四三(中村勘九郎)の生き方って、ゼロか100なんですよね。
普通の人なら30と70くらいに配分して、70がダメになっても30が残っているみたいな保険をつくっておくんだけど、それをしない。
すべてを失うか、すべて得るか。
博打のような危なっかしい人生。
でも、そんなふうにすべてを賭けられるものがあるのは幸せなこと。
天才が天才である所以でもある。
エジソンやピタゴラスはそんなふうにして生きて偉大な発明や発見をした。
一般人から見ると、その姿はバカなんですけどね。
人生他にも大切なものがあるだろう、まわりのことも考えろよ、と思ってしまう。
バカと天才は紙一重。
さて、もうひとりのバカ、いや天才、美濃部孝蔵(森山未來)。
孝蔵は破天荒で、ゼロか100かの生活を送っているが、いまだ自分を見い出せていなかった。
何となく落語に惹かれているが、一心不乱にのめり込むほどではない。
芸は師匠の橘家圓喬(松尾スズキ)のコピーで、「長い噺をつっかえずに言える」程度。
だが、「芸を離れると人間としておかしな所がある」。
孝蔵は自分の芸を見い出せていないのだ。
自分と芸をどう結びつけていいかわからない。
そこに現れた牢名主(マキタ・スポーツ)。
彼は作家の裏設定では『圓喬の生まれ変わり』だろう。
圓喬は牢名主となって孝蔵を指導している。
孝蔵も大切なものを失って、落語の道に邁進する覚悟を決めたようだ。
道を見つけ、一心不乱に落語に取り組む決心をした孝蔵。
逆にオリンピックという道を失って落胆する四三。
この対照が面白い。
ふたりとも現状ゼロであることは同じなんですけどね。
ふたりはゼロからのスタートを切った。
破天荒という点では、四三はストイックな破天荒ですね。
何しろ東京にやって来たスヤ(綾瀬はるか)に対して、
「帰ってくれ。俺の気をば散らさんでくれ。甘えは堕落の入り口ばい」(笑)
同じ破天荒でも博打に明け暮れる孝蔵とは大きな違い。
最後は治五郎先生(役所広司)
「政治とスポーツは別! スタジアムは聖域だ」
「国家だろうか戦争だろうが、若者の夢を奪う権利などないんだよ!」
スポーツは国威発揚などさまざまな形で利用される。
そして、やがて四三たちが目撃する国家と戦争が若者の夢を奪う時代。
オリンピックを軸として、明治、大正、昭和が描かれる。
普通の人なら30と70くらいに配分して、70がダメになっても30が残っているみたいな保険をつくっておくんだけど、それをしない。
すべてを失うか、すべて得るか。
博打のような危なっかしい人生。
でも、そんなふうにすべてを賭けられるものがあるのは幸せなこと。
天才が天才である所以でもある。
エジソンやピタゴラスはそんなふうにして生きて偉大な発明や発見をした。
一般人から見ると、その姿はバカなんですけどね。
人生他にも大切なものがあるだろう、まわりのことも考えろよ、と思ってしまう。
バカと天才は紙一重。
さて、もうひとりのバカ、いや天才、美濃部孝蔵(森山未來)。
孝蔵は破天荒で、ゼロか100かの生活を送っているが、いまだ自分を見い出せていなかった。
何となく落語に惹かれているが、一心不乱にのめり込むほどではない。
芸は師匠の橘家圓喬(松尾スズキ)のコピーで、「長い噺をつっかえずに言える」程度。
だが、「芸を離れると人間としておかしな所がある」。
孝蔵は自分の芸を見い出せていないのだ。
自分と芸をどう結びつけていいかわからない。
そこに現れた牢名主(マキタ・スポーツ)。
彼は作家の裏設定では『圓喬の生まれ変わり』だろう。
圓喬は牢名主となって孝蔵を指導している。
孝蔵も大切なものを失って、落語の道に邁進する覚悟を決めたようだ。
道を見つけ、一心不乱に落語に取り組む決心をした孝蔵。
逆にオリンピックという道を失って落胆する四三。
この対照が面白い。
ふたりとも現状ゼロであることは同じなんですけどね。
ふたりはゼロからのスタートを切った。
破天荒という点では、四三はストイックな破天荒ですね。
何しろ東京にやって来たスヤ(綾瀬はるか)に対して、
「帰ってくれ。俺の気をば散らさんでくれ。甘えは堕落の入り口ばい」(笑)
同じ破天荒でも博打に明け暮れる孝蔵とは大きな違い。
最後は治五郎先生(役所広司)
「政治とスポーツは別! スタジアムは聖域だ」
「国家だろうか戦争だろうが、若者の夢を奪う権利などないんだよ!」
スポーツは国威発揚などさまざまな形で利用される。
そして、やがて四三たちが目撃する国家と戦争が若者の夢を奪う時代。
オリンピックを軸として、明治、大正、昭和が描かれる。