主人公シッド・ハーレーは過去にとらわれた男。
騎手生活と事故による引退、自分のもとを去った妻。
これらの過去にとらわれ現実に一歩踏み出すことができないでいる。
シッドは探偵会社に形ばかりに勤め(仕事をしていない)ていたが、事件に巻き込まれて腹に銃弾を浴びる。
その時に彼はこう述懐する。
「なんにもほしくない。そういう人間なのだ。自分がこの世で一番望んだものを手に入れ、それを取り返しのつかない形で失ってしまったのだ。今の唯一の望みは、再び元気に歩けるようになって、腹の痛みがなくなることだ」
手に入れて失ったものとは華麗な騎手生活(あるいは家庭生活)。
それらを失って彼はただ生きている。
そんなシッドが競馬場買収の事件に取り組み、くすぶっていた火が再び熱く燃え上がる姿を描いたのが、ディック・フランシスの「大穴」だ。
このくすぶっているという所がポイントで、読者は事件の謎の究明と共に主人公が再生していく過程をどきどきしながら見ることが出来る。
またこの作品の魅力はその巧みな描写。
例えばシッドが敵に拷問に遭うシーンはこんなふうに描かれる。
「4人がそばによってきた。クレイは12日前エインズフォードで示した怒りをあらわに浮かべていた。しかもあの時は単に女房を侮辱しただけであった」
シッドは以前に悪党クレイの女房を侮辱してもの凄い怒りを買ったが、今回は事件の真相に関すること、もっとひどい怒りを買うだろうというわけだ。
ここで面白いのはシッドの心の中がまだ冷静で分析的であること。
こんな描写もある。
「『座れ』と言った。手の甲で顔の傷に触ってみながら腰を下ろした。まだこれくらいですめばいいほうだと諦めに近い気持ちで思った。これですめば幸運だ」
これもまだ冷静、客観的。
シッドがすぐれた理性の人だということが伝わる。
しかし本格的に拷問が始まるとこんな描写になる。
「鉄棒が肌をさき、枯れ枝を折るような音をたてて、骨が折れた。悲鳴をあげなかった。あげるだけ息を吸い込むことができなかった。人間の経験の範囲が狭いものであることを知った。閉じた目が霧をとおして輝く太陽のように、黄色から灰色に変わり、体中から汗が出た。ひどい。ひどすぎる。これ以上は耐えられない」
「火花を散らした電流が腕から頭へ、足の先へ流れるようなきがした。汗でシャツもズボンも体にまとわりついた」
肉体に関する非常に直接的な描写だ。
ひどい。ひどすぎる。と弱音も吐いている。
客観・分析的な描写から直接・肉体的な描写へ。
そんな文章のメリハリがあるから、迫力をもって伝わってくる。
肉体表現とは違うが、こんな描写もある。
顔に傷のある株屋の秘書ザナ・マーティンの部屋に行った時の描写だ。
「ザナ・マーティンの部屋は予想外のものであった。住み心地のいい大きな部屋で、隅から隅まで絨毯が敷きつめてあり、装飾も新しく色彩豊かであった。大きな室内灯と薔薇色のテイブル・ランプをつけ、フレンチ・ウィンドウに多少色のうすれたオレンジ色のカーテンをひいた。最近造ったばかりのバスルームと小さなキッチンを満足げにみせてくれた。彼女はもう十一年もここにすんでいる。自分の住み家なのだ。
ザナ・マーティンの住み家に鏡はなかった。一つもなかった」
部屋の中を描いた描写だが、最後の『ザナ・マーティンの住み家に鏡はなかった。一つもなかった』で顔に傷を負ったザナの心情を描いている。それは前の部屋の描写が幸せに満ち溢れているほど効果的に伝わる。
文章の最後で何らかの意味合いやオチをつける。
こんな描写がこの作品には随所にある。
文章表現として実に面白い。
騎手生活と事故による引退、自分のもとを去った妻。
これらの過去にとらわれ現実に一歩踏み出すことができないでいる。
シッドは探偵会社に形ばかりに勤め(仕事をしていない)ていたが、事件に巻き込まれて腹に銃弾を浴びる。
その時に彼はこう述懐する。
「なんにもほしくない。そういう人間なのだ。自分がこの世で一番望んだものを手に入れ、それを取り返しのつかない形で失ってしまったのだ。今の唯一の望みは、再び元気に歩けるようになって、腹の痛みがなくなることだ」
手に入れて失ったものとは華麗な騎手生活(あるいは家庭生活)。
それらを失って彼はただ生きている。
そんなシッドが競馬場買収の事件に取り組み、くすぶっていた火が再び熱く燃え上がる姿を描いたのが、ディック・フランシスの「大穴」だ。
このくすぶっているという所がポイントで、読者は事件の謎の究明と共に主人公が再生していく過程をどきどきしながら見ることが出来る。
またこの作品の魅力はその巧みな描写。
例えばシッドが敵に拷問に遭うシーンはこんなふうに描かれる。
「4人がそばによってきた。クレイは12日前エインズフォードで示した怒りをあらわに浮かべていた。しかもあの時は単に女房を侮辱しただけであった」
シッドは以前に悪党クレイの女房を侮辱してもの凄い怒りを買ったが、今回は事件の真相に関すること、もっとひどい怒りを買うだろうというわけだ。
ここで面白いのはシッドの心の中がまだ冷静で分析的であること。
こんな描写もある。
「『座れ』と言った。手の甲で顔の傷に触ってみながら腰を下ろした。まだこれくらいですめばいいほうだと諦めに近い気持ちで思った。これですめば幸運だ」
これもまだ冷静、客観的。
シッドがすぐれた理性の人だということが伝わる。
しかし本格的に拷問が始まるとこんな描写になる。
「鉄棒が肌をさき、枯れ枝を折るような音をたてて、骨が折れた。悲鳴をあげなかった。あげるだけ息を吸い込むことができなかった。人間の経験の範囲が狭いものであることを知った。閉じた目が霧をとおして輝く太陽のように、黄色から灰色に変わり、体中から汗が出た。ひどい。ひどすぎる。これ以上は耐えられない」
「火花を散らした電流が腕から頭へ、足の先へ流れるようなきがした。汗でシャツもズボンも体にまとわりついた」
肉体に関する非常に直接的な描写だ。
ひどい。ひどすぎる。と弱音も吐いている。
客観・分析的な描写から直接・肉体的な描写へ。
そんな文章のメリハリがあるから、迫力をもって伝わってくる。
肉体表現とは違うが、こんな描写もある。
顔に傷のある株屋の秘書ザナ・マーティンの部屋に行った時の描写だ。
「ザナ・マーティンの部屋は予想外のものであった。住み心地のいい大きな部屋で、隅から隅まで絨毯が敷きつめてあり、装飾も新しく色彩豊かであった。大きな室内灯と薔薇色のテイブル・ランプをつけ、フレンチ・ウィンドウに多少色のうすれたオレンジ色のカーテンをひいた。最近造ったばかりのバスルームと小さなキッチンを満足げにみせてくれた。彼女はもう十一年もここにすんでいる。自分の住み家なのだ。
ザナ・マーティンの住み家に鏡はなかった。一つもなかった」
部屋の中を描いた描写だが、最後の『ザナ・マーティンの住み家に鏡はなかった。一つもなかった』で顔に傷を負ったザナの心情を描いている。それは前の部屋の描写が幸せに満ち溢れているほど効果的に伝わる。
文章の最後で何らかの意味合いやオチをつける。
こんな描写がこの作品には随所にある。
文章表現として実に面白い。