平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

稲川淳二~怪談の背景には哀しい現実がある。

2012年07月31日 | 監督・俳優・歌手・芸人
 昨日、何気なく『スタジオパークからこんにちは』を見ていたら、稲川淳二さんが出演されていた。
 そこでのひとつのエピソード。

 河童はもともと<口減らしされた子供>のことだったらしい。
 昔、貧しい田舎では、家計の負担を軽くするために子供を売ったり、殺したりした。
 河童は<河の子供>と書くように、河に投げ捨てられた子供。
 たとえば河原では、子供と大人でこんな会話が交わされたらしい。
 「太郎ちゃん、最近いなくなったね」
 「太郎は河童に引きずり込まれたんだ」
 大人は、太郎が口減らしで川に投げ捨てられて殺されたことを、罪悪感からか「河童に引きずり込まれた」と表現したのだ。

 昔、川には<河童の淵>と言われる河童の棲み処があった。
 そこはどのような所か?
 木々などで堰き止められて、川の水が流れず澱んだ所。
 すなわち投げ捨てられて死んだ子供が流れ着いた場所。

 このように合理的に説明されてしまうと、<河童=妖怪>みたいなロマンはなくなってしまう。
 しかし一方で、現実ではそんなロマンをはるかに凌駕してしまう凄まじいことが行われていたことがわかる。
 それは怖ろしく、哀しく、つらい現実。

 稲川淳二さんは<怪談ネタ>をさまざまな人から聞くことで得ているらしいが、怪談の裏には、このような哀しい現実がたくさんあるようだ。
 そして、こうした現実をバックボーンにしているから、怪談は単に怖いだけでなく、人々の心をとらえるのであろう。
 怪談は昔話や伝説のように、人々の心の奥底に眠っているものを呼び覚ましてくれる。
 DNAや無意識の叫びでもある。

 というわけで、稲川淳二さんの怪談のDVDを借りに行こう。


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平清盛 第30回「平家納経」~これを捨てるは皆の魂を捨てると同じぞ!

2012年07月30日 | 大河ドラマ・時代劇
 <怨念>が人の意思なら<鎮魂>も人の意思である。
 今回は、そんなふたつの<人間の意思>のぶつかり合い。
 途中、清盛(松山ケンイチ)は、教典を嵐の海に捨てて、怨念を鎮めることも出来た。
 教典の力を借りてのオカルトティックな解決法だ。
 しかし、清盛は<人間>を信じる。
 あくまで人間の力で解決することにこだわる。
 それに応える兎丸(加藤浩次)や盛国(上川隆也)。
 人の強い意思は困難を克服するんですね。
 人は困難に直面すると神様、仏様に頼ってしまうものですけど。

 崇徳上皇(井浦新)の変貌は凄まじかった。
 髪はボサボサ、爪は妖しく伸びて、目は真っ赤、頬はこけて……。
 強い怒りや恨みは人をここまでに変えてしまうんですね。
 姿形もそうですが、人の心も壊してしまう。
 クワバラクワバラ。
 出来れば、怒りや恨みは溜めることなく解消したい。
 なお伝承では、崇徳上皇の呪いはその後も700年続いて、清盛の死の原因もそれに拠るものだと言われているが、この作品では、今回の納経で鎮められたようだ。

 最後に、作品構成上、今回で第二部が終了したとのこと。
 この第二部は<清盛が権勢を築くまでを描いたもの>だが、そこには義朝、頼長、忠正、信西ら無数の人たちの犠牲があった。
 清盛はこうしたさまざま人々の思いを背負っている。
 敗者の無念をも引き受けている。
 「人生は重荷を背負って生きていくもの」と言ったのは徳川家康だが、リーダーにはこうした重荷を背負う<心の力>が必要だ。
 時には人を殺し、おとしめ、恨みを買わなくてはならない。
 だから、心の力が弱い人間は決して背負うべきではなく、平々凡々と生きた方がいい。
 崇徳上皇は、多くを望まず平凡に生きるべきだったのだろうが、一方であの怨念の凄さを考えると、<心の力>は半端ではなかったのかもしれない。
 作品としては、第二部は、義朝、頼長、忠正、信西らを描き切って実に見事でした。


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本日29日、<脱原発国会大包囲集会>が行われます!!

2012年07月29日 | 原子力発電・反対
 昨日の毎日新聞ではこんな記事が。

★毎週金曜日夕方に、東京・永田町の首相官邸前で行われる原発再稼働への抗議行動に対し、各政党に危機感が高まりつつある。自発的に集まる人々がほとんどで、政党側には意思疎通のパイプがない。矛先が既成政党全体に向かう兆しもあり、「なめたらえらいことになる」(自民党幹部)という声も出ている。(毎日新聞)

 というわけで、首相官邸前の抗議行動が影響を与えつつある。
 もう少しがんばれば、原発の維持・推進に舵を切りつつある国の方針を変えられるかもしれない。

 本日は<脱原発国会大包囲集会>を実施される。
 これは、国会をキャンドルで囲んで、<脱原発>を主張するという集会。
 7月16日に17万人を集めた代々木公園以上の人々が集まることも予想される。

 スピーチ参加者としては鎌田慧(さようなら原発1000万人アクション/ルポライター)さんを始め、政治家の方々も。
○民主党 首藤信彦衆議院議員または川内博史衆議院議員
○自由民主党 河野太郎衆議院議員
○国民の生活が第一 森ゆう子参議院議員
○みんなの党 山内康一衆議院議員
○日本共産党 志位和夫衆議院議員
○みどりの風 谷岡郁子参議院議員
○社会民主党 阿部知子衆議院議員
○新党日本 田中康夫衆議院議員
○亀井静香衆議院議員
○海外 緑の党 スコット・ラドラム議員 他

 興味のある方は、19時に国会議事堂正門前に集まるか、15時30分から日比谷公園中幸門内で行われる集会に参加され、都内デモを経て国会議事堂にいっしょに行くかで。

 詳細はこちら
 首都圏反原発連合7/29脱原発国会大包囲



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27時間テレビ~『爆笑問題』太田光さんの破壊願望

2012年07月26日 | 監督・俳優・歌手・芸人
 27時間テレビの爆笑問題の太田光さん。
「ローラとベッキーは仲が悪い」「過去の恋愛がバレて博多に飛ばされた人」などと、相変わらずの過激発言。
 テレビの視聴者も、<そうじゃないかなと思っていること>や<言ってはならないこと>を発言してくれるから笑いに繋がる。
 この笑いを好きか嫌いかは人によって分かれる所だが。

 さて、こんな太田さんが27時間テレビの『ホンマでっかTV』に出て、評論家の先生から人物評を受けた。
 それはこんな感じ。
★タブーとそうでない所のギリギリの所を綱渡りしている人
★偽悪的なことを敢えてする人
★あまのじゃく
★破壊願望
 いずれも当たっている。的確な表現だ。
 太田光さんは、タブーを語り、偽悪を演じて、予定調和の日常をぶち壊す。
 太田さんが暴れることで、台本どおりに進行するはずの番組が破壊され、混沌がうまれる。
 それはちょうど江頭2:50さんが暴れるのと似ている。
 江頭さんが体で破壊するのに対し、太田さんは言葉で日常をぶち壊す。

 こうした破壊は、よほどの鬱屈したもの、絶大なパワーがなければ出来ないことだが、太田さんや江頭さんはやってのける。
 KYと言われようと、突き進む。
 ところで、KYは悪いことのように言われているけど、果たしてそうだろうか?
 誰もが空気を読んで、その場で言ってはいけないこと、やってはいけないことを言ったり、やったりしないでいたら、物事がそのまま流れている。
 先日、NHKで原発事故の原因を分析した討論番組があったが、原発に関わった人間が、会議などで疑問を持っていても<空気を読んで言うべきことを言わなかったから、安全対策は行われず、事故が起こった>という分析があった。
 まさに空気を読むことの弊害である。
 太田さんの事例とは少し離れてしまったが、KYを気にせず発言することは決して悪いことではない。
 言ってはいけないことを発言をすることで、その場が破壊され、別な世界が生まれる。

 そう言えば、27時間テレビの『めざましテレビ』のコーナーで、タモリさんはこんな発言をしていた。
「どうせこの占い、いい加減なんだろう?」
 タモリさんは『めざましテレビ』の名物である<占い>を完全否定したのだ。
 これも既存のものの<破壊>である。

 コメディアンは、世の中のあらゆるものを破壊する。
 破壊することで、秩序のある退屈な日常を活性化させる。
 だからトリックスター。

 日常は常に破壊され、活性化され、再生されなければならない。


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『GTO』『黒の女教師』~ドラマの教師たちが語る現代

2012年07月25日 | 学園・青春ドラマ
 大津のいじめ自殺事件。
 教師や教育委員会は見て見ぬふりで隠ぺい。
 報道に拠ると、いじめを行った生徒は、いじめを遊びだと主張しているらしい。

 さて、こんな学校の現状を踏まえてか、今期のドラマでは、GTO・鬼塚英吉(AKIRA)が復活し、<課外授業>を行う『黒の女教師』が登場した。
 彼らの事件解決の方法は、<力>だ。
 鬼塚はケンカで相手をボコボコにして生徒を守る。
 黒の女教師・高倉夕子(榮倉奈々)たちは、刑事のように相手の悪を追い詰め、歯向かってくればハイキックを炸裂させる。
 彼らに『金八先生』のような言葉での説得はない。
 正確に言えば、言葉での説得はあるが、その背景にあるのは<力>だ。
 <力には力を>、<毒には毒を>という感じである。

 このように現在の学校は<力>を行使しなければ問題を解決できない場所になっている。
 それは、『GTO』の冬月あずさ(瀧本美織)や『黒の女教師』の青柳遥(木村文乃)が無力であることが物語っている。
 もちろん、これらの作品はテレビドラマであり、『水戸黄門』のように主人公が事件を解決してスッキリできればいいのだが、教師としてはやはりイマイチ。プロの教師ではない。
 たとえば鬼塚や夕子なら、大津のいじめ自殺事件をどう解決するのだろう?

 ドラマやエンタテインメントは時代を映す鏡である。
 先程述べたように、鬼塚たちの登場は時代を背景にしていると思うが、<力には力を><毒には毒を>という形でしか、物事を解決できないのだろうか?


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27時間テレビ~タモリさんの<ローテンション>のすすめ!

2012年07月24日 | 監督・俳優・歌手・芸人
 今年の27時間テレビ。
 タモリさんはひたすらローテンションだった。
 深夜、<さんま、中居の今夜も眠らない>では、タモリさん、たけしさん、さんまさんのBIG3が集まり、鶴瓶師匠、中居くんまでが加わって最高に豪華だったが、タモリさんはともかくローテンション。
 まったり脱力で、まるで『ブラタモリ』のよう。

 こんなタモリさんに、ハイテンションのさんまさんは以下のようにツッ込む。
 「手抜くのが上手いなぁ。冷静に黙って見てて、おいしい所だけポンと出て、サッと引っ込む」
 的確な表現である。
 一方、タモリさんはそんなさんまさんに以下のようにツッ込む。
 「すべての話がおかしくなければならないのか?」(笑)
 「面白話病!」「テレビ病!」(笑)
 ギャグをさんまさんにダメ出しされると
 「自分のお笑い以外、正しくないのか?」(笑)
 これらのツッコミもタモリさんらしい。

 というわけで、27時間テレビのタモリさんはひたすらローテンションだった。
 このローテンションというスタンス、僕も年を取ったせいか、好きですね。
 さんま師匠はメチャクチャ面白いけれど、時として、そのマシンガンのようなトークに疲れてしまう。
 脱力、まったり、沈黙の時間みたいなものの方を欲してしまう。

 タモリさんは、年を取られてパワーがなくなったせいもあるだろうが、逆に<ローテンションの価値>みたいなことを表現されているのではないか。
 高度経済成長、バブルの時代が終わって、低成長の時代に求められるのは、脱力とまったり。
 そろそろ肩に力を入れて走るのはやめようよ、ゆっくり景色を楽しみながら歩こうよ、という主張。
 そう言えば、<ほんまでっかTV>のコーナーでのタモリさんの相談は「テンションが高い人間が苦手」だった(笑)


※追記
 <めざましテレビ>のコーナーでは、タモリさんの名言集をやっていた。
 5位 「んなこたぁない」
 4位 「いったんCMです」
 3位 「チャッ、チャチャチャ!」(拍手で)
 2位 「髪切った?」
 1位 「○○してくれるかな?」

 ちなみにタモリさんに拠れば、「んなこたぁない」と「髪切った?」はコージー冨田さんが物真似でやっているだけで、タモリさんはほとんど言ったことがないそうだ。


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平清盛 第29回「滋子の婚礼」~歌より他にぶつけられるものを見つけなされませ

2012年07月23日 | 大河ドラマ・時代劇
 清盛(松山ケンイチ)は滋子(成海璃子)のような人間が大好きなんですよね。
 自分をしっかり持っていて、自己主張してくる人間。
 今回の場合は、政治の道具にならず、自分の好きな人と結婚すると言い切る人間。
 平氏が「国を動かせる力」を持つためには、後白河上皇(松田翔太)とは「つかず離れず、程よい間」を保ち、帝と懇意にしていくのが、清盛の戦略だったのに、滋子はそれを完全に打ち壊してしまった。
 しかし、清盛は「台無しじゃ」と怒りながらも、滋子という人間を認めている。
 「武士が頂点に立つためには、醜いことにも手を染める」と言う清盛だが、清盛にはこうした<甘さ><やさしさ>がある。
 それが人としての魅力になっている。

 人物像として、わからなくなってきたのは、後白河上皇だ。
 当初、後白河上皇が滋子と関係を持ったのは、劣勢であったのを巻き返すためだと思っていた。
 すごろく遊びで言えば、清盛がかなり追い上げてきたから、ここで清盛の前進を止めておかなくてはという作戦。
 上皇と清盛が姻戚関係になれば、帝の側は疑心暗鬼になり、清盛とは別の勢力を作ろうとするだろうという作戦。
 しかし、実際は違っていた。
 後白河上皇は滋子のことを本気で好きになってしまった。
 孤独で虚無な彼の心に滋子は温かい光を灯したようだ。
 例の「遊びをせんとや生れけむ」の歌が虚無的なものではなく、母親の腕に抱かれているような、生きていることの歓びを歌ったものになった。
 さて、これで物語はかなり複雑になってきた。
 <清盛VS後白河上皇>という単純図式ではない別の物語が展開されそうだ。

 最後に、清盛は病床の家貞(中村梅雀)に「欲こそがおのこの力の源」と語った。
 これを女性に当てはめてみると、「愛こそがおなごの力の源」と言えるかもしれない。
 今回の滋子しかり、亡くなった美福門院(松雪泰子)しかり。

 こう考えていくと、人の世というのは、さまざまな人の思いが絡み合って作られているんですね。
 この作品は見事な人物絵巻です。


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27時間テレビ~江頭2:50、伝説を作る!!

2012年07月22日 | バラエティ・報道
 27時間テレビ、全部を見たわけではないが、面白かったのは、江頭2:50さんの乱入!
 過去、『いいとも!』のお客さん、カメラマン、警備員として潜入し、乱入してきた江頭さん。
 客席にダイブを敢行して、お客さんは「きゃあ!きゃあ!」と悲鳴!
 そして『いいとも!』出入り禁止。
 そして今回、その江頭さんの乱入が11年ぶりに実現した!

 時間は夜の8時過ぎ。
 <その道のプロ高校>という学校形式のクイズコーナーが行われていた所にウサギの着ぐるみを着た江頭さんが乱入!
 ローラさんに襲いかかり、鶴瓶師匠が江頭さんの頭を叩いて制止!
 この時、江頭さんはこう叫ぶ。
 「学級崩壊だ!」(笑)
 その後、江頭さんはタモリさんへのリスペクトを表明!
 タモリさんが昔は江頭さんと同じ<攻撃的でアナーキーな底辺の芸人>であったことを語り、30年、<お昼の顔>としてやって来たことを評価。
 そして江頭さん、恒例の<客席ダイブ>を敢行!!
 客席は「きゃあ、きゃあ」と悲鳴の嵐!
 番組は大混乱!

 さすがですね、江頭2:50さんは!
 すべてをぶち壊している。
 それまでは、爆笑問題の太田光さんの過激発言が目立っていたが、過激度・破壊度においては、はるかに江頭さんの方が上。
 太田さんが小さく見えた。
 その後に登場したとんねるずの木梨さんも「また、エガちゃん、呼びます?」とリスペクト。

 江頭さんは再び『いいとも!』出入り禁止になるだろう。
 でも、江頭さんにとってはそれでいいのだ。
 何しろ江頭さんの信条は『1クールのレギュラーよりも、1回の伝説』なのだから。
 江頭さんはまたひとつ伝説を作った。



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八日目の蝉~愛を取り戻していく旅

2012年07月20日 | 邦画
 人は、<欠けているもの>を埋めるために生きているのかもしれない。
 野々宮希和子(永作博美)の場合は、愛した男の子供。
 秋山恵津子(森口瑤子)の場合は、奪われた子供と子供と過ごすはずだった時間。
 彼女たちは欠けたものを埋めるために苦しむ。
 希和子は誘拐し、恵津子は他人のような恵理菜(井上真央)を何とか自分の子にしようとする。
 これらはいずれも愛するがゆえの行為である。
 ふたりは<愛する対象>を求めて、あがきながら生きている。

 しかし、希和子たちの<愛の行為>も恵理菜の立場に立ってみると、<エゴ>になる。
 希和子の誘拐もエゴだし、自分の子に戻そうとする恵津子の行為もエゴだ。
 愛するという行為は、他者がエゴを押しつける一面もある。
 恵理菜は<欠けているもの>を埋めようとする希和子たちのエゴの被害者だ。

 だから愛がエゴだと知っている恵理菜は愛を信じることが出来ない。
 誰も愛することが出来ず、むしろ憎んでしまう。

 この作品は、恵理菜が<愛>を取り戻すまでを描いた作品だ。
 旅をして恵理菜は<愛する対象>を見出す。
「もう、この子が好きだ。まだ顔も見ていないのに何でだろう」
「この子にいろいろなものを見せてあげる。大丈夫だと言って、世界で一番好きだって言うよ」
 恵理菜に<欠けているもの>は人を愛する心だった。
 <愛する対象>を見出して、恵理菜の世界は光輝く世界になる。
 愛する喜びを知って、恵理菜は母・恵津子とも希和子とも共感し合えるようになるだろう。
 なぜなら彼女たち三人は、誰かを愛することに喜びを見出す人たちだから。

 最後に希和子が警察に捕まり、恵理菜が保護される時に放ったせりふは感動的だ。
「待って下さい!」
 こう叫んだ後、希和子はさらにこう言う。
「その子はまだご飯を食べていません。よろしくお願いします」
 何というせりふだろう。
 希和子の恵理菜に対する愛情が凝縮された言葉だ。
 これが「もう一度、あの子と話をさせて下さい」「別れを言わせて下さい」といったせりふだったら、すごく陳腐だ。
「元気にしっかり生きるのよ」と叫んでも直接的だ。
 ここは「その子はまだご飯を食べていません。よろしくお願いします」が一番しっくり来る。


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「放射能の直接的な原因で死んだ人はひとりもいない」~中部電力課長のあきれたコメント

2012年07月19日 | 原子力発電・反対
 「放射能の直接的な影響で死んだ人は一人もいない」
 原発に関する意見聴取会で、中部電力の課長が語ったコメント。
 その知見の根拠はどこなのか? どこの学者が言ったのか?
 あるいは、「原発さえなければ」と壁に書いて自殺された福島の方は亡くなった方ではないのか?
 農業などの生活基盤を失い、16万の避難生活を強いられている人はどうなのか? 津波と地震だけなら今頃、住んでいた土地に戻り、復興作業をしているはず。だが、現実は原発事故で放射能汚染されているため、戻ることが出来ない。亡くなっていないからいい、というのか?

 上から目線で語ってしまったが、この課長さんの語ったことはどう考えてもおかしい。
 「放射能の直接的な影響で死んだ人は一人もいない」ということが、この方の信念であるなら被災された福島の方の前で話してみればいい。
 おそらく出来ないだろう。
 この課長さんは「原発をなくせば経済や消費が落ち込み、日本が衰退する」と語っているらしいが、果たして本当か?
 現在、売れているのは省エネ商品であり、蓄電池のあるハイブリッドカーであり、省エネ対応の家である。
 ここで国が原発でなく、自然エネルギーに方向転換すれば、そのインフラ整備でさらに経済が活性化する。
 現に3・11以前の原発依存社会では、経済は行き詰まっていたではないか。

 大飯原発の再稼働。
 関西電力では大飯原発の3号機を稼働させた結果、火力発電所を8基、停止させた。
 つまり火力発電所8基を動かせば、大飯原発3号機を稼働させなくてもよかったということ。
 また、関西地区の電力だが、需要が供給より9%下回っていたらしい。
 つまり電力は9%も余っていたということ。
 だったらなぜ昨日、大飯原発4号機を再稼働させたのか?
 同じ日に原子力安全・保安院から「大飯原発の下に活断層があるかもしれないので再調査を要する」と言われていたのに。
 これではエンジントラブルがあるかもしれない飛行機を飛ばすようなものだ。

 というわけで、電力会社は、人の<命や安全>より<経済利益>を優先していると言わざるを得ない。
 野田内閣は、電力会社と銀行と経済界と官僚の味方であり、国民のことをまったく考えていない。

 明日(7/20・金)も、<原発・再稼働反対>の官邸前の抗議集会が行われます。
 時間は18時~20時。
 場所の首相官邸前は、地下鉄国会議事堂前3番・4番出口。

 
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