平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

江~姫たちの戦国~第4回「本能寺へ」

2011年01月31日 | 大河ドラマ・時代劇
★「分別顔が鼻につく!」
 信長(豊川悦司)には、光秀(市村正親)のやることなすこと、すべてが気にくわなかったんでしょうね。
 いわば相性のようなもの。
 「おぬしなど、どこで骨を折った?」もそう。
 光秀を客観的に見られない。
 あんなに物事を深く考え、洞察力も構想力もある信長なのに。
 あるいは光秀は、信長が忌み嫌った<旧きもの>の象徴だったのかもしれない。
 本来なら自分の敵となって刃を向けてくるべき存在が、自分の家臣として働いている。
 それが信長の鋭敏な神経をイラつかせたのであろう。

 いずれにしてもこの信長と光秀の関係は面白い。
 戦国時代ものでは必ず描かれるエピソードではあるが、「忠臣蔵」の松の廊下を見るように日本人はこれを楽しむ。

★さて、この頃の信長はやはり精神的にはおかしくなっていたんでしょうね。
 「おのれを信じることと、おのれが神になることは違います!」
 と江(上野樹里)が指摘したように、自分が見えなくなっていた。
 信長の本来の考え方は、市(鈴木保奈美)に語った「憎まれ怖れられる者はひとりでよい。しかるに太平の世が来ればそれでよし」だったと思うのだが、それが微妙に変容してくる。
 権力者の過信や孤独が、その精神を蝕んでいく。正常と異常の間を揺れ動く。
 それは天才信長にしても免れることが出来なかった。(そして江は唯一信長を昔の自分に戻してくれる存在?)

 この点、三番目の権力者である家康(北大路欣也)は、信長、秀吉から教訓を得て、このことから免れたが、やはり<豊臣家を滅ぼす>という流血は避けられなかった。
 信長が言ったように、世の中を変えていくためには血を流すことは避けられないのでしょうか?
 人間とはそういう生き物?

★作劇的には、香がうまく使われていた。
 江が自分の香りだと思ったのは<東大寺>。
 信長が好んだ香り。
 これが、江の信長を慕う気持ちを表す上手い小道具になっている。
 <東大寺>が畏れ多い香であったという展開も上手い。
 これが江と信長の違い、「おのれを信じることと、おのれが神になることは違います!」という発言に繋がっている。
 それにしても「篤姫」でも<香>が出て来たが、脚本・田渕久美子さんは<香>好きだ。

 あとは光秀の<震える右手と押さえる左手>。
 月並みではあるが、市村正親さんがやると迫力があったし、せりふで憎しみや憤り、悔しさを表現されるよりはずっといい。


コメント (6)
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Shall we ダンス?ほか~映画の中の舞台装置について

2011年01月30日 | 研究レポート
 「Shall we ダンス?」で、夫(役所広司)が浮気をしているのではないかと疑った妻が探偵に調査を依頼するシーンがある。探偵役は柄本明さん。
 そして、その探偵の事務所の壁には、映画「フォローミー」のポスターが貼ってある。

 これは美術スタッフの遊びである。
 というのは、「フォローミー」にも探偵が登場して、同じように浮気調査をするのだ。
 おまけに両作品とも、調査の対象者が浮気していないことがわかり、探偵は夫婦の仲を取り持つために重要な役割を果たす。
 つまり「フォローミー」の探偵=「Shall we ダンス?」の探偵。
 「Shall we ダンス?」の美術スタッフは、柄本明さんが演じる探偵と「フォローミー」の探偵とを重ね合わせているのだ。
 「フォローミー」という作品へのリスペクトと言ってもいい。

 こういうスタッフの遊び心を見ると嬉しくなる。

 映画「サタデーナイトフィーバー」のジョン・トラボルタが演じる主人公の部屋には、ブルース・リー、「ロッキー」、ファラ・フォーセットのポスターが貼ってある。
 これは作品や役者さんに対するリスペクトではないが、主人公の人物像を描くために有効な小道具である。
 主人公が時代の人気者に憧れ、時代に生きていることがわかる。
 そして、現在から見ると、実に懐かしい。
 時代の雰囲気がわかる。

 壁に貼ってあるポスターでは、テレビドラマだが、こんなのもあった。

 戸田恵里香さん主演の刑事ドラマ「SPEC」。
 その刑事部屋の壁に貼ってある指名手配のポスターには、眼鏡の少年と<針井歩太>の文字。
 つまりハリー・ポッター。
 確かこの回がオンエアされていた時の裏番組は「ハリー・ポッター」だった。
 これはなかなかすごい遊びだ。ここまでやるかという感じ。

 そう言えば、こんなエピソードを思い出した。
 大河ドラマ「新選組!」
 香取慎吾さん演じる近藤勇の道場には「香取大明神」の掛け軸。
 ネットの一部では、これがスタッフの遊びではないかと話題にのぼったが、実は遊びではないらしい。
 香取大明神は武道の神様で、剣道の道場ならわりとポピュラーに掛けてあるものとのこと。

 こういうことを愉しむのも、作品を見る歓びですね。


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サタデー・ナイト・フィーバー~若者は旅立つ!

2011年01月29日 | 洋画
 この作品は冒頭のシーンに尽きる。

 ♪自分が何者であるかを知れ
  活力を失うな
  街を体で感じろ♪

 ビージーズの「ステイン・アライブ」をバックに、主人公トニー(ジョン・トラヴォルタ)はブルックリンの街を歩く。
 ショウウインドーの靴を見て、すれ違う女の子に声をかける。
 気に入った青いシャツをショウウインドーでみつければ、とって置いてくれと店主に5ドルを渡す。
 ハンバーガーを頬ばりながら、街の人間と声をかけ合う。飛んできたバスケットのボールを投げ返す。


 これらの行動で、トニーがまさに街を体で感じ、活力を受けて生きていることがわかる。
 ディスコミュージックも彼に力を与える。

 しかし、この活気に満ちた時間もやがて現実という日常にとって代わられる。
・ブルックリンの貧しいイタリア移民。
・わずかな時給でのバイト生活。
・牧師となった兄を賞賛し、トニーをどうしようもないヤツと見下す両親。
・マンハッタンの住人への劣等感。
・自分は刹那的に生きているクズという意識。

 トニーは踊っている瞬間だけこれらクズの日常から解放されるのだが、それだけでは満たされない。

 この作品はトニーの成長物語だ。
 自分が生きている現実に嫌気がさし、旅立っていく。
 冒頭のビージーズの曲に ♪自分が何者であるかを知れ♪という歌詞があったが、トニーは<自分が何者であるか>を認識していく。
 それは<ダンスをする自分>。

 若者の特権は、いつでも今までの自分を捨てて、旅立てること。
 歳をとってからも旅立つことが出来るが、年齢を重ねると、しがらみや持っているものが多すぎて、なかなか歩み出すことが出来ない。

 活力を失って、街を体で感じられなくなったら、旅立とう!!


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相棒 「通報者」

2011年01月28日 | 推理・サスペンスドラマ
 ふたつの謎が絡み合うなかなかのミステリー。
 ひとつめの謎は、殺された恐喝者・笠井俊子(益田ひろ子)の犯人は誰か?
 ふたつめの謎は、通報者の中学生・藤吉祐太(溝口琢矢)が何を隠しているのか?

 特にふたつめの祐太の描かれ方がいい。
・祐太はなぜ通報時に名前を名乗らなかったのか?
・ 〃 なぜ右京(水谷豊)たちを家に入れようとしないのか?
・ 〃 なぜ学校のいじめでで暴力をふるわれても反撃しなかったのか?
・祐太と笠井俊子が生け花を教えていた宗方綾乃(堀ひろこ)との関係は?

 これらがすべて祐太の謎につながっている。(以下ネタバレ)

 すなわち……

 <母親が祐太たち兄妹を捨てていなくなり、生活保護をもらうために叔母に頼んで母親がいるように見せかけていた。綾乃は母が駆け落ちした男の妻。通報しなかったのは事件に関われば、刑事が家にやってきて、母親のことがバレる可能性があるから。暴力を受けても反撃しなかったのは、事件を起こせば、母親が学校に呼ばれることになるから。結果、生活保護費の詐欺が明らかになり、祐太たち兄妹は施設に送られ、離ればなれになってしまうから>

 何ともせつない真実である。
 中学生の男の子がこんな思いを抱えて、必死に嘘をつき、世間と闘っていたなんて……。
 母親がいなくなっただけでもつらいのに、それを乗り越えて妹との生活を守ろうとしたなんて……。
 なので、右京が祐太に言った「君は十分に頑張った。もう頑張らなくてもいいんですよ」という言葉が胸を打つ。

 自分の中に悩みを抱えて、誰にも相談できずに生きていく孤独。
 現代では心を解き放つことは難しいのか?
 そう言えば、「Q10」でも「助けて~!」と叫べない高校生たちが出て来た。
 祐太が「助けて!」と誰かに言えれば、背負っていたものは少しは軽くなったのに。

※追記
 右京が祐太にたどりつくまでの過程が見事。
 インスタント写真機の中に落とされていたコンビニのレシート(レシートには買い物をした時の日時が記載されている)→同時刻のコンビニの防犯カメラで、履歴書を買っている祐太を発見→コンビニの前でたむろしていた中学生に防犯カメラに映っていた写真を見せて祐太であることを確認。
 この過程は直接描かれず、右京のせりふのみで語られるが、この省略のされ方も見事。
 これをいちいち映像で描いていたら、深いドラマは描けませんからね。
 そして、その他のドラマはこれを描いてしまい、退屈で冗長になってしまう。


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Shall we ダンス? 自由に熱く!

2011年01月26日 | 邦画
 最近、スポーツジムでのダンスにハマっているため、観る映画は<ダンス映画>が多い。

 この映画「Shall we ダンス?」のでも語られていたが、ステップを踏んで音楽に乗って愉しむこと、つまりダンスって、人間の<原初的快楽>なんですよね。
 やれば絶対に楽しい。
 多くのダンス映画が語っているように、生きているって感じを味わえる。
 頭ばかり使っている現代人の<肉体の復権>。

 この作品の主人公・真面目だけが取り柄のサラリーマン、杉山正平(役所広司)も同じ様な体験を味わった。
 ダンスを始めたきっかけは、ダンス教室の美しい先生・舞(草刈民代)に惹かれたからだが、その動機が次第にダンスの楽しさに変わり、のめりこんでいくことに。
 結果、日常から解放された。
 イキイキとして、杉山の妻などは「あんな主人の顔を見たことがないと」つぶやく。
 もちろん、そんな杉山にも世間の目という日常はついてまわる。
 「いい歳をした中年男がダンス?」「女性の体に触りたいだけだろう」
 こうした世間の目は、人を縛り、不自由にする。
 生きていくことは厄介だ。自由に生きることって大変だ。
 世間の常識に縛られなかった子供の頃は、世界が輝いていたんですけどね。

 その作品で面白い所は、ダンス教師・舞の成長も描かれていること。
 ダンス・コンテストの最高峰ブラックプールで準優勝までいった舞は、ダンス教室で教えることに違和感を持っている。「どうして私が」と思っている。
 しかし、アマチュアダンスコンテストに参加する杉山たちを指導していくうちに、再びダンスへの情熱を取り戻していく。
 それは、おそらく杉山たちの情熱が舞の心に火をつけたからだろう。
 熱い心は伝播して、他人の心も熱くする。
 自分の心が冷えているな、何も感じないな、と思った時は、思いっきり熱いものに触れてみるべき。
 あるいは、舞が杉山たちにダンスを教えたように、他人に何かを与えてみるべき。
 自分が与えたことが他人に伝わり、他人から倍になって返ってくる。
 人はこうやってエネルギーを交換し合って生きていく。

 自由に熱く生きていきたいな、と思うこの頃である。


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江~姫たちの戦国~第3回「信長の秘密」

2011年01月24日 | 大河ドラマ・時代劇
 今回は、信長(豊川悦司)が信頼を寄せる好きな人物について。

 まずはルイス・フロイス。
 信長は<布教のために命がけで海を渡ってきた語るべき人物>として見ている。
 フロイスが望むのは<布教>のみ。
 先週、エピソードとしてあった政治・権力を求める本願寺とは大きく違う。
 信長は、自分の領域で、必死に生きる人間が好きなのだ。

 だから千宗易(石坂浩二)も好き。
 彼が求めるのは<美の追求>。他のことには興味がない。
 <美の追求>という自分をしっかり持っている。
 信長は、自分というものをしっかり持ち、それを率直にぶつけてくる人間が好きなのだ。

 だから、江(上野樹里)が好きだし、市(鈴木保奈美)も、おね(大竹しのぶ)も好き。
 そして秀吉(岸谷五朗)も好き。
 第1話で、秀吉が市への気持ちを率直に語りすぎることに僕は違和感を持ったが、信長は、そういう自分の気持ちを隠さない秀吉を気に入っているのだろう。秀吉もそのへんを計算していたのかもしれない。
 また、市は、夫を奪った人間として信長を憎んでいるが、そういう気持ちを隠さない所で、信長は市を信頼をしている。

 一方、明智光秀(市村正親)。
 彼は、自分の考えていることをオモテに出さない。
 フロイスのことを快く思っていないのに、それを口に出さない。
 だから殴られた。
 信長は自分と意見が違っていても、それをしっかりと自分をぶつけてくる人間が好きだし、信頼するのだ。
 だから光秀に、そのような人間になれ、自分に心を開けと叱っている。

 そして家康(北大路欣也)。
 信康切腹事件に関する信長の真意はどこにあるか。
 信長は、家康が自分の要求をそのまま実行するだろうな、と読んでいる。
 その実直さが家康だからだ。
 実直な家康を信長は好きだし、信頼している。
 また戦国という時代は、ほんの小さな綻びでも、それが自分の命を危うくすることを信長は、弟・信行の事件で知っている。
 だから、武田に通じているとされる築山御前を綻びとしてみた。
 家康も、その信長の真意を読み取った。
 戦国のならいとして仕方ないと諦めた。
 
 というわけで、今回の内容はなかなか深い。

 まず、<自分と意見が違っていても、それをしっかりと自分をぶつけてくる人間が好きだし、信頼する>という信長像を示せたこと。
 次に、<小さな綻びでも、それが自分の命を危うくする>という戦国時代のならいと、トップに立つ権力者の孤独を描けたこと。
 そして、千宗易が江に言った言葉。
 「あなたは傲慢ですな」
 江は信長の心の中を知ろうと思ったが、実は人の心を完全に知ることなど不可能。
 そのことを<傲慢>と言っている。

 このことは、次回の本能寺に繋がりそう。
 人間認識に長けた信長だが、さすがに光秀の心の奥までは読み取れなかった。
 さて、本能寺で信長はどう描かれるか?


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最近のCM~ダイワマン、ついに完結!?

2011年01月23日 | その他
★ダイワマンのCMの新作を見た。
 ダイワマンとダイワウーマンが共演してラブシーンを演じる。
 その情報を聞きつけた役所さん、ダイワウーマンの黒木メイサさんとラブシーンをしたくて、唐沢さんに「ダイワマンを押しつけて悪かったな。自分が代わりにをやる」と言おうとするが、言い出せない。
 そして撮影の日、ダイワマンの唐沢さんとダイワウーマンの黒木さんがラブシーン。
 ダイワマンは死ぬ間際で、最期の言葉として<ダイワハウスの素晴らしさ>を語る。
 そこへ役所さんが乱入!
 「ダイワハウスの素晴らしさを語るを語るのに、どうしてここまで大げさなことをやるんだ!」と文句。(ちなみにこの時、役所さんはダイワマンのコスチュームを着ている。役所さんとしてはあわよくば唐沢さんの代わりに出ようと思っていたのだ。←なかなか可愛い!)
 そして役所さんの「大げさすぎる」という文句に対して監督が返事。
 「楽しければいいじゃないか。家は楽しい所なんだから!」
 そして、ミュージカル風に<家の楽しさ>を歌って終わる。
 もしかして、ダイワマンのCMはこれで完結だろうか。
 だとしたら残念。
 「ダイワハウチュ」から始まったこのCM、ぜひ新たな展開を!

★同じ物語系のCMでは、妻夫木聡さんと小西真奈美さんの東京ガスのCMが面白い。
 最初のCMは「ゴトクと孤独って似ていない?」というダジャレでイマイチだったが、東幹久さんという恋のライバルが現れ、妻夫木さんには社長の娘との結婚という話が出て、がぜん面白くなった。
 現在放送中のものでは、妻夫木さんが小西さんを追いかけて、踏切で告白しようとするが、そこへ社長の娘が現れて……という展開。
 さて、どうなる?

 それにしても、これをCMでやられると、ドラマ製作者はつらいでしょうね。
 同じシチュエーションは使えないし、踏切を挟んでのラブシーンもギャグになる。
 現在はすべてがパロディになる時代。
 どんな作品を作っても既視感がある、二番煎じと言われる時代。
 だからドラマ製作者は本当にオリジナリティのあるものを作らなくてはならない。
 すごく大変だけど。

★その他のCMで面白かったのは、山下智久さんのFM-VのCM。
 <Impossible(=不可能)>が、< ,(=コンマ)>ひとつをつけるだけで、
 <I,m possible(アイム・ポッシブル=私は出来る)に変わる。
 パソコンによって<不可能なことが出来るようになる>という意味だ。
 これはなかなかおしゃれ!

 CMって、15秒か30秒の世界ですからね、このわずかな時間でたくさんのことを描いてしまう。
 冗長に感じてしまうドラマはCMを見習って、もっと情報を入れ込まなくては。


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スクール!! ~70年代よ、ふたたび!

2011年01月22日 | 学園・青春ドラマ
 「何かを成し遂げれば、自分に誇りを持てる」
 「ひとりと向き合えない者は百人とも向き合えない」
 「出来ないことは悪いことじゃない。悪いのは、それを認めなかったり、誤魔化したりすることだ」
 「子供は大人より先に死んではいけない」

 ベタだけど、僕はこういうのが好き。
 教師が校長先生になっただけという既視感はあるけれど、やはり学園ものには熱血教師!
 今、タイガーマスクが世間の話題になっているが、熱い70年代よ、再び!
 そう言えば「デカワンコ」も「太陽にほえろ」だった。
 そう、この作品は平成の現在に70年代がやって来たドラマなのだ。

 登場人物として面白いのは、六年生の桐原伊織(西島秀俊)先生。
 いわゆるプロの教師。
 その教師のプロが、情熱だけのシロウト校長・成瀬誠一郎(江口洋介)に意見をする。
 「理想ばかりを語らず、しっかり現実を踏まえて対処してください」
 この図式が面白い。
 主人公の成瀬も桐原の意見に納得したようだし。
 第1回目のラストも、勇気君が九九を覚えて母親と抱擁、感動的なラストと思いきや、「私の経験ではバランスが崩れてもっと大きなことが起こります」と桐原が予告し、ドラマのラストとしていい話に水を差した。
 そして、その言葉どおり、いじめは次のいじめに。

 このように桐原の存在が、この作品を単なる熱血教師ものでないものにした。
 平成の時代では、熱血だけは必ずしも物事は解決しないことを描いた。
 このリアリティもいい。
 おそらく成瀬と桐原が合体したような先生が最強の教師になるんでしょうね。

 いずれにしても、冒頭に書いた成瀬の言葉や70年代の熱さが現在必要なのだと思う。


※追記
 武市かの子(北乃きい)先生は、成瀬校長の言動にツッコミをいれる存在。
 このかけ合いは楽しいが、もっと楽しいには、ふたりの間にかの子の出戻りの姉が入るやりとり。
 成瀬がいいことを言うと、かの子の姉が「素敵~、成瀬さんにもっと早く出会えてたらよかったのに」と受ける。
 するとかの子は「まだ離婚していないでしょう」と姉にツッコむ。 
 ボケとツッコミの三段論法だ。
 こういう会話は楽しい。


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ワルキューレ

2011年01月21日 | 洋画
 シュタウフェンベルク大佐(トム・クルーズ)の<狼の巣>爆破によるヒトラーの暗殺。
 僕はこの事件は知っていたが、まさかこの後にクーデター計画が用意されていたとは思わなかった。
 非常事態が起こった際に、ベルリンの予備軍を動かすことが出来る<ワルキューレ作戦>。
 これをシュタウフェンベルク大佐はクーデターに利用しようと考える。
 すなわち、ヒトラーを暗殺した後、<ワルキューレ作戦>を発動。
 予備軍を使ってヒトラーの親衛隊を鎮圧し、ベルリンを掌握する。
 そして一気に新しい政府を作る。
 なるほど、新しい政権を作るには、単なる独裁者の暗殺だけではダメで、力(=この場合は軍)に拠る政府や放送局の掌握が必要なのだ。

 ここに様々なドラマがあった。
 まずは、ヒトラーの側につくかクーデターの側につくかという葛藤。
 ベルリン警察は、ヒトラーがドイツを滅ぼすと考え、クーデター側につく。
 シュタウフェンベルク大佐を逮捕しない。

 <ワルキューレ作戦>の発動権を持つ司令官フロム(トム・ウィルキンソン)は、ヒトラーの側につき、クーデターに加担せず、拘束される。

 中立の立場を取る者もいる。
 軍の命令を伝達する電報局。
 電報局長は、「われわれの仕事は政治に関わることではない。電報を伝達することだ」と言って、ヒトラーの体制から出て来る命令とクーデター軍の命令を両方とも流す。

 状況がわからず、命令を受けたから実行しているという人間もいる。
 予備軍を直接指揮する現場の将校・レーマー少佐だ。
 レーマーはクーデター側から流れる命令を実行し、クーデターを推進する。しかし、彼は自分がクーデターに加担しているとは思っていない。忠実に命令を実行しているだけだと思っている。

 このように様々に展開される人間ドラマ。
 そしてクーデターは成功するかに見えたが、あることをきっかけに崩壊していく。

 以下、ネタバレ。

 ヒトラー暗殺は結局失敗で、生きているヒトラーが予備軍のレーマーに自分の命令に従うように電話するのだ。
 これによりクーデターの推進力である予備軍は動かなくなる。むしろ反クーデターにまわる。
 オセロゲームで○があっという間に●に変わるように、クーデター側は追いつめられていく。
 そしてヒトラーの体制は復活して、クーデター側は粛正される。

 この作品は歴史を題材にした壮大なドラマだ。
 描きたかったのは、トム・クルーズのシュタウフェンベルク大佐を始めとするヒトラー打倒という信念に生きた男たちの姿であろう、
 そのテーマが、クーデター側が粛正されることで、より強く伝わってくる。

 そして歴史は、このような様々な人間の思いや葛藤や闘い、偶然という神の悪戯みたいなものが折り重なって展開されていく、ということがわかる。
 もし、ヒトラーの暗殺が失敗に終わらなかったらクーデターは成功していたであろう。
 まさに<神の悪戯>である。


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大切なことはすべて君が教えてくれた

2011年01月19日 | 恋愛ドラマ
 サスペンスって、殺人鬼やモンスターが出て来なくても成立するんですよね。
 この作品がいい例。
 柏木修二(三浦春馬)が犯してしまった過ち。
 たった1回の過ちが、輝いていた日常を破壊する。不安と恐怖にさいなまれる。
 これはわれわれの日常にも起こりうる恐怖。
 われわれの持っているもの、長い時間をかけて築いてきたものなど、たった1回の過ちでガラガラと崩れてしまうのだ。
 現在は永遠ではない。
 そんなことを考えさせてくれる作品。

 ところで、この作品は作品をどこに持っていこうとしているのだろう?
 佐伯ひかり(武井咲)が柏木を様々に苦しめるサスペンス・ホラー?
 それとも柏木とひかり、夏実(戸田恵梨香)の三角関係を描く恋愛もの?
 今後、どこに行くのかわからない。
 怖がらせたいのか、泣かせたいのか、感動させたいのか、戸惑ってしまう。

 個人的に興味があるのは、戸田恵梨香さん。
 今回はこんな役も出来るのかと感心してしまった。
 前期の「SPEC」と全然違う。
 何を演じても同じに見えてしまう女優さんは多いが、戸田さんは結構引き出しが多い。
 ドラマに途切れることなく主役級で連続起用されているが、その理由は彼女の懐の深さに拠るものだろう。

 ディティルも凝っている。

 冒頭、夏実が「スラムダンク」を読んでいる。
 なぜだろうと思っていると、夏実は女子バスケ部の顧問なのにバスケ経験がなく、男子生徒に「スラムダンク」を読んで勉強するように言われたから。
 ひかりとの会話の中では、英語ばかりの本の中に「スラムダンク」があり、「こんなのもあるの」と話題にしている。

 桜の花びらも効果的。
 厚い英語の原書に挟んで押し花にした桜の花びら。
 これが柏木との幸せの象徴になっている。
 そして、ラストで桜の花びらを踏みにじるひかり。これで、ひかりの気持ちがわかる。
 うまい小道具だ。

 あとは柏木とひかりが鍵を返す返さないでやり合う自転車置場のラストシーン。
 夏実はブラインドを閉めて柏木たちのやりとりを目撃することはなかったと視聴者に見せておいて、別のカットで目撃している夏実を出す。
 見せ方としては、これくらいひねってくれないと面白くない。

 ということで、この作品はなかなか期待が持てそう。
 でも個人的にはあまり好きじゃないんですよね、こういう人間の愛憎劇。
 見るのにエネルギーがいるから。
 出来れば楽しく笑いたい。予定調和でもいいからスッキリしたい。


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