星に願いを

5年間続けた海外生活から帰ってきて、5年がたちました。趣味の自転車(アウトドア)、読書(インドア)を綴っていきます。

ヴュルツブルグ

2006年07月31日 07時02分07秒 | 出来事
ヴュルツブルグに行ってきた。
フランクフルトから車で一時間ほど東に走ったところにある、ロマンティック街道の起点の街。
小高い山の上にある要塞と、大教会、それに、世界遺産に指定されているレジデンツ(大司教の宮殿)で有名な街。

フランクフルト~ハイデルベルグ、ローテンベルグ~ミュンヘン に続くルートは、2泊3日で、日本人だけでなく、多くの国の人たちが、大型観光バスで移動し、まるで弾丸ツアーのように行き来している。
街自体も、すっかり観光地目当てになっていて、何かとせわしない。

それに比べて、ヴュルツブルグは、あまり観光客が訪れないけれど、見所が多く、ドイツの歴史を感じることが出来る街の一つ。

4月に一度来たのだけれど、その時は、あまりにのんびりしすぎて、レジデンツを訪れることが出来なったのでした。
そんな話をすると、”ヴュルツブルグに行って、レジデンツを見ないのはもったいない。”と、みんなから言われたので、今回ドライブがてら行ってみることにしました。

行って見ると、レジデンツは、今までに見たことがない迫力でした。壁画、天井画、壁の彫刻などなど。色彩や彫刻の細やかさ。
一見の価値あり、でした。内装の迫力だけだと、ノイシュバンシュタイン城よりも凄かったです。
レジデンツもまた、第二次大戦で、破壊された建物だけれど、戦後復興により、復元されたのでした。


7歳と4歳の娘たちは、花より団子で、”つまらない。お腹減った。帰りたい。”と、連呼していましたが。
まぁ、動物園や遊園地の方が、よっぽど興味深いのでしょう。
街のカフェで、パフェとアイスクリームを食べて、彼女たちは満足げでした。


帰り道、カーナビの設定をしてみると、アウトバーンが渋滞しているようで、一般道を使うルートを指定していました。
走ってみると、山間の道で、そばには鉄道、河が流れていて、山の斜面は一面のブドウ畑が広がっていました。
暑かったけれど、車の窓を全開にして、風を浴びながら走っていました。日差しは強いけれど、風は涼しく、気持ちよかったでした。
山間部の小さな街をいくつか超えて、峠道を越えて、途中から、アウトバーンに戻って、一気に自宅まで戻ってきました。


チャングムの誓い

2006年07月30日 07時29分12秒 | 出来事

毎週金曜日の9時(イギリス時間だと8時)から、ヨーロッパで唯一の日本語放送で放映していました。
宮廷を舞台にした、韓国の大河ドラマです。

先月、日本に出張したとき、土曜日の夜、NHKで放送しているのを見ました。
日本の方が、10数話分ほど話の進み方が遅かったでした。

とうとう、昨日で最終回となりました。
全54話。
去年の夏から、週末を楽しみにずっと観ていました。

それでも、週末まで出張が入っていたり、仕事が遅くなったりすると観られないときがありました。
また、ちょうどイギリスからドイツに引っ越した頃に、放映時間が23時から20時に繰り上がり、余計に観る機会を逃すことが多くなりました。

その日本語放送では、”人気の番組なのでみんなが見やすい時間帯に変えました。”と、宣伝していたけれど、
20時と言う時間は、僕は、仕事で間に合わないし、パートナーは子供たちをお風呂に入れたり、寝かしつけたりしていて見逃すし、あまり良い時間帯ではありませんでした。
23時からの方が、一通りの片づけが終わって、眠るだけの状態でゆっくり観ることが出来ました。

ドイツに来てからは、ドイツで使えるビデオデッキを購入し、パートナーに頼んで、録画して貰っていました。

最近のドラマには珍しく、最後の最後までストーリ展開がしっかりしていて、楽しめました。また、最後に向かうほど、予想がつかないストーリでした。

ネタばれになるので、具体的には何も言いません。。

何よりも、週末の一つの楽しみが一つ無くなってしまったのが、とても残念です。。



接待

2006年07月29日 04時42分32秒 | 自分

ここのところ、オフィスにお客さんが多く、
仕事が終わってから会食に出掛けることが多い。
飲めないお酒を飲んで、潰れてしまって、復活してから帰宅。
完全な酒気帯び運転。ドイツは、ビール一杯までなら、お咎め無しらしい。
(ホントかどうかわからないけれど。)

しかし、お酒の量なんて、人によるような気がするけれど。

欧州人にはお酒が飲めないDNAが存在しないと聞いた。
お酒が飲めないDNAは特異体質で、DNAが変異したものだって。
(それこそ、ホントかどうかあやしいものだ。。)

とにかく、みんなに、”大丈夫か?”と、心配されながら、
車を運転して家に帰る。
日本じゃ、絶対に出来ないこと。
”大丈夫です!”って、言ったって、
酔っ払いの”大丈夫です。” ほど、当てにならないものはないよね。

ろれつが回らなくって、”大丈夫れ~す。”なんて、発音になっているし。。

家に着くと、そのままリビングでダウン。
気がつくと、AM4時とか5時。
それから、身体が気持ち悪いことに気がついて、シャワーを浴びて、
寝る服装に着替える。

すると、目が冴えてきて、寝付けず。いつまでも本を読んだりして、
外が明るくなってくるまで、起きている。

そして、朝は寝坊。。

すっかり、悪循環の生活になってしまった。

来週から、また忙しくなる。
気合を入れ直して、頑張りますか。


ふるさと

2006年07月28日 01時21分34秒 | 自分

とあるブログにお邪魔したら、摩耶山の名前を見つけた。
僕のふるさとは神戸。


神戸と言うと六甲山から神戸港を見渡す夜景が綺麗で有名。

確かに、大阪湾をぐるっと見渡す景色は最高で、雨上がりの夜、
空気が澄んでいると、関西空港から離着陸する旅客機が、
まるで彗星が流れていくように見えるときがある。

左手には、生駒山の山頂の明かり。
右手には、最近だと明石海峡大橋のライトアップ。
正面の一際明るいのは、三宮の繁華街。

阪急電車、JRと阪神電車が街の明かりの星の中を、
一筋の光がなぞっていくように走っている。

実は。。。
地元民だけが知っているのだけど(ここで話していいのか?!)
神戸の夜景は、六甲山からよりも摩耶山の方からの方が
綺麗なのでした。

六甲山よりも海に近い位置にある摩耶山からの夜景は、
すぐ真下まで、街の明かりが迫っています。
ただし、西方向は、新神戸、布引辺り(再度山)が迫っているので、
見えにくいですが。。
東方向、西宮、大阪方面の夜景は、
摩耶山からのほうが圧倒的に美しいです。


僕の実家は、その摩耶山のすぐふもとにあります。


ほっと一息

2006年07月27日 00時19分47秒 | 自分

先々週、先週と日本から何人も出張者が来ていて、
その付き添いや会議の同席にお付き合いしていた。

5時に会議が終わった後、社内だけの人間で次の日の
会議の進め方を打合せたり、反省会を開いたりした。
夜の9時ごろから、一緒に夕食会が開かれて、
家に帰るのは毎日午前様だった。
朝はと言えば、6時に起きてみんなをホテルに迎えにいくので、
実質、3~4時間睡眠が続いた。
さすがに週末はどっと疲れが出ました。

それに比べて、今週は自分のペースでじっくりと仕事をすることが出来ます。

来週からまた会議が目白押しになるので、今週は少し気を抜き気味に
過ごしていきたいと思っています。

それでも、仕事が終わるのは、夜の9時、10時過ぎになってしまいます。
スパッと切ってしまうくらいの気持ちがないとなかなか帰れないのかも知れません。

今日こそは、今日こそは定刻で帰ろうと心に誓っている、今週です。
一体、何日定刻で帰ることが出来るのか。。
今のところ、(月曜、火曜)と出来ていません。


2006年07月25日 01時20分18秒 | 思うこと

あなたの詩を読んで、

彼女が元気にでいるように願う気持ち。
自分のしていることが、正しいことなのか、そうではないのか悩んでいる気持ち。

ここのところの大雨の中で、
抱え込んでいるあなたの思いが伝わってきます。

元気を出して。

当たり前のことしか言えません。

見送ったときのこと。

2006年07月23日 05時51分10秒 | 自分

それまでは、何とも感じなかったけれど、
フランクフルト国際空港にみんなを連れて行ったとき、
なんだか、自分も飛行機に乗って、
日本に向かわないといけないような気持ちになった。

そうじゃないとわかると、なんだか少し淋しいような、
物足りないような気持ちになった。

なぜだろ?

あと数年はここで頑張らないといけない。
今の仕事が一段落つくまでは。。

今回来てくれたみんなが支えてくれるから、
僕も、ここで頑張れる。


お見送り

2006年07月22日 05時12分26秒 | 出来事
今週一週間は、日本でいっしょに仕事をした人たちが出張で
ドイツにやってきていて、その付き添いをしていた。

今日は、朝早くから、3時間はなれた施設を案内して、
夜の9時の飛行機に間に合うように、戻ってきた。

今はオフィスに戻ってきて、今週の後片付けをしています。
僕のオフィスのスタッフも疲れたみたいで、
今日は、7時過ぎには帰ってしまいました。

今は一人でポツンとしています。

なんだか。。眠たいです。。
明日は、何もかも忘れて、ぐっすり寝てやろう、っと。

もう一度、この言葉をあげますね。

2006年07月20日 07時44分35秒 | 思うこと

いつか。。
僕が、この言葉を貰ったことをこのブログに載せたとき
コメントを貰った記憶がありましたが、
もう一度、載せますね。

「どちらか一方の道に迷ったとき、
どちらが積極的か考えて、積極的な方を選べばいい。
積極的な方向の方が確実に失敗は少ないし、
失敗したとしても、それが必ず糧になる。」

自分を信じて。


今週は。。

2006年07月19日 08時48分13秒 | 思うこと

日本から、日本で所属していた部署の上司と部下がドイツに来ています。
一週間、付き添いで会議に参加しています。

イギリス、ドイツと会社外のいろんな世界を見てきて、視野が広くなったと実感。
元上司の考え方の狭さに納得がいかなかったり、イライラしたり。

せめて、日本にいたときの部下たちには、自分の見てきたことを
偽りなく伝えたくて、事あるごとに自分の思いを伝えている。

そして、上司を超えたところで仕事に取り組みたいし、
部下には、僕を乗り越えて仕事をして欲しいと思う。

ブチ切れた。

2006年07月18日 07時51分08秒 | 出来事

あまりにも言い訳ばかりで、自分の身を守ることしか考えていない。
あまりに度が過ぎるので、今日はブチ切れた。
キレたのは久々のこと。

それでも、言い訳や自分の身を守ることばかりでは、相手の信頼を失うので、
僕は事あることに噛み付く。
それで、その上司の下にいる日本のスタッフが納得してくれればいいと思う。

夢を見た

2006年07月16日 10時24分45秒 | 出来事
夢を見た。しかも、数ヶ月前の夢の続編だった。
しばらく寝付けなくなって、パソコンを繋いで、今、ここに来ている。

学生時代、中国大陸を旅した。
バックパック一つで、大学の学生寮に泊まりながら、2ヶ月ほど。

その時に知り合った女性に恋をした。
東京に住んでいた。僕は、大阪の大学で、下宿をしていた。
同じ船で日本に戻り、再会を誓った。

1年間長距離でのお付き合いだったけれど、彼女はそれに耐えられず、
僕の元を去っていった。

風の噂で、僕と同じ頃に結婚し、名字が変わったことを知った。


つい、何ヶ月か前、その彼女の夢を見た。

同窓会みたいで、当時の共通の友達もいっしょに
2階の座敷のようなところで集まって、お酒を飲んでいた。

僕たちは、なんとなく離れた席に座り、それぞれの友人同士で語り合っていて、
お互い会話をすることなく、時間が過ぎていった。
友人達も僕たちの顛末を知っているから、僕たちの話題に触れようとしなかった。

お開きの時間がせまる直後のことだった。
彼女が僕のところに来た。

”久しぶりね。元気にしている?”
”ああ。まあね。あなたは?”
”元気よ。”
こういうときの僕は、逢いたくて、話したくて、堪らないはずなのに、何気ない返事をしてしまう。
それすら、彼女は知っているように、そのまま会話を続けた。
彼女の左手の薬指の指輪を見て、家庭についてのことは、聞く気になれなかった。
そのくすみ、傷を見るだけで、充分幸せなのだろうと想像はついた。

”どうしているの、今は。”
”仕事でね、海外に住んでいるよ。
今回は、たまたま日本にいるときに、呼ばれて出席したんだ。”
”夢は叶った?”
”あの頃の夢はね。でも、まだまだだけれど、それに向かっていると思える。”
”お母さんや家族はみんな元気?”
”元気よ。”
彼女のお母さんには、当時、僕が東京に行く度にお世話になっていた。
”でもね、お父さんの仕事の調子が悪いみたいで、お金に困っているみたいなの。”
”そうなんだ。大丈夫かい?”
”わからない、わからないの。具体的なことは何も。”
”そっか。心配ないから。”
全く持って、無責任な言葉だろうと思った。
心配ないって?どうして?なぜそれが僕にわかるの?
話を聞きながら、お金のことは大嫌いだと思った。お金が絡むと、人はいつも心が汚くなる。

そして、彼女はそっと僕に小さなメモを渡した。
”連絡先。”
と、一言だけ行った。
そこには、携帯電話の番号だけ、書かれていた。

そこで、目が覚めた。

あまりにリアルすぎて、頭痛がしていた。
ドイツはとても暑くて、寝苦しかった。
冷たい水で顔を洗いにいって、ミネラルウォーターを飲んで、
また、布団に潜り込んだ。

僕は、彼女に、自分の連絡先を渡しただろうか?
なんて、夢に対して、反省をしていた。
夢と現実の判断が未だに付いていなかったのだろう。


そして、今晩。。
また、彼女の夢を見た。
というか、夢の続きだった。

出張中のホテルだった。
その日一日の仕事が終わり、ホテルの電話から、仕事場に報告と、
自宅に無事の連絡の電話をした後、
ふと、カードケースから、彼女から貰ったメモが出てきた。

何を思ったか、電話してみようと思って、ダイアルした。
もちろん、海外からだし、何を思ったわけではなく。。

ダイアルのトーンが聞こえてきた。

”もしもし?”
向こうから、全然違う女性の声が聞こえてきた。
少し、声のトーンが高く、丁寧に、でも、どこか機械的な声だった。”
僕は、
”○○さんに掛けたつもりだったのですが、間違えたようですね。失礼しました。”
と言うと、
”いえいえ、間違っておりません。○○さんは、しばらく前から、いなくなっています。”
”へ?どういう意味ですか?”
”○○さんの周りの人は、みんないなくなりました。”
そこで、やっと意味がわかった。夜逃げだと。
そして、彼女の携帯電話すら、借金取りに電話が転送されるようになっているのだ。
”あなたはどちら様ですか?”
”△△です。○○さんの昔の友人ですが。”
”そうですか、詳しくお話を聞かせて貰っていいですか?”
”いいですよ。”
”それでは、折り返しこちらから電話しますので、電話をお切り下さい。”
そう言った。
海外の、しかもホテルから電話しているのに、こちらの電話番号がわかるのだろうか?
と、思いながら、
”わかりました。一旦切りますね。”
と、言って電話を切った。

そこで、目が覚めた。
あまりにリアルすぎた。


僕は、
もっと早く彼女に連絡すれば良かった。メモを貰ってすぐに連絡すれば良かった。
これで、本当に連絡が取れなくなってしまった。
と、思うと、とても悲しくなった。

相変わらず、夢と現実の違いが付いていなかった。


夕立

2006年07月14日 08時11分45秒 | 出来事
ここ数日、こちらでは、夕立が続いています。
今日はとても激しく、稲光が北の空から南の空を引き裂くように光りました。
その直後に、爆弾が落ちたような大音響が響きました。
近くに落ちたみたい。
久々にびびった。

気温は高く、日中30℃近くまで上がるけれど、オフィスにクーラはなく、
夕立で涼しくなるかと思えば、湿度が上がるだけでした。
こんなことなら、日本と変わんないじゃん、と、暑くてイライラした気持ちを
ぶつける所がない状況です。

それでも、日が傾く夜の9時を過ぎると、一気に気温が下がり、22℃くらいまで下がります。
急にひんやりとしてきます。

仕事中、下の娘が熱を出したと上の娘から電話が入りました。
気温の変化の大きさに、小さい身体がついてこないのでしょう。

仕事から帰ってきて、おでこに手を当ててみると、確かに熱かったでした。