平氏の棟梁となった清盛(松山ケンイチ)。
さすがにプレッシャーと焦りがあったようである。
だからイライラして、妻・時子(深田恭子)に当たってしまう。
まあ、当たってしまうというのは、それだけ時子を信頼しているからなんですけどね。
イライラの感情を赤の他人にはぶつけられないですし、時子なら受けとめてくれると考えていた。子供が母親に甘えるように。
何しろ時子は「春の陽だまりのごときおなご」なのだから。
亡くなった先妻・明子(加藤あい)のことを出したのはまずかったですけどね。
しかし、この感情をストレートにぶつけることこそが清盛。
清盛お披露目のための歌会。
清盛が歌ったのは、<何よりも子供たちや妻や一門を大事にする>という歌。
清盛としては、歌会のことに気を取られていて家族を顧みていなかった反省の歌だったのだが、それが期せずして、同じ一族・血縁の中で争いを繰り広げる宮廷へのアンチテーゼになってしまった。
この点、人物の描き方として実に上手い。
ドラマとしても<家族もの>になっている。
時子が琵琶を弾かなくなった理由。
それは「亡くなった明子の琵琶の音を忘れたくない」という清盛の言葉を尊重していたからだった。
この間、時子がどんな思いで過ごしてきたかを想像すると泣ける。
時子は、<清盛の中に今でも明子がいること><明子にはかなわない>みたいなことを考えていたに違いない。
こんな明子の思いに想像が至らない清盛はまだまだ子供。
しかし、今回の出来事が家族の絆を強くした。
重盛と基盛は、時子が自分たちの母親であることをきっぱり言ったし、清盛も「明子の琵琶の音も時子の琵琶の音も忘れない」と宣言した。
人は時として間違うが、その間違いが、今回の清盛一家のようにお互いの関係を強くすることもある。
すべてを腹にとどめて我慢していることも必要だが、それが逆効果になることもある。
一方、義朝(玉木宏)と父・為義(小日向文世)。
このふたりには、清盛たちとは対照的に亀裂が入ってしまった。
能力もあり血気盛んな義朝は、父親のことを理解できない。
情けない男だと思っていて、父親や源氏一門のために自分が何とかしなければならないと考えていた。
しかし、それが為義のプライドを傷つけてしまった。
<オイディプスの神話>では、男の子は父親を乗り越えて成長していく。
清盛の場合は、うまい具合に父親越えが出来た。
しかし義朝の場合は、乗り越えるべき父親があまりにも小さな存在だったから、不幸が生まれた。
清盛と義朝。
このふたりを見ていると、本当に人間関係は難しいと感じる。
ほんのささいなことが、絆を強くすることもあれば、亀裂となることもある。
さすがにプレッシャーと焦りがあったようである。
だからイライラして、妻・時子(深田恭子)に当たってしまう。
まあ、当たってしまうというのは、それだけ時子を信頼しているからなんですけどね。
イライラの感情を赤の他人にはぶつけられないですし、時子なら受けとめてくれると考えていた。子供が母親に甘えるように。
何しろ時子は「春の陽だまりのごときおなご」なのだから。
亡くなった先妻・明子(加藤あい)のことを出したのはまずかったですけどね。
しかし、この感情をストレートにぶつけることこそが清盛。
清盛お披露目のための歌会。
清盛が歌ったのは、<何よりも子供たちや妻や一門を大事にする>という歌。
清盛としては、歌会のことに気を取られていて家族を顧みていなかった反省の歌だったのだが、それが期せずして、同じ一族・血縁の中で争いを繰り広げる宮廷へのアンチテーゼになってしまった。
この点、人物の描き方として実に上手い。
ドラマとしても<家族もの>になっている。
時子が琵琶を弾かなくなった理由。
それは「亡くなった明子の琵琶の音を忘れたくない」という清盛の言葉を尊重していたからだった。
この間、時子がどんな思いで過ごしてきたかを想像すると泣ける。
時子は、<清盛の中に今でも明子がいること><明子にはかなわない>みたいなことを考えていたに違いない。
こんな明子の思いに想像が至らない清盛はまだまだ子供。
しかし、今回の出来事が家族の絆を強くした。
重盛と基盛は、時子が自分たちの母親であることをきっぱり言ったし、清盛も「明子の琵琶の音も時子の琵琶の音も忘れない」と宣言した。
人は時として間違うが、その間違いが、今回の清盛一家のようにお互いの関係を強くすることもある。
すべてを腹にとどめて我慢していることも必要だが、それが逆効果になることもある。
一方、義朝(玉木宏)と父・為義(小日向文世)。
このふたりには、清盛たちとは対照的に亀裂が入ってしまった。
能力もあり血気盛んな義朝は、父親のことを理解できない。
情けない男だと思っていて、父親や源氏一門のために自分が何とかしなければならないと考えていた。
しかし、それが為義のプライドを傷つけてしまった。
<オイディプスの神話>では、男の子は父親を乗り越えて成長していく。
清盛の場合は、うまい具合に父親越えが出来た。
しかし義朝の場合は、乗り越えるべき父親があまりにも小さな存在だったから、不幸が生まれた。
清盛と義朝。
このふたりを見ていると、本当に人間関係は難しいと感じる。
ほんのささいなことが、絆を強くすることもあれば、亀裂となることもある。