今回は上手い。
秀吉(岸谷五朗)と利休(石坂浩二)の対立がよく描かれている。
その象徴が<竹筒に挿された一輪の花>。
黄金まみれの秀吉とは対照的。
切腹を申しつける場面では、利休は秀吉の嫌いな<黒の器>を出した。
この小道具の使い方は見事。
また、単なる対立として描くだけでなく、秀吉に葛藤させている所も上手い。
秀長(袴田吉彦)の最期の言葉「耳に痛いことを言ってくれる者を信じるのじゃ」で秀吉は迷う。
利休に頭を下げ、自分のそばにいて、苦言を言ってくれと頼む。
この揺れ方!
そして頭を下げたのに断られ、「嫌いだ」と言われて、秀吉はついに爆発する。
おそらく秀吉の狂気、暴走はここから加速度的に始まっていくのだろう。
これまでブレーキをかけてきたの秀長、そして利休。あるいは江(上野樹里)。
それらの歯止めがなくなっていく。次回は江が遠ざけられそうだ。
さて利休。
利休は自分の美学に生きた人なんでしょうね。
若かった時は描かれていないのでわかりませんが、老境にさしかかり、枯れて、質素・淡泊なものを美しいと感じるようになった。
その美学に秀吉は反していて、非常に醜い。
老いて盛んで、権力欲、物への執着も留まることを知らない。
ふたりが別の道を歩んでいくのは必然だったのでしょう。
そして普通の人間なら権力者と折り合いをつけて生きていく所、利休はそれを受け入れることが出来なかった。
おのれの美学に殉じた。
この生き方については賛否両論があるだろう。
僕などは、「仁」で「どんなに恥をさらしても生きていくのが是」とした咲の兄・恭太郎の生き方に共感するので、利休の生き方はどうかと思うが、ともかく利休はそういう人。
そんな利休を今回は見事に描き切った。
ところで、この利休話は次回も続くらしい。
これはどうだろう? 今回で十分。
それよりも主人公の江はどうした?
もっと時を進めて、江について描くべきことがあるんじゃないか? もう二十四回だし。
この辺は構成が行き当たりばったり、甘い様な気がしてならない。
江は相変わらず、時々文句を言うだけの目撃者だし、これだけ主人公不在のドラマも珍しい。
これは作家が、江を掴めていないんじゃないのかな?
他のキャラクターの方がイキイキとしているし、深く描かれている。
秀吉(岸谷五朗)と利休(石坂浩二)の対立がよく描かれている。
その象徴が<竹筒に挿された一輪の花>。
黄金まみれの秀吉とは対照的。
切腹を申しつける場面では、利休は秀吉の嫌いな<黒の器>を出した。
この小道具の使い方は見事。
また、単なる対立として描くだけでなく、秀吉に葛藤させている所も上手い。
秀長(袴田吉彦)の最期の言葉「耳に痛いことを言ってくれる者を信じるのじゃ」で秀吉は迷う。
利休に頭を下げ、自分のそばにいて、苦言を言ってくれと頼む。
この揺れ方!
そして頭を下げたのに断られ、「嫌いだ」と言われて、秀吉はついに爆発する。
おそらく秀吉の狂気、暴走はここから加速度的に始まっていくのだろう。
これまでブレーキをかけてきたの秀長、そして利休。あるいは江(上野樹里)。
それらの歯止めがなくなっていく。次回は江が遠ざけられそうだ。
さて利休。
利休は自分の美学に生きた人なんでしょうね。
若かった時は描かれていないのでわかりませんが、老境にさしかかり、枯れて、質素・淡泊なものを美しいと感じるようになった。
その美学に秀吉は反していて、非常に醜い。
老いて盛んで、権力欲、物への執着も留まることを知らない。
ふたりが別の道を歩んでいくのは必然だったのでしょう。
そして普通の人間なら権力者と折り合いをつけて生きていく所、利休はそれを受け入れることが出来なかった。
おのれの美学に殉じた。
この生き方については賛否両論があるだろう。
僕などは、「仁」で「どんなに恥をさらしても生きていくのが是」とした咲の兄・恭太郎の生き方に共感するので、利休の生き方はどうかと思うが、ともかく利休はそういう人。
そんな利休を今回は見事に描き切った。
ところで、この利休話は次回も続くらしい。
これはどうだろう? 今回で十分。
それよりも主人公の江はどうした?
もっと時を進めて、江について描くべきことがあるんじゃないか? もう二十四回だし。
この辺は構成が行き当たりばったり、甘い様な気がしてならない。
江は相変わらず、時々文句を言うだけの目撃者だし、これだけ主人公不在のドラマも珍しい。
これは作家が、江を掴めていないんじゃないのかな?
他のキャラクターの方がイキイキとしているし、深く描かれている。