今回は以蔵こと佐藤健さんの芝居のしどころ。
刺客に追われ、恐怖で張りつめパニック状態。
テンションを維持して、桶を倒し、地べたを這いずりまわる演技はかなりハードなものだったでしょう。
しかもどこにも居場所がない、誰も助けてくれない孤独も表現しなくてはならない。
演出も凝っている。
軒にかかっている色とりどりの反物、色鮮やかな傘。
悲惨なシーンながらも色彩を加える映像美。
そう言えば、以蔵のシーンは初めて人斬りをした時のスローモーションをはじめ、映像が凝っていますね。
新選組が余計な言葉を発せず無言なのも恐怖を増す。
言葉を発しないのは感情がないから、完全な殺人ロボットになっているから。
以蔵が悩み苦しみながら人を殺したのと180度違う。
本当は言葉を発していたのだが、恐怖に震える以蔵には聞こえなかったのかもしれない。
役者さんの演技もそうだが、これだけ映像作りに凝ってもらえると力が漲り、心打つシーンになりますね。
そしてお龍(真木よう子)さん。
どの様に描かれるかと思っていたら、かなり強い女性で描かれていましたね。
乙女(寺島しのぶ)姉さんの影響からか、龍馬(福山雅治)は気性の激しい女性が好き?
でも、ふたりは同じ<龍>の名前であるせいもあって、初めて会った時から波長が合ったようです。
龍馬は初めて会ったのに、「自分は裕福な家の生まれでこの歳になっても兄弟に助けられている」と自分の身の上をベラベラと話し、以蔵のことでは臆面もなく涙を見せる。
一方、お龍は龍馬の涙に共感して、うっすらと涙を流す。
これは何ですかね? 引き合う磁石のようなもの?
今後の恋の進展に注目です。
最後は弥太郎(香川照之)。
「土佐では下士は調子に乗ったらいかん。大殿様のためと言えば言うほど、言われた方はイライラしてくる。人間言うのはそういうもんじゃき」
本質を的確に掴んでいる。
吉田東洋に見出され、犬のように使われた経験。落書きで投獄された経験が弥太郎に勉強をさせたのでしょう。
上士なんか信じない。当てにしても仕方がないと。
信じられるものは自分と金しかないと。
弥太郎は完全に商人。
そして商人には時勢を読む力が必要。
時代の流れの中で溺れないように変わっていくことに何のためらいもない。
この点、半平太(大森南朋)とは対照的。
半平太は武士にこだわり、土佐藩と攘夷にこだわった。
どちらが生き方として正しいかは決められないが、弥太郎は弥太郎、半平太は半平太にしかなれない。
龍馬も攘夷に違和感を感じ、土佐藩にこだわらず脱藩して、勝に出会った。
結局は、それぞれ自分の花を咲かせるしかないんですね。
刺客に追われ、恐怖で張りつめパニック状態。
テンションを維持して、桶を倒し、地べたを這いずりまわる演技はかなりハードなものだったでしょう。
しかもどこにも居場所がない、誰も助けてくれない孤独も表現しなくてはならない。
演出も凝っている。
軒にかかっている色とりどりの反物、色鮮やかな傘。
悲惨なシーンながらも色彩を加える映像美。
そう言えば、以蔵のシーンは初めて人斬りをした時のスローモーションをはじめ、映像が凝っていますね。
新選組が余計な言葉を発せず無言なのも恐怖を増す。
言葉を発しないのは感情がないから、完全な殺人ロボットになっているから。
以蔵が悩み苦しみながら人を殺したのと180度違う。
本当は言葉を発していたのだが、恐怖に震える以蔵には聞こえなかったのかもしれない。
役者さんの演技もそうだが、これだけ映像作りに凝ってもらえると力が漲り、心打つシーンになりますね。
そしてお龍(真木よう子)さん。
どの様に描かれるかと思っていたら、かなり強い女性で描かれていましたね。
乙女(寺島しのぶ)姉さんの影響からか、龍馬(福山雅治)は気性の激しい女性が好き?
でも、ふたりは同じ<龍>の名前であるせいもあって、初めて会った時から波長が合ったようです。
龍馬は初めて会ったのに、「自分は裕福な家の生まれでこの歳になっても兄弟に助けられている」と自分の身の上をベラベラと話し、以蔵のことでは臆面もなく涙を見せる。
一方、お龍は龍馬の涙に共感して、うっすらと涙を流す。
これは何ですかね? 引き合う磁石のようなもの?
今後の恋の進展に注目です。
最後は弥太郎(香川照之)。
「土佐では下士は調子に乗ったらいかん。大殿様のためと言えば言うほど、言われた方はイライラしてくる。人間言うのはそういうもんじゃき」
本質を的確に掴んでいる。
吉田東洋に見出され、犬のように使われた経験。落書きで投獄された経験が弥太郎に勉強をさせたのでしょう。
上士なんか信じない。当てにしても仕方がないと。
信じられるものは自分と金しかないと。
弥太郎は完全に商人。
そして商人には時勢を読む力が必要。
時代の流れの中で溺れないように変わっていくことに何のためらいもない。
この点、半平太(大森南朋)とは対照的。
半平太は武士にこだわり、土佐藩と攘夷にこだわった。
どちらが生き方として正しいかは決められないが、弥太郎は弥太郎、半平太は半平太にしかなれない。
龍馬も攘夷に違和感を感じ、土佐藩にこだわらず脱藩して、勝に出会った。
結局は、それぞれ自分の花を咲かせるしかないんですね。