「藤本さんに料理を作っている」という話をしていた。
 この<料理が上手い>というイメージは新しい彼女の魅力になると思うのだが、どうだろう?
 ぜひがんばってほしい。


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僕が民主党を支持する理由

2009年07月28日 | 事件・出来事
民主マニフェスト、自民が総攻撃「我々以上のばらまき」(朝日新聞) - goo ニュース

 いよいよ総選挙。
 記事によれば、自民党は民主党マニュフェストに対し、<ばらまき><財源はどこか>と批判しているようだが、これをどう考えるべきか?

 まず自民党に問いたいのは「本当に財源はないのか?」ということ。
 はっきり言って自民党は今までのしがらみがあり、大胆な改革が出来ないのは確か。
 大胆な改革が出来なければ、予算を絞り出せるわけがない。

 あるいは「財源がない」という自民党の主張を自分の家の家計にあてはめてみればいい。
 自分としては今の生活が精一杯、切りつめるだけ切りつめていると思っているが、自分より低い所得で工夫して生活をしている人はたくさんいる。
 自分では自分のことが客観的に見えないのだ。

 こんなこともあった。
 与謝野大臣は昨年「埋蔵金などない」と言っていたが、実際にはあった。
 これが今回の補正予算に使われている。
 この事実を自民党はどう釈明するのか?
 
 これらのことがあるため、僕は自民党の「財源がない論」には納得できない。

 また自民党では大きな改革は出来ないと思っている。
 たとえば渡辺善美行革大臣の官民人材交流センター。
 渡辺大臣の意思に反して骨抜きになっている。
 あるいは社会保険庁をめぐる一連の不祥事。
 これを指摘したのは民主党の長妻昭氏。
 自民党の議員から指摘した人はいない。
 また自民党の中でも改革を期待できる人はいると思うが、結局は長老議員・族議員につぶされているのが現実。
 麻生さんのリーダーシップも期待できないし、何をやりたいかもわからないし。

 以上が僕が自民党を批判し、民主党を支持する理由。
 もしかして民主党が頼りなくて経済・外交などで混迷するかもしれないが、それでも民主党に賭けてみたい。
 ここでコケてもまだ立ち直れる体力は日本にあると思うから。

 ともかくこのままではこの国は沈むばかり。
 戦後60年の自民党のやり方では通用しない時代になっている。


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天地人 第30回「女たちの上洛」

2009年07月27日 | 大河ドラマ・時代劇
 「女たちの上洛」

★内容は、千利休(神山繁)の死と菊姫(比嘉愛未)の上洛の決意。
 脇役の話である。主人公・兼続(妻夫木聡)の物語でない。
 別に脇役の話があってもいいのだが、利休も菊姫もこれまで十分に描かれていないから、そのドラマも特に思い入れや感慨もなく、そうですかと見てしまった。
 いつも感じることだが、何かが足りない。
 特に<子が出来ない自分はいずれ居場所がなくなってしまうこと>を怖れる菊姫の話なんかは大変ドラマチックな話なのだが、何かが足りない。
 解決方法が安易だからなのか?
 たとえば今回の菊姫の場合はお船(常盤貴子)が景勝(北村一輝)に菊姫の真意を伝えたことといっしょに都に行くこととで解決。
 これではあっさりしていて物足りない。
 利休のことも何を守りたくて死を選んだのかがはっきりしなければ共感は出来ない。
 その切腹に対する兼続のリアクションも三成(小栗旬)に問いつめるだけ。
 歴史事実としては難しいのだろうが、兼続が秀吉(笹野高史)を問いつめるぐらいのドラマを見せてほしかった。
 直接的でなくてもいいから茶を飲みながら秀吉をさりげなく諫めるぐらいの描写は出来そうなのに。
 やはりこのドラマ、深くない。
 目の前で起こった事件・出来事に対し、主人公は一歩も二歩も踏み込まなくてはならないのだ。

★今回、この話で学んだのは<力で押さえつける政治>の愚かさ。
 権力者がのぼりつめると疑惑を抱くようになる。
 まわりがすべて敵に見えてくる。(権力者は孤独だとはよく言ったものだ)
 そして権力者は自分の権力を維持するために力や恐怖で押さえつけようとする。
 しかし、それは面従腹背を生む。
 表面上は従っているように見えるが、腹の中では心服していない。
 「いつかは立場を逆転させてやる」という反発や怒りすら抱くようになる。
 恐怖政治は権力に上りつめた者の宿命なのか?

 人は<力>や<恐怖>で押さえつけても<怒り>や<反発>しか呼ばない。
 <愛>を説く兼続であれば、そのことを秀吉に伝えるべきなのに。
 あるいは今回のもうひとつの物語で言うと、兼続は景勝に「菊姫に具体的な愛情表現をしたらどうか」と進言すべき。
 それが出来なければ、景勝が菊姫に愛情表現が自然に出来るような場のセッティングをすべき。
 これがドラマだ。
 これで兼続が主人公として機能する。


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26時間テレビ タモリVS紳助

2009年07月26日 | バラエティ・報道
 26時間テレビ。
 テレホンショッキングで、タモリVS島田紳助。
 ふたりとも司会タイプの人間で根がシャイ。
 どの様な会話がかわされるか?

 シャイなふたりのたどりついた共通の話題は<シャイでない人間>、明石家さんまさん、大橋巨泉さんの話。
 さんまさんは自分の番組をビデオで撮って、自分の爆笑シーンだけを見る。
 巨泉さんは「お前の番組に出てやるぞ」とタモリさんや紳助さんに言ってくる。
 ふたりとも自分が大好きなのだ。
 他人に遠慮がない。自分を疑わない。
 それがふたりのパワーになっているのだが、シャイとは程遠いキャラクター。
 このふたりに対してタモリさんや紳助さんは異を唱える。
 シャイな自分たちにはなれないキャラクターだと。

 その点で意気投合したタモリさんや紳助さんだが、今度はふたりの相違点の話。
 紳助さんは週三日しか働いていないらしい。あとの4日は沖縄で過ごしているとのこと。
 それに対してタモリさんは「いいとも!」に出て毎日働いている。
 タモリさんと紳助さんは基本的には勤勉で遊び好き。
 タモリさんに自分と同じにおいを感じている紳助さんは「何で休まないのか?」と突っこむ。
 その紳助さんの問いはタモリさんにとって本質的なものだったのだろう、答えに窮していた。

 タモリさんと紳助さんの相違点の話題はもうひとつ。
 紳助さんは涙もろい。ウエット。
 今回の三輪車耐久レースなどもその現れ。日テレ24時間テレビのよう。
 一方タモリさんはドライ。
 涙やジメジメしたのが嫌い。その本質はわからないが、敢えて否定してきた。
 ここではふたりの相違点が明確に出た。

 タモリVS島田紳助。
 このふたりのトークは実に深かった。まさに「深イイ話」。

 シャイ、勤勉と遊び好きという共通点。
 ドライとウエット。
 この辺を突きつめていくとふたりの芸人論が出来てくる。
 これにさんまさん、たけしさん、とんねるず、所ジョージさんなんかを加えると面白い芸人論が書けそうなのだが……。


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星の王子さま

2009年07月24日 | 小説
 本当の豊かさとは何であろう?
 「星の王子さま」では次のようなエピソードがある。

★1本のバラと5000本のバラ
 1本のバラと5000本のバラ、どちらを持っている方が豊かか?
 普通は5000本のバラと考える所だが、本当はどうだろう?

 王子様は1本のバラを大事に育てる。
 毎日欠かさず水をやり、不平不満をきいてやり、夜には冷えるからガラスの瓶を被せてあげる。
 バラは気位が高くて王子様はときにイヤになるけれど、そのバラは王子様にとって<かけがいのない物>になっていく。
 食事の水をあげてバラが嬉しそうな顔をするのを見て王子様も楽しくなる。
 ところが5000本のバラの場合は?
 5000本もあるから1本1本にかまっているヒマはない。
 バラというひとかたまりでしかない。
 嫌な感情も含めて心を通わせることもない。
 5000本のバラを見て「きれいだ」と思うかもしれないけれど、それ以上の感情は起こらない。

 こう考えるとどちらが豊かか?
 こんなエピソードもある。

★夜空の星
 夜空の星を見て思うことは人それぞれ。
 単に「きれいだ」と思うだけかもしれないし、飛行機乗りなら自分の位置を示す目安となる。
 星座の神話を知っている人なら夜空を見て壮大な物語を思い浮かべる。
 「星の王子さま」に出て来る主人公の僕は夜空を見上げて、自分の星に帰っていった王子様のことを思う。
 王子様が笑顔でバラに水をあげている姿を思い浮かべ、王子様の笑い声を思い出す。あるいは自分の描いたヒツジが王子様のバラを食べないかと心配になる。
 主人公の僕は夜空を見てそんな様々な想いを抱くのだ。
 これって実に豊かなことではないか?
 何よりも王子様と心通わせている。
 いっしょに喜び心配している。
 星座を見て壮大な神々の物語を思い起こすのもいいけれど、何と言っても他人事だ。

 豊かさとは多くを所有ことではない。
 まわりの何かをひとつでも愛せれば豊かになれる。

 「星の王子さま」は様々な示唆に富む大人の童話である。
 物語はシンプルだが、内容は哲学で読むたびに新しい発見を与えてくれる。


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「華麗なるスパイ」はパクリか?

2009年07月23日 | その他ドラマ
 「ゲットスマート」という映画を見た。
 先週放送された「華麗なるスパイ」はこの作品をパクっている?
 「ゲットスマート」は「華麗なる」と同じスパイもので男女ふたりのスパイが事件を解決する。
 これだけなら全然問題ないが、その他にこんな類似点がある。
 
・「ゲットスマート」では電話ボックスがエレベーターのように降下してスパイの秘密基地にたどりつく仕掛けになっている。
 一方「華麗なるスパイ」はロッカーが降下する仕掛け。その後、秘書が出迎えるのも同じ。
・靴に電話機が仕込んであるというのも同じ。
 いずれの主人公も靴の電話で通話していた。
・あとはメインとなる爆弾事件。
 音で起爆する爆弾という点が同じ。
 「ゲットスマート」ではベートーヴェンの第九のクライマックス部分に反応して爆発する仕掛け。
 「華麗なる」はある一定の高周波数に反応して爆発する仕掛け。

 これらの類似をどう考えるか?
 パクリとして許容範囲か?
 世の中には<パロディ>や<パスティーシュ>という形でオリジナル作品をアレンジする手法がある。
 「華麗なるスパイ」はそれか?
 あるいは電話ボックスがエレベーターになっているというアイデアは「ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団」でも使われていたから、もう一般的なことと考えていいのか?
 あるいは音で反応する爆弾というのは「華麗なる」と同じ君塚良一さんの作品「交渉人 真下正義」で先に使われていたアイデアだから「ゲットスマート」の方がパクっているのか?

 この様にどこまでをパクリかそうでないかを決めるのはなかなか難しい作業である。
 しかし、いやしくも作家であれば<類似アイデアとして指摘されかねないアイデアは使わない>という作家根性を見せてほしい。
 例えば靴の電話。
 身のまわりにあるもので電話に代わりうるものはいくらでもあるでしょうに。

 以前、大河ドラマ「武蔵」の第一話で描かれた野盗との戦いは「七人の侍」のパクリではないかと指摘されたことがあったが、こういう指摘は作品にとってマイナスイメージにしかならない。


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ロンドンハーツ 7/21 格付けしあう女たち

2009年07月22日 | バラエティ・報道
 「格付けしあう女たち」。テーマは「一緒にいて楽しくない女」。

★モー娘。道重さゆみさんが登場。
 彼女は『自分を可愛い』と信じ込んでいる。
 『可愛くない』と言われると不機嫌になるらしい。
 これがパフォマンスでないとしたら、ある意味、才能。
 フツーの人は可愛いと思っていても口に出して言わないし、少しは疑問を持っている。
 生きていくうちに様々な経験をして<可愛い>の基準は人によって違うものだし、相対的なものだと学んでいく。
 だから自分のことを『可愛い』と言い切れる道重さんはすごい。(好き嫌いは別として)
 だからタレントであるとも言える。

★このように芸能界には一本ネジが外れたような人がいっぱいいる。
 スザンヌさんなんかもそう。
 ただ彼女の場合は人に好かれるプラスのネジの外れ方。
 ある意味すごく常識人の面もあるから安心できる。
 国生さゆりさんなんかはまともな方。
 青木さやかさんなんかも毒舌だが、まともな感じがする。
 鳥居みゆきさんのネジの外れ方は半分個人的な資質、半分パフォマンスでやってる感じがする。
 杉田かおるさんも実際に接したらハードな人だろうが、半分女優として演技してる感じがする。

 そんな中で僕がスゴイと思うのは大久保佳代子さんだ。
 今回もダブルパンチの一位になった。
 大久保さんが内面に抱えている<毒>はすごい。
 芸の領域を越えて醸しだす<毒のオーラ>ともいえるものを感じる。
 完全に女を捨てている。
 普通<温冷法>なんて言わないし……。
 もしかしたら人間を捨てているかもしれない。
 すごい人だ。
 彼女の素の姿はどうなのだろう?
 様々なタレントさんのドッキリを仕掛けているロンドンハーツだが、ぜひ大久保さんのドッキリを見てみたい。
 テレビを通して見ている分にはこちらは安全ですし……。


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官僚たちの夏 第3話

2009年07月21日 | 職業ドラマ
 今回は繊維。

★人は大きな時代の流れの中で生きている。
 また経済生活を送っている。
 アメリカのサブプライムローンの破綻が日本に不況をもたらしたように、世界の出来事が個人生活に影響している。
 これらのことはどんな人間でも免れることの出来ないこと。
 なのにテレビでオンエアされているドラマは……?
 そんなこと関係なく青春や愛を語っている。
 これってどうか?
 もちろんそういう半径100メートルのドラマもいいが、たまには世界、日本規模のドラマを見たい。
 「官僚たちの夏」はそんな欲求を満足させてくれる作品。

 たとえば今回の第3話。
 アメリカが自国の繊維産業を守るために日本の繊維製品を規制を要求。
 そのことで葛藤し戦う風越(佐藤浩市)たち。
 風越たちは世界の中で、大きな時代の中で生きている。
 これぞ半径100メートルのドラマでない作品。

★さて今回の物語。
 通産省で繊維輸出規制を押し進めるために大臣・池内信人(北大路欣也)は繊維局長に玉木博文(船越英一郎)、綿業課長に片山泰介(高橋克典)を抜擢する。
 彼らは海外派。
 国内産業を維持育成する風越たちとは意見を異にする。
 この人事を行うために池内大臣は前園事務次官(国広富之)を抱き込む。
 前園が副社長として天下りする(経営状況が悪い)製鉄会社に銀行の融資が受けられるよう取り計らったのだ。

★このことは物事がどのようにして決められていくかを教えてくれますね。
 まずは人事。
 繊維局長が玉木である以上、風越はミスター通産省といえども口出しできない。
 次に政治家の役割。
 事務次官にニンジンをぶらさげて我が意を通す。
 経営状況の悪い企業に融資させるなんて政治家の権力がなければ出来ないこと。
 第三に天下りの意味。
 前園が天下ることで企業は政治家とのパイプを得られる。政治家とのパイプが出来ることで企業は安易に銀行の融資が受けられる。
 当然企業は前園と政治家に様々な形でお礼をする。

 この政官民の癒着の構図。
 物事はこんなふうにして決められていくんですね。
 ひとつの製鉄会社の事情が繊維業界に及ぼすなんてことも驚き。
 そして庶民はそんなこと知らずに生きている。
 「ドラゴン桜」ではないが、われわれもこのドラマを見て少しは賢くなりましょう。


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