平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

ハッピーフライト 素晴らしき先輩・後輩関係

2010年01月31日 | 邦画
★テレビで「ハッピーフライト」を再見。
 それで思うのは、観客は<人物が成長する>姿を見たいんですね。

 このフライトで一番成長したのは、田辺誠一さん演じる副操縦士。
 明らかに頼りない彼がトラブルと台風の中、見事飛行機を着陸させる。
 愚痴や不平を管制官にぶつけながら目だけは真剣。
 こうして人はプロになっていく。
 綾瀬はるかさん演じる新人CAも少し成長した。
 あらゆることで失敗してしまう彼女。
 でも困難を切り抜けたことで、CA志望の女子高生に「(この仕事は)厳しいわよ」としっかり言えるようになる。
 これも成長。

★この作品で特筆すべきは先輩と後輩の関係だ。
 さまざまな先輩・後輩の姿が描かれる。

 飛行機を怖がってトイレに閉じこもる新婚旅行の花嫁。
 田山涼成さん演じる上司は「飛行機が落ちる確率は極めて少なく、貴女と彼が出会えた確率も同じように少ない」と説得する。
 食事の配布で<肉料理>ばかりを注文される綾瀬さんの新人CA。
 吹石一恵さん演じる先輩CAはそんな後輩に乗客に<肉>でなく<魚料理>を選ばせるやり方を教える。
 だが、そんな優秀な吹石さんのCAだが、おろおろしてしまうこともある。
 クレイムの多い客に対処できず、激怒されてしまうのだ。
 するとさらなる先輩CAが次のような言葉で助ける。
 「お客様のおっしゃることはもっともです。私どもの教育が足りませんでした。これからは精一杯お世話させていただきます。ただ、出来ましたら、彼女のためにももう一度、先程の客室乗務員にお世話させてもらえませんか」

 時任三郎さんが演じる操縦士から田辺さんの副操縦士が学んだように、後輩は先輩からいろいろなことを学んでいくのだ。
 こうしてノウハウは蓄積され、企業はどんどん強くなっていく。
 これが組織で何かをやっていくメリットでもある。

★最後にふたりの人物に注目。
 ひとりは時任三郎さんの操縦士。
 厳格でルールに厳しい彼だが、今回のトラブルに遭遇すると「まあ、何とかなるさ」と開き直れる。アバウトになれる。
 この二面性のある人物描写は上手い。

 もうひとりは岸部一徳のコントロールセンターのチーフ。
 彼はコンピュータに弱くて現在の業務から蚊帳の外だが、落雷でコンピューターが使えなくなると力を発揮する。
 アナログな方法だが、風向きなどを想定して、飛行機の滑走進路を割り出す。
 現代は何でもコンピューターがやってくれる時代。
 だが、もしコンピューターが使えなくなったら、人はたちまち脆弱になる。
 経験と頭で物事を処理し、対応できる岸部さんのチーフのような存在こそ、実は重要なのだ。
 そんなことを教えてくれる。
 これも上手い人物描写だった。

 映画公開時に書いた「ハッピーフライト」レビューはこちら

※追記
 あともうひとつ観客が見たいのは、困難を打開するために<皆が力を合わせる>ということ。
 飛行機を着陸させるために、飛行機と地上が一体となってがんばる姿がこの作品の見せ場だが、バラバラだった人物達が力を合わせる。
 これほどドラマチックなことはない。


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竜馬がいく 独創・本質・行動の人

2010年01月29日 | 小説
★「竜馬がいく」では、黒船が来た時、竜馬にこのように言わせている。
 「これで黒船を撃てるのか」
 槍や刀で戦おうとする武士達、それらを質に入れて調達も出来ない御家人たちを見てこう思うのだ。
 同時にこうも言う。
 「武市さん、大公儀といっても、存外たいそうなものではないな。かんじんの御直参のお尻が持ち上がらないじゃないか」
 「竜馬がいく」では武市は江戸にいるのだが、この発言に武市はまわりの目を気にして黙るように言う。
 竜馬の発言が当時の常識としては過激過ぎるからだ。
 あるいは武市もそう感じたかもしれないが、ストレート過ぎるからだ。
 この様に「竜馬がいく」では、竜馬はたちどころに物事の本質を見抜く人間として描かれている。
 また、こんな発言もする。
 「その前に、黒船というやつに乗って動かしてみたい。ペリーというアメリカの豪傑がうらやましいよ。たった四隻の軍艦をひきいて、日本中をふるえあがらせているんだからなあ」
 この発言の意味する所は<独創的な竜馬>だ。
 <黒船に乗って動かしてみたい>
 こんな発想をするのは、当時の日本で竜馬以外にいないだろう。
 吉田松陰は黒船に乗って外国を見たいと思ったが、それとも違う発想だ。そう思って実際に行動に移した松陰はやはり偉大だが。

★話は変わるが、この黒船の時には千葉道場のさな子とこんな恋愛問答をしている。
 黒船を奪いに行こうとする竜馬にさな子はこう言う。
 「それなら、さな子も連れて行っていただきます」
 すると竜馬は
 「困ったな。本音を吐きますと、黒船をつかまえにいくといったのは、景気づけの法螺ですよ。わしは、日本中がこわがっている黒船というものがどんなものか、見物にいくだけのことです」
 「それだけで? 坂本様は、ただ見物をするだけで切腹をお賭けになるのでございますか」
 「あたりまえです。わしは船が好きだから、好きなものを見にゆくのに命を賭けてもよい」
 「では、さな子も見にゆきます」
 「ほほう、さな子どのも、船が好きだったのか」
 「べつに好きではございません」
 「ならば、品川に戻りなさい」
 「でも、さな子は船が好きでなくても」
 と、つばをそっとのみこんで
 「さな子は坂本様が好きでございますから、浦賀まで参ります」

 行動の人・竜馬とさな子の一途さがわかるやりとりだが、何と言っても会話が弾んでいるから読んでいて楽しい。
 文章としては勢いで書いている感じがするが、司馬さんも書いていてきっと楽しかっただろう。
 竜馬とさな子が作家の中に降りてきて、そのまま書いているという感じだ。

 竜馬とさな子のやりとりには躍動がある。
 また、この頃の司馬さんの作品には後の洗練された語り口にはないパワーがある。
 文章は荒削りだが、勢いとパワーのある文章。
 そんなことを読み取るのも小説を読む楽しみだ。

 さて、大河ドラマでは、この黒船の一件がどのように描かれるか?


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曲げられない女 第3話 定石を外す

2010年01月28日 | 恋愛ドラマ
★「我、死すとも、いいとも」

 この辞世の句が面白い仕掛けになっている。
 これの意味する所は何か?
 このことが今回の謎になっているのだ。
 そして、この謎が解けた時、死を前にした母が早紀(菅野美穂)に伝えたかったことがわかるという仕掛け。
 プロの技ですね。
 こういう技を見せてくれると、さすがと思ってしまう。
 ちなみにネタバレになってしまうが、意味する所は……
 「我、死すとも いい友」
 自分が死んでひとりぼっちになってしまったとしても、いい友達がいれば大丈夫というメッセージ。
 そのいい友達として、璃子(永作博美)と藍田(谷原章介)がいるというオチ。
 実に上手い。

★その他にもプロの技がある。
 死を賭して最後の教壇にあがろうとする母。
 早紀はそんな母の想いをくみ取って、母を病院から脱出させ学校に向かわせるが、教室を前にしてこう言う。
 「一秒でもお母さんと長くいたいから、やっぱり病院に戻ろう」
 普通なら母親と生徒を対面させて、感動の授業を行うという流れになるが、それを敢えて外した。
 それは母親の死のシーンでも同じ。
 普通なら早紀と死に行く母が涙の別れをして感動!という流れだが、璃子と藍田との対面シーンの後、いきなりお通夜のシーンへ。
 母子の感動の別れのシーンはない。

 この作劇の定石を外した展開には賛否両論があるだろうが、早紀と母親の物語は十分に語られているから、敢えて別れのシーンをいれなくてもいいと僕は思う。
 むしろ母親が璃子と藍田に三つ指ついて早紀のことを頼むシーンの方が重要だと思うし、母子の別れのシーンで泣かせるのは作劇として安易すぎる。
 いい感じで視聴者を裏切っているし、この処理は正解であると思う。

 ドラマの定石は大切だが、視聴者に先が読めてしまう作劇は当たり前でつまらない。
 ただ、このウルトラCが可能なのは、早紀役が菅野美穂さんだから。
 下手な役者さんがやったら伝わらない。
 脚本は「女王の教室」の遊川和彦さん。
 「女王」は天海さんと志田未来さんという役者さんを得て大成功したが、今回もそうなりそうな予感。


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オードリー 春日さんのリアクション下手

2010年01月27日 | 監督・俳優・歌手・芸人
 ロンドンハーツ(1/26)『お願い熟女!』
 前半にオードリー春日さんのドッキリがあったため、その<リアクション下手>が気になってしまった。

 バラエティ番組だけでなく、ある意味、生きるとはコミュニケーション。
 ふられた言葉に対して楽しく受け答えが出来れば、会話がはずむし場も盛り上がる。
 だが、答えが硬かったりたり、閉じてしまっていたら、会話はたちまち収束してしまう。
 春日さんの場合はその傾向がある。
 わりとコメントが当たり前。
 「すごいですよ」「感激しました」「くそ~っ」
 誰でも出来るコメントで春日さんらしさが出ていない。
 これでは会話が広がらない。
 アンタッチャブル・山崎さんのように上手いリアクションが出来れば、さらにツッコまれて会話のテンションが相乗的にあがっていく。

 <春日>というキャラクターを演じなければならないこともあり、春日さんはツッコミづらいんですよね。
 僕はその無器用さ含めて大好きですが、今まで使ってきた節約家ネタ、アパートネタがなくなったら、次に何を話すかは課題。
 春日さんとしては<熟女ネタ>で勝負したいようだが、トークとしては、秋山さん(ロバート)、ウド鈴木さん(キャイーン)の方が勝っていた。

 そして唯一、春日さんの良さを引き出してツッコめるのは相方の若林さん。
 相方なので当然なのですが、春日さんの無器用さをうまく笑いにしている。
 子供みたいな顔をしてやはり若林さんはただ者ではない。頭がいい。

 芸人が消費される時代。
 その生き残りは熾烈だ。
 自分を知ることと戦略が大いに問われる。
 そしてどう番組を利用するかも。
 狩野英孝さんの50TAなんかは「ロンドンハーツ」を上手く利用した例ですね。


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ピアノの森

2010年01月26日 | コミック・アニメ・特撮
★音楽をいかに映像で表現するか?
 音楽モノを撮ろうとする映像作家が一番頭を悩ませる所だ。
 何しろ音楽は音楽として独立して成立しているわけで、別に映像の助けを借りなくても人を楽しませることが出来るわけで。
 「のだめカンタービレ」では千秋のモノローグという手法を使った。
 指揮をしながら千秋は心の中でつぶやく。
 「ここは高らかに」「ここはやわらかく」「音が半音違う」
 バイオリンやチェロを回転させるというのも映像的な見せ方だった。

 さて本題の「ピアノの森」。
 この作品での音楽演奏シーンはアニメーションならではで秀逸!
 モーツァルトを演奏しながら、一ノ瀬海は会場を飛び出し、ピアノと共に空を飛びながら森の中に行く。
 森の中ではモーツァルトやベートーヴェンなどの音楽家が待っていて、海の演奏を楽しそうに聴いている。
 モーツァルトなどが海に笑顔でVサインを送ったりして。
 見事な音楽と映像のコラボ、共演だ。
 映像が加わることで相乗効果で音楽もさらにイキイキとしてくる。

★それにしても音楽コンクールを舞台にしたコンペティションものは面白い。
 ひとつのミスも許されない張りつめた緊張。
 問われる表現力。求められる最高の演奏。
 失敗を怖れる自分の弱さとの戦いでもある。
 ある意味格闘技にも近い世界。

 この作品ではそんなピアノ演奏者たちの舞台裏も見せてくれた。
 あがり症の貴子は演奏する前からプレッシャーで押し潰されている。
 自分なんかダメだ。必ずミスをする。あの人にはかなわない。
 そんな貴子が主人公の海に出会い、落ち着く方法を伝授される所は面白い。
 海は「一番落ち着く場所に自分がいることをイメージして演奏するんだ」とアドバイスする。
 わらにもすがる思いで貴子はそのアドバイスを受け入れるが、貴子の一番落ち着く場所は何と、トイレで愛犬の毛を撫でている時。
 これを貴子がどう解決するかはネタバレになるので書かないが、演奏者とはこんなに繊細で自分と戦っているのだ。

★最後にいくつかの音楽ウンチク。
 音楽教師・阿字野は主人公・海にこう言う。
 「俺のコピーでない自分のピアノを弾け」
 「自分のピアノを弾けた時は最高の快感を味わえる」
 「コンクールの枠にとらわれない規格サイズのピアノを弾け」
 「自分のピアノを好きになれ」
 「これらのことが出来た時、お前は演奏で人を感動させられる」

 阿字野に言われたこれらのことを思い出して、海は「こんなのモーツァルトじゃない」と審査員に言わしめる演奏を行う。
 ある意味、のだめのピアノに似てますね。
 そして、これはピアノ演奏だけでなく、あらゆる創作活動に通じること。
 誰かの真似でなく、自分の演奏をすること。
 実はこれが一番難しいことなのですが、一流のプロフェッショナルとはこういうことなんでしょうね。


※追記
 音楽と映像のリンク。
 ある意味これはプロモーションビデオ(PV)の発想でもありますね。
 今後の映像の主流はPVみたいなもにになるような気もする。


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龍馬伝 第4回「江戸の鬼小町」

2010年01月25日 | 大河ドラマ・時代劇
 龍馬(福山雅治)はまわりの人間に影響を与えていく。
 武市半平太(大森南朋)、弥太郎(香川照之)……。
 龍馬本人は試行錯誤しているだけで極めて自然体なんですけどね。
 まわりが意識してしまうみたいだ。
 そして今回は千葉道場の佐那(貫地谷しほり)。

 この作品では佐那を剣道一筋の頑なな人間として描いた。
 「楽しいご家族ね」のひと言が効いている。
 そんな佐那の心を開いたのが龍馬。
 太鼓の稽古で佐那を笑わせた。
 龍馬には人の心を明るくする天性のものがある。
 これは生まれついたもので、たとえば武市や弥太郎がそのようになりたくでも出来ないこと。
 だから彼らは龍馬を意識してしまう。

 さて佐那。
 龍馬との関わりの中で、自分の中の<女>を意識してしまったようだ。
 笑わせた一件だけで、そうなってしまったのは言葉不足の感じがするが、この作品、結構駆け足。溝渕と未知の場所に行くエピソードなどは後回しにして、佐那との関わりをもう少し描いてもよかった気がするし、禅問答に似た父・千葉定吉(里見浩太朗)とのやりとり、「お前に坂本殿は斬れぬ」もあまり佐那の気持ちを表しているように思えない。
 この辺はもったいない。もっと描き込みがあってもよかった。

 さて話を戻すと、女を意識してしまった佐那は「なぜ自分は女に生まれてきてしまったのか」と自分の気持ちを龍馬に吐露する。
 自分の性を否定することで、自分の中にうずまく<女>を否定しようとしているかのようだ。
 「女に生まれて来なければ、こんな気持ちに悩まなくて済むのに」と叫んでいるかのようだ。
 それに対して龍馬。
 「なぜ、そのようなことを言われます? お佐那様には他のおなごにないお佐那様だけの凛々しさがあります。それはとてもまぶしい」
 佐那の性を肯定し、佐那本人も肯定する。
 龍馬は<肯定>の人なのだ。
 ひとりひとりの個性を大事にし、それを愛する人なのだ。
 本当に大きくやさしい。
 これが佐那のせりふ「あなたは強い。強すぎるのです」に通じる。
 本人は気づいていないだろうが、そんな大きなやさしさが龍馬にはある。
 これが武市なら「おなごはおなごらしくいればいい」と佐那をおなごの枠にはめてしまいそう。

 今回の佐那とのやりとりは結構深いと思うが、少し説明不足なのが残念。
 というのは僕はかなり佐那という女性に思い入れがありまして。
 今後どう描かれるか楽しみ。

 さな子との出会いについてはこちらもご覧下さい。
 竜馬がいく 龍馬は恋愛の達人である


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ブラッディ・マンデイ 折原マヤの魅力爆発!

2010年01月24日 | 推理・サスペンスドラマ
★この作品は何と言ってもエロテロリスト・折原マヤ(吉瀬美智子)ですね。
 登場シーンのカット割り、カメラアングルからして、スタッフの愛情が違う。
 こんな凝った撮り方をされているのはマヤだけ!何という嬉しい不公平!
 朝田あおい(藤井美菜)も水沢響(黒川智花)も妹・遥(川島海荷)も可愛いけど、やはりマヤ先生の妖艶さにはかなわない。
 同じオトナの女性のサード・アイの南海かおる(芦名星)も格闘訓練のシーンがあったけど、その他は普通の撮り方。

 大体、ビルの屋上で九条音弥(佐藤健)から携帯を奪う時、ああいうふうにやるだろうか?
 背中に体を押しつけて、胸から下半身に手を下ろしていく?
 普通なら銃を向けて「携帯を出しなさい!」でいい。
 脚本家さんもマヤ先生のファン?

 そう言えばマヤは撃たれて血を流して死んだように見えましたが、僕は絶対死んでないと思いましたね。
 これだけスタッフに愛されているマヤを死なせるはずがない。
 現に生きていたし。(おそらくは敵の目をごまかすためにわざと撃たれて死んだふりをしていた)

 というわけで、この作品の隠れた主役はマヤ先生。
 
★それから、この作品の女性配置はかなり男性視聴者を意識している。
 高木藤丸(三浦春馬)を取り巻く女性達。
 同年齢のヒロイン役としてのあおいと響。(あおいは死んでしまったので、今後は響きがその役割を果たすのだろう)
 妹役で守る対象としての遙。
 年上の頼れるお姉さんとしてサード・アイの南海がいて、さらに敵か味方かわからない峰不二子のようなマヤがいる。
 この女性配置は完璧だ。さすが少年マガジン連載。

★物語としては海外ドラマを見ていると少し物足りない。
 完全に「24」を意識しているのはわかるし、刺青の女が銃を持って追いかけまわすのは完全に「ターミネーター サラ・コナークロニクルズ」のパクリ。
 映像的にも安っぽさを感じる。
 ただ、そんな中、唯一勝っていて、この作品独自性を感じるのがマヤのシーン。
 いっそのこと、マヤ先生を主人公にしたらどうでしょう。
 皮肉でも何でもなくきっと新しい作品になります。

※追記
 以下のエピソードは面白かった。
・ネット上での違法行為を壊滅させていた謎の男が藤丸だったこと。
・飛行機のCAがテロリストだったこと。
・今回のメインのドラマである、あおいの死を誤魔化して藤丸に作業させたこと。
 こういうふうに視聴者の予想をどんどん裏切ってくれるといいのだが。

※追記
 以下のせりふ、行動には疑問。
・政府が航空機撃墜を決めた時のパイロットのせりふ。
 「政府は私達の命を何とも思っていないのか?」
 パイロットならハイジャックなどで犠牲になって死ぬ可能性があることは覚悟しているはず。もしせりふにするなら、乗客のことを気にかけるせりふにすべき。
・霧島悟郎(吉沢悠)がJ(成宮寛貴)を核爆弾といっしょに飛行機から突き落とそうとするのもどうか?
 怒りや感情に任せて、そんなことをするのは捜査官としてあまりにも子供っぽい。


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竜馬がいく 龍馬は恋愛の達人である!

2010年01月22日 | 小説
 司馬遼太郎「竜馬がいく」では千葉道場の千葉さな子はこんなふうに描写されている。

 「色が黒く、ひとえの瞳が大きく、体が小ぶりで、表情が機敏に動く娘だった。いかにもこういう娘は、江戸にしかいない。さな子は、逆胴の名手だった。相手が上背を利用して面を撃ってくるとき、さな子は相手の竹刀を自分のしないの表で軽く摺りあげつつ左脚から体をななめに退き、すばやく手を返して、パンと逆胴を撃つ。舞踏に似た美しさがあった。
 毎日、道場に出ている。紫が、好きらしい。防具のひもはすべて紫をもちい、稽古着は白、はかまは紫染めのものをすそ短かに結んでいた。その姿が少年のように可愛い」
 <機敏><すばやく><舞踏に似た美しさ>、これが司馬さんのさな子のイメージ。
 <紫>という色も印象的だ。

 さて、このさな子と龍馬の出会いはなかなか興味深い。
 司馬さんはさな子の主観でこう書いている。

「はじめは、(なんという男だろう)と、とまどう思いがした。
 さな子がはじめて竜馬を見た時は、かれが道場にあいさつに来た時だったと記憶している。兄の重太郎にともなわれて、父の居室にゆくべく、道場から白洲を竜馬は横切ろうとしていた。さなこは、障子の隙間から見て、(まあ)と息をのんだ。よほどのおしゃれらしく、大旗本の御曹司のような服装をしている。(いやなやつ)ところが、髪を見ると油っ気がなく、まげがゆるみ、まったくの蓬髪だった。(やっぱり、田舎者なんだわ)しかし、ふしぎなはかまを穿いていた。いまどきああいうはかまを穿いている馬鹿はいない。(田舎の大通かしら)さなこは、おかしくなった」

 (なんという男だろう)(いやなやつ)(田舎者なんだわ)(田舎の大通かしら)(さなこはおかしくなった)
 さな子の気持ちはくるくる変わっている。
 しかし、竜馬がさな子に強いインパクトを与えたことは確かだ。
 恋愛の始まりは第一印象。
 そしてインパクトなんですね。

 その後、さな子は様々な形で竜馬と関わっていく。
 道場で圧倒的な強さを見せる竜馬に(いつか、坂本さまと立ちあってみせる)と思う。
 単なる好奇心からライバル心や尊敬に気持ちが変化している。
 一方で、こんな思いも抱く。
 道場が休みの時に竜馬が稽古にやって来た時のことだ。
 さな子と竜馬はこんなやりとりをする。
 「あの、せっかくでございますけど、きょうはお命日で、道場はお休みでございます。兄がそう申しませんでしたか」
 「そういえば、なにか聞いたような覚えがありますね」
 「お忘れになりましたのね」
 「なにぶん昨日のことですからな。覚えているのがどうかしている」
 「まあ、昨日のことなら、もう坂本さまはお忘れになりますの」
 「ああ、忘れますとも」

 このやりとりの中でさな子はこう思う。 
 (なんとたよりないひと)
 竜馬は恋愛の達人ですね。
 <強いインパクト>を与えて、<尊敬>させて、一方で<頼りない面>を見せて母性本能をくすぐる。
 女性の気持ちを右に左に動かしている。

 そして、休日で誰もいない道場で、さな子と竜馬は竹刀を交える。
 父親が禁じていたため、さな子が竜馬と戦うのは初めてだ。
 そして、さな子は竜馬に(やっぱり、できるなあ)(乙女姉さんよりはるかに強い)(女だてらになんという娘だ)と思わせるが、板敷に叩きつけられて負けてしまう。
 その時の描写はこうだ。

 よほど口惜しいのだろう。さらに組みついてきた。竜馬は足払いをかけた。さな子は倒れたが、まだ屈せずにとび起きた。面をぬがされるまでは負けではないだろうというつもりらしい。三度目にして組みついてきた時、竜馬はやむなくさな子をねじふせ、首をねじ切るように、スポリと面をぬがした。「悔しい」顔を真っ赤に上気させながら、きらきら光る目で竜馬をにらみすえている。「あなたの負けだ」「もう一度お願いします」「いやだ」「なぜです」

 完敗するさな子。
 これでさな子の気持ちは完全に竜馬にいったに違いない。
 男勝りで負けず嫌いのさな子。
 自分より上の男がいるというのは屈辱であり、初めての経験であり、同時に他の男との明確な差別化がなされたはずだ。

 女性の気持ちを上へ下へと動かす竜馬。
 こんな恋愛テクニックを無意識にやっているからすごい。
 さて、大河ドラマでさな子との出会いはどのように描かれるであろうか?


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特上カバチ!!

2010年01月21日 | 職業ドラマ
 この作品はある意味、格闘技ですね。
 田村勝弘(櫻井翔)VS住吉美寿々(堀北真希)!
 様々な<法律技>が繰り出され、繰り広げられる攻防!
 たったひと言の失言がミスになり、形勢が逆転する!
 やはりドラマは戦っていると面白い。
 「ライアーゲーム」もそうだけど、お金が絡むと、みんな本性がむき出しになる。
 本性、本音むき出しで戦うとなお、面白い。

 キイワードは「依頼人の利益を守るってことは相手側を地獄に突き落とすってことなんだ」。
 物語の図式は、この言葉に異を唱える田村。「心を失った法律家なんてなりたくありません」。

 今期はこの物語の図式の作品が多いですね。
 「ライアーゲーム」「まっすぐな男」
 お金や勝ち負けより心。企業の論理より心。
 みんな、心の大切さを叫んでいる。
 「コード・ブルー」もそう。
 「患者の人生をいちいち引き受けていたら、頭がおかしくなっちゃうぞ」という上司・橘の合理主義に対し、主人公は心を失うまいとする。
 現在はそういう時代なんでしょうか?
 小泉さんの<新自由主義>から鳩山さんの<友愛>へと政権が変わったように。
 お金、企業、合理主義の論理のもと、切り捨てられた派遣労働者に世論がノーと言っているように。
 やはりドラマは時代を映す鏡ですね。

 ところで住吉美寿々役の堀北真希さん。
 これは彼女の新境地かもしれませんね。
 堀北さんがデキる非情な女を演じ、タバコを吸う。
 今までの清く正しい少女路線とは大きく違う。
 先入観からか、多少のぎこちなさは感じるが、そこも愛嬌、がんばってるなという感じがあるから許せてしまう。
 この役、真木よう子さんあたりがやれば、しっかりハマるのだろうが、それでは面白くない。
 逆に堀北さんが背伸びしてやるから面白くなる。
 堀北さんにはぜひ新境地としてがんばってほしいです。
 それにしても、この世代の女優さんたちは今後が楽しみですね。
 次はどんな役をやってくれるか?
 彼女らとリアルタイムで成長を見守っていけることは大きなぜいたくです。

※追記
 ところで債務などで苦しんでいる人はぜひ弁護士さんや行政書士さんに相談してみましょう。
 せっかく法律という武器を持っているのに使わないのはもったいない。
 「俺の所に相談に来れば代わりに全力で戦った」と所長の大野勇(中村雅俊)も言っていましたし。


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ライアーゲーム 資本主義VS社会主義

2010年01月20日 | その他ドラマ
 ライアーゲームって資本主義社会の縮図なんですね。
 勝者がいて敗者がいる。
 儲ける奴がいて奪われるやつがいる。
 一見、ルールがあるようでいて、実はいくつもの抜け道がある。
 そんな中で行われるゲームですから、参加者は他人を信じることが出来ない。
 ということで資本主義というのは、<不信>のシステム。

 さて、これに対峙するのが、直(戸田恵梨香)の価値観。
 みんなが争わず、分け合えば、ライアーゲームは崩壊する。これが究極の必勝法。
 直が主張するのは、社会主義の社会ですね。
 皆が平等に分け合えば、勝者も敗者もない。
 ズルいこともしなくていいし、お互いが信頼で結ばれる。

 この作品は、資本主義VS社会主義の戦いを描いたものだったのだ!!

 では、直の言うところが全面的に正しいかというと、なかなか難しい。
 まずは人間は欲望の動物であること。
 他人に勝ち、他人をおとしめるのに快感を感じる生き物であること。
 智恵をしぼって上に行くことを望む生き物であること。
 そして、これらの要素を奪われると、人間は何とつまらくなることか。
 福永(鈴木浩介)もマリエ(MEGUMI)もモモコ(片桐はいり)も直に感化されて、牙を抜かれた動物に。
 以前、放っていた輝きはない。

 人間にとっての幸せとは、闘って欲望を満たすことなのか? 分け合って信頼で結ばれた安穏とした生活を送ることなのか?
 「ライアーゲーム」の作品テーマはこんな所にあるような気がする。

 最後に葛城リョウ(菊地凛子)様!
 「神崎直さん、私はあなたのような人を認めません。終わらせましょう」
 最後まで気高く雄々しいこと!
 でも、負けた時には憑き物が落ちたように、普通の女の子のしゃべり方になっていましたね。
 このメリハリ。
 菊地凛子さん、さすがハリウッド女優!上手い!

 関連記事「愛しの葛城リョウ様」はこちら
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