あきかぜは みをわけてしも ふかなくに ひとのこころの そらになるらむ
秋風は 身をわけしても 吹かなくに 人の心の そらになるらむ
紀友則
秋風はあの人の身を二つに割って吹くわけでもないのに、どうしてあの人は私に飽きてしまって心がうわのそらになってしまったのでしょう。
「あき」は「秋」と「飽き」の掛詞。このような場合、古今集は「あき」を平仮名表記にしていることが多いですが、この歌では「秋」となっています。「そら」が「空」と「(うわの)そら」の掛詞なのも常套手段ですね。風が身を二つにわけて吹くという発想が現代人の感覚からは分かりづらいですが、「飽き」の風が愛しい人の心を二つに割って、自分以外の女性の方に向きかけているといったところでしょうか。