平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

美しい国……?

2007年01月31日 | 事件・出来事
安倍首相の「美しい国」、野党のやり玉に 参院代表質問(朝日新聞) - goo ニュース

 そう、今の日本は全然「美しい国」でない。

 政治家は発言に責任を取らないし、企業もマスコミもウソだらけ。
 政治家は私欲や保身でなく、国民のために政治をする。
 企業は利益第一主義でなく、いい商品・製品を世の中に出す。
 マスコミはウソを言わない。
 こうすれば「美しい国」ができるはず。

 ただ世の中をつらつら眺めるに、恐らく「悪いこと」の方が「良いこと」の方が強い。
 正義は勝つ!はエンタテインメントの王道だけれど、実は悪の方が勝ちやすい。
 例えば厳しい品質管理をやって材料も吟味している食品は当然原価が高い。
 一方、品質管理に人件費をかけず材料も消費期限切れ物を使えば、原価は低くなる。
 利益が上がるのは当然後者の方。
 だから悪は勝ちやすい。
 バレなければ。

 もうひとつ例をあげれば、十分に調査検証したテレビ番組は当然制作費がかかる。手間ひまがかかるわけだから。
 一方、実験もやらずに制作したテレビ番組は制作費がかからない。紙の上で適当に考えたことをもっともらしく映像にすればいいのだから。
 だから悪は勝ちやすい。
 バレなければ。

 それは昨年の建築偽装問題、ホリエモン、すべてに共通していること。
 そして、これらバレてオモテに出ているのは氷山の一角。
 正直者はバカをみる。
 自分はバレないだろうと思うから、地道に誠実に取り組むことを放棄してしまう。

 安倍首相の「美しい国」はそんな情況を「道徳」から改善しようとしている様だが、理論・理屈は弱い。
 目の前にお金が積まれれば、多少の道徳は吹っ飛んでしまう。
 あるいは「道徳」を説くのなら、政治家自らが正さなければならない。
 「道徳」を説く政治家が正さないのだから、何で自分たちがする必要がある?は庶民の正直な感情。

 あるいは「道徳」のある国、「美しい国」を目指すのであれば、「年金」や「格差是正」を第一の政策にしなければならないと思う。
 みんな将来が不安だからお金のために多少道徳に反することをやるのだと思う。
 お金のない人は正直に生きてきて自分は損していると思っている。
 お金のある人はそうやって得をしてきているから、もっとおいしい話はないかと思う。

 連日の事件はつらいです。
 だからこそ美しい物語に浸りたいと思ってしまう。
 だからこそ物語の中で「正義は勝つ」と言ってほしいと思う。
 安倍さんはちょっときついな。
 当初の方向が違っているばかりか、最近は迷走している。
 かと言ってそれに代わる人は誰かと言えばいないのだが。

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ジーキル博士とハイド氏

2007年01月30日 | 小説
 善良なるジーキル博士と悪のハイド氏。
 この作品のモチーフは非常に有名だが、そこに描かれているドラマはあまり知られていない。

 まずこの作品は非常にミステリー仕立てである。
 ジーキル博士の真実を知らない友人たちは、博士がハイド氏に脅迫されているのではないかと思う。
 それは遺言状のせいだ。
 遺言状には「自分が死んだら財産はハイドに譲るよう」に書かれていた。
 脅迫されてこんな遺言状を書かされていると考えた友人たちはハイドと手を切るようにジーキルに言う。
 またハイドは殺人事件を起こしてしまうが、それを機に忽然と姿を消す。
 一通の手紙を残して。
 そこにはハイドの名がジーキルの筆跡で書かれている。
 友人たちはなぜジーキルが殺人犯人の手紙を偽装したのかわからない。
 そしてジーキルの理由のわからない引きこもり。
 ジーキルは「自分は孤独な生活を送るつもりだ。自分のことは構わないでほしい」という手紙を友人に送る。
 作品では、これらジーキルの謎の行動が次々と描かれていく。
 博士はなぜこの様な行動を取るのか? 
 読者はジーキルの友人たちの視点でこの謎を追っていくうちに、例の「二重人格」という衝撃の事実に行き当たる。
 それはミステリーでいう謎解きであるが、その謎がジーキルとハイドの「二重人格」であったというのは、この作品が発表された時代を考えれば衝撃であったろう。

 この様に「ジーキル博士とハイド氏」は、単なるホラー小説の古典ではなくミステリーとして現代でも十分通用する作品である。
 また、ジーキル博士の人物像もすごい。
 それは博士の手記という形で示されるが、それは優れた人間のドラマである。

 まずジーキル博士は人間の探求者であった。
 博士は自分の中にある「善良懸命な市民としての気質」と「快楽にふける自分の気質」に悩んでいた。
 「苦悶する意識の胎内にこの両極端の双生児が絶えず相争っていること、これが人生の災いである」とジーキルは考えている。

 そしてジーキルは悩んではいたが、科学者として自分を客観的にとらえる術を心得ていた。
 すなわち「わたしは甚だしい二重人格者ではあったが、偽善者ではなかった。善悪両方面ともひとしく真剣であった。日中公然と学問の進歩なり悩める人々の救済なりのために精進している時も、自制を失って破廉恥に憂き身をやつしている時もひとしく真剣なわたし自身たるに変わりはなかった」と自分の善悪両面をとらえ、ある結論・真理を得る。
 すなわち「人間は実は単一の存在ではなく二元的な存在である」
 性善説・性悪説があるが、そのどちらかでなく善悪両方備えているのが人間だと言うのだ。
 そして、その後のジーキルの行動がすごい。
 まさに科学者だ。
 科学者ジーキルは「善なる人格」と「悪の人格」を切り離す薬を作り出そうと考えるのだ。
 切り離すことが出来れば「善なる人格」は悪の恥辱や悔悟に悩まされることなく善のみに身を委ね、「悪の人格」は罪の意識なく悪に耽ることが出来る。
 現在で言えば、性犯罪者を去勢するための薬とでも言うのだろうか、それをジーキルは発明し、自分自身に投与した。
 しかし薬は不完全で人格は破壊され、やがて悪の人格の方が勝ってしまう。

 善よりも悪が勝っている。
 善よりも悪の方が強い心の欲望である。
 ジーキルの最期はそれを物語っている様にも思えるが、これは作者スチーブンソンの人間観であろうか。
 いずれにしても「ジーキル博士とハイド氏」は、ミステリー仕立ての展開といい、「善と悪」「多重人格」という今日的なテーマを扱ったことといい、現代に通用するエンタテインメント作品である。 

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華麗なる一族 第2・3話

2007年01月29日 | その他ドラマ
 この作品は父と子の対立という図式を様々な形でふくらましてドラマにしている。
 第2話・3話では万俵鉄平(木村拓哉)の高炉建設。
 阪神銀行の融資に父・大介(北大路欣也)との対立が絡む。

 その対立の理由は母から父を奪い、自分から芙佐子(稲森いずみ)を奪った高須相子(鈴木京香)をめぐるもの。
 大介のじいさんへのコンプレックス。拡大して鉄平へのコンプレックス。(大介はじいさんに言われた。「おまえは金を動かす才能はあるが、物を作る才能はない。鉄平の方が器は上だ」)
 まだ対立の理由はある。
 金融再編を戦い、生き残るために融資に慎重にならざるを得ない頭取としての事情。
 母と相子、ふたりの女を愛している父親の欺瞞。
 理由がひとつだけでなく複数設定されている所がさすが。
 これでドラマに説得力と深味が出る。

 しかも鉄平と対立する大介の側にもちゃんとした論理がある。
 相子は家を切り盛りできない寧子(原田美枝子)の代わりに必要な存在。(母・寧子も自分ひとりでは大介を支えられないと言う)
 政略結婚も万俵家には必要なこと。
 社員とその家族を守らなければならない頭取としての責任。
 対立する側にも正当な理屈がある所が山崎豊子作品の魅力だ。

 ドラマはこの対立図式の中で発展していく。
 先程の高炉建設費の融資に関しては10%(20億)の融資カット。
 これを大介は「親子の感情を抜きにした銀行の頭取としての正しい判断である」と言う。
 銀平(山本耕史)の結婚。
 銀平は母親の自殺を目撃して心の冷え切ってしまった男だが、過酷なノルマで銀行の支店長が死んでしまったことを責める。
 しかし、その支店長の死までを利用して銀行の人間の心をひとつにする手腕にかなわないと思う。
 「お父さんには勝てませんよ」
 そう言って政略結婚を受諾する。
 そして二子(相武紗希)の結婚。
 二子には四々彦(成宮寛貴)という好きな人がいる。

 そして、こうした対立のドラマの中に社会の仕組み、カラクリを描いていく。
 義理の父である政治家の口利きで三栄銀行の融資を取りつける鉄平。
 義理の息子である大蔵省官僚の裏情報から銀行乗っ取りをたくらむ大介。
 高炉建設の認可が局長級の官僚に握られ、官僚に通じている帝国製鋼が邪魔をしている実態。その邪魔も政治家のひと言でなくなるという実態。
 そして政治家や官僚を動かすために使われる金。
 世の中のカラクリが見えてくる。
 結局、上にいる人間が得をする。
 上にいなければ認可も下りないし、情報も下りてこない。
 鉄平のみが仕事に対する熱意と信念で人を動かしていくが、それがどこまで通用するか?
 また鉄平は義理の父である大川(西田敏行)を使って高炉建設の認可や三栄銀行の融資を取りつけるが、これは大きな矛盾。自分も相子の進める政略結婚の恩恵を受けている。(来週はこの矛盾が表面化しそう)
 鉄平の理想は実現されるのか?
 巨大権力に立ち向かう理想。
 これも山崎豊子の小説の基本構造。
 「白い巨塔」の里見しかり「沈まぬ太陽」の恩地しかり。
 今後の展開が楽しみ。

 最後に大介と大蔵省の官僚である美馬中(仲村トオル)のやりとり。
 過酷なノルマ、上方修正で支店長を死に追いやってしまった大介に美馬は言う。
「銀行というところは怖ろしい」
 しかし大介も返す。
「そうするようにし向けたのは大蔵省ではないか」
 金融再編という大蔵省の政策によって自分は部下に過酷なノルマを課さなくてはならない。
 こうリアクションできる所がドラマを面白くする。

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バガボンド

2007年01月28日 | コミック・アニメ・特撮
「バガボンド」第1巻。
 ここでは又八との対比を使って武蔵が描かれる。
 ふたりのリアクションが違うのだ。

 例えば関ヶ原の負けいくさ。
 武蔵は仰向けに天を見つめ、又八はうつ伏せで後悔ばかりしている。
 これでふたりのキャラがくっきり浮かび上がる。
 西軍の残党狩りとの戦いでもそう。
 又八はうろたえ泣き叫ぶばかりだが、武蔵は戦う。
「俺を殺す気なら、殺してやる」
 武蔵の戦いぶりはとても剣術と言えるものではない。
 ただ類い希な膂力で圧倒するのみ。
 だが目が違う。
 狂気とも言える強い目。
 うろたえる又八のリアクションと共に、この目で武蔵がただ者でないことが読者に伝わる。

 武蔵と又八のリアクションの違いは、お甲、朱美に出会った時にも現れる。
 まず女たちはこのふたりの男を前にして、武蔵を選ぶ。
 武蔵の方が男前だしたくましい。
 だから女たちは武蔵を選ぶ。
 だが武蔵は女たちを相手にしない。女たちに関心を持たない。
 一方、又八は軟派。
 お甲に夜這いをかける。
 夜這いをかけたのが又八であることがわかるお甲。
 お甲は又八を受け入れる。
 自分に関心を示さない武蔵より夜這いをしてくる又八というわけだ。
 この辺、お甲は女。
 作者は女というものを描いている。

 そしてお甲の夫を殺した野武士の辻風典馬が登場。
 お甲に惚れている典馬はいろいろちょっかいを出してくる。
 そしてお甲が自分のものにならないとわかると、刀を使ってくる。
 戦う武蔵。
 例の狂気の目が再び登場。
 そしてここでも又八との対比が。
 武蔵が野武士たちと戦う中、又八は隠れている。
 刀が家の中にあることを理由にして。
 そして又八のもとにやってくるお甲。
 ふたりは武蔵が戦っているにもかかわらず、外でまぐわう。
 戦いの血が性欲を呼んだのか、性の中で恐怖の現実を忘れたかったのか、はだかで抱き合うふたり。
 血しぶきをあげて殺し合いをしている男とまぐわう男女。
 客観的に見れば、すごい描写だ。
 そしてここでも又八と対比することで武蔵を浮き彫りにする。
 すなわち
『戦いの修羅の中に生きる武蔵と女の肌の中に生きる又八だ』

 あるいはこんな描写もある。
 許嫁のいるおつうのいる故郷に帰るという又八。
 そんな又八に武蔵は言う。
「俺はもう戻らぬつもりで村を出た。今日からは流浪が望みだ」

 この様に対照的な人物を置くことで主人公を見事に描ききった「バガボンド」。
 見事な筆力だ。
 なお、作者の井上雄彦はこのふたりの生き方のどちらが正しいかは言っていない。
 それはこらから展開されるこの作品のテーマでもあるからだ。

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プリズンブレイク 第13・14話

2007年01月27日 | テレビドラマ(海外)
 第13話・14話はクライマックス、ついに脱獄!
 ハラハラドキドキの展開。
 作者はマイケルにこれでもかこれでもかという試練を与える。

 第13話ではこう。
 リンカーンが穴を発見されるのを防ぐため看守を殴り、独房に入れられてしまう。
 逃走ルートを用意するアブルッチはティバッグに刺されてしまう。
 計画延期を考えるマイケルだが、シーノートら仲間たちは決行するという。(これも試練・障害)。
 マイケルは独房にいるリンカーンを何とか連れ出す方法はないかと考える。
 そして思いついた方法は医務室。
 ネタバレになるので詳しくは書かないが、医務室にリンカーンを連れてくることに成功するマイケル。
「ショウタイムだ。揃って外で会おう」
 そう言って仲間と共に穴の中に入っていくマイケル。
 しかし、医務室に通じる鉄柵は新しいもので閉ざされていて。
 次から次へと試練が襲う。

 第14話での試練はこうだ。
 計画を断念して戻るマイケルたち。
 リンカーンの死刑執行は明日に迫っている。
 マイケルは過去に死刑執行が延期された例があることを仲間のウエストモアラントから聞く。
 それは次の様なことだ。
「電気椅子が故障したら、再度書類を提出しなければならず執行は3週間延期される」
 マイケルはネズミを使って電気椅子をショートさせる(ネズミのしっぽはアースの役割をするらしい)が、ここにも新たな試練が……。
 看守のスパイをやっていた囚人が偶然、マイケルたちの会話を聞いたのだ。
「電気椅子がうまく動かないと刑は延期されるとマイケルが話していた」
 これを聞いた看守長は椅子を調べ、死んでいるネズミを発見する。
 電気椅子の技術者は椅子のヒューズを替えるのにも書類の提出が必要だと言うが、看守長は俺たちだけが了解していればいいこと、と言って無理やりヒューズを交換させてしまう。(小技だがこれも試練・障害) 
 絶体絶命。
 マイケルは医師のタンクレディに父親を説得する様に頼む。
 彼女の父親は州知事だ。
「死刑廃止論者の自分と父は対立している。私が話したら機嫌を損ね、かえってマイナスだ」と拒むタンクレディ。(小技だがこれも試練・障害。こういう小技の障害が物語にリアリティを与える)
 それでもマイケルは説得し、タンクレディを動かす。
 タンクレディは「娘からだと思わなければ、客観的に見られるじゃない」と言って、リンカーンの弁護士がまとめた資料を父親に渡す。
 州知事の父親は「自転車をおねだりするのとは違うんだぞ」と言って拒むが、それでも資料を読むことを約束する。
 しかし州知事は黒幕の副大統領に「あなたは党と国に多大な貢献をした」と言って丸め込まれ、「リンカーンの減刑はない」と刑務所長に言い渡す。
 これでEND。
 リンカーンは死刑を待つのみになる。
「これ以上、希望を持たせるな。普通のたわいない話をしよう」とリンカーンはマイケルに言う。

 この様に主人公に手を変え品を変え試練を与えていく「プリズンブレイク」。
 描かれている試練はこれだけではない。
 塀の外からリンカーンを救おうとする弁護士ベロニカの動きだ。
 ベロニカは自分のやっていることに嫌気のさしたシークレットサービスのダニエル・ヘイルから次のような連絡を受ける。
「リンカーンの無実を証明する証拠を持っている」
 しかし、ダニエルは同僚のポール・ケラーマンに殺されてしまう。
 ベロニカは再審請求の裁判でこのことを判事に告げるが、ダニエルもケラーマンもSSには所属していないと言う。
 偽造の証拠テープがガス爆発と倉庫の水浸しで隠滅されたことも話すがいずれも情況証拠でしかない。
 これでEND。
 リンカーンの死刑執行。
 絶体絶命。
 こうした物語の成否は、時間内に大技・小技を含めて障害をいかに詰め込むかにある。
 この点で13話・14話は「プリズンブレイク」の中でも出色の出来だ。
 さて、次回の展開は?

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LOST 第3話・4話・5話

2007年01月26日 | テレビドラマ(海外)
 第3話はケイトの話。
 手錠をはめられ、連行されていたのはケイトだった。
 落下事故で怪我をし意識を失っていた刑事はジャックに言う。
「あいつは危険な女だ。騙されて手玉に取られるな」
 今まで描かれていた正義感の強い勇気ある女性とは正反対のケイト像。
 見事に視聴者を裏切って面白くしている。
 そして作者は回想の中でケイトの過去を語る。
 逃亡していたケイト。
 ある牧場にたどり着き、牧場主の好意で生活させてもらうことになるが、ケイトに賞金が掛けられていることを知った牧場主は彼女を警察に売ってしまう。牧場主には借金があったのだ。ケイトの賞金があれば借金を返せる。
 車でケイトを連れて行こうとする牧場主。そこに警察の車が来て、ケイトはハンドルを奪ってカーチェイス!
 結局、車は横転し、牧場主は死んでしまう。
 これがケイトが捕まるまでの顛末。
 世話になった牧場主を結果として殺してしまったケイト。
 そのことに刑事は「ケイトは危険な女だ」と言うのだが、後にケイトからこんな質問をされる。
「死んだ牧場主の家族は私の賞金を受け取ったのか?」
 彼女は自分を売った牧場主を恨んでいなかった。むしろ死なせてしまったことを気にしていた。
 これでケイトの人間性が描かれる。

 ラストは上質の短編小説の様。
 自分の過去を知ってしまったジャックにケイトはどう対していいかわからない。
 自分のことを軽蔑し、嫌ってしまったのではないかと思う。
 そんなケイトに対しジャックは言う。
「3日前に俺たちは全員死んだ。そこから始めればいい」
 過去を捨てて生きようとジャック。
 見れば、他の遭難者たちにも新しい関係ができている。
 イラク人だからという理由で憎んでいたサイードにソーヤが飲み物を渡す。
 ロックは少年ウォルトの捜している犬を掴まえ、父親に渡す。
「犬は父親のおまえが見つけたと言ってウォルトに渡すのがいいだろう」
 父親とウォルトの親子がうまくいっていないのを知って、ロックが気をつかったのだ。
 遭難して3日。
 新たに築かれ始めた人間関係。
 それを「3日前に俺たちは全員死んだ。そこから始めればいい」という言葉と絡ませて見事に描いた。
 あざやかな短編小説の様な作劇だった。

 第4話・5話も登場人物ひとりひとりにスポットを当てた話だった。

 第4話はロックの話。
 食べ物であるイノシシを掴まえたロックは、その名のとおり逞しい男。
 サバイバルにも通じている。
 しかし、それは知識だけのもので。
 実は彼は車椅子で生活していた男だった。
 ところが島に来て足が立つようになって。
 このエピソードで島の「不思議な力」「謎」を視聴者に提示した。

 第5話はジャックの話。
 みんなのリーダーであるジャックも実は弱い男だった。
 人の苦しみに感じやすい男であるジャックはリーダーになれないと思っている。
 リーダー、指導者であれば、時には非情な判断をしなくてはならない。
 例えばみんなが生き延びるためには、ひとりの犠牲は仕方がないと考えられる様な。
 自分にはそれが出来ないと考えるジャック。
 作者は今まですべての人に献身的に尽くしてきたジャックの行動の理由をさらに掘り下げた。
 彼は感じやすいから、すべての人を救おうとするのだ。やさしくするのだ。
 それが彼の弱さであり、他人の目にはたくましく強く見える行動の原動力であった。
 この人間観が素晴らしい。
 
 さて、この様に主要人物の過去と心の中を描いていった「LOST」。
 そろそろ新しい展開がほしい所だが、次回以降何を見せてくれるのだろう。

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SAW

2007年01月25日 | 洋画
 老朽化したバスルーム。
 鎖に繋がれた男たち。
 中央に自殺した死体。

 ホラー映画は「非日常」。
 いきなりこの「非日常」のシーンからドラマはスタートする。
 このインパクト!
 さらに恐怖は深まる。
 殺人鬼ジグソウキラーからのメッセージ。
 「家族とおまえが生きのびるためにアダムを殺せ。6時間以内に」
 ズボンのポケットや財布などから出て来るキイワードを書いたメモ。
 メモをたどっていくと、のこぎりや着信専用の携帯電話などのアイテムが発見される。
 そして会話の中で語られる殺人鬼ジグソウキラーによる過去のいまわしい犯行。
 その奇怪な姿。

 新しいホラーのスタイルだ。
 まず「非日常」から始まる。
 「13日の金曜日」など通常は日常シーンから「非日常」が訪れるが、この作品は逆。
 そして、そこに置かれた「物」が意味を持ち、恐怖のアイテムになってくる。
 例えばのこぎり。
 これは脱出したければ、自分の足をそれで切断しろという犯人のメッセージ。
 怖い。
 そして満を持して登場する犯人ジグソウキラー。
 過去、ジグソウキラーの起こした事件はどれも悲惨。
 アマンダという女性は時間が経つとアゴを引き裂かれ死に至る装置を頭に付けられている。アマンダが助かるためには、目の前にいる男を殺し、胃にある鍵を取り出さなくてはならない。
 作品はこれらを回想の映像で見せる。
 ここで陰惨なスプラッターシーンを見せ、観客をさらなる恐怖に導くという仕掛けだ。

 この様に今までとは違った文体で表現されたこの作品。
 さて次なる恐怖は何か?
 当事者であるふたり(ドクター・ゴードンとアダム)だ。
 作家は彼らに恐怖の叫び声をあげさせなければならない。
 しかし「6時間」というタイムリミットがあるため、彼らはそれまで恐怖に取り憑かれない。理性でこの急場を解決しようとする。
 ここがこの作品の弱い所。
 主人公たちはまだ安全な所にいるから、少し中だるみ。

 作家はこの中だるみを埋めるために、監禁されるゴードンの家族の恐怖シーン、ジグソウキラーを追う刑事のひとりが殺されるシーン、ゴードンとアダムの秘密を描いた。
 それはそれでシーンとして怖いのだが、やはり主人公たちの危機までに時間があるから恐怖が盛り上がって来ない。
 「部屋に誰かいると言って突然襲われる娘」「殺人鬼のアジトでマネキンの赤い布を一枚一枚めくっていく刑事」「アジトに帰ってくる殺人鬼」のひとつひとつは怖いが、それぞれが独立していて積み重ねられた恐怖ではない。

 さてこのジグソウキラーという殺人鬼。
 犯行の動機は「人が生命を大事にしないこと」。
 他人の命を奪って生き延びることで、命の大切さを認識しろというのが彼の主張。
 面白い。
 人の命を奪う殺人鬼が「命を大事にしよう」と言う。
 ギャグと言えばギャグだし、狂気と言えば狂気になる。
 そして、ネタバレになるので書かないが、この主張がラストの驚くべき犯人の正体に繋がっている。

★追記
 作家は「6時間以内にアダムを殺せ」というプロットだけでは物語を展開できないと思ったのか、「ジグソウキラーを追う刑事」というもうひとつのプロットを置いた。刑事はドクター・ゴードンを犯人だと睨み、カメラマンに彼を追わせる。そしてカメラマンが撮った写真の中に犯人の顔が……。
 ひとつのプロットで展開が難しくなった時、別のプロットを置いてみる。
 覚えておきたいテクニックだ。
 そして、この2プロットが物語を錯綜させ、犯人の正体を驚くべきものにした。
ミステリーには有効な手法であろう。
(「犬神家の一族」なども同じだった。犯人と静馬の2つのプロットが事件を複雑にした) 


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シュガー&スパイス

2007年01月24日 | 邦画
「女の子に扱い方は××××××」
 ××××の部分を聞いていたら、彼女はずっと自分のそばにいたかもしれない。
 そんな男の子の物語。

 志郎(柳楽優弥)は本当の恋愛をしたことのない男の子。
 誰かに強い感情をぶつけたことのない男の子。
 他人に対してクールというか臆病なのだ。
 裏切られて手酷い傷を負うのがイヤなのだ。(劇中では彼女に裏切られて「彼女の顔を見るのも嫌だ」「彼女を奪った友だちを殺してやる」「自殺してやる」と叫ぶ志郎の友人が登場する)
 誰かに振りまわされるのを嫌う志郎。
 心の葛藤を嫌う志郎。
 一方、そうやって心を閉ざして他人と関わらずにいるから、志郎は自分の気持ちも考えていることも把握できない。
 人は他人とぶつかって初めて自分を確認できる。

 そんな志郎が乃里子(沢尻エリカ)に出会った。
 一目で好きになる。
 でも彼女は裏切られた男のことが忘れられない様子。
 また他人に心を閉ざす臆病な性格ゆえ、志郎はなかなか彼女に一歩を踏み出せない。距離を縮められない。
 乃里子にキスしようとして「いや」と言われてひるんでしまう。
 一方、乃里子。 
 傷ついている乃里子は志郎の優しさに安らぎを見出す。

 ふたりはバイトの帰り道などに会話を重ねて……。
 志郎は初めて本当の恋愛を知る。
 他人に対して強い感情を抱く。
 雨の中、志郎が「君が好きだ」と叫ぶシーンは感動的だ。
 それは志郎が心を開いた瞬間。
 ひとつ大人になった瞬間。

 しかし、志郎にはさらに学ぶべき事が待っている。
 乃里子の別れた男が再び現れる。復縁を迫る。
「来るのが遅いよ」と乃里子は叫ぶが、気持ちは揺れる。
 志郎はそんな乃里子を黙って見つめている。
 志郎は思う。
「何かが壊れそうになった時、僕は優しく見ていることしかできない」
「クリスマス。僕は彼女が来てくれるのを信じて待っている」

 クリスマス。
 果たして乃里子は志郎の前に現れなかった。
 彼女が乗ったのは、元カレの車。
 苦しい。
 悔しい。
 悲しい。
 やはり恋なんてしなければよかったと思う志郎。
 そして思う。
 「優しく見ている」だけではダメだったのだ。
 「彼女を信じている」だけではダメだったのだと。

 志郎の祖母(夏木マリ)は言う。
「女の子の扱い方は、シュガー&スパイス」
 志郎はシュガーであってもスパイスではなかった。
 スパイスとはタフに強引に彼女を奪い取ること。
 しかし、それに気づいたのもあとの祭り。
 乃里子は既に去ってしまった。

 苦い青春映画である。
 でも青年はその苦さを噛みしめて、何かを学んでいく。
 大人になっていく。
 それは苦しい体験であったが、心を閉ざした以前の志郎の生活よりはずっといいこと。
 
 映画の宣伝では『多くの女性の共感を集めた作品』と表現された様だが、内容は男の子の物語。
 沢尻エリカの歯並びってあまりよくないんだなと気づいたのもこの作品だった。

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涙そうそう

2007年01月23日 | 邦画
 洋太郎(妻夫木聡)、カオル(長澤まさみ)の兄妹。
 血はつながっていないふたり。
 お互いを大好きなふたり。
 そんなふたりが、兄妹の距離を保っている所がいい。
 特にカオルは洋太郎に恋愛に近い感情を抱いているが、それを打ち消して必死に葛藤している所がいい。
 やはり葛藤がドラマを作る。
 兄妹愛か恋愛か?
 この入り交じった複雑な感情がドラマの味になる。

 さて、この兄妹。
 当然、洋太郎はカオルと血が繋がっていないことを理解している。
 洋太郎の母はカオルの父と再婚し、小学生の洋太郎はカオルに出会った。
 その後、母は病気で亡くなり、義父は彼らのもとを去った。
 一時は祖母の家に預けられたが、カオルの高校入学を機に自分のもとに引き取った。
 洋太郎は兄として、時に父親としてひたすら妹の幸せを願って懸命に働く。
 一方、カオル。
 実は兄と血が繋がっていないことを知っている。
 洋太郎には知らないふりをしているが。
 そして彼女は怖れている。
 もし、血が繋がっていないことを知っていることを兄に知られてしまえば、兄妹の関係は崩れてしまうことを。
 兄を失いたくない。
 その想いから必死で隠すカオル。
 妹として懸命に振る舞うカオル。

 しかし、わかってしまう時がある。
 洋太郎は彼らを捨てた父親に出会う。
 そして父親は血が繋がっていないということをカオルは既に知っていると洋太郎に語る。
 その事実を知らされて、洋太郎は戸惑う。
 カオルの自分に対する感情を薄々感じていたが、兄妹という関係だから取れていた距離感。それが崩れてしまう。
 兄と妹でいられなくなると考えたふたりはカオルの大学進学を機に、別々に住むことを決心する。
 そして家を出る時、カオルは言う。
「愛してるよ。好きだよ」
 兄として愛しているのか、男として愛しているのかわからない、複雑な「愛している」。
 このドラマのクライマックスだ。
 積み上げて来た心の葛藤が爆発する瞬間。
 洋太郎はふたりの写真の貼り付けられた古いアルバムを渡し、カオルは兄と過ごした家に大好きなウサギのぬいぐるみ(ふたりが初めて出会った時のきっかけの品)を置いていく。
 いずれもふたりにとっては思い出の品。
 兄に背を向けて歩いていくカオルは指で鼻をつまむ。
 これは幼い時、兄に教えてもらったこと。
 涙が出そうな時、こうすると涙が引っ込む。
 この作品、ぬいぐるみと言った小道具や動作の使い方がうまい。
 効果的に人物の気持ちを表現している。

 そして別々に暮らすことになって2年、カオルが成人式を迎えようとする時、もうひとつある事件が起きる。 
 これはネタバレになるので書かないが、少し唐突な感じ。
 2時間という映画の時間にカオルの高校入学から成人式まで5年間を描くのは少しキツイ。
 あと1時間かけて描いていたら、もっと感動的な作品になっていただろう。

 それにしてもこんな立派な兄がいたら、なかなか妹は他の男に恋できないでしょうな。

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風林火山 第2・3回

2007年01月22日 | 大河ドラマ・時代劇
 この物足りなさは何だろう?
 第2話・3話の勘助(内野聖陽)の心のドラマはこうである。

 「どこにも居場所のない勘助が唯一見つけた居場所はミツのいる所」

 故郷に帰っても疎まれる勘助。
 大林の義母は当然、自分の腹を痛めた子を可愛がり、信じていた義父も息子の出世のために勘助の持ってきた首を使った。
 大林の名を捨て、本来の山本姓に戻る勘助だが、今川への仕官はならない。
 逆に今川の福島越前守の裏切りを知ってしまったため、兄から命を狙われることに。
 こうして勘助は故郷に居場所を失った。
 そして甲斐。
 ここで勘助は赤部を斬った男として敵とされている。
 当然、仕官などかなわない。
 ここでも居場所をなくしてしまった勘助。
 唯一の居場所はミツ(貫地谷しほり)。
 ミツは勘助の子を宿しているが、彼はそれを受け入れられない。
「誰の子かわからぬ」と言い、「その命、わしには受け取れんのじゃ」と言う。
 ミツにしてみれば、つらい言葉。
 それでもミツは勘助を愛している。
 勘助の軍配で偉くなりたいという夢を理解しているのだ。
 彼の夢を自分や子供のために潰してはいけないと思っている。
「本当にここにいていいのか?」と勘助に問う。
 そして勘助。
 今まで「誰にも求められなかった」「誰も導けなかった」彼が、ミツには求められている。導いてくれることを求められている。
「ミツを城だ」と言い、「ミツのためにいくさをしたい」と言う。
「人はおのれの求められている場所で生きるのが最も幸せなのだ」と言う。

 以上が第2話・3話のドラマ部分だ。
 物語としては実に感動的なのだが、今ひとつ物足りない。
 原因を考えてみると
 ひとつはその他の余分な要素が多すぎる。
 後の展開のために信虎(仲代達矢)と晴信(市川亀治郎)の対立は描いておかなくてはならないが、晴信がうつけを偽り、自堕落な生活をしたり、板垣信方(千葉真一)が歌を披露する下りは描かなくてもいいし、後で描いてもいい。
 小山田信有も太原雪斎もまだ出す必要がない。歴史ファンなら登場して嬉しい所なのだろうが、普通の視聴者には関係ない。その他の武田の家臣を把握し理解するのに忙しいのに、また新しい人物が出て来て、新しい人間関係が描かれるのでついていけなくなる。
 あとは勘助のキャラ。
 結構ずるい。誠実でない。
 そのずるさがうまく転じれば魅力になるのだが、「ずるさ」ばかりが気にかかる。
 そのずるさの理由は、勘助の「軍配でひとかどの人物になりたい」という夢なのだが、ミツがけなげなだけに、ミツを悲しませてまで見る夢って何なの?それでいいの?と思ってしまう。
 また「ひとかどの人物になりたい」という夢も彼の隻眼、他人から疎まれたことからのコンプレックスから発していることなので、いささか興ざめだ。
 人間くさいと言えば人間くさいなのだが、描かれ方が足りない。
 小山田信有や太原雪斎を描く時間があれば、勘助に使うべきだと思った。

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