朝まで生テレビで暴力団排除条例のことをやっていた。
<暴力団排除>、この条例は<一般市民が暴力団とつき合わない。商売をしない。これらのことをすれば市民に罰則>というもの。
しかし、そば屋さんに暴力団事務所から注文がきた時、あるいは暴力団員がアパートを借りに来た時、どう対処するのか、といった判断基準が曖昧だ。
基準としては、個人としてならOKということだが、個人と組織の境界は曖昧だ。現実問題として「このご注文は組関係のものですか?」「部屋は組で借りるものですか?」などと聞けない。
この件はエンタテインメントの世界にも影響する。
過去のことでは島田紳助さんの引退。
最近のことでは紅白歌合戦の出場歌手。
巷で言われているように、常連の歌手が外されていたら、あの人は暴力団に関わりがある? と色眼鏡で見られてしまう。
ドラマも、これからは「ごくせん」とか「任侠ヘルパー」とか「ドン・キホーテ」といった作品は作るのが難しくなってくるのではないか?
もちろん、暴力団と任侠は違う。
ドラマでも描かれているとおり、任侠は麻薬など犯罪には手を染めないし、お祭りで焼きそばを売ったり、揉め事を解決したりする土地に密着した集団である。
ただ、暴力団排除条例が問題とする<みかじめ料>(飲食店などから監督・保護の対価という名目で取る金銭)を匂わせる描写は、これらのドラマでも多々見られる。
となると、任侠を扱ったドラマはこれからは作られない。
あるいは条例的にはOKであっても、スポンサーが嫌がるから企画が通りにくい。
これはエンタテインメントの世界としては問題である。
まだまだ見たいですからね、義理と人情の世界を。
朝まで生テレビでも語られていたが、この条例の問題点とは何か?
それは<国家が個人の私的関係に干渉してくること>である。
現在は自由と人権が認められている社会なのだから、人が誰とつき合おうが自由。
紳助さんだって、そのつき合いで法を犯すことをやっていたのなら問題だが、つき合うだけで辞めたりする必要はない。
それは<国家が表現の世界に干渉してくること>にも繋がる。
今のテレビはコンプライアンス(法令遵守)を徹底しているから、疑いのある歌手や任侠ドラマを排除してくる。
法に触れていなくても自主規制してくる。
もちろん、暴力団は問題である。
ただし、それは犯罪を犯した時に、警察が取り締まり、逮捕すればいいこと。
<暴力団撲滅>という誰もが納得する言葉の裏に、<国家の私的関係や表現への干渉>が見え隠れしているような感じがする。
<暴力団排除>、この条例は<一般市民が暴力団とつき合わない。商売をしない。これらのことをすれば市民に罰則>というもの。
しかし、そば屋さんに暴力団事務所から注文がきた時、あるいは暴力団員がアパートを借りに来た時、どう対処するのか、といった判断基準が曖昧だ。
基準としては、個人としてならOKということだが、個人と組織の境界は曖昧だ。現実問題として「このご注文は組関係のものですか?」「部屋は組で借りるものですか?」などと聞けない。
この件はエンタテインメントの世界にも影響する。
過去のことでは島田紳助さんの引退。
最近のことでは紅白歌合戦の出場歌手。
巷で言われているように、常連の歌手が外されていたら、あの人は暴力団に関わりがある? と色眼鏡で見られてしまう。
ドラマも、これからは「ごくせん」とか「任侠ヘルパー」とか「ドン・キホーテ」といった作品は作るのが難しくなってくるのではないか?
もちろん、暴力団と任侠は違う。
ドラマでも描かれているとおり、任侠は麻薬など犯罪には手を染めないし、お祭りで焼きそばを売ったり、揉め事を解決したりする土地に密着した集団である。
ただ、暴力団排除条例が問題とする<みかじめ料>(飲食店などから監督・保護の対価という名目で取る金銭)を匂わせる描写は、これらのドラマでも多々見られる。
となると、任侠を扱ったドラマはこれからは作られない。
あるいは条例的にはOKであっても、スポンサーが嫌がるから企画が通りにくい。
これはエンタテインメントの世界としては問題である。
まだまだ見たいですからね、義理と人情の世界を。
朝まで生テレビでも語られていたが、この条例の問題点とは何か?
それは<国家が個人の私的関係に干渉してくること>である。
現在は自由と人権が認められている社会なのだから、人が誰とつき合おうが自由。
紳助さんだって、そのつき合いで法を犯すことをやっていたのなら問題だが、つき合うだけで辞めたりする必要はない。
それは<国家が表現の世界に干渉してくること>にも繋がる。
今のテレビはコンプライアンス(法令遵守)を徹底しているから、疑いのある歌手や任侠ドラマを排除してくる。
法に触れていなくても自主規制してくる。
もちろん、暴力団は問題である。
ただし、それは犯罪を犯した時に、警察が取り締まり、逮捕すればいいこと。
<暴力団撲滅>という誰もが納得する言葉の裏に、<国家の私的関係や表現への干渉>が見え隠れしているような感じがする。