
先日もチラッと触れたけど、大分県中津市は、かの福沢諭吉のゆかりの地。
写真のこの場所は、天保5年(1835年)に大阪堂島の中津藩蔵屋敷で生まれた諭吉が、父の死を契機に1歳6ヶ月の時に帰藩した後、19歳まで暮らした旧居です。

中はこのように開放されていて、上がって写真を撮ることができます。



このとおり、諭吉はこの土蔵で勉学に勤しんでいたとのことであるが、15歳の頃までは、勉強は嫌いであったらしいという、評判からは信じられないような説もあるらしいです。
その後、兄の勧めもあって、19歳で長崎に蘭学の勉強に行き、オランダ語の勉強に勤しむが、後に外国人居留地となった横浜の見物に出かけた際、オランダ語が全く通じず、なおかつ看板の文字が判読できないことに衝撃を受けたのがきっかけで英語の必要性を痛感し、ほぼ独学で英語の勉強を始めたとされています。

こちらは、敷地内にある記念館。
諭吉をはじめとする福沢家の歴史や、ゆかりの品々が数多く展示されています。

続いてこちらは、諭吉旧居からほど近い、「円応寺」という浄土宗のお寺。
一見どこにでもあるようなお寺だけど、ここにあるのは・・・、


「河童の墓」。
一体どういうお墓なのでしょう?

なるほどそういうことでしたか。
河童は、伝説上の生き物とされている感が強いけど、このように、人々との強い関わりがあることを知ると、ぜひ一度実物を見てみたい気がします。

最後に、こちらは、中津で食べた「からあげ定食」。
大分県、とりわけ中津市は、からあげの名産地として知られているのだけど、これはもう、「からあげ」というレベルを超えているような気が。

正直苦労したけど、大変食べ応えがあって美味しかったです。
因みにこれを食べた後、3~4日ほど「肉断ち」してました。(笑)