平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

のだめカンタービレ 第3話

2006年10月31日 | その他ドラマ
 Sオケの指揮をすることになった千秋先輩(玉木宏)。

 またひとつ大事なことを学んだ様だ。
 つまり……。
★オーケストラのメンバーには様々な性格や事情を抱えた人間が集まってきていること。
★指揮者はそんな彼らのひとりひとりを理解し、まとめ上げていくのが仕事であること。

 それは他人を理解すること。
 人間を好きになること。
 ぞれまでの千秋は楽譜の上だけで演奏をしていた。
 彼の指揮の練習はCDを聞きながら、スコアに基づき指揮棒を振るものだった。
 人間を相手にしていない。
 だから冒頭でつまづいた。
 音の悪さばかりが気になる。
 演奏者を人間ではなく、音や楽器として見ている。
 それに対してシュトレーゼマン(竹中直人)。
 指揮者(千秋)に見とれていてはいい演奏は出来ませんなどと、演奏者の抱えている事情を理解して、指摘をする。
 シュトレーゼマンは人間を見ている。

 物語はこのテーマを次のふたつのエピソードで描いていく。
 1.冒頭の千秋の指揮の失敗
 2.桜(サエコ)のエピソード
 いずれも「音ではなく人間を見て演奏をしろ」というテーマを描いている。
 ひとつのテーマを2つのエピソードで描く。
 今回、シナリオライターはこの構成を採用したようだ。
 最初は小ネタ、次に大ネタ。
 そして物語はオーケストラのメンバーによって千秋が成長していく様が描かれていくようだ。

 それにしてもシュトレーゼマンの行動は深い。
 ちゃらんぽらんでいて、確実に千秋を成長させている。
 合コンにあけくれながら、ちゃんとSオケメンバーの人となりを見ている。
 ラスト、シュトレーゼマンはSオケを千秋に任せて、Aオケに専念するという。
 理由はキャバクラで千秋が人気を独占したためと言っているが、それは表向きで実は深い意図があるのかもしれない。
 そう視聴者に思わせる人物造型は見事。
 本当は真剣に悔しがっているだけかもしれないが。

 人物造型という点では、今回の桜は、ある面、のだめ(上野樹里)の上を行くキャラ。
 のだめは地面に落ちた弁当を食べないが、桜は食べる。
 パスタは掃除機の様に吸い込んで食べる。
 これらの行動に驚かされるのだめ。
 主人公の上を行くキャラクターを登場させることは、主人公をかすませる危うさがあるが、それに負けないようにもっと主人公を変人にすれば、物語はもっと面白くなる。
 シュトレーゼマンもそうだが、人物造型がしっかりしている作品は見ていて楽しい。

★追記
 桜の貧乏解決に関しては、安易な解決。
 貧乏な理由は会社の倒産。
 だが、父親はバイオリンマニアで高価なバイオリンを隠し持っていた。
 作者は桜の貧乏解決にはあまり重きを置いていない。
 何を大事に描き、何をあっさり描くかは、作者の判断。
 作者には、千秋の成長という何よりも描きたいテーマがあるのだ。

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功名が辻 決戦へ

2006年10月30日 | 大河ドラマ・時代劇
第43回「決戦へ」

 小山評定。
 一豊(上川隆也)、最大の見せ場。

 「決断を下した人間」「信念を持った人間」というのは、やはりかっこいい。
 今まで迷いに迷った人間が決断を下すや、果敢な信念の人になる。
 キャラクターの立て方として覚えておきたい方法だ。

 まわりが迷って右往左往している分、一豊が引き立つ。
 福島正則(嵐広也)は迷っている。
 堀尾吉晴の息子は迷っている。
 決断を下した人間がかっこよく見えるのは、普段の我々が福島正則らの様に迷っている存在だからだろう。

 そして小山評定。
 カタルシスということを考える。
 「内府殿にお味方申す!」「お味方申す!」
 意思決定をする瞬間というのは、カタルシスが生まれる。
 それが参列している人間が全員言うからなおも高まる。

 前話「ガラシャの魂」では一豊の決断を描いてカタルシスを得たが、今回はそれを複数の人間が公の場で行うことでさらに増幅させた。
 一豊ひとりから複数へ。それは公の場で。
 ここにドラマ作りに長けた脚本家の手腕を見る。

 また、次の一豊の行動でカタルシスはさらに高まる。
 「掛川の城と領地をすべてお譲り申す!」
 味方する事への決断だけでなく、すべてを投げ打つという決断も見せる。
 カタルシスの波は一波だけでなく、二波三波あった方がいい。
 カタルシスが一波二波ある所が、「小山評定」を歴史の名場面にしている理由だろう。

 決断はカタルシス。
 「忠臣蔵」がそうであるように、人がわくわくするエンタテインメントのポイントは昔から変わっていない。

 この関ヶ原前夜では、三成(中村橋之助)と家康(西田敏行)も描いた。

 三成は、ガラシャのことがあり、人質を取るために屋敷を囲むことをやめると言う。(三成側の不安1)
 決戦の場に秀頼が来ることを要請するが、淀(永作博美)は秀吉の遺言を盾にして突っぱねる。(三成側の不安2)
 三成側の武将は夜襲を進言するが、それは正義の戦いではないと三成は突っぱねる。三成には「正しい者は最後に勝つ」という信念がある。しかし、そうはならないのが、人の歴史だ。三成側に不協和音。(三成側の不安3)

 一方、家康。
 小山評定での武将たちの結束力。
 江戸をなかなか離れず、自分に真に味方するのは誰かを見極める策略。
 そして家康の手のひらに乗って戦う福島たち。
 作者は三成とは対照的に描く。
 ・不協和音と結束。
 ・策の失敗と成功。

 原因があって結果がある。
 今回は関ヶ原の結果を導き出す原因を描いた話でもあった。
 物語は関ヶ原というカタルシスに向かって、動き出した。

★追記1
 一豊は「三成では世の中は治められない」と言う。
 淀を説得できない政治力。
 進言を入れずに味方の不興を買ってしまう掌握力。
 人には度量力量がある様だ。
 歴史は正しき者に味方するのではなく、人を動かす度量のある者に味方する。

★追記2
 ラスト、一豊は家臣に「仮に戦場で命を落としても子々孫々まで面倒をみる」と宣言する。
 家、日本の終身雇用の考え方は、この辺りから生まれたのだろう。

 それは正義という三成の「理」よりも強い結束だ。
 理屈は論破されればおしまいだ。合理主義の限界。
 「情」は揺るがない。
 家康も「情」を巧みに操った人間であった。
 家康の政治の根本には「情」がある。

 関ヶ原は「理」と「情」の戦いでもあった。

 
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プリズンブレイク 第4話

2006年10月29日 | テレビドラマ(海外)
 「プリズンブレイク」第4話は同房者ヘルワイヤーを如何に追い出すか。

 マイケルがヘルワイヤーを追い出したいと思う理由は、彼がいるために脱獄作業がはかどらないためだが、同時にマイケルの入れ墨の秘密に気づき始めたこともある。ヘルワイヤーはマイケルの入れ墨を一目見て記憶し、絵に描き、これは「迷路」だと言う。
 こういうプラスアルファの動機を加えたことが巧みだ。
 サスペンスが生まれ、ヘルワイヤーのキャラを立てた。
 「眠らない男」ゆえに「迷路」だと気づくことができたのだ。
 結局ヘルワイヤーは、マイケルがヘルワイヤーに暴力をふるわれたと偽装して、追い出される。

 その他にもマイケルの障害はある。
★アブルッチのプレッシャー。
 「どうなってる?根性がないだけだろう。出来なかったら殺すぞ」と脅迫されるマイケル。
★看守長ベリックの妨害。
 「ヘルワイヤーを違う房にしてくれ」とマイケルが所長に直訴したため、ベリックは面白くない。
 「俺の頭越しに所長と話をするな」と切断された足の指を踏む。

 アブルッチとベリックのことは、障害としては小さい。
 今回の大きな障害はヘルワイヤーだ。
 この大技、小技を入り混ぜた障害の作り方が巧みだ。

 そして物語は大きく展開する。
 物語も第4話、そろそろ新しいシークエンスに行かなくてはならないのだろう。
 作家は次の3つの展開を描いた。

★敵はマイケルがリンカーンの弟であることを突きとめる。
 マイケルが刑務所に入ることになった経緯もおかしいため、移送手続きを取る。
★マイケルの部屋に脱獄用の穴が開く。
 洗面台の裏を削り続けてきたマイケルはついに穴を開けることに成功する。
 再び同房になったスクレも一役買う。
 歯磨きチューブに詰めた薬品を混合することにより、排水口を酸化する作業も進んでいる様だ。
★弁護士ベロニカ・ドノバンはリンカーンの再審のために動き出す。
 不当な裁判を弾劾する弁護士集団「プロジェクト・ジャスティス」の協力者も現れた様だ。

 主人公を襲う大小の障害。
 新たな展開。
 アメリカンエンタテインメントの王道の作りだ。

 それにしても敵のボスの描き方は不気味だ。
 敵のボスは歳をとった女性。
 手や後ろ姿だけで決して顔を見せない。
 今回はピーマンを包丁で切る芝居だけで、感情を表現した。 
 うまいキャラクター描写だ。

 
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デスノート

2006年10月28日 | 邦画
 映画「デスノート」前編について

★夜神月
 月(藤原竜也)の動機は、法で裁けず野放しになっている犯罪者の処刑である。
 結果、犯罪の激減。悪のない世の中の実現。
 月は現在の政治状況を象徴している。
 自分の理想を押し進めようとするアメリカ。
 自分の主義のために戦うテロリスト。
 行動動機は同じだ。
 後は方法論。
 あくまで法律(ルール)の中で実現するか、力(暴力)で実現するか?
 月は自分の行為を「革命」だと言う。 
 月は「力」で自分の理想を実現しようとする。

 しかし、そんな自分の理想も次第に変わってくる。
 L(松山ケンイチ)に追いつめられ、自己保身のために「力」を使うようになる。
 そして「力」を持ったことで、「神」になった気分になる。
 「力」は人を狂わせるのだ。
 月の力は「デスノート」だが、これを「権力」や「核爆弾」と置き換えてみてもいい。
 月は「権力者」を象徴している。

 月は同時に現在のデジタルゲーム世代の代表でもある。
 彼はゲーム感覚で「力」を使う。
 Lとのゲームに勝つために「力」を使う。
 Lは刑事局長・夜神総一郎(加賀丈史)に「捜査はゲームじゃない」と諭されるが、「結果が同じならいい」と突き放す。
 ゲーム感覚で行動していく月(そしてL)。

 これらの月を描くことによって、「デスノート」は現在の作品になった。

★L
 月のゲームの相手L。
 彼の捜査方法が面白い。
 彼は「犯人の範囲を狭めていく」という捜査方法を取る。
 そこには従来の推理小説が描いたような殺人の方法(トリック)などには関心がない。トリックを解明することなどは犯人逮捕に関係ないと思っている。

 犯人の範囲を狭めていくLのやったことはこうだ。
・関東地区だけに流すLの挑戦状。
・犯行時間の共通性。(大学の時間割の様だ)
・プロファイリング。
・捜査関係者だけしか知らない情報の秘匿。(月は秘匿された情報を使い犯行を行う。これにより犯人キラが捜査関係者の中にいると推定するのだ)
・FBI捜査官の尾行。
・FBI捜査官の死に関わった人間を犯人候補としてリストアップ。
・盗聴器の設置。

 昔の刑事は足を使ったが、Lは椅子に座っているだけ。
 アームチェア型の探偵の典型だが、情報からの推論・推理だけでなく、情報をおとりにして犯人を追い込んでいく所が新しい。
 従来の探偵は人をおとりににしたものだが(おとり捜査)、情報を流して犯人のリアクションを待つ。それもテレビなどのメディアも使って。
 新しい探偵の誕生だ。
 菓子を食べ続けるキャラクター作りもいい。

★デスノート
 死神の「力」であるデスノート。
 それだけでも万能の力だが、月の頭脳が加わってさらにパワーアップした様だ。
 デスノートの切れ端を触らせて、死神リュークを見せる。
 FBI捜査官に仲間の名前を書かせる。
 デスノートに死に至るまでの詳細な行動を書き、行動を支配する。

 次から次へと新しい新兵器を投入するのが、今までのエンタテインメントだったが、デスノートは違う。
 ひとつの武器を応用して使い、パワーアップさせる。
 これでデスノートがアイテムとしてどんどん立ってくる。
 素晴らしい。
 これがこの作品をさらに魅力的なものにした。

★フェイク・騙し
 ラスト、月は視聴者をも騙した。
 美術館で恋人を人質にとられた月。
 恋人を救うにはデスノートの力を使うしかない。
 しかし月の行動はLによって監視カメラで見守られている。
 月はLの罠にはまるのか?
 視聴者は手に汗握る。
 しかし、恋人は隙を見て逃げる。恋人は撃たれて死んでしまう。
 涙を流す月。
 愛する者の死は「デスノート」の力を使ってしまった者が受けるべき報い。
 通常のエンタテインメントならそう決着をつけるはずだが、この作品は違っていた。
 以下、ネタバレ。

 恋人の死も月によって、デスノートに書き込まれたものだったのだ。
 動機は、月が捜査本部に入るため。
 ここで視聴者は完全に騙されたと知る。
 映画「スティング」の様な見事なフェイクだ。
 同時に変わってしまった月も描いた。
 恋人を犠牲にして心が痛まないほど、デスノートとLとのゲームにのめり込んでしまった月。
 この変貌。
 実に怖い。
 予定調和で終わらせなくても物語は成り立つのだということがわかる。

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インサイドマン

2006年10月27日 | 洋画
 「血の流れるところで儲けるやつがいる」
 この作品、これに尽きる。

 マンハッタン信託銀行に強盗に入ったダルトンが狙うのは、ある隠し金庫のみ。
 これは銀行の会長のある物が入っている金庫。
 会長が「血の流れるところで儲けた」証拠になるものだ。
 盗まれたとしても公に出来ない。
 ダルトン以外の強盗たちは、人質に自分たちと同じ服装をさせ、警官隊が突入すると、人質たちといっしょに逃げる。
 逃げた人質たちと犯人は警察の尋問を受けるが、誰が犯人であるか、わからないから大丈夫という仕掛け。
 おまけに盗まれたものがないのだから、警察の追及も積極的でない。
 これがダルトンの完全犯罪。
 ただ、ダルトンは隠し金庫にあるものを持ち出さなくてはならないので、ほとぼりが覚めるまで銀行のある場所に隠れている。

 そして、こうした場を利用して儲ける奴がさらにいる。
 ここが、この作品の描きたいところだろう。

 ジョディ・フォスターの演じるヤリ手弁護士は、銀行会長の依頼を受け、隠し金庫にあるものを奪取するように指示される。
 これはダルトンが持ち出したのだから表に出ることないと報告して、報酬を得る。
 デンゼル・ワシントン演じる捜査官フレイジャーは隠し金庫の謎に気づく。
 ダルトンは悪戯で、会長が公にされては困る物をすべて持ち出さなかったから、それをフレイジャーは手に入れる。
 それをどこに持っていくか?
 フレイジャーは女弁護士のもとに持っていって、警察での出世を約束させた。

 描かれているのは、したたかな人間たちである。
 映画で描かれるのは、善良で正義感溢れる人間たちばかりではない。
 場を利用してしたたかに生きていくやつも描く。
 青臭くない大人のドラマだ。
 これらの行為によって、誰も傷つく者がいないのが見事だ。
 会長は証拠隠滅ができた。
 ダルトンは隠し金庫の中の物で金を得る。
 弁護士は報酬、フレイジャーは出世。
 ダルトンの強盗は華麗だが、むしろ「完全犯罪」とは、誰も傷つくものがない状況のことをいうのであろう。

★追記
 解放した人質が持っていた看板。
 この看板の中に実は盗聴器が入っている。
 これで警察の状況は筒抜け。
 警察の突入も事前に察知でき、強盗たちは人質たちといっしょに逃げられた。

 ラスト、ダルトンとフレイジャーがすれ違うシーンがある。
 そこである物をフレイジャーのポケットに入れるダルトン。
 フレイジャーは家に帰り、ポケットの中の物を見て、すれ違ったあいつが犯人だったのかとニヤリとする。
 華麗なワンシーンだ。

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日本シリーズ 第4戦

2006年10月26日 | スポーツ
“復帰”金村が勝利投手 日ハム、日本一へ王手(共同通信) - goo ニュース

 日本ハムと中日の日本シリーズ。
 守備や走塁の重要さをすごく感じる。

 日本ハムは主に足で点を取っている。
 2試合目の新庄の本塁突入。
 森本の盗塁と好走塁、昨日は3塁打だった。
 一方、中日。
 例えば昨日ウッズが2塁にいて、ライトフライ。
 ここは、ウッズの足に不安がるとはいえタッチアップで3塁へ行くべき。
 2塁と3塁とではプレッシャーが違う。
 例えアウトになったとしても、積極さで弾みがつく。
 走塁はチームに勢いを与える。

 守備は両チームとも素晴らしい。
 2死満塁のピンチを好守が救う。
 好守で守りきれば、守った方には弾みがつき、攻める方は意気消沈する。
 スポーツは心理戦でもある。
 ひとつひとつのプレーが選手に影響を与え、試合の流れを作る。
 だからディティルが重要なのだ。
 これはドラマや小説でも同じ。
 1シーン、1せりふ、1文章を大事にしない作品は面白くない。
 話は逸れたが、好守されて影響を受けない選手がいた。
 新庄だ。
 昨日の試合、満塁でバッターは新庄。
 ここでヒットを打てれば、ヒーロー。新聞の1面は新庄。
 しかし、ショート井端の好守でアウト。素晴らしいプレー。
 しかし、新庄はその好守を賞賛している様な表情。
 まず野球を楽しんでいる。
 彼は日本シリーズ、勝敗というプレッシャーからは超越している選手。
 お祭りを楽しめて、結果勝てればいいと思っている。
 それが新庄の魅力。
 
 さて、今回ドラマという点ではどうだろう。
 報道されている以上のことはわからないのだが、ドラマはほとんど日本ハムにある。
 ★新庄の引退
 ★北海道のファン
 ★そして今回の金村

 金村はファンとチームに謝り、感謝し、
 ヒルマン監督は「素晴らしいプレーだった。私にとってもチームにとってもファンにとっても彼は誇りだ」と返した。
 ドラマを抱えているチームは強い。
 ファンは各選手の抱えているドラマを知っていて応援にも熱が籠もる。
 新庄のため、金村のためファンが力を送る。
 一方、選手たちもファンに応えるためにがんばる。
 いい循環だ。
 これがプラスアルファを生む。
 ドラマは求心力を作る。
 だからドラマを抱えているチームは強い。

 さて、本日の第5戦。
 日本ハムが勝って、北海道で胴上げ。北海道のファンの中、新庄引退というドラマも面白いとは思うが、中日は一矢を報いて新しいドラマを見せてほしい。
 そんな中で新庄らがどんなドラマを演じるか見てみたい。

★追記
 翌日、10月26日。
 日本ハムは中日を下して、日本一になった。
 1点取られればスクイズで追いつき、追加点はセギノールの3ラン。
 小技、大技を使った攻撃。
 駄目押しは稲葉のホームラン。
 日本ハムが中日に流れを与えなかった。
 新庄は涙でラストバッターボックスに。
 大きな活躍はなかったが、やはり我々の記憶に残った。
 いい日本シリーズだった。
 野球が時代遅れで人気がなくなったのではない。
 いい試合を見せファンを大事にすれば、人はついてくる。
 これを今回証明したシリーズでもあった。

 
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プロ野球「しぐさ」の深読み心理学 ②

2006年10月25日 | スポーツ
 プロ野球「しぐさ」の深読み心理学(渋谷昌三・著 新構社)。
 今回はバッター編。

 140キロのピッチャーが投げてホームに届く時間は0.4秒。
 バッターはこの瞬きをする瞬間に打ち抜かなくてはならない。
 しかも、相手は緩急の差をつけたり、曲げたり、落としたり、変則フォームでタイミングを外してくるくせ者たち。
 バッターはこんな困難な仕事だから、成功率3割、失敗率7割でも名バッターとなる。
 それゆえ10割という完全主義のイチローのような選手には、首位打者となっても満足できない。
 また、努力に努力を重ねても、3割から4割に打率を上げるのは不可能だから、選手たちはジンクスに頼る。
 自分の力では何とかできない領域には運に頼らざるを得ない。
 そのため、水晶のネックレスを着けたり、スパイクを右足から履いたりする。

 バッターがバッターボックスに入るまでの動作、入って構えるまでの動作も決まっている選手が多い。例えば、わかりやすい所ではイチローの一連の動作。
 これは雑念・プレッシャーを払い、打つことだけに集中するための動作であるらしい。
 高い集中力を得るための儀式。

 打撃とは集中力なのだ。
 バッターは打率を少しでも上げるために、こんな努力をしている。

 しかし、バッターの敵はピッチャーだけはない。
 キャッチャーもいる。
 例えば、野村克也の「ささやき戦術」は有名だ。
「最近ステップの開きが早くなっているのと違うか?」
「今日の○○(ピッチャー)はコントロールが定まらないから、どこに来るかわからんでえ」
 これらのささやきで攪乱する。
 通常のバッターならこれで集中力を失ってしまう。
 しかし、この野村のささやきが全く通用しなかった選手がいるという。
 王貞治と長嶋茂雄だ。
 王は野村が何を言っても馬耳東風で集中力を欠かすことはなかった。
 長嶋は野村の囁きにいちいち返答、「えっ、そうなの」「なるほどねえ」と受け答えをしながら、ボールが来るとそんなことがなかったかのように平然と打ち返したという。
 やはりふたりは天才だ。

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のだめカンタービレ 第2話

2006年10月24日 | その他ドラマ
 第2話は4つのモチーフが同時並行で進行する。

1.のだめ(上野樹里)、千秋先輩(玉木宏)、真澄(小出恵介)の三角関係。
2.シュトレーゼマン(竹中直人)と特別編成オーケストラ(Sオケ)。
3.千秋と転科拒否、行き場所のない千秋。
4.峰龍太郎(瑛太)の再試験。

 それぞれは独立していてなかなか交わることがない。
 難しいドラマ作りだ。
 要素が多いから、ひとつひとつの描き込みが薄くなる。
 それを今回は勢いと力業でひとつにまとめた感じ。
 散漫な感じがする。
 のだめたちのキャラクター、各シーンが面白いので十分、面白かったけれど。

 さて次回以降。
 話は千秋のSオケの指揮→演奏会ということでまとまっていきそうだ。
 やはりドラマはしっかりした縦糸があり、キャラクターが絡んでいくのがいい。
 音楽もそうだが、各モチーフがそれぞれに自己主張していては美しくない。
 その点ではドラマと音楽は似ている。

 参考までに第2話の流れを簡単にまとめておく。

★Sオケメンバーの発表
 のだめはマスコットガール。シュトレーゼマンに文句を言いに行くのだめ。
★千秋の転科拒否
★真澄の嫉妬
 「殺すリスト」にリストアップされるのだめ。
★Sオケの練習
 合コンをやろうと言い出すシュトレーゼマン。以下、合コンシーンが3回ある。
★峰の再試験。のだめと出会う。のだめの演奏にソウルを感じる峰。
★千秋、峰とのだめの関係に嫉妬。
 アジを二匹買ったのに、のだめは峰のラーメン屋で食事。
 彩子(上原美佐)との関係復活。
 のだめ失恋。
★失恋してダメダメののだめを助ける峰。
 しかし、相手が千秋でライバルが美佐と知って「かなわない」と言う。
★真澄の攻撃
 死んじゃえ委員会からの手紙。
 たらい、水が落ちてくる、ねずみ花火、子供の水鉄砲、バナナの皮、食べられて空のお弁当、まぶたに目をかかれて。
★千秋を賭けてのだめVS真澄
★真澄、自らのティンパニー演奏を見せるが逆効果。
★のだめと峰の演奏。
 ベートーベンのバイオリンソナタを「光る青春の喜びと稲妻」と解釈する峰。
★のだめ、デートに誘うが結局断られる。
★落ち込むのだめと真澄。
 のだめの色気作戦。だちゅうーの攻撃。しかし失敗。
 真澄もオカマは嫌いだと言われて涙。
★千秋の峰の演奏批判。
 自分勝手だ。ピアノの音を聞いていない。しかし、ソロではいい物を持っている。
★学校を辞めて故郷に帰る決心をする真澄。
★峰の再試験当日。
 のだめは風邪でダウン。
★千秋が代わりにピアノを務めることに。
 入ってほしい所に入ってくる気持ちのいい演奏。音楽の楽しさを知る峰。
 千秋も峰がのだめと同じだと見直す。
 真澄も音楽の良さを再認識。
★歩いてくる千秋、真澄、峰、のだめは千秋の背中。
 千秋を中心に人が集まってくる。
 千秋と演奏をしたがっている。
★千秋が卒業すれば外国に行くことを知るのだめ。
 それを阻止するために、指揮科への転科をシュトレーゼマンに頼みに行く。
 しかし、見返りはキス。
★シュトレーゼマンが来ないので、帰ろうと言い出すSオケメンバー。
 飛び込んでくるのだめ。
 千秋指揮で練習をすると言う。
 一方、倒れているシュトレーゼマン。(千秋に殴られたのだろう)

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功名が辻 ガラシャの魂

2006年10月23日 | 大河ドラマ・時代劇
 第42回「ガラシャの魂」

 今回は一豊(上川隆也)最大の見せ場でもある。
 家康(西田敏行)につくか三成(中村橋之助)につくか。
 ラスト一豊は家康に味方すると宣言する。
 葛藤を抱え、ついに決断する主人公の姿ほどかっこいいものはない。
 エンタテインメントの醍醐味だ。

 一豊が決断に至るまでにはいくつかの伏線があった。
 
 まずは家康の大きさ。
 家康に対峙して、一豊は迷っている自分の胸中を正直に話す。
 律儀者の一豊ならではだ。
 それに対して家康。
「損得で味方してくる者はすぐに裏切る。十分にお迷いなされ」
「仮に戦場で敵として相まみえようとも、お恨みはいたしませぬ」
 度量が大きく苦労人でなければ言えない言葉だ。
 三成の言うようにそれが不義であっても、優れた指導者の方がいい。
 そう一豊は考えたのかもしれない。

 そして千代(仲間由紀恵)。
 孫作(徳井優)に文を遣わした方法が心憎い。
 まずは六平太(香川照之)から聞いた毛利の情勢を文に書き、夫の判断材料にする。
 そして三成からの家康告発の回状。
 千代は回状を開けることなく夫に手渡した。
 家康に味方するならそのままそれを家康の所に持っていき、三成に味方するならそれを読んで大阪に行くように手紙を添えて。
 原作ではこう表現している。
「千代の芸がわかった。人の心を知り抜いた憎いばかりの芸であった。これを封印つきのまま家康に差し出す。すると家康は伊右衛門の律儀さ、誠実さ、そして自分に対する肩入れに感激するであろう。もし、奉行衆の回状を見えてから家康に差し出すとしたら、やはり回文に接していろいろと思案したということを疑われても仕方がないのである」
 そこには千代のしたたかな知恵があり、夫に判断を委ねる想いがある。
 そしてラストの一豊の決断に至る。
 一豊の決断を物語の主軸に描きながら、家康と千代の人物までも描いてしまう。
 大石静さんの筆は巧みだ。

 大石さんは、その他にも千代を描いた。
 大坂城に入るように言ってくる使者にのらりくらりと交わす千代。
 座る席のことに難癖をつけ、自分が従うのは夫の指示のみと言ってのける。
 千代も歳を取り、腹が据わりずるくなってきたようだ。
 実は足はフラフラでかなり緊張していた様ではあったが。

 また、ガラシャ(長谷川京子)の死も単なる悲劇として終わらせなかった。
 彼女の死が、諸大名を反三成に向かわせたというのだ。
 自分に味方させるために人質を取ること自体、非道であるが、その結果、ひとりが死んでしまった。
 そうした人のリアクションを想定できなかった所に三成の限界がある。
 家康なら、人質をとればああなってこうなってと、将棋を指すように次の次まで読んでいただろう。

 大河ドラマは、こうした駆け引き、権謀術数を描けるところが面白い。
 また、そうした政治的な心のドラマを描くと同時に、千代がガラシャの父・明智光秀の言葉を伝えて、生き延びさせようと行動したことや康豊(玉木宏)の想いなどといった細やかな想いも描く。
 それが45分という時間の中で十分に描かれたどうかは難しいところだが、よくできた大河ドラマは軟硬織り交ぜたドラマが凝縮されている。
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プロ野球しぐさの深読み心理学 ①

2006年10月22日 | スポーツ
 「プロ野球しぐさの深読み心理学」(新構社)では、行動心理学者が野球を論じている。
 バッターとピッチャーが一対一で対峙・対決する野球には「間合い」があり、見ている者は選手の心理を読みやすい。
 それは滅多に動きがストップすることがないサッカーやバスケットボールとは大きな違いだ。
 おじさんたちに喜ばれるのもそのためだろう。

 さてまずはピッチャーの心理学から。
 ピッチャーはプライドが高くて負けん気が強いというのはよく言われることだ。
 最近のピッチャーでは西武の松坂。
 2死、三振を取ってマウンドを去る時のふてぶてしい表情。
 ピッチャーのプライドの現れそのものだ。
 それゆえマナーも悪い。
 現役時代の星野仙一は巨人に完投勝利した時は「それでもおまえら巨人か。俺はまだ10回でも投げられるぞ」と巨人ベンチに向かって叫んだらしいが、これくらい言い切れる自負心がなくてはならない。
 しかし、そんなピッチャーは実は繊細だ。
 繊細さはプライドの裏返しとも言える。
 一流のピッチャーはバッターに打たれた時は、配球・コースすべてを覚えているという。
 よく打たれるバッターには苦手意識もある。
 ピッチャーはマウンドで自分の弱さと戦っているのだ。
 打たれてコーチがマウンドに行って「大丈夫か」と言われた時、ピッチャーは絶対に「大丈夫です」と答える。決して自分からダメですとは言わない。
 そんなピッチャーの交代時期を亡き仰木監督は目を見て判断したという。
 また自分の心が折れないように、相手に飲まれないように、強がる。
 佐々木なども自信満々でマウンドに出て来て、自分を優位に見せようとしたらしい。見せ方もひとつの「技術」なのだ。
 プライドと繊細さでピッチャーを見ると、様々なものが見えてくる。
 その他、ピッチャーの特性としては非常にストレスの多いポジションであること。
 確かに9回2死まで勝っていても、逆転打を打たれれば今までの努力が無に帰してしまう商売だ。ストレスは多い。そのためピッチャーは切り換えがうまくできなくてはいけないらしい。引きずっていてはストレスを貯めてしまう。星野仙一は打たれればベンチの茶碗を投げてストレスを発散したというが、それぞれストレスの発散の仕方があるらしい。

 いずれにしてもこうした選手の心理を読めることは、観戦を深くする。
 これが野球の面白さだろう。

★追記
 投球術とは、いかに打者のタイミングを外すかということらしい。
 一流の投手、打者同士の対決では力の差は紙一重。
 それゆえ打者はタイミングを合わせようとし、投手はタイミングを外そうと努力する。フォームもそうだが、投球と投球の間合いもそのひとつだ。

 また打率という点では、下記の江川のコメントが面白い。
「打率はあくまで過去の通算の数字であって、この場面でヒットの出る確率とは違うのです。私は今のピッチャーとバッターの調子を比較したとき、ヒットの出る確率は5割以上あると思います」

 ちなみにID野球について
 今ではどこでもやっていることらしいが、ID野球とは次のことを頭に入れてバッターに向かうことらしい。
 相手バッターの調子、得意・不得意の球種・コースの分析、右投手・左投手の打率・得点圏打率、苦手ピッチャー、チャンスに強いのか弱いのか。 
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