平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

民主党政権に期待する

2009年08月31日 | 事件・出来事
 民主党の大勝利、まずはよかった。
 自民党では変わらないですからね。
 その点ではしがらみのある大物自民党議員が落選したのは当然といえば当然。

★まず民主党政権に期待することは、膿(うみ)を出してもらうこと。
 政財官の癒着。
 この50年で積もり積もった利権、不正、無駄、いい加減を徹底的にオープンにしてほしい。
 年金問題をオープンにしたように。
 おそらくオモテに出ていない不正、いい加減がいっぱいあるはず。
 まずは国をきれいにしましょう。

★次に予算の組みかえ。
 今までの予算は前年度がこうだったから今年もこうみたいな発想でしたからね。
 これでは大きく変わらない。
 家計に例をとれば、今まで衣料に使っていたお金を通信教育などの資格取得、将来への投資に使っていこうとするような発想。
 過去のことを変えないのが官僚だが、前がこうだったからというのはこれからは通用しない。
 前例主義の官僚や官僚と癒着した政治家ではこれは変えられない。

★ハードウェアよりもソフトウェアにお金を使うというのもいいですね。
 国立メディア総合芸術センターよりもクリエイターやソフトに投資する。
 箱ものより人。
 日本のアニメやコミックが世界で稼いでいるようにソフトウェアは将来の日本の輸出商品。建物では稼いでくれない。
 今は宮崎駿はひとりだが、宮崎駿みたいな大人が10人になってくれればこの国はもっと豊かになる。

 ばらまきと批判のある子供手当だが、これも<人間>に投資するという点で評価出来る。
 未来を作るのは子供たち。
 この子供手当で子供たちが個性をのばし、様々な分野で活躍してくれればいい。
 僕に子供はいないが、子供たちが稼げる大人になってくれれば、将来僕が歳をとった時、彼らの収める税金で食べさせてくれる?
 あるいは稼げる大人でなくても子供たちがたくさんいるということは豊かなこと。
 公園でたくさんの子供たちが走りまわる。
 これだけで豊かな気持ちになる。
 子供手当は未来への投資。

★こんな感じで民主党政権に期待しているのだが、もしこの政権がポシャったり迷走した時はつらいな。
 やはり政治に期待してはダメなんだと決定的な政治不信になる。
 これは民主主義の危機。
 戦前、政治家への失望から軍部に大衆の支持が集まり、戦争に走ったように暗い時代がやって来る。
 そうならないよう民主党には踏ん張ってほしいし、僕も応援したい。

 僕も支持した以上、責任があると思うんですよ。
 たとえ裏切られたとしても無関心、他人事で傷つかないよりは、信じて応援して傷ついた方がいい。
 

※追記
 選挙特番での鳩山党首、小沢代表代行のコメントはなかなか。
 <小沢ガールズ>とマスコミは大騒ぎしているが、小沢さんは「それだからマスコミのレベルが低い」と一喝。
 マスコミに踊らされない強い芯を持っている。
 鳩山さんもリップサービスはなく、思う所を淡々と信念を持って語る所に好感が持てた。
 福田さんの<他人事>や麻生さんの<浅さ>がないし。
 ホメ過ぎでしょうか?


コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「星の王子さま」が示唆するもの

2009年08月30日 | 小説
 「朝まで生テレビ」で地球温暖化の議論をやっていた。
 そこで思い出したのが「星の王子さま」。

 この作品の中で<大きなバオバブを三本生やして星をだいなしにしてしまった男>の話が出て来る。
 主人公の僕はこれは子供たちに絶対伝えなくてはならないことだと思い、バオバブの絵を描くのだが、<バオバブ>って今の情況に当てはめると<CO2(二酸化炭素)>のことではないか。
 CO2を放っておくと地球が滅びてしまう。

 こんなエピソードもある。
 <計算をして自分は重大な仕事をしていると思ってるビジネスマン>。
 これって現在の金融経済のことを言っているのではないか?
 パソコン上で数字を動かすだけで大儲けした、損したと喜んでいる金融経済の担い手たち。
 サブプライムローンに象徴される金融経済。

 かつて聖書が時代時代でさまざまな読まれ方をして人々に示唆を与えてきたように、すぐれた作品というのはこうした普遍性がある。
 「星の王子さま」もそう。
 たとえばバオバブを冷戦時代なら<核兵器>と読み直すことが出来る。
 「星の王子さま」はきっと古典としてこれからもさまざまな読まれ方をし、読み継がれていくことでしょう。

 「星の王子さま」はイラストも入れて文庫本で130ページぐらいの作品。
 実にシンプル。でも深い。
 逆にこのシンプルさがさまざまに解釈されることを可能にしているのでしょう。
 「大事なことは目では見えない。物事は目ではなく心で見る」というキツネの言葉ひとつ取ってみても深いですからね。
 絵本だと思って侮ることなかれ。未読の方はぜひご一読を。
 以前に読んだことがあるという方はもう一度。きっと新しい発見があるはず。

 「星の王子さま」レビューはこちら


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ドラマとしての酒井・押尾事件

2009年08月28日 | 事件・出来事
逮捕で番組最高記録!一時視聴率38%超え(スポーツニッポン) - goo ニュース

★やはり酒井容疑者事件は数字が獲れるんですね。
 連日の報道にいささか辟易の感があるが……。
 不謹慎かもしれないが、この事件の<ドラマ>も収束を見せつつある。
 逃亡の足取りや「社長」と呼ばれた謎の人物のことも明らかになり、ミステリーな部分がなくなってきた。
 ふたを開ければわりと普通のドラマ。
 あとこの事件に物語があるとすれば、麻薬入手ルートの解明、他の芸能人が捜査線上に浮かぶこと、そして酒井容疑者が出て来た時、何をしゃべるか。特に母親として子供に何を語るか。
 大衆はドラマを欲している。
 既存の作り物のドラマより面白いから数字が獲れる。
 でもこの熱狂、過熱報道は?
 マスコミの暴力の方を感じてしまう。

★さてもうひとつの事件。押尾学被告の事件。
 酒井容疑者の事件に隠れて取り扱われる時間は少ないが、現在ではこちらの方がドラマ性がある。(人が亡くなっているのでこれも不謹慎かもしれないが)
 まずは<かっこ悪い男>。
 死人に口なし、女性からクスリをもらったとウソをつき、女性をほったらかして逃亡。
 こんなかっこ悪い男はいない。
 かっこ良さで売っていた男だけにそのギャップが哀れ。
 世の中の普通の価値観に異を唱えてきた男なら、自分の行動に潔さを見せてほしい。最後までツッパってほしい。

★酒井法子容疑者の逃亡の6日間ではないが、押尾被告の3時間もドラマになる。
 マネージャーが来て、押尾被告が逃げて通報するまでの空白の3時間。
 そこで何があったか?
 きっとどんなドラマよりも面白い。

 あの六本木ヒルズの高層マンションもドラマになる。
 ある意味、格差社会の中での頂点の象徴ですからね。(ドラマなんかでは高層マンションから東京の街を見下ろすセレブの映像がよく出てくるし)
 でもかたや派遣村の現実もある。
 持たざる者のわれわれはあの高層マンションを見上げるしかない。
 それは羨望と共に憎悪の対象でもある。
 そんな頂点の象徴で事件が起きた。
 思えばあのマンションは村上ファンドやホリエモン、悪いイメージしかない。
 そして今回、芸能人やセレブ専用の特別ルームって?
 所有者は女性下着メーカーの女社長らしいが、いやがおうにも想像が膨らむ。
 住んでいる方には気の毒ですが、あのマンションのイメージは地に落ちましたね。腐りきった場所という感じがする。

 頂点に上った者は隙を見せれば、大衆のやっかみ、ひがみから足を引っ張られることを覚悟しなければならない。だからこそ誰よりも自分に厳しく生きなければならない。

 そう言えば押尾被告はあのマンションを使わせてもらっていただけなんですよね。
 まさに偽セレブ。
 やはりかっこ悪い。


コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

オードリー 生き残り戦術

2009年08月27日 | 監督・俳優・歌手・芸人
 昨日に引き続きオードリー。

★新人が生き残っていくっていうのは大変なんですね。
 だからテレビ局の要請もあるだろうが、同じ世代の芸人たちが合体して番組を作る。(「めちゃイケ」「はねるのトビラ」「レッドシアター」)
 今では単独でやっているダウンタウンとウッちゃんナンちゃんも組んで番組をやってた。
 とんねるずやロンドンブーツなどは希有な例。

★では単独で生き残っていくにはどうするか?
 オードリーも別の芸人グループと組んで番組を持っているが、その他に<常に話題を提供していく>というのがある。
 たとえば春日さん。
・貧乏ケチキャラ
・飴で作ったジュース
・春日のアパート
・格闘技参戦経験
・アメフト
 これらはイコール春日さんの個性なのだが、話題に事欠かない。
 最近では若林さんが春日さんの影に隠れた地味キャラとして自己主張してきている。

★バラエティ番組ではどれだけ自分を語れるかがポイント。
 語るべき自分がなければたちまち干されてしまう。
 自分の切り売りをしなければならない芸人という職業って大変。
 クレバーだと僕が思っているはるな愛さんでさえも<髪切り>や<ダイエット>ネタで話題作りをしている。
 エドはるみさんは24時間マラソン。
 役者さんなら役柄がありますからね、それを語ればいい。

 そしてこの自分を語るという点においてオードリーは現在までは成功している。
 何よりも春日さんの個性が濃くてすごいのだ。
 しかし人間、そんなに無尽蔵に自分を語れるものではない。いずれは尽きる。
 そうすると次はどうするか?
 他人の持っている面白さを引き出す。
 つまりさんまさんたちがやっているようなMCの方向で生き残るという方向。
 哀しいかな、今のテレビでは芸がどんなにすごくて面白くても出番はだんだん少なくなっていくんですね。
 テレビはタレントを消費する。
 新鮮味がなくなればポイと捨てる。
 テレビを大衆と言い直してもいいかもしれない。

 さてオードリーや今の若手お笑いブームの芸人さんたちの中で生き残っていくのは誰か?
 生き残り戦術という点で芸人さんたちを見るのも面白い。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

オードリー 漫才のすごさ

2009年08月26日 | 監督・俳優・歌手・芸人
 オードリーの漫才は次のようなパターン。

・若林君がネタを振る。
・春日さんがボケる。
・このボケが実は若林君へのツッコミにもなっていて若林君がツッコミ返す。

★言われるまでもないだろうが、オードリーの漫才の魅力は、この<春日さんのボケがツッコミになっている所>。
 デートの漫才。
 待ち合わせ場所でカップルが出会ったと若林君が振った後、春日さんが「キスはまだかよ」とツッコんでボケる。
 すると若林君が「早過ぎるだろう」とツッコミ返す。

 普通の漫才はボケはボケるだけ。ツッコミ返すことはしない。
 かろうじてこだま・ひびき師匠がそれをやっていた。
 「そんなやつはおらへんやろう」ってやつ。
 でも毎回ではない。ここぞという時に決め技のように使う。
 ところがオードリーは毎回。
 これがオードリーの新しさ。
 春日さんがボケとツッコミを兼ねていることでスピード感が生まれている。

★そしてオードリーがさらにしたたかなのは、春日さんのツッコミボケにバリエーションがある所。
 <時間差攻撃>
 春日さんのボケが時間がたってやってくる。
 <和解>
 「お前とずっと漫才やってたいよ」と若林君が言って、ふたりで笑うやつ。
 <擬音>
 春日さんの「ハッ」とか「ヘッ」とかいうやつ。

 いくら漫才として新しくても、毎回同じパターンだと飽きられてしまいますからね。
 だから<時間差攻撃><和解><擬音>などのバリエーションを加えている。

★これから漫才などで世に出ようとしている人にはオードリーは参考になりますね。
 つまり当たり前のボケ・ツッコミではダメだということ。
 新しいパターンがないと。
 そしてその新しいパターンの応用も用意しておく。

 オードリーのネタを考えているのは若林さんらしいですね。
 春日さんのキャラクターに隠れて地味な若林さんですが、どうしてなかなか頭がいい、才人です。
 自分を地味な位置に置いていることも、春日さんのキャラを際立たせるための計算かもしれない。


コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ボヴァリー夫人

2009年08月25日 | 洋画
★フロベールの「ボヴァリー夫人」を映画で見る。
 小説の方は読んでいないが、小説で読むと心理や風景、風俗描写のディティルで印象が違ってくるのだろう。
 映画の方だけだと、主人公エマ(イザベル・ユペール)は<愚かな女性>としか見えない。

 誠実でやさしく医者の夫シャルル(ジャン・フランソワ・バルメール)に満足出来ないエマ。
 歳も離れているせいもありエマには退屈なのだ。
 もっと刺激がほしい。世の中にはワクワクするようなロマンスと刺激があるはず。
 エマはそう思っている。
 そして、そんなエマの渇いた気持ちを見抜いて近づくドンファン、ロドルフ(クリストフ・マラヴォワ)。
 彼によって奔放になり贅沢も覚えたエマは借金をし、詐欺師まがいの商人に騙されて負債者に。
 そんな彼女をロドルフも彼女の愛人で若い弁護士のレオン(ルーカス・ベルヴォー)も助けてくれない。
 結果エマは命を絶つ。

★物語をまとめると、エマは男に騙され利用されて死んでいった愚かな女性なのだ。
 僕なんかは逆にエマを心から愛し、尽くす医者の夫に感情移入してしまう。
 もっとも妻の浮気に少しも気がつかない愚鈍さは情けないが。
 彼は妻がふさぎ込んでいると病気ではないかと心配し、気分転換にオペラに誘ったりする。エマは少しもオペラを望んでいないのに。
 こういう愚鈍さがエマに退屈を感じさせ、結果自殺にまで追い込んだのだろう。

 本当に男と女は難しい。
 この作品から得た教訓を言うと、男は女性にエマのような要素があることを知らねばならない。
 女性はそんなエマの部分につけ込んで甘いことを言ってくる男がいることを知らねばならない。

★この作品を社会学的に切るとこうなる。
・19世紀、女性は抑圧されていた。
 エマの感じた息苦しさはこの時代の女性の抑圧に他ならない。
・19世紀は資本主義が到来してきた時代。
 エマが借金と詐欺で破滅していく様はまさに資本主義の影。
 これはデュマの「モンテ・クリスト伯」、ユゴーの「レ・ミゼラブル」でも同じ。
 お金が物語の中で重要な要素になっている。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

天地人 第34回「さらば、越後」

2009年08月24日 | 大河ドラマ・時代劇
★<故郷を離れる哀しさ>というのは誰もが共感できる感情。
 そしてこれをどう描くかが作家の力量。

 この作品の作家は<雪>を持ってきた。
 兼続(妻夫木聡)の手に降り落ちる越後の雪。
 なかなか上手い。
 お船(常盤貴子)が子供たちとかまくらに入るのもなかなか。
 紅葉もそうでしたが、この作家さん、自然の風物を使った心情描写が得意なのかもしれない。

 山の頂から越後を見下ろす兼続も絵になってますね。
 これは雄壮で男性的。
 オープングの絵はこういうことであったか。

★さてここからが批判。
 これはこの作品の特質なのだが、それまでの人間関係がじっくり描かれていないので今ひとつ盛り上がらない。
 兼続と泉沢(東幹久)の関係、景勝(北村一輝)と仙桃院(高島礼子)の関係。
 もっと描き込んでいれば別れのシーンが感動的になったのに。

 毎度おなじみの<義>に関してもそう。
 「大きく躍進をするのが義」みたいなことを兼続は言っていたが、<義>というのは実に便利な言葉である。
 「○○するのが義」
 ○○の中に入る言葉はその時々の情況でどんな言葉でも入れられる。
 この作家さん、言葉に対するこだわりがない。

 <葛藤>も描けていない。
 兼続はわりとあっさり国替えを了承してしまう。葛藤がない。
 では「大きく躍進をするのが義」という考えで兼続が納得しているのかと思えば、そうではないらしい。
 お涼(木村佳乃)に「この越後でわしがしてきたことは一体何だったのだろう」と愚痴を言っている。
 何だ兼続は国替えに納得していなかったんだ。
 だったらもっと兼続に葛藤させなくては。
 また、このせりふをお涼に言うのはどうか?
 普通はお船でしょう?
 本音を言えるのは妻ではなく、お涼なのか?
 別に道徳論で言っているのではない。
 兼続とお涼の結ばれない愛人(?)物語をメインで描きたいのならこれでいい。
 でも描きたいのは兼続とお船の夫婦の物語のはず。
 だったら本音をもらすのはお船でなくてはならない。
 まったく配慮に欠けている。
 こういう所から兼続の魅力がなくなっていくのだ。

 小松江里子さんの脚本は深さもないし、配慮もない。
 そう思いませんか、NHKさん。


コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

サラ・コナークロニクルズ

2009年08月23日 | テレビドラマ(海外)
 いかに見ている者の予想を裏切るか。これが面白さなんですね。

 「サラ・コナークロニクルズ」はまさにそういう作品。
 ターミネーターがサラとジョンに襲ってくるというシンプルなストーリーだけにいかに予想を裏切るかがポイントになってくる。

 以下、ネタバレ。

 第1話ではこんな予想の裏切り方をする。
 まずターミネーターの存在自体が予想を裏切る。
 車に跳ねとばされてもショットガンで撃たれても死なない。
 爆発に巻き込まれても死なない。ガムテープで傷口をふさぐだけ・笑。
 足にナイフを刺して拳銃を取り出す。
 声を変えられる→電話でだませる。
 過負荷を掛けられて機能停止に陥るが再起動して動き出す。
 銀行の金庫をパンチでボコボコにする。

 今回初登場のキャメロンという女の子も見事に裏切ってくれる。
 彼女は何と味方のターミネーターなのだ。
 キャメロンは高校でジョンと普通の出会い方をする。
 視聴者はジョンのガールフレンドでありヒロイン役だなと思う。
 ところが教師に扮したターミネーターに撃たれてあっけなく死んでしまう。
 ところが彼女はターミネーターで、次のシーンでジョンの危機を救ってくれる。
 見事な裏切り方だ。
 この気持ちのいい裏切られ方に見ていてスカッとさせられる。
 女の子と筋肉ムキムキの男が戦うというのもすごい映像。マウントで殴り合う。

 その他にもこんな小ネタが。
 サラは壁の中にショットガンを隠している。
 キャメロンは銀行の金庫に組み立て式の武器が隠している。
 既存のものが意外な使われ方をするというのはサプライズを呼びますね。
 
 見ている者の予想を裏切る。
 これがエンタテインメントの基本。
 あとはターミネーターのような強烈なキャラを創り出すこと。
 それに耳に残る音楽。ダダッダダダッってやつ。
 これで何年もたくさんの人が食べて行けるヒット作が生まれるんですね。


コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

プロデューサー島田紳助

2009年08月21日 | 監督・俳優・歌手・芸人
★島田紳助という人は見事なプロデューサーですね。
 「ヘキサゴン」で羞恥心やPaboなどを登場させた。
 「行列」では丸山弁護士、橋下弁護士などを売り出した。
 そして次は「深イイ話」から新選組。

 過去、番組とタイアップしてブレイクしたユニットはたくさんあった。
 古くは萩本欽一さんのわらべ、欽ちゃんバンド。
 秋元康さんもおにゃんこクラブ。
 紳助さんのプロデュースもその流れのひとつだが、「新選組」のコンセプトは面白い。
 京都から生み出されたイケメングループ。
 京都に行けば彼らに会える。
 そのことが町おこしにもなっている。
 まさに<地方の時代>の産物。
 時代の流れも読んでいる。

★紳助さんと他の大御所タレントさんと比較してみるのも面白いですね。
 さんまさんはジミー大西さんや中村玉緒さんなど、独自のグループを作っていたが、プロデュースまではしなかった。
 さんまさんの主体はあくまで自分なのだろう。
 タモリさんはグループすら作らない。
 ファミリーとか自分の子分のタレントとかが苦手なのでしょうか。
 実にクール。それがかっこいい。
 たけしさんはたけし軍団。
 しかし軍団というだけで特にプロデュースということはしない。
 そのまんま東さんのように勝手にやって、アドバイスはするけれど自分でブレイクしろというスタンス。
 この違いが実に面白い。

★これからの時代、ますますプロデューサーのニーズは高まっていくでしょうね。
 ただしプロデューサーになるためには本人によほどの実力、それに伴う求心力がなくてはならない。
 次はどんなプロデューサーが出て来て、何を仕掛けてくれるか。
 そんなことを考えてテレビを見るのも楽しい。
 あるいは芸能界でなくても、新商品やイベントなど我々全員がプロデューサーになっていくと、この社会はもっと豊かになっていく。
 みんなが人の喜ぶこと、楽しいことに向かって何かを仕掛ける。
 そうしたらこの社会はいたる所でお祭をやっているような社会になる。
 さて何を仕掛けるか?


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

魔法にかけられて

2009年08月20日 | 洋画
★おとぎの国の王女様(候補)が現代ニューヨークにやって来て起こすハチャメチャ。
 やがて彼女を助けるニューヨークの男性と恋におちて……。
 この作品の下地にあるのはオードリー・ヘップバーンの「ローマの休日」だろうか。
 「ローマの休日」のような名作はそこから派生して様々な作品を生む。
 この作品もそうだし、王女様ではないが「ノッティングヒルの恋人」もそう。
 昔の人が「古典を見なさい。読みなさい」というのはこういうこと。
 古典には物語のあらゆるエッセンスが詰め込まれている。
 現代のクリエイターたちは古典から学び、古典のエッセンスを抽出して現代風にアレンジすれば作品を作ることが出来る。
 思えば「ターミネイター」だって「ローマの休日」をベースに作られているかもしれない。
 現代社会にやって来るのが王女様でなくてターミネイターだったら?
 そんな発想から作られたのかもしれない。
 現に「ターミネイター2」では恋愛話に発展しているし。

★この作品のその他の要素としてはいかにもディズニーらしい。
 王女様が歌い出すと、ネズミや鳩、虫たちが踊り出し、街の人々も愛に目覚めて幸せになる。
 これはディズニー作品のミュージカルシーンの基本。
 動物たちがしゃべり、主人公を助けるというのもディズニー映画。
 こんなディズニー映画の基本もある。
 この作品もそうだったが、ディズニー映画に登場する子供は必ず母親がいなくて父親とふたり暮らし。
 そして物語の結末は<その父親に恋人が出来て結ばれて、母親のいる幸せな家庭が出来る>というもの。
 <家族の再生>というのはディズニー映画の大きなモチーフになっている。

★<動物><家族>そして<勧善懲悪>……ディズニー映画は万人が共感を呼ぶ要素がしっかり抑えられていますね。
 逆に言うときれい過ぎて物足りない感じもしますが……。
 ディズニー映画を好きか嫌いかはその人の人生観を図る踏み絵?
 ディズニー映画を好きでない人は、人生に疲れ人間を信じられなくなっている?

 あるいは<動物><家族>そして<勧善懲悪>というディズニーが繰り返し描いてきた要素はあらゆる物語の基本なのかもしれません。
 物語の基本を知りたければ、ディズニー作品に学べ。
 そう考えるとディズニー自体が<古典>なのかもしれませんね。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする