平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

プライド

2007年05月31日 | コミック・アニメ・特撮
 一条ゆかりの「プライド」には、ふたりの主人公がいる。

★麻美史緒はお嬢様。
 「人を見下してる」「協調性がない」「性格がきつい」「正論を武器に相手を傷つける」「神様にひいきにされている」。
 そんなお嬢様。

★緑川萌は庶民。
 のし上がるためにはプライドなんか捨てた人間。
 成功の秘訣を「どんなにみっともなくても与えられたチャンスに食いつくこと。その道の一流の裏と表を知ること」と教えられ、実践する。

 この対照的なふたりでドラマは展開していく。
 ふたりはガチンコ対決をする。

 オペラコンクールでは、萌のハングリーさに史緒は負ける。
 萌は1曲目と2曲目で衣装を変えてインパクトで審査員にアピールする。
 そして史緒の母の死の秘密を歌う前の史緒に告げ、動揺させて勝つ。
 のし上がるためには何でもする。

 やがて史緒は父親の会社が倒産して、生活することを余儀なくされる。
 だがお嬢様育ち。生活能力は何もない。
 たちまち貯金を奪われて途方に暮れるが、彼女には持ってうまれた美貌と幼い頃から培った歌、そしてイタリア語がある。
 銀座のクラブ『プリマドンナ』で歌手として歌うことになり、たちまち話題を集める。
 そのお嬢様気質と美貌でクイーンレコードの副社長・神野にも結婚を申し込まれる。
 一方、萌は同じクラブ『プリマドンナ』で働くがホステスの見習いからのスタート。神野に憧れるが関心を示してもらえない。
 史緒と萌、持って生まれたものが違うのだ。
 美貌を含め、史緒の方が断然有利。
 そのため萌はプライドを捨てて努力しなければならない。
 職場のクラブでは酔っぱらって客の戻したものを手で受けとめ、「レモン水お持ちしますね。お召し物が汚れなくてよかったですね」と笑顔で言い、客の心を掴む。
 同伴をもらうための努力もする。
 悪口を客に吹き込んで蹴落とすことも厭わない。

 ふたりとも見事な人物造型だ。
 この人物造型はこんな面も見せる。
 ふたりの歌う歌だ。
 史緒の歌はひたすら綺麗。
 正しい発声、美しい発声、テクニック。
 しかし人の心を打たない。
 彼女には人生経験が、ソウルがないからだ。
 史緒はピアノを弾く池之端という男を好きになるが、彼の作る曲を歌うディーバにはなれない。なぜなら史緒には「遠吠えの様なせつなさ」がないからだ。
 史緒の歌は会話を楽しむ銀座のクラブに向いている。
 BGMでひたすら心地いい歌がクラブでは求められる。

 一方、萌の歌は対照的だ。
 テクニックは足りないが、ソウルがある。人の胸を打つ。
 哀しみを知っているから池之端の望む「遠吠えの様なせつなさ」も表現できる。

 美貌と美しい歌唱とテクニック。しかしソウルがない史緒。
 ソウルがあるが、テクニックを磨く時間やお金、そして人を魅了する美貌もない萌。
 人はあるものを得れば、同時に別のものを失う。
 それがきっちり描かれているキャラは魅力的だ。

 対照的なキャラクターを配置して描かれる物語。
 対照的なキャラクターのバトルはうねりを作り、読者はある時は史緒を、ある時は萌を応援する。
 こういう作劇もあったかと改めて気づかされた。


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女囮捜査官 山田正紀

2007年05月30日 | 小説
 品川・大崎の山手線の女性トイレで起きる連続殺人事件。
 朝の通勤ラッシュ時の犯行ということで容疑者は「砂漠で砂を拾う」様にいる。
 その犯人を追う囮捜査官・志穂。
 囮捜査ということで時には犯人に首を絞められ、時には痴漢行為に遭わなくてはならない。
 そこにあるのはエロス・殺人・謎・サイコ。
 志穂はもちろん美女で、男性向けエンタテインメントの要素が凝縮されている。

 さてこの作品で面白いのは小説の構成だ。
 容疑者が次々と変わる。
 警察が最初に目をつけた阿部→ホームレスの黒木→品川駅で女子高生を追いかけまわしていた古田→女性を怖れ憎悪している美容院の相沢→雑誌の配送をしている夕張、そして……。
 この構成を作家の法月綸太郎氏は解説の中で「連鎖式」と述べている。
 すなわち「複数のアイデアから生まれる挿話を、数珠のようにつないで一本の長編に仕立てていく、足し算型の構成」。一話ずつ完結した短編が同じ主人公・設定で連作され、一編の長編になる形式とも似ている。
 この「連鎖式」で書かれた「女囮捜査官」は容疑者とされた古木、相沢など一編の短編にしていい、起承転結のドラマを持っている。
 なお話は逸れるが、同じく法月氏に拠ればこれを応用、改変した形式として「モジュラー型」という形式があるらしい。
 すなわち「いくつもの事件が、時間差攻撃のようにほぼ同時に発生し、それを刑事が追いかけていく」構成、「各エピソードをパーツごとに分解し、シャッフルして並び換えた」構成のことで、伊坂幸太郎の「ラッシュライフ」などはこの形式に当てはまるのではないかと思う。
 いずれにしてもミステリージャンルにおいて形式・構成というのは重要な要素だ。それがサスペンスを生み、謎を生む。事件を複雑にする。

 なお、この作品、警察捜査についても詳細な描写がなされている。
 例えば捜査本部の会議シーンはドラマ・映画などでも描かれるが、それとは別に幹部だけが行う本庁幹部会議というものがあるらしい。出席者は「本庁捜査一課六係の係長、主任、管理官、課長、所轄署防犯課の係長、そして検事」。捜査会議のシーンで前の机に座っている人たちはこんな役職の人たちだったのだ。
 緊急配備が発動されると次の様なことが行われる。
「通信指令センターでは、事件発生から配備官僚までの時間がコンピュータの端末に打ち込まれ、犯人の逃走可能範囲が地図の上に描き出される」「この逃走可能範囲にある、すべての警察施設、検問、張り込み予定場所、駅、高速道路ランプなどに、緊急配備システムが敷かれている」「機動捜査隊の覆面パトカーがひっきりなしに現場に到着しては走り去る」
 刑事についてはこんな描写がある。
「刑事というのは因果な仕事だ。人をその第一印象から判断しない。どんな人間にも裏がある。その裏を嗅ぎわけるのが刑事という仕事なのだ」
 所轄刑事の愚痴もこう。
「本庁の捜査一課はなんといっても花形だ。プライドもそれなりに強いしな。あの連中を怒らせたらどんなに始末におえないか思い知らされている」
 この作品、警察小説としても読みでがある。


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プロポーズ大作戦 第7回

2007年05月29日 | 研究レポート
 「プロポーズ大作戦」の恋人たちに課せられた障害は「自分の殻」。
 第7話の健はその自分の殻を破れなかった。
 ただひと言、目を見つめて「好きだ」と言えばいい。
 だが健は出来ない。場所やきっかけにこだわって、王様ゲームで王様になったら「廊下でふたりきりにしてくれ」と榎戸(平岡祐太)に頼み込む始末。
 健は12年間、礼(長澤まさみ)にこんな対応をしてきたのだろう。
 だから礼に「時々見せるやさしさ」や「冗談」ととられたりする。
 エリ(榮倉奈々)と鶴見尚(濱田岳)は今回くっついた。エリはブーケをもらい、鶴は風船をもらったから(伏線)いずれはこうなると思っていたが、その理由は鶴がストレートに気持ちをぶつけたから。
「エリは俺の憧れだ。憧れが都合のいい女になるな!涙を流すな!」
 多田(藤木直人)もボケキャラだが、気持ちを伝えるのにストレートなタイプ。
 このふたりの対極に健がいる。(キャラの描き方)
 対極といえば「花より男子」の道明寺。
 彼は臆することなく、キザなせりふで気持ちを語る。フジテレビは「花より男子」を意識して、健の様なキャラを作ったのかもしれない。

 さて恋愛ドラマの障害・カセは様々だ。
★「花より男子」は家柄。恋のライバル。すれ違い。記憶喪失。
★「花嫁とパパ」は父親・母親。
★「クロサギ」は相手が詐欺師。
★「ホテリアー」は相手が買収相手。
★「タイヨウのうた」は病気。
★「涙そうそう」は兄と妹。

 この作品のように自分自身が障害というのは珍しい。
 男の子のイジイジは見ていてつらいからだ。
 それをここまで見せるのは、作家さんの力量と山下くんの魅力だろう。
 同類の作品としては「結婚できない男」。
 この作品の障害も主人公が、ひとりの生活が好きで結婚否定論者であること。主人公は自分の生活という殻に閉じこもって、他人に踏み出そうとしない。あるいは自分の無器用さを知っていて他人に踏み出すことを怖れている。
 その他の同類の作品として、バラエティだが「あいのり」。
 ここで描かれる若者たちは自分の気持ちを表現できなくてイジイジしている。
 現在の若者たちは恋愛にストレートな様でいて、実際はそうでもないのかな?
 健の人物像は今の若者たちにどう映るのだろう?


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風林火山 第21回 「消えた姫」

2007年05月28日 | 大河ドラマ・時代劇
 2回にわたって描かれた由布姫(柴本幸)の気持ち。

 姫は葛藤していた。
 父親を殺された諏訪の姫という自分と晴信(市川亀治郎)を慕う自分。
 相反する心。
 大井夫人(風吹ジュン)は「そなたはもう武田家の人間」と諭したが、それを素直に受け入れることができない。
 その心が三条夫人(池脇千鶴)への言葉となって現れる。
 慈悲をかけるな。自分を憎め。自分を飼い慣らそうとするな。
 憎まれれば、自分の意思も決められる。
 諏訪の姫として武田を憎むことだけに専心できる。
 甘酒を毒入りかもしれないと思わせて、三条の真意を測ることも。
 人物が葛藤するとドラマになる。

 やがて姫は諏訪へ。
 表向きは家臣の姫への気持ちを抑えるためという理由だが、晴信には別の意図がある様子。
 距離をおいて姫に気持ちを整理してほしい。
 この深慮。
 晴信の大きな人物像を感じさせる。

 そして姫は脱走。甲斐へ向かう。
 勘助(内野聖陽)は追いかけ、廃屋でその真意を糺す。
 「甲斐でお館様を討つため」
 姫は恨み、諏訪の姫であることを選んだかと思う勘助だったが、別の意味があった。
 「いっしょに死ぬことができれば、お館様は私だけのもの」
 姫は晴信を慕う自分を選んでいた。
 それは『過去』自分を捨て、『現在』の晴信を慕う自分を選ぶという選択。
 あるいは晴信を討つことで同時に『過去』の自分も清算できるという想い。
 しかし勘助は「小さきこと」と言って姫を諫める。
 勘助は「お館様の寵愛を存分に受けよ。お館様は天下人となる方。天下人のわ子を産め」「幸せを望め」と語る。
 それは『未来』へ生きろということ。
 自分が過去を捨て、晴信を天下人にするという『未来』に生きることによって救われた様に、姫にもそうなって欲しいと思う勘助の必死の思い。
 ここに晴信の「大望を抱け」という言葉がオーバーラップしてくる。

 「大望を抱いて未来に生きる」
 そのことによって勘助・晴信は繋がり、今回、由布姫も繋がった。
 葛藤の末、繋がった関係は強い。
 それにしても勘助の距離をとった愛はいいですね。
 考えているのは姫の幸せのみ。
 今回は本音も吐露して「晴信を殺して死ぬくらいなら、自分といっしょに生きてほしい」と言ってしまう。
 動かない姫の足に息を吹きかけ、さする姿も必死の愛情を感じる。
 睦み合うだけが愛ではない。
 逆に距離をとることによって表現される愛もある。
 こういう勘助、格好いい。

 次回からは北条や村上、そして謙信。
 大望の前に立ち塞がる強敵たちとの戦いになりそうだ。


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ローズマリーの赤ちゃん アイラ・レヴィン

2007年05月27日 | 小説
 モンスターや殺人鬼を出すだけが恐怖ではない。
 「死の接吻」が見事だったため読んでみたが、この作品もすごい。
 アイラ・レヴィンの小説は巧みだ。

 主人公は結婚したばかりのローズマリー。
 夫のガイは役者。新居を探していたが、ブラムフォードという18世紀からある由緒ある建物に空きが出て、他の物件の契約をキャンセル、ブラムフォードに住むことになる。ローズマリーはブラムフォードに住むことに憧れていたのだ。
 しかし、これが恐怖の始まり。
 もしブラムフォードに住まなかったら悲劇は起こらなかったという運命の皮肉も感じさせる。

 そして作品は少しずつ恐怖の度合いを高めていく。
 恐怖を積み重ねていく。
★まずはブラムフォードの過去の忌まわしい事件。
 「人を喰う癖があるトレンチ姉妹」「悪魔を呼び出すことに成功したと言った魔術師アドリアン・マルカトー」
★移り住んだ部屋の奇妙な家具のレイアウト。
 建物自体が恐怖を匂わせる。
 これが恐怖の積み重ねの第一段階。
 第二段階は人だ。
★隣人のキャスタベット夫妻。
 その夫妻が慈善で育てていたテリーという娘が自殺する。テリーの死は麻薬中毒だったということで片づけられるが。
 またローズマリーは、キャスタベットの妻ミニーからタニスという植物から作られた魔除けのネックレスをもらう。それはローズマリーには異様な匂いのするネックレスですぐに引き出しにしまってしまうが、この匂いということで恐怖の予感を感じさせる所がうまい。
 人に拠る恐怖の描写はさらに続く。
★夫ガイの変貌
 ローズマリーの夫ガイは最初キャスタベット夫妻と時間を共有することを嫌がるのだが、次第に夫妻の所に行くようになる。それと機を同じくして、ガイと役を争っていたライバルの役者が失明するという事件が起き……。
 そして人格が変貌していく。
 何とローズマリーをクスリで眠らせて、そのままセックスしたのだ。ローズマリーは意識を失い、悪夢を見る。目が覚めるとローズマリーの体にはガイの爪によって傷つけられた痕。
★医師サパースタイン
 こんな状況下、ついに妊娠したローズマリー。
 そこでキャスタベット夫妻によって紹介された産婦人科の医師はサパースタイン。高名な医者らしい。しかし、サパースタインは「出産までの過程は人によって違う。医学書や人の意見に惑わされるな」と告げる。
 実際、ローズマリーの10月10日は苦痛の連続で、なぜか生肉を欲して食べたりする。医師サパースタインはそういうこともあると言って取り合わない。ローズマリーを心配した友人は他の医師に相談しろと言うが、その翌日には痛みは治まり、ローズマリーはサパースタインを信じる様になる。
 そして恐怖の第三段階。
 事件と明らかになる真実。
★友人ハッチの急病と死
 ローズマリーの友人ハッチは隣人キャスタベット夫妻のことを調べ、ある事実を知る。それをローズマリーに伝えようとするが、急病で倒れてそのまま死んでしまう。
 そしてローズマリーはハッチの残した伝言から推理してある事実を知るが、それはおそるべきもの。
 以下、ネタバレ。

 キャスタベット夫妻は悪魔崇拝主義者で、ローズマリーに悪魔の子を宿そうとしていた。夫のガイは夫妻に取り込まれ、医者のサパースタインも同じ悪魔主義者だった。ガイのライバルの役者が失明したり、友人のハッチが死んだのも彼らの呪術のせい。ローズマリーが生肉を好んで食べたのは、お腹に悪魔の子がいるため。また別の医師に診せる時に痛みがなくなったのは、悪魔の子がまずいと思ったから。

 ラストはローズマリーと生まれた子供の対面だ。
 子供は普通の容姿をしているのだが、目を開くと瞳が黄色。
 このショック!!
 徐々に恐怖が積み重なっていってついに迎える最大の恐怖!!
 実に巧みなホラー小説だった。


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プリズンブレイク シーズン2 第1話

2007年05月26日 | テレビドラマ(海外)
 「プリズンブレイク」シーズン2は逃走劇になる様だ。
 シーズン1は脱走劇。いずれもエンタテインメントの王道を巧みに使っているが、「脱走する」「逃げる」というモチーフの他に兄リンカーンの「無罪を晴らす」というもうひとつのモチーフを組み合わせているところが、このシリーズをさらに面白くしている。

 さて今回はキャラの立て方。
 マイケルはアブルッチの飛行機での脱走が失敗した時のためにもうひとつ手を打っていた。
 二の手、三の手を用意しておく。
 これはキャラの立て方の定石。
 そして今回はこんな仕掛けも。
 マイケルのライバルの存在だ。
 今までは看守長のベリック(時にシークレットサービス)がそうだったが、今回はFBI捜査官のアレクサンダー・マホーンという人物をライバルに据えた。
 第1話では、このマホーンがベリックなんかよりも数倍クレバーで強敵であることを物語る。
 マイケルの逃亡先。
 これをベリックはマイケルのクレジットカードの支払い先から割り出す。マイケルは倉庫を借りていて今もその賃料を払っていた。ここに逃走の衣装などがあるに違いない。ベリックは倉庫に駆けつけるが、倉庫はもぬけの殻。マイケルにとってはクレジットカードから倉庫に来ることは想定済みだったのだろう。それを読んでベリックをはめた。
 しかし、別の方法でマイケルに迫る人物がいた。
 マホーンだ。
 マホーンはマイケルの入れ墨に注目。そこに脱走に必要な情報すべてが記されていることを見破った。マホーンは「マイケルの頭の中はすべて私の中にある」にあると笑みを浮かべる。
 現実に入れ墨の一部の意味を読み取り、マイケルたちの行き場所が墓場であることを見破る。マイケルはそこに一般人になるための服を用意していた。
 マイケルたちはかろうじて逃れるが、マホーン、怖るべしである。騙されたベリックと見破ったマホーンの対比で、後者が数倍すごいこともわかる。
 そして見せ場。
 マイケルは草むらの中からマホーンの姿を目に焼きつけるかの様に凝視する。マホーンを強敵と思った証拠だ。
 ふたりが目を合わせて対面するという見せ方ではなかったが、カッコイイ。
 なお、このマホーン、精神安定剤を常用している様で、ここが弱点になりそう。確かに追われる個人の人間より、組織力を使って追う人間の方が断然有利。これくらいのカセは必要だろう。

 その他の物語としては弁護士のベロニカが殺され、タンクレディは麻薬での自殺から回復した。ベロニカの死にリンカーンは涙し、タンクレディを巻き込んでしまったことにマイケルは罪の意識を感じる。人間ドラマの部分だ。また、ティーバッグは切断された腕を獣医に麻酔なしで縫合してもらうなどクレイジーぶりは健在。アブルッチは途中遭遇した子供を人質にとったが、殺すことはせず人間味のある所を見せた。以前の彼なら目的のためなら何でもやった。

 ハラハラドキドキ、しかもキャラクターがしっかり描かれていて、このドラマは文句なしに面白い。


  
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わたしたちの教科書 第7話

2007年05月25日 | 学園・青春ドラマ
 今回は怒りの高め方が見事。

 珠子(菅野美穂)は裁判の準備をしながら、様々なことを見聞きする。
 ひとつは前担任の三澤先生(市川実和子)の発言。
 書き換えをさせられる前の生活指導書。
 いじめの相談を副校長の雨木(風吹ジュン)に相談したが、ことごとく揉み潰されたこと。挙げ句の果てに退職に追い込まれる。
 職員室での三澤の写真に焼け焦げた物体(人形)があるのもいい伏線。

 そして藍沢明日香(志田未来)が残した質券。
 いじめの事実がわかっていくにつれ、この質入れは新しい教科書を買うためにしたことがわかる。配布された2年生の教科書は兼良陸(冨浦智嗣)によって燃やされた。
 そこで新しい教科書を買うためのお金が必要になった明日香。
 質入れした物は腕時計。唯一の父親の思い出。
 角度を変えてみれば、買い直した教科書は「父親に買ってもらった教科書」。
 そんな思い入れのある教科書に「死ね」と書かれたら……。
 ここで珠子の明日香への共感はピークに。
 怒りがこみ上げてくる。
 一枚の質券が発展していって、明らかにされる事実。明日香の想い。
 見事な作劇だ。
 ひとつの物が重要な意味を持ってくる。
 見事な小道具の使い方だ。

 そして、その怒りは雨木副校長に向けられる。
 いじめを隠蔽しようとする雨木に珠子は生活指導書に書かれた事実を列挙して述べる。
 怒りの表現としては直接的ではないが、逆に伝わる。
 見事な怒りのせりふ。
 また、珠子は怒りとは別の人間としての問いを発する。
 「どうして目を閉じてたんですか?目を閉じていたって何の解決にもならないのに。今度はもっとひどいことになっているかもしれないのに」
 このせりふも見事。
 怒りの表現だけでは、珠子がキャラとして浅くなる。

 ラストは珠子による訴状の朗読。
 朗読に沿って各人物の学校でのシーンが描かれる。
 このシーンも見事。
 珠子の怒りと共に今後の裁判を予感させる。
 裁判で各人はどの様に動くのか?
 加地(伊藤淳史)も大城(真木よう子)も 戸板篤彦(大倉孝二)も 八幡(水嶋ヒロ)も熊沢(佐藤二朗)もどう転ぶかわからない。敵にもなり味方にもなる可能性がある。
 その他にまだどんな闇が隠されているかも気になる。

★追記
 弁護士とは必ずしも正義の代弁者ではない。
 瀬里直之(谷原章介)は言う。
 「事実関係を把握し、依頼主を守るのが弁護士」
 事実が間違ったことでも依頼主を守るのが弁護士なのだ。


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ギャルサー 再放送

2007年05月24日 | 研究レポート
 再放送で見る「ギャルサー」。
 すごいドラマだ。

 第9話は「名前のコンプレックス」の話。
 レミ(鈴木えみ)の本名は「小野妹子」だった。
 この名前のためにいじめられ、学校を退学、彼氏にも捨てられた。
 隠そうとするレミと姉の小野小町(三浦理恵子)。

 こんなブッ飛んだ前提からドラマが展開していく。
 八百屋で「子芋」を繰り返して「イモコ、イモコ、イモコ」
 喫茶店で「はい、もっこりもこみち」を繰り返して「イモコ、イモコ、イモコ」
 ギャルたちの日本史講座で「小野妹子」が出て来て「イモコ、イモコ、イモコ」 これでレミはパンチで殴りまくる。
 スゴイ!
 
 姉の小町はギャルたちの集会所に現れてレミのことを説明しながら、自分がブイブイ言わせていた頃の自慢話(ジュリアナではお立ち台のトップ、スッチー時代は彼女のフライトに合わせて空港前に車の列ができた)。使っている言葉も「猛烈アタック」など古い。妹が名前で苦しんでいたことを実感したのは、自分が秋田さんという男性と結婚しようとした時。名前が「秋田こまち」になってしまう。
 スゴイ!

 ジェロ~ニモ(古田新太)は、「おののいもこ」と「おのいもこ」に大きな違いはないと言うシンノスケ(藤木直人)に対し、「の」の字の重要性について自説を披露。
「小さい頃から木登りが大好きだったの」と言われれば、このおてんばさんめとリアクションができる。
 だが、『の』を取ってしまうと「小さい頃から木彫りが大好きだった」と娘の陰惨な過去に触れることになる。(どこが陰惨な過去かわからないが……)
 さらにへのへのもへじ。
 『の』を取ると
「おまえ、怒られて何ニヤニヤしてんだ!」みたいな顔になってしまう。
 さらに、あのバカボンの名せりふ「これでいいのだ」から『の』を取ると、「これでいいだ」
 すると
「なにがいいんじゃ、この田舎もんが!」と思わず突っこみたくなってしまう。
 スゴイ!「の」の字、ひとつのことで、ここまで発展させるか?! 

 そしてドラマの感動要素も忘れない。
 シンノスケは
「名前を偽って逃げてもまた新しい街で同じ事繰り返す。逃げる事、心休まらない。何やっても楽しくない。永遠に妹子幸せになれない」
 と言って、レミのことを好きになってしまったお巡り(佐藤隆太)と共に「イモコ」を連発。一晩中、殴られて「イモコ」と呼ばれることを克服させようとする。

 サキ(戸田恵梨香)らエンジェルハートの仲間たちは、レミを仲間として再び迎えるために、自分たちにダサイ名前をつけ、呼び合う。
 ナギサ(新垣結衣)は「だせえ名前が最高にクールって事なったんだよ」とうそぶく。

 ブッ飛んだギャグ満載、ナンセンスなストーリーでありながら、ドラマも教訓(「逃げても何も解決しない」)もしっかり描いている。
 各話の出来にはバラツキはあるが、この第9話などは秀逸。
 「ギャルサー」は、新しいドラマジャンルとしてもっと評価されていい。


 
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独白するユニバーサル横メルカトル 平山夢明

2007年05月23日 | 短編小説
 大沢在昌氏によれば「ミステリーは芸であり技であり、ときに思想である。時代や風俗と不可分な要素を持つ半面、時間を超越した、人の心の負の部分を浮かび上がらせる」「物語とは、人と何かのかかわりを描いたものだ。ミステリーは、おおむね、人と人のかかわりの中から生まれる、誤解、摩擦、そして殺意が核になっている」

 「独白するユニバーサル横メルカトル」(平山夢明・著)は「人と地図」とのかかわりを描いた作品。
 地図の視線でストーリーが語られていく。

 この構造の生み出す怖さは、物が思考し独白すること。
 まわりにある物が自分たちを見つめ、何かを考えていると考えてみると怖い。
 自分たちの行動を笑い、非難し、時に危害を加えると考えると怖い。
 この短編集の「魔地図」という作品では親子二代の殺人鬼と関わっている地図の独白がなされる。
 怪談では物が意思を持つことは多く見られるが、それを殺人鬼というミステリーと組み合わせたところにこの作品の斬新さがある。「怪談」と「ミステリー」の融合だ。
 既存のジャンルを組み合わせる。
 新しい作品を生み出すためには、この発想は大切だ。

 さて物語。
 前述の「魔地図」に材をとってみれば、この地図の主人公が主人である人間の忠実なしもべであり、観察者であることが逆に怖い。
 地図が関わる殺人鬼親子は父親がタクシー運転手、息子が救急隊員であり、その職務の傍ら殺人を犯していく。そして犯行地点と死体を埋めた場所を地図に血で記していく。最初、地図は血で記されることを嫌がるが、一方で親子の犯行を時に弁護し、淡々と物語っていく。父親の犯行は緻密だが、息子は荒っぽいなどと感想を独白したりする。
 そしてその悪意のない語りが逆に怖さを増す。
 地図が「何という怖ろしいことでしょう」「もう嫌だ。助けて」などと感情を表したら、怖さは半減する。
 物語の途中、殺人鬼の息子の犯行はエスカレートし、殺した人間の皮膚で地図を作ったりする。これにはさすがの物語の語り手の地図も嫌気がさし、「それは邪悪だ」と主人に忠告するが、その邪悪さにのみ込まれる様に狂気にとらわれた息子は犯行を繰り返していく。
 ここで描かれるのは殺人に魅せられた人間の業。
 それが客観的に描かれるから怖い。

 この作品は視点が変わるだけで描かれる世界が一変するといういい証明である。
 それにしても思考する地図より怖いのは人間である。


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プロポーズ大作戦 第6回

2007年05月22日 | 恋愛ドラマ
 今回は『カッコ悪くてもぶつかろう』という話。

 礼(長澤まさみ)は12年間、健(山下智久)のことを想い続けていた。
 それが小学校、転校してきた時に健が消しゴムを貸してくれた時から。
 中学の時は告白の手紙を書き、すれ違いで渡せず、ずっと持ち続けていた。
 そしてドラマでも描かれた高校での出来事。
 12年間の物語がちゃんと設定されているから、人物に深みが出る。

 礼がぶつかろうと思った転機は、10代最後だということ。
 「10代最後きちんと向き合っておきたい。そうでないと一生後悔する」
 健への告白、健の答えは「10代のうちに解いておかなくてはならない答え」。

 しかし、このふたりはすれ違う。
 健は郵便局に礼がコンペの課題を送りに来ることを待っている。
 礼は健のアパートの前で。合コンの伝言も偶然聞いてしまう。
 12時過ぎまで。
 恋人たちをいかにすれ違わせるかは恋愛ドラマの課題だが、携帯がある現在、すれ違いを描くことはなかなか難しい。それを今回は健の携帯が料金が払えず止められていたという状況を作った。
 また可能性として健が大学の校門で待っていたら、ふたりは出会えていたのではないかということもある。郵便局の前で待っていたのは健の無器用さ、思い込みと解釈するのは可能だが、物語の嘘が見えてくるとリアリティがなくなる。
 また健が告白してしまえば、この物語は終わりになるわけだが、それをさせない物語の嘘も最近気になりだした。
 いずれにしてもすれ違いを描くことはなかなか難しい。

 そして今回、もうひとつの礼の転機。
 すれ違いで健に会えず、礼は結論を出す。
「答えはありませんでした、ずっと引きずっていたけど、今日やっと終わりました」
 礼にしてみれば12年積もった想いの末の告白。
 それが空振りに終わった反動なのだろう。

 今回描かれたのは、『お互い向き合っているのに通い合わない』という恋愛のひとつの形。それはエリ(榮倉奈々)や鶴見尚(濱田岳)の『相手が受け入れてくれない』という恋愛の形とは違う。
 いずれにしても、健たちの恋愛もエリたちの恋愛も哀しい。


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