★「分別顔が鼻につく!」
信長(豊川悦司)には、光秀(市村正親)のやることなすこと、すべてが気にくわなかったんでしょうね。
いわば相性のようなもの。
「おぬしなど、どこで骨を折った?」もそう。
光秀を客観的に見られない。
あんなに物事を深く考え、洞察力も構想力もある信長なのに。
あるいは光秀は、信長が忌み嫌った<旧きもの>の象徴だったのかもしれない。
本来なら自分の敵となって刃を向けてくるべき存在が、自分の家臣として働いている。
それが信長の鋭敏な神経をイラつかせたのであろう。
いずれにしてもこの信長と光秀の関係は面白い。
戦国時代ものでは必ず描かれるエピソードではあるが、「忠臣蔵」の松の廊下を見るように日本人はこれを楽しむ。
★さて、この頃の信長はやはり精神的にはおかしくなっていたんでしょうね。
「おのれを信じることと、おのれが神になることは違います!」
と江(上野樹里)が指摘したように、自分が見えなくなっていた。
信長の本来の考え方は、市(鈴木保奈美)に語った「憎まれ怖れられる者はひとりでよい。しかるに太平の世が来ればそれでよし」だったと思うのだが、それが微妙に変容してくる。
権力者の過信や孤独が、その精神を蝕んでいく。正常と異常の間を揺れ動く。
それは天才信長にしても免れることが出来なかった。(そして江は唯一信長を昔の自分に戻してくれる存在?)
この点、三番目の権力者である家康(北大路欣也)は、信長、秀吉から教訓を得て、このことから免れたが、やはり<豊臣家を滅ぼす>という流血は避けられなかった。
信長が言ったように、世の中を変えていくためには血を流すことは避けられないのでしょうか?
人間とはそういう生き物?
★作劇的には、香がうまく使われていた。
江が自分の香りだと思ったのは<東大寺>。
信長が好んだ香り。
これが、江の信長を慕う気持ちを表す上手い小道具になっている。
<東大寺>が畏れ多い香であったという展開も上手い。
これが江と信長の違い、「おのれを信じることと、おのれが神になることは違います!」という発言に繋がっている。
それにしても「篤姫」でも<香>が出て来たが、脚本・田渕久美子さんは<香>好きだ。
あとは光秀の<震える右手と押さえる左手>。
月並みではあるが、市村正親さんがやると迫力があったし、せりふで憎しみや憤り、悔しさを表現されるよりはずっといい。
信長(豊川悦司)には、光秀(市村正親)のやることなすこと、すべてが気にくわなかったんでしょうね。
いわば相性のようなもの。
「おぬしなど、どこで骨を折った?」もそう。
光秀を客観的に見られない。
あんなに物事を深く考え、洞察力も構想力もある信長なのに。
あるいは光秀は、信長が忌み嫌った<旧きもの>の象徴だったのかもしれない。
本来なら自分の敵となって刃を向けてくるべき存在が、自分の家臣として働いている。
それが信長の鋭敏な神経をイラつかせたのであろう。
いずれにしてもこの信長と光秀の関係は面白い。
戦国時代ものでは必ず描かれるエピソードではあるが、「忠臣蔵」の松の廊下を見るように日本人はこれを楽しむ。
★さて、この頃の信長はやはり精神的にはおかしくなっていたんでしょうね。
「おのれを信じることと、おのれが神になることは違います!」
と江(上野樹里)が指摘したように、自分が見えなくなっていた。
信長の本来の考え方は、市(鈴木保奈美)に語った「憎まれ怖れられる者はひとりでよい。しかるに太平の世が来ればそれでよし」だったと思うのだが、それが微妙に変容してくる。
権力者の過信や孤独が、その精神を蝕んでいく。正常と異常の間を揺れ動く。
それは天才信長にしても免れることが出来なかった。(そして江は唯一信長を昔の自分に戻してくれる存在?)
この点、三番目の権力者である家康(北大路欣也)は、信長、秀吉から教訓を得て、このことから免れたが、やはり<豊臣家を滅ぼす>という流血は避けられなかった。
信長が言ったように、世の中を変えていくためには血を流すことは避けられないのでしょうか?
人間とはそういう生き物?
★作劇的には、香がうまく使われていた。
江が自分の香りだと思ったのは<東大寺>。
信長が好んだ香り。
これが、江の信長を慕う気持ちを表す上手い小道具になっている。
<東大寺>が畏れ多い香であったという展開も上手い。
これが江と信長の違い、「おのれを信じることと、おのれが神になることは違います!」という発言に繋がっている。
それにしても「篤姫」でも<香>が出て来たが、脚本・田渕久美子さんは<香>好きだ。
あとは光秀の<震える右手と押さえる左手>。
月並みではあるが、市村正親さんがやると迫力があったし、せりふで憎しみや憤り、悔しさを表現されるよりはずっといい。