平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

郵便配達は二度ベルを鳴らす

2007年08月31日 | 洋画
 やって来た男フランク・チェンバース(ジャック・ニコルソン)。
 彼と恋愛関係におちるコーラ(ジェシカ・ラング)。
 コーラは人妻。
 夫殺し。
 揺れ動く妻コーラの心情描写が巧みだ。

 コーラの日常は色褪せた生活、単調な生活。
 夫を愛していれば世界は彩りのあるものになるのだろうが、支配的なギリシャ人の夫の下で忍従の生活を送っている。
 そんな彼女の前に現れたのが悪党フランクだった。

 フランクが自分を色褪せた生活から救い出してくれる存在だと思うコーラ。
 シカゴへの逃避行。
 しかしギャンブルに興じるフランクを見て、この男にもついていけないと思って逃げ帰るコーラ。
 コーラはそんな女だ。

 そんなコーラがフランクに夫殺しを提案する。
「ふたりだけになれるのなら、どうなってもいいの」
 持ちかけられた話に悪党のフランクの方がビビる。
 しかし、殺しを決行。
 凶器は砂糖袋の中にボールベアリングを詰めた物。
 コーラが風呂に入っている夫を後ろからそれで殴り殺す。
 犯行前、ポーラはフランクに確認する。
「私を愛してる?フランク」
 夫を殺すため階段を上っていくポーラ。
 うるさい耳障りなギリシャ音楽。
 行われる凶行。

 ここで面白いのはコーラの人物造型だ。
 色褪せた生活を送っている平凡な女。
 無頼のフランクについていけないと思って逃げ帰る女。
 殺人前、愛を確認せずにいられない女。
 そんな女が殺人を提案し、実際に行う。
 この二重性。
 コーラが最初から悪党であったり狂気にとらわれていたのでは、この二重性は生まれない。
 また心情描写、人物描写としてつまらない。
 人物を裏と表、二重に描くからドラマになる。
 観客はコーラに感情移入できる。

 結局、この最初の殺人は未遂に終わり、夫は病院で昏睡状態となる。
 コーラは「夫が目を覚ませば犯行のことがバレるかもしれない」という不安と戦うことになるが、その不安を忘れるためにフランクと激しく抱き合ったり、一瞬の幸福を楽しむかの様にフランクと湖にボートを浮かべる姿は描写として的確だ。
 特に彼女の「不安」を表現するために『湖にボートを浮かべる』というのは、なかなか思いつかない。 
 「不安」をストレートに「不安」のまま描いたのでは面白くない。
 少し外して描くから味が出るのだ。

 「人物の二重性」と「外して描く表現」。
 ドラマを描く時に忘れてはならない事柄だ。

★追記
 コーラたちが行う2回目の犯行は自動車事故偽装殺人。
 これは検事に疑われ裁判になるが、敏腕弁護士の力で無罪になる。
 その弁護士の手法とは
「夫は個人生涯保険と車による他人への傷害保険の2つに入っており、カッツは、2人の保険会社員を呼んで取り引きした。コーラが殺人者なら、泥酔した主人が運転していた車に乗っていたフランクは2万ドルを手に入れることができる。コーラが無罪なら、彼女は生命保険一万ドルを受け取ることになる。そこで、過失致死という扱いをするなら、自動車保険会社は生命保険会社に一万ドル払うことで済む。そして、コーラに払われた一万ドルは、弁護料としてカッツが受け取るという算段だ。この裏工作でパパダキスは事故死ということになり、やっと2人は戻れることになる」(goo映画より)

★追記
 ラストシーンのフランクの号泣はせつない。
 また様々な暗喩を含んだシーンだ。
 すなわち「殺された夫の復讐」「神の裁き」「因果応報」「運命の皮肉」。

★追記
 ボートを浮かべるシーンではバックに軽快なジャズが流れる。
 殺人シーンのギリシャ音楽は抑圧されたコーラの心情を現したものだが、このジャズは解放されたコーラの心情を描いている。

★追記
 同じ素材をヴィスコンティも映像化しているというから、比較のため見てみよう。


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ホタルノヒカリ 第8話

2007年08月30日 | 恋愛ドラマ
 蛍(綾瀬はるか)と高野部長(藤木直人)のやりとりって要するに『漫才』なんですね。
 それがこの作品の魅力になってる。

 例えば
★ヘリコプター花火デートについて
 くじ引きを当たって(というより当ててもらって)ぼう然としている螢。
 それに高野はツッコミ。
 「日常とあまりにかけ離れた現実に戸惑っている」
 螢はボケ。「あたし、(ヘリの)免許持っていませ~ん」
★防犯町内パトロール
 「防犯パトロールご苦労さまです!」
 「こいつ、まったく変わってやろうって気がない」
 高野がその日は仕事でパトロールに参加できないと言うと
 「ひとつのことしかできない無器用男め」
★マコト(加藤和樹)は『干物』を受け入れてくれる器の大きい男、普通の男ではないと言い切る螢に「どうして君は自分に都合のいい様にしかとらないんだ」
★相手が『干物男』でも自分は構わないという螢に高野が実際に『干物男』をやってみると(←高野、いい人!)、「乙女心ズタズタ」。

 マジな恋愛トークにもオチがつく。
★マコトが優華(国仲涼子)と親密なのに心穏やかでない螢。
「嫉妬、束縛、不信感。相手と真剣に向き合うと新しい登場人物が出てきます」
「だったら自分の心地いい所でつき合えばいい。話もせずにわかてくれるだろうと思い込み、あっさりとつきあえばいい。私の様に。君は深く向き合うことが怖いだけなんだ」
「部長に今度好きな人が出来たらどうします?」
「ふたりでいろいろ話す。言いたいことを言い、嫌な面も見せる。それでも楽しく過ごす」
「部長、成長したんですね。大人の階段、ひとつ上ったんですね」(←オチ!)

 単なる『漫才』を見るだけなら演芸番組を見ればいいが、このドラマの『漫才』には『キャラクター』がいる。『ウンチクのある言葉』がある。

 これらのやりとりはほとんど縁側で行われているから新しいホームドラマの形と言えるかもしれない。

 さてドラマは佳境。
 螢は「あなたがいれば、そこが縁側なんです」と思い、マコトと新居で住む決心。
 高野は「いっしょにいると飽きない。今年の夏は楽しかった」と螢との生活をふり返りながら家を出る決心。
 そしてマコトが会社に来た螢のジャージ姿を見てしまい……。

★追記
 今回登場した『干物女』の実体。
・縁側で寝転がりながらマコトと電話。
・ジャージ姿で尻をかきながら。
・カップヌードルを「家にある物で簡単に作って食べた」と表現。
・足で雑誌をとる。
・「よっこい正吉」と言って起きる。
・ジャージは面倒くさくて膝で歩いたから竪穴式住居。
・トレーナーにはこぼしたカレーなど思い出がいっぱい。
・手島さん→マコトさん→マコトくんの呼び名が変化。

★追記
 家の鍵をなくて会社に取りに行くまでの流れは段取りっぽいが、きっかけが「町内パトロールの用具を返すのを忘れて」という螢のキャラクターにのっとったものだから段取りと感じさせない。
 

 
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花ざかりの君たちへ 第9話

2007年08月29日 | 学園・青春ドラマ
★対立があるとドラマになる。
 生徒たちを管理しようとする教師・北浜(稲垣吾郎)。
 言いがかりに近い形で中津秀一(生田斗真)を追いつめる。
 中津のために闘う芦屋瑞稀(堀北真希)たち。
 生徒たち。花桜会。
 共に闘う人間が増えていく、横一列に並んで闘いに挑むというのはエンタテインメントの王道だが、見ていてわくわくする。
 ただ残念なのは敵である北浜が人物として弱いこと。
 11話を費やして描写された「女王の教室」の阿久津真夜先生と比べるのはコクだが、「教師の権力をふりかざしていじめてるだけじゃん」という瑞希のせりふや「俺たちはあんたの弟じゃない」という佐野 泉(小栗 旬)の言葉の方が正論だから北浜に共感できない。
 確かに北浜やっていることは権力をふりかざしているだけ。(カンニングペーパーは北浜が仕組んだこと?)
 また、いい大人なら生徒たちと弟は違うことぐらい認識できているはず。弟の反省があって、生徒の自主性を尊重しつつどう向き合うか?と考えるのが大人。北浜はバランス感覚に欠けている。あるいは「女王…」の阿久津先生は必要な時には命がけで生徒を助けた。(もっともこの作品の趣旨として、人物のリアリティを求めるのは意味のないことかもしれないが)
 瑞希たちに言われてすぐに納得してしまうことも1話完結の哀しさか。
 ゆるい対立図式であった。
 敵は強く、視聴者も納得できる信念を持っていなければならない。

★この作品で中津君の存在は大きい。
 瑞希と勉強してベタベタ。いわく「勉強にはスキンシップが大切」
 佐野が物理のノートをまとめてくれて「佐野、泣いてもいいですか?」
 瑞希に「中津といっしょじゃないと楽しくないぜ」と言われて有頂天、勝手にひとり相撲。
 「最近ホモセクシュアルということに何の違和感もなくなってきた」
 「あと一押しすれば、瑞希も禁断の恋に目覚めるかもしれない」
 そんな中津に嫉妬して気絶させる佐野もリアクションとしていい。

 さて物語はいよいよ佳境。
 佐野の全国大会が近いようだし、瑞希のことを名前で呼んだ。
 中津も瑞希が女であることを知ってしまって。
 さあ、どう盛り上げまとめるか?


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天使のくれた時間

2007年08月28日 | 洋画
 ジャック(ニコラス・ケイジ)は「金にしか興味のない男」「資本主義の申し子」「高層ビルのオフィスから世界を見下ろす男」「すべてを把握して疑問も迷いもない男」。
 13年間の恋人・ケイト(ティア・レオーニ)との空港での別れ。
 1年間のロンドン赴任。
 これが彼の運命を大きく分けた。
 結局、ケイトとは音信不通になり彼は現在の地位に上りつめて。
 しかし13年前、ケイトと別れずにいたら。
 この物語は天使によって、そんなifが現実に起こされてしまう話だ。
 この物語は人生にとって何が大切かを考えさせてくれる。

 さて、そのif。
 ケイトと別れなかったジャックの人生・生活とはどの様なものか?
 それはニュージャージーの小さな町に住む決して豊かでない生活。
 タイヤの販売を行っていて家のローンも十年ある。
 マンハッタンのお金に溢れた生活とは180度違うものだ。
 当然、ジャックはパニックに陥る。
 「いい女が下着姿で微笑みかけてくれる生活」から離れなくてはならない。
 「今までの自分は、今の自分より1000倍も格が上の男だったのにそうではない」という現実。門前払い。
 ジャックは落ち込む。
 タイヤを売って、子供の送り迎えをして、犬の散歩をして、その繰り返しの単調な生活に耐えられない。
 以前は気軽に買えていた2400ドルのスーツを我慢しなければならない。
 そのことで不満を言うと、妻のケイトは「以前のジャックは2400ドルのスーツなんかなくても満足してた男だった」と言う。
 このせりふには含蓄がある。
 人の幸せとは満足。
 何に満足するかは人それぞれだが、「2400ドルのスーツなんかなくても満足できる人間」の方が上等の様な気がする。
 ジャックもそのことに気がついていく。

 例えば
 チョコレートケーキを奪い合ってケイトとはしゃぐ生活。
 ケイトの誕生日に「アイ・ラブ・ユー」と歌える生活。
 結婚記念日に贅沢をして妻に喜んでもらえる生活。
 レストランで妻とダンスできる生活。

 ジャックは結局、ケイトとの生活を一番大切なものと思い、元の世界に戻ってもケイトととの生活をしようとするが(元の世界ではケイトはやり手弁護士でキャリアウーマンだった)、この作品は見る者に「あなたはどちらを選びますか?」「あなたは何が大切ですか?」と問いかけてくる。

★追記
 ジャックと娘のアニーとのやりとりが可愛い。
 アニーはジャックが以前のパパでないことに気がついている。
 宇宙人がパパに入り込んだと思っている。
 そして質問。
 「宇宙人さん、あたしの頭に何かを埋め込まない?」「子供は好き?」「チョコレートケーキミルクの作り方はわかる?」
 ジャックが「頭に埋め込まないし、子供は時々好きで、チョコレートミルクの作り方は何となくわかる」と言うと、アニーは「じゃあ、許してあげる」と言う。
 また、ジャックが家族が自分にとって一番大切なものだとわかった時、アニーは言う。
 「お帰りなさい、パパ」

★追記
 ジャックに近所のイベリンという女性と浮気を持ちかける時のせりふもなかなか。
 「今まで以上の関係を望んでいるなら、答えはイエスよ」
 「赤いドレスを着たのもあなたのため。娘をアニーと同じバレー教室に通わせたのもあなたに近づくため」
 「使わないタイヤを4つも買ってガレージにしまってあるのもあなたのため」
 ジャックは心揺れるが、友人に「大事な物を壊す気か」「火遊びならいいが、大火事になるぞ」と言われて思い留まる。

★追記
 妻のケイトの人物造型も深い。
 ジャックとの生活に満足している様に見えるケイトが本音を洩らす。
 「わたしだって自分の人生がこれでいいのかって思う時はあるわ。あなたほど人生に失望していないけどね。でも、あなたと結婚しなかったらどんな人生を歩んでいたかを考えることは、大事な宝物が消えてしまうことなんじゃないかって思うの」
 ケイトも現在の生活について葛藤することがあったのだ。
 これでキャラが薄っぺらでなくなる。


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隣人13号

2007年08月27日 | コミック・アニメ・特撮
 井上三太の「隣人13号」。
 いじめを受けた復讐の心が凶悪な人格13号を生み出してしまう。
 主人公・村崎十三は、この人格13号の存在に悩み恐怖する。

 ここに描かれた恐怖には2種類ある。
★ひとつは凶悪な人格13号。
 13号はアパートの隣の住人から「静かにしろ」と言われただけでキレて殺してしまう存在。(その間、十三の意識はない)
 何をするかわからない。
 13号は次々と殺人を行っていき、心を許し13号の人格のことを話した友人までも殺してしまう。
 この自分を制御できない恐怖。

★もうひとつの恐怖は敵。
 13号が殺人を行ったせいで十三には様々な敵が襲い来る。
 刑事のビデ。
 刑事の息子でヤクザ、父親の復讐に燃えるヒデ。
 ヤンキーの死神とバルーン。
 謎の宗教団体。
 13号が行ったこととはいえ、彼らは十三に怒りの鉾先を向けてくる。
 13号の人格でない時は暴力がそのまま十三に加えられる。
 この恐怖。

 この二重構造が恐怖を加速させていく。
 螺旋状に恐怖を盛り上げていく。
 A→B→A→B→A→Bだ。
 これは単に怪物が主人公に襲い来る従来の恐怖ものとは大きく違う。

 それにして現代に巻き起こる信じられないような凶悪犯罪。
 これらは誰の中にでも巣くう可能性のある13号の仕業かもしれない。
 その現代性がこの作品をさらに怖ろしくしている。


 
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あなたが寝てる間に

2007年08月26日 | 洋画
 シカゴの鉄道の改札で働くルーシー(サンドラ・ブロック)。

 そのキャラクター描写はこんな感じ。
★クリスマスの休日出勤を頼まれる。
★クリスマスツリーをひとりで窓から吊り上げている。
★住んでいるアパートのオーナーから息子と結婚しないかと言われる。
 これで観客はルーシーがどんな女性かわかる。
 すなわち、独身で恋人がいなくてとても寂しい。
 こんな描写では彼女の性格がわかる。
 毎朝、ルーシーの改札の前を通るエリート弁護士ピーター(ピーター・ギャラガー)。
 ルーシーは彼に憧れているが、いつも見てるだけ。
 ある日「おはよう」と声をかけられるが、ルーシーはすぐに返せずピーターがはるかかなたの駅のホームに行った時、やっとこう返す。
「素敵なコートね。愛してるわ」
 これでルーシーが恋に無器用な女性であることがわかる。
 人生が予定どおり進んでいない女性であることがわかる。
 実に巧みな描写だ。

 そんなルーシーが線路に落ちたピーターを助け、彼が昏睡状態で眠っている中、彼の家族に「ピーターの婚約者」だと勘違いされた所から物語は発展していく。
 起承転結でいえば『承』の部分だ。
 この『承』の部分では、ルーシーのウソ(婚約者であること)がいつバレるかがサスペンスになる。
 ピーターの家族はルーシーのことを大歓迎。
 ルーシーはなかなか本当のことを言い出せない。
 物語はルーシーが「自分は婚約者ではありません。勘違いです」と言ってしまえば終わりなのだが、彼女がそれを言い出せない理由がしっかりしているから、作品にのめり込める。
 ルーシーが本当のことを言えない理由とはこうだ。
 ルーシーは眠っているピーターに懺悔する。
「自分はひとりで気ままに暮らしている。猫もいる。リモコンも独占できる。でもいっしょに笑ってくれる人がいない」
 ピーターの家族が自分を家族として迎えてくれて、ルーシーは嬉しかったのだ。
 いっしょに笑えて、クリスマスを過ごせる人たちが出来て嬉しかったのだ。
 だから言い出せなかった。
 ウソがバレそうになって取り繕うようなことをした。
 このせりふも前半のルーシーの日常の孤独がしっかり描かれているから納得できる。逆に「いっしょに笑ってくれる人がいない」ではせつなくなってしまう。
 実に巧みなせりふだ。

 巧みなせりふという点では、眠っているピーターの弟ジャック(ビル・プルマン)に関わるうちに彼と恋に落ちていくせりふのやりとりは秀逸だ。
「送ってもらわなくて結構よ」→「誰かといっしょに歩かないと僕が襲われる」
「ついて来なくて大丈夫よ」 →「君は風よけだから」
「何だかお父さんみたい」  →「じゃあお父さんは上品で紳士だったんだろうね」
「今日はよくしゃべるのね」 →「寒いからしゃべってないと口が凍ってしまう」
 ああ言えば、こう言う。
 ジャックは拒絶するルーシーの言葉を巧みに受け流す。
 そしてこういう軽妙なやりとりがふたりの恋を育んでいく。
 恋愛映画で「言葉のやりとり」は極めて重要だ。

 あるいは小道具も。
 ルーシーの夢はイタリアのフィレンツェに行くことだが、彼女のパスポートにはスタンプはひとつも押されていない。仕事のせいもあるが、フィレンツェには愛する人と行きたいのだ。
 そこでルーシーを口説こうとするジャックはプレゼントでフィレンツェのドォーモの置物を渡したり、最後にはあるものを渡したりする。
 フィレンツェつながりでふたりの恋愛感情の発展を表現していく。
 巧みな小道具の使い方だ。
 あとはジャックがルーシーにプロポーズするやり方もよかった。
 プロポーズは仕事中、ルーシーが改札嬢をやっている時に行われるのだが、そのやり方は実に粋だ。
 
 最後に主人公ルーシーに課せられたかせは次のようになっている。
★憧れの人ピーターに声をかけられない。
★ピーターの家族に本当のことが言えない。
★ピーターが目を覚ました。どうするか?→ルーシーのことを思い出せないピーターは部分的な記憶喪失ということになり、時を経てピーターもルーシーのことが好きになってしまう。本当に婚約してしまう。
★ジャックのことが好きになってしまった。ピーターとの婚約を解消したい。いよいよ結婚式。



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昭和史発掘 芥川龍之介の死

2007年08月25日 | 小説
 松本清張「昭和史発掘」の中に記された「芥川龍之介の死」はすぐれた芥川龍之介論である。

★清張は芥川をこう論じている。
「自分をさらけ出すことの出来ない作家。自意識の強い男」
 彼の作品世界はまさにそれであった。
 作品を通して自分を語るということがない。(「或る阿呆の一生」だけは違うが)
 芥川は凝った文体で「精巧な細工の小函」を作り上げる。
 作品とは常に距離を置いて眺めている芸術至上主義。

 それは当時隆盛であった自分をさらけ出して語る告白体の自然主義の文学とは大きく違うものであった。
 芥川は古今東西の古典を巧みな文体で再構成し、1個の芸術を作った。
 芥川は東洋の無常観、西欧の世紀末的頽廃をうまく取り込み、作品世界を作った。
 それらに自分はない。
 あるのは本で得た知識(東洋の無常観、西欧の世紀末的頽廃)と、それを作品に落とし込むこと。
 清張はその文学世界をこう評している。
 「知恵の遊び」
 また、その人生をこう評している。
 「読書遍歴的な人生観念」「書巻や小説に人生を見、人生に小説を見ていた」

★芥川はこの様に超世俗的な人間であった。
 それは実務家で「文藝春秋」を立ち上げた友人の菊池寛や馬車馬の様に自らの唯美主義を貫いた谷崎潤一郎とは大きく違っている。
 菊池や谷崎には現実があった。
 現実と闘うたくましさがあった。
 しかし芥川は現実を前にオタオタする。
 芸術的作品世界に逃げ込む。
 今で言えば、芸術的才能を持ったひきこもりかもしれない。
 しかし、一方で芥川は女性との情事においては結構積極的であった様だ。
 動物的本能の女・Hにのめり込み、いっしょに自殺しようと思った女・Mにも想いを寄せる。(特にHとは「軽蔑し、憎み、愛し、時に衝動的に絞め殺したくなる」関係であった様だ)
 だがこれらの体験から作品になった作品は「或る阿呆の一生」と数編。
 芥川は自分をさらけ出して作品を書くということが出来なかったのだ。
 しかし「或る阿呆の一生」の様な作品を書かざるを得なかったのは、当時の文学的流行が、自分をさらけ出す自然主義文学だったから。
 芥川は谷崎潤一郎の様に自分の小説世界をひたすら突き進むということが出来なかった様だ。
 流行や評判を気にして、それが作品にまで影響してしまう。
 自分の文学世界が壊れてしまう。
 松本清張はそれが芥川の自殺の原因「ぼんやりした不安」のひとつではないかと論じ、その芸術至上主義的な初期の作品群こそ芥川の素晴らしさであると結んでいる。

 この作品は「作家とは何か?」「作品とは何か?」を考える上で、大変参考になる。


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プリズンブレイク シーズン2 第14話

2007年08月24日 | テレビドラマ(海外)
 プリズンブレイク シーズン2 第14話「想定外」JOHN DOE

 今回もここに凝縮されているアクション映画の必須要素を考えてみる。

★力関係の逆転
 強い者、力のある者が弱い者を虐げる。
 これは現実社会の当たり前。
 ところがこれが逆転する時、カタルシスが起きる。

・マイケルとリンカーンを助け出したケラーマン。
 彼は彼の上司ビル・キムに牙をむく。
 「今、一番聞きたい言葉はありがとうだ」と言ってビルの命令を聞かない。
 そしてリンカーン無罪の証拠となる人物ステッドマンの所に連れていこうとする。「すべてを知っているケラーマン」
 キムが窮地に陥る瞬間だ。
 敵が困難に陥り、視聴者は拍手喝采を送る。
・キムが窮地に陥るのはマホーン(←生きていた)も同じ。
 「もう言うことを聞かない」というマホーン。
 彼の実行部隊が次々といなくなる。
 キムはマホーンの息子を引き逃げさせ、自分の言うことをきかないとさらに不幸が起こると脅かすが、マホーンは言うことをきかない。
 力を持つ者も実行部隊に背かれれば、ただの人なのだ。
 また敵にまわられれば、彼らはすべてを知っているだけにたちが悪い。
 権力の本質を描いて、視聴者は拍手を送る。

★感情の爆発
 プリズンブレイクはマイケルがそうであるように、極めて論理的な作品だ。
 キャラクターはそれぞれ頭脳戦を繰り広げる。
 そんな中で異彩を放つのは感情の爆発。
 ステッドマンを前にしてリンカーンが感情をぶつける。
 「お前はベロニカを殺した。大勢殺して俺の人生を台なしにして満足か!?」
 頭脳戦、駆け引きの中での感情の爆発はインパクトがある。

★狂気
 感情と同じ意味合いで狂気も作品に彩りを与える。
 まずはティバッグ。
 愛人のもとに行って家族として生きようと思うが、愛人に裏切られて狂気に変わる。家の扉を釘で打ちつけ銃を構えて「死んでも俺たちは家族だ」と言う。
 今回ふたつめの狂気は囚人たち。
 夜警の刑務官にコネのある囚人のボス・バンクスはベリックを脅す。
 夜、房から引きずり出して叩き殺すというわけだ。
 夜、囚人たちは叫ぶ。
 「ブラッドリー、ブラッドリー、ブラッドリー」(←ベリックの名前)
 この様に論理的頭脳戦の中に感情、狂気を入れ込むと作品が豊かになる。

★追記
 ステッドマンの姿の隠し様は手が込んでいる。
 歯を抜き、歯科のデータと照合できないようにし、指紋は焼いて消滅。
 頬骨、耳を数センチ上に上げる整形手術まで施している。
 これでは仮にステッドマンの写真が出ても、似ている人物として片づけられてしまう。


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ホタルノヒカリ 第7話

2007年08月23日 | 恋愛ドラマ
 人物を別な切り口で描くと面白い。

 干物女・蛍(綾瀬はるか)。
 その干物っぷりにうるさく言う高野部長(藤木直人)だが、離婚した妻には螢のことをこう言う。
「どこかで息抜きをしないとがんばれない子。無器用だけど、いつもがんばっている子」
 螢が散らかす理由を「息抜きをしないとがんばれない子」だからと説明している。
 これは干物女の新しい切り口。
 そう言えば、螢は無器用だけど、いろいろなことに頭をぶつけてがんばってたもんなぁと思い出させる。
 自分は螢ほどがんばっているだろうかと考えてしまう。
 そして干物女が偉く見えてくる。

 人間の行動には何か理由がある。
 それを単にだらしがないからと片づけてしまうのは簡単。
 その理由を掘り下げていけば、今回の様な理由に突き当たる。
 作者は今回の理由の様なことを踏まえて描いているから、魅力的なキャラクターを描ける。
 しっかりした人物造型が出来る。

 それは高野とマコト(加藤和樹)の人物対比にも効果的だ。
 螢が干物であることを理解し、その理由までも深く理解している高野と螢の本当の姿を見ていないマコト。
 螢を理解し受け入れている高野。
 しかしマコトは?
 マコトが螢の干物っぷりを知った時、どんな反応をするか楽しみだ。
 人物造型がそのままドラマの焦点になっている。
 螢は「本当に好きなら乗り越えられないものはない」と言っているが。


 さて今回のギャグ。
★マコトの家に呼ばれた螢。
 お泊まりを期待。コンビニで下着と歯ブラシを用意する。
 マコトには家に来ないかと言われただけで「お泊まり」とは言われていないのに。案の定、コンビニの店員に「下着と歯ブラシ忘れてますよ」と言われて。
★さてマコトのマンションにやって来た螢。
 しかしお腹の肉のことが気になって家に帰る。
★マコトが1週間の出張。そこでダイエット大作戦。
 1日目は計画を立てて目標をクリア(笑)
 2日目は仕事で嫌なことがあり、ビールをがぶ飲み。「明日は明るい日と書く」などとわけのわからない言い訳をしてトレーニングを延期。
★でも体脂肪計の数字は毎日下がっている。
 13%→12%→11%。
 これを名付けて干物式ダイエット。
 しかし7日目は体脂肪100%。←体脂肪計が壊れていただけだった。
★それでも螢、一念発起してジョギングを開始。
 しかし町内を半周する3分間のジョギング(笑)
 「24時間走ってろ」と高野に言われて「日テレか!」と返す。
★敗北宣言した優華(国仲涼子)のことは「ステキ女子」と思う。この言語感覚!
★風邪をひいた高野の看病。
 高野の髪の毛を弄って遊ぶ。さるかに合戦を読む。
★1週間後、お泊まりに行くことなった螢に高野がアドバイス。
 「いざとなったら灯りを消せ」

 最後は山田姉さん(板谷由夏)の恋愛語録。
「恋愛なしの女の人生なんてあり得ない。20代に大きな失恋をしておいてよかった。失恋は芸の肥やし」
 神宮司 要(武田真治)には「どんどん押せ」と言い、一方で「あまりしつこくすると嫌われるわよ」と言う。←恋愛にマニュアルはない。


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花ざかりの君たちへ 第8話

2007年08月22日 | 学園・青春ドラマ
 やっと三角関係になってきましたなぁ。
 佐野 泉(小栗 旬)は、中津秀一(生田斗真)に肩をまわされた芦屋瑞稀(堀北真希)を怒る。もっとまわりの目を気にしろと言う。
 もっとも瑞希は中津のことを「最高の友達」としか思っていないのだが。
 瑞希の言葉にいちいちブーッと飲み物を噴き出す純情・中津が可愛い。
 あとはカメラ目線で「鈍感ボーイ」(笑)。

 物語は桜咲学園が廃校になる(?)という情況でのリアクション。
 イケメン救済募金、面接の訓練、ダンスの訓練(←なぜだ?)。
 この『廃校になる』という大前提が視聴者には「どうせ勘違いだろう」とわかっているからいささか物語にのめりこめない。
 中津が佐野にマジなせりふを言っても「そんなこと(廃校)信じているのかよ」という佐野のせりふの方が正しいから視聴者には説得力がない。

 中津が佐野に言ったせりふはいい言葉なんだけど。
「おまえが何もしなくてもみんなが文句を言わないは、瑞希がおまえの分も動きまわっているからなんだよ。まわりががんばっているから自分が自分らしくいられるんだ。自分ひとりで生きているなんて気になるなよ」
 あといい言葉は瑞希の佐野に対するせりふ。
「おまえが友達思いなのは知ってるよ。今度は形にしていこうぜ」
 これらの言葉に心が揺さぶられる佐野。
 心を閉ざしたキャラが心開いてみんなの中で笑顔になるというというエピソードはいい。
 ただ、これらの言葉を言わせる大もとのきっかけが『勘違い』ではいささか興ざめだ。

 あと今回のモチーフは写真。
 『ananの撮影で撮った写真』と『みんなの集合写真』(=瑞希が「みんなと過ごした証として撮りたい」と言って撮ったもの)。
 つまり『作りこまれた写真』と『気持ちが素直に現れた自然な写真』。
 この写真のモチーフはそのまま佐野の心の変化を現している。
 すなわち『心を閉ざしてひとりでいる』よりは『心を開いてみんなで笑い会おう』。

 この作品の残念な所は要素が多くて結果すべてが中途半端で散漫になってしまっていることだ。
 結構いいことを描こうとはしているんだけどね。
 なかなか伝わってこない。
 それはキャラクター描写でもそう。
 「動」の中津はそれでも描けるが、「静」の佐野はもっと時間をかけて描いてあげないと。
 また佐野の心を動かすきっかけの出来事も瑞希や中津にストレートに言わせるだけで味わいがない。

 さて次回。
 瑞希のことで佐野に宣戦布告した中津。
 でも予告を見る限りでは、瑞希をめぐっての中津VS佐野のドラマにはならない様だ。
 高跳びのことでもそうだが、この作品はなかなか本質のドラマを描いてくれない。


コメント (12)
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