一条ゆかりの「プライド」には、ふたりの主人公がいる。
★麻美史緒はお嬢様。
「人を見下してる」「協調性がない」「性格がきつい」「正論を武器に相手を傷つける」「神様にひいきにされている」。
そんなお嬢様。
★緑川萌は庶民。
のし上がるためにはプライドなんか捨てた人間。
成功の秘訣を「どんなにみっともなくても与えられたチャンスに食いつくこと。その道の一流の裏と表を知ること」と教えられ、実践する。
この対照的なふたりでドラマは展開していく。
ふたりはガチンコ対決をする。
オペラコンクールでは、萌のハングリーさに史緒は負ける。
萌は1曲目と2曲目で衣装を変えてインパクトで審査員にアピールする。
そして史緒の母の死の秘密を歌う前の史緒に告げ、動揺させて勝つ。
のし上がるためには何でもする。
やがて史緒は父親の会社が倒産して、生活することを余儀なくされる。
だがお嬢様育ち。生活能力は何もない。
たちまち貯金を奪われて途方に暮れるが、彼女には持ってうまれた美貌と幼い頃から培った歌、そしてイタリア語がある。
銀座のクラブ『プリマドンナ』で歌手として歌うことになり、たちまち話題を集める。
そのお嬢様気質と美貌でクイーンレコードの副社長・神野にも結婚を申し込まれる。
一方、萌は同じクラブ『プリマドンナ』で働くがホステスの見習いからのスタート。神野に憧れるが関心を示してもらえない。
史緒と萌、持って生まれたものが違うのだ。
美貌を含め、史緒の方が断然有利。
そのため萌はプライドを捨てて努力しなければならない。
職場のクラブでは酔っぱらって客の戻したものを手で受けとめ、「レモン水お持ちしますね。お召し物が汚れなくてよかったですね」と笑顔で言い、客の心を掴む。
同伴をもらうための努力もする。
悪口を客に吹き込んで蹴落とすことも厭わない。
ふたりとも見事な人物造型だ。
この人物造型はこんな面も見せる。
ふたりの歌う歌だ。
史緒の歌はひたすら綺麗。
正しい発声、美しい発声、テクニック。
しかし人の心を打たない。
彼女には人生経験が、ソウルがないからだ。
史緒はピアノを弾く池之端という男を好きになるが、彼の作る曲を歌うディーバにはなれない。なぜなら史緒には「遠吠えの様なせつなさ」がないからだ。
史緒の歌は会話を楽しむ銀座のクラブに向いている。
BGMでひたすら心地いい歌がクラブでは求められる。
一方、萌の歌は対照的だ。
テクニックは足りないが、ソウルがある。人の胸を打つ。
哀しみを知っているから池之端の望む「遠吠えの様なせつなさ」も表現できる。
美貌と美しい歌唱とテクニック。しかしソウルがない史緒。
ソウルがあるが、テクニックを磨く時間やお金、そして人を魅了する美貌もない萌。
人はあるものを得れば、同時に別のものを失う。
それがきっちり描かれているキャラは魅力的だ。
対照的なキャラクターを配置して描かれる物語。
対照的なキャラクターのバトルはうねりを作り、読者はある時は史緒を、ある時は萌を応援する。
こういう作劇もあったかと改めて気づかされた。
★麻美史緒はお嬢様。
「人を見下してる」「協調性がない」「性格がきつい」「正論を武器に相手を傷つける」「神様にひいきにされている」。
そんなお嬢様。
★緑川萌は庶民。
のし上がるためにはプライドなんか捨てた人間。
成功の秘訣を「どんなにみっともなくても与えられたチャンスに食いつくこと。その道の一流の裏と表を知ること」と教えられ、実践する。
この対照的なふたりでドラマは展開していく。
ふたりはガチンコ対決をする。
オペラコンクールでは、萌のハングリーさに史緒は負ける。
萌は1曲目と2曲目で衣装を変えてインパクトで審査員にアピールする。
そして史緒の母の死の秘密を歌う前の史緒に告げ、動揺させて勝つ。
のし上がるためには何でもする。
やがて史緒は父親の会社が倒産して、生活することを余儀なくされる。
だがお嬢様育ち。生活能力は何もない。
たちまち貯金を奪われて途方に暮れるが、彼女には持ってうまれた美貌と幼い頃から培った歌、そしてイタリア語がある。
銀座のクラブ『プリマドンナ』で歌手として歌うことになり、たちまち話題を集める。
そのお嬢様気質と美貌でクイーンレコードの副社長・神野にも結婚を申し込まれる。
一方、萌は同じクラブ『プリマドンナ』で働くがホステスの見習いからのスタート。神野に憧れるが関心を示してもらえない。
史緒と萌、持って生まれたものが違うのだ。
美貌を含め、史緒の方が断然有利。
そのため萌はプライドを捨てて努力しなければならない。
職場のクラブでは酔っぱらって客の戻したものを手で受けとめ、「レモン水お持ちしますね。お召し物が汚れなくてよかったですね」と笑顔で言い、客の心を掴む。
同伴をもらうための努力もする。
悪口を客に吹き込んで蹴落とすことも厭わない。
ふたりとも見事な人物造型だ。
この人物造型はこんな面も見せる。
ふたりの歌う歌だ。
史緒の歌はひたすら綺麗。
正しい発声、美しい発声、テクニック。
しかし人の心を打たない。
彼女には人生経験が、ソウルがないからだ。
史緒はピアノを弾く池之端という男を好きになるが、彼の作る曲を歌うディーバにはなれない。なぜなら史緒には「遠吠えの様なせつなさ」がないからだ。
史緒の歌は会話を楽しむ銀座のクラブに向いている。
BGMでひたすら心地いい歌がクラブでは求められる。
一方、萌の歌は対照的だ。
テクニックは足りないが、ソウルがある。人の胸を打つ。
哀しみを知っているから池之端の望む「遠吠えの様なせつなさ」も表現できる。
美貌と美しい歌唱とテクニック。しかしソウルがない史緒。
ソウルがあるが、テクニックを磨く時間やお金、そして人を魅了する美貌もない萌。
人はあるものを得れば、同時に別のものを失う。
それがきっちり描かれているキャラは魅力的だ。
対照的なキャラクターを配置して描かれる物語。
対照的なキャラクターのバトルはうねりを作り、読者はある時は史緒を、ある時は萌を応援する。
こういう作劇もあったかと改めて気づかされた。