平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

龍馬伝 第22回「龍という女」

2010年05月31日 | 大河ドラマ・時代劇
 今回は以蔵こと佐藤健さんの芝居のしどころ。
 刺客に追われ、恐怖で張りつめパニック状態。
 テンションを維持して、桶を倒し、地べたを這いずりまわる演技はかなりハードなものだったでしょう。
 しかもどこにも居場所がない、誰も助けてくれない孤独も表現しなくてはならない。
 演出も凝っている。
 軒にかかっている色とりどりの反物、色鮮やかな傘。
 悲惨なシーンながらも色彩を加える映像美。
 そう言えば、以蔵のシーンは初めて人斬りをした時のスローモーションをはじめ、映像が凝っていますね。
 新選組が余計な言葉を発せず無言なのも恐怖を増す。
 言葉を発しないのは感情がないから、完全な殺人ロボットになっているから。
 以蔵が悩み苦しみながら人を殺したのと180度違う。
 本当は言葉を発していたのだが、恐怖に震える以蔵には聞こえなかったのかもしれない。
 役者さんの演技もそうだが、これだけ映像作りに凝ってもらえると力が漲り、心打つシーンになりますね。

 そしてお龍(真木よう子)さん。
 どの様に描かれるかと思っていたら、かなり強い女性で描かれていましたね。
 乙女(寺島しのぶ)姉さんの影響からか、龍馬(福山雅治)は気性の激しい女性が好き?
 でも、ふたりは同じ<龍>の名前であるせいもあって、初めて会った時から波長が合ったようです。
 龍馬は初めて会ったのに、「自分は裕福な家の生まれでこの歳になっても兄弟に助けられている」と自分の身の上をベラベラと話し、以蔵のことでは臆面もなく涙を見せる。
 一方、お龍は龍馬の涙に共感して、うっすらと涙を流す。
 これは何ですかね? 引き合う磁石のようなもの?
 今後の恋の進展に注目です。

 最後は弥太郎(香川照之)。
 「土佐では下士は調子に乗ったらいかん。大殿様のためと言えば言うほど、言われた方はイライラしてくる。人間言うのはそういうもんじゃき」
 本質を的確に掴んでいる。
 吉田東洋に見出され、犬のように使われた経験。落書きで投獄された経験が弥太郎に勉強をさせたのでしょう。
 上士なんか信じない。当てにしても仕方がないと。
 信じられるものは自分と金しかないと。
 弥太郎は完全に商人。
 そして商人には時勢を読む力が必要。
 時代の流れの中で溺れないように変わっていくことに何のためらいもない。
 この点、半平太(大森南朋)とは対照的。
 半平太は武士にこだわり、土佐藩と攘夷にこだわった。
 どちらが生き方として正しいかは決められないが、弥太郎は弥太郎、半平太は半平太にしかなれない。
 龍馬も攘夷に違和感を感じ、土佐藩にこだわらず脱藩して、勝に出会った。
 結局は、それぞれ自分の花を咲かせるしかないんですね。


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ゲゲゲの女房 平成のアッキーナが昭和を演じる

2010年05月30日 | ホームドラマ
★今回のクライマックスは木曜日。
 茂(向井理)の描いた漫画を届けに行く布美枝(松下奈緒)。
 そこで原稿料を半分にされる。布美枝(松下奈緒)は「私を信じて下さい」と勇躍届けに行ったのに。
 そして夫の描いた漫画が少女マンガであることを知って……。

 この後、家に帰ってからの茂と布美枝のやりとりがいい。
 布美枝はコーヒーを買ってきた。
 <貧乏であっても心のぜいたくを>
 そんな茂の考えを理解したのだ。無理して少女漫画を描いたことへのねぎらいもあっただろう。
 茂も半分しかお金をもらえなかった布美枝に「仕方がない。俺がやっても同じだっただろう」と話す。
 ここが茂の大きい所。「だから俺が行くと言っただろう!役立たず!」とは言わない。
 茂はきっと布美枝がお金を持って来られないことを予想していたんじゃないのかな。
 そして布美枝にコーヒーを淹れてやる。布美枝の分まで。覆面レスラーの話をして。
 コーヒーがふたりの絆をさらに深める上手い小道具になっている。
 同じ物を分かち合う喜び、心地よさみたいなものも表現している。

★南明奈さんの河合はる子も上手いキャスティング。
 はる子という脇役をやるとしたら南さん以外に誰がいるかと考えてみたが、やはり彼女が適役だ。
 堀北真希さんとか一線級の女優さんがやるわけにはいかないし、無名の新人では花がない。
 あの色彩豊かな服を着こなせるのも彼女だし(他の人が着たら衣装負けしてしまう)、夢に向かって目をキラキラ輝かせている姿も南さんによく似合う。
 また<平成>のアッキーナが<昭和>をどう演じるかも興味津々。見事な話題作りだ。

 そう言えば、この作品で原色に近い色の服を着ているのは、布美枝とはる子だけですね。
 この色彩感覚は面白い。
 主役の布美枝以外に原色の服を着せた演出の意図はどこにあるのだろう?


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沖縄基地問題 深い深い失望……

2010年05月28日 | 事件・出来事
普天間、辺野古に移転と明記 日米共同声明発表(朝日新聞) - goo ニュース

 残念な結果である。というかひどすぎる。
 鳩山首相の発言・公約を考えれば、基地の国外移設のためにアメリカとガンガン議論すべきなのにそれをやった気配もない。
 総理がこんな及び腰ならアメリカだって突っぱねますよ。
 対等な日米関係はどこに行ったのか?

 あるいはアメリカとの交渉を水面下でガンガンやっていて、この結論に達したのなら、その交渉の過程を明らかにするべきである。
 鳩山首相は「海兵隊の抑止力について知れば知るほど理解した」と発言したが、ならばその理解した内容を話してほしい。
 北朝鮮が……、中国が……、具体的な名前をあげることは外交上マイナスだという配慮なのだろうが、現在の朝鮮半島の緊張を考えれば、それを題材にして話してくれてもいい。
 ともかく海兵隊が沖縄にあることの意味を話してほしい。

 しかし、まだまだ問題はある。
 仮に日米共同宣言で辺野古を明記したとしても、住民の反対運動が激化している今、果たして造れるのか?
 造るには沖縄県知事の認可がいるというし。
 もし造れなければ、共同宣言で示したアメリカとの約束は反故にされる。
 当然、アメリカは呆れるだろう。日本という国は信用されなくなるだろう。
 何という下手くそな外交。
 
 ここまでもつれにもつれた事態に至らしめた鳩山首相に実務能力はない。もはや混乱しかもたらさない。
 鳩山首相には社会人として働いた経験があるのかな?
 「仕事には順序や段取りがあって」という新入社員に教えるようなことを一国の首相に言わなくてはならないなんて。

 今、鳩山首相がやるべきことは初志貫徹してアメリカと立ち向かうことである。
 もはやそれも遅いということであれば、混乱の責任をとって辞めるべきである。
 辞めて、菅さんでも誰でもいい、「住民は大反対してしますし、日本には移設する場所はありません。鳩山も責任をとって辞めましたからアメリカさん、何とか国外移設を考えてもらえませんか」と言うべきである。

 鳩山さんはバカ。実務能力のないお坊ちゃん。
 麻生さんの時もそうだったが、首相がバカだと思われたらおしまいだ。
 信頼を失ったらなおさらだ。
 当初の発言どおり、たとえダメでもドンキホーテのように「国外移設」のためにアメリカと闘っていれば、少なくとも絶大な信頼は得られたのに。
 もはや鳩山首相には深い深い失望しかない。
 こんな総理に期待した自分がバカに見える。

※追記
 28日夜、鳩山総理は記者会見。社民党・福島大臣は罷免。
 アメリカとの交渉をした結果、この結論になったことを語ったが、まあその言葉は信じよう。どのくらい必死だったかはわからないが。
 また総理は今後も沖縄の負担軽減のために努力していくと語ったが、この件については民意を問うべきである。
 鳩山総理および鳩山内閣に今後も沖縄の負担軽減の仕事をさせていいかどうか。
 今回の仕事のやりかたをみると、とても任せられないというのが正直な所。
 鳩山総理には信頼がなくなっているのだから。
 鳩山総理は解散総選挙で民意を問うべき。
 これがわかりやすい、筋の通った政治のあり方。


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臨場 第7話 春を期待していたのに

2010年05月27日 | 推理・サスペンスドラマ
 検死官は現場に残された客観的事実から真相を究明しなければならない。
 なのに小坂(松下由樹)は、被害者の置かれていた情況から犯人を類推し、決め込んでしまった。
 これは検死官のあり方ではない。

 また小坂はもうひとつミスを犯してしまった。
 現場から根こそぎ拾っていない。
 <被害者は男を憎んでおり、自分に迫った男たちを窮地に追い込むために自殺した>と判断した小坂。
 でも、これだけでは不十分。
 なぜならこれだと<割れた鏡>の説明がつかないからだ。
 この<割れた鏡>の意味も根こそぎ拾ってこそ真実が現れる。
 つまり自殺した梨緒(前田愛)は<女である自分を憎んでいた>。
 
 新人の永嶋(平山浩行)は「検視官ってすごい仕事ですね」と言っていたが、確かに奥が深いですね。
 現場の情況から、相手の心の奥底までを見抜いてしまう。

 そして人間の心とは複雑で矛盾したもの。
 男を憎み、女である自分を憎む。
 生きることに絶望していながら、友達との飲み会では春の素晴らしさ、期待を語る。
 自殺する間際でありながら、金魚に餌をやることを忘れない。

 もっとも<飲み会>や<金魚の餌>の話はもしかしたら描かなくてもいい話かもしれない。
 だが、これらを入れることで複雑な人間の心の中が浮き彫りになる。
 梨緒という人物に厚みが出て来る。
 こういう人物描写をされると、逆にお見事!と言いたくなりますね。

 そして、こうした描写をしたからラストの倉石(内野聖陽)のシーンにも厚みが出て来る。
 倉石は梨緒の部屋にたたずみ、何を感じたのでしょう?
 憎しみの中で死を選んだ悲惨。
 しかし、それだけではない。きっと倉石は問いかけたはず。
 春に期待するなど、生への希望も持っていたのに、なぜあんたは死を選んだのか?
 金魚に餌をやったあんたは、世界を愛しつながっていたいと思っていたのではないのか?

 憎しみを捨てれば、まだまだ世の中は捨てたものではないと思うんですけどね。


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ハゲタカ 彼は何かを失った

2010年05月26日 | 邦画
 映画「ハゲタカ」。
 企業買収をめぐるバトルも面白いが、印象的なシーンがふたつある。

 劉(玉山鉄二)に利用されて派遣社員の労働運動を起こす青年。
 結局労働運動は挫折。
 青年は買収劇に利用されたことを知り、怒りで劉の所に乗り込んでいくのだが、劉に礼金渡される。
 金額は400万。
 当然、青年は受け取ることを拒絶する。
 床に散らばる札束。 
 青年にしてみればプライドもあるし、礼金のために行動したわけではないのだ。
 だが……。
 執拗に劉に受け取るように言われて、ついには床に散らばった金をポケットに突っ込んでいく。それこそ地面に這いつくばって、一枚も拾い残しもないように。
 金の前にはプライドも正義の行動も霧散してしまうのだ。
 そして金をポケットに突っ込んだ時点で何か大切なものを失ってしまった。
 彼は今後も金に支配される人生を送っていくことだろう。

 ふたつめの印象的なシーンはラスト。
 (これはネタバレ)
 買収劇に破れた劉は雨の降る路地を歩く。
 するとひとりのホームレスがやって来て、財布を奪うために劉をナイフで刺す。
 倒れた劉にさらにたくさんのホームレスが群がり、彼からあらゆるものを剥ぎ取っていく。
 劉は間接的ではあるが、自分が行ったマネーゲームの結果作りだした<負け組>に復讐されたのだ。
 金によって命を奪われたのだ。

 主人公・鷲津(大森南朋)はラストで言う。
 「人生にはふたつの不幸がある。ひとつは金がない不幸。もうひとつは金のある不幸。金は人を不幸にする」
 金を求めて狂奔する現代人たち。
 金に翻弄され、自分を見失ってしまう現代人たち。

 お金とは何なんでしょうね。
 きれいごとになってしまうかもしれないが、お金は手段。
 お金を使って何をするかにある。決して目的ではない。
 劉の生家に描かれたクレヨンの自動車の絵が実に象徴的だ。
 彼はアカマ自動車を買収して、かつて子供の頃に憧れた自動車を作りたかったのだ。


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奇跡の地球物語 野菜は必死に生きている。

2010年05月25日 | ドキュメンタリー
 キャベツ、大根などはアブラナ科の植物らしい。
 これらは人間がアブラナを改良して作った野菜。
 ではなぜアブラナなのか?
 それはアブラナが油成分が多くて苦く、他の動物が食べなかったから。
 ではなぜ人間がそんな他の動物が食べないような物を?
 それは人間の身体能力が他の動物に比べて低く、残り物のアブラナしか食べられなかったから。
 なるほどねえ!
 でも人間がすごい所は、その食べづらいアブラナを改良して、食べられる野菜を作ったこと。
 野菜ひとつをとってみても、壮大な歴史がある。
 生きるために戦い、工夫してきた歴史がある。

 テレビ朝日 日曜・夕方6時30分の「奇跡の地球物語」では、この他にもこんな野菜の紹介をしていた。
 トマトだ。
 トマトの種が詰まっているゼリー状の部分には糖分やグルタミン酸(=いわゆる味の素)が含まれていると言う。
 なぜ、これらの物質が含まれているか?
 それは動物に食べてもらうため。
 ええっ、なぜ!?
 それはこういうことらしい。
 トマトの実は食べられるが、種は消化されずに糞(ふん)として排出される。
 実を食べる鳥や動物は様々な土地を移動するから、種は別の場所に運ばれる。
 その場所で発芽できる。
 またトマトのゼリー状のネバネバには発芽抑制効果があるらしい。
 これにより寒い冬での発芽が抑制される。

 何というトマトの智恵だろう!
 赤いあいつがそんなことを考えていたなんて。
 僕も家庭菜園をやっていて、収穫目前のトマトを鳥に持っていかれて悔しい思いをしたことがあったけど、それはトマトの摂理にかなっていた! トマトが望んでいたことだった!
 そう考えると、持っていかれたことも何だかうれしくなる。

 それにしても生物は生きるために一生懸命なんですね。
 世の中に真実があるとすれば、それは次の様なことではないでしょうか?
 <生物は生きるために一生懸命がんばる><種を残すことに必死になる>
 生物はそのために生きている。
 それはアブラナを改良して野菜にした人間もそう。
 改良したことは生きるための必死の努力。
 だが、一方で人間は自然の摂理から外れた生き物でもあるんですね。
 アブラナを野菜にしただけでは物足りなくてもっと美味しい物を求める。
 食べられるだけで満足しないで、自動車とか娯楽とか様々な物を求める。
 種の保存のためだった生殖は本来の目的を離れて、快楽のために使われる。
 自然の摂理から外れた人間は、まだ地球に許容量があるうちは許されたけれど、もはや地球を壊すほどの存在になっている。
 自然災害やウイルスはそんな地球の警鐘かもしれない。


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龍馬伝 第21回「故郷の友よ」

2010年05月24日 | 大河ドラマ・時代劇
 半平太(大森南朋)の話が続く。
 脚本の福田さん、こだわりますね、半平太に。佐那などより数倍時間をかけて描いている。
 というわけで半平太。

 土佐勤王党の仲間を前にして「わしらは間違うちょらん」「すべては容堂公のために」と演説した時は、この人、まだわかっていないのかと思ったが、実は半平太、迷っていた。
 半平太は弥太郎(香川照之)に言う。
 「お前のようなやつがいてもいいと思った」
 これは<尊皇攘夷>以外の生き方を認めた半平太の変化。以前は<尊皇攘夷>以外は、人に非ず。天誅を加える!でしたからね。
 妻・富にはこう言う。
 「わしは己の生き方を貫くことしかできん。龍馬や弥太郎のようには生きられんがぜよ」
 これは自分に言い聞かせている言葉でもある。
 半平太は迷い、龍馬(福山雅治)や弥太郎のように生きることは出来なかったかと考えていたのだ。
 その結論は「わしは己の生き方を貫くことしかできん。龍馬や弥太郎のようには生きられんがぜよ」であったけれど。
 しかし、こんな変化も。彼はさらに富に言う。
 「すまんかったの。これからは二人で過ごそう。そうじゃ、夏が終わる前に桂浜に行こう。秋になったら紅葉狩りじゃの。温泉に行っても良い」
 自分の生き方とは、政治的なことでなく、妻と平穏に過ごすことだったのかもしれないと気づいた半平太。
 この間、彼を捕縛しようとする容堂の使者が扉を叩いている。
 以前の半平太だったら、容堂の使いが来たら妻との語らいなど打ち切ってまっ先に飛び出して行ったかもしれない。
 <攘夷>の狂熱から醒めて、彼は大きく変わったのだ。
 そして抜け殻になった。
 半平太から<攘夷>と<容堂公>を取ったら何も残らなかった。
 唯一、残ったのが妻と友。
 今の半平太を支えているのは妻と友であったのだろう。

 さて、まとめる。
 半平太は山の頂上を目指して、休むことなく真っ直ぐに登った。
 龍馬は道に迷い、ウロウロしながら山に登っている。
 勝(武田鉄矢)が言うとおり、「海軍で日本のために生きる」という目標を決めたのなら一心不乱に邁進すべきなのに、武市や以蔵(佐藤健)のことを考えている。
 弥太郎もそうだ。
 商売が上手くいかず、なかなか上に登れない。(今回やっと道が開けたが……)

 半平太の生き方、龍馬・弥太郎の生き方、どちらも無器用だ。
 一心不乱に頂上に登って、雲を眼下に見下ろす壮大な景色を見るか(半平太のように頂上に登り切れずに挫折するという可能性もありますが)、寄り道をしてゆっくり山に登り、道端の花の美しさに目をやるか、生き方は人それぞれ。

 前回の「けし粒」の話などを含め、「龍馬伝」には様々な人生論が詰まっている。


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ゲゲゲの女房 のんびりやればいいのです

2010年05月23日 | ホームドラマ
★今週は源兵衛(大杉漣)の顔に尽きる。
 太一(鈴木裕樹)や美智子(松坂慶子)のことで、茂(向井理)の仕事が「人の支えになっている」ことがわかった瞬間の源兵衛の顔。
 駅に送る時の布美枝(松下奈緒)の言葉、「お金はないけど、私、毎日笑って暮らしてるよ」を聞いた時の源兵衛の顔。
 いずれも何のせりふもなかったが、源兵衛の気持ちが伝わってくる。大杉漣さん、名演技!
 <まわりにたくさんの人がいて、毎日笑って暮らしている>
 人の幸せを考える時に、そのこと以上に説得力のあることはないでしょう。
 「金には恵まれていないが、人の縁には恵まれているようだ」
 源兵衛のせりふですが、人間、それだけで十分なような気がしますね。

★ラストの太一と美智子のやりとりもなかなか。
 「肉団子とハンバーグとどっちがいい?」
 「鬼太郎」を読みふける太一は「どっちでもいい」と無関心な様子。
 すると美智子。
 「もう、張り合いがないわね」
 こんな会話が出来るほど、ふたりの距離は今回のことで縮まったんですね。まるで本当の親子のよう。
 それと<張り合い>があるということ。
 人が人と関わりを持とうとするのは<張り合い>を求めているからなのかもしれません。
 美智子は太一に「心配させてよ」と本音をぶつけましたが、人に喜んでもらうことばかりでなく、心配すること自体が<張り合い>や<生きがい>になる。
 だから子供が親に心配をかけることは親孝行。
 損得抜きに心配する人、心配してくれる人がいることは幸せ。

★茂の太一への対し方もさりげなくていい。
 「お互いうまくいっとりませんな。まあ、のんびりやればいいのです」
 これは達観!
 物事がうまくいかない時、人はあせってあがいてどんどん泥沼にはまってしまいますが、「人生、いい時も悪い時もある」「のんびりやればいいのだ」と思えれば、どんなに楽になることか。
 僕も最近仕事がうまくいっていなくて落ち込んでいたのですが、この茂の言葉に結構救われました。


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海底軍艦 オリジナリティのある作品は生き続ける

2010年05月21日 | 邦画
 東宝特撮「海底軍艦」を見た。
 それで思ったのはアニメ「ふしぎの海のナディア」はこれをベースにしているんだな、ということ。
 ジュール・ベルヌ+海底軍艦=ナディア。
 「ナディア」の監督の庵野秀明さんは「自分にはオリジナリティがない」と公言されているが、まあ確かにこれだけ作品が出てますからね、物語のパターンも限られているでしょうし、既存の作品をどう換骨奪胎するかが現在のクリエイターに問われる所。

 さて「海底軍艦」と「ナディア」の類似点。
★古代文明との戦いであること。(「海底軍艦」はムー帝国、「ナディア」はアトランティス)
★船長である父と娘の葛藤があること。
★海底軍艦・轟天号もノーチラス二世号も空を飛ぶこと。
★巨大な海の生物との戦いがあること。
★敵スパイがいること。
★ラストは敵本拠地に乗り込んでの戦いがあること。

 というわけで、「海底軍艦」は後のクリエイターが換骨奪胎するほどオリジナリティがあるんですね。
 カルピスの原液から、カルピスウォーターやカルピスオレンジ、カルピスソーダーが出来たような、たこ焼きやたい焼きが様々に発展したような、そんな「カルピスの原液」「たこ焼き」「たい焼き」のオリジナリティがある。
 原作は明治の作家・押川春波の作品であるが、これが映画「海底軍艦」となり、アニメ「ふしぎの海のナディア」になる。
 そして、様々に形を変えて生き続ける。
 実に大したものです。またオリジナリティとはそういうこと。

 もっとも映画「海底軍艦」のラストには違和感。
 何とムー帝国は滅びてしまうのだ。
 敵が戦いの末に滅びてしまうこと。
 これは「宇宙戦艦ヤマト」世代にはちょっとつらい。
 なぜならヤマト世代は「俺たちがすべきことは戦うことじゃなかった。愛し合うべきだった」ということに気づいた世代だったから。
 「宇宙戦艦ヤマト」の前と後で、作品は大きく変わったような気がします。

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臨場 第6話 先入観を捨てる

2010年05月20日 | 推理・サスペンスドラマ
 事件の真相というのは、犯行がどのように行われたかを解明すれば見えてくるものなんですね。
 今回は眼鏡。
 相手を鉄棒で殴っているうちに自分の眼鏡が落ちて叩き壊してしまった。
 自分の眼鏡が残っていれば犯人が自分であることがわかってしまう。
 さて、どうするか?
 見ると殺した相手も眼鏡をかけていて、眼鏡が壊れずに床に落ちている。
 この眼鏡を持ち帰り、壊れた自分の眼鏡を相手のものと見せかければ誤魔化せる。
 これが犯人が考えた偽装。証拠隠滅のトリック。
 しかし、そのことがバレれば……。
 犯人はおのずと判明する。

 監察官の倉石(内野聖陽)は現場を素直に見て再現することで事件を解決するんですね。
 一方、四課の城野則夫(北見敏之)は現場を見ない。
 殺されたのがヤクザ者であるから犯人もヤクザだと先入観で考えてしまう。

 そして、この<先入観>というモチーフは新任の検視補助官・永嶋武文(平山浩行)の物語とリンクしている。
 かつてワルだった永嶋。彼は改心して警察官になった。
 昔のことを償うためか、警官の仕事に燃えている。
 だが警察では<改心組>というレッテルを張られ、先入観で見られてしまう。
 そんな永嶋にとって倉石は信頼すべき上司となったことだろう。
 何しろ物事を<先入観>で見ないのだから。真摯に現場を見て、人間を見つめる。
 五代(益岡徹)との会話に拠ると、永嶋を自分の部署に呼んだのは倉石らしい。
 倉石が永嶋を抜擢した理由は、正義を行いたいのに先入観から十分に行えない永嶋の鬱屈としたものを見取ったからか。
 倉石のもとで永嶋がどう成長していくか楽しみ。

 そして、ラストは毎回お馴染みのお説教。
「確かにあんたはついてねえかもしれねえ。
 だが自分の人生、勝手に決めるなよ。生きろ。精一杯生きろ。
 世間がつめたかろうが温ったかろうが、人にどう見られようが関係ねえ。
 まずは自分がどう生きるかだ」

 そうですね、どんなに惨めでも自分なりに精一杯生きていればきっといいことがある。
 現に娘さんは彼に手紙を書いていた。


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