やって来た男フランク・チェンバース(ジャック・ニコルソン)。
彼と恋愛関係におちるコーラ(ジェシカ・ラング)。
コーラは人妻。
夫殺し。
揺れ動く妻コーラの心情描写が巧みだ。
コーラの日常は色褪せた生活、単調な生活。
夫を愛していれば世界は彩りのあるものになるのだろうが、支配的なギリシャ人の夫の下で忍従の生活を送っている。
そんな彼女の前に現れたのが悪党フランクだった。
フランクが自分を色褪せた生活から救い出してくれる存在だと思うコーラ。
シカゴへの逃避行。
しかしギャンブルに興じるフランクを見て、この男にもついていけないと思って逃げ帰るコーラ。
コーラはそんな女だ。
そんなコーラがフランクに夫殺しを提案する。
「ふたりだけになれるのなら、どうなってもいいの」
持ちかけられた話に悪党のフランクの方がビビる。
しかし、殺しを決行。
凶器は砂糖袋の中にボールベアリングを詰めた物。
コーラが風呂に入っている夫を後ろからそれで殴り殺す。
犯行前、ポーラはフランクに確認する。
「私を愛してる?フランク」
夫を殺すため階段を上っていくポーラ。
うるさい耳障りなギリシャ音楽。
行われる凶行。
ここで面白いのはコーラの人物造型だ。
色褪せた生活を送っている平凡な女。
無頼のフランクについていけないと思って逃げ帰る女。
殺人前、愛を確認せずにいられない女。
そんな女が殺人を提案し、実際に行う。
この二重性。
コーラが最初から悪党であったり狂気にとらわれていたのでは、この二重性は生まれない。
また心情描写、人物描写としてつまらない。
人物を裏と表、二重に描くからドラマになる。
観客はコーラに感情移入できる。
結局、この最初の殺人は未遂に終わり、夫は病院で昏睡状態となる。
コーラは「夫が目を覚ませば犯行のことがバレるかもしれない」という不安と戦うことになるが、その不安を忘れるためにフランクと激しく抱き合ったり、一瞬の幸福を楽しむかの様にフランクと湖にボートを浮かべる姿は描写として的確だ。
特に彼女の「不安」を表現するために『湖にボートを浮かべる』というのは、なかなか思いつかない。
「不安」をストレートに「不安」のまま描いたのでは面白くない。
少し外して描くから味が出るのだ。
「人物の二重性」と「外して描く表現」。
ドラマを描く時に忘れてはならない事柄だ。
★追記
コーラたちが行う2回目の犯行は自動車事故偽装殺人。
これは検事に疑われ裁判になるが、敏腕弁護士の力で無罪になる。
その弁護士の手法とは
「夫は個人生涯保険と車による他人への傷害保険の2つに入っており、カッツは、2人の保険会社員を呼んで取り引きした。コーラが殺人者なら、泥酔した主人が運転していた車に乗っていたフランクは2万ドルを手に入れることができる。コーラが無罪なら、彼女は生命保険一万ドルを受け取ることになる。そこで、過失致死という扱いをするなら、自動車保険会社は生命保険会社に一万ドル払うことで済む。そして、コーラに払われた一万ドルは、弁護料としてカッツが受け取るという算段だ。この裏工作でパパダキスは事故死ということになり、やっと2人は戻れることになる」(goo映画より)
★追記
ラストシーンのフランクの号泣はせつない。
また様々な暗喩を含んだシーンだ。
すなわち「殺された夫の復讐」「神の裁き」「因果応報」「運命の皮肉」。
★追記
ボートを浮かべるシーンではバックに軽快なジャズが流れる。
殺人シーンのギリシャ音楽は抑圧されたコーラの心情を現したものだが、このジャズは解放されたコーラの心情を描いている。
★追記
同じ素材をヴィスコンティも映像化しているというから、比較のため見てみよう。
彼と恋愛関係におちるコーラ(ジェシカ・ラング)。
コーラは人妻。
夫殺し。
揺れ動く妻コーラの心情描写が巧みだ。
コーラの日常は色褪せた生活、単調な生活。
夫を愛していれば世界は彩りのあるものになるのだろうが、支配的なギリシャ人の夫の下で忍従の生活を送っている。
そんな彼女の前に現れたのが悪党フランクだった。
フランクが自分を色褪せた生活から救い出してくれる存在だと思うコーラ。
シカゴへの逃避行。
しかしギャンブルに興じるフランクを見て、この男にもついていけないと思って逃げ帰るコーラ。
コーラはそんな女だ。
そんなコーラがフランクに夫殺しを提案する。
「ふたりだけになれるのなら、どうなってもいいの」
持ちかけられた話に悪党のフランクの方がビビる。
しかし、殺しを決行。
凶器は砂糖袋の中にボールベアリングを詰めた物。
コーラが風呂に入っている夫を後ろからそれで殴り殺す。
犯行前、ポーラはフランクに確認する。
「私を愛してる?フランク」
夫を殺すため階段を上っていくポーラ。
うるさい耳障りなギリシャ音楽。
行われる凶行。
ここで面白いのはコーラの人物造型だ。
色褪せた生活を送っている平凡な女。
無頼のフランクについていけないと思って逃げ帰る女。
殺人前、愛を確認せずにいられない女。
そんな女が殺人を提案し、実際に行う。
この二重性。
コーラが最初から悪党であったり狂気にとらわれていたのでは、この二重性は生まれない。
また心情描写、人物描写としてつまらない。
人物を裏と表、二重に描くからドラマになる。
観客はコーラに感情移入できる。
結局、この最初の殺人は未遂に終わり、夫は病院で昏睡状態となる。
コーラは「夫が目を覚ませば犯行のことがバレるかもしれない」という不安と戦うことになるが、その不安を忘れるためにフランクと激しく抱き合ったり、一瞬の幸福を楽しむかの様にフランクと湖にボートを浮かべる姿は描写として的確だ。
特に彼女の「不安」を表現するために『湖にボートを浮かべる』というのは、なかなか思いつかない。
「不安」をストレートに「不安」のまま描いたのでは面白くない。
少し外して描くから味が出るのだ。
「人物の二重性」と「外して描く表現」。
ドラマを描く時に忘れてはならない事柄だ。
★追記
コーラたちが行う2回目の犯行は自動車事故偽装殺人。
これは検事に疑われ裁判になるが、敏腕弁護士の力で無罪になる。
その弁護士の手法とは
「夫は個人生涯保険と車による他人への傷害保険の2つに入っており、カッツは、2人の保険会社員を呼んで取り引きした。コーラが殺人者なら、泥酔した主人が運転していた車に乗っていたフランクは2万ドルを手に入れることができる。コーラが無罪なら、彼女は生命保険一万ドルを受け取ることになる。そこで、過失致死という扱いをするなら、自動車保険会社は生命保険会社に一万ドル払うことで済む。そして、コーラに払われた一万ドルは、弁護料としてカッツが受け取るという算段だ。この裏工作でパパダキスは事故死ということになり、やっと2人は戻れることになる」(goo映画より)
★追記
ラストシーンのフランクの号泣はせつない。
また様々な暗喩を含んだシーンだ。
すなわち「殺された夫の復讐」「神の裁き」「因果応報」「運命の皮肉」。
★追記
ボートを浮かべるシーンではバックに軽快なジャズが流れる。
殺人シーンのギリシャ音楽は抑圧されたコーラの心情を現したものだが、このジャズは解放されたコーラの心情を描いている。
★追記
同じ素材をヴィスコンティも映像化しているというから、比較のため見てみよう。