平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

Q10~この作品は見事な交響曲である。

2010年10月31日 | 学園・青春ドラマ
★「河合はきれいだ! 河合はきれいだ!」
 「踏みにじられるのを放っておけるわけないだろう」
 「違うことはちゃんと言わないと本当になっちゃうよ。そうじゃないって大声で言おうよ」

 みんなが叫び始めましたね。
 第1話では「助けて!」としか叫べなかったのに。

★「Q10にはイヤなことがないのだろうか?」

 通常、他人のために何かをしようとする時、ためらいが起こる。
 「きれいだ」と叫んだり、「放っておけるわけない」「違うって大声で言おうよ」と言ったりするのはなかなか出来ない。
 叫んでも相手に「当たる」かどうかもわからないし。
 だがQ10にはためらいがない。
 これが平太(佐藤健)たち、まわりの人間に影響を与えているようだ。

★今回は<過去>というのもテーマ。
 ・柴田京子の手を振り切って裏切った過去。
 ・「お前はブスだ」と言われ続けてきた過去。
 ・ヤバイ仕事を誘ってくる先輩を信じた過去。
 ・野球の予選で失敗した過去。

 ふり返ると過去はつらいこと、苦いことの方が多い。
 そして過去が人を臆病にする。囚われた存在にする。
 <自分はもう人を好きになっちゃいけないんじゃないか>とか、<自分はきれいじゃない>とか、<もしあの時、手を振り切られてもそのままでいたら>とか。
 過去のことはたまたま吹いた<風>でしかないのに、それにこだわってしまう。
 でも、前に進むためには、自分を縛る過去などは捨ててしまった方がいい。
 それよりも現在だ。
 過去を捨てることで、平太は人を好きになる自分を取り戻し、河合恵美子(高畑充希)は少し自信を持てるようになった。柴田京子もきっと新しい恋に。
 彼らは輝く現在を獲得し、将来ふり返って、あの時は楽しかったと言えるような過去を持てるのではないか。

★ラストの平太のナレーション「誰かを心配したり心配されたりする、そんな愛すべき人間になりつつある」
 ここでは<心配されたり>というのがミソ。
 平太は中尾(細田よしひこ)に手術の傷のことを心配されて戸惑う。
 恵美子は「河合はきれいだ」と叫ばれて影山聡(賀来賢人)を真っ直ぐに見ることが出来ない。
 しかし平太も恵美子もそれを受けとめる。
 心が凝り固まってしまうと<心配されること>が重荷になったり拒絶したくなったりするものだが、平太たちは受けとめた。
 <心配すること>と共に<心配されることを受け入れること>、これも大きな成長である。


 Q10という作品は見事な交響曲である。
 いくつかのテーマ、モチーフが変奏され絡み合って奏でられる音楽。
 平太たちは楽器の演奏者。そこには長調があり、短調があり。
 今回は恵美子によるシューベルトの「風」の独唱もあった。
 Q10はオーケストラの中で異彩を放つトライアングルのような存在かな。
 この作品は視聴者を心地よい音楽を聴くような1時間の世界に誘ってくれる。


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「相棒」と「黄金の豚」における悪の論理

2010年10月28日 | 研究レポート
 「相棒 顔のない男~贖罪」で描かれた悪の論理。
 「一粒の麦死なば……」つまり大きな目的のためなら小さな命など失われてもかまわないという論理。
 でも大義なんてものはウソで、大物政治家・伏見享一良(津嘉山正種)の過去の汚職を拭い消すためだったんですよね。
 それを大義という別の言葉できれいごとにする。人を騙す。
 おまけに自分では手を染めずに他人を使う。実際の殺人に手を染めたのは元SAT隊員の上遠野隆彦(徳重聡)。おまけに犯行がバレそうになると、上遠野に死んでくれと勝手なことを言う。
 本当に権力者というのはどうしようもないやつらです。無恥と言ってもいい。
 大きな力を持っている人間のきれいごとこそ疑ってかかったほうがいい。

 もうひとつ「黄金の豚」第2話で描かれた悪の論理。
 「警察という組織の信頼が揺らげば、警察力は低下し治安が悪化する」「だから小さな不祥事は目をつむれ」
 これも「相棒」の「一粒の麦死なば……」の論理と同じだ。
 警察という大きなものを守るために小さなものは切り捨てられていいという理屈。
 おまけに内部告発した刑事を定年前に立ち小便で検挙し、見せしめにする。
 今回は警察署長ですが、やはり力を持ったやつというのはどうしようもない。
 力は弱き者のために使われなければならないのに、自分のために使っている。
 先日逮捕された大阪地検特捜部の証拠改ざん検事と同じ。
 警察権力というのはいつでも市民を拘束できる怖ろしい権力なのに、それを自分の出世のためとか守るために使っている。
 それに「警察という組織の信頼が揺らげば、警察力は低下し治安が悪化する」というのは本当か?
 確かに一時的には信頼や警察力が低下するかもしれない。しかし病巣を除く手術は速ければ速いほどいい。すべてが腐ってしまった時は、それこそみんな、やり放題。悪化どころではない秩序の崩壊だ。

 結論!
 上に行くと人間は腐る。
 組織にどっぷり使って疑問を持たなくなると人間は腐る。
 腐ってしまった人間にはご引退いただくしかない。
 そう言えば「黄金の豚」第一話では、社会保険機構の長官が逮捕される時「俺がいなくなったらこの国の社会保険行政はダメになる」と言っていましたが、そんなことはありません。
 あなたがいなくなっても組織はまわるし、逆に良くなっていく。
 傲慢、無恥な人間というのはどうしようもない。
 組織に必要なのは右京さんや敬礼をした刑事達のような<魂>を持った人間だ。


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Q10のロボットしゃべりについて

2010年10月27日 | 研究レポート
 世の中には様々な言葉が溢れている。
 ワイドショーのコメンテイターの言葉、国会での政治家の答弁、ドラマの主人公たちの言葉etc。
 でも、これらの言葉がどれくらい我々の心に届いているのだろう?
 言葉が自分の中を通り過ぎていくだけで、少しも心の栄養になっていないようにも思える。

 前田敦子さんを演じるロボットQ10のしゃべり方。
 ある意味、意表をつきましたよね。
 完全なロボットしゃべり。感情のない無機質なしゃべり。電気音にも聞こえる。
 表情もない。時折首を傾げるくらいで喜怒哀楽もわからない。
 アイドル前田敦子を使うのだから、もっと彼女の可愛いらしさを出すという演技の可能性もあったのだろうが、敢えてそれをしない。
 でも、賛否両論あるだろうが、これが逆に新鮮になっている。
 「前田敦子がヒロイン、ならばこう来るだろう」と言う視聴者の予想を上手く裏切っている。

 では敢えてQ10にこの無機質なしゃべり方をさせた製作側の意図は何だろう?
 僕はQ10の言葉を平太(佐藤健)やまわりの登場人物たち、そして視聴者に届くものにしたかったからではないかと思う。

 例えば
 「コレハニンギョヒメノウロコデスカ?」
 「ココハイキテイケルバショデスカ?」 というせりふ。

 これが人間の口調で
 「これは人魚姫のうろこですか?」
 「ここは生きていける場所ですか?」

 と語られたのなら、もしかしたら他のせりふの中に埋もれてしまったかもしれない。
 ギターのピックを落とした山本民子(蓮佛美沙子)の心に響かなかったかもしれない。「なにバカなこと言ってるの?」でスルーされてしまったかもしれない。

 これは<せりふは感情に溢れ抑揚があるものが素晴らしい>という今までのせりふの常識をくつがえす手法だと思う。
 手垢にまみれた言葉を輝きのあるものにするには、無機質なロボットしゃべりの方が有効な場合がある。
 未来社会ではもしかしたらQ10のようなデジタルしゃべりの方が主流になるかもしれない。

 またドラマとしては前田敦子さんがますますロボットらしくなって、もしかしたら本当にロボット?と思えるようになったらすごい。それが楽しみ。


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現代の悪役を考える~流れ星・医龍

2010年10月26日 | キャラクター
 ナルシスティックなダメ男は稲垣吾郎さんがよく似合う。
 「流れ星」の兄・修一役だ。
 SMAP×SMAPなどのバラエティの影響か、稲垣さんのナルシストぶりにはどこか笑いが伴うのである。
 だから修一。
 そしてこれは稲垣さんの新境地。
 今まではナルシストだけだったが、これに悪役が掛け合わされた。しかもダメ男の。
 同じナルシストを演じられる及川光博さんでもこの味は出せない。
 稲垣さんはこの他にも「ブスの瞳に恋してる」などの現代のイケメン役の出来るし、結構引き出しのある役者さんだ。
 木村拓哉さんなんかはどんな役を演じても木村拓哉さんですからね。
 それだけでずっとトップを張って来られるというのは逆にすごいことなのですが。

 サディスティックな悪役と言えば「医龍3」の野口教授役の岸部一徳さん。
 朝田をいじめ、稲森いずみさんの加藤医師をいじめ……(僕が思うに野口は絶対加藤ちゃんのことが好きだと思う)。
 しかもネチネチといやらしい。
 稲垣さんの<笑い>同様、この<ネチネチといやらしい>感じは岸部さんにしか出せない。
 そして岸部さんもすごく引き出しがある。
 「医龍」の野口や「相棒」の警察庁長官などインテリでエリートな役を演じられるが、同時に町の親父も演じられる。
 泉谷しげるさんはやはり泉谷しげるさんですからね。

 というわけで、時代は<ナルシスティック>や<サディスティック>。
 普通の悪役ではつまらない。
 そして役者さんは<笑いの雰囲気>とか<ネチネチとした感じ>とかプラスアルファが必要。
 木村さんとか泉谷さんみたいに自分のキャラクターでいける役者さんは別だが、その他の役者さんには役の引き出しとか自分にしか出せない味を出せることが生き残りの条件となる。


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龍馬伝 第43回「船中八策」

2010年10月25日 | 大河ドラマ・時代劇
 船中八策で<政治家>になった龍馬(福山雅治)。
 「みんなが笑って暮らせる世の中を作る」では、ただの<理想家>ですからね。
 その理想を実現するための政策や戦略がなくてはただのウソつき。
 この点で龍馬は、政策→船中八策、戦略→大政奉還、の両方をしっかり持っている。

 ただ理想を実現するのは難しい。
 鳩山元首相だって、<友愛社会>や<普天間基地県外移設>という理想を打ち出したが、いずれも頓挫してしまった。
 それは龍馬も同じ。
 理想の実現には必ず抵抗勢力がいる。
 まずは徳川幕府。
 中岡慎太郎(上川隆也)や木戸(谷原章介)が言ったように、権力・既得権を持つ者はなかなか手放したがらない。
 現代で言えば官僚の既得権。

 また理想はそれが突飛であればあるほど、実現は難しくなる。
 <武士階級をなくして平等な社会を築く>
 この結果、龍馬は徳川幕府だけでなく、武士階級まで敵にまわしてしまった。
 上士であることにこだわり、その既得権を守ることに汲々としている後藤象二郎(青木崇高)が、なぜ船中八策に賛同したかは疑問だが、武士階級の反発があることは必然。
 だから龍馬は暗殺されてしまった。

 そしてこの対立は明治の西南戦争まで続く。
 話は少し逸れるが、大久保利通という人物は大した政治家だと思う。
 何しろ武士をなくし、藩をなくしてしまったのだから。
 今で言えば、官僚の既得権を無くし、地方分権を成し遂げたようなもの。
 大久保は西郷などと比べて人望がなかったようだが、それにしてもよくやった。
 結果、反発を買い、紀尾井坂で暗殺されてしまったが。
 大久保はもっと評価されていい。

 ということで龍馬がやろうとしたことはあまりにも早過ぎて、大久保の時代になるまで待たなければならないことだった。
 西南戦争ほか幾多の血を流す必要もあった。
 理想とそれを実現していくための現実は大きく違うのである。
 幕府を無くすのだって、大政奉還は成し遂げられたが、結局は戊辰戦争で血を流すことになってしまった。
 しかし、龍馬のように理想を持つことは必要。
 それがたとえ徒手空拳のドンキホーテのような戦いであったとしても。

※追記
 薩土盟約。
 外交交渉でしたが、薩摩の方がしたたかでしたね。
 <大政奉還>に賛成しておいて、もし成し遂げられなかった場合、土佐が倒幕戦争に参加する。
 薩摩にしてみれば<大政奉還>などあり得ないと思っているから、事実上、土佐に倒幕戦争参加を約束させたことになる。
 まさに肉を斬らせて骨を断つのしたたか外交。
 もっとも歴史は薩摩の思惑どおりにならず<大政奉還>を選んでしまったが。

 ちなみに僕は龍馬暗殺の黒幕は大久保だと思っている。
 自分の描いたシナリオを次々と書き換えていく龍馬が邪魔になったのだ。
 先程評価した人物だが、こういった闇の面も含めて興味深い。
 作家の方で大久保を主人公にした幕末ものを書かれる方はいないだろうか。

※追記
 船中八策には龍馬が関わった人物がすべて関わっていた!
 木戸、横井小楠、吉田東洋、高杉、武市、勝、久坂、河田小龍。
 こういう作劇になるなら、もっとこれらの人物と龍馬の関わりを描いておけばよかったのに。
 横井、久坂、河田はドラマ上は確か1回ぐらいしか会っていない。 

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Q10~自分に革命を起こそう!

2010年10月24日 | 学園・青春ドラマ
 ダラダラとした日常を生きていて、人はキラキラとしたものを求めるもの。
 キラキラとしたものとは恋。
 それは身近な男の子、女の子でなくてもいい。
 二次元の女の子でもブラウン管の中にいるアイドルでも。
 あるいは恋でなくてもいい。
 電信柱でも鉄塔でも。
 自分が見て心ときめかせることが出来れば。

 でも好きな人といっしょに過ごす時間ほどキラキラしたものはない。
 たとえそれが二次元の女の子やアイドルによく似た人とのものであっても。
 そして、そうして手に入れたキラキラした時間は一生残る。
 <しょうもないサラリーマン>になっても、いっしょに撮った写真を見れば、あの時のキラキラした時間を思い出して生きていける。
 他の人間にとっては何でもない<ハシ袋>を見ただけでもあの頃のことを思い出せる。

 そして平太(佐藤健)もこんなまわりの人間に関わっていくうちにキラキラを求めるようになる。
 Q10(前田敦子)がロボットであることで一線を引いていた平太。
 でも二次元の女の子でも一生懸命に好きになれる中尾順(細田よしひこ)を見て、それが間違いであったことに気づく。
 教師の小川(田中裕二)が言ったように「人間は何を好きになってもいい」のだ。
 柳(薬師丸ひろ子)が言ったように「恋は革命であり、世界がひっくり返るようなこと」なのだ。
 世界がひっくり返るというのは、今までの常識がくつがえされること。
 だから恋愛の対象が人間でなくロボットであっていい。何しろ革命なのだ。
 ロボットであるからというとらわれでキラキラする時間をなくしてしまうのはもったいない。

 うーーん、深いですね。
 普通のドラマなら「キラキラした時間を持とうよ」というメッセージで終わる所。
 でも、この作品ではされに一歩進めた。それは……

 「人間は何を好きになってもいい」というテーマ。

 たとえば、二次元の女の子を好きだと言えば世間からは引かれるが果たしてそれでいいのだろうか?
 いい歳をしてAKBを好きだと言えば笑われるが、これは笑われることなのだろうか?
 鉄道が好きで列車の写真や切符を集めていると言えばバカにされるが、ブランドバッグが好きで集めるということとどこが違うのか?
 あるいは男性が男性を好きになり、女性が女性を好きになるということはいけないことなのか?

 人間はキラキラを求めるためにもっと自由になっていていい。

 この作品はここまでテーマを掘り下げている。
 さて僕のキラキラは何だろう?
 世界をひっくり返す自分の革命を起こそう!


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黄金の豚~人物造型のお手本

2010年10月21日 | その他ドラマ
 堤芯子(篠原涼子)のキャラクターがいい。
 社会の不正と闘う女性。
 同様のコンセプトのドラマとして「パーフェクト・リポート」と「ナサケの女」が今期ありますが比較されるでしょうね。
 「ナサケ」は本日オンエアなので未見だが、「パーフェクト・リポート」の主人公と比べると芯子の方が断然いい。第1話だけですが、ドラマとしても「黄金の豚」の方が上。

 「パーフェクト・リポート」はどこかで見た感じがしますからね。
 天海祐希さんが以前やっていたニュースキャスターものとそっくり。
 ダメなスタッフが主人公の情熱とリーダーシップによって変わっていくというのも同じだし、相武沙希さんと同じ立ち位置の役柄は矢田亜希子さんがやっていた。
 これでは芸がない。
 
 「黄金の豚」も主人公によってまわりが変わっていく物語だが、組織からはみ出したアウトローなのがいい。
 再び比較になるが、「パーフェクト・リポート」の主人公・叶(松雪泰子)はあくまで組織の中の人間。記者魂を説き、「関わった事件は最後まで見届けたいでしょう」と正論を言うが、あくまで組織の中での言葉。
 ところが芯子は「弱い者いじめをするやつは許さない」「不正のツケは年寄りにまわってくる」と分かりやすくストレート。
 他にも芯子にしか言えない名セリフがいっぱい。
 「美しいものの裏には汚いものがある」
 「正義なんて生モノと同じ。すぐに腐る」
 「一番のワルは誰だと思う?知ってて知らんふりをする連中。あんたらのことだよ!」
 「やりとげれば出世できるんでしょう?」
 「人事部長だが、モンシロチョウだか知らねえが……」「学習しねえ男だな」
 「恋も仕事も泣き寝入りかよ」
 また捜査の方法も頼りにするのは<におい>。
 「パーフェクト・リポート」の叶がヘトヘトになって街を歩きまわるやり方よりはキャラとして立っている。
 <執行猶予中の犯罪者であることがバレるとまずい><軽犯罪でも警察に捕まると刑務所行き>という弱点も持っている。
 母親が町の八百屋で妹がキャバ嬢と市井にも通じている。
 角松一郎(大泉洋)との恋愛話もありそうだし、芯子はまさに人物造型は実に見事。
 これに比べると「パーフェクト・リポート」の叶は人物造型として物足りない。
 叶が見せた唯一の私生活はボーリングだが、ボーリングすることと叶のキャラにどの様な関係があるのだろう。

 芯子は人物造型のお手本である。

※追記
 それにしても今回の悪役は何と恥知らずな人間だろう。
 国の補助金でタダ同然で豪華な老人ホームを建てて、そこに住み、介護士さんはボランティアで働かせてその浮いたお金を自分の懐に。
 そんな不正がバレそうになると圧力をかけてうやむやに。
 ドラマではあるが、この国の上の人間は多かれ少なかれこんなふうだと思った方がいい。


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フリーター、家を買う。~ありのままの自分を認めることからすべては始まる。

2010年10月20日 | その他ドラマ
 武誠治(二宮和也)の成長物語。
 誠治の感性って実は正しいんですよね。
 バカな新人研修、言ってることとやってることが矛盾している上司、おべっかを使うやつがモテはやされる。
 飲み会だって楽しくないのなら出なければいい。それを協調性や慣例のもとに強要する社会。
 会社を辞めてフリーランスになった僕としては誠治の反抗はよくわかる。
 人間には組織型人間と非組織型人間がいて、誠治は後者なのでしょう。
 だから誠治は「自分はダメなやつだ」「社会の不適合者だ」などと思ってはいけない。

 ただ、そんな誠治だから学ぶべきことはある。もっと自分を知る必要はある。
 たとえば、父親(竹中直人)に言われた「プライドだけが高くて無能なやつ」という言葉。
 このことは素直に受け入れなければならない。
 実際、プライドが高くて土木の仕事なんかを見下しているわけだし、パソコンの技術も試験を受けている他の人間に比べたら劣っている無能力者。
 この客観的な自分を認めることからすべては始まる。
 <プライドが高くて無能な自分>を認めて何とかしようとあがくことから進歩が始まる。
 そこに留まっていたら本当に<根気のない負け犬>になってしまう。

 ところで、今回誠治は大きく進歩した。
 何しろ「いつだって母さんが笑顔で見守っていてくれた」ことに気づいたのですから。
 これは大切なこと。
 普通に会社勤めをしていたら母親が歳を取って亡くなるまで気づかなかったかもしれない。自分は母親なんか関係なく自分の力で生きてきたと思って。

 <自分のまわりに起こることはすべて意味がある>
 父親の苦言は自分は<プライドが高い無能力なやつ>という認識をさせてくれたし、母親の鬱病は<母親の愛情>を確認させてくれた。

 さあ、これから誠治の本当の戦いが始まる。
 彼は無器用だからさらにいろいろな所で頭をぶつけていきそうだが。
 脚本は「僕の生きる道」の橋部敦子さん。
 有川浩さんの原作があるらしいが、こういう成長ものは橋部さん、上手いですね。
 サバサバした香里奈さんにも期待!


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流れ星~鬱屈の交換

2010年10月19日 | 恋愛ドラマ
 どんなにあがいてもつらい現実から抜け出せない槇原梨沙(上戸彩)。
 やっと抜け出せたと思った途端に絶望へ落とされる。
 こんな時に感情を持つことはつらい。
 心の中が怒りや憎しみや悔しさや無力といった感情でいっぱいになる。
 負の感情が鬱屈する。
 だから感情のないクラゲに憧れる。
 クラゲに憧れて慰められているだけならいいが、怒りや憎しみが心のキャパを越えると、他者を破壊しようと思ったり(=兄への殺意)、自分を破壊しよう(=自殺)とする。

 岡田健吾(竹野内豊)も鬱屈を抱えている。
 妹のドナー探し。
 親戚に断られて、医者には他人事のような倫理を説かれ、婚約者には半ば拒絶され別の顔を見る。家族になろうとしていた人間が結局は他人なのだと思い知らされる。

 そんな梨沙と健吾の鬱屈が交錯して生まれるドラマ。
 はじめは肝臓のドナーとお金という利害の関係だが、それがどの様に発展するか?
 健吾は誠実な人間として描かれているが、ずるい打算を抱いている。
 その打算とはこうだ。
・梨沙はお金がほしいはず。そしてイメクラで働いている女性。ならばお金で体を取り引きすることにあまり抵抗がないだろう。
・梨沙は自殺をしようとした。ならば一度捨てた命。肝臓提供ぐらいしてもいいだろう。
 これらは妹を助けたいという必死の思いから出ていることなのだが、結構ずるく、ある意味、醜い。
 そしてこの打算を梨沙は何らかの形で感じるはず。
 この辺がどう表現されるかが今後の見所。
 
 それにしても上戸彩さん、難しい役に挑戦されましたね。
 上戸さんなら北乃きいさんがやっている妹・マリアぐらいの役なら楽々とこなせるだろうが、梨沙はすごく複雑な役。
 新境地を開けるか? あるいは今までの上戸彩プラスアルファで終わるか?


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龍馬伝 第42回「いろは丸事件」

2010年10月18日 | 大河ドラマ・時代劇
★面白かったです。
 「清風亭」の時もそうだったけど、「龍馬伝」は交渉の時が面白い。
・紀州藩という大きなものに泣き寝入りしないで戦うこと。
・失敗すれば腹を斬らなければならない、まさに必死の交渉。
・この交渉が幕府対土佐藩という図式、倒幕の要素も内包していること。
 これらが絡まって見せる迫真の交渉!
 紀州藩が賠償金を払い、海援隊の名声がとどろき、山内容堂(近藤正臣)をも動かす結果にすっきり!
 おまけにラストは紀州藩の刺客との立ち合い。
 龍馬(福山雅治)は徳川御三家のひとつがこのような卑怯な行為をするのをなじり、「お前らにはわしは斬れんぜよ!」と見栄を切る。
 海をバックにした逆光で、風が吹き、チャンバラ映像としても美しい。

 この作品で脚本・福田靖さんがやりたかったことのひとつはこういう物語だったんでしょうね。
 事件が起こり解決するがチャンバラがある。
 「水戸黄門」や「暴れん坊将軍」のようないわゆる時代劇の王道。
 それを大河ドラマふうにアレンジした感じ。

★紀州藩との交渉としては<事実確認><証拠ねつ造><万国公法>そして<世論>。
 何というか<尖閣漁船衝突事件>や<大阪特捜部検事証拠改ざん事件>を思わせる。
 特に長崎の<世論>を使ったことはまさに尖閣。
 尖閣問題では、国際世論の中で<中国批判>を引き出され、鎮静化の様相になりましたからね。
 いろは丸の事件でも長崎の世論が紀州藩を動かした。
 また龍馬が言った「万国公法を無視すれば紀州藩は世界中から野蛮人だと笑われる」という論理はそのまま「中国が強引な覇権主義を唱えれば世界から未成熟な国だと思われる」という論理と同じ。
 制作スケジュールがどうなっているかわからないが、今回の脚本が最近書かれたものだとすれば、あるいは現場で直されたものだとすれば、当然昨今の事件の影響が筆に現れたのだろう。
 そして外交とはこういうもの。
 龍馬は「いずれもう一度話し合いの機会が来る」と言ったように、一歩も二歩も先を読んでいた。
 こういう外交をして下さいよ、菅さん。

 それにしてもシーズン4になって龍馬はしたたかな策士になりましたね。
 次回は「船中八策」のようですが、大政奉還までのシナリオがしっかりと頭の中にある感じ。
 今回のいろは丸の件も結果、幕府の弱体化を世の中に宣伝することになった。
 まさに<災い転じて福となる>。
 実にしたたかです。


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