豊臣側の浪人五人衆。
・後藤又兵衛(哀川翔)
・毛利勝永(岡本健一)
・長宗我部盛親(阿南健治)
・明石全登(小林顕作)
そして
・真田幸村(堺雅人)
彼らにはそれぞれに戦う目的があった。
・毛利勝永は、「おのれの力を試すためにここに来た」
・長宗我部盛親は、長宗我部家の再興。
・明石全登は、キリシタン信仰を守るため。
この中でも、特に〝おのれの力を試すためにここに来た〟毛利勝永がいいですね。
だから、家康(内野聖陽)の首を取ることは力を試す最高の舞台。
幸村の建てた戦術にも「話が大きすぎて、そこが気に入った!」
このくらい豪快に生きてみたいものです。
一方、後藤又兵衛は…………
「この城に死に場所を求めてきた」
これはまずい。
死ぬために戦うなんて意味がない。
太平洋戦争の時もそうだったが、日本人は〝死を美化〟するんだよなぁ。
〝捕虜になるくらいなら死ね〟がまかり通っていた。
こんな又兵衛を幸村は諫める。
「われわれは勝つためにここに来た。勝つ気がないのなら、この城から出て行ってもらおう」
こんな逆説的な言い方も。
「ここに死に場所はない。死にたいのなら徳川につくがいい」
徳川は負けるから死にたいのならどうぞそちらで、という皮肉だ。
人が力を発揮する時はどんな時か?
〝明確な目的〟を持っている時だ。
毛利勝永は、この世で自分の力を精一杯、発揮すること。
長宗我部盛親は、家の再興。
明石全登は、キリシタン信仰。
幸村は言う。
「皆、それぞれに望みを持っている。だからこそ、われらは強い!」
………………………………………………………………
一方、そんな浪人たちの思いをまったく理解しない人たちがいる。
大蔵卿(峯村リエ)や織田有楽斎(井上順)を始めとする豊臣の人たちだ。
彼らは浪人たちの目的を<金目当て>だと考えている。
毛利勝永、長宗我部盛親、明石全登、後藤又兵衛の思いは金とはかけ離れた所にあるのに。
だから見下す。
「お主らはしょせん金で雇われた浪人たちだ。身の程をわきまえよ!」
こう言われたら、毛利勝永たちはつらい。
俺たちを何だと思っているんだ? と言いたくなる。
そう言えば、石原伸晃も環境大臣の時、福島の人たちに対して、「最後は金目でしょう」と言ったよな。
本当に寂しい人間だ。
人を金でしか判断していない。
一方、懸命に説けば、気持ちが通じることもある。
幸村の説得に心を動かされた、毛利勝永たちがそうだし、大野治長(今井朋彦)、木村重成(白石隼也)もそうだ。
木村重成は、「今の言葉、腑に落ちました」
大野治長は織田有楽斎の暴言に対し、「今の言葉、聞き捨てなりませぬ。客人に対して非礼でありましょう」
秀頼(中川大志)も、「決めた。籠城はせぬ! 打って出よう!」
密度のあるドラマでしたね。
登場人物それぞれに思いがあり、望みがあり、それゆえにぶつかり、離反もあれば、心通わせることもある。
これがドラマですよね。
脚本の三谷幸喜さんは「三谷幸喜 創作を語る」(三谷幸喜/松野大介・著 講談社)の中で、こう語っていた。
「そんなにみんな戦が観たいのかな? でも、戦にドラマはないからなあ。
もしまた大河をやらせてもらえることがあったとしたらの話だけど、たとえば戦国ものだとしたら、戦のシーンを少なくして、もしどうしても必要なら、ただ戦ってるんじゃなく、なぜ一方が勝ち、なぜ一方が負けたのかを、丁寧に描きたい。僕は理数系だから、作戦をきっちり書きたいなあ。ワーツと合戦になって、圧勝みたいな展開は観ていてつまらない」
まさに今回がそれでしたね。
※関連記事
「三谷幸喜 創作を語る」~人気脚本家の葛藤とこだわり(当ブログ)
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そして
・真田幸村(堺雅人)
彼らにはそれぞれに戦う目的があった。
・毛利勝永は、「おのれの力を試すためにここに来た」
・長宗我部盛親は、長宗我部家の再興。
・明石全登は、キリシタン信仰を守るため。
この中でも、特に〝おのれの力を試すためにここに来た〟毛利勝永がいいですね。
だから、家康(内野聖陽)の首を取ることは力を試す最高の舞台。
幸村の建てた戦術にも「話が大きすぎて、そこが気に入った!」
このくらい豪快に生きてみたいものです。
一方、後藤又兵衛は…………
「この城に死に場所を求めてきた」
これはまずい。
死ぬために戦うなんて意味がない。
太平洋戦争の時もそうだったが、日本人は〝死を美化〟するんだよなぁ。
〝捕虜になるくらいなら死ね〟がまかり通っていた。
こんな又兵衛を幸村は諫める。
「われわれは勝つためにここに来た。勝つ気がないのなら、この城から出て行ってもらおう」
こんな逆説的な言い方も。
「ここに死に場所はない。死にたいのなら徳川につくがいい」
徳川は負けるから死にたいのならどうぞそちらで、という皮肉だ。
人が力を発揮する時はどんな時か?
〝明確な目的〟を持っている時だ。
毛利勝永は、この世で自分の力を精一杯、発揮すること。
長宗我部盛親は、家の再興。
明石全登は、キリシタン信仰。
幸村は言う。
「皆、それぞれに望みを持っている。だからこそ、われらは強い!」
………………………………………………………………
一方、そんな浪人たちの思いをまったく理解しない人たちがいる。
大蔵卿(峯村リエ)や織田有楽斎(井上順)を始めとする豊臣の人たちだ。
彼らは浪人たちの目的を<金目当て>だと考えている。
毛利勝永、長宗我部盛親、明石全登、後藤又兵衛の思いは金とはかけ離れた所にあるのに。
だから見下す。
「お主らはしょせん金で雇われた浪人たちだ。身の程をわきまえよ!」
こう言われたら、毛利勝永たちはつらい。
俺たちを何だと思っているんだ? と言いたくなる。
そう言えば、石原伸晃も環境大臣の時、福島の人たちに対して、「最後は金目でしょう」と言ったよな。
本当に寂しい人間だ。
人を金でしか判断していない。
一方、懸命に説けば、気持ちが通じることもある。
幸村の説得に心を動かされた、毛利勝永たちがそうだし、大野治長(今井朋彦)、木村重成(白石隼也)もそうだ。
木村重成は、「今の言葉、腑に落ちました」
大野治長は織田有楽斎の暴言に対し、「今の言葉、聞き捨てなりませぬ。客人に対して非礼でありましょう」
秀頼(中川大志)も、「決めた。籠城はせぬ! 打って出よう!」
密度のあるドラマでしたね。
登場人物それぞれに思いがあり、望みがあり、それゆえにぶつかり、離反もあれば、心通わせることもある。
これがドラマですよね。
脚本の三谷幸喜さんは「三谷幸喜 創作を語る」(三谷幸喜/松野大介・著 講談社)の中で、こう語っていた。
「そんなにみんな戦が観たいのかな? でも、戦にドラマはないからなあ。
もしまた大河をやらせてもらえることがあったとしたらの話だけど、たとえば戦国ものだとしたら、戦のシーンを少なくして、もしどうしても必要なら、ただ戦ってるんじゃなく、なぜ一方が勝ち、なぜ一方が負けたのかを、丁寧に描きたい。僕は理数系だから、作戦をきっちり書きたいなあ。ワーツと合戦になって、圧勝みたいな展開は観ていてつまらない」
まさに今回がそれでしたね。
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