18年間も会社勤めを続けていると、組織の中の全体を見回すと
いつも間にやら、年上の人よりも年下のほうが人数が多くなっている。
人間関係も、先輩、後輩の間柄ではなく、上司、部下のいう関係で
接していかないといけなくなってきた。
例えば、僕と年下のスタッフと二人で話しをする機会があったとしたら
僕は気さくに、ざっくばらんに話して欲しいのに、相手が身構えてしまう。
なかなか本音を出して話してもらえない。そういう形になるには、
今までよりもいっそうの時間が掛かる。
それは、信頼関係ではなく、信義という人間関係であり、ある程度は
仕方がないのだろう。
なので、僕の発言は、先輩のアドバイスではなく、上司の指示であり、
絶対的なものとなっている。
僕のほうは、お願いではなく、要求の形でなければならない。
チームのコーチ、監督として、チーム全体を正しい方向(勝利)へと
導いていくためには、コーチ、監督の特色を出していきながら、
適切な指示を出していくことが必要である。
そのためには、今までの経験を基にした、判断力が問われる。
最近思うのは、その判断力というのは、必ずしも常に正しい判断を
すること、正しい判断が出来ること、ではないということだ。
人間のすることなので、常に100点を狙っても、常に満点が取れるわけ
ではない。ある局面では、合格点が90点だったり、55点だったりする。
その局面局面の中で、どこまでやったら合格点になるのか、そのためには
何をしたらいいのか、を、判断し、展開して、最後に責任を負うことが
本当の「判断力」なのだと思う。
僕よりも高い給料を貰っていて、判断をしない、出来ない上司が同じ
部署の中にいる。
部下が、「どうしましょう?」「どうしたらいいですか?」と、
判断を求めているのに、「君ならどうしたらいいと思う?」と逆に
聞かれて、困ってしまい、そのまま次に進めなくなるのだそうだ。
確かに、その課のミーティングはとても時間が長い。
僕なら、イライラしてしまうだろうし、実際に部下の立場だった時には
文句を言っていたように思う。
判断の出来ない上司の元で仕事をすることのやりにくさ、は、自分も
今まで経験してきたので、とてもよくわかる。
僕はそれを反面教師として、今までやってきたつもり。
これ以上、高い役職に就きたいとは思わないけれど、「判断力」は
持っていたい。的確ではなく、状況に応じた適切な判断が出来る様に
なっていたいと思う。