平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

「光る君へ」 第44回「望月の夜」~まひろとの約束を果たしたことを歌に込める道長。まひろもそれを理解する

2024年11月18日 | 大河ドラマ・時代劇
 道長(柄本佑)、ついに絶対的な権力を手に入れた。

 三条天皇(木村達成)は譲位、そして亡くなった。
 結果、道長の孫・敦成親王が帝・後一条天皇に。
 長男・頼通(渡邊圭祐)は摂政に。

 娘・彰子(見上愛)は太皇太后。
 娘・妍子(倉沢杏菜)は皇太后。
 娘・威子(佐月絵美)は皇后(中宮)に。
 つまり三后の独占だ。

 そして祝いの席。
 道長の盃を、頼通から始まって重臣たちがまわし合う。
 つまり道長を中心に結束していくという意味だ。

 そんな状況で道長が詠んだ歌が──
『この世をば我が世とぞ思ふ望月の欠けたることもなしと思へば』

 道長はこの歌の返歌を実資(秋山竜次)に求める。
 実資は三条天皇に通じていた半分・反道長派だ。
 そんな実資は返歌を求められて「返す歌がない。復唱するしかない」と答える。
 つまり実資も道長に屈した。
 清少納言(ファーストサマーウィカ)が男性でこの場にいたら、皮肉を込めた歌を返しただろう。

 絶対的な権力を手に入れた道長。
 しかし、この場に集った人たちの思いはさまざまだ。
 素直に共感した者もいただろうが、道長の権勢の道具にされた妍子と威子は納得していない。
 彰子は「女子の心をお考えになったことがあるのか?」と責めたが、一定の理解はしている様子。
「当りを引いた」倫子(黒木華)は嬉しそう。

 そして、まひろ・藤式部(吉高由里子)。
 最初にこの歌を聴いた時は、「我が世の春を謳歌している」と解釈して怪訝な表情をしていたが、
 後に別の解釈をした様子。
 道長はこの歌を通してまひろに「月の夜にかわしたおまえとの約束をついに果たしたぞ」という
 メッセージをおくったのだ。
 この場合、「この世」とは「この夜」
「わが世」の意味は「わたしの生涯」
 大胆に意訳すると、
「今夜はわたしの生涯で最高の夜だ。月は欠けていない。まひろとの約束を交わした夜の月のように」
 さらに今作の流れで真意を解釈すると、
「絶対的な権力をもった自分は政敵を気にせずに、思いきり民のための政治ができる。
 おまえとの約束を果たしたぞ」
 このメッセージに微笑むまひろ。
 台詞で語られなかったが、
「道長様、お疲れ様でした」
「三郎、やったわね」
 みたいなことを思っていたのかもしれない。

『望月の歌』をこう解釈してドラマにしてしまう脚本・大石静さん、お見事です。
 同じ歌でも見方を変えると、違った姿が見えてくる。

※追記
『望月の歌』を次のように解釈している学者さんもいる。
 平安文学研究者の山本淳子さんだ。
 山本教授の解釈によると、
「この世」とは「この夜」
「望月」は「盃」と「后」
 意訳すると、
「この夜はわが人生の最高の時だ。
 盃を交わす仲間も三人の皇后たちも誰ひとり欠けることなく集っているのだから」

 山本教授が「望月」を「満月」と解釈しない根拠は、道長がこの歌を詠んだ日が暦学・天文学的に
「満月」ではなかったかららしい。

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「光る君へ」第43回「輝きののちに」~三郎のままの道長。聡明な大人になったまひろ

2024年11月11日 | 大河ドラマ・時代劇
 自分を客観的に見ること──これはなかなかむずかしい。
 道長(柄本佑)もそうだ。

 目と耳を病んだ三条天皇(木村達成)。
 道長は譲位させようとする。
 病では適切な政務をおこなえないと考えたからだ。
 だが、他者には「自分の孫の敦成を帝にしようとしている」と見える。
 権力をふるい、政敵を排そうとしているように見える。

 しかし道長はこれを理解できない。
 実資(秋山竜次)にその強権的な姿勢を糺されても
「思いのままの政をしたことなどない。まったくない」
 実資に「志を追いかける者が力を持つと、志そのものが変わる」と言われても
「おい、意味がわからぬ」
 道長には自分が強権をふるっているという自覚がない。

 今まで道長の志も他者にはおかしく見える。
 道長の志「民が幸せに暮らせる世をつくる」は他者・実資から見ると、抽象的で曖昧だ。
 道長は実資に言われる。
「民の幸せとはなにか?」「そもそも民の暮らしが見せておるのか?」
 これは僕も同じ疑問を思っていた。
 でも、道長は純粋に民のために政治をおこなっていると考えている。
 …………………………………

 道長は善良な為政者だ。
 隆家(竜星涼)の大宰府人事も目の病を治すため。
 独裁的になるのを嫌がり、あくまで陣の定めに従う。
 政敵は光の力で勝手に自滅してくれる。

 そして鈍い。
 誰かに指摘されるまで気づかないことが多く、指摘されてショックを受ける。
 今回の行成(渡辺大知)がそうだ。
 倫子(黒木華)の「どこぞのおなごを愛でておられる」という指摘に対するリアクションもそうだ。
「民が幸せに暮らせる世をつくる」という志も子供っぽい。
 いわば、「三郎」がたまたま権力を持って、為政者になったような感じだ。

 ここに来て、道長下げが始まった。
 だが、それは愛すべき存在としての道長下げだ。
 今回のサブタイトルは「輝きの後に」。
 輝きが薄れ、道長のありのままの姿が見えてきた。

 一方、そんなありのままの道長を理解しているのが、まひろ・藤式部(吉高由里子)だ。
 藤式部は彰子(見上愛)に言う。
「人の上に立つ者はかぎりなくつらく、さびしいもの」
 彰子はこれを受けて、
「藤式部は父上びいきであるのう」

 道長が三郎のままなのに対し、まひろは聡明な大人になっている。
 以前は、男に生まれたかった、というギラギラした思いを抱いていたが、
 今は道長を支え、女性でなければできない仕事を成し遂げ、女性であることを肯定している。
 道長と対照的に、すべてのことが客観的に見えている。
 賢子(南紗良)と双寿丸(伊藤健太郎)のことも、
「昔ならできなかったことを軽々と乗り越えている」
 双寿丸の本心はわからないが、
 賢子を連れて行かない理由を「危険な目に遭わせたくないから」と話し、慰めた。

 さて、まひろは今後どのような心境になっていくのだろう?


※追記
 心が安定して、やすらかになった人がふたり。

・敦康親王(片岡千之助)
 もともと権力への執着の少ない人物であったが、妻を得て彰子への執着もなくなった。
 彰子のことも「国母にふさわしい風格」と客観的に見られるようになった。

・清少納言(ファーストサマーウィカ)
 恨みを持つことで命を支えることをやめて静かに生きることを宣言。
 
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「光る君へ」第42回「川辺の誓い」~背負っていた荷物を下ろしたふたり、残りの人生をどう生きていくのだろう?

2024年11月04日 | 大河ドラマ・時代劇
「わたしとの約束はお忘れ下さいませ」
「おまえとの約束を終わらせれば俺の命は終わる」
「ならば、わたしもいっしょに参ります。この世にわたしの役目はありませぬ」
「おまえは俺より先に死んではならぬ。死ぬな」
「ならば道長様も生きて下さいませ。道長様が生きておられればわたしも生きられます」

 これまでのまひろ(吉高由里子)と道長(柄本佑)の関係の集大成だ。
 まひろとの約束を守るためにがんばってきた道長。
 それは時には強引な手を打たねばならず、強権的と誹りを受ける、つらく孤独な戦いだった。
 三条天皇(木村達成)、妍子(倉沢杏奈)、出家した顕信(百瀬朔)──みんな勝手なことを
 している。
 明子(瀧内公美)には激怒され、彰子(見上愛)からは距離を置かれている。
 宮中では「左大臣の病を喜ぶ者」のリストが出まわる。
 いったい自分のやって来たことは何だったのか?
 少しも理解されていない。

 こんな孤独でつらい道長を見て、まひろは背負っている荷物を下ろしたらどうか、と提案する。
 だが道長は──
「おまえとの約束を終わらせれば俺の命は終わる」
 まひろとの約束にかける道長の思いはこんなに強かったんですね。
 これに対するまひろの返しがすごい。
「ならば、わたしもいっしょに参ります」
 つまり、あなたをひとりでは死なせない、と言っている。
 これに対する道長の返しもすごい。
「おまえは俺より先に死んではならぬ。死ぬな」
 そして、まひろは──
「ならば道長様も生きて下さいませ。道長様が生きておられればわたしも生きられます」

 なんだ、このすごいやりとりは!
 心から相手のことを想っている。
 まひろの言葉を受けて、道長は涙を流さずにはいられない。
 抑えていた感情が堰を切ってあらわれた。
 道長、つらかったんだよね……。
 孤独だったんだよね……。
 理解者を求めていたんだよね……。

 そして『源氏物語』。
「光る君はお隠れになった後、あの光り輝くお姿を受け継ぎなさることのできる方は
 たくさんのご子息の中にもいらっしゃらないのでした」
 光る君は誰なのか?
 やっと答えが出ましたね。
 光る君は道長だった。
 今回の川辺のやりとりで、ふたりは人生を終えた。
 道長は「まひろとの約束」という荷物を、まひろは「物語」という人生の荷物を下ろした。
 そしてまひろにとって、光る君はずっと道長だった。
 それはこれからも変わらない。
 子供の頃の川辺のふたりが年月を経て宇治の川辺で収束する。
 見事な描写だ。

 さて、これからふたりはどのような余生を送るのだろう?
 道長には敦成親王(濱田碧生)を天皇にするという仕事が、
 まひろには『源氏物語』の宇治十帖を書くという仕事が残っているが、
 彰子
 妍子
 賢子(南紗良)
 双寿丸(伊藤健太郎)
 若い力はどんどん出て来ている。


※追記
 今作では採用されないだろうが、『源氏物語』の宇治十帖は賢子が書いたという説があるらしい。

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「光る君へ」 第41回「揺らぎ」~自分のやっていることをまひろにだけは理解してもらいたいと願っている道長

2024年10月29日 | 大河ドラマ・時代劇
 道長(柄本佑)の権勢に「揺らぎ」が出て来ている。

・三条天皇(木村達成)は派閥をつくり反道長の動き
 道長の次男・ 教通(姫小松柾)も取り込まれた。
 道長を「関白」にしてお飾りの存在にしようとした。
・さすがの行成(渡辺大知)も反発。
「左大臣様は敦康親王様から奪いすぎです」
「左大臣様がおかしくおわします」

 政治まわりではないが、
・明子(瀧内公美)は「わたしは決して許しませぬ」
 明子の子・顕信(百瀬朔)が蔵人頭になるのを道長が止めた結果、出家してしまったのだ。
・清少納言(ファーストサマーウィカ)も激怒。
「ここは私が歌を歌いたくなるような場所ではございませぬ」
 彰子(見上愛)に向けられた言葉だが、道長が敦康親王(片岡千之助)を蔑ろにしていることへの
 非難だ。

 つらい道長。
 見上げる月には雲がかかっている。

 こんな状況だから道長はまひろ・藤式部(吉高百合子)の所に行って「現実逃避」する。
 まず『源氏物語』で紫の上が死んでしまうことを聞いてガッカリ。
 光源氏と紫の上の関係は、道長とまひろの関係だからだ。
 まひろがなぜ敦康親王を東宮にしなかったのかを問うと、
「おまえとの約束を果たすためだ。そのことはおまえにだけは伝わっていると信じておる」

 道長はまひろにだけは自分のやっていることを理解してもらいたいんですよね。
 道長にとってはまひろだけが心の支え。
 まひろに拒否されたら生きていけない。
 わかるよ~、男は弱いからね。
 ていうか、道長、本当にまひろのことが好きなんだなぁ。

 というわけで次回は「川辺の誓い」
 道長が約束を果たすために苦労していることをまひろが理解して、心を通わせる話になるのだろう。
 ………………………………………

 彰子はどんどん魅力的な人物になっている。

 心が解放されて自分の思いを素直に語る。
「泣き帝と歌を交わしたかった。話したかった。笑い合いたかった」

 清少納言の批判をしっかり受けとめ、どうしたらいいかを考え始める。
 おそらく彰子はこんなことを考えたのだろう。
・清少納言の言うとおり、敦康親王を東宮にしなかったことは間違ってる。
・自分は父・道長の言いなりになっている。
・では道長の意のままにならないためにどうしたらいいか?
 藤式部・まひろに問うと、
「仲間をお持ちなさいませ」
 三条天皇がやっているように派閥を作り始めた。

「国母」彰子が誕生しつつある。

 敦康親王が御簾を越えて彰子の所に入って来たシーンはドキドキした。
 まさに『源氏物語』の光源氏と藤壺の女御更衣。
 このままでは絶対、敦康は彰子のもとに忍んで来る。
 ……………………………………………

 まひろの娘・賢子(南紗良)も魅力的になっている。

 双寿丸(伊藤健太郎)に「姫様のツラではないな」と言われたのに屈託なく笑っている。
 武者に興味を持ち、「またご飯を食べに来なさい」と言える。
 双寿丸がおかわりをすると自分のご飯をあげる。

 賢子には身分という意識がない。
 むしろ庶民の側だ。
 それは同じ年齢の頃の、若き道長とまひろの姿でもある。
 やはり賢子はふたりの子だ。

 その他では、双寿丸の主人・平為賢(神尾佑)が登場。
 武家の時代の登場を告げる人物だ。

 以前も書いたが、この作品は「雅な平安貴族社会」の終わりを告げて最終回を迎えるのだろう。


※追記
 まひろの清少納言評。
「清少納言は得意げな顔をしたひどい方になってしまった」
 は『紫式部日記』に書かれているらしい。

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「光る君へ」 第40回「君を置きて」~彰子、激怒! これから女性たちの逆襲が始まる気がする

2024年10月21日 | 大河ドラマ・時代劇
「露の身の風の宿りに君を置きて塵を出でぬることぞ悲しき」

 一条天皇(塩野瑛久)退場回である。

 寒くても薄手の衣を纏い、「民の心を鏡とした」一条天皇。
 敦康親王(片岡千之助)を次の東宮にと望みながら、かなえられなかった一条天皇。
 そんな一条天皇が死に際して何を思ったか?
「君を置きて塵を出でぬることぞ悲しき」
 思ったのは彰子(見上愛)のことだった。

 前回、惟規(高杉真宙)も辞世の句を詠んだが、その内容も悲しかった。
 基本、人生は悲しいもの……。
 人は泣きながら生まれ、涙を流して死んでいく。
 一条天皇の目からもひと筋の涙……。

 まひろ・藤式部(吉高由里子)の創作は今後老いと死を描いていくことになるのだろう。
 だが、その前に描いておかなくてはならないのは「罪」。
 最近のまひろの頭の中には「罪」というテーマが渦巻いている。

 道長(柄本佑)は敦康親王を排して、敦成親王を東宮にするという罪を犯した。
 道長にとって権力維持は良き政治をおこなうための手段であるが、
 権力を使って敦康親王を排した罪は変わらない。
 その罪はどのように道長に返って来るのか?
 ………………………………………………………………

「塵」の世界では人々は元気だ。

 居貞親王(木村達成)は即位して三条天皇に。
 権力を得てイキイキとしている。
 道長の言いなりにはならないと息巻いている。

 清少納言(ファーストサマーウィカ)は道長の横暴に激怒。
 敦康は苦労しないで生きていくのもいいかもしれないと定めを受け入れているが、
 彰子への思いはどうなのか?
 光源氏は桐壺帝が亡くなった後に桐壷更衣の所に忍んでいった。

 和泉式部(泉里香)は「罪のない恋などつまりませんわ」
 赤染衛門(凰稀かなめ)は「道険しき恋こそ燃えるのでございます」

 妍子(倉沢杏菜)はあれも欲しいこれも欲しいと贅沢三昧。

 まひろの娘・賢子(南沙良)は双寿丸(伊藤健太郎)に出会った。
 このふたりは、まひろと直秀(毎熊克哉)と同じような関係になるのだと思う。
 歴史は繰り返す。

 そして彰子。
「なにゆえ、わたくしに一言の相談もなく、敦成を東宮にお決めになったのですか!?」
「父上はどこまでわたしを軽んじておいでなのですか!」
「中宮など何もできぬ」
「なにゆえオンナは政に関われるのだ?」
 この思いにまひろ直伝の新楽府の政治理論が加わって、彰子は政治にどのように関わっていくのか?
 おそらく彰子の行動が道長に返ってくる罪になるのだろう。

 さまざまな思いが渦巻く宮中。
 話数も残りわずかになって来たが、これらをどのように収拾していくのか?

 今後、女性たちがたくましくどんどん自己主張していく気がする。
 現に彰子、清少納言、妍子は反道長だ。
 和泉式部、赤染衛門の言葉も道長の言葉に対するカウンターだった。
 光源氏が晩年、女性たちに相手にされなくなったように、
 道長も女性たちに総スカンを食らうのかもしれない。

 選挙特番のため次回は19時10分からのオンエア。


※追記
 ちなみに僕が好きな辞世の句は十返舎一九のこの句だ。

「この世をば どりゃおいとまに せん香の 煙とともに 灰左様なら」

 死を感傷ではなく笑い飛ばしている。
・おいとまにせん→せん香
・はい左様なら →灰左様なら
 と掛けている所も上手い。

「この世をば」で思い出すのは──
 道長の句「この世をば 我が世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば」だが、
 十返舎一九はこの道長の句を意識しているのであろうか。
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「坂の上の雲」 第3話「国家鳴動」~東学党の乱から日清戦争へ。首相・伊藤博文を沈黙させた「統帥権」

2024年10月19日 | 大河ドラマ・時代劇
「坂の上の雲」第3話「国家鳴動」(前・後編)を見た。

 海軍に入った真之(本木雅弘)は父が死去。
 父に「勝ち負けの運は本当のいくさの時に取っておけ」と諭されてケンカをやめる。

 陸軍の好古(阿部寛)はフランスの留学から戻り結婚。家庭を持つ。

 正岡子規(香川照之)は肺病で喀血するが、何とか治まり、帝国大学をやめて
 陸羯南(佐野史郎)が主催する新聞「日本」に就職する。

 青年から大人へ。
 それぞれが自分の道を歩んでいく。

 大人になったのは日本という国家も同じだ。
 維新で西洋化を進めた日本は列強が覇を競う世界という荒波に出て行く。
 たとえれば、本格的な社会人デビューだ。もはや学生ではいられない。
 ……………………………………………………

 日本という国家が最初に受けた荒波は朝鮮問題だった。
 東学党の乱。
 東学とは西学(キリスト教)に敵対する、儒教・仏教・道教の三教を合わせた新興宗教だ。
 これが乱を起こし、政府軍を撃ち破り、韓国政府を揺るがした。

 日本はこれに対して、朝鮮出兵を決めた。
 出兵の表向きの理由は「日本の公館、居留民の保護」だが、
 裏の理由としては「朝鮮を清国やロシアに取られてはまずい」という理由がある。
 当時、政府の首脳は「朝鮮を取られたら、敵が喉もとに迫り、日本の防衛は成立しない」と
 考えていた。
 当時、朝鮮は一応独立国家であったが、清の属国化しており、
 日本は、清が東学党の乱に乗して朝鮮を支配するのを怖れていた。
 その結果が朝鮮派兵である。
 この派兵をめぐる総理大臣・伊藤博文(加藤剛)と陸軍参謀次長・川上操六(國村隼)のやりとりが
 興味深い。
 清国と戦争になることを怖れる伊藤博文は大規模派兵に否定的だ。
 一方、川上操六は──
「伊藤首相はゆるすまい。かれはあたまからの平和主義者である」
「そこをごまかすのだ」
「首相に対しては一個旅団をうごかすといっておく。
 一個旅団の兵数は二千である。これならば首相もゆるす」
「二千は平時の兵数である。しかし旅団が戦時編制をすれば七、八千になる。
 首相はそこまで気づかぬはずだ」
 川上操六は伊藤博文を騙したのだ。
 騙された伊藤が抗議すると、
「出兵するかどうかについては閣議がそれを決めますし、閣下ご自身それを裁断なさいました。
 しかし出兵がきまったあとは参謀総長の責任であります。
 兵数はわれわれにおまかせください」(原作2巻P58~60)

 川上の論理は大日本帝国憲法に記された「統帥権」である。
 陸海軍を統率する権利は天皇にあり、首相にはない。
 作戦は首相の権限外なのである。

 この川上の言葉に伊藤は「憲法だな」と苦い顔でつぶやくだけで反論できない。

 この朝鮮出兵をめぐるやりとりは、後の昭和の戦争を物語っている。
 すなわち
・朝鮮を取られたら日本の防衛は成立しない→満州を取られたら日本の防衛は成立しない。
 朝鮮も満州も列強の侵攻を阻む緩衝地帯なのだ。
・川上操六の派兵→日清戦争
 関東軍の暴走→日中戦争
 統帥権で軍のすることに口出しできない政府。

 まさに歴史は繰り返すだ。
 このエピソードが示すとおり、憲法は重要なのだ。
 だから安易な改正に乗ってはいけない。

 さて次回は「日清戦争」
 大国・清はお金持ちで、北洋・南洋・福建・広東の四艦隊を持っている。
「定遠」「鎮遠」という二隻の戦艦もある。
 真之たちはどう戦うのか?


※追記
 伊藤博文は派兵を決めた外務大臣・陸奥宗光(大杉漣)にこんなことを語っていた。
「楽観論はもうよい!
 負けたらどうなるのか、おまえは考えたことがあるか?
 財政は破綻、国際的に孤立して、わが国は列強の餌食になる。
 そうさせんためにこそ、わしやおまえがおるんじゃ」

 原作にないテレビ版オリジナルの台詞だが、現在のタカ派政治家に聞かせたい言葉だ。


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「光る君へ」 第39回「とだえぬ絆」~きっとみんなうまくいくよ。惟規の楽天的で、あらがわない人生

2024年10月14日 | 大河ドラマ・時代劇
『みやこには恋しき人のあまたあれば
 なほこのたびはいかむとぞ思ふ』

「恋しき人」には恋愛以外の意味もあるのだろう。
 つまり大好きな人たち。
 姉上、父上、賢子(南紗良)、いと(信川清順)、乙丸(矢部太郎)……。
 惟規(高杉真宙)にはたくさんの好きな人がいた。
 まわりの人間も惟規のことが大好きだった。
 この性格は、いとが愛情を注いだ結果だろう。
 子供の頃の「愛情の貯金」は大切だ。

「きっとみんなうまくいくよ」
 惟規は楽天家であった。
 その基本姿勢は「なるようになる」
 がんばったり、抗おうとしたりしない。
 出世も姉と道長(柄本佑)のおかげで何となく出世してしまった。

 唯一、固執したのは斎院の中将(小坂菜緒)だろうか?
 多くを語らなかったが、斎院の中将の心変わりは痛手を負った様子。

 やわらかで軽快な生き方だったと思う。
 大好きな人がいっぱいで幸せだったと思う。
 
 そんな惟規と対照的なのが、同じく亡くなった伊周(三浦翔平)。
「俺は奪われ尽くして死ぬのか……!」
 最期まで権力と栄華と過去に固執し、憎しみの中で死んでいった。
「あの世で栄華を極めなさいませ」
 弟の隆家(竜星涼)のこの言葉が救いであったかもしれない。

 惟規の死は、まひろ・藤式部(吉高由里子)と娘・賢子の絆を結んだ。
 激しく泣くまひろに肩を添える賢子。
 賢子は母の人間らしさ、弱さを知った。
 哀しさがふたりを繋いだ。
 ……………………………

 敦康親王(片岡千之助)は完全に彰子(見上愛)のことが好きなようだ。
 彰子を見つめる姿はまさに『源氏物語』の桐壺に想いを寄せる光源氏。
 これを見た道長はまひろに
「敦康親王様はおまえの物語にかぶれすぎておられる」
 まひろはそんなことないといなすが、
 物語の主人公と自分を重ね合わせるのはしばしばあること。
 道長も『源氏物語』のエピソードに自分を見ているに違いない。
 まひろの物語はそれだけ力を持っている。

 敦康の気持ちに彰子がまったく気づいていない所が面白い。
 敦康にかけた言葉が、
「立派な帝におなりあそばすために精進なさいませ」

 一方、道長は敦康排除の動きに。
「俺の目の黒いうちに敦成が帝になる所を見たいものだ」
 さて、次回はそれで波瀾の様子。
 予告では彰子が激怒していた。


※追記
 為時(岸谷五朗)は賢子の父が道長であることを知らなかった!
 宣孝(佐々木蔵之介)はそれを受け入れていたことも知らなかった!
 何とも鈍い父上。
 このことを儀式の場で道長に伝えようとして目で合図を送ったり、
 謁見の場で惟規が道長に言い出すのではないかと心配したり、
 表情だけで笑いをつくってしまう岸谷五朗さんの芝居が素晴しい。

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「光る君へ」 第38回「まぶしき闇」~権力を持つことで生じる闇。呆然とする道長と涙するまひろ。

2024年10月07日 | 大河ドラマ・時代劇
「いかなる時も我々を信頼して下さる帝であってほしい。それは敦成様だ。
 家の繁栄のために言っているのではないぞ。
 なすべきは揺るぎなき力を持って民のため良き政をおこなうことだ」

 道長(柄本佑)は敦康親王(渡邉櫂)が帝だと自分の地位を揺るがす者が現れて、
 世が乱れると考えている。

 新たな懸念もあった。
 仲睦まじい彰子(見上愛)と敦康。
 この関係は、まさに『源氏物語』の藤壺と光源氏ではないか。
 今のままだと藤壺と光源氏のように彰子と敦康は密通してしまうかもしれない。
 だから敦康をすぐに元服させ、藤壺から追い出す必要があった。

 悩みながらも非情な決断を下さなければならない道長。
 そんな道長に伊周(三浦翔平)は──
「何もかもおまえのせいだー!」
 直接、呪詛されてしまう。
 伊周は呪詛を重ねて消耗し、頭がおかしくなっている。

・誰かを排除すること。
・誰かの恨みを買うこと。
 権力を持つとはそういうことなのだ。
 私欲ではなく、すべては民のため帝のためと考えていても、それは免れない。
 不満な者は必ず出て来る。
 いい人ではたちまち政敵からしてやられてしまう。

 伊周に憎しみを向けられて呆然とする道長。
 これに涙するまひろ・藤式部(吉高由里子)。
 憎しみを向けられるような存在に道長をしてしまったのは、他ならぬまひろなのだ。
 ふたりは、民のため世のためにそれぞれの役割を果たそうと誓い合った。
 ………………………………………………

 まひろも作家として上りつめた結果、周囲の人を失うことになった。
・娘の賢子(梨里花)。
・ききょう・清少納言(ファーストサマーウィカ)。
 あくまで現状の話で、関係は今後変わるかもしれないが、
 何かを得れば何かを失う。
 それが世の常だ。

 そんな中、彰子の女房・宮の宣旨(小林きな子)の言葉が胸にしみる。
「(働くのは)生きるためであろう?」
「今日もよく働いた。はやく休もう」

 世のため、民のため、帝のため、中宮様のため。
 これらを取っ払った所にある働く真実。
 すべては生きるため。
 人生はこれくらいシンプルであった方がいいのかもしれない。

 逃げた雀の話をした子供の頃のまひろと三郎のような姿がシンプルで幸せなのかもしれない。


※追記
 書くことの意味については、和泉式部(泉里香)が思い出させてくれた。
「書くことでおのれの悲しみを救うことができる」
「書くことで命を生き継ぐことができる」

※追記
 和泉式部はたくましい。
 藤壺に入ると、たちまち頼通(大野遥斗)に色目を使い始めた。
 迷うまひろとは対照的に、彼女は現実を楽しんでいる。

※追記
 清少納言は過去に生きているが、辛辣さは失っていない。
 まひろに会って、
「光る君の物語に引き込まれました」
「まひろさまは根がお暗い」笑
「光る君のしつこいいやらしさにあきれ果てました」笑
「男のうつけぶりを笑い飛ばしています」
 ここまでは毒舌も混じった作品論・作家論だが、この後がストレートパンチ!
 中宮・定子を否定する存在として、
「わたしは腹を立てておりますのよ、まひろ様に」
「源氏の物語を恨んでおりますの」
 怒りと恨みをぶつけた。

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「坂の上の雲」第2話「青雲」~何者でもなかった真之と子規は「軍人」と「文芸」の道を歩む決意をする

2024年10月06日 | 大河ドラマ・時代劇
『坂の上の雲』第2話「青雲(前・後編)」を見た。

 少年時代から青年時代に。
 秋山真之(本木雅弘)たちは自分の進路について考え始める。

 国家草創期の選ばれた青年たちの願いは次の言葉に集約される。
『朝ニアッテハ太政大臣、野ニアッテハ国会議長』
 しかし、真之たちは自分がそうなれないことに気づき始める。

 正岡子規(香川照之)は哲学・文学青年だった。
 しかし当時の価値観では──
『戯作小説のたぐいの世界に入るということは、官吏軍人学者といった世界を
 貴としとするこの当時にあっては生娘が遊里に身をしずめるような勇気が要った』
                            文庫版1巻195ページ
 そんな中、子規は真之と話をしてこう決意する。
「あしもな、淳さん、松山を出てくるときにはゆくゆくは太政大臣になろうとおもうたが、
 哲学に関心をもつにおよんで人間の急務はそのところにないようにおもえてきた。
 どうもあしにはよくわからんが、人間というのは蟹がこうらに似せて穴を掘るがように
 おのれの生まれつき背負っている器量どおりの穴をふかぶかと掘っていくしかないものじゃと
 おもえてきた」
 真之はこう答える。
「升(のぼ)さんのこうらは文芸じゃな」
 そして
「富貴なにごとかあらん。功名なにごとかあらん」
「立身なにものぞ」
 ……………………………………………………………

 では真之はどうか?
 真之はこのまま大学に入って官吏や学者になっても二流の官吏・学者にしかなれないと
 自己分析している。
 理由は「根気がない」からだ。「要領がよすぎる」からだ。
 真之は学問や学者についてこう考えている。
・学問は根気の積み重ねである。
・学問の世界で一流になれるのは根気と積み重ねとするどい直感力を持った学者だけである。
 これができないから真之は学者に向かないと考えている。
 そして自分は軍人に向いていると無意識に思っている。

 軍人に向いている理由を真之は言語化できないでいるが、
 相談を受けた兄・好古(阿部寛)はこう見ている。
『好古はこの弟のことを、単に要領がいい男だとはみていない。
 思慮が深いくせに頭の回転が早いという、およそ相反する性能が同一人物の中に同居している。
 そのうえ体の中をどう屈折してとびだしてくるのか、ふしぎな直感力があること知っていた。
(軍人にいい)
 と、好古はおもった』  文庫版1巻205ページ。

 子規も真之もしっかり自己分析して自分の道を決めている。
 自分と真摯に向き合っている。
 これに対し、普通の人は何となく就職して、安全な道を選んで生きていくって感じですかね?
 この違いは大きい。

 こうして真之と子規の、何者でもない、モラトリアムの青年期は終わった。
 これからは社会に所属する大人の世界に入っていく。


※追記
 人生の岐路で迷う真之と子規と対照的なのは好古だ。
 好古は家族を養うため、学問をするため、陸軍士官学校に入った。
 士官学校は給料がもらえて学費も無料なのだ。
 人生の岐路で好古は考えたり、迷ったりすることはなかった。
 現状を踏まえてより良く生きるにはそうするしかなかった。

 軍人の道に入ってからも好古は迷うことがなかった。
 真之たちのように「人間としてどうあるべきか?」と考えることなく、
「陸軍騎兵中尉秋山好古はどうあるべきか?」を考えて来た。

 好古は言う。
「おれは、単純であろうと思っている」

「人生や国家を複雑に考えていくことも大事だが、それは他人にまかせる。
 おれはそういう世界におらず、すでに軍人の道をえらんでしまっている。
 軍人というのは、おのれの兵を強くしていざ戦いの場合、この国家を勝たしめるのが職分だ」

「だからいかにすれば勝つかということを考えていく。
 その一点だけを考えるのがおれの人生だ。
 それ以外のことは余事であり、余事というものを考えたりやったりすれば、
 思慮がそのぶんだけ曇り、みだれる」

 実にシンプルでストイックで潔い生き方ですね。
 常人にこれはなかなかできない。

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「光る君へ」 第37回「波紋」~道長がおかしくなっている……。まひろも少しおかしくなっている……。

2024年09月30日 | 大河ドラマ・時代劇
 帝に贈る「源氏物語」の装飾本。
 その制作過程を丁寧に描いたことが素晴しい。
 きらびやかな紙、藤原行成(渡辺大知)ら能筆家による清書、女房たちの製本。
 平安時代の雅が味わえるし、彰子(見上愛)のワクワクな想いも、
 まひろ・藤式部(吉高由里子)の成功も同時に理解できる。
 完成した装飾本を見た時の一条天皇(塩野瑛久)のリアクションも気にかかる。
 ひとつのシーンに四つの意味を含ませる、見事な作劇だ。

 道長(柄本佑)はおかしくなっている。
 先回は皆の前で藤式部へ返歌をして空気が変になったのに気づかない。
 今回は──
「敦成親王は次の東宮になる御方ゆえ」
 道長は敦康のことを忘れている。
 敦成を東宮にすることは「敦康の排除」であることに気づいていない。
 藤式部が「次の?」と問うても
「警護が手薄なことをわかって忍び込んだということは、ただの賊ではないやもしれん」
 と、藤式部の疑問がまったく耳に入っていない。
 自分の行動にためらいや葛藤がなくなった道長はどこに行く?

 おそらくここで道長はいったん闇落ちするのだろう。
 何しろ敦康を排除しなければなりませんからね。
 権力は人を狂わせる。
 そんな闇落ちした道長をふたたび「光る君」に戻すのは、まひろなのだろう。
 今回登場した盗賊・双寿丸(伊藤健太郎)は「直秀」を想わせるから、
 双寿丸を通して道長はかつての自分を取り戻すのかもしれない。

 まひろも少しおかしくなっている。
 実家に帰って藤壷での自慢話。
 酔っているせいもあるが、まわりの空気がおかしくなっていることに気づいていない。
 そして「この家がみすぼらしく思えた」
 まひろは上級貴族の人間になってしまった。
 父・為時(岸谷五朗)は官位を得たことも当然のことのように思っている。
 環境は人を変える。
 そんなおかしくなったまひろを元に戻すのが賢子(梨里花)なのかな?

 彰子はますます覚醒。
 賊が入っても慌てず、「何事だ!?」「しばし待て」
「上に立つお方の威厳と慈悲に満ちあふれた行動」を取った。
 敦康の排除に対して彰子はどのように反応するのだろう?

 清少納言(ファーストサマーウィカ)の『源氏物語』のリアクションは次回にお預け。

 倫子(黒木華)は気づいているかどうかは不明だが、まひろに対する表情が今までと違う。
 ←逆にこれが怖ろしい……!

 いろいろ引っ張りますね。

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