平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

江~姫たちの戦国~第24回「利休切腹」

2011年06月28日 | 大河ドラマ・時代劇
 今回は上手い。
 秀吉(岸谷五朗)と利休(石坂浩二)の対立がよく描かれている。
 その象徴が<竹筒に挿された一輪の花>。
 黄金まみれの秀吉とは対照的。
 切腹を申しつける場面では、利休は秀吉の嫌いな<黒の器>を出した。
 この小道具の使い方は見事。

 また、単なる対立として描くだけでなく、秀吉に葛藤させている所も上手い。
 秀長(袴田吉彦)の最期の言葉「耳に痛いことを言ってくれる者を信じるのじゃ」で秀吉は迷う。
 利休に頭を下げ、自分のそばにいて、苦言を言ってくれと頼む。
 この揺れ方!
 そして頭を下げたのに断られ、「嫌いだ」と言われて、秀吉はついに爆発する。
 おそらく秀吉の狂気、暴走はここから加速度的に始まっていくのだろう。
 これまでブレーキをかけてきたの秀長、そして利休。あるいは江(上野樹里)。
 それらの歯止めがなくなっていく。次回は江が遠ざけられそうだ。

 さて利休。
 利休は自分の美学に生きた人なんでしょうね。
 若かった時は描かれていないのでわかりませんが、老境にさしかかり、枯れて、質素・淡泊なものを美しいと感じるようになった。
 その美学に秀吉は反していて、非常に醜い。
 老いて盛んで、権力欲、物への執着も留まることを知らない。
 ふたりが別の道を歩んでいくのは必然だったのでしょう。
 そして普通の人間なら権力者と折り合いをつけて生きていく所、利休はそれを受け入れることが出来なかった。
 おのれの美学に殉じた。
 この生き方については賛否両論があるだろう。
 僕などは、「仁」で「どんなに恥をさらしても生きていくのが是」とした咲の兄・恭太郎の生き方に共感するので、利休の生き方はどうかと思うが、ともかく利休はそういう人。
 そんな利休を今回は見事に描き切った。

 ところで、この利休話は次回も続くらしい。
 これはどうだろう? 今回で十分。
 それよりも主人公の江はどうした?
 もっと時を進めて、江について描くべきことがあるんじゃないか? もう二十四回だし。
 この辺は構成が行き当たりばったり、甘い様な気がしてならない。
 江は相変わらず、時々文句を言うだけの目撃者だし、これだけ主人公不在のドラマも珍しい。
 これは作家が、江を掴めていないんじゃないのかな?
 他のキャラクターの方がイキイキとしているし、深く描かれている。


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JIN-仁- 最終話~未来のために更なる光を与えよう

2011年06月27日 | 大河ドラマ・時代劇
 「橘咲は先生をお慕い申しておりました」

 せつないですね。
 現実では結ばれることのなかった咲(綾瀬はるか)。
 その人が「一番美しい夕日を与えてくれた」ことのみを拠り所にして生きていく。
 その人が「未来で元気に生きていてくれること」が喜び。
 咲自身はそれで満足だったのでしょうが、見ている方は再会して結ばれてほしかった様な気がします。

 さて仁(大沢たかお)が戻ったパラレルワールドのもうひとつ現代で出会った橘未来(中谷美紀)。
 彼女は野風(中谷美紀)の子の安寿の子孫。
 その安寿は野風亡き後、咲が養子として育てたらしい。
 つまり橘未来は、<野風と咲の想いが込められた存在>の子孫。
 野風と咲の愛は、仁に<橘未来>をもたらしたのだ。
 何という愛の連なりだろう!
 まさに時空を越えた愛!

 歴史の修正力。
 それは歴史から仁の存在を消すことは出来るが、仁に関わった人の想いを消すことは出来ない。
 咲の仁に対する想いもそうだし、仁が伝えた考え方、<何よりも目の前の命を救うことが大事>も<暴力は暴力しか生まない>も<恥をさらしても生きることが是>も残った。<保険>という考え方も残った。
 つまり人は思い、願えば、未来を変えられるのだ。
 仁の前に<橘未来>が現れたのも、咲と野風が必死に願ったから。仁に<橘未来>という光を与えたかったから。
 なので作品は最後にこうまとめる。
 「この世界は、誰もが戦い、もがき苦しみ、命を落とし、勝ち取って来た、無数の奇跡で編み上げられていることを、俺は忘れないだろう。そして更なる光を与えよう。今度は俺が未来のために……この手で」

 未来に光を与えるために、戦い、もがき苦しむこと。
 人の生きる目的とは、こういうことかもしれませんね。
 仁や龍馬(内野聖陽)、咲や野風、そしてこの作品の登場人物たちは、皆、未来に光を与えるために戦っていました。


※追記
 原作があるとはいえ、作家の構成力には驚かされる。
 パート1の第1話で非常階段に転がった薬のビン(ホスミシン)が最後の最後で意味を持ってくるとは!
 野風が癌で亡くなることも、後に咲が安寿を育てることにつながり、見事な伏線。

※追記
 脳の腫瘍摘出が無理だとわかって、仁は咲にこう語る。
 「出来ないことに悩むよりも、今、出来ることをやりたい」
 確かに。自分の力でどうにもならないことに悩んでいても意味がない。
 仁は医者として自分が伝えられることを最期まで伝えようと思う。
 そして仁友堂の仲間達に「自分の体を腑分けしてほしい」と語る。
 理由は「自分が残せるのは知識」、腑分けすることで、それが仲間達の知識になり、「自分の死が意味あるものになる」から。
 そう言われて戸惑う佐分利たちとは対照的に、咲は笑顔で「はい!」と答える。
 咲は本当に仁先生の理解者なんですね。

※追記
 もうひとつ咲。
 傷の治療が終わって死地に向かう彰義隊に武士達について仁はこう感想を漏らす。
「もし、かけがえのないもの(=徳川家)がなくなってしまうのなら、一緒になくなるのが一番幸せだって……そんなふうにも思ったのかなって」
 これに対して咲は「それが医者の言うことですか?」と咎める。
 やはり咲は聡明だ。

※追記
 医学館の医師達が彰義隊の負傷者を治療するのを見て、勝(小日向文世)は政治的にまずいからやめろと言う。
 それに対して多紀(相島一之)は、「医者は医の道を歩むのみ。治まらぬものを治めるのが政の道であろう」
 すると政治家・勝は返す。
 「好きな様にやりやがれ! 馬鹿医者!」
 この言葉を現在の菅首相や政府にそのまま伝えたいですね。
 「問題になるからこれをするな」ではなくて、「問題になっても俺が収めるからやれ」と言えるような政治家。
 これがリーダーシップ、政治家の役割です。

※追記
 仁先生が戻ったパラレルワールドの現代の病院。
 そこには<東洋内科>の看板。
 本道(和の医術)と蘭学が幕末に力を合わせた結果、現代に生まれたんですね。
 こういうディティルも楽しい。

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マジすか学園2~抗争激化! 次回は必見!

2011年06月26日 | アイドル
 「マジすか学園2」(毎週金曜0:12 テレビ東京)が盛り上がっている。
 馬路須加女学園(マジ女)VS矢場久根女子商業高校(ヤバ女)のヤンキー同士の抗争が激化! 次回ついに決戦!!

 ヤバ女は、近隣のヤンキー高に声を掛け、兵隊300人を集めている。
 ちなみにその近隣の高校とは……
 セント・ストリート・ハイスクール、座蹴留奈(ざけるな)商業高校、簿子簿子(ボコボコ)女子高校、向月(ムカツキ)工業高校、矢探礼(やさぐれ)学園高校←いずれもすごいネーミング!!
 対するマジ女は、おたべ(横山由依)、歌舞伎シスターズ(河西智美、倉持明日香)、学ラン(宮澤佐江)、尺(峯岸みなみ)の5人。
 「ひとりで60人倒さなきゃいけないのか」とつぶやく歌舞伎シスターズ。
 そこへセンター(松井珠理奈)が「私もいるからひとり50人だな」と登場!
 そして、マジ女の各チーム(チーム・ホルモン、チーム・アンダー、チーム・フォンデュー)も「自分達はケンカが弱いけど、いっしょに戦いたい」とやって来る。

 かくして次回、繰り広げられる<マジ女VSヤバ女、近隣ヤンキー高校>の全面対決!!
 この戦いには、迷いが吹っ切れた最強の女子高生・前田敦子が加わり、怪我で入院中のゲキカラ(松井玲奈)、卒業したマジ女のOGたち、サド(篠田麻里子)、トリゴヤ(小島陽菜)、ブラック(柏木由紀)らも絡んで来そう。

 というわけで、次回最高の盛り上がりを見せる「マジすか学園2」。
 この「マジすか学園」については、ドラマウォッチャーの中には批判的な方もおられると思う。
 演技が下手、映像が安っぽい。
 だが、パート2になって内容は格段によくなった。
 ネズミ(渡辺麻友)とセンターの友情なんか最高に泣けたし、おたべ、歌舞伎シスターズ、学ラン、尺、センター、ゲキカラ、サド、トリゴヤ、ブラックって、すごいネーミング! マジ女の各チームの登場人物たちも含めて、キャラクターが見事に描き分けられている。
 おまけに、300人対5人の対決! そこへ仲間が駆けつけてくる! という展開。
 ヤンキー漫画やヤクザ映画などの定番だが、ここには定番ならではのエネルギーがある。
 現在のテレビドラマが、体裁やもっともらしさによって失ってしまった熱いダイナミズムがここにはある。

 今までこの作品を見て来られなかった方も、マジ女VSヤバ女の対立図式だけを踏まえていれば、楽しめると思うので、次回は必見! ぜひご覧下さい!


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亀は意外と早く泳ぐ~生きている実感を取り戻すには?

2011年06月25日 | 邦画
 片倉スズメ(上野樹里)は平凡な主婦、夫は海外赴任中で、自分を唯一必要としてくれるのはペットの亀。
 そんな生活ゆえ、スズメは自分の<存在の希薄さ>を感じている。
 誰にも必要とされないこと、誰にも気に掛けられないこと、これは存在していないのと同じことなのだ。
 他人の中にあって、泣いたり笑ったり、心配されたり心配したり、何かを与えられたり与えたり、こららのことで人は自分が生きていると実感できる。
 しかし、スズメにはそんな生きている手応えがない。亀にエサをやるだけの単調な毎日が延々と続くだけである。

 この作品は、そんな現代人が感じている<存在の希薄さ>を描いている。
 こう書くと、この作品は深刻な難しい映画の様に思われるかもしれない。だが、そんなことはない。
 見事なコメディになっている。

 さて、そんなスズメに転機が訪れる。
 何とスパイになってしまうのだ。
 もっともスパイとはいっても、007・ジェイムス・ボンドの様な派手なアクションをするわけではない。
 命令が来るまで、目立たない普通の生活を送ることを要求される。自分がスパイであることを公安にさとられてはいけないからだ。
 だからスズメは商店街のくじ引きでも一等が当たらない様に祈る。ティッシュが当たって大喜びする。
 スーパーの買い物でも主婦らしい買い物を要求される。アーティチョークなどという珍しい野菜を決して買ってはならない。
 公安の存在を意識して、運転していても落ち着かない。
 川で溺れている子供を助けても、名前も名乗らず去っていく。
 スパイ仲間もラーメン屋もすごい腕を持ちながら、店に行列が出来ることを避けるため、美味しくも不味くもない<そこそこのラーメン>を作っている(笑)。

 そんなスズメのスパイ生活は、今までのスズメの生活と何ら変わりがない。ほとんど同じ生活。
 だが、心は<ザワザワ>している。日々が充実している。
 この違いの理由は何だろう?
 スパイとしての使命・役割を与えられているからだ。
 ラーメン屋や豆腐屋など他のスパイたちに仲間だと認められているからだ。
 スズメの<存在の希薄さ>は、役割を与えられること(=誰かに必要とされること)、存在を認められることで解消される。

 上手いですね。<存在の希薄さ>というテーマを見事な隠喩で描いている。
 自分が生きていると実感したかったら何かになろう。
 スズメの場合はスパイだったが、他にもきっと何かがあるはずだ。


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東海林さだお・椎名誠という生き方~新日本三大料理は何か?

2011年06月23日 | エッセイ・評論
 東海林さだおさんと椎名誠さんの対談集「太っ腹対談」(講談社)を読んだ。
 今回の話題は、放送作家の小山薫堂さん(「料理の鉄人」「カノッサの屈辱」台本、最近では「おくりびと」の脚本)がゲストで加わっての「新日本三大料理は何か?」。

 日本三大料理。
 これまでは、寿司、すき焼き、てんぷらだった。
 日本を代表する料理だから、世界的にも認知されていなければならない。
 この点で、この三料理は妥当だろう。

 では今の三大料理は?
 東海林さんと椎名さんは、ラーメン、カレーをあげる。
 なるほど。
 いずれも中国発、インド発の料理だが、既に日本オリジナルに改良され、本家を凌いでいる。
 僕も香港でラーメンを食べましたが、日本の方が断然美味しかったですし。
 このふたつを新三大日本料理とするのに誰も異論はないだろう。
 問題なのは三番目の料理だ。

 対談は、この三番目の料理について議論される。

・トンカツ
 椎名「トンカツは割りと地位高いよ」
 東海林「有力だね、堂々としている」
 小山「ジョエル・ロブションが来日した時、恵比寿の『かつ好』というトンカツ屋さんに行って、えらく感動したって話を聞いたことがある」

・コロッケ
 東海林「何か不憫なんだよね。健気でしょ。救ってあげたい」
 椎名「でも、ラーメン、カレー、コロッケと続くとレベルが低くなっちゃうね」
 小山「お子ちゃまみたい」
 東海林「可哀想だけど、コロッケには泣いてもらおう」

・メンチカツ
 東海林「インチキっぽいだよね。堂々としていない」
 小山「コロッケとハンバーグ、どちらにもなりきれていないような」
 東海林「世間の様子を窺っているような感じだよね」
 椎名「課長どまりだな」

・オムライス
 椎名「オムライスをオジサンがひとりで食べるのって難しいんだよね」
 東海林「オムライスは何で恥ずかしいだろうね」

・牛丼
 椎名「あれ、ただ、ひたすら食ってるっていう感じがするね」
 東海林「もちろん(笑)。牛丼食いながら何するの?」
 椎名「カレーなんかは時々水を飲んだり、ふと食べるのをやめて、ものを考えたりするよ」
 東海林「牛丼は頭をあげちゃダメ(笑)。牛丼屋はテーブルがU字型で、向こう側の人も食ってるから、目が合うとマズいんだ」

 といった感じで語らいが続く。
 僕が面白かったのは、小山さんのメンチカツの評価→「コロッケとハンバーグ、どちらにもなりきれていないような」(笑)
 牛丼の食べ方に関する話も「そうだよな」と思ってしまう。

 さて、三番目の料理とは何なのか?
 東海林さんたちは「牛丼」に決めるが、それはどうだろう? いろいろ異論が出て来るに違いない。

 それにしてもこの会話……。
 小山さんはこんな感想を漏らしている。

 小山「こうやって下らないことを一生懸命考えるのが大人なんだなぁ(笑)」

 僕もこの意見に賛成である。
 <下らないことを一生懸命、真剣に考える>
 これぞカッコイイ大人である。
 日本経済がどうだとか、国際政治がどうだとか、世の中には意味のある会話(おそらく)はたくさんあるが、東海林さんたちは意味のないことに真剣に取り組む。
 僕はそこに<粋な軽さ><かっこよさ>があると思うのである。


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江~姫たちの戦国~第23回「人質秀忠」

2011年06月21日 | 大河ドラマ・時代劇
 冷静な皮肉屋の秀忠(向井理)。
 父親の家康(北大路欣也)には反抗。
 しかし、江(上野樹里)と遭遇すると、「跳ねっ返りのおなごのくせに!」「元服したての子供のくせに!」。
 少女マンガですね。
 不良の彼がヒロインにだけ心を開くという図式。典型的なパターン。

 脚本の田渕久美子さんはこういうのがお得意なんですよね。
 どこかのパターンを借りてきて、物語にミックスさせる。
 「篤姫」は「シンデレラ」だし、勝家と反発する江の関係は、昔よくあった父と娘のドラマ。
 「篤姫」の時は新鮮だったが、最近は安っぽく見える。

 僕が<安易でない>と考えるのは、たとえば今回の秀吉(岸谷五朗)と利休(石坂浩二)のやりとり。
 茶碗を使って、ふたりの間の葛藤を見事に描いている。
 「わしがこの茶碗を嫌いなのは知っているだろうが!」
 「忘れておりました」
 「黒きは古き心、赤きは雑なる心」
 「雑なる心だと!」
 こういうやりとりを僕は見たい。
 小道具を上手く使った、これぞプロの仕事だ。オリジナルだ。
 決してどこかで見た様な「跳ねっ返りのおなごのくせに!」「元服したての子供のくせに!」ではない。

 期待していた江と秀忠のやりとりだが、今後もこんな感じなのかな?
 安易な物作りはやめてほしい。


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JIN-仁- 第10話~人の意思は受け継がれる

2011年06月20日 | 大河ドラマ・時代劇
 龍馬(内野聖陽)が死んでしまいましたね。
 歴史の修正力は龍馬が生きることを許さなかった。
 そりゃあ、あれだけの行動力・影響力のある人ですからね、生きていたら戊辰戦争もなく、明治政府の形も大きく変わってしまったかもしれない。
 そうなると<微修正>で済まなくなってしまう。
 さすがに修正力はそれを許さなかった様です。

 さて仁(大沢たかお)。
 自分が原因で様々な人に悲劇が訪れるのを見て、<疫病神>と考えている様です。
 自分がいなければ、恭太郎(小出恵介)も東(佐藤隆太)も苦しむことはなかった。医師・三隅も捕らえられなかったかもしれない。
 親友・龍馬を助けることも出来なかったし、自分がここに来た理由を改めて考える仁。

 仁がこの時代に来た理由。
 僕は<意思>を残すためだったと考えます。

 たとえば<暴力は暴力しか生まない>という意思。
 これは龍馬に伝えられ、勝(小日向文世)に受け継がれた。
 それが西郷との会談での発言「あいつは終わちゃいないぜ」になった。

 仁の人を助けたいという<医者>としての意思は、咲(綾瀬はるか)ら仁友堂の仲間に伝えられ、多紀(相島一之)良順(奥田達士)にも受け継がれた。
 緒形洪庵の「国の為、道の為」という意思も立派に受け継がれている。

 あるいは仁は恭太郎に龍馬の意思を伝える。
 「再び生まれて来たい思える国を造ること」
 この龍馬の意思を受け継いで、恭太郎も前を向いて生きてほしいと仁は語る。

 人は生きて<意思>を残す。
 <子供>と同様、それは何代も受け継がれて、人は永遠に生き続ける。

 このことをさらに深めて考えていくと、歴史の修正力とは<意思>、あるいは<愛>みたいなものなのかもしれない。
 歴史の修正力は、仁が歴史を大きく変えることは許さないが、<愛の意思>を残そうとする限り、応援をする。

 さて次回は最終回。
 このテーマを含めて、どうまとめるか?
 仁の頭痛は腫瘍が原因なのかな? その腫瘍を取り除く手術をさせるために仁は未来へ跳んだ? 未来へ跳ばせたのは龍馬?
 最終回が楽しみだ。


※追記
 佐分利(桐野健太)は仁に語る。
 「私の夢はこの世で一番の医者になることです。先生に出会ったことを後悔したことは一時たりともありません」
 咲は仁に訴える。
 「私達に先生の持てるすべてを教えて下さいませ」
 これだけでも仁がこの時代に来たことに意味があったのだ。

※追記
 仁と龍馬のやりとり(携帯電話、メール、新幹線)も感動的だが、個人的には少し気恥ずかしい。

※追記
 東が龍馬を斬った理由。
・仇討ち(他の人間に斬られるくらいなら自分が斬る)
・仇討ちに見せかけて龍馬の理想を守った。(幕府の人間が龍馬を斬れば、大政奉還が無に帰してしまう。東はそれを守った)
・仁が治療してくれることを信じて、敢えて自分が斬った。
 龍馬暗殺は再び歴史のミステリーになった様です。


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大日本人~いいなぁ、このペーソスな笑い

2011年06月19日 | 邦画
 冒頭から始まる大佐藤さん(松本人志)へのインタビュー。
 大佐藤さんは挑発でうらぶれた感じの中年男。
 野良猫に餌をやり、庭に雑草が生い茂る古い一軒家に一人住まい。
 月収は変動はあるが50万ぐらい。
 壁には「死ね」と書かれ、インタビューの途中で石が外から投げ入れられ、ガラスが割れる。
 
 この男は一体何者か? 「大日本人」とは?
 観ている方はメチャクチャ気になる。
 そして明かされる大佐藤さんの正体!
 彼は、電気によって巨大化し、獣(怪獣)と戦う巨人戦士だったのだ!

 この冒頭の掴みは鮮やか。
 予想もつかない飛躍で、見事に観客を裏切っている。ここで笑いが爆発する。
 巨大化した大佐藤さんは、パンツ一枚で腹が出ている。体には刺青と企業広告。
 大日本人が戦う獣のシルエットはどこか「エヴァンゲリオン」の使徒に似ている。
 そして戦い方はウダウダでルーズ。「ひょうきん族」のタケちゃんマンの雰囲気。

 この鮮やかな掴みの後、物語は大佐藤さんの日常と苦悩が描かれる。
 大佐藤さんは戦いの中で、ビルを破壊したりするので、周囲から迷惑がられていること。
 大佐藤さんと獣の戦いはテレビ中継されているが、あまり人気がなく、オンエアは深夜で視聴率もイマイチであること。
 離婚して、半年に1回娘と会うのが楽しみであること。
 名古屋での戦いの後には、キャバクラに行くこと。
 体に着ける広告の場所についてマネージャーともめていること。

 およそ正義のヒーローとはかけ離れた日常と苦悩だ。
 いいなぁ、このうらぶれた感じ。ナンセンスでペーソスな笑い。

 そしてクライマックスは、アメリカの巨大ヒーロー家族・スーパージャスティスと力を合わせての戦い。
 スーパージャスティスは5人組で、最新兵器を使い、ひとりの獣をこてんぱんにやっつける。
 大佐藤さんは、その戦いにちょっとだけ手を貸す。
 これは、現在の日米関係の隠喩か? パロディか?

 この作品は<ペーソスな笑い>というものを思い出させてくれた。
 今度、アメリカでリメイクされるそうだが、どんなふうに作られるんだろう?
 それが逆に楽しみだ。


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夜のピクニック~青春の貴重な時間

2011年06月18日 | 邦画
 物語の舞台となる「歩行祭」。
 これは夜を徹して80キロを歩き通す高校生活最大のイベントだ。
 参加するのは、生徒の甲田貴子(多部未華子)、西脇融(石田卓也)、貴子の親友の美和子(西原亜希)、梨香(貫地谷しおり)、戸田(郭智博)、高見(柄本佑)たち。

 この「歩行祭」、これは青春の縮図ですね。
 「ここにゴジラが現れたらどうする?」といった、どうでもいい下らないことを喋りながら友達と歩いていくのも青春。
 「あきらめるな」と言って、励まし合い、助け合って歩いていくのも青春。
 歩きながら、好きな子にアプローチして彼氏、彼女になろうとするのも青春。
 「ひたすら夜、みんなで歩く」。ただ、それだけのことを無意味だなぁと感じながら、何となく貴重な時間に思えてしまうのも青春。(オトナになれば、意味のないことなんて、なかなかしようとしませんから)

 そして、「歩行祭」は人を哲学者にする。
 戸田は立ち止まってつぶやく。
 「時間が見える。この一瞬一瞬はどんどん過去になって、後戻り出来ないんだなぁ」
 「もう一生、こんなアングルでこんな景色を眺めることはないんだなぁ」
 あるいは夜を徹して80キロ歩く苦行は、日常生活で付いた心の澱を取り除いてくれる。
 わだかまりが消えて、素直になる。
 素直に自分の思いをぶつけられる様になる。

 物語は貴子と西脇の心の葛藤をメインに描かれるが、脇役達も個性豊かだ。
 梨香役の貫地谷しおりさん、高見役の柄本佑さん。
 このふたりが出て来ると、コメディになる。
 梨香は、「記念写真に幽霊が写っている。こんな珍しい写真はない」と言って写真を買いまくるし、高見は昼間はギブアップ寸前でヨロヨロ歩くが、夜になると俄然元気になる吸血鬼の様な男。貴子と西脇の恋の仲立ちをしようとする。
 それから高部あいさんが演じる内堀亮子。
 野球部、サッカー部のイケメンなど、亮子の浮き名は数知れない。
 そして、この「歩行祭」では西脇くんを狙っている。甘えて、タオルのプレゼントをして何とか口説き落とそうとする。この小悪魔的な感じが可愛い。

 見事な青春映画ですね。この作品は。
 「歩行祭」で考えたことなどを通して、貴子たちはこれからを生きていくのであろう。


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毒舌VS破天荒!~格付けし合う芸人たち

2011年06月16日 | バラエティ・報道
 破天荒キャラで知られる平成ノブシコブシの吉村さん。
 この吉村さんの面白さをなくすには、どうすればいいかが、6/14の「ロンドンハーツ 格付けしあう芸人たち」で判明した。
 吉村さんの破天荒につき合わなければいいのだ。
 「ロンドンハーツ」での吉村さんと有吉弘行さんとのやりとりはまさにそれだった。
 吉村さんが破天荒にキレる。
 しかし、有吉さんは冷静に返事をする。
 すると、吉村さんの破天荒が空回りをしてスベる。
 吉村さんの破天荒はケンカ状態になってこそ発揮されるのだ。
 ケンカになれば、やりとりがヒートアップして、吉村さんはどんどん破天荒になれる。
 しかし、冷静に対処されると空回り。

 というわけで、吉村さんは番組中に困った顔をしてこんなコメント。
 「ちょっと今日は冷静じゃない!? もっと熱く来るかと思っていたから、そういうふうに用意してきたのに!」
 「今日は俺が思い描いてきた格付けと違う!」
 なるほど。芸人さんは番組の出演メンバーを確認すると、誰と絡んで、どの様に自分を面白く見せるかをプランニングして来るんですね。
 吉村さんは有吉さんと絡んで、言い合いのケンカ状態に持っていき、自分をアピールしようとしていた。
 しかし、今回ははしごをハズされて、「誰か、助けてくれよーーー!」と叫ぶことになってしまった。

 こういう芸人さんのプランニングは面白い。

 一方、吉村さんとは対照的に成功したのは、狩野英孝さんのプランニングだ。
 狩野さんの作戦は<有吉さんの弟子>になること。
 弟子になってしまえば、毒舌をはかれても、「師匠の言うことはもっとも。勉強になるなぁ。でも厳しい言葉の中に愛を感じるなぁ」と交わすことが出来る。
 この作戦は上手い。
 有吉さんの毒を完全に中和してしまっている。
 狩野さんは、有吉さんの自伝『オレは絶対性格悪くない』を持ってきて「これは俺のバイブルだ」と大絶賛しているし。
 これにはさすがの有吉さんもひるんだ様子。

 というわけで、芸人さんがどんな作戦で自分をアピールしてくるかをチェックするのもバラエティ番組の見方のひとつですね。


※追記
 アンタッチャブルの山崎さんの作戦も上手かった。
 『最後においしい所を持っていく作戦』
 前述の有吉さんのやりとりでスベりまくった吉村さんが「今日のギャラはいらない!」と破天荒発言をすると、すかさず山崎さんは「そのギャラ、俺にちょーだい!」と発言。
 おいしい所を完全に持っていってしまった。
 さすがザキヤマさん。


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