悪魔くん復活。
エピソードとしては、茂(向井理)の両親が放映を見るために東京へやって来る下りが面白い。
テレビが壊れたから茂の所で見るために東京に出て来た。
でもテレビが壊れたのはウソだったんですね。
本当は母・絹代(竹下景子)が茂といっしょに放映を見たかったから。息子の成功を同じ場所で共有したかったから。
素直になれない母親心が伝わってきます。
物語としては、直接的な描写よりこのくらいひねった方が伝わってくるんですね。
あとはゼタの深沢(村上弘明)。
茂の成功に便乗して雑誌を大きくしようとする加納郁子(桜田聖子)に深沢は言う。
「大きくしてどうするんだ? 私はゼタを自由に漫画が描ける場所にしておきたい」
これもひとつの考え方・スタンス。
百万部のメジャーだと売り上げのために冒険が出来ない。いろいろな制約が出て来る。
しかしマイナーだと自由に様々な冒険が出来る。これがマイナーの強み。
現在ではメジャーが上でマイナーが下という意識は少なくなりましたが、皆が上を目指していた高度経済成長の時代に、マイナーを維持しようとした深沢は大したものですね。
あと今週面白かったのは村井家の台所。
大きな炊飯器、木のまな板、不格好なやかん、かき氷の器械、ワンドアで丸い冷蔵庫。
昔の台所はみなこんな感じでしたね。
台所ではないが、黒電話やおよそグッドデザインとは言えない無骨な扇風機もあった。
実に懐かしい。
この作品が20%を越える高視聴率を確保しているのも、年配の方がこの風景を懐かしいと感じているからではないでしょうか?
でも、あれ? と思ったのは金曜日。
ジャガイモの皮を剥くのに布美枝(松下奈緒)はピラーを使っている。
昭和41年にピラーはあったのかな? 最近の様な気がするけど。
視聴者は細かく見ていますからね。ディティルは本当に大事。
ディティルと言えば、藍子の絵。
おじいちゃん、おばあちゃんの絵に、いっしょに上京してきた茂の弟・光男の絵も描かれていた。
こういう遊びは嬉しい。
エピソードとしては、茂(向井理)の両親が放映を見るために東京へやって来る下りが面白い。
テレビが壊れたから茂の所で見るために東京に出て来た。
でもテレビが壊れたのはウソだったんですね。
本当は母・絹代(竹下景子)が茂といっしょに放映を見たかったから。息子の成功を同じ場所で共有したかったから。
素直になれない母親心が伝わってきます。
物語としては、直接的な描写よりこのくらいひねった方が伝わってくるんですね。
あとはゼタの深沢(村上弘明)。
茂の成功に便乗して雑誌を大きくしようとする加納郁子(桜田聖子)に深沢は言う。
「大きくしてどうするんだ? 私はゼタを自由に漫画が描ける場所にしておきたい」
これもひとつの考え方・スタンス。
百万部のメジャーだと売り上げのために冒険が出来ない。いろいろな制約が出て来る。
しかしマイナーだと自由に様々な冒険が出来る。これがマイナーの強み。
現在ではメジャーが上でマイナーが下という意識は少なくなりましたが、皆が上を目指していた高度経済成長の時代に、マイナーを維持しようとした深沢は大したものですね。
あと今週面白かったのは村井家の台所。
大きな炊飯器、木のまな板、不格好なやかん、かき氷の器械、ワンドアで丸い冷蔵庫。
昔の台所はみなこんな感じでしたね。
台所ではないが、黒電話やおよそグッドデザインとは言えない無骨な扇風機もあった。
実に懐かしい。
この作品が20%を越える高視聴率を確保しているのも、年配の方がこの風景を懐かしいと感じているからではないでしょうか?
でも、あれ? と思ったのは金曜日。
ジャガイモの皮を剥くのに布美枝(松下奈緒)はピラーを使っている。
昭和41年にピラーはあったのかな? 最近の様な気がするけど。
視聴者は細かく見ていますからね。ディティルは本当に大事。
ディティルと言えば、藍子の絵。
おじいちゃん、おばあちゃんの絵に、いっしょに上京してきた茂の弟・光男の絵も描かれていた。
こういう遊びは嬉しい。