延喜十五年の春、斎院の御屏風の和歌、内裏の仰せにより奉る
女ども滝のほとりにいたりて、あるは流れ落つる花を見、あるは手をひたして水に遊べる
はるくれば たきのしらいと いかなれば むすべどもなほ あわにとくらむ
春来れば 滝の白糸 いかなれば むすべどもなほ 泡にとくらむ
延喜十五年の春に、恭子内親王の屏風の和歌を、天皇の仰せで奉った。
女たちが滝のほとりにいて、ある者は流れ落ちる花を見、ある者は手を浸して水で遊んでいる
春が来ると白糸のように落ちて来る滝が、どうして手に掬っても泡ととけてしまうのだろう。
「斎院」は第60代醍醐天皇の第三皇女恭子内親王のことで、生誕の翌年に斎院(上賀茂神社・下賀茂神社に仕える皇女)となり、わずか十四歳で薨去した人物。
「むすぶ」が「掬ぶ」と「結ぶ」、「とく」が「溶く」と「解く」の掛詞になっており、さらに「泡」には紐の結び方の名称である「泡緒」もかかっていて、滝の流れを白糸に喩えたことを踏まえて、巧みに「泡緒に結んでも溶けてしまう白糸」「手に掬っても溶けてしまう泡」の二重の意味を詠み込んでいます。「手に掬う水」を好んで詠んだ貫之らしい一首と言えるでしょうか。
なお、この歌は拾遺和歌集(巻第十六「雑春」 第1004番)にも採録されていますが、そちらでは第五句が「あわにみゆらむ」とされています。