アスターテ会戦戦没者慰霊祭でトリューニヒト国防委員長はこんな演説をする。
「彼らは貴い生命を祖国の自由と平和を守らんがために捧げたのだ。
貴い生命と、いま私は言った。
まことに生命は貴ぶべきである。
しかし、諸君、彼らが散華したのは個人の生命よりさらに貴重なものが存在するということを、後に残された吾々に教えるためなのだ。
それは何か。すなわち祖国と自由である!
彼らの死は美しい。
小我を殺して大義に殉じたからだ」
ヤンはこの演説を「下品な扇動的な演説」と評し、聞くのを「徹夜以上の苦痛」と表現している。
彼は国家のために殉じることをバカらしいと考える徹底した個人主義者なのだ。
トリューニヒトはさらに演説を続ける。
「祖国あってこその個人であることを諸君は想起しなければならない。
それこそが生命にもまさって重要なものなのだ。
私は一段と声を大にして言いたい。
祖国と自由こそ、生命を代償にして守るに値するものだと。
吾々の戦いは正義なのだと!」
トリューニヒトの矛先は、反戦を説く平和主義者に向かう。
「帝国との講和を主張する、一部の平和主義者たちよ。
専制的全体主義との共存が可能だと考える、一部の自称理想主義者たちよ。
迷妄からさめよ!
諸君の行為は動機はどうであれ、結果としては同盟の力を削ぎ、帝国を利することになるのだ。
帝国においては反戦平和の主張など認められない。
自由の国であるわが同盟だからこそ、国策への反対が許されるのだ。
諸君はそれに甘えている!
平和を口で唱えるほどやさしいものはない」
この言葉は2022年のネトウヨさんが言っていることと同じだな。
仮にどこかの国と戦争になれば政治家も言い出すだろう。
そして国民に犠牲を強いる。死を讃美し、国のために命を捨てろと言う。
トリューニヒトは続ける。
「私はあえて言おう。
銀河帝国の専制的な全体主義を打倒すべきこの聖戦に反対する者は、すべて国を害(そこ)なう者である。
誇り高き同盟の国民たる資格を持たぬ者である!
自由な社会と、それを保障する国家体制を守るため、死を怖れず戦う者だけが、真の同盟国民なのだ。
その覚悟なき卑劣漢は英霊に恥じよ!」
このトリューニヒトの言葉をどう考えるかは、皆さんにお任せします。
ただ、「そのとおりだ!」と素直に同意して心酔するのはお薦めしません。
立ち止まって考えて、違和感を抱くくらいがちょうどいいと思います。
ちなみにヤンは、このトリューニヒトの演説に皆が「万歳!」をして立ち上がる中、ずっと座っている。
「貴官、なぜ起立せぬ!?」と問われると、
「この国は自由の国です。
起立したくないときに起立しないでよい自由があるはずだ。
私はその自由を行使しているだけです」
と答える。
アスターテ会戦で恋人のジャンを失ったジェシカ・エドワーズは演台のトリューニヒトの前にやって来て、こう尋ねる。
「委員長、あなたはどこにいます?
死を賛美するあなたはどこにいます?
あなたの演説には一点の非もありません。
でもご自分がそれをなさってるの?」
この場面、僕は『銀英伝』の中でも屈指の名シーンだと思っている。
まあ、ヤン自身も言っているとおり、ヤンもジェシカも子供なんですよね。
ヤンが養っている少年ユリアンにもたしなめられる。
「どうしてまた!
内心で反対でも、立って拍手してみせれば無事にすむことじゃありませんか。
他人には表面しか見えないんですからね」
ユリアンの方がずっと大人!笑
しかし、起立しないのがヤンなのだ。
決して長いものに巻かれない。
ヤンはこんなことも思っている。
いつでも、王様は裸だと叫ぶのはおとなではなく子供なのだ。
「彼らは貴い生命を祖国の自由と平和を守らんがために捧げたのだ。
貴い生命と、いま私は言った。
まことに生命は貴ぶべきである。
しかし、諸君、彼らが散華したのは個人の生命よりさらに貴重なものが存在するということを、後に残された吾々に教えるためなのだ。
それは何か。すなわち祖国と自由である!
彼らの死は美しい。
小我を殺して大義に殉じたからだ」
ヤンはこの演説を「下品な扇動的な演説」と評し、聞くのを「徹夜以上の苦痛」と表現している。
彼は国家のために殉じることをバカらしいと考える徹底した個人主義者なのだ。
トリューニヒトはさらに演説を続ける。
「祖国あってこその個人であることを諸君は想起しなければならない。
それこそが生命にもまさって重要なものなのだ。
私は一段と声を大にして言いたい。
祖国と自由こそ、生命を代償にして守るに値するものだと。
吾々の戦いは正義なのだと!」
トリューニヒトの矛先は、反戦を説く平和主義者に向かう。
「帝国との講和を主張する、一部の平和主義者たちよ。
専制的全体主義との共存が可能だと考える、一部の自称理想主義者たちよ。
迷妄からさめよ!
諸君の行為は動機はどうであれ、結果としては同盟の力を削ぎ、帝国を利することになるのだ。
帝国においては反戦平和の主張など認められない。
自由の国であるわが同盟だからこそ、国策への反対が許されるのだ。
諸君はそれに甘えている!
平和を口で唱えるほどやさしいものはない」
この言葉は2022年のネトウヨさんが言っていることと同じだな。
仮にどこかの国と戦争になれば政治家も言い出すだろう。
そして国民に犠牲を強いる。死を讃美し、国のために命を捨てろと言う。
トリューニヒトは続ける。
「私はあえて言おう。
銀河帝国の専制的な全体主義を打倒すべきこの聖戦に反対する者は、すべて国を害(そこ)なう者である。
誇り高き同盟の国民たる資格を持たぬ者である!
自由な社会と、それを保障する国家体制を守るため、死を怖れず戦う者だけが、真の同盟国民なのだ。
その覚悟なき卑劣漢は英霊に恥じよ!」
このトリューニヒトの言葉をどう考えるかは、皆さんにお任せします。
ただ、「そのとおりだ!」と素直に同意して心酔するのはお薦めしません。
立ち止まって考えて、違和感を抱くくらいがちょうどいいと思います。
ちなみにヤンは、このトリューニヒトの演説に皆が「万歳!」をして立ち上がる中、ずっと座っている。
「貴官、なぜ起立せぬ!?」と問われると、
「この国は自由の国です。
起立したくないときに起立しないでよい自由があるはずだ。
私はその自由を行使しているだけです」
と答える。
アスターテ会戦で恋人のジャンを失ったジェシカ・エドワーズは演台のトリューニヒトの前にやって来て、こう尋ねる。
「委員長、あなたはどこにいます?
死を賛美するあなたはどこにいます?
あなたの演説には一点の非もありません。
でもご自分がそれをなさってるの?」
この場面、僕は『銀英伝』の中でも屈指の名シーンだと思っている。
まあ、ヤン自身も言っているとおり、ヤンもジェシカも子供なんですよね。
ヤンが養っている少年ユリアンにもたしなめられる。
「どうしてまた!
内心で反対でも、立って拍手してみせれば無事にすむことじゃありませんか。
他人には表面しか見えないんですからね」
ユリアンの方がずっと大人!笑
しかし、起立しないのがヤンなのだ。
決して長いものに巻かれない。
ヤンはこんなことも思っている。
いつでも、王様は裸だと叫ぶのはおとなではなく子供なのだ。