北の風に吹かれて~独り漫遊記~

町歩きを中心に、日々の出来事を綴ります。 
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スーパーヒーロータイムの復活

2012-05-20 15:22:08 | 特撮作品鑑賞
(今週の特命戦隊ゴーバスターズ)

いきなり「スーパーヒーロータイム」のOPが復活したのに驚き。
確かにこれまでも不定期だったけど、今回は、ちょっと唐突過ぎやしないかいって思った。
やるならやる、やらないならやらないではっきりしてほしいと思うんだけどなあ・・・。

今週のメタロイドは「チューバロイド」。
例によって、OPの後で、今回は、「メタウィルス、何る」かなと思ったけど、「吠える」はちょっと想定できなかった。
その意外性が面白いと言えば面白いんだけどね。

そのチューバロイドが怪音波(?)を発する際の「ボエ~♪」という表現、どこかで聞いたような・・・と思っていたら、ヒロムが言った、「お前はオンチだから」の一言で全て繋がった。
そうか、ジャイアンの歌だ!
ドラえもんのマンガでも、ジャイアンのあの酷い歌声は、「ボエ~♪」と表現されてたから。
もしかしたら関係ないかもしれないけど、私の中では繋がったので、そういうことにしておこう。

今回のストーリーは、バディロイドたちに対するサプライズツアーとのことで、ウサダがメリーゴーランドや観覧車に乗っている姿は見ていて面白かったけど、あそこで不機嫌な様子だったのは、ヴァグラスが現れたからではなく、本当に乗りたいのは別な乗り物だったということなのかなとも思った。
ということは、やっぱりジェットコースターとか?
来週、事件が円満に解決したら、あるいはそういうシーンもあるのかなって、ちょっと期待。

それにしても、行方をくらました司令官は一体どこに?
「東映ヒーローMAX」で、新しい戦士とバディロイドの存在が明かされていたけれど、どちらも、現時点では詳細は不明ということで、一体どうなることやら・・・。


(今週の仮面ライダーフォーゼ)

今週は、相棒の大木刑事役でおなじみの志水正義さんがゲスト出演ということで、何の役かなと思っていたら、まさかJKの父親だったとは!
そして、ついに明かされたJKの本名。
「神宮海造(じんぐう・かいぞう)」と出た瞬間、「なるほどそう来たか」と思った。
どこまでも、仮面ライダーX=神敬介に因んだ名前なんだなあと思った。

名前と言えば、依然気になり続けている、「如月弦太朗」の由来。
「如月」とは2月のことで、その2月の星座と言えば、水瓶座と魚座だけど、十二使徒の中で、水瓶座=アクエリウスは既に出たし・・・。

早いもので残り3ヶ月。我望の真の目的をはじめ、気になる点だらけだけど、ここまで来たら最後まで楽しめそうだなと思ってきた。
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格闘を横目に・・・

2012-05-20 08:44:14 | 道外旅行記



豊後高田の次は、県北部の中津市へ。





これは、駅前にある、かの福沢諭吉の像。
ここ中津は、福沢諭吉ゆかりの地なのだけど、その辺は、また別の記事にて。





駅から徒歩15分くらいの所にある「中津城」。
天正15年(1587年)、黒田孝高(如水)が、豊臣秀吉より16万石を与えられ築城に着手した城で、周りのお堀に海水が引き込まれている「水城」として知られ、愛媛県の今治城、香川県の高松城と並ぶ、日本三大水城と呼ばれている。

因みに、初代城主である黒田孝高は、「官兵衛」の通称でも知られている軍師。
「大戦隊ゴーグルファイブ」のゴーグルブラック=黒田官平の名前の元になった武将なので、どういう人物なのか気になっていたのだけど、なるほどそういうことかって納得でした。





で、これがそのお堀なんだけど、この二羽、一体どうしてると思いますか?








実は、じゃれ合っているわけではなく、何と、取っ組み合いの喧嘩をしていたのです。
後ろに写るカモは、まるで仲裁に入るかのように近づいてきていて、お堀の周りには、どうなることかとハラハラしながら見守る群衆の姿が。
結局、何とか二羽は離れたんだけど、一方の首筋には、噛まれた跡と思われる、赤い血に染まった筋がくっきりと・・・。
こんな光景を見たのは初めてだったので、私もちょっと怖かったです。








城から見た中津市内の風景。
いつも城に行ったら必ずこういうのを撮影しているけれど、天気がいいだけに、見ていて安らぎを覚えました。
特に、海や川の綺麗な水面を見るのは大好きなので、癒されました。





中津城のイメージキャラクター「おっくん」
徳川家康のひ孫であり、下野国宇都宮藩藩主だった奥平忠昌がそのモデルとなっているキャラクター。
奥平家と中津の関わりは、天正3年(1575年)の「長篠の戦い」の際に、長篠城(愛知県)の城主だっ奥平信昌が、武田勝頼軍の攻撃に対して籠城を続け、織田信長・徳川家康連合軍の勝利に貢献し、その後信昌は家康の長女をめとり、後に奥平家は中津藩に移領となったとされている。





最後に、城を正面からもう一枚。
見てのとおりの立派な造りだけど、当時、天守閣が存在していたのか否かについては不明で、江戸時代の絵図には天守は描かれておらず、財政難若しくは単に必要がないので建てられなかったという説が有力らしいです。
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